2008年 1月
1月1日(火)

あけましておめでとうございます。

さてさて、みなさまは年越しをいかがお過しされたでしょうか?ん?私ですか?私は家でのんびり、そばをすすりながら過ごしましたよ。近所の神社を渡り歩き、泥酔の末、元旦は昏々と寝ているという時期もありましたが、体力的にも精神的にも、そういった強攻はもう不可能です。

御神酒を飲み、御節料理を食べ、年賀状をポストに投函し、初詣の道すがら、顔を合わせた友人に新年の挨拶をし、今はコップ酒を片手にこの日記を更新しております。

生憎、空は曇り空。とりたててやることもないので、昼寝でもしましょう。

初めてですね。こんな大らかな寝正月は。

では、本年もよろしくお願いいたします。

1月2日(水)

じいちゃんのところへ新年の挨拶に行った。

肺炎を患ってかなり危うい状態だったじいちゃんだが、神のご加護なのか、生まれ持った生命力なのか、クリスマス前後になんとか峠を越し、今は元気にベッドの上でツイストを踊っている。俺もそれぐらい踊れるようになりたいぜ。じいちゃん。

しかし、快復しつつも、まだ大事をとってじいちゃんは救急病棟で看てもらっている。同室の患者さんは予断を許さない状態の方々ばかりで、見舞いの最中も、隣の患者さんが緊急処置室に運ばれていった。

死の淵からなんとか生還したじいちゃんと、未だ死の淵を彷徨う方々。生と死の境界がとても曖昧な中で、新年早々、僕はメメントモリをひしひしと感じてきたわけだ。その生命を持ってしての教鞭には頭を下げても下げ足りないぜ。じいちゃん。

1月6日(日)

先日、賑やかな人垣に加わったところ、ちょうど、早稲田の学生が目の前を走りすぎていった。箱根駅伝だ。上り車線を走っていたので、復路の最終版10区。気になったので、その後、テレビで観戦すると、私の見た早稲田大学は惜しくも準優勝、優勝は駒澤大学だった。

アマチュアのスポーツは表面的な攻防戦よりも、それぞれの選手の背景にある物語や、その物語を受けての結果に楽しみがあり、そのひとつひとつの物語に想いを馳せるからこそ感動があるのだと思う。

今回もゴール直前で日大と東洋大がシード権を争う最中、前を走る東海大の選手が崩れ落ちる姿などは、もう、本当に、喜んでいいんだか、悲しんでいいんだか。まさに、ドラマティックなのである。

しかし、箱根駅伝を観た次の日、まだ暗い早朝の五反田駅で、新年早々続々と出勤する人々。そのひとりひとりの表情や姿を見ていて私は思った。これは箱根駅伝に負けず劣らずドラマの詰まった光景ではないかと。

箱根駅伝の感動を再び味わいたいと思うなら、早朝の五反田駅へ行くといい。なぜ私が早朝の五反田駅にいたのかは聞かないで欲しい。

1月7日(月)

セブンイレブンで財布の小銭入れをあけたら、中から草の切れ端が出てきた。そう言えば、先日、多摩川の土手で年甲斐もなく転げまわってしまった。そうか、こんなところまで入り込んでいたか。

さて、いよいよ、大学の卒業制作の提出があと2週間後に迫っている。大学でできることも、もうあと僅かだ。そう、あと僅かなのだ。しかし、その、あと僅かな期間にも関わらず、私の制作は一向に定まらない。身も気もまったく入らない。できる事ならこのまま静かに卒業させてもらえたらと願うばかりだ。本当に。

年甲斐もなく、大学で4年間もゴロゴロと気ままに転がってみたが、さて、私のポケットには何が残るのだろうか。

その前に、私は卒業できるのだろうか。まったく。

1月12日(土)

私は今かなりナイーブだ。

というのも、一週間後に提出を控える卒業作品の目処が全く立たず、それでも、もう制作を始めなければどうにもならないので、とりあえず作業を開始した。ちなみに、こんな事態になるまで何をしていたのかというと、三箇日からずっとベッドにもぐって初夢を待っていた。

