どんなサイトでも、趣味性や専門性といった一定の方向性を明示し、有用な情報提供をしているところが多い。私も様々な場面でそうしたサイトの情報を活用させて頂いている。
しかし、そのように実用的な情報がWEB上を席捲する中で、雑多乱文を縷縷綿綿と垂れ流しているだけの、このようなサイトなどは、何の方向性も無く、何の有用性も無い、無用の産物と化している。
間違っても、京大の入試問題などに答えられるような実用性はない。
しかし、みなさんには、無用というのことがどういうことなのか、この場で確認して頂ければと思っている。無用で無様な生き様を篤とご覧あれ。
週末。六本木の国立新美術館へシュルレアリスム展と東京五美術大学展を観に行ってきた。
シュルレアリスム展には、ダリ、マグリット、エルンスト、キリコ、ミロ、タンギー、デュシャン、ブルトン、ジャコメッティ、マッソン、レイ、ブニュエル、などなど。名立たる作家の作品が展示されていた。
一方、東京五美術大学展の方には、無名ながらも、シュルレアリスト達をも凌駕する若者達の模索に溢れる作品が展示されていたが、やはり、シュルレアリスト達には一歩及ばず。
やはり、奴らは凄いのだ。
芸術運動のみならず、政治運動にも関わり始める彼らの一連の活動と、我々の探究心の甘さに差があるのかもしれない。
シュルレアリスト達が拠点とした街。パリ。今なら、御転婆娘のジヌーさんと悋気娘のフィリピーヌさんもいるし、10年ぶりに遊びにでも行くか。
その後は、反政府義勇旅芸人として、北アフリカでも周遊しよう。
18歳の酔いどれ天使だった私は、まさか自分が31歳になるまで生きているなどとは思ってもみなかった。
高校卒業を前にして、進路も決めず、明日も分からぬ身で、毎日、酔っ払ってはバイクに跨り、東京タワーの周りをグルグル回っていた。
明日も分からぬ時、人は絶望の縁に立ち、極限の孤独に追い遣られる。
私はそのプレッシャーを、なんとか酒とバイクで切り抜けようとした。
そして、今、私は無事に31歳になっている。
いつ何時、また明日も分からぬ身になるかは分からないが、とにかく、今は、この31歳を謳歌しようと思う。
18歳で絶望しても、31歳で謳歌できるものだね。
新しく飼い始めたブリブリの金魚(その名も「鯨」)が可愛すぎて仕様がない、31歳、独身、禿まっしぐらの私である真平です。
金曜日の夜。皆さんいかがお過しでしょうか?
三十路過ぎている方は少し身体のことも考えて呑みましょうね。
さて、突然ですが、ウラジミール・ナボコフは、著作『ロリータ』の中で、主人公ハンバートの初恋アナベルとの「絶望的な恋」の行で、以下のような描写をしている。
お互いを我が物にしたいという情熱は、
相手の魂と肉体をひとかけら残らず吸収し、同化して、
初めて癒されるものかもしれなかったからだ。
この描写から、「絶望的な恋」が愛欲と食欲の同化と充足だとするならば、それは破滅的で行き処のない、確かに、「絶望的な恋」である。
そして、この解釈が「絶望的な恋」ならば、私は今、「鯨」という名の金魚に「絶望的な恋」の真っ最中である。食べてしまうことも吝かではない程に、恋まっしぐらである。
相手は人間ですらない。手足すら持たない金魚だ。ロリータ・コンプレックスのような幼女・少女への性愛嗜好よりも、更に深い禁忌を私は破ってしまっているのかもしれない。
こうなったら、愛欲を掌る愛染明王にでも祈るしかない!
オン キ ウン シッチ ソワカ!
