Diary
7月26日(金)

昨日も夏休みのワークドリルの答え合わせで子どもと一騒動。その後、なぜか「私はいつも親から命令されてばかりで嫌になる」という話にすり替わり、夫婦ともどもうんざり。

うむ。

しかし、毎日のように宿題の丸付けをしていると、特に文章問題については教科に関係なく、言葉の意味が曖昧すぎて何を問われているのか分からない設問が日常的に散見される。

つまり、教わっていないとか謎の指導とか以外にも、ワークドリル自体の質が悪すぎることで、更に勉強に対する混乱と不審を子どもたちにもたらしている。

うむ。

基礎的な知識を育む子どもたちの教育を疎かにして、この国はいったい何処に向かおうとしているのだろうか。本当に。




家の工事をしていただいている大工さんが、昨日、自ら釣ってきた鮎を持ってきてくれました。早速、塩焼きと素揚げにしていただいてみたところ、これが本当に美味しくてびっくり。

今日、足場を解体し、工事は概ね完了するそうです。

7月1日(月)

週に二日以上休んでしまうと、感覚や身体が鈍ってしまって仕事にならない、というような話を職人の方から聞いたことがある。同様に楽器の演奏者も、楽器に触らない日が一日でもあると、回復に一週間かかってしまう、というような話は有名だ。

とまあ、様々な専門技能を持った職種の方々は色々と大変だとは思うのだが、ごくごく一般的な職種の私としては、すべてではないにせよ、週に一日しか休めない時があると、ぜんぜん休んだ気がしない。

うむ。

さて明日は、学童クラブに引き続き、学校の個人面談が予定されている。学童同様、学校での様子の報告を受けたあとは、ここ最近の家庭での不安定かつ過激な子どもの言動について相談しようと思っている。

ちなみに昨日も外食中に、楽しく食べていたと思ったらなんの脈絡もなく突然に、何度お願いしてもニンテンドースイッチを買ってくれない、だとか、他の家に比べてうちは色々と厳しすぎる、だとか、本当は学校なんか行きたくない、だとか、色々と文句を言いはじめ、めそめそ泣きはじめてしまった。

流石に、なんで今? とは思いつつ、まだまだ年齢なりの感情表現の未熟さや発露の唐突さもあるのだろうと思って、こちらの方がひとまずグッと堪えたのだが、様々な諸問題については親子で話し合いを積み重ねてきて、お互いに一定の合意も築いてきた筈なのに、それらすべてを反故にされて、また一から蒸し返されるような言説を喚かれると、ちょっと付き合いきれないぞ、という気分にもなってしまう。

まあもちろん、子どものそうした言動に対し、衝動的に感情を発露してしまう己の未熟さも、大いに反省しなくてはならない。

年々難しさを増してゆく子育て。なかなか楽をさせてくれない子育て。どこまでも子育て。




注文していた折り畳み傘が昨日届き、雨天が心配されたので早速携行して出掛けたのですが、上手い具合に雨が振り出し、その利便性と有用性を早々に実感することができました。

大活躍しそうな予感しかありません。良い買い物をしました。

7月2日(火)

週明けだし日曜日の夜のこともあったので、帰宅後は一騒動ぐらいはあるだろうと覚悟していたのだが、家に帰ってくるなり学校や学童での出来事を楽しそうにペラペラと喋りはじめ、夕飯も滞りなくパクパクと食べ終え、ルンルンと上機嫌で風呂にも入り、恐ろしいぐらいに何事もなく、いやむしろ恐ろしいぐらいに朗らかかつ円滑に、すべての物事が問題なく進行したのだった。

ど、どど、どうした !?

