Diary
4月22日(火)

週明け二日目もなんとか登校していったようだが、週明け初日の昨晩は、予想通り荒れ模様の子どもであった。

うむ。

まあしかし、四年生ともなると弁が立つようにもなってきており、私が子どもになにかを言い聞かせようとするたびに、ああでもない、こうでもない、と屁理屈をこねくり回して攻撃的に応戦してくるのだが、私だってこれまで煙に巻くような人生を送ってきて、自分自身ですら煙に巻かれてしまった身である。小四ごときに、そう簡単に言い負かされることは無い。

言い負かされることは無いのだが。この場合、勝負ごとでもないので、こちらが更に応戦して同じ土俵に乗ってしまっても、良い結果は得られない。

対応が難しいところなのである。




ちなみに「言い聞かせる」と言っても、昨晩の場合は、夕飯を食べ終え、洗い物も片付けも終え、明日の支度に取り掛かろうかという時になっても、テレビを見ながらだらだら夕飯を食べ続けている子どもに「もうこっちの片付けも終わっちゃったし、明日の支度もしたいから、そろそろ食べ終えてね」という感じです。

それに対する子どもの反応は「子どもがそんなに早く食べ終わると思う? 食べられるわけないよね? 自分も子どもだったこと忘れちゃったの? 昔のこと過ぎて忘れちゃったんだね! もう夕飯いらない!」という感じです。

この時点で、食べはじめてから一時間近く経過しており、この事以外も一時が万事こんな調子です。

我ながらよくやっとります。

4月1日(火)

年度始まりの火曜日。

三年間通った学童クラブをなんとか無事に終え、今日から新しい学童クラブに通い始める子どもだが、ご存知の通り多くの紆余曲折があった末、今日は友だちが我が家に寄って一緒に行ってくれたおかげで、なんとか初日の登館は事なきを得たようである。

うむ。

とはいえ昨日も、予想通りの傍若無人な振る舞いをしている子どもに、仕事の鬱憤が溜まった妻の雷が大炸裂してしまい、家庭内の雰囲気はどん底である。

まだ今月は始まったばかりだが、おそらく月内は一触即発の事態を常に覚悟しておかなくてはならないだろうし、できる限り私も感情的にならないよう注意したいところだが、どうなるだろう。

さて今夜はどんな修羅場が待っているのか。想像しただけで疲れが溜まる。




昨日に引き続き、今日は労働組合の執行委員と在宅勤務の件で面談がありました。

私の件はもちろん、他の問題でも会社側の合理性や論理性の欠く対応が続いているそうで、経営側の怠慢ならまだしも(←駄目ですけどね)、能力の問題だとするとかなり由々しき事態だ、という疑念と懸念を抱いているようです。

困ったものです。

4月2日(水)

新しい学童クラブにはもう行きたくないということで、二日目の今日、子どもは学童クラブに行かなかった。やはりというか、思った通りというか、予想通りというか、なんというか。

うむ。

昨日の初登館はどうにかこうにか果たしたものの、初日だし雨も強かったので、早めに迎えに出たのだが、きちんと道順を確認していなかったため行き違ってしまってしまい、落ち合うことができなかった。

結局、子どもは先に家に帰っていたのだが、初めての道順を一人で帰るのが不安だったのか、雨の中を走って帰ってきたようである。私もすぐに走って来た道を戻ったのだが、どおりで子どもの姿を見つけられなかったわけである。

行き違ってしまったことで、子どもの不安要素を増やしてしまったかなと心配したのだが、学童での出来事を飄々とした様子で語ってくれ、その後も大友克洋の『童夢』の対談解説番組を一緒に観て盛り上がったりしていた。

ところが、寝る前になって「明日は学童行かない」と私に力なく呟いたので、その時はそれ以上の追求はせず就寝し、朝になってから起きてきた子どもに、あらためて学童に対しての意向を確認していたところ、妻から心配し過ぎだと嗜められてしまった。

うむ。

子どもへの接し方は、これまで何度も何度も繰り返し自問自答し、過干渉にならないよう、過保護にならないよう、反省し、修正し、改めてきたはずなのだが、各方面から「心配し過ぎだ」と言われることが多い。

やはり私が間違っているのだろうか。もう何も分からない。




とまあ、自虐的になってしまいましたが、とは言え、午前中はずっと頭痛に苛まれていたと訴え、弁当は半分以上残し、高圧的な職員がいて苦痛だったと言われたら、どう接するのが正解なのでしょう。

