2006年 2月
2月1日(水)

今日は休みだ。そして、外は雨。

こういう日は、外に出ようなんて気も起きないから、気兼ねなく家の中にいる事ができる。もちろん、こういう事も予想して、昨晩のうちにビデオを4本借りてきておいた。以前からずっと観たいと思っていた映画ばかりだ。その他にも、煙草や飲み物や食料や何もかも、消耗される品は全て予備を用意しておいた。

何の予定もない休みは本当に久しぶりだ。そして、雨の休日も本当に久しぶりだ。やはり、休みは雨の日に限る。久しぶりの雨の休日でも、私の準備は万端である。

職場の方が先月をもって職場を退職した。東京を去り、故郷のSinCityで事務所を開くそうだ。昔から、私が信望する人は私の周りから、例外なく去ってゆく。

次の雨の休日はいつだろうか。

SinCityはGothamCityの隣り町で、犯罪と貧困と暴力、そして、愛が介在する町である。そして、雨が多い。

2月2日(木)

私の祖父は映画「十戒」が大好きで、暇をみつけるとしょっちゅうビデオを回しているし、酔っぱらうとすぐに「十戒」の話を始める。

昨晩も、自らシェイクしたジンベースのオリジナルカクテル(かなり甘い)に頬を赤らめた祖父は例に漏れず「十戒」の話を始めた。「信長」や「武蔵」の物語比べ、いかに「十戒」が優れているかを、祖父なりのボキャブラリーの中で切々と私や祖母に語っていた。

まあ、しかし、ここだけの話、この祖父の「十戒」の話は耳にタコが出来る程聞かされていて、半ば私も飽き飽きしているし、肝心の祖母のほうは、かなりの天然系ばあちゃんなので、なんだか分からないのに、ウッシッシと笑って相槌を打っていて、最早、カオス。大相撲でもやっていれば祖父も静かになるのだが、残念ながら今は休場所だ。耐えるしかないのだ。

ところが、ちょうどその時、これぞ神のお告げか、NHKでイスラエル問題のニュースが流れたのだった。そして、私は祖父に水を向けた。

「いかに優れている物語であろうとも、この物語の為に多くの血が流されている。果たして、それが優れた物語だと言えるのだろうか?」と。

してやったり!

すると、祖父は突然、私には計り知れないほど遠い所に視線を向け、こう言った。

「そうなんだよね、こんなに素晴らしい話なのに、まだ世界は丸まらないんだね。おじいちゃんが生きている内に世界は丸くなるかね」

がびーん!

世界は丸まる!俺が丸める!ぴかぴかに丸める!じいちゃん!こう見えても、俺!泥団子作りは上手かったんだ!地球は丸いけど、じいちゃんの言う通り、世界はまだまだ、ぜんぜん丸くなかったよ。

という事で、私は今日からこのいびつな世界を丸めてゆく。真ん丸に丸めてゆく。とりあえず、自分の周りから、丁寧に丁寧に、優しく優しく、ぴかぴかに。そして、また、世界が丸まる新たな優れた物語を作り出そう。

2月5日(日)

Martin Scorsese監督のインタビュー・ルポルタージュ映画

『Bob Dylan "No Direction Home"』を観てきた。

Bob Dylanの存在や曲は何かと色々なところで取り沙汰されるし、私自身、彼のアルバムは数枚持っている。ただ、映像で彼の姿をきちんと見たり、彼の生きていた(まだ生きているが)時代を知るのはこれが初めてかもしれない。

いや、実は昔、アメリカに行った時に少しだけ彼のドキュメントを見たことがあったのだが、如何せん、字幕など無い英語バッチリの映像だったので、意味も分からず、丁寧なアメリカ人が色々と解説をしてくれても、それも英語、ただ映像を追うぐらいの事しかできなかったのだ。

つまり、これが事実上初めての私とDylanの対峙だったわけだ。

話は変わるが、最近、「何をしているの?」とか「何でそう思うの?」とか「何でそうしたの?」とか「何でそうなるの?」とか。周囲の人々が、なんだか訳も分からない事に理由を見出そうと試みている場面に遭遇するし、実際にそういう質問を投げかけられたりして、私も何でもいいからその理由を見つけ出そうともしていた。人は原理があれば安心するし、その気持ちも分からないではない。

ただ、実際の世界は、そして、私たちは、Bob

Dylanの歌のように、風のように吹かれ、石のように転がってゆく。ただ、それだけなのだ。

まさにNo Direction Homeである。

だから、今度、そんな馬鹿げた原理を説き明かそうとしている人がいたら、私はこう言ってやる。「Bob

Dylanに理由はあるかい?」

自分は自分で探せ!他人に聞くな!

