2006年 9月
9月4日(月)

大学に入ってから、この時期は僕にとって劇的に変化を向かえる時期になっている。僕自身が変化するとか、そういう事ではなくて、僕を取り囲む環境が変化する。大袈裟かもしれないけれど、長期休みを終えて、学生生活にシフトする事って、この歳になるとなかなか大変で、実際に生活基盤も品川から国分寺にシフトするわけだから、結構なエネルギーを使うのだ。

特に、この夏から秋への移り変わりの時期っていうのは、これから寒くなるぞ!というような、ちょっとした気合を入れなければ上手く自分を合わせるこができない。冬から春のような暖かい時期への移り変わりなんて、のほほんとしていれば勝手にやってくるけど、季節が寒さに向かって閉鎖的に移行する時期はこちらがその閉鎖感を大きく取り込まなければ太刀打ちできない。同様に、品川から国分寺への移行も、休業期間の就業生活から刺激的な学生生活への移行もなかなかのパワーを要する。逆の移行なら楽チンなんだけどね。

というわけで、今週の頭から学校が始まり、国分寺市恋ヶ窪での生活も始まったわけで、僕はてんてこ舞でこの環境の変化に対応しようと努力する毎日なのだが、予想以上に変化は大きく、クラスがゼミに変わり、クラスメイトにフランス人の女の子が交じり、早稲田の授業は10月から始まるらしく、僕は大いなるコンプレックスの生活に舞い戻ってきたことを今実感している。

まあ、しかし、こんな生活もなかなか善。なのである。

ただ、こういうメリハリのある変化も今回で終わりだ。

じいちゃんの回復の目途が、ちょっと立ちそうもないので、10月一杯で国分寺から実家の品川へ戻ることになった。本当に束の間の国分寺生活はいろいろと苦労もあったが、それ以上に楽しいことも沢山あった。惜しいが仕方ない。

9月5日(火)

昨日も書いたが、10月一杯で国分寺を去り、品川の実家に舞い戻る。束の間の一人暮らしにも終止符が打たれる。一人暮らしを始めて1年半になるが、ようやく人間関係も出来上がり始め、自分の生活スタイルも開拓し、ここからが面白味を増すであろうこの時期に、国分寺から離れるのはなかなか心残りである。経済的にはだいぶ楽にはなるけれど、その分、失うものもなかなか大きい。

生まれてこのかた、ずっと品川に居付いていた僕にとって、全てがインディペンデントである一人暮らしにはかなりの抵抗があった。今住んでいる所より不便なとこに移動し、しかも、大枚を叩いて苦しい生活をするなんて信じられなかった。経済的にも心理的にも信じられない行為だと思っていたし、何かと理由をつけては避けていた。

ただ、たかが一年半だけど、一人暮らしをしてみて感じたことは、いかに自分が世間知らずで、いかに自分が家族や友人に負ぶさって、いかに自分が口先だけの人間だったかって事だ。インディペンデントが何たるかも知らずに、インディペンデントを語っていた自分を恥じた。

経済的にも利便的にも構造的にも決して有利ではないが、そういった合理的価値観をも凌駕する何かが一人暮らしには存在する。それは、未知の場所に、未知の方向に、歩みを進めて行く面白さだ。何からも縛られず、何にも依存しない、まさしくインディペンデントな自分という存在の発見と挑戦。

これは、やってみなければ分からない価値観であり、踏み込んでみなければ分からない面白さである。だからこそ、志し半ばでのこの戦線離脱はなかなか悔しいのである。まあ、また次の機会をじっくり待とう。

9月6日(水)

夏休みの最後の週末に茨城へ旅行に行った。なぜ茨城なのか?観光地としての知名度的にも、旅行の動機的にも、茨城へ行くという事が腑に落ちない人もいるかも分からないが、理由は至極簡単で、今はもう辞めてしまったけれど、以前、同じ職場に勤めていて、大変お世話になった方々(御兄弟)が現在茨城在住なので、遊びに行ったのである。簡単明瞭にして、揺るぎない動機でしょ?

