2022年 4月
4月1日(金)

子どもは学童クラブへ。

母親は新しい仕事へ。

週末ではあるが、我が家は心機一転、新生活に突入した。

しかし約一名、仕事も生活も変わらないはずの父親が、今日という日を心配しすぎて、うまく眠れずに寝不足の朝を迎えたようである。

さてさて、どうなることやら。




所用があるため今日は午後に休みを貰っており、いつもより早めに帰ることにしているのだけど、心配すぎるので所用をふっ飛ばして帰ろうかと思っているところだ。本末転倒。

4月4日(月)

昨晩、妻と子どもが「〇〇まで一緒に行けば一人で行ける?」「●●まで来てくれれば大丈夫」などと相談をしているので、私が「まさか、もう一人で行かせるの?」と戸惑いの疑問を投げかけると、少し呆れ気味の妻子から「大丈夫だよ!」と返事が返ってきた。

もちろん、今朝は雨がしっかり降っていたので、流石に妻が学童クラブの門の前まで子どもを送っていったようだけど、父の心配を他所に、妻子は次の好機(たぶん明日)を窺っているようである。

ちなみに、我が家から学童クラブまでは200㍍ほどの距離で、ひとつ角を曲がり、ひとつ交差点を超えるだけの、子どもの足でも5分とかからない、どちらかというと恵まれた道のりだが、それでもやはり心配だ。




もっと言えば、今年就学するすべての小学1年生が心配です。

4月5日(火)

学童クラブ3日目。
今朝はなかなか起きてこず、いつもより20分ほど遅め。

学童クラブに関しては、特に嫌がる様子は見せないものの、クラブの様子を積極的に話してくれるようなこともないので、こちらからも根掘り葉掘り聞かないようにして、家ではいつもどおり、むしろ甘やかし気味に接しているが、どことなく沈んだ印象が気がかりで、今朝、妻が見送りの際に「明日は小学校の入学式だから学童クラブはお休みね」と伝えると「入学式も小学校もヤダ」との返事。

そっちだったか。

今夜はきちんと話を聞いてやり、丁寧に不安を解きほぐしてやりたいが、一度ヤダとなるとかなり頑ななところもあるので、状況次第では入学式出席は諦めることも念頭に入れておく必要がありそうだ。

無理せず行こう。




夜にはケロッとしている可能性も大いにあるので、どうなるか分かりませんが、ここ最近の様子を見ていると、少し根が深いような気もしています。

4月7日(木)

入学式前日、子どもが式にも学校にも行きたくないと訴えるので、丁寧かつ慎重に妥協点を探りつつ、なんとか行くだけは行ってみるということに落ち着いたのだが、一夜明けると「行きたくない」に逆戻り。

それでもどうにかこうにか家を出て、イヤイヤ、ノロノロ、ダラダラ、二分の道のりを延々と時間をかけてようやく小学校に辿り着いたものの、校門前で大爆発の大号泣。その様子を見ていた先生たちが「お母さんお父さんは式場へ、ここからは我々が」と集まってきた。

先生たちに囲まれて教室まで送り届けられる子どもの姿を横目に、後ろ髪引かれる思いで式場へ向かい、親子ともども悶々としながらも入学式に出席することはできたが、晴れやかさや喜ばしさといった親の感情はおろか、子どもも同じく不機嫌で仏頂面だったので、記念写真なんかも一枚も撮れなかった。

まあしかし、気持ちや気分が社会の慣習に合わないのは仕方ないことだ。私にだってよくあることだ。ひとまずこれでいいと思う。




一転して、式を終えて家に帰ってくるなり、貰ってきた学用品を床いっぱいに広げ、自分でひとつひとつ確認しながら名前を書き、積極的かつ自発的に次の日の持ち物の準備を行っていました。初登校の今朝は、意気揚々ととまでは言わないまでも、すんなり校門を通り抜けていったそうです。

ひとまずこれでいいと思う。

4月8日(金)

登校初日をなんとか無事に終えて、夕飯ができるまでの間に次の日の準備をしていると、持ち物リストの折り紙を絶対に持っていきたくないと言って大爆発。

しばらくすると「学校も学童もやっぱりイヤだ! 保育園が良かった!」と叫んで、過呼吸になるんじゃないかと心配になるほどの大号泣。

苦しむ子どもの姿を見ていたら、かつての自分の姿が重なって、私まで鬱屈とした気持ちになる。

というわけなので、ひとまず今日はお休み。慣れない環境で一週間よく頑張った。ちょっと早めの週末に突入だ。




あれやこれやと心配する段階ではないが、まったく不安がないと言えば嘘になる。

さて、いやはや、どうなることやら。

4月9日(土)