昨日、入院中の友人のお見舞いに行って来た。
脳内に細菌感染が起り、膿が溜まってしまったらしい。所謂、脳腫瘍というやつである。死にも至る病だ。
自覚症状として、頭痛は感じていたらしいのだが、突然、高熱が出て、倒れ、あれよあれよという間に、大学病院の脳神経外科へ運ばれたそうだ。
怖ろしいことである。
まあ、しかし、友人の手術は無事に成功し、経過も良好で、まだ後遺症があるものの、今後のリハビリで緩和されていくそうである。
月内には退院の目処も立つようなので、まあ、不幸にも幸いだったというか、九死に一生というか、とにかく、まあ、良かった。
しかし、祖父の時もそうだったし、合コンの時もそうだったし、今回もそうだったが、脳外科の看護師というのは、なぜあんなにも可愛い子が揃っているのだろうか?
その事に関しては、入院中の友人(女性である)も強く同意してくれた。
可愛い子というのは脳に良いのか?
しかし、まあ、本当に、良かったよ。
当たり前のことだが、無いことの辛さは、無くなってみて初めて知る。
私などは歯が無いので、その辛さは充分痛感している。
大学の時の不精と金の無さが祟った。今でも悔やむ事である。
あと、祖父が亡くなって、初めて人がいなくなる辛さも知った。
仕方ないことではあるのだが、じいちゃん、辛いぜ。
身体的な欠損、人間関係の欠損、その他、諸々の欠損は、実際のところ、失ってみないと何も分からない。そして、その諸々は、何も分からないくせに、失うのことがとても怖ろしい。
ただ、何だかんだと、諸々を失いつつも、僕らはみんな、元気いっぱい生きていたりして、そんなみんなが、私は大好きだ。
今日も金魚への熱愛度100%の私である。
さて、日本テレビで毎週月曜に放映されている「旅猿」という番組をご存知だろうか?お笑い芸人の東野幸治と 岡村隆史がメインMCの緩いバックパック的放浪旅番組なのだが、これが案外面白い。
ちょっと旅に出たくなってしまうような、なかなか良い番組でなのである。
しかも、番組のナレーションを担当している奥貫薫さんのナレーターぶりがなかな絶妙で、そのナレーションに、私はまた、純愛度100%の魅力を感じている。
声だけしか分からない女性の魅力。特殊なエロさを感じる。
癒しとエロさのダブルセラピーである。
金魚に続き、私は奥貫薫さんにも注目してゆきたいと思っている。
可愛くて、巨乳で、矯正をしている、外国人の女の子と出逢った。
私的業界用語を使わせていただくと、3K1Gである。
魔球的変化球のうえ、ど真ん中のストライク。
一夜明けた今ですら、キュンキュンと胸が高鳴るほど、それはもう、可愛い子だった。
笑顔の可愛さ。笑顔で揺れる胸。笑顔で光る矯正器具。そして、伝わらぬ言葉。その全てが私の胸を打ち、その全てを見逃さぬよう私がどれほど彼女を凝視していたか。
私は、ああいう女の子になりたい!
嗚呼!誰か!
本日15時頃に起った大地震。
家に戻ると、特に目立った被害は無かったが、何故か私の部屋だけ、本棚の本やDVDが、多肉植物の鉢植えが、金魚の水槽の水が、壁の額縁が、めちゃくちゃに散乱しているのだった。
もう、疲れているので、片付けは明日にしよう。
まあ、私の場合はそれぐらいのことで助かったが、まだまだ余震が続く中、被災をされた方々の一刻も早い日常生活の復帰を切に願います。
余震の続く中、なぜか私の頭や口は臭いままである。
31歳。独身。アトピックボーイの真平です。
さて、余震おさまらぬ東京の街へ、奇特にも芝居なぞを観に行き、その後の打ち上げにも参加させて頂く機会を得た。
少なからず名の通った、俳優や制作、演出の方々と酒を酌み交わし、我想う。案外、普通なのである。
むしろ、私の方が酒の力を借りて、変な悪乗りなどをしてしまい、ご迷惑を掛けてしまった感がある。
まあ、私も31歳。そういった有名な方を目の前にする機会に何度か恵まれたことはあるが、皆様同様に、酸いも甘いも噛み分けた、非常に良い方々ばかりなのである。
そういった意味では、私も、もう少し気を遣える人間になりたいものである。本当に。恥ずかしい。
嗚呼、今日よ! もう一度戻って来て下さい!