やはり何も分かりませんが、来週からの新学年始業式以降も、かなり思いやられることは確かなようです。

4月3日(木)

今日も子どもが、新しい学童クラブに行きたくないと言うので、実家で預かって貰おうと思ったのだが、それも嫌だと言う。

仕方ないので、私が有給休暇をとって対応中である。

うむ。

有給休暇に底が見えはじめ、在宅勤務対応には動きがなく、いよいよ手詰まりになってきたな、という感じが、ここのところ漂いはじめてきている。

不登校児を抱える家庭に対する調査の中で、日常生活で困難を感じる点に、親の離職や退職、それにともなう経済負担、などを訴える家庭がかなりあるようなのだが、まさに我が家も、そうした困難に直面しようとしている。

子どもは学校へ行けず。親は働けず。困窮の一途を辿るばかりか。

何か自衛策を講じなければ。




子どもも、学校も、会社も、社会も、何かが急に良い方向へ変化するなんてことは、望むべくもないので、こちらが変わるしかありませんね。

4月4日(金)

今日も学童クラブに行かない子どもだが、この様子だと、このまま自然退館となる見込みが高い。

うむ。

四年生なので無理して学童クラブに行く必要はないし、これが自立の一歩にでもなればいいのだが、おそらく親の思うような結果にはならないだろう。

学童クラブに行かないことで、放課後の過ごし方には大きな課題が残るし、夏休みなどの長期休暇も大きな悩みの種となる。

学童クラブならまだしも、この様子だと、そもそも学校に行くかどうかも分からない。

新年度なのに、何も見通しが立たない四月である。




学童クラブへ行かない子どもを、今日はなんとか実家で預かって貰おうと思ったのですが、やはり「嫌だ」ということとなり、妻がリモートワークの傍らで対応してくれることになりました。

その後、どういう経緯か分かりませんが、実家の祖父母が子どもをお花見に連れ出してくれ、とりあえず今日は実家で過ごすこととなりました。

どんな些細なことでも一筋縄ではいきません。

4月5日(土)

三週連続で土曜日出勤。土曜出勤が連続する時は休暇をとるようにしているのだが、有給休暇の底が見えはじめているので致し方ない。

うむ。

さて、この四月から、私の住まう自治体では「プラスチックごみ」の回収日が新たに設けられたため、一週間のごみ回収のスケジュールが以下のようになった。

 月 = 不燃ごみ(隔週)
 火 = 資源ごみ
 水 = 可燃ごみ
 木
 金 = プラスチックごみ ← New !!
 土 = 可燃ごみ
 日

木曜日と日曜日以外、何らかのごみ回収がある。

基本的に朝の八時までには、指定の回収場所にごみを出しておかなくてはならないので、朝寝坊ができる日は事実上日曜日だけになってしまった。

まあ、いいんだけどさ。




こんなに暖かく、桜も満開の日に出勤なんて。

4月7日(月)

新年度初日。

今日はクラス替えの発表があるだけなので、8時に登校し9時に下校してきた子どもである。

とはいえ、今日も学童クラブには行ってくれないので、私が休んで対応中。

うむ。

懸案のクラス替えは、担任の先生こそなんとか事なきを得たようなのだが、クラスメイトにあまり仲の良い子がいないので、大満足というわけにはいかず、早速、宿題に出された自己紹介カードも、絶対に書きたくないとのこと。

新年度だからと言って、急に何か変化するとは思ってはいなかったが、まあ、そんな新年度初日のはじまりである。




うちの子に限ったことではないのですが、小学四年生ぐらいだと、まだ月齢による差があるように思います。

うちの子は12月生まれなのですが、仲良くしている子も誕生月が近い子が多く、まだワチャワチャした感じで転げるように遊んでいますが、誕生月の早めの子はもうすっかりしっかり、高学年のお姉さんの仲間入りという雰囲気を感じます。

4月8日(火)

朝は5時40分に目覚ましをセットしているのだが、最近5時前に自然と目が覚めることが多い。

ところが、目は覚めているのだが、身体がうまく動かない。

色んな事がしんどく感じられ、このまま一日動かなければどれだけ楽だろう、としばらくぼーっと考える。ただ、そんなことをしたら、雪崩を打つように生活が瓦解していく様子も容易に想像できるので、心と身体と両方に鞭打って、無理やり覚醒するのが毎朝の日課となっているのだ。