しかし、作業を始めたといっても、制作の目処が立たないものを作るというのは、想像以上に不毛なもので、作業が進めば進むほど精神が病んでくる。作っていても完成が見えないのだ。これは狂気だ。

このままでいくと私は卒業ができないだろう。留年もできない。

悪夢的な初夢である。まいった。

1月14日(月)

年齢のせいだろうか?はたまた、将来への不安か?いやいや、ゼミを辞めさせられたからか?いや、そもそも、私自身の資質の問題か?それとも・・・・

卒業制作が進まない理由を、秋葉原の雑踏を彷徨いながら色々と考える。どれもが的を射ているように感じるし、どれもが見当違いのような感じもする。

歩行者天国を闊歩する奇抜な集団。スピーカーや拡声器から発せられる硬質なノイズ。点滅を繰り返す様々な色のネオンサイン。店先に並ぶ用途不明の商品群。世界的にも異質で広大なジャンクヤード。そう、ジャンクで形成された街。秋葉原。

私はこの街の途方もない使途不明の集積に魅力を感じ、今もこうして、ここにいる。個人の力では包括できない力に共鳴して私はこの地に引き寄せられたのだ。

たかが4年の大学生活に対して、私は誇大妄想を膨らませすぎていたのだ。個人の力では包括できないものまでも自身に反映し発揮しようと。

ジャンクでもいい。私のできることをやろう。

ジャンクこそが私の意欲なのだ。間に合うかどうかなんて、そんな事は知らん。

1月15日(火)

遠くフランスはパリからメールが届いていた。御転婆娘のフランス人、ジヌーさんからだ。新年の挨拶が主な内容だったが、今ごろ新年の挨拶といったところが御転婆娘のジヌーさんらしいところである。実に微笑ましい。

新年の挨拶のほかにも、近況報告や東京で過ごした思い出、今後の抱負や私への気遣いが綴られていたが、そんなことより何より、彼女と過ごした本当に出鱈目で痛快な日々が鮮明に思い出された。たった1年前のことだが、最早懐かしい。

もしかしたら、この大学生活を通して、ジヌーさんとの交流が最も自由で闊達で素直なものだったかもしれない。外国人であり、フランス人であり、女性であり、年下であり、デヴィッド・リンチ好きであり、御転婆なジヌーさんとの交流が、私が大学生活に求めていた何よりの経験であり、もしかしたら、最も私らしく私を表現できたのではないかと感じている。

出会いは原動力である。

チェスをあんなに真剣に打つ人も初めてだった。弱かったけど。

1月18日(金)

卒業制作の全体準備でコテンコテンに働かされ、更には、遅刻の罰で更なる強制労働を強いられた。おかげで、作業より2日を経た今でも極度の全身筋肉痛に苛まれている。運動不足と日和生活の織り成す最悪のハーモニーである。

しかし、全体作業はともかく、遅刻の罰とは。まあ、そもそも遅刻した私が悪いのでなんとも言えないが、罰ってね。あんまり書くとまた変なことに巻き込まれそうなのでやめておくが、卒業を間近にして、改めて凄い大学だなと痛感させられたところである。

この世の中を生き抜く上で厳しさとはとても重要な項目だと思うが、罰という強制的な厳しさとは少し違うと、10数年ぶりに実際に罰を受けてみて感じる。罰は厳しいというより、ただ、切ないだけだ。

愛しさと、切なさと、心強さと。それが罰だ。

1月19日(土)

提出は22日(火)16時まで。卒業制作も本当にあと数日というところになってきた。もう、頭が禿げそうだ。いや、もう耳の後ろ辺りから禿げている。

私の場合、学校までの距離や経済的な問題で、シコシコと自宅で作業をしているのだが、平日や土日祝日関係なく部屋に篭って作業をしていると病理的な閉塞感に苛まれる。

そこで、少しでもその閉塞感を解き放つため、昔JWAVEでやっていたリリー・フランキーさんの番組を流しながら作業している。最近、ニコニコ動画に大量にアップされたのだ。

この番組がやっていた当時、私は大学進学を志し、予備校や受験費用の捻出のため、深夜に配達のバイトをしていた。カーラジオから流れるこの番組を聴きながら深夜の都会を走り回り、先行の分からない自分の将来に不安を感じたものだが、この時、ラジオとはなんて親密なメディアなんだろうかと身に染みて分かったような気がする。

