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Words are coming out 遅れてきた青春 [Jan. 2024]

かれこれ10年以上前になるだろうか。大学時代の友人たちと、ちょっとした創作活動を行っていた時期がある。

今も活動を諦めたわけではないのだけど、お互いの行動や活動や生活の領域が少しずつ、そして決定的に変化してしまったため、結果的に、なんとなく休眠状態になってしまった。
あの頃はまだ、私たちも私たちの周りの友人知人も、身の振り方がしっかり決まっているわけではなく、なんとなく自由にふらふらできていたので、定期的に展覧会をやらせてもらっていた下北沢のギャラリーには、そんな友人知人がよく遊びに来てくれた。

私にとってその時期は、学費や生活費のためにバイトに明け暮れていた学生時代よりも、青春を感じていた時期だったかもしれない。

友人知人以外にも、下北沢という土地柄のおかげで、ギャラリーには様々な希望や才能を持った若い人たちが訪れ、彼らとの会話にこちらも大いに触発された。

それ以外にも在廊中に突然、ラジオ取材を受けたり、著名人がやって来たりして、それだけでも興奮させられるのだが、不在の時に芳名帳に知っているアーティストのサインやメッセージが書かれていたりすることもあって、不在を悔やみつつも、自分たちの作品を見てくれたことに大興奮したものだ。
そんな展覧会の三度目の時だっただろうか。いつものように私が一人でギャラリーの開廊準備を終え、受付でひと息ついていると、透き通るような色白の肌の銀髪の男性が、当時流行っていたピストバイクをギャラリーの外に止めて中に入ってきた。

挨拶もそこそこに、我々の作品を丁寧にじっくり鑑賞してくれている彼の姿に好感を持ちつつも、遠巻きに眺めながらいったい何者だろうかと考えていた。

作品をひと通り鑑賞してくれたところを見計らってお茶を勧めてみると、快く応じてくれたので、軽く我々の自己紹介や作品の説明をすると、彼も応じて自分の自己紹介をしてくれた。

彼はメジャーレーベル所属のミュージシャンで、既にアルバムも三枚出し、全国ツアーをしているほどの人だった。
彼の楽曲や人気を知らないことをいいことに、恥ずかしながら私は、自分の音楽経験をもとに音楽と芸術の方法論の共通点や相違点についてち、ちょっとした持論を振ってみると、彼もけっこう乗ってくれて、思った以上に話が弾んだ。

他に来客がなかったので、かなり長い時間話し込み、ひと通り話題が出尽くしたあとに、少し間があってから、彼が「実は僕、在日っていうんですかね。そうなんですよ。そういうのってどう思われるのかな」と呟いた。

韓流ブームと言われるほど韓国ドラマや韓国アイドルなどが人気を博していた一方で、在特会に代表される醜悪な差別団体が東京や大阪をはじめ、ネット上でも猛威を振るっていた時期だった。
当時の私は「在日」という言葉に対する知識があまりにも乏しく、彼の問いかけに対しても何も言葉を持ち合わせていなかったので、彼の唐突な告白に対して「海外ルーツなんですね」と、ずいぶんとぼんやりした返答しか私はできなかった。

しばらく間が空いたあと、話は当たり触りのない方向へ逸れてしまい、温かい激励の言葉を残して彼はギャラリーをあとにした。
彼は今も第一線で活躍している。ネット上を確認した限りでは、公式プロフィールはもちろん、彼が在日であることを示す情報はどこにもない。

あの時、彼はなぜ初対面の私に自分のルーツを告白したのだろう。よく分からない。

もし当時の我々の、出鱈目ながらも実直な創作表現や、私の対応が彼の告白に何らかの影響を与えたのだとしたら、それはひとつの表現の力だったのかもしれないとも思うのだが。よく分からない。