Diary
1月18日(土)
今日の校庭開放当番は、通例なら9時〜12時までの3時間を四人の係で受け持つところを、とあるお母さんの提案で1時間区切りの当番制にすることとなり、私は9時〜10時を担当して任務終了となった。
素晴らしい。
さて昨日、夕方に学校から連絡があり、うちの子どもの欠席日数が、あと数日重ねると「不登校」の扱いになってしまい、そうなると特別支援教室などの様々な支援の利用が受けられなくなる、との説明を受けた。
うむ。
制度上仕方ないことではあるのだが、それではあまりに忍びないので、短時間登校でも別室登校でもなんでも構わないので、なんとか学校に顔を出してくれさえすれば出席の扱いにできる。そのために、学校としても全面的に協力したいとのことだった。
うむ。
まあ、突っ込みどころは色々とあるのだが、それは一度置いておいて。こちらとしても子どもの不登校については、手掛かりを失っている状態だし、私と妻の就労の面でも行き詰まりを感じ始めていたところなので、とりあえず学校側の提案を受けることにした。
ただ、条件の面で不利になるからとか、日数の上限が迫っているからとかで、子どもに妙なプレッシャーが掛かることだけは、絶対に避けねばならないところである。
うむ。
のんべんだらりと惰眠を貪っていた独身の時代の土曜日が懐かしい。
校庭開放当番で同じクラスの友だちのお母さんと一緒になったので、色々と話をしていたのですが、小学校3年生ともなると、大なり小なり同じような悩みの傾向があるのだな、と感じました。
この時代の難しい子育てを、我々は充分に良くやってると思います。
1月1日(水)
本年もどうぞよろしくお願いいたします
昨年12月8日で、このウェブサイトも設立23年を迎える事ができましたが、昨年夏頃から始まった子どもの家庭内外での様々なトラブルや、その結果としての不登校により、その時は完全に失念していました。
今も引き続き、子どもの状況は特に大きな変化はなく、親としてできることは、よく食べさせ、よく寝かせる、というとても基本的なところに終始するしかありません。
他にできることと言えば、心の準備ぐらいのものでしょうか。
という訳で、本年もこのウェブサイトは平日更新のDiary(真平の日誌)と毎月更新のJournal(真平の新聞)を主軸として、不定期更新のAqua(真平の水景)、Logue(真平の独白)、Cover(真平の表紙)の計5本の連載でお送りしていきます。
本年も波乱に満ちた真平の真平による真平のためのウェブサイトを夜露死苦お願い申し上げます。
「真」の「平」和を希求する 真平より
1月4日(木)
昨年末の私の誕生日(12月29日)の晩に発熱したものの、37.4℃だったので、すぐに下がるだろうと思っていたのだが、翌日になっても熱は下がらず、夕方には38.4℃になっており、大晦日に受診したところ、インフルエンザであったことが判明。
インフルエンザでの年越しは、これで5年ぶり2度目のことである。
特効薬のおかげで熱はすぐ引いたのだが、頭痛や関節痛がひどくて起きることができず、ようやく動けるようになったのが昨日のこと。そういうものではないとは分かってるけど、今回もしっかりワクチンを受けていたので、正直言って不満だ。
うむ。
そんな訳で、年を跨いで丸々4日間伏せっていたわけだが、回復早々、実家に遊びに来ている弟の子どもとうちの子どもを東京タワーへ連れて行くという任務をこなした。
歩くこともまだ不慣れな身体だったが、東京タワーのメインデッキから階段で降りてくるという子どもたちの暴挙に付き合い、箱根駅伝の観戦者の人混みに揉みくちゃにされ、最終的には空腹と疲れで爆発したうちの子どものケアまでしなくてはならず、年明け早々、かなりハードなリハビリを強いられることとなった。
うむ。
まあしかし、うちの子が元旦から実家に泊まりに行ってくれたことにはかなり救われた。実家とはいえ、親の付き添いなしでの連泊はこれが初めてなので、これを機に色々と可能性を広げてくれるといいのだが、どうだろう。
今日、うちの子どもが帰ってきます。正直言って気が重いです。
1月6日(月)
年末年始は色々あったが、どうにかこうにか今日から私も妻も仕事初めに漕ぎ着けた。子どもも友だちと一緒に元気に学童へ行ったようである。学校の始業式は明後日。そちらの方はまだどうなるかまったく分からない。たぶん行かないんじゃないかと思っている。
うむ。
