Diary
4月19日(金)

昨日、子どもの迎えに行ったら、同じ集団にいた少年二人が言い争いをしていたので、それとなく注意を払っていたら、少年の一方が帽子や水筒やランドセルをぶん投げて怒りはじめたので、あれぇまぁ、と思って間に入ろうと思ったら、その少年の迎えに近くまで来ていたお母さんが飛んできたので、あとを任せてその場を去った。

いつも通り、駅前で子どもと子どもの友だちと、友だちのお母さんの帰りを待っていたところ、さっき怒り狂っていた少年とお母さんがやって来て、お母さんの方が、さっきは驚かせちゃってごめんね、と子どもたちに謝った。

なぜ?

その後、〇〇ちゃんも謝りなさい、と少年にも謝罪を促しはじめたので、私の方からお母さんに、別にこちらの子たちへの謝罪は必要ないのでは? と疑問を投げかけたところ、恥ずかしいとこ見られちゃったから、こういうところで女の子にカッコイイところをみせておかないと、と仰ったので、心の底から駄目だこりゃ、と思った。

お母さんと少年が去ってから、子どもたちに向かって、なんだかよく分からなかったな、と呟くと、子どもたちが口を揃えて、いつもああなんだよ、と教えてくれた。

原因はそういうとこじゃないし、そういうとこだよな。




本日から代々木公園で行われる東京レインボープライド2024ですが、初日は強風のため中止になってしまったようです。残念。

レインボープライドは性的指向や性自認にかかわらず、すべての人が差別や偏見にさらされることなく、より自分らしく生きていくことができる社会の実現を目指すアクションですが、特に今年はイスラエルやBDS対象企業のピンクウォッシュが問題視され、「WEAR BLACK FOR PALESTINE」というアクションも呼びかけられています。

我々家族は、子どもの急な心変わりさえなければ、最終日の日曜午後に遊びに行こうと思っています。皆さん会場でお会いましょう!

いや待て、やっぱ日曜は雨っぽいから土曜にするか!?

4月4日(木)

大切な友人の結婚祝に出席し、大往生の祖母の葬儀に参列し、古い友人たちとの宴席を開催し、なんだかんだと忙しなく過ごしていたら、三月はとっくに過ぎ去り、四月も既に数日過ぎていた。

春休み中にまだもうひとつ企画が控えているので、なんだか今年は冠婚葬祭三昧の春である。

うむ。

しかし、久しぶりに日記更新をまるまる一週間もサボってしまったので、どことなくタイピングに重さと鈍さを感じる。

とりあえず今日はここらにしときましょ。そうしましょ。




特筆すべきことなどあまりない、ごくごく平凡な日常生活しか過ごしていないのに、よくもまあ毎日のように日記を更新してきたたよな、と我ながら少し感心してしまいました。

4月5日(金)

今日から一泊の予定で妻子が出掛けてしまうので、私は一人留守番の刑。

週末とは言え、まだ平日なので仕事もあるし、自由になる夕方以降も、明日の予定を考えるとあまり無理もできないし夜更かしもできない。

だからまあ、夕飯は近所で好きなものを食べ、家で少し配信映画でも観たら、久しぶりの自由な夜も、案外あっけなく終わってしまうだろう。

最大限の自由と放埒を謳歌できる夕飯も、あれにしようか、これにしようか、どれにしようかと悩んだ末に、結局、いつも通りの居酒屋に安易に逃げてしまうんだろうな、と容易に予想がついてしまう。

いや待て、そうか! なんかテイクアウトしてきて、家で酒盛りしながら映画鑑賞もありか。それもいいな。そうしよう。

さてしかし、これは進化なのか退化なのか。




一人の時の食事をどうするか。地味でありながらも切実で悩ましい問題です。

4月8日(月)

今日は新年度の始業式。

担任の先生の交代やクラス替えなど、新年度の環境の変化からくる緊張のためか、子どもは先週ぐらいから不機嫌を装って甘えてきたり、傍若無人な態度で注意をひいたり、あの手この手を使って不安を表現している。