旅の細かな内容は現在現像中の写真などもあるので、また今度、特集として載せようと思う。ちょっと濃密すぎて、腰を据えないと書ききれないという理由も少なからずありもするが、まあ、またの機会。期待してください。

さて、まあ、そんな茨城旅行、これがとても良かったのだ。今回の旅行に関しての綿密なコンダクトに関しては文句の言いようもなく素晴らしく、それに付け加え、御兄弟の知識の豊富さには圧巻の限り、御兄弟に対しては感謝し尽くせないほど感謝の限りであり、また、それにも益して時期も良かった。夏から秋への移り変わりをこの肌身で感じる事のできる素晴らしい時期。そして、僕自身にとっても、この夏に巻き起こった楽しいとは言えない出来事に対して、新たな一歩のきっかけを作ってくれたような、なかなか素晴らしい旅だったのだ。

僕はこの「旅」を通して感じとってしまった。こういうプロセスこそが「旅」ってやつで、だから、僕らはある日、突然「旅」に出たくなるんだ。本当の「旅」は逃避行なんかじゃない。現実に対する有効な対策なのだ。

「旅」のおかげで汚れた江戸に帰っても、僕はなんとか清らかに生きて行けそうだ。僕なりのお伊勢参り、それが「旅」。

オンリーエド!ゴングジョード!

9月7日(木)

以前、予備校時代のクラスメイトの女の子達が、日陰者だった僕を食事に誘ってくれた事があった。予備校時代の話はこの日記を3年ほど遡れば露にされているので、見て頂ければ話は早い。この僕を気にかけていてくれたこと自体、大変ありがたい話なのである。世界は広く、そして、優しい。また誘ってくれないかな~。

なんて、まあ、その食事の事はとりあえず置いておいて。どんな脈絡でそういう話になったのか忘れたけど、その時、同席した女の子が「20年も付き合っていれば自分の事は大体分かるよ。」というような事を言っていた。もちろん、20歳の女の子だ。15歳の子が言っていたら、ちょっと薄ら寒い。

本当にそうなのか、はたまた、何かの強がりなのか、その真相は分からないし、別に真意を無理矢理暴く必要もないのだけれど、僕はその言葉にかなりの衝撃的を受けた。なぜなら、僕は26年間も自分と付き合っているくせに、自分の事がまるっきり分からないからだ。そして、彼女は僅か20年で自分の事を把握してしまっているのだ。負けた。

よく、「真平君ってよく分からない。」とか「真平は何を考えているんだ。」とか言われるけれど、当の本人が分かっていないんだから、他人が分からないのは当たり前なのだ。誰か僕の事を分かった人がいるなら教えてほしいぐらいだ。僕は何なんだ?誰なんだ?どういう原理で、何が楽しくて生きているんだ?実は馬鹿なのか?鏡に映る自分の虚像を見ながら考える。

よく分かんねえ!

あの時、あの子に、もう少し突っ込んでこの命題について質問しておけば良かった。日陰者は下らない事を気にしてしまい、あと一歩が踏み出せなかったのである。困ったものだ。そして、その不甲斐なさ故に、先の見えない悩みに足を突っ込み、また、自分の訳が分からなくなるのである。

スパイラルは上昇にも下降にも力強く突進してゆく。

ちなみに、年下の女の子から何の衒いも恥じらいもなく「しんぺー!」と呼び捨てにされるのは小気味良いものである。それぐらいの自分の嗜好は把握している。そして、その予備校のクラスメイトたちは皆、僕を呼び捨てにする。

宜しい。

9月8日(金)

若い子たちは劇的に変化する。この三年間、若いクラスメイト達を見ていてしみじみ感じることだ。容姿も内面も行動も、全てが確実に成長している。僕もまだ若い方だけど、やっぱりあれほどの吸収力と可能性にはもう満ち溢れてはいない。若い間だけに存在する能力。その能力があるうちに充分に己を磨いてもらいたいと思う。羨ましい限りであり、頼もしい限りである。

来週のクラスの飲み会では、クラスメイトの成長ぶりと、過ぎ去ってしまった己の青春を酒の肴にチビチビ飲んでいたいと思う。

さて、思い出したようにいつも書いていることではあるが、また、思い出したように書かせて頂く。つまり、それは、うちの大学にはとても魅力的な女の子が多いということだ。本当に多い。夏休み明けに久々に登校してみて改めて感じる。素晴らしい学校だ、と。

一般的な可愛らしさとか、美しさとかではなく、部分的に斗出した何かによる全体の魅力、とでも言うべきか。例えば、目尻。目尻が驚くほど美しい女の子。深く優しい三次元曲面の目尻を持つ女の子。それ以外のパーツは特に何てことない女の子だ。しかし、その目尻の斗出した美しさによる全体的な雰囲気の魅力。これがなんとも言えず魅力的なのだ。僕はこういう魅力に弱い。そして、この学校にはそういった魅力を持つ子が多い。