更に言えば、普段ならこちらの家事の途中や合間で、ちょっと来てくれとか、ちょっと見てくれと呼び出され、その都度、手を止められて中断してしまいがちなのだが、昨日はそうしたことも一切なく、家族各々が自由でゆとりある有意義な時間を過ごすことができた。

うむ。

いつもこんな感じなら、だいぶ負担も少ないし、本当に気が楽だし、帰宅後の家時間の可能性も広がるのだが、さて、いつまで続くことやら。。。




昨年の今頃、散々悩まされていたGですが、どういうわけか、今年は5月に一度、小さなGを捕獲してから、動きがピタッと止まってしまいました。

おそらく昨年の徹底的な捕獲作戦により、今現在、屋内のGはゼロだと思われます。あとは侵入してくるGにさえ対応すれば、今年は限りなくゼロGに近い生活が達成できそうです。

嬉しい反面で少し気が抜けたような気分でもあります。

7月3日(水)

今朝、子どもが私に命令口調の粗暴な言葉を遣ったので、流石にその言い方は無いんじゃない? 凄く傷つくし嫌な気分にもなるから絶対に遣わないで、と窘めたところ、子どもが、もう学校も学童も行きたくなくなった、と言って自室へ籠もってしまった。

うむ。

子どもが遣った言葉は、ドラマやアニメの台詞としてよく使われるような言い回しだったので、何も考えずに放った言葉に対する私の反応のあまりの重さに耐えかねての言動ともとれなくもないが、幼さと甘えゆえの人を侮蔑した軽率な言動であることは否めない。

出掛けだったので、後のことは妻に任せて私は家を出たのだが、子どもはヤクルトを飲んで落ち着いてから、登校していったそうだ。

今回の件については、軽々に容認できる内容でもないし、まだ謝罪の言葉もないので、子どもに自省を促す意味でも、まだしばらくは距離を置いておこうと思っている。

うむ。

まあしかし、こんなことぐらい友だち付き合いの中でさっさと学んでくることで、いちいち親に窘められることのようなもんではないだろう、と心のどこかで面倒に感じてしまっている私は、つくづく親に向いていない性格だよな、とも思う。




40代も半ばに差し掛かりつつありますが、そろそろ世間のしがらみや社会の束縛から解放されつつあるので、若い頃からずっと入れたいと思っていたタトゥーに挑戦したいと思っています。

The beginning of "1mm tattoo"」という作品を作っているアーティストがいるので、まずはここでやってみようか。どうしようか。

7月4日(木)

昨晩はかなり酷い状況が寝る前まで続き、月曜日の幸福で安寧な時間が、まるで悪い夢だったかのような錯覚に襲われる。

うむ。

朝のこともあったので、とにかく私は家事だけに集中し、子どもの対応はすべて妻に任せた。妻には申し訳なかったけれど、もし私が関わっていたら確実にもっと酷い状況になっていたと思う。

泣き叫ぶ子どもの声を極力意識から遠ざけて、とにかく子どもに接近しないよう、とにかく早く床に就けるよう、無心で家事に集中した。

恥ずかしい話だが、こういう状況の子どもに対して恐怖心すら芽生えてしまう私は、つくづく親に向いていない性格だよな、と真剣に思う。

今夜は父子二人きり。何かあったら逃げ出してしまうかも知れない。本当に情けないことだ。

子どもの好きな炒飯を作ってやろう。




タトゥーを入れたいと思ってるんだ、と子どもに話したら、なんでそんな事するの? と泣かれてしまいました。

ん? 俺が悪いんか?

7月5日(金)

今週末日曜日は、都知事選挙の投開票日。

現職にはどうしても退いて頂きたいと願う私としては、消極的かつ合理的に、率直かつ順当に考えると、色々と思うところはあるけれど、蓮舫の以外に選択肢がない。

できることなら、あっちもいいな、こっちもいいな、と目移りしてしまうような、豊かな選択肢から厳選して投票をしたいのだが、そんな投票、今まで一度もしたことがない。

むしろ今回は、豊かな選択肢どころか、悪ふざけで立候補しているんじゃないかと思われるような、妙な野心と下劣な功名心だけの候補者の乱立が目立ち、心の底から辟易している。