ただ、何か参考が必要であれば、この日記を見ろ!

あと、Bob Dylanの生き様も!

俺はBob Dylanになりたい!

2月6日(月)

「ジュ~シ~トリオ」というコミックトリオを結成する事となった。私の担当は「愛」、つまり、「ラブ」、または、「胸キュン☆」。もちろん、「胸キュン☆」には魅力ある女性キャラクターが欠かせない。

そこで、私は今、「ジュ~シ~トリオ」のコミックに登場させる女性キャラクター確立の為、これはっ!と思われる既存漫画のあらゆる女性キャラクターの模写、またはパクリに奔走している。

既に、綾波レイとメーテルはマスターした。この二人であればどんな角度からでも描ける自信がある。そして、引き続き、今現在はラムちゃんとナウシカをマスターすべく全力を尽くしているところである。

しかし、こんなに頑張っていても、肝心の物語が浮かばない。このままでは、綾波レイとメーテルの絵が上手いだけのオッサンになってしまう。ドラえもんやオバQとは違い、綾波レイを上手く描いても、自慢になるどころか、ただ怪しいだけである。まだ、メーテルなら。。。

頑張る!

2月7日(火)

私の愛する祖母の名は「まき」という。でも、本名は「とし子」である。詳細な経緯はよく分からないが、祖母がまだ若い、20代半ばの頃、「とし子」より「まき」のほうがカッコイイと思って、それから「まき」と名乗っているらしい。

私が生まれた頃、祖母の名は既に「まき」だったから、私の祖母は「まき」である。古くからの友人や親類は祖母のことを「とし子」と呼ぶ。ただ、祖母のことを「とし子」と呼ぶ知人はもう祖母の周りにはいない。私の祖父でさえ「とし子」という祖母の姿を知らない。

祖母が「まき」を名乗ってもう半世紀以上にもなる。でも、戸籍上、私の祖母の名はまだ「とし子」だ。どちらが間違っていて、どちらが正しいとか、そんな事を当てはめるのが妥当なのかはよく分からないが、目の前の事実では、明らかに私の祖母の名は「まき」である。私はそれでいいと思う。

でも、一番の問題は私の祖父である。私の祖父の名は「久造」である。仮名読みだと「きゅうぞう」。でも、近頃、祖父は「きゅ」の発音が面倒になって自分の事を「ひさぞう」と名乗りだしている。それはちょっとないだろ。じいちゃん。

でも、まあいい。名が違うからって大した問題は無い。

こんな大らかな祖父母に育てられた私は、案外幸せなのだから。

2月9日(木)

ある時、ハッと気が付いた。私は孤独なのだと。

そして、この写真を見た時、また、ハッと気が付いた。私の孤独はこの写真と全く同じであると。

でも、この写真を見た時、もう一つハッと気が付いた。

私はそれほど孤独ではないのだと。

2月10日(金)

疲れた。疲れたという言葉以外のメタファーが思い浮かばない。

労働としては週休二日を保っているが、この言い表せぬ徒労感、何なのだろうか。こんな事で、大学卒業後、私は社会人として生き抜くことができるのだろうか。言い知れぬ不安が過ぎる。

社会人としてバリバリ働いている未来像よりも、どこか公園の片隅で、のたれ死んでいる未来像の方が、想像するに易い。

奥歯にできた虫歯が疼く。疲れきった脳みそを奥歯の疼きが更に麻痺させる。歯医者に行かなくては。でも、疲れた。とにかく眠りたい。今は全ての感覚が苦痛だ。泥のように眠りたい。

そして、こんな猫が出てくる夢を見たい。

2月11日(土)

私は煙草を吸う。

そして、その吸殻を、罪悪感も無く、かといって、悪びれもせず、普通に道端に捨てる事を厭わない。悪い事だとは知りつつも、その行為に特別な感情を抱く事は無い。海にでも、川にでも、私は何の躊躇いも無く、煙草の吸殻を捨てるだろう。