しかし、そういう魅力的な女の子を目前にして、僕は消しゴムを落とさない。いや、落とせないのかもしれない。僕は中学生以来、魅力的な女の子を見つけると、その足元に消しゴムを落とすことで、きっかけを作っていたのだ。古い手かもしれないが、これがなかなか効果的なのだ。あたかも自然に、あたかも事故を装って、相手の懐に侵入する。消しゴムというところがミソなのだ。落としてもどこへ行くか分からない消しゴムが足元に偶然、これを運命と呼ばずして何と呼ぶ。消しゴムを拾い上げる女の子はすでに運命の虜となっているのだ。

もちろん、その裏には血の滲むような努力がある。どんな消しゴムでも、その凹凸と反発を計算し、確実に所定の場所に落とすことができるようになるまでには相当の努力が必要だ。そして、その鍛錬を乗り越えて、僕は消しゴムマスターとなった。消しゴムを制するものは、恋を制す。

しかし、若い頃に、そんなことばかりやってたから、僕はこんな不甲斐ない大人になってしまったのだな。は~、もっと有意義なことに努力しておけば良かった。

9月11日(月)

諸事情により、今日一日、じいちゃんの面倒をみていなくてはならなかった。退院してからもう2週間、ある程度順調に回復しているものの、あと一歩、あともう少しというところで、その回復がパタリと途絶えてしまっている。何と言えばいいのだろうか、簡単に言ってしまえばある種の「気力」が回復しない。体調が良くなろうが、記憶が戻ろうが、「気力」というのは回復の一番の要であり、これがどうにもならなければ、やはり、なかなか難しい。

まあ、そんな最中の御守りであったわけなのだが、僕自身としても、未だ至らないじいちゃんの回復の解決策、その何かしらの手がかりでもつかめればと思い、じいちゃんを散歩に連れ出したのだった。

もともと、ウチのじいちゃんは外に出るのが好きなほう、いや、むしろ放浪癖なのでは?と思われるほどのバカボンドで、日本国内はおろか、世界中にその漂泊ぶりを発揮し、その決断も凄い。ある日、突然、ナイアガラを観に行ってくる!とか言って出てっちゃう感じだ。だから、少しでも変化の感じられるように散歩に連れ出したのだ。

しかし、散歩に連れ出すも、なかなか要領を得ない。以前なら、すぐ近くの八百屋に買い物に行くにも、道端に生えてる草だとか、ちょっとしたポスターだとかに気を取られて、延々帰ってこないような道草のプロのじいちゃんが、今はスタスタと、何にも目もくれず、ただ散歩というプログラムをこなすのみなのだ。以前の散漫さや余裕が全く無い。やはり「気力」が無いのだ。さて、どうしたものか、こちらも色々と水を向けてはみるものの、なかなか思うようにはいかず、結局、家路をたどることに。

しかし、そんな無気力のじいちゃんの足が第一小学校の前で突然止まったのだった。そして、僕に向かって

「真平くん、おじいちゃん、この小学校で花を育ててるんだよ。」

[  は ? 」

「ちょっと見てくかい?」

「いや、勝手に入っちゃまずいでしょ。」

僕がそう言うのも聞かず、じいちゃんはテクテクと構内に入っていったのだった。じいちゃん?この後におよんで、とうとう血迷ってしまったのか?小学校に無断で入るということよりも、僕はじいちゃん自身の訳の分からない言動に不安を感じてしまったのだった。

ズンズンと校舎内に侵入するじいちゃんの背中を僕は何とも言えない気持ちで見つめる。この第一小学校は僕の母校だ。まさか、こういう形でこの母校に帰ってくるなんて夢にも思わなかった。哀しさ、侘しさ。

すると、明らかに小学校には異質な老人の姿を見とめて、学校の主事さんがじいちゃんに駆け寄る。それに気付いた僕もじいちゃんのもとへ駆け寄り、事情を説明する。

「すみません、ちょっと病気なもので。」

「そうだったんですか、だから最近、見かけなかったんですね。」

「   え ? 」

「いや、先生が来ないから花の元気もなくてね。」

「  はぁ  ?」

そんな?マークだらけの僕を尻目に、学校の主事さんとじいちゃんが親しげに話を始める。な?なんなんだ?そして、そんな、戸惑う僕に、じいちゃんが

「じゃあ、真平くん、ちょっと花の様子を見に行こうか。今日は友達も来てるみたいだ。」

「  はぁ   」

最早、そこには病気のじいちゃんの姿はどこにも無かった。気力と余裕に輝く瞳が僕を見据えている。校庭に出ると、ちょうど運動会の練習をしていて、じいちゃんの姿を見つけた小学生の何人かが「こんにちは!」とじいちゃんに挨拶をし、じいちゃんは片手を上げてそれに応える。

な!なんなんだぁ!?

