死ぬまでが見通せる、長く、真っ直ぐなレールを進む毎日。
レールを踏み外すような能力や才能も無く、ただただ、そのレールを死に向かって突き進む。奇跡だけが唯一の希望の毎日。そんな毎日に私はほとほと嫌気がさしていた。
そんな時、友人からメールが届いた。
「来月までに完成させよ」
そう、私は有無を言わさぬこういう依頼を待っていたのだ。日陰者のクリエイターは、強制力に富み、もっとも自分を発揮できる日陰でのクリエイトを好むのだ。
みなさん。
私がサポーターを勤めるアートイノベーション。
「NiAMaDaNMo」にご期待下さい。
南米で発生した大地震が、太平洋を跨ぎ、極東の小さな島国に津波として到達した。
ちょうど大地震が発生した時間。私は何も知らず、九十九里から太平洋を臨んでいた。
それから24時間後、九十九里に津波が到達したわけだが、それから2日を経た今日、そんな事を朝の電車で考えていたら、地球の裏側の地震を何だか妙に身近に感じ、ざわっとした。
本当に行き詰った感がある。ちょっと限界である。
何もかもが気に入らない。反抗期である。
遅咲きの反抗期はちょっと手に負えない。当たるものもなければ、他人のせいにもできない。結果だけがモノを言う。孤独な反抗なのである。
だから、酒でも飲もう。そして、善策を思慮し、黙して行動するのみだ。
孤独にして静かな反抗なのである。
このページも、なんだかダラダラと続いてしまっているが、そう考えると、最近、ダラダラと続けているものがけっこうある事に気が付く。
ただ、ダラダラ続けていても、このページのようにきちんとストックされていると、下らない内容でも、有用なこともあるものだ。
続けることと、記録すること。続けて記録することによって初めて、その価値が分かる。無価値さも同様だ。
まだまだ寒い日が続くが、みなさん体調など崩されていないだろうか?
私のほうは、体調はなんとか大丈夫なのだが、毎年恒例のメランコリアに突入してしまった。いつも移動中に音楽を聞いていたのに、最近はラジオに切り替えざるを得ない。人の温もりが近くに感じられないとメランコリアサイドに堕ちてしまうのだ。
暗黒の帝王ならぬ、憂鬱の帝王でも目指そうか。
しかし、ナイーブな少年から青年を経て、とうとうオジサンになってしまったが、メランコリアに磨きがかかっていることは事実だ。
寒い寒いと思っていたら、雪だ。
まったく。
積もった雪に足を取られないよう家路を急ぐも、気が緩んだ瞬間滑ってしまい、なんとか転ぶことは免れたが、我慢していた小便をちびってしまった。
まったく。
小便も凍る寒さの中、足早に家を目指すも、家ではネズミ騒動が勃発しており、小便をちびったままネズミを追う羽目になる。しかも、取り逃がす。
まったく。
今、ようやく落ち着き、この日記をちびったまま書いている。
生活というのは何よりもドラスティックである。メランコリックになる暇がない。
まったく。
帰りの電車。誰に向かって言うわけでも無く、気弱なおじさんが大声で文句を叫んでいる。叫ぶだけでは飽き足らず窓をしきりに叩き始める。壮絶な自己主張である。
乗車客は次々と別の車両に乗り換え、車両にはおじさんと私の二人だけになる。すると、おじさんは不思議と静かになる。
また乗車客が増え、おじさんの自己主張が始まる。
しかし、電車は車両を換えることもできないほど混み始め、向いに座っていたおじさんの姿が人混みに埋もれていくと同時に、おじさんの自己主張も埋もれていく。
おじさん。俺も一緒に叫んでやろうか?
気弱な者同士、団結するかい?
三十路には三十路のロマンスがあるのだ。と、最近信じている。生活感丸出しの淡い恋慕が三十路にはある。十代や二十代の時にはできない、淡く切なく大胆なロマンスだ。
さて、最近、私は気がついた。案外、私はエレクトロミュージックが好きだったのだ。今まで意識しなかったが、MP3プレイヤーを買って、色々と曲を入れてみても、気がつけば聴いている曲はエレクトロミュージックなのである。ロックでもポップスでもなくエレクトロなのだ。
エレクトロ。
ひとつの三十路のロマンスである。
31アイスクリームで注文したチョコミントのように、グリッと私の心は抉り取られてしまった。チョコミントのように甘く爽やかで濃厚な私の心。
さて、しかし、チョコミントって春な味がしませんか?
