2020年 10月
10月1日(木)

オセロ、将棋、それからチェスのルールは、なんとなく覚えた娘だが、勝負という概念がまだ朧気で、特にチェスを始めると、最初のうちは大人しく駒を進めているのだが、その具象的な駒の形がゆえに途中から駒を人形に見立て、

クイーン:ナイトくん、ルークさん、おやつの時間なので、ポーンたちを呼んできて下さい

ポーン:僕たち前にしか進めないから、そっちに行けないんだよ―!


などと、お飯事が始まってしまう。あながち間違ってはいないのだが、ゲームとしては完全に別物だ。

でもまあ、これはこれでいいのかもな。

10月2日(金)

今日は洗濯物を美しく干すことができた。

生活とは、毎日同じことの繰り返す単調な作業のようであるが、積極的に関わるほど変化に富んだ作業である。

例えば、洗濯物を干すだけでも、天候や季節を考慮したうえで、ピンチハンガーに効率良く効果的に干していくには、それなりの経験と勘と機転が必要になるので、侮れない。

何年も経験を積んできているにも関わらず、妻の干した洗濯物を見て「そんな干し方があったのか !?」と、新たな発見に驚かされることだってよくある。

娘が生まれてからは、汚れ物の量にも増減があり、服のサイズにも変化があるので、毎朝が知恵比べである。

洗濯物を干すだけでもこんな感じなのだから、生活に関わる他の作業も言わずもがなである。

まあ、そんなわけで、今日は洗濯物を効率的かつ効果的に干すことができた。その完璧な光景は美しい。きっと、良い一日になることだろう。

10月5日(月)

フィンランド大使館の展示イベントを観に行ったあとは、近くの有栖川宮公園の林を散策して、お腹が空いたら娘も大好きなハンバーガーの店に寄っていこう。

右翼団体の街宣車から大音量で叫ばれる聞くに耐えない罵詈雑言は、そんな素敵な日曜日を、いとも簡単にぶち壊していく。

しかし、そんな恥ずべき連中を相手に、魔法のステッキを片手に果敢に立ち向かう娘によって、ドス黒い街宣車は七色のシャボン玉になって、秋の澄んだ空気の中に弾け飛んでいった。

10月7日(水)

いつか行かなくてはと思いながら、産まれてから一度も髪を切りにいっていない。そんな娘の長く伸びた髪をひとつに束ね、二本の指をすっと差し入れ三つの束に分ける。それから、右端の束を真ん中へ、左端の束を真ん中へ、順序を守って繰り返していく。作業自体はとても単純で簡単だが、予告なく大胆に動く娘の頭が相手だとかなり手こずる。そして、三つ編みの予定だったものがドレッドヘアの出来損ないのような状態になってしまう。仕方なく妻にバトンタッチする。

こないだ保育園で「もしかして、お子さんの三編みってお父さんがやってあげてるんですか?」と保育士さんに聞かれた。「まあ、ちょっと挑戦してみてるんですけど」と曖昧に答えたら、その保育士さんが「えっ! すご~い! お父さんが編んでるの!」と誤解され、近くにいた保育士さんやお母さんたちに触れ回り、ちょっとした騒ぎになってしまった。なぜか娘も否定せず、三編みを撫でながら満更でもないという感じにデへェへェと笑うので、周りの子どもたちまで「いいな! いいな!」と騒ぎはじめた。

まったく。いろいろとエキサイティングな日々である。

10月8日(木)

いわゆる「見えない友だち(イマジナリーフレンド)」という存在が娘にもいる。ときどきウチにやって来ては、一緒に遊んだりお喋りをして、とても仲良く過ごしている。泊まっていくこともよくある。ウチに来ない時は、電話や手紙を寄こしてきたり、オンラインで連絡がくることもある。

性別はよくわからないが、娘と同じ歳で、料理や工作が得意で、魔法や忍術にも長けていて、英語やロシア語や猫語を流暢に喋ることができる。私が知らないようなこともよく知っている。とても不思議な名前の子なのだが、秘密にしておくように言われているので、ここでは言えない。

ちなみに、ときどき私も仲間に入れてもらって、一緒に遊んでいるので、その子は私の友だちでもある。

10月12日(月)