うむ。

そんな折、私がフォローしているミュージシャンやライターや小説家や漫画家やモデルや俳優やデザイナーや美術家などなど、文化人や著名人やその他諸々の面々が、「蓮舫に投票してきました」という投稿を次々とあげていて、素直に驚いている。

政治課題や社会問題のことなんて一度も発言したことのない人や、自分の興味関心のことだけしか発言していなかった人だったのに、投票理由にかなり真っ当なことを書いていたりして、うむ、なるほどそうだったのか、と思わず唸ってしまう。

私がフォローしているのは、真剣に遊びに向き合っている人たちだが、彼らの選挙に対する真剣な眼差しが、選挙を遊びに使っている候補者の無様さを露わにしている。良識というと大袈裟だが、これぞ良識だと感じたのであった。

うむ。

この日記を読んでくださっている方は、都内住まいの方がけっこう多いと思いますので、今回の選挙では是非あなたの良識を発揮して下さい。




口周りの髭を伸ばし続けていて、最近気づいたことなのですが、髭の毛量に反比例するように、眉毛が確実に薄くなっています。

本当に。

7月8日(月)

都知事選は、もうかれこれ11度目の投票だと思うのだが、今回も死票。都知事選で私の票が生きた例がないのだが、そうした選挙結果が出てからいつも思い出すのが、コミック版『風の谷のナウシカ』の最終巻のナウシカの次の言葉だ。

その朝が 来るなら
私達はその朝に むかって 生きよう
私達は 血を吐きつつ くり返し くり返し
その朝を こえて とぶ鳥だ!!


とびつづけよう。



さてそんな週末、何が気に入らなかったのか、土曜の朝からリビングをバリケード封鎖し、籠城を決め込んだ子どもである。

その後も、機嫌を損ねては不貞腐れる、ということを何度も繰り返した週末だったが、その原因や理由がつかめないので、こちらも完全にお手上げ。為す術なし。

うむ。

そんなこんなで日曜日の夜、ベッドルームのドアの飾りが壊れているのを発見し、子どもに確認したところ、あまりにも人を馬鹿にした態度をとったので、流石にこちらもかなりきつく叱ってしまったのだが、叱るこちらも正直しんどい。

結局、癇癪を起こした時に、子どもが自分で壊してしまったそうだ。

まあ、典型的な反抗期ではあるのだが、今の時点でこんなに手を妬いているのに、思春期になったらいったいどうなってしまうのだろうかと思うと、暗澹たる気持ちになる。

血を吐きつつ、とびつづけよう。




とうとうロッドとリールを買ってしまいました。

もうすぐ届くと思うのですが、楽しみで胸が踊るこの感覚が久しぶりすぎて、いつから自分のものを買ってなかったんだろうか、と反省しています。

自分も大事にしようと思います。

7月9日(火)

ここ最近、子どもの機嫌に振り回される様子を、毎日のようにお届けしているわけだが、なぜか昨日はピタッと無風。この状況で思い出されるのは、映画版『風の谷のナウシカ』の大ババ様の次の言葉だ。

大気が 大気が怒りに 満ちておる!


うむ。反動が怖い。

我が家は一人っ子なので、反抗期(小学生は中間反抗期と言うらしい)の比較対象が近くにいない。

そこで、同級生のお母さんから各々のお子さんの様子を聞いてみたところ、上の子は手が掛からないけど下の子はかなり大変、とか、上下はたいしたことないけど真ん中が大変、とかいう声を聞きつけ、我々だけでなくかなりの頻度で子どもの反抗期に手を焼いているご家庭が多いのだなと想像できたのだが、我が家の場合、私も妻も子ども時代に目立った反抗期を自身で経験してこなかったことが、更に困難を極めているのではないか、という気もしている。