そんなことない?
即断即決が善とされている世の中で、春らしく、アンニュイでセンチメンタルでナイーブな味。悔いが残るから、生きがいがある。そんな味ではないか。私はそんなチョコレートミントが大好きだ。
チョコミントのような私の心を返してくれ。
ライターを忘れてしまい、今日一日、色々な所で多くの人から火を借りた。皆さん、本当に快く貸してくれ、都会で抑圧される喫煙者の連帯を感じた。
しかも、最終的に、大久保の喫茶店で隣に座ったおばちゃんからは、ライターを貰ってしまった。テンキュー!
喫煙最高。そして、再興である。
さて、そんな感慨深いライターの火で煙草を燻らせながら、一日の終わりの余韻に浸り、夜の家路を歩いていた。すると、角を曲がった目の前に、暗がりの中、蛍光灯に照らし出され、桜が妖しく咲き誇っていた。
うぅ。
連帯感も吹き飛ぶほどの、圧倒的な艶かしさである。
坂口安吾よ。こういう事だったのか。
今朝、少し早く出社しなければならないついでもあって、恋人のニューヨーク旅行を駅まで見送った。
ただ、早く出勤と言っても、ちょっと早すぎたので、恋人を見送った後、駅の喫茶室で朝食がてら時間を潰す。
朝の雑踏を眺め、アメリカンコーヒーを啜りながら考える。
一方は、ニューヨーク。もう一方は、職場。
沸々と、その状況の格差が露になるのだった。
まあ、そんな格差も忙しさに感けることで忘れる事ができたが、無事に一日を終え、夜遅く家に帰ると、部屋が仄かにおやじ臭かった。
最早、様々な格差が私には迫っている。
明日、一回りの歳の差がある新入社員も入ってくるのだ。
この閉塞感を誰かぶっ飛ばしてくれ。
家に帰っても何もできない。風呂に入って寝るだけの毎日。何もできない。ダラダラすることもできない。
ダラダラしない私なんて、最早、私ではないというのに。
さて、しかし、最近、一日で唯一の思惟の時間が、家路なのである。その日の気分に合わせた選曲を、周りに迷惑をかけない程度の大音量で流しながら、家までの1時間足らず道のりを、自分の自由な時間として過ごすのだ。
エモーショナルな脳活動だけに身を任せた、道筋無し、出口無しの不毛な思惟。まさに私のダラダラタイムなのである。
ただ、ダラダラするのは、やはり、家が一番良いのは確かだ。
今日は昼飯を食べる時間も無く、駆け巡った。あまりに不毛で、どうにも遣る瀬なかったので、本屋に寄り、ずっと気になっていた本を片っ端から買い漁った。
おかげで、一日、重い本を持ち歩かなければならず、腕がだるいのだが、読むぞ!移動中、ちょっとだけ読んでみたが、読むぞ!
まあ、最近の日記を見て頂いてもお分かりの通り、ここのところ、いつにも益して私はカサカサなのである。色々と吸収し、色々と消化し、色々と出力しなくてはならない。今の私の不毛な日常の中で、唯一有意義に吸収できるものは、本なのだ。
色々な宿題の期限も迫っているので、いち早く取り込まねばならない。
しかし、学校を卒業すると、色々と疎かになりますね。ここまで捨てなければならないのでしょうか。
未曾有の混乱に塗れた00年代が終わり、10年代へと突入した。
様々な混乱を引きずりながらも、新たな年代が始まり、既に3ヶ月が経ったが、この新たな年代の行方を予測できる者は誰もいない。
何かが始まるのか、それとも、何も始まらないのか。
まあ、自分次第といったところだろう。
うかうかしていると、時なんてすぐに過ぎていくものだ。
しかし、今年の桜は長い。
かつて、とても怠惰で屈折した、孤独な男がいた。
そう、私だ。
そして今、とても怠慢で鬱屈とした、孤愁の男がいる。
それも、私だ。
あまり変わっていないようにみえるが、少しだけダンディになっている事に気付いて頂けただろうか?