じいちゃんの話は狂言でも何でもなく、実際、第一小学校でずいぶん昔から花を育てるボランティアをしていたらしい。そして、ボランティア仲間の方々もじいちゃんの安否をずっと心配していたそうで、今日の突然のじいちゃん来訪に、皆さん大手を振って歓迎し、喜んで下さった。

フラフラしているようで、確実に自分の空間を広げていたじいちゃんには驚かされたし、今日の出来事によって驚くべき回復を遂げたじいちゃんの姿にも驚かされた。いや、良かった。

真の意味で自分を活かせる場。

病気からの回復に限らず、そういうものは人間にとって掛け替えのない、そして、絶対に不可欠なものであると感じさせられた。そして、そういう場が今の僕らにとって、そして、じいちゃん達にとっても、いかに少ないことか。考えさせられる今日一日であった。

しかし、じいちゃん。なかなかやるじゃねぇか。

俺も小学生から慕われる大人になりたいぜ。

9月12日(火)

火曜日は早稲田の授業がある日なのだが、我が大学が9月の頭から授業が始まるのに対して、早稲田は10月から後期授業が開始されるらしい。だから、今のところ火曜日は何もないのだ。学校でも実技課題が出されていないので、本当の暇人。

ふむ。

3年も後期。いろいろと考えなければならない時期だが、なかなか前向きになることができず、なんだかんだと理由をつけては、その設問を回避し続けてきた。しかし、今日のような予期せぬ休みに何の予定も立てていないと、否が応でも、そういう将来に対する荒波が怒涛のごとく押し寄せて来て、まだ腹の据わらない僕のわき腹にしつこくアタックしてくる。

うげ。

僕は何をしたいのか?僕は何をしているのか?何のために美大に入ったのか?何のために生きているのか?何のために人間はあるのか?答えは至極簡単だ。何のためでもない。ただ、あらゆる偶然と、多少の意志が働いて、僕は今、ここにいる。でも、現実はこんな答えでは通用しない。そこには何らかの理由が必要で、僕らはいつも何かしらの理由を用意していなければならない。

は~。

めんどくさい。だから、今日は元気一杯、中華街にでも行って、フカヒレだの、ワタリガニだの、アワビだのを食べるのである。中華料理最高!

しかし、福満苑の陳麻婆豆腐はそんな甘っちょろな俺に思い切りアッパーパンチをお見舞いしてくるのだった。辛さに痛みを感じたのは、これが初めてだ。中華料理も喰えないほどに、俺は甘っちょろくなっている。

麻婆ぁああ!!

9月13日(水)

何を隠そう、以前にもお話したとおり、今日はクラスの飲み会で、僕はその飲み会に参加した。そして、宣言していたとおりクラスメイトの成長ぶりを酒の肴にチビチビやっていたわけだが、しかし、そんな飲み会も、今、まさに終了し、余韻を楽しみながら駅でモジモジしているクラスメイトを尻目に、僕は「ちょっと一人で飲みに行くわ」と別れたのだった。そして、今は独り侘しく、漫画喫茶でこの日記を書いている。

イマジン。想像して欲しい。

2次会があろうともその体力が無い。かと言って、そのまま帰っても上手く寝れそうに無い夜。何か、ワンクッションが欲しいかった。そして、漫画喫茶に足が向く。しかも、体裁を繕うために、変な嘘までついて。

この哀しさを哀愁と呼んだら駄目かい?レノン?

しかも、漫画喫茶では「ホットロード」を読んでいたんだ。

9月18日(月)

御無沙汰続きの真平です。どうも、御無沙汰。さて、何から書けばよいものか。うむ。どうしたものか。

ふむ。

そう。ちょっと以前に僕の中で流行ったシンクロニシティについて、最近、僕の身の回りにおいて、具体的な出来事が起きたので、ちょっとここに書きたいと思う。

我がクラスに遥々フランスから留学生がやって来たことは以前にも書いたと思う。名はジェニファー、姓はコーベン。本当にフランス人か?という問題はひとまず置いといて。髪の色も目の色も、穏やかな栗色に輝く、なかなかキュートな留学生である。

そして、そんなジェニファーの歓迎会が先週の木曜日、ゼミの研究室でしめやかに催された。午前中からビールを開けて、試行錯誤のお好み焼きを焼き、それはそれは温かな歓迎会となった。もちろん、しめやかに執り行わなければ、ちょっと問題になるからだ。

さて、話は急に変わるが、次の日、僕は実家に戻るため、西国分寺から中央線に乗り込んだのだった。昨日の歓迎会を回想しながら、実家までの長い長い道のりを辿る。面白かったこと。興味深かったこと。恥をかいたこと。心温まること。色んな場面が頭を過ぎる。

あ~、ほんと、楽しかったな~、なんて、なかなか良い家路を辿っていたのだ。がっ!しかしっ!重要なことをっ!俺は忘れていたっ!ジェニファーをデートに誘うことを忘れていたのだ!あ~、も~、な~。迸る後悔と押し寄せる未練。

しかし、その時、悩める僕を呼びとめる声がっ!はっ!