うむ。

ここ最近(直近10ヶ月)のうちの子どもは、あらゆることに対して受動的になってしまっているので、こちらが促さなければ何事も進まない。そのくせ何か否定的な部分が少しでもあると、そこだけは能動的に完全に拒否される。

拒否されると二度手間だったり台無しになってしまうので、こちらも前もって確認するのだが、やはりそこは受動的なので明確な応えは返ってこない。

それが、朝の着替えから、食事から、登校から、授業から、下校から、放課後や休日の過ごし方から、夏休みの旅行に至るまで、あらゆる場面で考慮しなければならないので、親としては本当に負担に感じている。

こうした子どもの傾向は、ひとえに「不安」から来るものだと思うし、実際に去年や一昨年の今頃は、ここまで酷い状態では無かったので、一過性のものだと思いたいのだが、どうなのだろう。

ただ、こうして子どもの状態を、ひとつひとつ言語化しておくことで、私もなんとか平静を保っていられる。




言葉の獲得によって、自分の感情や気持ちの言語化ができるようになることは、子どもにとっても重要なことだと思っているのですが、反発や拒否の表現が豊かになるだけだったりで、なかなか難しいです。

でも罵倒語にせよ、豊かな表現を獲得することは、とても大切なことだと感じます。

あと能動的な肯定、つまり「安心」を得る技術の習得というか、練習がまだまだ必要ですね。

4月9日(水)

新年度三日目にして、早速、学校を休んだ子どもである。

この感じだと、とりあえず今週は難しいかな、と一定の覚悟をしておくことで、お互いに精神的な負担を減らしておくことも、昨年末から我々家族がもがき苦しんで学んできた成果ではあるのだが、ここまで予想通りだと、複雑な気持ちにもなる。

うむ。

さて昨日、一年近く不登校が続いている子どもの親友が、不登校以来初めてオンラインで新しいクラスと繋がることができたそうだ。

その子のお母さんの話では、一昨日の放課後に新担任の先生が家を訪問してくれたことがきっかけとなり、今回のオンライン登校が叶ったそうなのだが、前年度に関しては、家への訪問やオンラインの提案はもちろん、担任の先生や学校からの遣り取りはほとんど無かったそうだ。

そんな話を聞いていて、子どもたちを生かすも殺すも、この国の義務教育ではすべてが運次第だな、とあらためて感じてしまった。

さて、うちの子はどうなるか。




ネットの言説を借りると、義務教育を選んだ親が悪い、ということになりそうですが、そうした言説を内面化した親が少なからず存在することもまた事実なので、暗澹たる気持ちになります。

4月10日(木)

今日はなんとか登校した子どもである。

うむ。

さて、労働組合に預けていた在宅勤務実施の件だが、私の現状のインタビューと併せて、子育てしている組合員同士でディスカッションを行い、まずは組合員に問題や課題を周知するためのニュースにまとめることとなった。

今日、その最初のランチミーティングが行われたのだが、インタビューはともかく、ディスカッションはどういった方向に話が進むか心配していたところ、現在の子育て環境に対する会社制度の乏しさや無理解、柔軟性の欠如などが闊達に議論され、在宅勤務の必要性や有益性も、業務と生活の両面で満場一致で確認された。

私以外からも多くの意見や提案が出てきたことは本当に良かったし、これなら組合の中での合意形成も上手く進みそうだと確信できる内容となったので、ひとまず安堵した。

でも、まあしかし、家でも会社でも子どもに関わることばかりで、少し疲れてしまったなぁ、というのが本音でもある。




あとは経営者の迅速で的確な英断を期待したいところですが、それが一番難しいという大いなる闇が広がっています。

4月11日(金)

今日もなんとか無事に登校した子どもである。

うむ。

昨日、新しい担任の先生から妻に連絡があったそうだ。放課後に子どもと一対一で話をして、いろいろ聞くことができたので、子どもに合った形で今後の対応を考えていきたい、との事だったようだ。

比べてしまうのも何だが、昨年度はできるだけ腫れ物に触らない、という基本方針で、対応としても放置されてしまうことが多かった印象があり、そのことが子どもの更なる火種となっていた面があった。