朝から三度洗濯機を回してきた。

夜中に娘がオネショをしていたので、二度回すことは覚悟していたのだが、起床時にオモラシをしてしまい、三度目が確定した。起床時にはタオルケットまで濡れてしまったため、四度目も覚悟したのだが、なんとかそれは回避された。

だが、通常の洗濯物の他に、セミダブルサイズのシーツが二枚、オネショシートが二枚、タオルケットが一枚という洗濯物を干す余裕は、残念ながら我が家には無いのだった。

おかげで月曜日の朝から、頭も洗濯機もグルグルだ。




最近、外食するとすぐに腹を壊すんですけど、何なんでしょう? お腹までグルグルだ。

10月13日(火)

今朝も洗濯機を二回転してきた。

うむ。

さて、今日は年に一度の会社での健康診断である。一昨年と去年はたて続けに、朝飯を食べてしまうという痛恨のミスを犯してしまったため、診断日を変更したり、病院に直接受診しに行くことになってしまったが、今年はすべてが完璧だ。

ただ、今年は新型コロナウィルス感染防止対策のため、健診時間が個々に割り当てられていて、私の時間は11時なのである。つまり、11時まで何も口にできないのだ。おかげで、お腹が空きすぎて午前中の仕事が全く手につかない。

うむ。




今朝、娘からマーカーペンをありったけ会社から持って帰って来いという指令が出されたのだが、さてどうしたものか。

10月14日(水)

朝、ゴミ出しのために家のゴミを集めていたら、リビングのゴミ箱の底から紙くずがたくさん出てきた。

先週末、友人が十ヶ月になる子どもを連れてうちに遊びに来てくれた。この紙くずは、その子が小さな手で根気強く破った紙の破片だ。

娘が同じぐらいの月齢の頃、毎日が本当に大変で、この辛い生活がいつまで続くのかと暗澹たる気持ちでいたけれど、この紙くずを見ていたら、決して辛いことばかりではなかったということを思い出してきた。

もう少しだけ捨てずに取っておこう。

10月15日(木)

妻が職場近くのスーパーで筋子と金目鯛を買ってきたのだけど、どちらの食材も私が今まで出会ったことがないぐらい新鮮かつ安かった。

特に筋子は、卵一粒一粒に瑞々しいハリがあって、朱色というよりも淡い桃色が美しく、醤油漬けにしようと思ってほぐそうと思ったのだけど、まったく潰れないし、面白いように膜からポロポロとほぐれてくれる。

醤油とみりんと酒に昆布を入れ、一煮立ちさせただけのシンプルな漬けダレに一晩漬け、翌朝、白米にのせて口の中にかっこむと、ねっとりとした濃厚な旨味が白米と絡み合い、咀嚼のたびに脳内から悦楽のエキスがバシャバシャと分泌されるのだった。

金目鯛の方も言わずもがな。昨晩、煮付けにして食べたのだが、食べ終わる頃には完璧な金目鯛中毒者と成り果てていた。今晩は煮こごりが待ち受けている。

しかし、我が家周辺にも様々にスーパーがあるが、こんな食材を売るスーパーがひとつも無いのはなぜなのだろう。地域格差?

ぐぬぬぅ。



イクラ大好きな娘ですが、あまりの旨味の強さにびっくりしたのか、ちょっと残しました。

10月16日(金)

けっこう寒くなってきているというのに、天気が悪いせいで冬物の寝具がなかな天日干しできず、タオルケットとブランケットと重ね着でなんとか凌いでいるのだが、なぜか最近、娘が私の布団に潜り込んでくるため、娘の寝相の悪さにも悩まされ、心地よい睡眠がとれていない。

何よりも惰眠を貪ることが好きな私にとっては死活問題だ。

そんなわけで、まずまず冷え込んだ今朝も、眠い目をこすりながら、出掛けるのに丁度よい上着はないかとクローゼットの奥を探していたら、去年ロシアに行くために慌てて買ったブルゾンが出てきて、突如、ハバロフスクの殺風景な街並みやウラジオストクの毛蟹の味が、寝不足の脳裏に鮮明に甦るのだった。




深夜、オネショ回避のため、寝ている娘を抱きかかえ、トイレに連れて行くのも、地味に眠りを妨げます。

10月19日(月)