「インペイ!」

顔を上げると、そこにはジェニファーがいたのだった。

シンクロニシティ!ユング!

そして、僕はジェニファーをデートに誘うことに成功した。場所は秋葉原。いや、むしろ、誘われた。「インペイ ハ オタク デスカ?」それがジェニファーの僕に対する全てだ。こうなったらオタクにでも何でもなってやるぜ!ま~っ!

9月19日(火)

今日は火曜日。早稲田がまだ夏期休暇中なので授業も無く。午前中にあるとされていたゼミの集まりもジェニファーのガセネタだと判明し(っていうか、留学生に学校の情報を頼ってどうするって話でもあるが)。僕はまたもや急な休暇を言い渡されたのである。

仕方が無いので、先週、満福マスクの町田君(サウンドクリエイター兼キッチンドランカー)が言っていた「月曜日の図書館には可愛い子がいる」というネタの裏付けに行ってきた。ホントに仕方が無い苦肉の策である。

町田君の話では、小泉改革の一つの荒波が、ここ品川にもようやく波及してきていて、最近、品川区内の図書館でも派遣会社への業務委託が開始されたようなのだ。官から民への典型である。図書館利用者に対しても今までの無愛想な対応ではなく、かなり立派な対応をされるので、お金も払っていないのに、なんだかおこがましい気分になってしまうそうだ。なかなか。

そして、その提携派遣会社から派遣されているアルバイトの中に可愛い子がいるらしいのだ。しかも、月曜日に限って。なかなかレアだ。このレアさと図書館という舞台によって、また、魅力が倍増しているという説もあるが、まあ、小泉改革にも思いがけない効能があったものだ。意図したのかは別にして。

まあ、そんなわけで、図書館に向かった僕は、途中、重大なことに気がつくのである。そう、今日は火曜日なのだった。は~あ。何やってんだか。まあ、今日が月曜日であって、その可愛い子がいたとしても事の下らなさはなかなか明白ではあるのだが、ちょっと、今日の下らなさは痛かったなぁ。

仕方がないので、今度、うちの大学にやってくる島田雅彦の「妄想人生」と、柳田国男の「海上の道」を借りて帰ってきたよ。

さて、そんな不甲斐なさを抱えつつ、柳田国男の「海上の道」を読んでいたら、ついうたた寝をしてしまった。そして、夢を見た。

飲み会の場でシマリスを手渡された。どこか身体の調子が悪いらしく、シマリスは辛そうな表情を浮かべている。比喩ではなくて、本当に、ディズニーアニメに出てくる動物達のような表情の豊かさで、シマリスは顔を歪めている。そこで、僕はシマリスの身体に傷でもあるんじゃないかと思い、シマリスの身体の隅々を触ってみた。右下の腹部を親指で触った時だった。突然、シマリスが反応した。シマリスの痛みが僕の左手にも伝わってくるようだった。いや、僕は左手の親指の付け根の膨らみの部分をシマリスに噛まれてしまったのだ。

飲み会に参加していた周りの友人達が驚きの声を上げる。しかし、僕はいたって冷静に、シマリスを左手から外す。傷口から血がにじみ出る。バイ菌が入ってしまってはいけないと思い、傷口の周りを圧迫し血を絞り出す。すると、血に混じって植物の種が傷口から現れる。

不思議に思って、傷口をもっと圧迫してみると、プチプチという感覚と共に、次から次へと傷口から植物の種が現れるのだ。押し出しても押し出しても種は無数にこぼれ落ちる。種が手のひらを移動するプチプチした感覚と広がる傷口の痛みの中で、僕はある事に気がつく。そう、明日、この僕の体内の種は発芽するのだ。

そして、夢から覚めた。

今日一日で、一番楽しかった。まあ、寝ていたんだけどね。

9月19日(火)

いやぁ、面白い。火曜日の夜の「円谷劇場」は本当に面白い。前回までは「怪奇大作戦」、前々回は「ウルトラマン」、そして、今、放映されているのは我らが「ウルトラセブン」。

円谷プロの中でも「ウルトラセブン」はかなりの名作だ。主題歌や設定やキャスト、そして、怪獣や宇宙人のデザインに至るまで、何もかもが抜かりなく、あまつさえ、常に僕らの想像の上をゆく展開を用意していてくれる。最早、見た者は骨抜きだ。

まったく、円谷プロはどうして、こう、いつまでも僕らの心をつかみ続けるのだろうか。本当に。テレビ番組を待ち遠しくしてるなんて何年ぶりだろう。みんなも火曜の夜は円谷劇場を見てくれ。オススメだ。見てない奴はクラスの話題に置いていかれるぜっ!

