2021年 1月
1月1日(金)
明けましておめでとうございます。
昨年末。私の誕生日。年も差し迫った29日の早朝3時に自宅玄関先に車が突っ込むという2020年で最大のハプニングにみまわれましたが、けが人もなく、滑り込みセーフで破損箇所の応急工事も間に合い、各種保会社への連絡を取ることもできました。
衝撃的な事故ではありましたが、年内に諸々の対応が間に合ったことは、不幸中の幸いだったのかもしれません。
とにかくまあ、41年も生きていると嫌でも色々な目に遭うものだなと思いました。かつてはガラスのハートだった繊細な青年も、中年にもなれば嫌でも心臓に毛が生えてくるものですね。
がっはっは!
1月5日(火)
本日より、夫婦そろって仕事始めだ。娘も元気に保育園に登園した。正月休みも終わりである。
さて、年を跨ぐと随分前のことのように感じてしまうが、年末の事故からまだ一週間しか経っていない。年末年始の休みのため、事故後の対応はまだ緊急的な応急処置の段階で止まったままなので、これから本格的に工務店や保険会社と事後処理の内容を詰めていかなくてはならないが、明後日に発出される緊急事態宣言によって、変な影響が出なければと思っている。
そんなわけで、年始から嫌な感じに気分がザワついているところだが、おそらく、このザワつきは正月休みが終わったことが少なくない影響を与えているのだと思う。というのも、今年の正月は、逆の意味で何もかもが吹っ切れて、かなり最高な正月だったからだ。
カムバック正月!
今回の件で一番残念だったのは、娘と一緒に飾り付けをしたばかりの正月飾りが粉砕されてしまったことでした。おめでたいものが無残な姿になっているのって、けっこうくるものがあります。
1月6日(水)
年末年始の休み中、娘が話している最中に妙な瞬きをしているので、事故による心理的な影響が出ているのではないかと心配になり、気をつけて様子をみていたのだが、どうやらウィンクをしているようなのである。更によく観察してみると、他の身振り手振りと同じように、文脈や意味を理解した上で正確にウィンクを使用しているようだ。
う~む。
保育園にもウィンクを習慣とする文化圏の友だちがいないこともないが、大きく影響しているのは、このところ熱心に観ているジュブナイル系の海外ドラマによるものだと思われるのだが、それよりなにより、あらゆるところからスポンジのように吸収していく娘の成長には、いつも驚かされるばかりだ。
成長が娘を目まぐるしく変化させ、その変化に父はいつも翻弄されている。
娘と一緒に商店街の八百屋でみかんを買ったら、お年玉と言って、ひとつオマケしてくれました。今年も商店街で買い物するぞ。
1月7日(木)
松の内が終わろうとしているが、covid-19 の破竹の勢いは留まることを知らない。午後のニュースでは、東京都内の感染判明者だけでも2,000人を超えるそうだが(最終結果は2,447人でした)、むしろその数よりも増え幅にこそ驚いた。
人間の無為無策に対して、ここぞとばかりに付け入ってくる嫌らしさには、covid-19 に何かしらの知性が備わっているのではないかと勘ぐってしまうほどである。
covid-19 とは直接は関係ないかもしれないが、昨日、年始のごみ出しがあった。ずっと放置されていたので、もう飽きてしまったのだろうと思い、いくつかおもちゃを捨てたのだが、そんな時に限って、突然、そのおもちゃに興味を取り戻し、「無い!」と言って大騒ぎする娘には、covid-19 の挙動と似た嫌らしさを感じてしまうのだが、どうだろう?
