2018年 1月
1月3日(水)

あけましておめでとうございます。

本年もこの日記はゆるゆる更新してまいります。

さて、年末年始。無理な遠出もせず、いつもよりも少しだけ贅沢な食事をし、家でのんびり過ごしている。

なんだか、ずいぶん久しぶりに親子水入らずの長い休日を過ごしている感じがする。

そして、この間の子育ての忙しさで、なかなか会えていなかった多くの楽しい仲間たちにも、この年末年始に会うこともでき、新たに加わった幼い親族や若い親族にも会うことができた。

今夜は暴飲暴食気味で弱った胃に優しい薄味の鍋で三箇日を締めくくろう。

しかし、良いお正月だなぁ。

1月4日(木)

我が家でも正月には注連飾りと松飾りを玄関に飾り付けしているが、最近、松飾りを飾り付けるのに結束バンドやビニールテープを使っている家をよく目にする。

まあ、手軽で便利なのだろうけど。 う〜む。

そして、極め付けはガムテープ。これはさすがにどうなのだろう? 飾りを台無しにしているだけだと思うのだが、けっこうよく見かける光景だ。

ちなみに、我が家ではあまり飾りの邪魔にならない麻紐で門扉に縛り付けている。できれば、水引なんかで綺麗に縛れたら文句ないのだけど、それほどの手間はかけていない。

ただ、もしガムテープで飾るのだったら、いっその事、飾り付けなどしないだろう。

年始から説教じみてて良くないな。 う〜む。

まあ、ガムテープで素敵に飾り付けられているのなら文句は言わないが、今のところ、そうした飾り付けには出会っていないので、誰か挑戦してみてくれ。 ん? 俺か? 無理無理無理!!

1月5日(金)

三箇日が終わり、娘の保育園も始まった。

ぼちぼちながらも世の中が慌ただしくなり、いよいよ今年が始動しようとしている。

そんな中、予期せず丸一日自由になる時間ができた。

まあ、予期せずというか、きちんと日程を把握していなかったというのが本当のところで、一歩間違えればマズいことになっていた。

でも、思いがけない嬉しい余暇である。

せっかくだから、これまで時間が無くてできなかった細々としたことを、この余暇を使って一挙に片付けてやろうと思ったのだが、結局、年始で何処も彼処も閉まっていたり対応していなかったりで、何もできずに大切な一日を棒に振ることとなった。

こんなことなら、映画の一本でも観て、美味いものでも食って、単純に楽しめる一日にすれば良かった。

年明けから、自分の貧乏根性が故の間の悪さと決断力の無さを呪うばかりで、なんとも微妙な走り出しであった。

はぁ~。

という訳だから、今年は攻めてくぞ!

1月8日(月)

松の内も終わった。

午前中にどんと焼きでお飾りを持ってゆき、無病息災をお祈りした。成人の日をもって、いよいよ正月も終いである。

私自身にも我が家自体にも、乗り越えなければならない課題が色々とあるのだが、この正月はそうしたことを一旦置いて、親子水入らずで過ごすことのできた実に良い正月だった。

こう言うのも気恥ずかしいのだが、家族を持つ幸せをじんわり実感できる正月だったな。

も~! やだ~!

お昼寝中の娘の隣で、明日の保育園に持っていくオムツに名前スタンプを押しながら、そんなことを噛みしめる、38歳、正月最終日なのであった。

1月9日(火)

煙草を止めて喫煙所に行かなくなったので、会社内でのコミュニケーションが著しく減ってしまった。

年末年始の社内の忘年会や納会や新年会なども、都合が合わず遠慮させてもらったので、これまた拍車をかけている。

う~む。 まずい。

早急に煙も酒も媒介としない、新たなコミュニケーション方法を確立しないといけないが、まったく想像がつかない。

煙と酒にどれだけ依存していたんだ。俺は。

恐ろしい。

しかし、煙と酒の媒介能力って凄いよな。

1月10日(水)

保育園の同じクラスのお母さん(私の8歳年下で2児の母)

「毎日お父さんにお迎え来てもらって、娘さんは幸せですね」

と声をかけられたので

「私も保育園育ちでしたが、父親のお迎えなんてハズレくじみたいなもんでしたよ」

と応えた

何か意味ある会話というよりは、挨拶の延長のような他愛ない会話だったのだが、そのやり取りが何だか妙に引っかかっていた。

ちょっと待てよ。

ん!? あれ!?