アンヌ隊員はいつ見ても可愛い。

9月20日(水)

今日は明日の授業の為に、自身のポートフォリオを作成していた。ポートフォリオ。つまり、自分の今までの作品集だ。美大だと、このポートフォーリオが就活などで役に立つ。履歴書より、資格より、何よりも、ポートフォリオ。これに限る。

さて、何か物を作ることに携わっている方ならよく分かっていただけると思う。適度に良いものっていうのはいくらでも作れる。ある程度の構成力と、ある程度の技術があれば、その辺のお店で売っているようなものは簡単にできる。まあ、そういう物のほうが、世の中ではもてはやされるし、作るほうも楽で良いのだが、しかし、そんなものでは俺が満足しない!

お洒落だね~。可愛いね~。センス良いよね~。

そんなもんはいらん!お洒落で可愛くてセンスの良いものほど禍々しいものなんてない!地縛霊が憑いてるに違いない!ウンコ!

でも、そういうウンコなものからなんとか殻を破ろうと、いつも、必死に試みてはいるのだが、その大半は本当のウンコのようなものしかできあがらない。だが、そのウンコの中にも、時々、砂金のような輝きが眠っていることがある。だから、僕はそのウンコから出た砂金の蓄積によって、恐ろしく鈍い輝きを放つ何かを作りたいんだ。それは、もう、なんていうか、地縛霊のような。

は~、物作りって難しぃ~。

ん?ポートフォリオ?どうなったかって?

ウンコだね。ウンコのポートフォリオになっちゃった。ウンコみたいな会社にも受からないと思うよ。うん。

9月21日(木)

後期から授業が激減して、学校に通っていてもあまりやることが無い。仕方ないので、煙草を吸ったり、猫をかまったり、ジュースを飲んだり、このホームページを更新したりして暇を潰している。いや、厳密に言えば、授業は無いけれど、やることは色々とあるのだ。しかし、10月に控える引越しの事を考えると、気分的に本腰が入らない。引っ越して、落ち着いてからからやればいいかと。

でも、そういう事を繰り返していくうちに、きっと僕は民主党に票を入れるような、リベラルぶった普通のおじさんになってしまうんだと思う。

9月22日(金)

掲示板にもちょっと書かれていたと思うが、他のゼミの課題に俳優として参加する事になった。このゼミは僕も一度授業を受けたことのある川口先生という舞台美術(主にオペラ)や映画美術(主に伊丹映画やNHK)に携わる先生のゼミで、今期一杯かけて一からドラマを制作し、みっちりとその技術やノウハウを勉強する、なかなか面白いゼミだ。

事実上、ゼミを掛け持ちするようなものなので、なかなか大変ではあるが、もともと第二志望だった川口ゼミに携われることは本望であるし、このゼミに参加している子達も、なかなか禍々しく、それでいて溌剌とし、しかも大いに気持ちの良い人柄の集まりなので、とても楽しみだ。

ただ、ネックは台詞だ。

頓挫してしまったものではあるが、以前、映画に出演することになっていた際も、台本の読み合わせではなかなか苦労をしたし、その前の映像作品「闘え!学ランソルジャー」でも僕の大根役者ぶりはかなり発揮されている。ライブの時も、何度も歌詞が飛んで「フ~ン♪フッフ♪」と鼻歌で誤魔化す始末だ。

ニュアンスまでなら憶えていられるんだが、具体的な言葉までが上手く覚えられない。はて?どうしたものか?ならばニュアンスを口で発してみるか?いや、それは川口ゼミではなく、僕の所属する小竹ゼミの領域だ。

なかなか棲み分けが難しいところである。

「ボクは昨日まで時計だったんだ」

小竹信節

こんな風に言い訳ができたら、きっと楽しんだろうけど、うちのゼミの小竹信節は本当にこういういい訳をしたりするから困る。

9月23日(土)

ついに、マイコンを買ってしまった。

HD64F3664を装備したマイコンモジュールAE-3664FP、それと、ROM書き込みとI/Oポートの機能を兼ねたTERA2ボード。しめて、\2300。軽く飲みに行った時ぐらいの値段だ。ただ、料金は同じでも、一方は制御をし、一方は開放を目的とする。なかなか複雑な気持ちだ。