元旦から四日間、子どもを実家で預かって貰っていたため、この週末は久しぶりに家族三人の顔が揃った。ところが親子水入らずとはならず、顔を合わせるなり荒っぽい言葉の応酬がはじまってしまい、初っ端から心底げんなり。
久しぶりの再開で前向きな変化があるかもしれないと、どこかで淡い期待を持ってしまっていたこちらも悪いのだが、家庭生活が目の前で瓦解していくような、絶望的な気持ちになってしまう。
不登校は百歩譲るとしても、所構わず無闇やたらに全力で楯突かれる。自我の芽生えや自己の確立、はたまた自主性や社会性の育成のために必要な期間とは言われても、とてもじゃないけどこちらの身が持たない。
昨晩、深夜二時に子どもが私のベッドに潜り込んできて、結局、朝までうまく眠れませんでした。
おかげで、社長からの新年のありがたい言葉はよく覚えていません。
1月7日(火)
子どもと作った野良猫用ハウス(通称:ぬこぬこホイホイ)に野良猫が二匹入っていた。
昨晩は久しぶりの雨だったので、猫たちがいつも寝床にしている場所が濡れてしまったのかもしれないのだが、野良猫用ハウスは一匹が入れるサイズで作っていたので、二匹顔を出している姿には正直面食らってしまった。
うむ。
さて今日で松の内も終わり、いよいよ明日から新学期がはじまるわけだが、三学期がはじまるという点以外のところで学校を取り巻く状況に大きな変化は無いため、引き続き子どもの登校は難しいだろうと妻も私も感じている。
望みがあるとすれば子どもの内面的な変化の方だが、わずか二週間ほどの正月休みで何かが大きく変わったようにはもちろん感じられず、学童や学校での問題行動がはじまってまだ半年、不登校がはじまってまだ一ヶ月、先は長いものだと覚悟を決めるよりほかない。
我が家が喪中ということもありますが、今年届いた年賀状が去年の1/4になってしまいました。「年賀状じまい」に追い打ちをかけるようにして、郵便料金も跳ね上がったので、無理もないのかも知れません。年賀状文化消滅も間近ですね。
年賀状を頂いた方には、これから寒中見舞いをお送りする予定です。
1月8日(水)
三学期初日の今日は、なんとか無事に登校した子どもである。
学校に行ったか行けなかったかで一喜一憂することについては、あまり意味ないことだと分かっているし、むしろ逆に、変な期待や疲弊や焦燥の原因にもなるため、有害無益の何ものでもないのだが、この悪癖がなかなか抜けないのである。
うむ。
というわけで、まだ始まったばかりなので何の評価もできないが、いやさて三学期はどうなることやら。
こちらが不安定になってしまったら元も子もないので、とにかく無心で過ごすこと。これに尽きる。
運転免許書の更新をしなくてはならないのですが、昨年末は子どもの不登校や私の体調不良でそれどころではありませんでした。
こうした事務手続きって、煩わしいので可及的速やかに処理したいと思っていても、地味に面倒ですよね。
1月9日(木)
年が明けて立て続けに二件、母親が子どもを殺して無理心中を図るというニュースが飛び込んできた。
ふたつの事件ともに、母親もお子さんも我が家とさほど変わらない年齢構成。両事件ともにお子さんに何らかの困難があり、子育てに追い詰められたがゆえの悲しい事件だった。
こうした時、何も知らない人がまず話題とするのが公的な支援や援助は? というところだが、これだけ問題になっている不登校ですら、公的な支援や援助がほとんど存在しないことに直面した我が家としては、そんなもの望むべくもないことを既に知っている。
程度の差こそあれ、そういう意味では我が家も同じ地平に立たされていると言えるのだが、不登校ぐらいで七転八倒させられているのに、今回の事件のように様々な困難を抱えながらの子育ての重責や絶望がどれほどのものだったか。
身につまされる思いである。
今日も子どもは学校へ行ったようですが、放課後に担任の先生から連絡があり、給食の前の係決めで希望の係になれず、だいぶ派手に暴れたようです。
その後は別室で過ごして、放課後までには落ち着いたようですが、いずれにせよ辛いです。
久しぶりに今夜は荒れるかな。
1月10日(金)
今朝、何ヶ月かぶりに自分の弁当を作ることができたのは良かったのだが、洗濯機のスタートボタンを押すのをすっかり忘れてしまっていた。
うむ。
さて昨日、子どもが暴れる原因となったクラスの係決めだが、こうした問題があった場合、あえてこちらからは深く詮索しないようにしている。変に詮索することで問題が再燃してしまう場合が多いからだ。
なので昨日の件も、まだ子どもの口からは直接は聞いていないのだが、学童クラブの指導員の方には不満を漏らしていたようである。不満を語れる大人が近くにいることが分かっただけで良い。そういう状況さえ分かればそれで良い。