関係ないか。 娘よ。失礼した。
明日から再び緊急事態宣言発出されますが、政府や自治体の要請内容だけでは様々な場面で厳しい状況がまたしばらく続きそうですね。状況をここまで放置し、悪化させてきたボンクラ政治家どもの頭を、片っ端から長ネギでぶっ叩いて除菌してやりたいです。
1月8日(金)
保育園では17時45分を過ぎると、お迎え待ちの園児が少なくなってくるので、年令に関係なく一つのクラスに集められ、夕方シフトへと移行する。年中クラスの娘は、ここ最近、年少クラスの何人かの子どもたちから慕われているらしく、この時間になると、みんなが自分のところに集まるので困ってしまうのだ、というようなことを、満更でもない感じで自慢している。
その自惚れ。悪くないと思います。
今夜の父母会の役員会では、会自体の存続と解散の議論をする予定ですが、保守本流の私としては存続を堅持する姿勢で議論に挑みたいと思っています。つうか、もっと言えば、そんな議論をしている場合じゃないというのが本音だけど。
1月9日(土)
かなり久しぶりに土曜日に職場に出てきたが、職場近くの国際水泳場では、かなりの規模の大会をやっているらしく、選手であろう小中学生とその保護者でけっこうな賑わいだ。結局、私の務める会社では、政府の緊急事態宣言発出までに会社の方針が決められず、通常通りの営業と勤務体制を続けているために、私もこうして土曜日に出勤する羽目になってしまったのだ。
嗚呼。サラリーマン。
さて、そう言えば、年始に友人が近所の商店街で獅子舞をやっているというので、年末の一件の邪気払いもかねて見物に行ったのだが、獅子舞を目視するなり娘がありえない勢いで逃げたので、必死に追いかけた。
娘を捕獲して獅子舞のもとへ行くと、獅子舞はきちんとソーシャルディスタンスをとって頭をカミカミしてくれたが、娘は私の腕の中でハマチのように暴れていた。いや、もうハマチじゃなくてブリの勢いだった。
想像以上に速い娘の逃げ足と激しい暴れっぷりに、娘の健やかな成長を感じる年始であった。
1月12日(火)
玄関を出て、事故で破壊された門扉やフェンスや柱の無残な姿を見るたびに、びっくりしてしまう。人間はこういう光景にはなかなか慣れることができないのである。
関係各所に話は届いているのだが、いちいち保険会社を経由しなければならないうえに、年始休みやら連休やらも重なって、回復工事の中身や予定などの具体的な話が遅々として進まないため、どことなく、気持ちがクサクサしてしまう。
いやしかし、年始からクサクサしてもいられないので、先日、遅ればせながら、初めてオンライン飲み会というやつをやってみたのだが、予想に反して、ダルさやストレスもなくけっこう楽しめたのである。洋服に煙草や食べ物の臭いもつかないし、終わったらすぐに横になれるのもなかなか良かった。オンラインサイコー!
さすがに、何度もやろうとまでは思わないが、たまにならありかもしれない。
気持ちがクサクサした時には、オンラインだろうが何だろうが、誰かと話すことが一番の薬になる。
連休に保育園のママ友と友だちがうちに遊びにきてくれました。いつになくハイテンションで積極的な娘の姿に驚きましたが、あらためて、子どもはやっぱり子ども同士がいいのだなと思いました。親同士の何気ない会話や情報のやり取りもけっこう重要です。
1月13日(水)
野村訓市だったか藤原ヒロシだったか忘れたけれど、真冬の真っ只中、アウターにN-3Bあたりのゴリゴリのミリタリージャケット、ボトムはラフな厚手のジョガーパンツ、シューズはくるぶし丸出しのローカットスニーカー、という出で立ちのフルポートレートをネットかなんかで見かけて、うむ、これはこれで、老練ながらも季節に抗っている感じもあって、なかなかカッコいいではないか、と感化され、今朝、私も真似をして、くるぶし丸出しで出掛けてみたはいいけれど、思ったのとなんか違げぇ。
サングラスが足りないか? いや、アイテムの不足とかではなく、もっと根本的で決定的な何かが足りない気がする。
あと、思ったより寒みぃ。
先週の父母会で解散の議論がなされましたが、無事、存続の運びとなりました。父母会の今年度唯一の活動が「解散」にならなくて、本当に良かったです。まあ、当面は休会なんですけどね。
1月14日(木)
事故で破壊された玄関先の回復工事の件は、相変わらずなんの進展もなく、毎日のようにヤキモキさせられる。
毎朝、毎晩、この無惨な状態を直視しなくてはならないことは、けっこう辛いし、それより何より残骸とか瓦礫とか、けっこう危険なのだ。