さて、マイコン。マイコンとの出逢いは僕が中学生の頃、選択科目の技術の授業の際に使用した。当時、選択科目と言えば体育系や英語系の授業が人気を集めていたが、僕の周りの友人はこぞってこの技術の授業を選択したものである。そして、僕らはこぞって技術教室から色々な道具を盗んだ。紙ヤスリからハンダゴテからノギスからストリッパーから回路テスターまで。そして、その盗んだ道具を拷問に使っていた。友人の腕を紙ヤスリで磨いたり、ノギスでチンコの太さを測ったり、ハンダゴテで髪の毛を焦がしたり。それはもう、実験三昧であった。

話を戻そう。

その技術の授業は、駆動模型をマイコンに入力したプログラムによって自由に動かすという事をやっていた。ただ、授業では、1秒間行進、2秒間停止、1秒間後退、を繰り返すような基本に忠実なプログラムの実行を目的でやっていたが、その当時、僕らは既にアーティストだった。

本来、制御が目的であるプログラムを逆手にとって、僕らはあえて出鱈目なプログラムを入力していたのだ。つまり、あえて制御を放棄したのだ。なんとアーティスティックなのだろうか。しかし、こんなことをしても、大概はウンともスンとも動かないことが多い。でも僕らは根気よくこの作業を続けていったのである。そして、ある日、とうとう僕らマッドサイエンティスト達は驚くべきプログラムを作り出してしまったのだった。

そう、それはダンスを踊りだすプログラム。正真正銘のロボットダンシングを僕らは目の当りにしたのであった。

あれ以来、僕はどこかであの感動を欲していた。そして、ようやく僕はあの感動を再び享受するべく動き出したのである。合言葉は無制御!

9月24日(日)

今日は一日拘束されていた。拘束されていたと言っても、別にSMプレイに興じていたわけではないし、拉致監禁されていたわけでもない。ただ、資本主義の網に絡め取られ、余剰価値をチュウチュウと吸われていただけの話だ。つまり、仕事だったのだ。

さて、最近、僕の周りでは失業がちょっとしたブームになっている。今、思い浮かぶだけでも5人ぐらいはいる。だいたい僕と歳も変わらない。26歳前後だ。社会的には働き盛り伸び盛りの時期である。

失業した理由は様々で、自分の意志で職場を去った者、職場の方から去ってくれと通告された者、職場自体が無くなってしまった者。様々。失業してからの行動も様々で、必死に次の就職先を探す者、日銭が稼げる程度のバイトをする者、ただただ悩む者、全く何もしない者、オナニーに明け暮れる者。様々。

ただ、不思議なことに、失業者した友人達は口を揃えてこう言うのだ。

「何かしなくては!駄目になる!」

気持ちは分からなくも無い。もともと一般的な視点で生きていた、つまり、真っ当に働いていた人達だから、突然、何もしなくてもいいとなると不安も感じるだろう。自分だけどこかにぽつねんと置いていかれた気分にもなるのだろう。

しかし、そういう点では僕はエキスパートだ。高校以来の置いてけぼり経験値であれば、おそらく、ちょっとやそっとじゃ僕を越える者はいないだろう。どれだけ孤独を感じ、どれだけ焦り、どれだけ他人を嫉み、どれだけ不甲斐なかったか。何かやることと言えば、東京タワーをグルグル回ったり、多摩川を下流から上流から行ったり来たり。当時の愛車のSRで終わりの無い直線運動と回転運動をひたすら繰り返すぐらいしかできなかったのだ。あの当時のバイクはもう売ってしまったけど、たぶん、あのバイクを買った人は僕の怨念で事故って死んでいると思う。それぐらい大変だった。本当に、今考えるだけでも、あの頃の自分を抱きしめてやりたくなる。それぐらい惨めな時をずっと過ごしてきたのだ。

しかし、見てくれ。今の僕は魅力に満ちている。むしろ、あの当時の負の時間が、今、ようやく磨き上げられ、妖しい輝きを放ち始めているのだ。

それを、人はエロスと呼ぶ。

だから、人間、何もしなくても駄目にはならない。むしろ、そんな目先の不安に突き動かされ、適当な職に安住して不平不満を言い、何にも気が付かずに生きていくぐらいならば、1年ぐらい何もしないでぐっと堪えていた方が、よっぽど深みを持ったコクのある人間になれると思う。それに、人間は何もしなくても、必ず何かしちゃってしまう俗物なのだ。本当に何もしないという境地に立ったのは仏ぐらいのものなのだ。その辺は安心するべきだ。まあ、涅槃の境地に達したなら、それはそれでいい事ではないか。

とにかく、自分の目先の不安を穴があくほど見つめることが不安を解消する最も有効な策である。不安が解明できなければ、解消も解決もできない。そして、こういう、根本的な諸問題の解決へのプロセスは、今、この国では一度ドロップアウトするしか経験する機会が無い。つまり、この日本という国は、逸らしたり、煽ったりこそするが、根本的な解決策を何も持たない、いや見出せない集団が形成する国なのである。そんな国の常識や一般概念がどれだけ恐ろしいものであるか。

エロスに向かって突っ走れ!これほど良い機会を逃すな!