おそらく、こんな私の行為を嫌悪の眼差しで見る人は少なくないと思う。それが時代の流れであり、時代の真っ当な方向であるから仕方が無い。そんな事は私も分かっている。だから、できる限り、私は吸殻をその辺に捨てるような事はしないようにしている。

しかし、暖かい部屋にいる事も、こうやってインターネットを見る事も、車に乗る事も、そして、最早、私達がこの地球上に生活しているシステムすらも、この煙草の吸殻の原理と同じ、忌むべき構造にあるのだ。

「平気で吸殻を道端に捨てる人って信じられな~い!」

なんて言っている女子!!嫌うなら、もっと大きく嫌い、大きな問題意識を持つべきだ!なっ!

なんか不公平だもん。

2月13日(月)

左の奥歯は疼くまま、頭痛は止まないし、肩こりもひどい、おまけに、寝不足で、さっき負った左手の小指の傷からは油絵の具のような血がまだドクドクと流れている。こんな事は絶対に言いたくなかったけど、あえて言わせてもらう。私は忙しい。

それは、自分の為でもないし、誰かの為でもない。いや、もしかしたら、自分の為なのかもしれないし、誰かの為なのかもしれない。この忙しさは、その対象が見えずらい。どこかに向かっているようで、どこにも向かっていない。何かがあるようで、何も無い。そんな忙しさ。

私は今、物語を描きたい。自由奔放に東京の空を飛ぶ、ビックリするほど美しい女の子の物語。まさか、その女の子の飛ぶ力がオナラだとは誰もが思わないような、そんな、とびきり美しい女の子の物語を描きたい。

そう、私の望みはそれだけだ。

問題は顔が描けても、身体が描けないという事なのだ。そういう事で忙しいのなら、何ら問題は無い。でも、私は別の事に忙しすぎて、彼女の身体はまだ描けない。つまり、まだ彼女はオナラもできなければ、空も飛べないのだ。

2月14日(火)

「いってきまーす!」と元気一杯に玄関を出て、そのまま庭の小さな倉庫に直行する。その頃は、家族全員働きに出ていて、9時ぐらいになれば、家はもぬけの空だった。最後に祖母が仕事に出かけるのを見計らって、こっそりと倉庫から抜け出し、辺りの様子を窺う。異常が無ければ、そのまま家に入って、それで一件落着。あとは夕方まで、一人っきりの気ままな時間をエンジョイするだけだ。

それが、私の小学生の頃の日課だった。

ところが、ある日突然、その日常は終わった。まあ、ただ単に、学校に行っていない事がバレただけなのだが。

いつものように倉庫に隠れていると、突然、倉庫の扉が開き、目の前には父親が立っていた。父親は私を無言で殴りつけ、無言で倉庫から引きずり出し、無言で私を学校まで連れて行った。

おそらく、あの時、私は一生のうちに泣けるだけの涙を流した。このまま泣き続けて、自分の体がみるみるしぼんで、最後には無くなってしまえばいいと、泣きじゃくった。

20年近く前の話だ。今までずっと忘れていた昔の記憶だ。でも、この記憶が、突然、今朝、甦った。20年間忘れ続けていた記憶が、なぜか今朝、甦った。条件的なものなのか、単なる偶然なのか、そんな事はよく分からないが、新しい昔の記憶が一つ増えたのだ。「新しい昔の記憶」なんて、なんだか馬鹿げてる。でも、それが増えたのは事実だ。

馬鹿げた一日だった。

2月16日(木)

大学の研究室の助手さんで、ちょっとびっくりするような可愛らしい人がいる。本当に人形のような、近くで話していると、目なんか硝子球のようだし、肌の下には真綿が詰まっているんじゃないかなと疑ってしまうような、そんな人だ。たまに学内ですれ違う時は、挨拶がてら、用も無いのに彼女の足を止め、質問をでっちあげては、どこかに縫い目があるんじゃないかと、いつも調べている。

一度、ちょっとした事で、彼女に本気で怒られた事があったけど、なんだか、どうも怒られてる気がしなくって、怒っている彼女の顔を興味深くまじまじと眺めていたら、もっと怒られた。もしかしたら、彼女は大学で、唯一の青春かもしれない。遅れ咲きの青き春である。