年末というタイミングの悪さもあったが、被害を受けた側に全く主導権がないというところにも、気持ちが急いてしまう原因があるような気がする。
まあ、しかし、早くなんとかしたい、というのが、まあ、人情ですよね。
我が家の状態に、我が事のように心痛めてくださるご近所の方々がいてくれて、それはとても心強く、助けられます。
1月15日(金)
娘が産まれてからずっとVANSの『クラッシク スリッポン』を愛用して履いている。もちろん、同じものをずっと履いているわけではなく、草臥れてきたら買い替えているが、ずっとブラックとオフホワイトのを二色を基本に、たまに別色も取り混ぜながら履いている。
安価で丈夫で履き心地の良いこと、いろいろな服装や場面にも合わせ易いこと、そして、それより何よりも、手放しでも脱ぎ履きし易いことが一番の理由だ。
子どもをもつと、小さい頃は子どもを抱っこしながら履き替えなければならないし、大きくなったらなったで、子どもは靴を履いた瞬間に走り出すため、こちらもモタモタしてられないのだ。
しかし、5年も同じモデルを履いていると、細かなマイナーチェンジにも気づくようになる。年始に買った新しい『クラッシク スリッポン』は、履き口のパッドが少し薄くなっていました。
どうでもいいな。
90年代後半のメロコア、スカコア、ハードコアなどのパンクと、ストリートカルチャーのブームに大きな影響を受けて履いた市松模様柄が、VANS『クラッシク スリッポン』の私の最初の一足でした。当時の若者は、みんなドデカいピアスホールを開けていた。懐かしい。
1月18日(月)
いろいろあった年末年始、幸いにも睡眠はきちんととれていたために、なんとか平穏平静を保つことのできていたガラスのハートおじさんだったが、昨晩はなんだか知らないけど深夜の1時にパッと目が覚めてしまい、眠ろうと頑張ったけどまったく眠れず、おかげで首や肩や腰はゴッリゴッリのバッキバキになり、睡眠時の無意識の寝返りのストレッチ効果の凄さを実感するのだった。
その一方、娘はバイカルアザラシの赤ちゃんのぬいぐるみと一緒に、こちらが羨ましくなるほどぐっすり眠っていたのだが、朝起きるなり、ぜんぜん眠れなかったとボヤいていた。
ぐぬぬぅ。 睡眠マウント取られた。
緊急事態宣言が出されてから二週目となりますが、少なくとも私の周りでは特に大きな変化を感じません。今朝なんて、今年に入って一番混雑していた感じでしたけど。
1月19日(火)
また年末の事故の話で恐縮ですが。
実は事故直後、我が家に突っ込んだ運転手とまったく連絡とれなくなるというハプニングがあった。
何らかの理由で(無保険だったとか)トンズラされたとしたら厄介なことになると思って、すぐに関係各所に相談しようと思ったが、昨日の今日でそんな最悪な事態を変に勘ぐっても仕方ないと思い直し、冗談めかして私の懸念を妻に打ち明けたところ、妻から「たしかに自殺とかされたら嫌だなと思ってた」と言われ、あまりの最悪さに背筋が凍りついてしまった。
そこまで最悪なことまでは、流石に想像できなかった私の危機管理能力を、どうかお許し下さい。
後日、我が家に謝罪に訪れた運転手から、気が動転して携帯電話を無くしてしまったと、深く頭を下げられました。手土産で頂いた海苔の詰め合わせの味海苔の量の多さに娘は小躍りしていました。
1月21日(木)
先日、工務店から事故で破損した玄関周りの原状回復工事の見積もりがあがってきた。
見積もりは「これ、全額賠償して貰えなかったら、かなり困っちゃうぞ」というような、まずまずのプレッシャーある内容で、思わずちょっとチビってしまったが、「やっと見積もりまで漕ぎ着けたぞ!」という安堵からか、更にまたちょっとチビってしまった。
そんな人生ダダ漏れおじさんですが、今日も元気に生きております。
ちなみに、見積もりにも一部漏れがあったため、もう少しプレッシャー掛かりそうです。
見積もり内容をトヨタのセダンに例えると、カローラなら大丈夫だけど、プリウスにはちょっと届かず、クラウンは夢のまた夢、といった感じでしょうか。
1月22日(金)
毎朝、出掛けに娘から色々と持たされる。今日は自作のポケモンボールを持たされた。ポケモンを発見したら投げつけると良いらしい。
その他にもこれまでに、美しいリボンが巻かれた巻物、蝶ネクタイがついた魔法のステッキ、厳重に封印されたお守り、様々なイラストや手紙などなど、多様なものを持たされてきたが、だいたいは娘が創作した何らかのオブジェである。