この先、モテることを保証されたようなものだ!

9月25日(月)

我が国分寺は、この時期になると、金木犀の甘い香りに包まれる。それはもう、金木犀の瘴気と言ってもいいほどに香りが充満しているのだ。そして、その香りと対になって、この時期、曼珠沙華が見事に赤い花を咲かせる。まるで、金木犀の香りを養分としているかのような艶やかさで、その炎のような花びらを開花させる。

この国分寺は、この彼岸の時期、この艶やかな植物らによって、彼岸に達するのだ。

9月26日(火)

一見すると非情な奴だと思われがちな僕ではあるが、実はこう見えてなかなか人情深いところがある。自分で言うのも変なのだが、まあ、少なく見積もっても、あの黒い制服を着た国の番犬の方々よりはよっぽど人情に溢れていると思う。

今朝、アパートの前に止めておいたバイクが、何の警告も無く、突然、駐車違反の切符を取られていた。駐車禁止区域でもない住宅街のど真ん中で。駐車違反の内容は、側道から4、5メートル離れて駐車をしていた為。とのこと。バイクはいつも道の端に止めているので、始め「4、5メートル離れて」という文言をうまく理解できなかったが、要はこういうことらしい。(下の図を参照のこと)

道の逆側の端から測ったのだ。車やバイクは左側走行であるから、バイクを置いた向きを考えれば、確かに側道からはみ出しているように解釈することも可能だが、5メートル幅ほどの道でこの解釈はちょっと無理がある。

しかも、もう一つ驚くべきことは、この取締りが何の予告も無しに深夜の1時に行われている点だ。閑静な深夜の住宅街で、このあまりにも横暴勝手な取締りを行っている警察官とは、最早、火付けや強盗と変わらないではないか。実際に金を取り上げるわけだから。

僕だって、道理あることで責任を負うならば、それはもう、きちんと責任を取らせてもらうし、今までもそうしてきた。しかし、今回の件に関しては流石に納得がいかない。もちろん、この違反切符を切った警察官にも直接電話で話したが、「私は取り締まる側で、あなたは取り締まれられる側だから解釈が違う。狙い撃ちしたわけではない。」と、全く要領を得ない。つうか、なんか怪しい。なんでわざわざ「狙い撃ち」とか言うのだろうか?狙い撃ちしたのか?もちろん、今朝、駐車禁止を取られていたのは僕のバイクだけだった。狙い撃たれたのか?

古来より、市民の生活を根本的に脅かしてきたのは往々にして「信頼」や「正義」という言葉を身にまとった者たちなのだ。そして「信頼」や「正義」の名の下に行われていることはかなり禍々しい筈なのである。

ということで、私、真平は、今回の駐車違反に関して、家庭裁判所に不服申し立てさせて頂きます!こんな事がまかり通る世の中になってしまったらまずい!

9月30日(土)

何が原因か分からないが、この一週間はとても忙しなく時が過ぎ、たまに落ち着いたかと思うと、それは、ただ、何かしらの予定が私の中から忘却の彼方へと、優雅な旅に出ているだけだったりする。だから、ちょっと一服などと思っていると、すぐに電話やメールが鳴り響き、色々な予定が忘却より遥々帰っていらっしゃる。結局、私はめくるめく時間とめくるめく空間の旅へと押しやられ、その果てしないメビウスの永久運動の中へと投身する。

しかし、そんな時、なぜかジェニファーによく巡り会うのは、ジェニファーがあまりにも暇を持て余しているせいなのか、私があまりにも忙しなく動き回っているせいなのか、はたまた、見えない赤い糸のせいなのか、それ以外の避けようの無い運命なのか。それは誰にも分からなく、交わす挨拶は「Ca va ? Qu'est-ce que vous faites ?」

ただ、その異国の挨拶が、ほんの一瞬だけ、私をメビウスの永久運動から離脱させる力を持つのは、ジェニファー本人の力なのか、唯物論の国の必然か、はたまた、唯の偶然か、幻か。

まだ、私には見抜く力が無い。