年末ジャンボ買ってないじゃん!

ハズレてないんだ!

1月12日(金)

今宵は妻が新年会のため、父娘水入らずの宵である。

むふふふふぅ☆

突然ですが! 娘の可愛い言葉ベスト5!

5 チッ!(おしっこ)

オムツにおしっこをした際に使われる。この言葉が出る時は、かなり不満気な表情で自らの股間を叩く仕草をするので、ちょっとオッサンぽいのだが、何もできずに気持ち悪さで立ち尽くしているところが可愛いのだ。意地悪くそのまま放っておくと怒る。

4 チュンバン!(じゅんばん)

自分でやろうとしている時に何か手出しされると出てくる言葉だ。素足で靴を履こうとしている時に靴下を差し出したりすると「チュンバン!」と制され、ゴメンゴメンとなるのだが、いや順番違うでしょ! まだあまり意味を理解していないところも可愛い。

3 ハーイー!(はい)

自分の名前を呼ばれた際の返事に使われるのだが、なぜか必ずテンションが低いので、仕方ない感が丸出しだ。だが、その感じが絶妙にツンデレっぽくて、かなり萌える。つい何度も名前を呼んでしまうのだが、必ず返事はしてくれる。萌え萌え☆

2 チョダイナ!(ちょうだいな)

おやつや食事のおかわりに使われることが多く、最近はおぼろ昆布のふりかけを要求する時によく出てくる言葉だ。ちょこんと両手を前に差し出す仕草は悶絶級の可愛さである。この言葉を無視すると相当に怒る。今のところ金銭類の「チョウダイナ!」は無い。

1 ダダ!(いやだ)

最近、一番良く出てくる言葉で困っているのだが、娘も意味を十分理解しているので、様々な用途で使われる。父を困らせるためだけに使われる「ダダ!」は不敵な笑みとともに発せられ、文字通り小悪魔的である。だが、父はそんな小悪魔にメロメロです。

親馬鹿による誰も知りたくない無害で無意味なベスト5でした。

イェー! イェー!  ピース! ピース!

1月13日(土)

ゴールデングローブ賞では映画業界に対して俳優たちが黒い服を着ることで抗議を表明する異例の事態が巻き起こり、Twitterでは#MeTooというハッシュタグで告発が相次いでいる。国内外でセクハラの問題があらためて大きな話題になっているところだ。

そうした世界的・社会的な動きに比べると、とても些細な事かもしれないが、私が大学時代に体験したハラスメントの記憶は今でも深く刻まれている。

これから語ることは、気分の良いものではないし、面白可笑しい話でもないので、新年早々の週末にするにはあまりに相応しくないかもしれない。10年前のできごとなので不明瞭な点もあり、確かだと思うことしか書いていないので、少し分かりずらいかもしれない。そして、なにしろ長文なので、あまりオススメはしないが、そうしたことに納得できる方は読み進めてもらえればいいと思う。

私としては、ちょうど良い機会なので、あの体験を忘れてしまわないように、あらためてまとめておきたいと考えた。だから、告発とか弾劾とかいう趣旨はないし、ただの体験談なので実名や具体名も記さない。もちろん、ネットに公開するからには少し人目に触れて欲しいという欲求もあるが。

前置きが長くなった。

さて。

10年前。大学3年と4年の間の春休み。3月の初旬にこの事件は起こった。

長期休みになると私は学費や生活費を稼ぐため、毎日バイトに明け暮れていた。この春休みも同じようにフルタイムのバイト漬けの日々を送っていた。

そんな時、私の所属していたゼミのメーリングリストで「残念ですが真平はゼミを辞めることになりました」というメッセージがゼミの担当教授から一斉配信された。

それまでゼミを辞めるというようなことを誰かに言った憶えもなかったし、そもそもゼミを辞めるなんてことも考えたことがなかった。しかも、今は春休みで教授にもゼミの友人にも2ヶ月以上会っていない。まったく身に覚えの無い事だったので何が起きているのか理解できなかった。