うむ。
ところで、係決めの件なのだが、子どもの今のクラスでは、まず特定の係の担当希望者を募ったうえで、希望者が多い場合にはジャンケンで選出される、という方法を用いているようである。
たかが三学期だけの係決めだし、ある種の偶然性で勝敗が決まるジャンケンという方法を用いることで平等性も担保されている、と私なんかは思ってしまうのだが、この方法に子どもはずっと不満を抱いており、更には、この不満な方法で二学期に引き続き、二度も希望の係から弾かれてしまったことに激怒したようなのである。
この係決めの方法については妻も難色を示しており、いったいどこが問題なんだ? と尋ねたところ、前年の担任の先生は、希望する係から弾かれてしまった生徒に対しては、次回の係決めの際に優先的に希望の係になれるような配慮をしていたそうなのである。
つまり、表面的な選定過程の平等性にも配慮しつつ、その方法論自体に内在する不平等にもきちんと着目し、その解消に努めていたのである。
マイケル・サンデルじゃん。
偶然性こそ平等とか、多数決こそ民主主義とか、私のような老害おじさんが考える雑な議論の一歩先を見据え、新たなる公正の地平を目指して対応していた前年の担任の先生の姿を、うちの子はしっかり覚え、そこから学びとっていたのである。
そして暴れた。
デヴィッド・グレーバーじゃん。
というわけで、世界を牽引するような価値や理論を提唱する高名な哲学者や思想家と同じ結論や行動に至るうちの子は、至極真っ当である、ということですよね。
昨晩、イツメンの三匹の野良猫に餌を与えていたら、そのうちの一匹の黒白猫に促されるようにして、見慣れぬ三毛猫が現れました。
彼らの情報共有能力を侮ってはいけないと感じます。
1月11日(土)
年始早々土曜日出勤中である。
うむ。
昨日、子どもが帰ってくるなり「明日、〇〇ちゃんと▽▽ちゃんを家に呼んで遊んでいい?」と尋ねてきたので、妻が「構わないけど何時ごろ?」と尋ね返すと、子どもは「分からないけど、ラインで連絡が来ると思う」と微妙な返事。
結局、今朝になっても友だちのお母さんたちからは連絡は来ず、お昼過ぎに妻に「遊ぶ約束はどうなった?」と尋ねたところ、「一人の子は予定があって今日は無理、もう一人の子は音沙汰なし」とのこと。
遊ぶ約束自体はお互いにきちんと交わしてきているようなのだが、うちの子に限らず、細かな部分の詰めの甘さや自分の予定の把握の甘さなどで、これまでも同じような行き違いは何度かあった。
自分が小学校3年生の頃は、などと比べても仕方のないことだが、確実に親の介入とLINEなどの連絡手段の利便性が子どもたちの能力を阻害しているような気がしてならない。
早く子どもたちだけで遊べるようになってくれ。
ちなみに、習い事だらけで友だちと遊ぶ時間がまったく無いという子も多く、約束はできたとしても友だちとどう遊んでいいかが分からないという。
そんな三連休一日目。まあ、私は仕事だけど。
パジャマとして使っていたスウェットが、もう流石に着れないな、という状態になってしまったので、今朝のゴミ回収に出してしまおうと思ったのですが、野良猫用ハウス(通称:ぬこぬこホイホイ)のベッドとして再利用することにしました。
私の匂いのせいで野良猫がハウス自体を利用しなくなってしまったらどうしよう、という一抹の不安も残ります。
1月14日(火)
昨晩、子どもが寝る前に「明日、学校行きたくない」と訴えてきたのだが、今朝もその堅い意志は変わらず、今日は学校を休んだ。私も妻も仕事を休めなかったので、今日は実家で子どもを預かって貰っている。
これがまた、先月のような不登校のはじまりなのかどうかは分からないが、前も書いたように、子どもを取り巻く条件に特に大きな変化はないので、しばらく続くと考えるほうが妥当であろう。
うむ。
実は昨日、大学時代の友人たちが我が家に遊びに来てくれた。大人子ども合わせて12名も集まってくれたので、我が家の許容量は大幅に超えてしまったものの、気心知れた仲の力でその辺りは難なく乗り越え、無事に楽しい時間を過ごすことができたのだった。
来客前にうちの子が若干ナイーブになていたので、一抹の不安が過ぎったが、小さい子たちの世話もしてくれて、終始楽しそうに過ごしていた。事情を知っている友人たちからも「ぜんぜん問題なさそうだけど」と、むしろ私が大袈裟かのように思われてしまったが、みなさん、今日も絶賛不登校中なんです。びっくりでしょ?