ただ、色々と持たせてくれるのは、楽しいし、面白いし、嬉しいのだが、持たせてくれるものの大きさは、とりあえずこれ以上大きくしないでちょうだいな。
扱える道具や工法の種類に幅が出てきたせいか、最近の娘の創作物には巨大化の傾向が見られます。
1月24日(日)
昨日も生憎の空模様で、今日の午前中は雪予報だったが、まあ、なんとか雪は逃れた。ただでさえ、なんちゃら宣言やらで外に出にくいのに、週末に天気まで悪いと本当に困る。
マンションに住む友人は、家の中で騒がせることができないので、どうしてもテレビやスマートフォンを子どもに見せてしまいがちになるそうだが、戸建てとはいえ、テレビもスマートフォンない我が家では、さらに悩み深い。
むうぅ。
ちなみに、今日の昼ご飯は娘がオムライス、我々夫婦は鰊蕎麦にした。子どもと大人の食事を分けると、手間こそ掛かるが、好みのものを食べられるし、ゆっくり食べられる。そして、支度や片付けも案外スムーズにできるのだ。
今日のように時間の有り余った倦怠気味の休日を、ちょっと快適にするノウハウだ。
1月25日(月)
来月10日。娘の保育園でお遊戯会が予定されている。演目はグリム童話の『金のガチョウ』だそうで、今朝も目覚めるなり、金のガチョウを森でみつけたという趣旨の歌を、娘が気持ちよさそうに歌っていた。
渋い演目だ。
お遊戯会は一家族一人までという制限付きで観覧できるそうなのだが、緊急事態宣言が延長され、お遊戯会の予定日にかかってしまう場合、公演の実施は変わりないが家族の観覧は取りやめとなるそうだ。
うむ。このままだと、ちょっとヤバいな。
ちなみに娘の役どころは、黄金のガチョウの羽が欲しくてこっそり羽を一本抜こうとしたところ、ガチョウから手が離れなくなってしまう宿屋の娘の役だそうです。欲望にまみれた迂闊で姑息な女をどう演じるのか楽しみです。
1月26日(火)
今朝、乗り換えの駅のホームから、神々しさすら感じる美しい空模様を見上げて感動していると、私の腹がグーと鳴った。
いくら早起きしても、いくら準備万端整えていても、我が家の朝は娘の機嫌次第なのだ。今朝も娘の気まぐれのおかげで、私の朝食の時間が無くなってしまったのだ。
すべては神(娘)の思し召しなのだ。
ふと自分の手の甲に目を落とすと、渦巻とその下に黒い丸いものが描かれている。娘が描いたカタツムリとカタツムリの糞の絵だ。神がお与え下さった聖痕のようなものだな。すべては神(娘)の思し召しなのだ。
1月27日(水)
娘はまだうまく鼻をかめず、かみ方を教えようとしてもとても嫌がって、しまいには怒りだしてしまう。
しかしまあ、鼻をかむぐらいのことはいいのだ。恥ずかしながら、私なんて娘が産まれるまで、蝶々結びができなかったし、正しい歯の磨き方を知らなかったし、長袖の上から長袖を着ることができなかったのだ。
ゆっくりでいいから、じっくり、しっかり、きちんと、鼻をかめるようになってくれ。あと、怒らないでくれ。
一時期はずっと一人で寝ていたのだが、ここ最近、就寝時こそ一人なのだが、いつの間にやら起き出して、朝になると妻の布団に潜り込んでいる娘である。
1月28日(木)
私の隣で調子よく悪ふざけをしている娘の振舞いが、もう立派な子どものそれであることに、娘もようやくここまで来たかと思いつつも、その娘を冷静かつ丁寧に嗜めている自分に、俺もようやくここまで来たのかと感慨にひたる。
思えば遠くへ来たもんだ、などと呟きながら麦酒をゴクりと呑み干す、昨日の夕飯の一コマであった。
今日は保育園で絵の具を使うというので張り切っていました。家でもよく使うので自身があるのでしょう。ただ、過信や慢心は禁物だぞ、と言ってもまだ分からないと思うので、まあとにかく、自由にやってきてくれ。
1月29日(金)
我が家への車の突入事故から、今日でちょうど一ヶ月が経過する。今現在の状況はというと、保険会社で原状復帰工事の見積内容や賠償金額の審査検討の最終段階に入ったそうだが、なかなか返答が来ず、返答が来ないため、工事に着手もできていない。
うむ。
さて、先週末、我が家から目と鼻の先の交差点で、自転車と歩行者の接触事故があったようだ。どの程度の事故だったかは分からないが、加害側である自転車の運転者が逃げてしまったようで、事故の情報提供を呼びかける看板が交差点に設置してあった。
うむ。
どっちの事故も、いち早い解決を望むものである。
さあ、この週末はどうするか、と毎週のように悩んでおります。我々がいかに多くのものに依存してきたかを痛感させられますね。