我々は手が掛からなかった子どもだったが故に、今まさに子どもに手を焼いている。

ふむ。




都知事選挙前、〇〇ちゃんちと△△ちゃんちはユリコで、◇◇ちゃんちはイシマル、レンホーはまだいない、とクラス内の情勢調査を逐次報告してくれていた子どもですが、選挙後に開票結果が発表され、子どもの情勢調査がかなりイイ線行っていることに、ちょっと驚いています。

7月10日(水)

家に帰ってきた時はケロッとしていた子どもだが、実は学校で何かトラブルがあったようで、国語の授業は受けず、算数の授業は廊下で受けたと言うのだが、どんなトラブルがあったかは絶対に言いたくないと、そこだけは頑なに教えてくれなかった。

私も小学校3年生の頃、担任の先生と衝突して無断で家に帰ったことがある。ちょっとした騒動になったのだが、自分は絶対悪くないという信念と、なんとなくバツが悪いという気持ちが同居して、大人から何を聞かれても絶対に口を開かなかったことを思い出す。

うむ。

これからもっと教えてくれないことが増えてくるんだろうなと少し寂しく思いつつ、子どもにもしっかりアイデンティティーが芽生えていることが分かったので感慨深い。




子どもが最近アメリカンホームコメディを好んで観ているのですが、昔のようにお馬鹿時々涙といった内容に加えて、物語の筋の重要なところに社会問題や時事問題がしっかり散りばめられていて、これはちょっとスゴいなぁと、かなりビックリしています。

7月11日(木)

昨日の夕方、いつも近所を散歩している老秋田犬のカイくんが、やはり近所を根城にしているキジトラの野良猫と、我が家の前で鼻を突き合わせてクンクンし合っていた。

うむ。

カイくんの方は目も耳も鼻も衰え、歩くのもやっとの御大なのだが、キジトラの方は私なんかにはもちろん、餌を与えている向かいのおばさんにすら懐かない、根っからのどヤンキー野良猫なのである。

まさかこの二匹が仲良しだったとは。

ちなみに、キジトラの野良猫はスンちゃんという名前なのだそうだ。可愛い名前じゃないか。

まだまだ、ご近所事情に疎い未熟な父である。




昨日、うちの子どもが友だちのお母さんたちに都知事選挙の事後調査を行っており、何でユリコに投票したの? とか、イシマルに投票したの? といった基本的な内容の他に、とあるお母さんからの、投票先は秘密にしないといけないんだよ、という言葉に対しても、なんで秘密なの? と、子どもならではの率直さで、お母さんたちをタジタジにさせていました。

7月12日(金)

昨年から懸案事項だった子ども部屋の漏水工事が、ようやく昨日から始まったと思ったら、しばらく雨が続くようなので工事も中断。

うむ。まあ、仕方なし。

さて今週、若干の懸念事項はありつつも、平穏といえば平穏といえなくもない子どもだが、今年度から学童クラブの受け入れ人数が増えたことにより、落ち着いて宿題ができる時間と場所が確保できず、家に宿題を持ち帰ることが多くなっている。

生活に宿題が食い込んでくることにより、必然的に時間的な圧迫が生じるし、学童クラブでは疑問点などは友だちに相談できたのに、その役割が親になるため、甘えや妥協も生じてくる。

来週から夏休みも控えているので、夏休みの宿題の取り組みに少々不安を感じるが、ここ最近の中ではまずまず穏やかな一週間だったので、善しとしよう。

さぁ、明日から三連休だ。




今年から長期休み期間中、学童クラブで宅配弁当の利用ができるようになりました。うちは基本的には手作り弁当を続けていくつもりですが、弁当作りはそれなりに負担もあるので、なにかの時には利用したいと思います。

本当に助かります。

7月13日(土)