昨年の子どもの状況では、そうせざるを得ない面があったことは確かだが、先にも書いた通り、新しい先生のもとでは昨年度とは少し違った方針で新たな対応をして貰えるようなので、それが子どもにとっても肯定的で建設的な変化のきっかけになれば良いと思う。

どうだろう。

さて、そんなわけで、今日は午後から早速の保護者会が予定されている。

13時半という微妙な時間設定のため、全休を取らなくては出席できない「保護者会あるある」な状況ではあるが、昨年度に引き続き、今年度も大事な一年になりそうなので、新しい担任の先生とはしっかり顔合わせしておきたいところである。

しかし、クラス懇談会での挨拶は未だに慣れないな。




学校への信頼、学習への意欲、他者や物事への興味、能動的な肯定感、などなど、この八ヶ月で子どもが失ってしまったものを少しづつでも取り戻せると良いなと思っています。

失う時は一瞬で失いますが、取り戻すのには長い時間が掛かりそうですね。

4月14日(金)

大きな衝突も虚しい諍いも無く、かなり久しぶりに平穏に過ごせた週末から明けての月曜日の朝。

いつも通り、洗濯やら片付けやら掃除やらゴミ出しやら消耗品の補充や交換に取り掛かるも、週末明けなのでいつもより手間がかかり、ようやく一段落つきそうなところで、子どもが起きてきてしまい、一息つく間もなく朝食の支度。

ところが、台所まわりでも補充しなければならない調味料がいくつかあったり、いくつかの惣菜や食材が駄目になってしまったりしていて、その処理をしていたら、またもや手間取ってしまい、ひとまず子どものぶんの朝食だけ用意してから、また処分作業に戻る。

どうにかこうにか、すべての始末をつけて時計を見ると、自分の朝食は無理かもな、という時間になってしまっていた。

食卓に戻ると、子どもがまったく朝食に手を付けていなかったので、食べないの? と声を掛けると、食べたい気分じゃない、と言って食卓を離れてしまったので、少し強めに、いらないの? と尋ねたところ、そんな怒るんだったらいらないよ! と不貞腐れてしまった。

毎朝、誰よりも早く起き、自分のことは後回しにして、家族の生活の維持管理に務めているわけだが、結局はこの仕打ちである。

あまりにも報われない。




反抗期と言ってしまえばそれまでですが、うちの子は2歳半からこれまでずっと反抗期ですし、これからも続くのでしょう。

私自身の反抗期のことを思うと、自分はこうした理不尽な発露をとってこなかったので、本当に理解ができず、ただただ投げ遣りな気分になってしまいます。

4月15日(火)

今日もなんとか登校した子どもである。

前年度の二学期頃から、宿題の提出をパタリとやめてしまった子どもだが、先週から、個別に課された少し軽めの宿題に取り組んでいるようだ。

あまり無理せず、ほどほどに取り組めるといいのだが。

うむ。

さて、先週末の保護者会のことである。

クラス懇談会での挨拶で、お母さんがたから、子どもが勉強に対する苦手意識があって悩んでいる、という話がけっこう出ていた。

小学生のうちから、あれだけの宿題量なのだから、苦手になるのも当たり前だよな、と思いつつ、うちだけではないのだな、と少しほっとする。

それから、子どもが約束事を守らないことが多く、その罰としてYouTubeやSwitchを一定期間禁止している、といった話や、そもそもそうしたものには一切触れさせない、という話で盛り上がったり、習い事掛け持ちあるある話などにも花が咲いていた。

私の時代以上に今の子どもたちは、学校でも家でも始終管理監視漬けなのだなと、可哀想になってしまった。




親だってどう生きていくのが正解なのか分からない中で、子どもたちにはずいぶん難しい時代を生きさせてしまっているな、と思ってしまいました。

まあ、それもこれも、決定的に大人が駄目なんですけどね。

4月16日(水)

今日も登校した子ども。

まだまだ分からないことだらけだが、少し軌道に乗ってきたのかどうか。

うむ。

昨日、くたくたに疲れて帰宅すると、風呂に入るから髪を洗ってくれと、子どもが駄々をこねるので、やらねばならない家事を後回しにして渋々承諾したのだが、子どもがふざけて階段を上る途中、自分で脛を打って大号泣し、今度は私ではなく、妻に洗ってくれと駄々をこねはじめた。