子どもよりも私のほうが過敏になっていて、この2日間、うまく眠れていない。

とにかく見守ってやるしか無いのだが、こんな時に限って職場で感染者が出てしまい、ゆっくり見守ってやる余裕が無くなってしまった。

来週は親子ともども試練の週になるのかもしれない。




こんな時、諸々の対処方法を安易にネット検索してしまうことは、心配や不安に拍車をかけるだけなので、絶対にやってはいけないことだ。

あと、SNSで流れてくる晴れやかな入学式の記念写真が地味に効く。

4月11日(月)

今朝もなかなか起きて来ず、起きてくるなり、とにかく学校には行きたくないと頑張り通して、どうにかこうにか家は出たものの、学校の角まで来たところで引き返す。

登校拒否2日目突入。

それでも、どうにかこうにか4時間目の途中から登校し、私も付き添って給食が終わるまでは頑張ったが、終始「嫌だ家に帰りたい」を繰り返し、教室と校門を何度も行き来し、自分の机には一度も座らず、給食にも一切手をつけなかった。

この調子がいつまで続くのかは分からないけれど、今の状態でも限界を感じているので、学校に相談したい旨伝えるも、夕方には電話をくれるとのことだったが、梨の礫。

とりあえず、暗澹たる気分だ。




ここまで過敏な子どもの反応も初めてのことなので、かなり戸惑っている。私の寝不足は5日目突入の様相を呈して来た。

4月12日(火)

今朝の対応は妻に任せ、私は出勤。

3時間目から登校し、今日は一人で授業を受けると言って、なんとか教室に入っていったそうだ。

昨日の様子からすると、かなりの進展。

昨晩、担任の先生から夜に連絡があり、本人の意志を尊重しながら、無理せずゆっくりやっていきましょう、ということに。

ちなみに、昨晩は久しぶりにクラブイベントに行くつもりで、今日は体力的にも辛そうだからと事前に有休を申請し、子どもを送り出してから、ちょっと二度寝して、午後に友人と映画を見に行く約束をしていたのだが、そんな計画を立てていた頃の自分が懐かしくも愚かしい。

長期戦を覚悟して、職場や両親に現状報告と支援要請。




昨日は子どもに付き添うことで、意図せず授業参観をすることになったのだけど、コロナ禍の様々な制約は現場だと相当大変なのだと感じたし、今後の子どもたちへの影響もかなり大きなものになるのではないかと思った。本当に。

4月13日(水)

朝一の登校ではランドセルを教室に置いていったん帰り、三時間目の授業から行くと意欲をみせたのだけど、学校の玄関まで来て「やっぱりイヤだ」となってしまった。

今週は遅刻しながらも毎日授業には出ているので、中休みも必要かと思い「今日はやめとく?」と促そうとしたところ、ちょうど休み時間のチャイムが鳴り、生徒たちが教室から出てきた。

生徒の中に保育園からの友だちがいて、廊下でいじけている子どもを見つけ何事かを耳打ちすると、子どもがすくっと立ち上がり「校庭で遊んでくるからもう大丈夫。バイバイ」と私に手を振り、実にあっさりと校庭へ遊びに行ってしまった。

「え?」と戸惑いつつも、あまりのあっけなさに拍子抜けしてしまい、それまで張り詰めていたものが一気に弾けて、思わずその場で私は涙を溢していた。

近くで私の姿を見ていた生徒から「なんで泣いてるの?」と問われ、思わず「泣いてないよ」と答えてしまった。

嘘ついてごめん。

まだまだ道のりは長そうだけど少しずつ。




全休や半休や時間休を毎日のように取っているので、仕事がだいぶ立て込んでいるけれど、仕事に没頭している間は色んな不安を束の間でも忘れる事ができるので、ちょっとした気分転換になる。

4月14日(木)

起き抜けに「やっぱり学校イヤだな」と力なく呟く子どもの姿は、親としてはかなり堪える。そんな我が子の不憫な姿を毎朝のように目の当たりにして、今朝は妻がかなり憔悴している様子だったので、登校の付き添いは私が替わりに行くことにした。

今朝も校門までは来れたものの、校内に入ることには躊躇していた。「やっぱり帰ろうか?」と問いかけると「待って」と言って、登校してくる生徒や挨拶をする先生たちの様子をじっと観察していたので、暫らくそのまま校門にいた。

登校してくる生徒が疎らになってきたので、「入る? 帰る?」と問いかけると「ランドセル置いてきて」とぶっきらぼうに言うので、ランドセルだけ教室に置いて帰ってきた。

子どもが「三時間目から行く」と意思表示をしたので、心配ながらも妻に任せて私は出社したのだけど、出社途中に妻から「一時間目の途中から行ったよ」と連絡があった。

子どもなりに少しずつだけど着実に変化し、自信をつけはじめていることは確かだけど、まだまだ一進一退を繰り返すだろうとも思う。過度な期待は禁物だけど、適切に信頼を寄せながら、無理させないよう注意深く寄り添ってあげたいと思うのだけど、それがけっこう難しいところでもある。