そのため新学年の始業式は、環境の変化に敏感な子どもをもつ親としても緊張の一日なのである。

ただし親は、立場的にあまり不安を露わにできないので、静かにじっと待つしかない。

うむ。




四ヶ月近く伸ばしていた口髭と顎髭ですが、とうとう昨晩、あまりにも煩わしいので剃りました。

でも、今度はなんか寂しいので、また伸ばすと思います。

4月9日(火)

さて、懸案の子どもの新年度の諸々の結果だが、クラス替えは仲の良い友だち二人と一緒になり、担任は一年生の時の隣のクラスだった先生が受け持つことになり、劇的な変化というよりは、ごくごく穏当な変化に落ち着いたようである。

とても仲の良い友だちとは離ればなれになってしまったようだが、それはそれで仕方ないと素直に受け入れ、翌日からの変化に少し緊張しながらも、ここはいっちょやっていくか、という前向きな姿勢も垣間見られたので、親の方もようやく胸を撫でおろすことができた。

うむ。

今日から給食がはじまり、弁当作りからも解放され、なんだかんだと色々な安堵が重なったせいで、今朝はついうっかり寝坊してしまった。

見事に弛んでいる。




たかだか二週間ちょっとの春休みの弁当作りでしたが、やはり給食はありがたいです。

何度でも言います。

給食はありがたい。

4月10日(水)

「友だちに嘘つかれて裏切られた!」と言って、泣いて帰ってきたかと思ったら、「明日は友だちの誕生日だからプレゼント作る!」と言って、早々にビーズをぶち撒けて落ち込み、「次の校庭開放は絶対みんなで行くから!」と言って、気持ちを踊らせる。

まるでジェットコースターのように、感情の起伏を目まぐるしく変化させる、新年度の我が子である。

うむ。

もうちょっとお手柔らかに頼みたいものだ。




明日の晩、一人で出掛ける予定でいるのですが、人との会食や飲み会ではなく、純粋な個人の興味関心を動機に出掛けるのは何年ぶりになるでしょうか。もう過去のことすぎて憶えていません。

ドキドキ。

4月11日(木)

子どもの迎えに家を出たのだが、いつも一緒に帰宅してくる子どもたちの輪の中にうちの子どもの姿だけ見当たらず、また何かあったんだな、と見当をつけ、そこにいた顔見知りの子どもの友だちに尋ねてみたところ「まだ学童で〇〇ちゃんと喧嘩してると思うよ」とのこと。

新年度の環境変化の中で、分かりやすく情緒不安定爆進中の子どもである。このまま順当に行けば、次は体調不良か熱を出して寝込むはずである。

うむ。




昨日もお伝えしましたが、今晩は純粋に個人の興味関心のために一人で出掛ける予定なのですが、それに対して自然と罪悪感と自責の念で胸が傷んでしまうぐらいには、これまで子育てに邁進してきたのだなと感慨深く感じているところです。

4月12日(金)

昨晩は終電で帰ってきた。

昨日参加してきたイベントには、期せずして、あの人も!この人も!あんな人まで!? と、個人的に関心を抱いていた人が宝石箱のように集っており、イベント内容ももちろん面白かったのだが、そうした憧れの人たちとちょっとした挨拶を交わすことができて、二重の大満足を得た。

更に期せずして、大学時代の友人も何人かイベントに参加していたので、イベント終了後に一緒に飲みに行き、大学時代のようにああでもないこうでもない、とだらだら喋る感じが懐かしく、ついついけじめなく長引いてしまい、急いで終電に乗り込むという始末になってしまった。

終始スタンディングのイベントだったので、膝にも腰にも疲労がたまり、イベント後の長話のせいで声がかすれ喉には痛みもあり、今朝は寝不足と疲労で頭がぐらんぐらんしている点では、年齢相応の身体的負荷を存分に感じてはいるが、とても力漲る一晩だった。