しかし、なんだか、ずっと揺れてますね。
未曾有の大災害となってしまっている東北関東大震災である。
電話は繋がらない、電車は来ない、スーパーには何もない、被害の少なかった東京ですら、この状況である。いかに、日常生活が多くのもので支えられているかを痛感する。
余震は続き、原発は爆発し、計画停電が宣言され、まだまだ予断を許さぬ状況ではあるが、被災地域の皆さまには、早く救助の手が差し伸べられるよう祈るばかりだ。
もちろん、祈るばかりも何なんで、義援金も納めさせて頂いた。
そして、もちろん、この日記も、お馬鹿ながらも続けさせて頂く。
しかし、それぐらいのことしかできない自分が哀しい。そして、やはり頭も口も臭い31歳独身であることが一番哀しい。
ちなみに、今回のことで金魚は地震予知などにはぜんぜん役立たないことが分かった。
水槽の水がこぼれても、平然と泳ぎ、私のヘソクリをビショビショに濡らしても、平然と泳ぎ、口をパクパクしているだけだ。
まあ、しかし、それが可愛くて仕様のない31歳。役立たずである。
引き続き、未曾有の大災害となってしまっている東北関東大震災であはあるが、節電ぐらいでしか協力できない自分が情けないところである。
あとは、この日記を続けることぐらいか。
そういえば、この前、スーパーで麦酒を購入しようと、レジで金を払おうとした際に、まさかの年齢確認を求められた。31歳である。
少し年齢の離れた友人も一緒にいたのだが、それでも20代も半ばに差し掛かる年齢である。江戸時代でいえば中年増だ。
もしかして、我々は実年齢ではなく、精神年齢の確認を求められたのか?お前達は、きちんとした節度を持ち、大人の酒の嗜みができる程度に、精神的に熟達しているのか?と。
むろん、そういった精神年齢確認であれば我々は「未成年」になる。
酒を呑んだらとことん呑まれる。それが我々の実体だ。
スーパーのおばちゃん。 畏るべし。 侮れぬ。
しかし、話を今に戻すが、スーパーの商品は一体何処へ行ってしまったのだろう?私が愛するマイクのポップコーンも、お腹を温めねばならないホッカイロも、それ程の需要があるとは思えないのだが、未だに棚ごと何も無い。どうしたことだ?一体何が起こっているのだ?
みんなで一斉に冬篭りでもするつもりなのだろうか?
だれか、知っている人がいたら、教えて下さると助かる。
一人ぼっちは嫌よ。
ホッカイロが手に入らない為、腹を温められず、私の腹はユルユルに逆戻りしてしまった。まったく、なんということだ。
さて、先ほど、海外の友人から、安否確認の連絡が届いていた。やはり、海外でも今回の地震は大きく報道されているようである。特に原発の爆発事故は現在もかなり注目されているようである。
つまり、我々は、国際的非常事態という重大な局面に、立たされているということである。
ちなみに、当面の私は、お腹の非常事態に困窮するであろう。
まあ、お腹ぐらいのことで治まればいいが。
しかし、煙草が品薄になるという事は無さそうなので、一安心。
一服しながら、金魚の奴らでも眺めてやろう。
経産省の大停電発表により、都内各社で帰宅命令が出た帰宅ラッシュの電車に乗り合わせてしまった。地獄である。
まあ、被災地の方々の事を考えるとなんだが、ある意味で地震後の都内は都内で、毎日が生き地獄のよなものである。
みなさん、本当にお疲れ様です。
さて、先週お話した、可愛くて、巨乳で、矯正をしている、外国人の女の子。私的業界用語で言う3K1Gの女の子だが、どうにもこうにも、夢に出てくるのである。
地震の影響から来るストレスなのか、地震直前に出会った彼女が、観音菩薩的立ち位置で、私の無意識下に介在してくるようなのである。
モーレツゥ!! イヤァン!!
ところで、誰か、僕にお腹を温めるホッカイロをくれませんか?