何かの間違いか悪い冗談だと思って教授に連絡を取ろうとしたが、教授の電話はコール音が鳴り響くだけで繋がることはなく、メールにも返信は来なかった。

ゼミの友人に連絡を取って状況を確認したが、ある友人は「辞めちゃうんだね 残念だよ」と、教授のメッセージを鵜呑みにしていた。まあ、あのメッセージを見たらそういうことになるだろう。

別の友人の話から、教授は私に対してもの凄く怒っているらしいということが分かってきたのだが、2ヶ月以上も顔を合わせていないのに、何を怒ることがあるのかさっぱり分からない。

件のメールングリストのメッセージが配信されてから数日後、唐突に教授から「君とはもう話したくないのでゼミを変えてくれ」というメールが私宛に届き、教授が私をゼミから外したいのだということと、メーリングリストの教授のメッセージが虚偽であることが判明し、少しだけ状況が分かりはじめた。

その後「なぜですか?」という私の問いかけには反応はなく、以降、教授の電話は着信拒否状態になってしまった。

研究室にも掛け合ったが、応対した助手は「教授が怒っているのだから君に何らかの問題があったのだろう」とのことで、怒りの原因や内容については何も説明はなく、教授との話し合いの仲介も断られ、とにかく早急にゼミ変更の手続きをとってくれとの一点張りだった。

教授から原因や理由の説明が無いこと。そして、嘘をついてでも私を排除しようという態度に納得がいかなかった私は、なんとか教授の居場所を突き止め、直談判の機会を得たのだが、その場においても教授からの明確な説明は無く、聞くことができたのは「これ以上お前の顔を見ていると俺もどうなるか分からないぞ」と脅しともとれる発言だけだった。

まったく訳がわからない状態ではあったが、こうして実際に教授と対面したことで、教授の言動や態度にとても不可解で病的なものを感じるようになってきたのはこの頃からだった。

大学の学生窓口にも掛け合い、これまでの経緯と明らかに異常な教授の対応の説明をし、再度の教授との話し合いの仲介やこの問題に対する何らかの介入を頼んだが、個人的なアドバイスをされただけで、真剣にこの問題に立ち入ってくれるような姿勢は一切見せず、ただの面倒ごととして処理された。

この時、面談をしてくれた他学科の教授から「まずは君の誠意を見せるために土下座でもしてみたら」と言われた時は言葉を失った。あなたは俺の話を聞いていなかったのか?理由も原因も分からずになぜ俺が頭を下げなければならないのだ?

諦めがつかなかった私は、再度、友人や知人に相談し、この問題を打開できそうな手立てを模索し、こうした問題が相談できそうな団体にも掛け合ってみたが、その当時はまだアカデミック・ハラスメントなどという認識も無かったため、この問題を上手く取り上げてもらうことはできなかった。

何も分からず、何も進展せず、無駄な足掻きと徒労を重ね、時間だけが経過する日々だった。

結局、私はその諸々の対応に疲れ果て、大人しくゼミの変更手続きを行い、4月から新しいゼミに所属することとなった。泣き寝入りである。

不満も無かったかと言われれば嘘になるが、まずまず充実した大学生活だっただけに、この不条理で理不尽な状況にかなり混乱したし、大学や研究室や教授への失望も計り知れないものがあった。

実際、大学4年時は数日しか大学には行かず(行けず)、卒業式にも出(られ)なかった。

これが、私が大学で経験した事件の顛末である。

実に呆気なく、呆然とするほど何も分からない事件であった。

教授の不可解な言動と対話の拒絶という複合的な問題が絡み合っているため、何が問題なのか分かりずらく、私自身も狐に摘まれたような気分だったが、教授と研究室と大学による学生(私)に対するネグレクト(無視・放置)は重大なハラスメント行為であったことは言うまでもないし、大学という場で平気で学生差別が行われていることに更なる根深さを感じる。

今思えば、たかがゼミの所属の云々であるが、何も分からないまま自分の立場がみるみる剥奪されていく体験は想像を絶する恐ろしさである。

後日談+補足

当時、私には他にも個人的な厄介ごとが重なり、精神的にかなり参っていたこともあり、この問題からはできるだけ目を逸らすようにしていた。

そのため、この事件のことは大学卒業後、あらためて友人たちからの話しを聞いて推測することとなった。

そこで分かってきたのは、一番の謎である教授の怒りの原因である。その原因はどうやら私のこのホームページに書かれた記事の内容にあったようなのだ。記事の内容を自分への批判だと受け取った教授が私に反感を持った。という事らしいのだ。

