2004年 8月
8月24日(火)

この3週間、全くもって更新できなかった事をお詫びする。

本日、無事にヤフーオークションで競り落としたパソコンモニターが届いたので、これからまた定期的な更新ができると思う。

さて、この3週間、皆さんが一番気がかりだった事はメダカの事だと思う。あれだけココで書き記したメダカどもが一体今どうなっているのか?気になって仕方ないことだろう。

だが、心配には及ばない。強風に煽られ水槽が倒れるとゆうハプニングもありながら、奴らはスクスクと成長している!安心して欲しい。

ただ、そんな朗報もありつつ、また新たな問題も起きている。それは、いよいよ、小さなメダカどもが大きくなり始め、飼育するスペースが無くなってきているとゆう問題だ。今は苦肉の策として、ラーメンどんぶりを何枚か台所から拝借してきて、そこで飼育している。

そんな訳で、次の課題は里親探しだ。このホームページからも受け付けるので、メダカの里親になりたい方は欲しい数や何かを掲示板やメールで教えてもらいたい。よろしくお願いする。

これ以上この状態が続くと、我が家はラーメンが食べられない。

8月25日(水)

人間は眠っている間にコップ2杯分の汗をかくとゆうが、僕はそれに付け加え、コップ2杯の涎も垂れ流している。だから、夜と朝では体内水分が1リットルほど差があるわけで、そこで生じる身体への負担とゆうのもかなりのものだ。

最近、オリンピックフィーバーだ。ただ、オリンピックがこれほど取り沙汰されている事に、一抹の不安を感じるのは僕だけだろうか?

昔から、スポーツ観戦ほど下らない事は無いだろうと感じていた僕だが、そろそろ、皆さんも感じているだろう。スポーツとゆうものが何の為に使われているのか?あれほど大衆を誘導しやすいフィールドはないのだ。

そう、共感だ。

共感こそ恐いものは無い。共感とゆうモノほど疑い無しに絶対視されるものは無い。意外とスポーツを通すと変なフィルターに通されてしまうもので、共感とは人間の絶対的な根源である。とゆうような風潮に陥りやすい(そんな事無いか?)。

しかし、天才真平は分かっていた。

ははーん。奴らはそうきたか。

画一化だ!

最近、僕が出会う人で、予想を越える人に出逢ったことが無い(僕の交友範囲が狭いか否か?)。どう考えても、僕の予想範囲内でしか彼らは動かない。つまらない。

つまり、寝ている間に1リットルもの新陳代謝を自覚していない人が多いのだ。またもや、つまり、1リットル減っている事に気がつかず、なんだか燃えている人が多いのだ。

とゆう事は、1リットル減って燃えていても、タカが知れているのだ。

自らの負担に気が付け!

そして、その負担に燃えろ!

涎は垂れ流されさせられているのだ!

8月26日(木)

昨晩はだいぶ酔っぱらって帰ってきたのだが、そのまま静かに寝てしまえばよいものの、3週間もの間ホームページの更新ができなかった事からなのか、変な使命感が湧いてきて、なんだか訳の分からない日記を更新してしまった。申し訳ない。

さて、自分でも書いたことすら微妙にしか憶えていない昨日の日記なのだが、なにやら怒っている事だけは伝わってくる。

だが、自分で垂れ流している涎を、垂れ流させられているなどと言っているほどだから相当なものだ。本末転倒も甚だしい。ただの酔っ払いだった事がうかがえる。

人の酔っ払い姿を見て、あんな風にはなりたくないし、俺は酔っぱらったとしてもあんな風ではない。と信じていた僕だが、どうやら、酔っ払いは酔っぱらいなのだ。皆一緒なのだ。

だから、僕は酔っぱらってもただの酔っ払いとは一線を画す僕独自の泥酔を考えてゆかなければならないと思う。

いや、考えずとも、もう独自路線があった!失禁が!

8月27日(金)

明日、僕が通っている大学の先輩であり、学科の先輩でもある方に会いにゆく。

現在、彼の職業はイラストレーターとゆう事になっているが、数々の著作、数々の講演、テレビ出演、構成作家、グラビア写真家、音楽プロデューサー、そして、ラジオのパーソナリティまでもこなす、多才とゆうべきなのか、散漫とゆうべきなのか、とにかく色々な事に手を出している人だ。内情はショウモナイ事ばかりやっている人でもある。

僕はそんな彼の活動を見て、またショウモナイ事をやって、と思いつつ、羨ましい、とも思っている。

真っ当な事を実現してしまう人も凄いと思うが、ショウモナイ事を実現してしまう人はもっと凄いと思う。彼はそんなショウモナイ事を実現してしまう数少ない一人なのだ。

隙あらば、弟子入りでもしてこようと思う。

待っていろ!リリー・フランキー!

8月28日(土)

僕がギターを始めて、早3ヶ月が経とうとしている。

一応、中学の頃にはブラスバンド、高校の頃にはジャズ、そして、多少のクラッシック、それ以降はロック、と音楽は長年やっていたので、初めてにしろ、理論を分かっているし、ギターなんか誰だって弾いているし、あんなものは簡単だ!