午後は子どもの学校の保護者会に参加するのですが、居眠りしないよう頑張りま Zzzz…。

4月15日(月)

土曜日の朝。気温が高くならないうちに家の周りの側溝周りの掃除にとりかかる。子どもも一緒に手伝ってくれたため、逆に時間が掛かったが目標通り10時過ぎには完了。

何が面白いのか、我々の作業を近所の爺さんがしばし見物していた。

うむ。

最近、少し強めの雨が降ると、排水溝周りに溜まった泥のせいで雨水が上手く排水できず、道路に大きな水溜りができてしまうので、本格的な雨の季節の前に作業ができて良かったが、結構な筋肉痛がおまけで付いてきた。

午後は友人が祖母にお線香をあげに来てくれると言うので実家へ。友人と会うのはなんだかんだで半年ぶり。超弩級のヘビースモーカーだったが禁煙したそうだ。禁煙に踏み切った友人の行動力よりも、彼を変化させた世の中の変化の方が凄い、というか恐ろしい。

うむ。

友人と別れて新宿のパレスチナ連帯のサウンドデモへ向かい、妻子と合流したのだが、子どもが「本当は来たくなかった」っと訴え、デモに参加したがらないので、そのままトンボ返り。妻子の剣呑な雰囲気を察知し途中駅で下車。公園でお花見しているうちに若干の雰囲気緩和。

日曜日。子どもがお花見した公園にまた行きたいと言うので父子で再訪。トランシーバーや双眼鏡やザリガニ釣りセットを持参して、満を持しての行楽態勢。昼前まで存分に遊び帰途。トランシーバー大活躍。今度は友だちと一緒に来たいとのこと。

昼。子どもはそうめん。私は焼きそば。妻は外出。

午後。子どもは家でまったりしたいと言うので、ごろごろしながらNetflix 三昧を許可。新年度の特別対応。ついでに私も銀河鉄道999を読破。

夕方。子どもが焼き肉を食べたいというので夕飯は食べに出る。隣町の韓国食材店が肉やキムチを卸している焼肉店。前から行ってみたいと思っていたので丁度良い機会。店で妻と合流。

我々はキムチと韓国海苔でビールをチビチビ。子どもはカルビ二皿と白米をペロリ。〆は冷麺。食べログの評価はイマイチだけど、我々にとっては心落ち着く要素が何もかも揃っている理想の店。もちろん味だって申し分ない。

帰りがけに子どもの帽子を購入。メッシュのキャップ。私は尿意を我慢しながら一駅分を歩いて帰宅。

そんな週末。




新年度真っ只中、変化に敏感な子どもの急な心変わりや感情の起伏、粗雑な態度や暴言などなど、今年も我々の忍耐力が試される時期がやって来ましたが、去年や一昨年のこの時期の日記を振り返ると、これでもだいぶ成長しているんだな、と感じることができます。

4月16日(火)

さて昨日の夕方、いつになく上機嫌で帰ってきた子どもだったが、みるみるうちに不機嫌に変貌。

訳が分からないので理由を尋ねてみても、だんまりを決め込んで埒が明かず。

そうこうしているうちに今度は興奮状態となり、身勝手な行動や暴言を繰り返しはじめたので、放っておくことにした。

しばらくして、無視を決め込む私の注目を集めたいのか、はたまた従わせたいのか何なのか、子どもの傍若無人な態度に更に拍車がかかり、ついには物にも当たりはじめる。

うむ。

こういう時に一番大事なのは、こちらが感情的にならないようにすること。論理的に端的に、宥め賺してのやりとりを忍耐強く何度も繰り返して、軟着陸を目指す。

結局、原因は3年生から習字の授業で使用する書道セット。

週末に、妻が大事に綺麗に使っていた書道セットがあるので、足りない物を買い足して使おうか、と子どもと話しをして合意も得ていたのだが、書道セットの申し込みパンフレットを手に友だちがワイワイやっているのを見ていたら、やっぱり自分も新しいのが欲しくなってしまったようなのだ。