むしろ、教授がこのホームページを読んでいたことに私は驚いた。

ただ、もし教授の怒りがこのホームページの記事を発端とするならば、それは完全な誤解であるし、もっと言えば、自意識過剰な反応としか言いようがない。なぜなら、それまで私はこのホームページに教授のことを具体的に記したことなど一度も無かったし、教授を意識して記したものすら無いのだ。

そうしたことを、ある友人に説明したら、当時、教授の私に対する思い入れは傍目から見ても明らかだったので、その影響もあるのではないか?と言われた。つまり、愛憎の紙一重というやつである。しかし、それこそ、恋人や夫婦の関係ではないのだから常軌を逸している。まあ、友人も冗談で言ったのだろう。

まあ、こうしてみると、あらためて教授の一連の対応の異常さが際立つのだが、こうした諸々の話もすべて推測の域を出ないので意味がない。やはり問題は教授による一方的な言動と対話の拒絶。そして、生徒の訴えを一切聞かず何の対応もしなかった研究室と大学の怠慢な態度にあったと思う。

そして、これはとても残念なことなのだが、私が卒業した後に、この教授は研究室の主任教授となるのだが、学生へのセクハラ行為が問題になり、降格になっている。しかし、降格に関する明確な説明は公にはされず、この教授は今現在も当該研究室で教授職に就いている。

当時の私がもう少し頑張って粘っていれば、こうした新たなハラスメント被害の学生を出さずに済んだかもしれないし、大学や研究室の体質ももう少し変わっていたのかもしれないと思うと、悔やまれるばかりである。

ハラスメントとは、実際にその立場に立たされてみないと、どれだけ不条理なことが起きているのか理解しずらく、個人の運の悪さや能力の問題にされてしまうことがある。

実際、当時この問題を相談した多くの人から「どこがハラスメントなんだ?」とか「ただの仲違いじゃん」とか「もう少し上手く立ち回れよ」とか「ゼミなんて何でもいいじゃん」とか「そんな事あるの?」とか「そんな教授はこっちからやめた方がいいよ」などの意見が多く、この問題の根本を理解してくれる人はごく僅かだったことを覚えている。

私もこの経験が無ければ、ハラスメントに対してこれほど自覚的ではなかっただろう。

だから、私は同じような境遇に立つすべての人の側に立ち、ハラスメント撲滅の世界的・社会的な動きに大いに賛同するし、ハラスメントの根となるあらゆる差別に抵抗する。

孤立こそが最大の敵なのだ。

ハラスメントで奪われるものは甚大である。

1月15日(月)

このホームページのリニューアルについて、半年ぐらい前に「年内ぐらいにはなんとか。。。」なんて仄めかしていたのだが、年末に体調不良やら仕事の繁忙やらで、まあ、その、うむ、ごにょごにょごにょごにょごにょごにょ。。。

とまあ、そんな感じだったので、年明から少しずつまた手を入れ始めているところなのだが、関節は痛いし、鼻水は出るし、頭は重いし、風邪っぽいんだよな~。嫌だな~。

また風邪だったら、この冬三度目なんですが?

人ってこんなに風邪ひく? 大丈夫かな? 俺は。。。

1月16日(火)

昨晩の37度2分をピークに熱は下がりはじめ、頭痛や鼻水の症状も緩和してきている。軽い風邪で良かった。インフルエンザだったら目も当てられなかっただろう。

ちなみに私は今まで一度もインフルエンザに罹ったことがない。

さて、年が明け、イヤイヤ具合が少し落ち着いたような気がしないでもない娘であるが、気難しいことに何ら変わりはない。

最近は服への執着が強く、自分の気に入ったものや着慣れたものしか着てくれず、新しい服やお出かけ用の服なども拒絶される。

着てくれないのも困りものだが、このところ水玉柄を上下組み合わせで着るのがお気に入りになってしまい、毎日のように草間彌生と化していて、これはこれで困るのだが、もしかしたら、彌生先生と同じように水玉模様による集積と消滅の自己実践をしているのかもしれず。

んなわけないか。

まあ、そんな訳で、我が家の気難しいヤヨラーは今日も元気にモアレを起こしていて、父ちゃんは少し目が痛いです。

1月17日(水)

この日記を子育て日記だと勘違いしている人がいるが、この日記はあくまでも私の日記なので、子育てを主眼としたものではない。

今は少し子どもの話題が多くなってしまっているが、本来は洗練された都会的でお洒落な私の日常をお伝えしたいのだ。

さて、そんなわけで、娘の話である。。。 あれ?