お願いです。
いやあ、本当にみなさん、今週はお疲れ様でした。
非常事態下で、何が起こるか分からない中で労働するというのは、なかなかの緊張感を強いられる大変な事だったと思う。なかなか。
さて、今朝、少し時間があったので、朝食と一服がてら、駅近くのカフェに入った。もちろん喫煙席である。
また、女性の話になるのだが、煙草を吸う女性は、なぜにあんなにも魅力的なのだろうか。女の子ではないし、ましてや、女子でもない。女の魅力だ。
喫煙時の仕草や立ち振る舞いはもちろんのことだが、社会に対する反抗心や、自律心みたいなものに、なにか艶めいたものを感じてしまい、私としてはグッときてしまう。
最近では、めったに見られるものではないが、歩き煙草で颯爽と歩く女性など見かけた際には、もう、なんというか。
サイコォォー! なのである。
小中学生の頃は、よく友人と一緒に登校していた。
私の場合は、学区域の端に住んでいた為、学校までの距離が遠かったので、私が登校の途中に友人の家に寄って、一緒に登校することが多かった。
だから、私は友人の家の玄関で友人が出てくるまでの時間、よく暇をつぶしをしていた。様々な友人と登校を共にしたので、様々な玄関を今でもよく覚えている。
玄関とは、長く留まるようなところではない。生活の通過地点としてある場だ。普通は寛げるような場ではないのだが、そんな事もあって、私にとって玄関は、案外落ち着く場なのである。
内でも外でもない、しかし、内と外を繋ぐ、なんとも曖昧な空間。
今でも私の趣向は、そういう所にある。
そういった意味では、階段とかもなんとなく好きだ。
3連休の中日。酔いも少し醒めてきて、何だかうまく眠れない夜。
何もかもが曖昧で、でも、それが何だか妙に落ち着くのである。
人は実に多くのものを持って生活している。その多くのものを移動させ、新しい場所でまた生活する。
引越し。
自分や友人の引越しなど、実際に色々と引越し経験を通じてみて想うのだが、これって、ものすごく切ない行為である。
引越しが集中する諸行無常のシーズン。春。
私はそういう切ないシーズンになると、自分の感情を抑え切れなくなり、友人を道端の植栽に突き落としてしまう傾向がある。友人にとっては大迷惑だろうが、どうか許して欲しい。
そういえば、先日、10歳の少女と出逢った。
もの凄い美少女で、心根もとても良い娘なのだが、既に芸能プロダクションに所属しているらしい。なんと切ないことだろうか。
そしてまた、案の定、私は友人を植栽に突き落としてしまった。
春よ来るな。切なさよ立ち去れ。
友人の為にも。
放射性物質は雨に吸収され、空気は逆に大丈夫かもしれない。
そんな勝手な憶測から、部屋の窓を全て開け放ち、煙草臭い部屋の空気の入れ替えをする。
まるで、SF小説だ。 さすが21世紀。
さて、しかし、金が無い。
芝居も何本か観に行ったし、美術館にも行った。それなりに酒も呑んだし、旨いものも食べた。
しかしである。赤字になるほど大豪遊した訳ではなかったと思う。
給料日まで、あと4日。赤字まで、あと2,645円である。
単純計算で、1日あたり881円。
まさか31歳をして、金策に窮するとは思ってもみなかった。
これで、もし某銀行のシステムトラブルで給料が振り込まれなかったら。
まるで、SF小説だ。 さすが21世紀。
揺れているのが普通の毎日。
とうとう水道水すら飲めなくなってしまった東京だ。
さて、今、私は下顎の髭を伸ばしている。箔を付けたいのと願掛けと、両義でやっているのだが、果たして、結果が伴なうのかどうか。
あと、最近、私は陰毛の処理にも凝っている。こちらは特に意味はないのだが、せっかく整えているので、今度、誰かに見てもらいたい。
まあ、仕様もない、毛に纏わる話でした。
しかし、そんな私は今日も、被爆飯をモリモリ食べ、被爆麦茶をゴクゴク飲み、元気いっぱい生きておりますよ。
素肌の涙、ルワンダの涙、涙のリクエスト、涙そうそう。
世の中には、さまざまな涙があるが、やはり、女性の涙に勝るものはない。転校、卒業、結婚、退社、葬式、さまざまな場面で女性達の涙を見てきたが、連戦連敗、私はやられっぱなしである。
女の武器とはよく言ったものである。女性は色んな武器を持っている。
さて、そんな私は、この期に及んで、煙草のニコチン・タール数を上げた。別に深い理由はないのだが、女性の涙に少しでも抗いたかったのかもしれない。
男涙と煙草が、私の武器だ。
逆に、私の武器はそれ以外には何もない。
今日、中学生男子に出逢った。
平成も初頭の頃に、私は中学生男子をやっていたが、最早、平成も23年が経とうとしている。平成生まれ、平成育ちの中学生男子である。
好きな子 → いない
好きな芸能人 → いない
好きなキャラ → 「涼宮ハルヒの憂鬱」 長門有希
「化物語」 千石撫子
だそうである。
みなさん、お分かりになるだろうか?