子どもの帰りが遅いので、学童クラブまで迎えに行くと、今ちょっとトラブル対応中で、収まったら連絡するので、今のところは一度お引き取り下さいとのこと。

言われた通り家に戻ったのだが、待てど暮らせど連絡はなく、様子を見に行こうかと思ったところで、職員の方が子どもを我が家まで送り届けてくれた。

うむ。

トラブルは友だちとの喧嘩。お互いに手が出てしまうほど派手に暴れたようなのだが、両者とも怪我はなくて本当に良かった。

集団生活での衝突は仕方ないことだとは思うのだが、そろそろ違った解決策を導き寄せて貰いたいものだ。身体も大きくなってきているし。

うむ。

まあ、この件に関しても言えることだが、自らの成長を世界の広がりの喜びとして表現するのか、未知との遭遇の驚きとして表現するのか、その表現は子どもによって様々だ。

うちの子どもの場合、成長の違和感による苛立ちと怒りによって、アイデンティティーの萌芽を表現するタイプなのだろう。

そこに善し悪しはなくて、ただ子どもの目覚ましい成長があるだけなのだが、稀に成長のあまりの急激な変化に戦慄し、手も足も出せなくなってしまうこともあるので、そこだけは注意したいと思う。


ちなみに喧嘩した友だちとは、今度、我が家で遊ぶ約束をしたようだが、我が家で大暴れは勘弁してもらいたいぞ。




三連休初日は例によって土曜日出勤をしております。

いろいろ思うところはありますが、久しぶりに夜の街に繰り出す予定が入っているので、今日のところは矛を収めましょう。

呑み過ぎないよう気を付けます。

7月16日(火)

三連休初日の夜にまずまずしっかり痛飲してしまったため、この週末はほとんど使い物にならなかったのだが、実家にお世話になっていたおかげで、どうにかこうにか事なきを得ることができた。

実家最高である。

ところが、上げ膳据え膳の実家生活から、我が家の実生活に戻ろうとしたところ、身体にも精神にもしっかり怠け癖がこびり付いてしまっていて、たかだか数日のブランクにも関わらず、リハビリに苦労しているところである。

実家油断ならない。

とはいえ、我が実家の父母もそれなりの年齢のため、いつまでも甘えてばかりもいられず、あまり楽観ばかりもしていられない「老い」という現実に、もう少し真摯に向き合わねばならないな、と思うのだった。




昨晩、韓国発のジェンダーに関する絵本を子どもと読んでいたところ、大人から子どもへの有害な規範の押し付けに対し、子どもたちがどのような対応や態度をとったらいいのかについて書かれていたのですが、そのほとんどすべてのことが、もう既に子どもが実践していることだったため、こんなの当たり前じゃん、という感じになっていました。

まあとにかく肝心なことは、大人に気に入られるような素直な子どもになるなってことですね。

7月17日(水)

雨の合間を縫って徐々に工事が進行中の我が家である。

こちらも仕事があるため、工事の進捗状況は帰宅後に、あちらこちらを懐中電灯を照らしてくまなく確認しているのだが、なるほどこんな風にして直すのか、とか、ここはどうやって嵌め込んだんだろう、など、気になることばかりで、できることならば四六時中立ち会って工事風景を眺めていたいところなのだが、なかなかそうもいかない。

そうした関心とは別に、あそこはあんななっちゃってるけど大丈夫だろうか? なんて心配になることも多いのだが、次の日には綺麗に収められており、胸を撫でおろしつつも、職人さんを疑ってしまったことに自らを戒める。

立ち会いということで言えば、子どもの小学校の教室から我が家は丸見えなので、休み時間などに子どもが工事の様子を確認してくれていて、今日は三人で作業していたよ、とか、午後は雨になっちゃったから帰っちゃった、など、色々と報告してくれる。

うむ。

というわけで、今朝は職人さんと少しだけ立ち話ができたので、大まかな進捗や状況を伺うことができた。工程としては、だいたい折り返し地点まではきていて、明日以降は天候も落ち着きそうなので、予定通り月内には片が付きそうだ、とのこと。