娘は先月で2歳を迎え、この1年で背が10㌢ほど伸び、体重は3㌔ほど増えた。成長著しい。

産まれたばかりの頃は、この生き物が本当に人間のようになるんだろうか? と疑ってしまうほど何もできなかった娘だったが、ご存知の通り、今では元気に暴れ回っている。

そして、そんな娘が昨晩、寝る前に我々に絵本を読み聴かせてくれたのである。

産まれて2年も経つとこんな風になるのか。

父ちゃんは昨日とは違う意味で少し目が痛くなってきちゃったな。

1月18日(木)

イタリア産の豚肉、ブラジル産の鶏肉、メキシコ産のアスパラ、南アフリカ産のグレープフルーツ、インド産のエビ、モロッコ産のタコ、などなどなどなど。

近所のスーパーには世界各国の生鮮食品が溢れかえっている。

売り場をぐるりと周れば簡単に世界一周できてしまいそうだ。

私自身は旅行で十数カ国ほどしか行ったことがないが、私の胃袋などは知らないうちにかなりの国々を巡っていそうだ。

でも、凄いなと思いつつ、なんか変な感じだし、正直、恐ろしい。

考え過ぎか?

ちなみに私も娘も国産大豆の水戸納豆が大好きだ。 ねばねば。

1月19日(金)

イヤイヤ期の娘は保育園からなかなか帰ろうとしてくれない。

上着を着ない、靴を履かない、ヘルメットを被らない、自転車に乗らない、なんて事はいつものことで、お友だちの帰り支度のお世話を妬いたり、グッピーの水槽を熱心に眺めたり、素敵な石の発掘に熱中したりして、なかなか帰ろうとしてくれないのである。

とても困る。

そして、そんな娘を前に為す術をなくし、ただ呆然と立ち尽くしている私の姿を見るに見かね、先輩ママたちが色々と助け舟を出してくれる。

「うちの子と靴履き競争しようか?」「この上着、貰ってっちゃおうかな?」「お父さんじゃなくて私と一緒に帰ろうか?」などなど、絶妙かつ巧みな誘導により、娘を帰宅に促してくれるのだ。

本当にありがたい。

娘のイヤイヤ期のおかげというか何というか。とにかく思いがけず何人かの先輩ママ友(私より若い)ができて父はとても幸せである。

他意はない。

1月22日(月)

大雪警報だ。

私が入社してから一度も天候不良による帰宅命令や指示が出たことのない会社なので、窓の外で猛烈に雪が降り積もる中、いつも通りみんな元気に仕事をしている。

平和な光景である。

帰宅路線に運休や遅れが出てしまったら、即座に娘のお迎えや家庭生活に影響が出る私はヤキモキしているのだが、そんな私を他所にみんな平然と打ち合わせなんかしていたりする。

俺が一人で馬鹿みたいだ。

北海道に住む友人が「東京の人は自然の力を前に往生際が悪い」と言っていたが、事態はもっと深刻で、本当はみんな目の前で何が起こっているのかうまく理解できていないんだと思う。

だから、俺はそんな会社の連中と心中なんて真平(マッピラ!)ご免なので、さっさと帰らせて貰うぜ。ばいなら~!

1月23日(火)

雪の朝である。

この静謐な清々しさに優る朝はほかにないだろう。

欲を言えば深夜に深々と降り積もった雪の朝が最高なのだが、その代償は甚大な影響として跳ね返ってくるので、まあ、このぐらいが良いのだろう。仕方ない。

それから雪掻きである。

朝一番。町内でも一番のりで雪掻きを始めたので気持ち良い。

だが、4年ぶりの雪掻きで尻の肉を痛めた。まあ、腰じゃなくて良かった。本当に。

今年はあと何回降るのか? 俺の尻は持ち堪えられるのか?