娘のスイミングは、体調不良や都合が悪くて行けない場合にも、けっこう気軽に振替えができる。

とてもありがたい反面、分別なく振替えていると、それはそれで収拾がつかなくなってしまう。

だから、少なくとも一度振替えたクラスは、もうそれ以上振替えないとルールを決めていたのだが、結局、自分で決めたルールのせいで、土曜日、今年一番の冷え込みの朝、雨に濡れながらスイミングに行かなくてはならなくなってしまった。

いくら温水とはいえ、こんな日にプールで泳ぐなんて、娘にはちょっと可哀相なことをしてしまったなと思ったのだが、私の心配をよそに娘は元気一杯大暴れしていた。

ちなみに、親子優待を使って妻も一緒に泳いでいた。二日酔いにもかかわらず。尊敬する。




妻の水着姿を久しぶりに見ました。いいものです。

10月20日(火)

昨晩、娘が一人で寝たいと言って、とうとう私の布団が占領されてしまった。

仕方ないので、妻と二人で寝ることになったのだが、同棲しはじめた恋人同士や初婚の夫婦だったらいいのかもしれないが、セミダブルは流石に狭い。

自由な寝返りは大切だ。

今晩はどうなることやら。

10月21日(水)

今日は娘がずっと楽しみにしていた保育園の遠足だ。

私などは、どちらかというとそうした行事を疎ましく思っていたほうなので、遠足を楽しみにする娘をいまいち理解できなかったのだけど、今朝、会社に出社してしばらくしてから、遠足出発時に保育園の玄関で撮った写真が送られてきて、そこには、期待と高揚に満ちあふれた娘が写っていて、それは、世の中にこんなに楽しそうなことがあるのかと、こちらまで羨ましくなるような、そんな姿だった。

素晴らしいことだ。

10月22日(木)

新型コロナの影響で、職場レイアウトが3㍍以上の距離をとった座席に配置に変わり、結果、職場内の会話が必要最低減しか交わされない状態になってしまった。

そのため、最近、その味気なさを紛らわせるために、ネット配信されている対談番組を聴きながら仕事をするようになったのだが、明日は集中しなくてはならない仕事があるから、ちょっと長丁場でヘビーな配信を聞こう、などと、ネット配信を聞くことが楽しみになってしまったりして、最早、何しに会社に行っているのか分からない状態になりつつある。

でもこれが案外、仕事も捗るうえに知識も広がるので、一石二鳥だったりするのである。

ただ、もの凄く疲れますけど。

10月23日(金)

昨晩、また妻が筋子を買ってきてくれたので、娘と一緒に優しく慎重にほぐして、醤油ダレに漬け込んだ。

今回は、砂糖を少し入れると色艶が良くなるというのでやってみた。確かに一晩寝かせたイクラは、かなり綺麗なルビー色に輝いていた。これからは、この砂糖入りレシピを定番にしようと思う。

今朝、炊きたての白米の上にのせたイクラは、一晩寝かせただけなのでまだ生醤油のツンとした風味が残っていたけど、それはそれで嫌いではない。

娘は、朝にイクラを食べるとお腹がビックリするからと言って、イクラにはまったく手を付けず、金目鯛の煮凝りをアツアツの白米の上に溶かして、もりもり食べていた。




昨晩は、妻が新鮮な秋刀魚も買ってきてくれて、さっと塩焼きにしてくれました。これも抜群に美味かった。秋ですね。小津ですね。

10月24日(土)

毎週、土曜日の朝に聞いているラジオ番組で、イギリス人の父を持つ男性タレントが、ビルマ人の母を持つ女性アイドルに、英語を教えるコーナーがあるんだけど、これって近現代史的に考えたらなかなか危うい構図だよな、なんてことを、睡け眼をこすりながら思った。

私ごときが気づくのだから、おそらく本人同士はとっくに分かっているんだろうけど、そんなことを今の時代に気にしていたら、同じような事例はいたるところにあるのだから、考えるだけ野暮なのかもしれないが、今の時代だからこそきちんと認識しておくことは大切だと思う。

しかし、私の英語は全然上達しない。

10月26日(月)

