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It's a trite expression 氷河期世代の戯言 [Jul. 2024]

小学校4年生の時、父親の新聞配達を手伝ったのが、私の人生で最初のアルバイトだった。

今で言う朝活として、ジョギングのついでに新聞配達を行っていた父が、社会勉強の一環として配達の一部を手伝ってくれないか、と私に提案してきたのがきっかけだった。
配達は金曜日の朝。6時頃に父親が新聞を家に持ってきてから私の仕事が始まる。私の持ち分は家の近所の20軒。自転車で回ってだいたい20分ぐらいで終わるアルバイト。

アルバイト代はひと月に1200円。だいたい1軒15円の計算。割がいいのかどうなのかはよく分からないけれど、小学校4年生で1200円はまずまずの大金だった。バイト代を貰った日は駄菓子屋で大盤振る舞い。
雨の日も雪の日もあったけど、配達自体にはあまり苦を感じず、むしろけっこう楽しんでやっていて、これで小遣いの足しになるならラッキーだな、ぐらいにしか思っていなかった。
ある時、配達中に友だちとばったり出会ってしまい「子どもが働いたらいけないんだよ。なんか困っているなら相談して」と深刻そうな面持ちで言われた。

そういうんじゃなかったんだけど。

何度かそういうことが重なり、学校で噂になるのも面倒だなと思って、結局、6年生になる頃にはやめてしまった。
それから数年のち、晴れて高校生となり、アルバイトが正式に解禁された。

アルバイトは学校の校則では禁止されていたけれど、公立学校だったので規則は緩く、同級生たちもアルバイトに勤しんでいたので、今度は誰にも気兼ねなく高校一年の夏休みからアルバイトをはじめることができた。
今度もまた父親のつてで、とある事務所で紙メディアのデジタル化の短期アルバイト。高校一年の夏休みは、ひたすら時計とにらめっこしながらスキャンに明け暮れ、その合間を見ながら友だちと街や海に遊びに行ったり、女の子とデートをしたりして、けっこう楽しい夏休みを過ごした。

コンビニ、飲食店、スーパーなどなど、定番のものから、探偵、キャバレーなど、少し変わったものまで、様々なアルバイトを経験した。

色々やってみて分かったのは、一人で気楽に働ける配達のアルバイトが一番性に合っていた気がするのは、初めて経験したアルバイトが新聞配達だったからかもしれない。
アルバイト先では、普段出会えないような幅広い年齢や豊富な経験を持った人たちと出会うことができ、今でも記憶に残るかなり強烈だった人が何人か思い浮かぶ。

とても仲良くなった人もいれば、顔も見るのも嫌なぐらいの人もいたけれど、バイトを辞めてしまうと、そのどちらともパタリと関係が無くなってしまうことが、けっこう新鮮な経験だった。

高校生活にあまり馴染めなかった一方、とりあえずお金を稼ぐために人より多めにアルバイトのシフトに入っていたせいで、バイト先の社員から高校卒業後に正社員にならないか、という誘いを受けることも少なくなかった。

その時の社員さんの売り文句も面白くて、学校が嫌なら早く働いちゃいな、というシンプルなものもあれば、うちは親方日の丸だから絶対に安泰だ、とか、人に胃袋がある限り食品関係は食いっぱぐれない、だとか、其々の業種で色々な持論を持った人が働いているのだな、と感心したけど、「日の丸親方」の郵便局は民営化してしまったし、「胃袋がある限り」のイトーヨーカドーは大量閉店に直面している。

そんなアルバイト生活から、いざ就職、というところになって、既に時代は「失われた30年」に突入していて、私たちは氷河期世代と呼ばれるようになっていた。

アルバイトに明け暮れていた私には、まともな就職先は見当たらず、かなり優秀な友人ですら、そんなところに、という感じのひどい状況だったけど、だからって、時代や世代のせいで、今の自分がこうなってしまったんだとは思いたくなかった。

たぶん、同じように思っていた友人はわりと沢山いて、お互いに時間だけはあったので、安い酒場でよく一緒に飲み明かしていたりした。お互い不安だったのだ。

 

今になって、上や下の世代を冷静に眺めてみると、若い頃にあれだけ足掻いたことが馬鹿らしく思えるほど、真面目に生きていくのが本当に馬鹿らしくなる世代に生まれ落ちてしまったのだな、と感じてしまう。

嗚呼、馬鹿らしい。