実際、去年から始めたウクレレは、今ではなかなかのものになっているし、ギターだって、ウクレレに毛が生えたようなものだろう。などと、軽く見ていた。

だが、この3ヶ月、全く上達しない。

自分でもなぜなのか分からず、途方に暮れ、一時は投げ出そうとした事もあった。だが、周囲の友人には「俺はギターなど軽く弾ける!」などと嘯いていた為、やめる事ができなかった。

実際、僕がバリバリにギターを弾けると思っている人もいるかもしれない。あれは嘘だ。バリバリに弾くのは、予定だったのだ。

だが、昨晩、僕は初めて家からギターを持ち出し、友人の家で軽いジャムセッションをした。そして、僕は気がついた。僕の音楽を始めた理由が何だったのか。

僕は仲間達と音楽を通して友情を深めたかっただけなのだ。舞台に立って素晴らしい音楽を観客に聞かせてやろうなんてゆう気は無い。何を勘違いしていたのだろうか?

僕は青春にまっしぐらになりたかっただけなのだ。音楽を通してお互いの個性を活かし、足りないところは助け合う。そんな青春を、ただ突っ走りたかっただけなのだ。

そんな訳で、僕は昨晩を境に大いなる成長を遂げた。

近いうちに、楽曲を公開しよう。「お茶の間ロック」

さあ!これからリリー・フランキー!待ってろよ!

8月29日(日)

ただ今、リリーから帰ってきた。

賞味12時間。結論から言うと、本当にしょうもなかった。

しかし、世の中には変な奴が実に多いとゆう事を身にしみて実感する事ができた。僕も友人から変な奴だとはよく言われるが、本当に変な奴とゆうのは、変なのではなくて、凄い。有無を言わさず、とにかく凄い。小便を漏らしているぐらいの僕なんかではとても太刀打ちできるものではなかった。僕なんか小者だ。

ちなみに、一緒に行った友人はリリーと一緒に来ていた変態の一人と個人的に飲みに行く約束をしてしまっていた。

これで彼も変態へと突っ走る事は間違いない。楽しみだ。

まあ、とにかく、今回は、僕の今まで持っていた概念は全て覆され、僕の想像を遥かに超えて世界とゆうものは広く、深く、かなり変で、実に面白い、とゆう事に気がつかされた。

リリー・フランキー、そして、その周りを取り囲む変態たち。

恐れ入った。




先日予告していた楽曲ができたので公開する。

私、パーソナル・ササがリードボーカルを務め、バギー・松木がコーラスを担当した友情のデュエット曲。

「Ten Years Ago」

聴いてくれ。

8月29日(日)

変態に囲まれているからこそ、彼はあんなにも寛容だったのか!と、リリー・フランキーの事を考えつつ、僕は今日ひとつの重大な決断をした。

メダカの繁殖を中止する。

5月~7月までがメダカの繁殖シーズンなのだが、ウチのメダカは夏も終わるとゆうのに、まだ卵を産んでいる。

このまま奴らの面倒を見ていたら、来年には大変な事になるだろう。

いや、実は、もう軽く大変な事にはなっているのだ。

だから、繁殖とゆう作業は中止し、これからは育成に励もうと思う。とゆうか、数が数なので、育成だけで手いっぱいないのだ。

とにかく、メダカのためにも、自分自身の生活のためにも、この悪循環を断ち切ることにする。

最近、メダカを育てていると、ふと思うことがある。もしかしたら、自分はこのまま一生メダカを増やしつづけ、飼いつづけ、メダカの虜となってしまうのではないか? 奴らの機械的な生命活動に自分も取り込まれてしまうのではないか?と。一抹の不安をおぼえる。なかなかの恐怖だ。

片手で持ち上がる小さな水槽に100を超える生命が存在していると思うとゾッとする。

しかも、全てメダカだ。

8月30日(月)

最近、矢沢あいの「NANA」とゆう少女漫画を読んだ。一時のブームから比べると下火にはなっているらしいが、けっこう人気がある少女漫画の一つらしい。

しかし、なんだあれは!?

物語なのだから、多少のありえなさは仕方ないと思うのだが、あの漫画は著しくありえない。あれほど人を苛立たせる漫画はない。本当に不愉快だ。腹立たしくなるほどだ。タバコ吸いすぎだ!ありえないんだよ!

本当にこんな漫画が人気があるのか?と疑わしくなるほどなのだ。はっきり言って、こんなものを読んでキャー!キャー!言っている奴の気が知れない。俺なんか読んでいる最中に何度本を放り投げたか分からないほどだ。

まったくもう。

だが、なぜか、また読み始めてしまう自分がいる。。。

もしかして、、、、俺もキャー!キャー!してる口なのか?俺もドギマギしちゃってるのか?もしかして、俺、ハマってるのか?

そう言えば、俺、読みながらちょっとニヤけてなかったか?

バカヤロー!

これほど自分自身が分からなくなる漫画はない。

そうゆう意味では優れた漫画だと思う。

まったくもう。

8月31日(火)

今年の夏も特にこれと言った出来事もなく終わろうとしている。

たぶん、こんな感じで僕の一生は終わるのだろう。

しかし、よく一夏の恋だとかなんとか巷では言われるが、あんな事は本当にあるのだろうか?そんな甘酸っぱくほろ苦い事が本当にあるのか?

たぶん、普段から家を好むような根暗にはそんな出来事ないのだろう。

だが、先日も少女漫画の事を書いたが、今、ドラマにしろ、小説にしろ、男女の恋愛模様を描く事がメインストリームな感じだ。

でも、僕はつくづく感じる。人間、そんなに愛だの恋だのに生きているのだろうか?

たぶん、普段から家を好むような根暗には理解できないのだろう。

つまり、家にいては何も始まらないとゆう事だ。

今更気がついた。