先月も三連休最終日に盛り沢山に楽しんだが故の不登校突入だったので、今回も三連休明けはちょっと怪しいなと思っていたら、案の定でした。先月だけで7日間も有給休暇を使ってました。どうやりくりしても、あと三ヶ月ぐらいで残りの休暇も消化してしまいそうですが、まあ、なるようにしかならないですね。
これまで親子で七転八倒し尽くしてきたので、とりあえず今回は覚悟だけはできているつもりですが、いやさて、どうなることやら。
1月15日(水)
今日も不登校の子ども。
7時半を過ぎても起きてこない時は、かなり難しいと思ったほうが良さそうだ。一昨日ぐらいから夜中に咳が出てしまって、上手く眠れていないことも影響している気もするが、まあ、根本的には学校に起因する問題がほとんどだ。
今日は妻が在宅勤務なので、子どもを妻に託して私は出勤。
出勤途中、白い息を弾ませながら、溌溂とした表情で登校してゆく子どもと同じクラスの子とすれ違う。なんとはなしに、しばらくその後姿を見送っていたら、複雑な感情が胸に込み上げてきた。
たぶんこれは、当事者になってみないと分からない類のなんとも言えない感情で、うっかりしていると感情の波に簡単に飲み込まれ、戻って来られなくなりそうな気がしたので、必死に抑え込む。
そんな週中水曜日。
せっかく子ども部屋を作ったのに、妻か私が添い寝をしないと寝てくれません。特に最近は私が添い寝に指名されることが多く、子どもの咳の件もあったりで、私もあまり眠れていません。
平凡な日常とは、様々な好条件が揃った上で成り立っていることが分かってきました。
眠い。
1月16日(木)
夜中に発作的に出る咳のせいで、睡眠不足で朝寝坊が続いていた子どもだが、昨日、妻が子どもを病院に連れて行ってくれたおかげで、夜中の咳は治まった。
おかげで、自発的とまではいかないものの、今朝は7時過ぎに起きてきた子どもではあったが、今日も変わらず不登校。
ここ最近は、子どもが「学校行きたくない」となった時に、翻意を促そうとしたり原因の究明をしたりしないようにしている。結局、子どもの不安と親の不安が平行線を辿るばかりで衝突が激化し、お互いが疲れ果ててしまう結果にしかならないのだ。
まあ、こうした結論を得られただけでも、先月、親子で散々のた打ち回った甲斐が少しはあったのかも知れないと思える。
うむ。
むしろ目下の課題は、子どもが不登校の際、在宅勤務をしながら子どもの世話もしなくてはならない妻の負担が大き過ぎるため、そこをどう解消していくかなのだが、当面は定期的に私が有給休暇を取って対応するしかないので、頭が痛い。
長い目で見守るしか無いとは思うが、限度や限界があるものもある。難しい。
今夜、子どもの友だちのお母さんの帰りが遅くなってしまうので、友だちを我が家で少しお預かりすることになりました。
友だちが来てくれることで、子どもの気分転換にもなるといいのですが、どこのご家庭もみんな本当に綱渡りで子育てしていますね。
1月17日(金)
今日も不登校の子ども。今週は一度も行けなかった。
昨日、お母さんの帰りが遅くなるというので、子どもの友だちを預かった。その際、友だちがうちの子どもに「渡したいものがあるから、明日、学校で渡すね」と言って、それとなくうちの子に登校を促してくれようとしていた。ありがたや。
夜中の咳は治ったものの、昨晩は深夜に目を覚まし「なんか怖い」と漠然とした不安を訴えるばかりで、なかなか寝てくれず、結局、朝も起きられなかった。私も眠い。
在宅勤務で子どもの世話まですることに限界を感じた妻は、今日は出勤。私が有給休暇を取って対応中なのだが、私の方はただの休みなので家にいてもやることがないため、子どもをどこかへ連れ出そうと誘っているのだが、つれない返事ばかり。
どうなることやら。
明日はPTAの校庭開放当番です。子どもが不登校中なのにPTA当番なんてやる気が出ません。
ちなみに、子と妻は予定があるので校庭開放には顔を出せないとのこと。何のための当番なんでしょう。寒いだろうな。