私はギリギリ分かる。
最早、ジェネレーションギャップとは言えないほどに、我々はその差を逸しているのではないだろうか?
たぶん、我々の牧歌的な価値観を彼らに伝えようとしても、鼻で笑われるだけだと思う。そういう時代を、彼らは生きているのだ。
実在するものには価値を見出さない、そんな、新しい人たちが、新たな時代の価値を見出していくのだと思う。
そんな新しい価値に着いていけなくなった時、私は決定的なオジサンになるのだ。男涙と煙草だけが取り得のオジサンに。
さすがにちょっと春めいてきた。なので、ちょっと昔話をしよう。
中学2年。私のクラスは不良に牛耳られ、嫌がらせや遣い走りなどは日常。部活の不良の先輩からも、よく陰湿な脅しを受けていた。暴力の臭いがそこかしこに漂う毎日だった。
今考えると、なかなかハードな日々である。
しかし、そんなハードな局面でも、色々なトキメキやウキウキが散りばめられていて、それなりに青少年時代を謳歌していたものである。まあ、歳相応に楽天的というか、単純というか、馬鹿だったのかもしれない。
そして、そんなハードで複雑な1年間で、私の基本的な人間関係の価値観が形づくられたようにも思える。世の中との付き合い方とでも言えばいいだろうか。そういうことを培った1年間でもあった。
17年前。私は中学2年を終え、中学3年にならんとする14歳だった。
ハードで複雑な日々を終え、クラス替えが待ち遠しいようでいて、淋しいような、そんな微妙な春を私は待ち構えていた。
もう二度と戻らない、戻りたくもない想い出である。
しかし、桜はそろそろ咲くんですかね?
そして、嫌でも時間は過ぎていきますね?
この間、酔っ払って、久しぶりにゲロを吐いた。
歳をとると、ゲロを吐くほど酒も呑めなくなってくるし、ゲロを吐くほど浴びるような酒を呑む機会も減ってくる。私にとっては今後起こるか起きないかの、貴重なゲロだったのである。
記念に写真に収めておいた。
アニバーサリーとしては、なかなか哀しい記念写真だった。
今日、帰り道、桜の枝の先っぽの方を見ると、もう花が咲いていた。
哀しい記念日。それはいつも春にやってくる。
もう、私は二度とゲロを吐かない、いや、吐けないかもしれない。
明日から名実共に春となる。
生ぬるく、生易しい、どっちつかずの嫌な季節だ。
さて、うどん。
最近、うどんが美味しい。東京でも美味しいうどんを安価で食べられるところができてきて、嬉しい限りである。
私は、好きなものであれば毎日食べていても平気な性質なので、うどんであれば毎日食べても大丈夫。なので、海外に行ってもその土地に美味しいものさえあれば、日本食が恋しくなるようなことは特に無い。
まあ、と言っても、3ヶ月ぐらいが限度かもしれないが。
まあ、しかし、春よ。
うどん程に、私に好かれるような季節になって欲しいものである。
私だって、好き嫌いが激しい性質ではないのだからさ。