ちなみに、今回の漏水以外にも少し水が回っている箇所があったので、しっかり止めておきました、とのこと。経年劣化というよりも、最初の施工方法がちょっと、、、とも。

ぶん。




なんでもいいから作業手伝だわせてくれないかな、と呟いていたら、横から子どもが、私もやりたい! となってしまいました。

職人さん困るだろうな。

私の経験からも言えることですが、やはり新築よりも改築のほうが知識も経験も技術も試されるそうです。

7月18日(木)

朝起きると頭の右半分に痺れるような痛みを感じたのだが、大したことはないと思い、だましだまし家事をこなしていたのだが、ちょっと辛くなってきたので痛み止めを服用して出勤した。

職場に着いてからも痛みは治まらず、目の奥の方にも痛みが広がりはじめ、軽い目眩や吐き気のようなものも感じはじめたので、午後は早退しようと思っていたのだが、昼食後に少し昼寝をしていたら、嘘みたいに痛みが引いていた。

これならもう大丈夫と思い、痛みで捗らなかった午前中の仕事の遅れを取り戻そうと、躍起になっていたら、夕方頃からまた痛みが再燃。

こういう時は早く帰って寝よう。




こうした謎の不調が発生した際に、ネットで原因を調べようとすると、必ずと言っていいほど怖い内容しか出てこないので、絶対に止めたほうがいいと思います。

7月19日(金)

お陰さまで頭痛は解消し、とりあえず何事も無いようなので、ホッと一息。

良かった。

さて昨日、ふた周りほど年上の初対面の男性と話をしていたところ、ひょんな事からお互いの出身高校が同じ学校であることが分かった。

すると突然、それまでは敬語でやり取りしていた相手が、かなり砕けた口調に豹変し、まるで昔からの後輩のような態度をとりはじめたので、少しうんざりしてしまった。

その後、できるだけ早めに話を切り上げて、その場をあとにしたのだが、まあこれも他山の石。

どっぷり中年になってしまった私にとっても、決して他人事ではない。どちらかと言うと加害者側になり得る出来事なので、重々気をつけようと心に誓うのだった。




漏水工事のついでに配線ダクトレールを設置して貰いました。

子どもの部屋ではありますが、照明の他にもスピーカーやハンギングプランツやモビールなども設置できるので、かなり楽しみにしています。

7月22日(月)

夏休みに入って少しは落ち着くと思っていたのだが、混雑と暑さと遅延によるトリプルコンボは控えめに言ってもただの地獄。私の通勤史上最悪のひとつに残るほどの過酷な朝だった。

うむ。

先週の金曜日に一学期の終業式を済ませ、悠々と夏休みに突入した子どもだったが、夏休みの宿題のワークドリルの一冊を早々に終え、二冊目に取り掛かっているところである。

まあ、宿題を早めに終わらせるという姿勢は結構なことだが、夏休み三日目にしてこの進捗状況は、ちょっと過激に過ぎるのではないか、と逆に心配してしまう。

うむ。

私の方はと言うと、朝の通勤の疲れと、お弁当作りの疲れと、少々やりすぎてしまった筋トレの疲れとが相俟って、午前中はぜんぜん仕事にならないが、これはまあ、仕方ない。




サボリーマンを自称し、あちらこちらで吹聴している私ですが、こないだ真正面から、そういう態度って大人としてどうなの? と顔をしかめられてしまい、いやこれは、いわゆるネタというかモチーフというか、スタイルとしての雅号というか偽称というか、とシドロモドロになってしまいました。

サボリーマンは、たまにこういう目にも遭います。

7月23日(火)

宿題のワークドリルの二冊目を終え、残すところ観察日記と自由研究だけとなった子どもだが、観察日記は然るべき時期にならないと取り組めず、自由研究もある程度のアタリはついているのだが、やはり資料や材料が揃わないと手を付けられないため、当面は休み明けの漢字テスト対策を進めることになった。