しかし、そんな頃聴いていた番組なものだから、この一週間、当時の深夜の感覚が螺旋階段のようにループし続け、閉鎖感は脱したものの、また別の病理に苛まれそうな気がしている。

あがらぬ雨も明けぬ夜もないと言うが、変化せず何かがずっと続くような世界があるならば、それはそれで魅力的である。このまま朝が来なければどんなにいいだろう。は~。

1月26日(土)

提出も済み。講評も終わり。作品展が始まった。片付けなどの雑用は残っているが、一応、卒業制作も人心地つき、あとは、もう卒業を残すのみである。良かった。

この4年間、色々と思い悩み、中退すら覚悟したこともあったが、級友の朗らかな笑いや、些細な一言や、漲る情熱に励まされ、無事、卒業を迎えることになった。

美大などは、自らの道を切り拓き、突き進んでゆく人が行くところなのかもしれないが、残念ながら私はそういう資質を持ち合わせていないので、多くの仲間に触発され、影響され、尻を叩かれながら今までやって来た。

年甲斐もなく、意思疎通能力に長けていない為、うまく仲良くなれなかった人もいたが、みなさま、4年間、本当にお世話になった。そして、本当にありがとう。あなたの一言が、あなたの発想が、あなたのアホさ加減が、私にとってどれだけ貴重なものだったか。おかげで私は掛け替えのない4年間を過ごせましたよ。

研究室は色々問題があったが、それを持ってしても余りある、素晴らしい仲間が集う場所でした。

1月27日(日)

卒業制作が佳境に迫る頃に合わせて、私の右胸が痛み出した。最初は筋でも痛めたかと思っていたが、日を追うごとに痛みが増す。外部というよりは内部からの鈍い痛みに不安が過ぎる。まさか。

そう言えば、ついこの間、友人がタバコの吸いすぎで肺に穴が開いた。

私もそれなりの喫煙者だ。穴が開くぐらいならまだいいが、おかしな瘤でもできていたらどうしたものか。今の私には入院費も手術費もない。今の世の中にあまり未練はないが、でも、もう少しぐらいは生きていたい。

しかし、痛みをおしつつ、不安を抱えながら、日々を過ごしているうちに、とうとう、息苦しさに耐えられず、夜も眠れないようになってしまった。嗚呼、やはりそうなのだ。この痛みは尋常ではない。きっと、とんでもない何かなのだ。

翌朝、歩いて5分程の近所の総合病院へ、寝不足と胸の痛みに耐えながら20分かけて行った。そして、やはり肺に何かしらの疾患がありそうだということでレントゲン検査をした。

結果。

肺自体には何も疾患はみつからなかった。筋を痛めた形跡も無かった。考えられるのは、神経痛か何らかの打身によるものかもしれないとの事だったが、明確な原因は分からなかった。

神経痛。確かに最近精神的に追い込まれていたので可能性はある。ならば、卒業制作が終われば痛みは消えるのだろうか?

打身。打身にはまったく覚えが無い。打身、打身?打身!

そう言えば、痛みが始まる前日に、友人の家で1時間ほど慣れないマッサージチェアに揉みしだかれた。酔っ払って調子にのったのがいけなかった。

嗚呼。なんという情けない原因だろうか。私は本当にどうでもいいことで、よく損をする。病院に行った日を境に、私の右胸からはみるみる痛みが消えている。今日も煙草は美味い。

1月30日(水)

いま、私は28歳だ。性格にも行動にもいささか大きな問題を抱えた私も無事に大学での生活を終了した。いや、無事ではない。最後の最後まで、大勢の学友や教職員に多大な迷惑と不快感を与え、今日という日を迎えた。

これからも私は自らのこの大きな困難を抱え社会生活をおくることになる。不快感や不信感や混沌を振りまきながら日々を歩んでゆくだろう。そのせいで、立ち上がれなくなるような事にも対面するだろう。

私は本当に駄目な人間だ。ただ、そんな私を暖かに包んでくれた朗らかな友人達に心から謝罪と尊敬と感謝の意をここに表明させていただく。