新学年が始まって、色々とストレスが溜まるのも分かるのだが、こうした理不尽な対応に、親の心も削られてゆく毎日である。




ちなみに、お昼を少し回った今現在、下校時刻はとっくに過ぎているのですが、子どもが家に帰りたくないと言って、学校に居残っているそうです。

担任の先生には、私と喧嘩中だと説明しているようです。昨晩、私との約束を何度も反故にして開き直ってしまったので、かなり強めに注意したことを「喧嘩中」と言っているのだと思うのですが、今朝は普段通り接していましたし、私が帰宅するのは夕方ですし、いまいち真意を測りかねているところです。

過去に学童クラブで「家に帰りたくない」という事は何度かあったのですが、よりによって学校に居残るなんて思いもよらなかったので、かなり困惑しています。

予測のつかないことばかりで疲弊します。

4月17日(木)

今日も登校した子どもだが、ちゃんと帰ってくるかはまだ分からない。

うむ。

先月のクレジットカード紛失に引き続き、今度はカメラを失くしてきてしまった。

しかも当初は、カメラを失くしたことにも気付いておらず、カメラを見つけてくれた人から「カメラ忘れてない?」と連絡があって、初めて気付いた始末である。

幸いなことに、カードもカメラも紛失先が分かったので、実害こそ無いものの、素面で物を失くすなんて。

どうしたものか。

さて昨日、下校時刻を過ぎても学校に居据わっていた子どもだが、今年度の担任の先生や一昨年度にお世話になった先生とも、ゆっくり話ができたようで、機嫌良く帰ってきたようだ。

夕方には、ご家庭の事情で子どもの友だちが我が家で過ごすこととなり、ついでに夕飯も一緒に食べていくことになったので、家でも朗らかに過ごしていた。

まあそんなわけで、昨晩は理不尽な振る舞いも無く、幸運も重なったおかげで平穏な夜を過ごす事ができたが、今夜はどうなるか。

簡単に油断できないのが辛いところである。




私が小学生時代を過ごした35年前は、今から考えると粗暴で野蛮なところもありましたが、まだ地域社会がかろうじて機能しており、今よりは自由で気楽な部分も残っていたように感じます。

決して懐古趣味ではありませんが、今と昔とどちらのほうが過酷な時代かと問われると、答えに窮してしまいます。

4月18日(金)

今日も登校。今週は無欠席の子どもである。

うむ。

週の前半はかなり不安定で、何度か衝突する場面などもあり、一昨日には帰って来ない事件も発生したが、週の後半はいくつかの幸運も重なり、なんとか落ち着きを取り戻してきたように感じる。

まだまだ課題はいろいろあるが、子ども特有のオチャラケ気味のチョウシイイ感じがなんとなく出はじめきているので、少しだけ安心している。

やはり子どもが楽しく元気にしている姿が一番良い。




今日は1時間前倒しで8時~16時という勤務をしています。

会社の育児時差勤務の制度の使い勝手を試しているのですが、まあ、こんなお為ごかし制度ではなく、早く在宅勤務制度をきちんと整えて貰いたい。

電車は空いていて良いけど。

4月21日(月)

週明け初日も無事登校。

今学年から、新しくクラブ活動が始まるのだが、子どもの選んだクラブの顧問が、あの忌まわしき音楽教諭だったそうである。ただただ不運でしかないのだが、いやさて、どうなることやら。

うむ。

さて昨日のこと。妻の地域サークル活動にくっついていった子どもだが、妻がその足でBTSのライブに向かうというので、私が子どもを引き取りに行ったところ、みんなでランチを食べるところだというので、私も一緒に混ぜてもらった。

子どもをつれて帰る際、サークルの一人の方と同じ電車になったのだが、その方は普段から子どものことをよく気に掛けてくれているようで、子どももよく懐いている感じだった。

電車内でも気軽に言葉を交わしながら、時にはちょっとした助言を貰ったりして、子どももその助言を神妙に受け止めている様子。父子の間では助言を与えた瞬間、無視されるか拒否されるかである。普段では到底考えられない光景を目の当たりにして、素直に感心してしまったのだった。

この調子で、色んな人とどんどん出会い、自分の世界をぐんぐん押し広げていって貰いたいところだが、どうなることだろう。




先ほど子どもが、クラブ活動は意外と楽しかった、と言って帰ってきたそうです。

ひとまず良かったです。本当に良かった。