うむ。

欲望を刺激されるような環境に直面した場合、子どもが自らの意志でその環境に抗うことは相当に難しいことだと思う。大人にだって難しい。至極当然のことである。だからこそ、その状況を学校自身が作り出していることに疑問を感じざるを得ない。

ただ一方で、週に二度ほどしか使用しない学用品を、生徒全員が個別に新しく揃える必然性はどこにもない。

むしろ、教育的観点からも、時代的要請からも、そうした学用品はリユースないしシェアを基本とした方が良い。教育機関である学校やPTAなどが率先して資材の管理運営をするなら、私も率先して協力したいと思う。

大人が何の疑問も持たずに前例踏襲のまま教育に携わっている限り、常に子どもたちがその犠牲に立たされるという良い例だと思う。

まあ、いずれにせよ昨晩のような騒ぎは、終わりなき感情労働に従事しているようで、想像以上に疲れる。お願いだから今夜は何事も起こらないでくれと思いつつ、騒いでくれたからこそ、公教育の矛盾に気付くという面もある。

春は躓きの季節だ。




去年のクラスでは子どもたちがタブレットのアイコンを自由に変えて楽しんでいたのですが、今年のクラスでは禁止になったそうです。

こうしたダブルスタンダード、いやダブルバインドが、子どもたちに無用な混乱や萎縮や抑制をもたらすのだなと思います。

そもそもアイコンって自由に変えて楽しむためのものですよね。

4月17日(水)

昨日の日記の長さにうんざりした方も多いと思うが、おかげさまで昨晩はなんとか無事に、和やかで平穏な家族団欒を過ごすことができた。

やはり家では寛いだ気持ちで痛いので、できる限りこうした環境を維持できるよう努めたいものである。

うむ。

さて懸案事項の書道セットだが、今あるものに足りない道具を買い足せばいいという合理的の妻の主張と、それよりなにより他の子と違うものを使うのが嫌だという精神的な子どもの主張との間に、解決の糸口がまったくもって見いだせず、まるでネット上で巻き起こる不毛な論争を目の当たりにしているようで、なんとも言えない気分になってしまった。

うむ。

そもそも、無神経さによって実態を見ず、怠慢によって変革を行ってこなかった社会や政治や教育行政にこそ、あなたたちの不幸を作り出している原因があることに気づき与え。

アーメン。




新年度はいつも混乱気味の朝の通勤電車ですが、今年はかつて経験したことのないような混乱を体験しています。

時間をずらしても駄目。路線を変えても無駄。こんなの初めてです。

ここまで酷い状況だと、停滞気味の会社とのリモートワーク交渉を再燃させる必要がありそうです。

4月18日(木)

週明け早々の子どもの一悶着のことはここでも書いたが、連日の通勤電車の混雑と混乱や、季節の変化による寝不足なども相俟って、なんだか今週はとても長く感じるなぁ、と今朝、朝食を食べながらボヤいていたら、今日は木曜だけど水曜と思えば得した気分になれるよ、と子どもから言われたので、「今日は水曜、今日は水曜、今日は水曜」と念じているところだ。

うむ。

まあそんな感じで、今日も阿鼻叫喚の満員電車に揺られて出勤したのだが、今日は駅に停まるたびに「〇〇駅で具合の悪いお客様が ~ ~ 、対応が終わるまでしばらく停車します」と、その都度違う駅名でのアナウンスが流れ、混乱に継ぐ混乱の結果、あちらこちらで犠牲者が続出しているのだな、と実感させられる朝の通勤電車は、紛うことなき戦場なのである。

ちなみに、京都に住む弟から聞いた話では、京都もまた別の事情で阿鼻叫喚の激戦が繰り広げられているようである。




黄金週間が間近に迫ってきていますが、まだひとつも予定が埋まっていません。

とは言え、わざわざ混雑する時期に混雑する場所へ出掛けたくはないので、家でのんびりするか、実家でまったりさせてもらうか、の二択でしょうか。

なんか、コロナ禍以前より人増えてますよね?