いざ当事者側になってみると、時間や体力はもちろんだけど、気持ちになかなか余裕が持てず、右往左往しっぱなしです。

付け加えて、今日は就学してから初めて、元気な様子で帰宅してきたそうです。

4月15日(金)

昨晩は、学校での出来事を話してくれたり、初めて出された宿題をしたり、今までになく前向きな子どもの様子を見ることができた。

今朝も特にネガティブな言葉は発さず、登校時間に校門を抜け、学校の玄関までは行けたのだけど、なかなか教室には入れず、玄関で一時間頑張って副担任とスクールカウンセラーに引き取られたそうだ。

明日はいきなり土曜授業がある。

大人でさえ週五日は大変なので、明日はどうなるか。あまり無理はさせたくないな。

4月16日(土)

今日は土曜日授業なんだけど、三時間目で終わりだし、特別時程で授業時間も短い。しかも、授業といっても「学校探検」というイベントが主だったもので、お迎えには祖父母も来るし、お昼ご飯も子どもの好物のピザをみんなで食べに行くので、朝はけっこうノリノリで登校したのだけど、校門で生徒たちに大きな声で挨拶している校長の姿を見て立ち往生してしまった。

暫く頑張っていたけれど、校長が立ち去るまでは難しそうな様子だったので、さてどうしたものかと考えていたら、校長から「お父さんが思い切って帰ってしまうのもありですよ」とアドバイスめいたことを自信満々に言われ、「つうかアンタのせいなんだけど」とも思ったが、ちょうどその時、6年生の女の子が子どもに優しく声を掛けてくれて、ランドセルを持って連れて行ってくれた。

校長には他意はないのだろうけど、多少思うことはある。でも確かに、もう少し子ども同士の大海原に我が子を開放していかないといけないな、とも思う土曜日の朝だった。

まあとにかく、今週は遅刻しつつもなんだかんだで一度も休むことなく、最終日の今日は朝からきちんと登校できたので、帰って来たらいっぱい甘やかしてやろうと思う。




校長についたはちょっと面白い話があるのでまた今度。

4月19日(火)

朝の対応は妻に任せて、私は3日半ぶりに出勤。

一応、子どもは学校に行ったそうなのだが、流れとして騙し討ちのような形になってしまったそうなので、明日にも影響が残りそうな気もするが、妻が心を痛めているのが一番心配だ。

本当に難しい。

4月20日(水)

昨日は子どものことが気がかりで、帰宅するのがちょっと怖かったのだけど、むしろいつもより明るい様子で出迎えてくれて、学校での出来事を話してくれたり、出された宿題などを率先して取り組んでいたので、かなりホッとした。

今朝も若干寝坊気味ながら、いつもよりも自分のことは自分でやり、どちらかというと明るい様子だったので、ちょっと安心していたのだけど、学校は休んだそうだ。

明日は保護者会があるのだけど、ちょっとどうなるか分からないので、私の母親に子守に来てもらうことにした。正直なところ、今はあんまり保護者会に出る気分にはなれないけど、まあ仕方がない。

4月21日(木)

今日もお休み。

この二週間、遅刻しつつも、休むこと無く登校していたので、ちょっと無理させてしまったのかもしれない。

あの手この手で、宥めたり賺したりして、なんとかかんとか登校を促していたのだけれど、正直、子どもも我々も疲れ果ててしまい、このままだと家族全員で潰れてしまうところだった。

反省。




職場の人の家庭内感染が収まらず、結局、月内の出社は絶望的になってしまった。この二週間、工程や納期を落とさないよう、なんとか頑張ってきたけど、こちらも潰れてしまいそうなので、とにかく子ども最優先でいきたいと思う。仕事は二の次だ。

4月22日(金)

昨日一昨日は、にっちもさっちもいかなくて、祖母(私の母)に助っ人に来てもらい、子どもの面倒をみてもらった。

祖母はずっと児童福祉の現場で働いていたので、子守自体はお手のものだけど、いかんせん高齢なのでちょっと心配していたら、私の心配もどこ吹く風か、婆孫二人仲睦まじく楽しい二日間を過ごしていたようである。

しかも、この二日間の祖母との交流が効いたのかなんなのか、今日は子ども自ら放課後の学童クラブも頑張ってみると決意して、不安げながらも朝から登校したそうである。

うむ。

一生懸命変化しようとしている子どもの姿はいじらしい。




来週のことはまだ分からないけど、とりあえずこの週末は、ちょっとゆったりした気持ちで過ごせそうです。

4月25日(月)