まだ夏休みは39日もあるのだから、ちょっと焦り過ぎではなかろうか、とも思ってしまうのだが。

うむ。

そんな夏休み4日目の朝、熱帯夜で寝不足気味の子どもは朝から不機嫌による不平不満を撒き散らし、朝食を用意してもなかなか食べ始めず、ようやく手を付けたかと思ったら、ふりかけの味が気に入らないと言って朝食のほとんどを残してしまった挙げ句に、耳障りな奇声や怒声をあげはじめたので、子どもに向かって思わず「あんたは本当に難しい子だよ」と口にしてしまった。

後悔先に立たず。

でもこれが、父親という名の管理者や責任者といった役割にはまったく不向きな父親の、父親という仮面を外した時の本当の父親の姿なのであると思うことで、子どもとはまた違った別の関わり方をより良く考えられる面もなきにしもあらず、とも思う。

何時如何なる時も、自分を偽らないようにしたいものだ。




学童クラブで宅配弁当が利用できるようになり、今日は初めてお試しで利用してみるのですが、これをきっかけに夏休みはぜんぶ宅配弁当でいいよ、などと言われたら、気分は楽ですが気持ちは複雑です。

7月24日(水)

早々に夏休みのワークドリル終えた子どもだが、ドリルの丸付けは親の仕事なのである。
うむ。

実はこの丸付けが一番厄介で、いくつも問題を解いていけば、必然的に間違いが出てくるのは仕方ないことなのだが、うちの子どもの場合、この間違いに対してかなり過剰な反応を見せるのである。

昨日も、書き損じや勘違いによる不注意による簡単な間違いを指摘したところ、憮然としながら間違いを直しはじめたのだが、最終的には泣いてしまった。過去には「間違ってなんかない!」と言って癇癪を起こし、ドリルやノートをビリビリに破いてしまったこともあるほどだ。

この傾向は宿題だけでなく、カードゲームやボードゲームなどにも言えることで、ゲーム中に形勢が悪くなるにしたがって不機嫌になり、最終的には盤をひっくり返してしまったり、駒やカードを放り投げてしまったりすることがあった。

もちろん最近は、子どもの力量も上がり、大人と力が拮抗するようになってきたため、不機嫌になったり癇癪を起こすことも無くなってきている。

更に言えば、形勢が悪くなったり勝負に負けることによって、知識や経験が豊かになることも体験として学んでいるようではある。宿題の間違いに関しても同じことは言えるので、早いとこ気付いて貰いたいものだが、いやさて、どうなることやら。




昨日、学童クラブのエアコンが壊れてしまい、少し夏バテ気味で子どもが帰ってきました。

修理依頼はしているようですが、この時期のエアコン故障は子どもたちにとっては死活問題なので、早急に対応してもらいたいです。

しかし、いよいよ夏が、人間の活動限界を超える季節になってしまいました。

7月25日(木)

昨日、夏休みワークドリルの二冊目の丸付けを終え、いくつかのケアレスミスを子どもに指摘すると、不機嫌になりながらも最初は静かに直していたのだが、まるまる解かれていなかった同音異義語の設問に差し掛かったところで「こんな問題、まだ学校では教えて貰ってない!」と言って泣きはじめてしまった。

うむ。

よくよく話を聞いてみると、習っていない漢字の使用を禁じたり、教わった方法以外の解き方を禁じるなど、学校の謎の指導により、教わっていないものを進んで理解しようとしたり、習っていないものに勝手に挑戦することは、あまり良くないことだと誤認しているようなのである。

うむ。

義務教育3年目にして、かなり込み入った呪縛に囚われてしまっているようだ。この呪縛を上手く解きほぐすには少し手が掛かりそうで、むしろここからが本当の教育か、といったところである。




いよいよ工事も大詰めの段階に入ってきており、予定通り今月中にはなんとか方がつきそうです。

同時にリフォームローンの方も無事に審査を通過し、最終的な工事金額が確定したところで本申込みに移る予定ですが、返済計画の部分でまだ悩ましい部分が残っています。

地獄の沙汰も金次第とはよく言ったものです。