1月24日(水)

保育園には感染症情報の掲示板があり、園内で発生した感染症を逐次報告してくれるのだが、ごくたまに1件掲示され「アレまぁ~」と溜息をつき、ごくごくたまに2件掲示されたりして「あらヤベーですなぁ」と大袈裟に驚いてみたり、まずまず呑気な掲示板なのであるが、昨日、突如として6件もの掲示がされていたのである。

・インフルエンザ

・溶連菌

・RSウィルス

・ノロウィルス

・マイコプラズマ肺炎×2

「あ? なんだコレ? ダブル役満か?」と目の前の途方もない事態が理解できず、なんとも呑気な私だったのだが、少し冷静さを取り戻し、ようやく事の重大さに気がついた。

「どうしようか? こんな魔の巣に娘を預けて平気だろうか? 沈静化するまで休ませるか?」と現金で身勝手な心配をし始めるのだったが、今朝頃から、私の喉の調子が変なのである。

え? 俺? 俺に来るのぉ!? のぉぉぉぉ!

1月25日(木)

朝起きて、洗濯機を回し、床の拭き掃除をし、玄関と家の前の掃除をし、ゴミを出し、新聞をとり、食器を片付け、洗濯物を干し、自分の着替えと身支度をし、布団を片付ける。

というのが私の朝の基本的な日課である。これ以外は妻の役目。

ひとつひとつの作業は5~10分程度で終わる簡単なものばかりで、日によってやることが増減するが、これだけの仕事を片付けるとなると、どんなに急いでも1時間は簡単にかかってしまう。

そして、これら細々とした仕事を終えると、朝の最大の難関である娘の着替えと食事が待っている。これは不確定要素が多く、時間も読めない。忍耐と辛抱の仕事である。妻と二人三脚で当たる。

とまあ、そんなこんなの慌ただしい朝時間を過ごしている私だが、7時半過ぎに家を出ると仮定して起床時間を逆算していくと、朝の微睡みを楽しむには程遠い、辛く険しい起床時間となる。

仕方ないとはいえ、やはり萎えるよな。

だから、せめて、もう少し暖かく明るい季節になって欲しいというのが、私のささやかな願いである。

今日は寒すぎる。

さて、今日はこれから保育園の保護者会である。

行ってきます。

1月29日(月)

娘のお年玉が貯まってきたので郵便貯金の口座を開いた。お金の管理ができる歳頃になったら渡してやりたいと思う。

実は私も親から同じようにお年玉の口座を作って貰っていて、今でもその郵便口座を使っているが、もう流石にお年玉は貰えないので、自分のささやかなヘソクリ口座として使っている。

娘の口座を開くついでに、我がヘソクリ口座にも久しぶりに貯金をした。

すると、我が貯金総額より娘の貯金額の方が僅かに多かった。

2才児に負けるとは。。。 情なし。。。

我がヘソクリの脆弱さに嘆く甲斐性なしの父であった。

1月30日(火)

娘が「イッテェ!(見て!)」と叫んでいるので、なんだろか? と娘の方に目をやると、頭からズボンを被っていたりする。

その姿に「何やってるの!?」と、こちらが戸惑いをみせると、してやったりという感じで不敵に「フフフ」と笑うのである。

う~む。

漫才で言うところの「ボケ」というやつなのだろうか?

娘の性格については、まだ掴みきれないところがあって、よく分からないというのが本音なのだが。

ひょうきん者? と考えるべきなのか? はたまた。

やはり、よく分からない。

女子は難しい。

1月31日(水)

この一年、私の電話は鳴らない。鳴ったとしても、妻(1割)か親(1割)か会社(1割)か保育園(7割)かのうちのどれかで、内容はどれも決まったものである。

まあ、電話が鳴らないのは昔からなのだが、育児のせいもあって交遊関係がかなり希薄になってしまっているのは事実である。

娘の育児も数年のことだろうから、これが終われば自由気儘に遊びに行ったり呑みに行ったりできるだろう、なんて割り切っているのだが、本当にそんな日がやってくるのか? とも思ってしまう。

というのも、妻などはこの一年で新たな交遊の輪を広げたり、月一ぐらいで何かしら友人たちの集まりに参加したりしているが、私の方はさっぱりご無沙汰で、妻の集まりに付いていったりしている始末なのである。

まずいよな。 自ら切り拓かねばな。 喰い込まなければな。

などと交遊の復活を夢見つつ、とりあえず娘のお迎え行かなくてはならないのであった。

今夜は皆既日蝕だったな。