学校や学童クラブの緊張や抑圧から開放された子どもの大騒ぎと大暴れと身勝手な振る舞いに、週末は終始翻弄され続けた。まあ、子ども自身が一番大変だったろうとは思うけれど、平日の慎重な対応や丁寧な付き添いに加えて、毎週末にこれをやられるのかと思うと我々も身が持たない。

どうしても沈鬱な気持ちになる。

うむ。

さてしかし、前向きとは言えないまでも、今朝の子どもの様子は先週とは明らかに変化しており、自ら起きて、自ら着替え、自ら飯を食い、学童クラブを16時半まで頑張ると宣言して登校して行ったそうだ。

うむ。

ちなみに先週の月曜日はというと、朝はまったく起きてこず、ランドセルは持っていかないという条件で、三時間目の始まる前の休み時間にどうにかこうにか登校したけれど、保育園で一緒だった友達が子どもの周りに集まって、教室まで行こうと励ましてくれたことが逆効果となり、「やっぱり帰る!」となってしまった。

その後、担任の先生の説得でどうにかこうにか教室に入ることはできたのだけど、昼過ぎに迎えに行ってみると、給食もろくすっぽ食べず、半べそで校門を出てくる始末で、学校はおろか学童クラブに通うなんてとても想像もできなかったし、私自身も心身ともに疲弊し過ぎていて、この日記も書けなかったぐらいだ。

そう考えると、とりあえず、最初の大きな山は越えたのかな? と思いたいところだが。どうなのだろう。




とりあえず、今週と来週はGWがあるので乗り越えられそうです。次の山はGW明けですかね。

4月26日(火)

まだ送り迎えが必要ではあるけれど、自らすすんで学校や学童クラブに行き始めるなんて、三日前までは想像すらできなかったことなので、それはそれでかなり驚くべきことなのだが、その反動による家での振る舞いの傍若無人な身勝手気侭さには、昨晩も今朝もかなり手を妬いた。

このままでは家族全員息が詰まってしまうので、黄金週間には各方面で何かしらのガス抜きが必要だとは思うのだけど、なかなかどうして、どうしたものやら。




私は朝早く出て夕方遅く帰るので、今は送り迎えを担当してくれている妻が一番大変な役どころを担ってくれている。

4月27日(水)

今週は二日続けて順調に登校していたのだが、今朝はなかなか起きてこない。昨晩はけっこう早めに寝たので、もしかしたら、またちょっと疲れてしまったのかなと思い、無理に起こさず、自然と起きてくるまでそっとしておくことにした。

ところが、待てど暮せど起きてくる気配がなく、私が家を出なければならない時刻が迫ってきたので、出掛ける前の挨拶だけでもしておこうと、子どものところへ行ってみると、布団の中で何やらモニョモニョしているので、すかさず、イビキをかきながらオナラを連発するという、かなり下品でありながらも爆笑必至のお下劣ギャグを披露したところ、お腹を抱えて布団から出てきたので、学童クラブに16時半にお迎えに行く約束をし、私は家をあとにした。

今朝の寝坊は単純に、雨雲のせいで朝日が出ず、暗かったことが主な原因のようだ。




一ヶ月以上ウントモスントモ言わないことが当たり前の私のラインアカウントですが、今朝はなぜかずっと鳴りっぱなしでした。

4月28日(木)

一転して今朝は6時に起床。早すぎる。

生活のリズムが安定しないのは、兆候としてはあまり良くないので、ちょっと警戒していたが、若干ネガティブな発言はあったものの、クラスメイトや先生のおかげで、問題なく登校したそうだ。

まあしかし、まだ終わってはいないけれど、今週は最終日までよく頑張った。ゴールデンウィークは親子共々まったり長閑に気持ちを落ち着けて、じっくりしっかり癒されよう。

天気悪そうだな。




学童クラブの入退館がメール通知で分かるようになっているのですが、今日は待てど暮せど入館通知が届かないので、学童クラブに連絡したところ、入館のカードタッチも忘却の彼方で、外で元気に遊んでいるそうです。

4月30日(土)

4月最終日。なぜか出勤。

仕方のない出勤とは言え、さすがにこの土曜日出勤はタイミングが悪すぎる。テンションだだ下がり。興醒めである。

さて、子どもの登校問題は、かなり大きく変化の兆しが見えはじめてきていて、気を揉んでいた当初の頃よりは、だいぶ気持ちも楽になって落ち着いてきたのだが、それと入れ替わるようにして、また別の問題が立ち上がり、けっこう人生真っ只中を進行中だなと実感している。




川や池も近いので、久しぶりに釣りでもやってみようかと思い、いろいろと釣具を調べていたら、けっこうな深い沼にハマってしまいそうなので、まずは簡単な延べ竿でも買って、岸辺でチョロチョロやってみようかと思う。