さて、そんな彼女から、昨晩、突然連絡が来た。

今は春休み。大学の、しかも研究室の助手から、私に連絡が来る理由は何ひとつ無い。おいおい、ちょっと待ってくれよ~☆といった感じである。素直に打ち明けよう。かなり胸は高鳴ったし、あらゆる淡い妄想が私の背筋を駆け巡った。

しかし、現実に生きている皆さんならお解りだろう。現実はそんなドラスティックには流れない。そして、この連絡も、その例に漏れず現実的で事務的な内容のものだった。実は、以前から、オペラのゲネプロがあったら何でもいいから声を掛けて欲しいとお願いしておいたのだ。そのゲネプロが来週あるという事で、彼女はわざわざ連絡をしてくれたのだ。すっかり忘れていた。

私ももう少し若かったら、こんな平坦な現実を、ドラスティックに巻き返す気概と勇気を持っていたけど、今の私にはそういう力は無い。他人からどんなに励まされようと、どんなに勇気づけられようと、当人が無いというのだから仕方が無い。

そんなわけで、来週、私はオペラを観に行く。プッチーニ作曲、歌劇「ラ・ボエーム」。パリに住むボヘミアン達の自由と希望と理想と愛にあふれる物語。平坦な現実をドラスティックに巻き返そうとする若者達の物語。後に、このボヘミアン達の気風はニューヨークのヴィレッジへと受け継がれ、それは、若者達の大きなうねりとなって、世界を揺り動かした。60~70年代の話である。

もしかしたら、時代にも、人の人生のような青春期といった時期があるのかもしれない。そして、その青春期は時代を新たなレベルへとドラスティックに押し上げる力を持っている。しかし、残念だけど、今は少なくとも青春期では無いようだ。今の私と同じように。

でも、その青春はある日突然、何の前触れも無くやってくる。青春のきっかけは実に無造作に、そして、実に豊富に、私たちの周りに散りばめられ、弾けるのを待っているのだから。

「ラ・ボエーム」でも観て、ちょっと、その青春とやらを弾けさせてみるか。

2月17日(金)

国分寺のアパートがその名を変える、という一報が、今朝、不動産屋からもたらされた。

「たつみ荘」 改め 「たつみコーポ」

あらゆる方向から検証し、あらゆる想像力を働かせても、いまいち、この改名が何を意図したものなのか私にはサッパリ理解できないし、わざわざ不動産屋を介して報告された意味も分からない。

ただ、確実な事は、名前が変わろうとも、私の国分寺のアパートは何がどうひっくり返っても1Kの木造オンボロアパートで、隣りの部屋の関口君はいつも元気に生活し、台所の換気扇はご機嫌を伺わないと回ってくれないという事である。

まあ、しかし、「コーポ」にしたおかげで、とても可愛いお隣りさんが入居してくるなら、それはそれで良い事だ。往々にして、事実とは、意図や理解を超えてやってくるものだしね。それが果報であるならば、私はそんな果報をいつまでも待つ覚悟はある。寝て待たない。起きて待とう。

こんなお隣りさん募集

2月23日(木)

いや、久しぶり。そして、こんにちは。

真平です。

目まぐるしく移ろいゆく世界に揉まれ、たまに落ち込む事もあるけれど、なんとか元気にやっています。

私はここにいます。そして、真平です。

さて、昨晩、渋谷、文化村、オーチャードホール、プッチーニ、歌劇、ラ・ボエーム。素晴らしかった。

何が素晴らしいって、イタリア人マエストロのロベルト・リッツィ・ブリニョーリ(以下ロベルト)が、もう何においても最高だった。ブラボー!だ。

彼のマエストロとしての表現力はもちろんだけど(本当に凄い!)、なんてったって、最終幕の第4幕が開く前に、オケパートを務める東京フィルのメンバーに向かって、「私は今、あなたたちのような情熱と才能に溢れた方々に巡り会えたことを心から感謝しています。さあ、ラ・ボエームの第4幕を、私たちの手で開きましょう。」なんて、もう、舞台よりも劇的なことを平気で言ってしまうのだ。イタリア人。