お伝えしていなかったが、先週から、私は、なかなか変な髪形をしている。ちょっと変過ぎるのか、誰も私の髪型の変更を指摘してくれない。
別に、褒め言葉じゃなくて良い。誰か、優しい君、私の変な髪形に声を掛けてやって欲しい。
さて、そんな変な髪形の私だが、先日、常時受信の無い携帯電話に、級友から一通のメールが届いた。
学生時代の学科の助手さんが結婚するので、お祝いの冊子を作る、ついては、顔写真と祝福メッセージを送って欲しい。
との内容だったのだが。
顔写真。 むぅ。 期限は明日。 どうしたものか。。。
ここのところ、邦画を好んで見るようになった。好んでというより、眼が悪くなったのと、疲れているのと、夜遅いのとで、どうしても邦画に手が伸びてしまう。邦画は鑑賞が楽なのだ。
ただ、邦画でも、最近、救いがないものばかりをたて続けに観てしまったせいで、邦画に手を伸ばすのも億劫になってしまった。
映画鑑賞だけが唯一の生き甲斐なのに、それすらも儘ならなくなっている。やはり、オジサンはオジサンらしく、薄暗いピンクのコーナーに追い詰められるしかないのだろうか?
まあ、しかし、そっちがそう来るなら、受けて立つ気が無いわけでもない。
14年間続けていた花見が雨で中止になり、仕方ないので居酒屋で飲むことになった。古い友人たちだ。
一通り昔話にも花が咲き、少し話が途切れたところで、ひとりがいま気になっている女性の話を始めた。三十路の恋話だ。
昔のように場が色めき立つ。
真剣に話を聞きつつも、それぞれ身勝手に、食事に誘うのが良いだとか、映画に誘うのが良いだとか、電話でいま告白しろだとか、勝手なアドバイスをする。
ちなみに、その女性は
1) 仕事には厳格
2) あまり他人とコミュニケーションを取りたがらない
3) 金曜日に決まって残業をする
4) 実家暮らし
5) 高めのものを身につけている
らしいのだが、後でその事を私のNYC帰りのSteadyに話をすると、一言。
不倫相手がいる。
むうぅ。。。
男というのは、本当にロマンチックな生き物だ。
見事に咲いて、華々しく散る。14年にして味わい深い花見だった。
私はおやじ臭いらしい。
色々な人に確認してもらい、最終的に恋人から指摘された。
予測より少し早かったが、まあ、致し方ない。
三十路は立派なおやじだ。
このぶんだと、バーコードヘアにも少し早く到達できそうだ。
希望が漲るばかりである。
アイスランドの火山噴火の影響で、ヨーロッパの航空便は9・11を超える混乱に陥っているそうだ。
まあ、そんな折、私は混沌の中、虚空を孤独に巡航中である。
今日は一日酷い目に遭った。
まったくもう。
さて、あまり皆さんご存じないと思うが、私はこまめに植物を育てている。多肉植物といわれるやつで、まあ、棘のないサボテンみたいなやつだ。
火の鳥の宇宙編で、牧村が永遠に生き続けなければならい罰を受け、それを哀れんだナナがその罰に付き添うことを決意して植物になる。
あの終末的な植物によく似ている。
しかも、凄くよく増える。
良いのだ。
普天間がどうなるのか?税制がどうなるのか?はたまた、日本のアイデンティティがどうなるのか?村上春樹までもがSFに手を染める中、SF以上のSFが行われている衆議院会館へ、SFに憧れるこの私が足を踏み入れた。
こんなSF男を、国家の中枢に入れて良いのだろうか?はて?
そして、そんな夜は夜とて、中東の女の子と酒を交わしたりして。褐色の魅力に初めて触れるのだった。もしかしたら、私は本当のSFに生きているのではなかろうか?
SとFとはなんぞや?
ドラえもんの世界観以上に世界はSFである。
頭の臭い小学生だった私。口の臭い小学生だった弟。
そんな昔の事を思い出しながら、朝の京浜東北線に揺られ、帰宅する。休日の朝なのに、勤め人の姿がけっこう多い。
雨の匂いを含みつつ柔らかに晴れあがった朝。
世界で一番、最低な朝を私は迎えた。
私が臭いのだ。