食卓に鍋のあがる回数が増えてくる季節である。

我が家で鍋というと、白菜豚バラ鍋やおでんなどは定番で、その後、常夜鍋やモツ鍋や寄せ鍋あたりがつづき、最高峰として、すき焼きが君臨する。

安いし、美味いし、温まるし、準備や片づけが楽だし、鍋物は様々に利点が多いのだが、いつも具材の量に悩まされる。

おでんの場合は、ちょっと少ないかなと思っていてもぜんぜん鍋に入りきらなかったり、モツ鍋や寄せ鍋の場合は、ちょっと多いかなと思って鍋の蓋を開けると野菜のカサが減ってちょと物足りなかったり、なかなか難しいところだ。

あと、些末なことかもしれないが、鍋の付け合せもけっこう悩ましいところだ。皆さんは何を出してます?




娘の食欲にもかなりバラツキがあるので、そのあたりも悩ましいところです。

10月27日(火)

先週あたりから、娘の表現力や感受性が格段に上がってきている。子どもの成長は唐突にやってくる。

一概に成長と言っても、三歳ぐらいまでは身体や運動能力や器官の発達といった、動物的な成長が緩やかに行われるが、言語の獲得が始まってくると急激に人間的な成長へと変わる。唐突な成長とは、この人間的な成長のことだ。

娘が初めて獲得した言語は「バイバイ」という別れの挨拶だったが、この単純な言語を獲得するだけでも、言語の背後にある動作や関係や意味や感情を理解していくことになる。

娘の様子を観察していると、こうした単純な言語の蓄積が、ある時、複数の脳内シナプスにスパークを生じさせ、より複雑で人間的な成長を唐突に遂げるのではないかと私は推察している。

実際、言語の獲得に伴って、娘の記憶や思考といった人間特有の能力を開花させる様子を、私は目の当たりにしてきている。逆に言えば、それ以前の娘は言語化できない未知の体験を生きていたわけで、そう考えると言語を獲得するまでの娘の奇妙な行動に、色々と納得ができる。

ということで、娘の人間的な覚醒を、いつも間近で観察できることはとても面白いのだが、いつか言い負かされる日がやってくるのかと思うと、ちょっと複雑だ。




クリスチャンではないけれど『ヨハネによる福音書』冒頭の「はじめに言があった」という一節を身をもって感じます。

10月28日(水)

これまで、モロゾフのプリンの空き容器をビールタンブラーとして使っていたのだが、前々からちょっと小さいと感じていたので、こないだ、友人がお土産にくれた地酒のワンカップの空き容器をなんとなく使ってみたら、ほど良いガラスの厚みによって綺麗に映えるビールの美しさや、絶妙な持ち心地の良さと安定感ある見事な形状や、私の呑むペースにピッタリ合った容量など、これがなかなかいい塩梅だったのだ。

ワンカップの空き容器というのが、ちょっと引っかかるところではあるが、まあ、モロゾフだって変わりないか。

いいもの見つけた。




今朝、娘は折り紙で作ったつがいのカブトムシを、張り切って保育園に持っていきました。雌のお腹に卵を仕込む念の入れようでした。

張り切るのはいいのですが、半袖短パンは、そろそろやめてもらいたいです。

10月30日(金)

家でネットをする時は、妻のお下がりの古いiPadを使っているのだが、昨晩、フェイスブックが見られなくなってしまった。ここのところ、デザインがアップデートされたりしていたので、怪しいなとは思っていたのだ。

というのも、各種人気サイトはニーズに応じた新しいデザインやサービスを次々に提供することでユーザー獲得に奔走しているわけだが、私の場合、デバイスの古さがゆえにサイトが新しいコードに書き換えられるたびに、そのサービスの利用はおろか、サイト自体の閲覧すらできなくなってしまうことがよくあるのだ。フェイスブックも何らかのコードが書き換えられた結果、私の古い環境では見られなくなってしまったのだ。

う~む。もう諦めるしかないのかな。

ちなみに、このホームページはたとえIE 7やOpera 9.0でも、どんな環境でも閲覧可能な仕様になっている。そういう設計思想なのだ。思想だけは立派なのだ。




こんな小さなお腹のどこに !? こんな太くて長いものが !? と、毎日トイレで驚かされています。