しかし、私はこういう劇的で、大袈裟な場面に平気で感動してしまう。

ロベルトよ。昨晩はあなたが一番の「ラ・ボエーム」の演者だった。

ちなみに昨晩はゲネプロだったので、ロベルトはデニムにコットンシャツといった出で立ちでタクトを振っていた。それもまた善し。

2月26日(日)

左の上奥歯が疼くので歯医者に行ったら、思いもよらず、左の下奥歯を抜くことになった。もちろん、上奥歯も虫歯の初期段階だったのだが、下奥歯のほうは、最早、歯の根っこまでが虫歯に侵されていて、早急な処置が必要だと言う事だった。

この下奥歯は、以前に虫歯の治療をして、神経も抜き、完全にエナメルコーティングされていたので、虫歯とは無縁だと思われていたのだが、知らず知らずのうちに僅かな側面の隙間から虫歯に侵食されていたのだった。神経も無いので痛みすら無く、自覚症状も一切無かった。

こんなにも唐突に、こんなにも呆気なく、これで私は左の下奥歯を一生失う事になるのだ。

完全に安全圏だと思っていたものが、突然、その根底から存在を脅かされるという話は日常によくあるし、その度に私たちは自らが生活する世界の危さに狂気戦慄するのだが、その事によって、私たちは他人に、そして、世界に対して、いくぶん優しくなれるような気もする。

いや、逆に、その事によって、その辛さによって、他人や世界を貶めようとする人もいるかもしれないが、それはまだ他人事の戦慄でしかないのだ。その戦慄が、本当の意味で、自分の中に起きた時、そして、それが世界の摂理であると理解した時、私たちはようやく優しくなれる。

私は奥歯を失う。しかし、私はその奥歯の分だけ優しさに満ち溢れる。それは本当に些細な出来事かもしれないが、何かを失うという負の結果が、ある意味では、そういった発展的な可能性を含んでいるのだな、と感じる真平であった。

2月27日(月)

携帯電話を変えた。

以前使っていたのは、あらゆる意味で波紋を呼んだソニーのPreminiという、超ちっこい機種だったのだが、とうとう、その形状的な扱い難さに音を上げ、先週、機種変更をした。

ただ、新しい携帯電話は大きくて操作はしやすいし、写真も撮れちゃうので、気に入ってはいるのだが、それ以外の様々な機能が厄介なほどあって、逆に、扱い難いのだ。

おそらく、扱い方次第では無限の機能性を発揮し、携帯電話1つで超快適なアーバンライフを過ごす事ができるのだろうが、それを必要としない者にとって、この永久に目覚める事の無い膨大な機能を備えた携帯電話(これは電話という分類になるのか?)を、ズボンのポッケに入れて持ち歩くこと、それ自体がいかに扱い難い行為であるか。得体の知れない新種の生物を持ち歩いているようで、とっても不気味なのだ。

もうちょっと、その辺、スリムにならないものだろうか。

扱えるから、道具なのであって、扱う以上のものが備わってるって、それは、最早、何なんだ?意味分かんない。

可愛い外見をしているが、その未知の機能が、いつ私に牙を剥くのか。

そんな不安を感じながら、私はこの携帯電話をいつも携帯している。

今、最も不気味な存在だ。アツい!

2月28日(火)

手近な物なら何でも自分で作ってしまう少年だった私は、財布やハンカチやバックや釣竿や木刀や秘密基地まで、色んな物をハンドメイドしていた。今の言葉で言うなら、なかなかロハスな少年だったのだ。

特に縫物系と削り系が得意だった私は、近所の商店街の金物屋と手芸用品屋にはいつも顔を出していて、お店のオバちゃんともけっこうな顔馴染みになり、新しい素材や技術的な指導まで、色々な情報を交換していた。

しかし、この私のロハスライフを支えてきた近所の商店街はどんどんとシャッターを閉じ、だいぶ前に金物屋はマンションになってしまったし、手芸用品屋もタバコしか売らない店になってしまった。

さっき、その元手芸用品屋にタバコを買いに行ったら、おばあちゃんが自販機にタバコをせっせと詰めていた。よく見ると、それは、あの手芸屋のオバちゃんだったのだ。

オバちゃんはおばあちゃんになり、ロハスな少年はタバコを吸う青年になり、商店街は無くなっていた。

もし、時間が、そして、時代というものが、こんな風にしか流れないのだったら、そんなものは止まってしまえばいいと、私は思う。