雨がしっかり降っている。冬の冷たい雨の月曜日だ。
さて、私の脳はインターネットとの親和性が高いので、すぐに依存症になってしまう。だから、スマホも持たないよう、家ではネットに繋がらないよう、一定の距離を保つことで、ネットとの蜜月関係を今はなんとか回避しているところだ。
そんな折、ちょっとしたきっかけで、娘が YouTube を見てしまい、それから執拗に YouTube を見たがるようになった。あまりの執念だったので、これはマズいと思い、初期段階でかなり苦労して止めさせ、今はもう見せていないし、見たいとも言わなくなった。最近のインターネットはYouTube に限らず、子どもにはちょっと注意が必要だ。
というのも、最近のウェブサイトはUI/UXなどと言われる行動心理学に基づいた設計がトレンドになって久しいる。自発行動以前の深層心理の段階で反応させられてしまうことも少なくない。つまりUI/UXとは、人間の習性を利用した快感の集積により意図した行動を促す設計、とでも言ったらいいか。そもそも依存しやすいように作られているのだ。
特に子どもは経験や条件付けも少なく、刺激に対する反応が素早く素直なので、依存も早いし高くなる。そして、そうした人為的な刺激や反応に幼いうちに慣れてしまうことは、かなり不自然なことだし、あまり良いことだとも思えない。できる限り遠ざけることに越したことはないだろう。
とまあ、私自身の依存度が高めなので、こうした問題にはけっこう敏感なりがちだ。
今はもう日常的な光景になってしまっているが、スマホ画面にかじりついている人々の姿は、依存度高めの私からしてみても、やっぱりかなりグロテスクに映る。
雨がしっかり降っている。冬の冷たい雨の月曜日だ。
嫌だ。寒い。布団から出たくない。布団最高!
健全で良い反応だ。
最近、娘の嗜好が、迷路や絵探しや間違い探しなどの知育系の絵本に移行している。まあ、そのこと自体はぜんぜん悪いことではないのだけど、付き合わされる身にとっては、ちょっと勘弁して欲しいところだ。
普通の絵本であれば物語と合わせて絵も楽しめるので、何度読んでも苦にならないが、間違い探しなどは、一度答えが分かってしまうと、なかなか繰り返し読む気にはなれない。
もちろん「ウォーリーを探せ!」などの名作は、その豊富な情報量とバリエーションのおかげで、何度見ても楽しめるのだが、一日の仕事を終えて、帰宅して家事をこなし、ようやく落ち着いて一息つけるなと思ったところで「じゃあ、ここはひとつ『ウォーリー』でも」って、視力と集中力をギンギンに酷使して楽しめるほど、父はもう若くないんです。
ごめんよ。
でも、まだ読んでない絵本が山ほどあるんですけど。
あれはどうするのかな?
娘が産まれてからというもの、数多の病気を貰い患い、幾多の育児痛に悩まされ、その都度、病院行脚と薬剤の神通力と不屈の精神で困難を乗り越えてきたわけだが、最近はそうした不調もだいぶ減ってきて、父娘ともども成長したのだなと感慨深く思っていたのだが、この度、私、なぜか喘息になってしまいました。
禁煙もしたのに。 今ごろになって。。。
しかし、なんと! グーニーズの主人公マイキー君が愛用していたことでお馴染みの! あの喘息発作用の吸入器が処方されたのです!
おぉ! これか!
グーニーズの物語の最終盤、マイキー君が「こんな物……」と吸入器を捨てる場面があるんですが、物語で一番重要な「少年時代からの決別」というテーマに、この吸入器を捨てるシーンが絶大な効果と役割を発揮しているのです!
ちょっと嬉しいぞ!
という訳で、盛り上がりついでに、もし、私のようなおじさんがこの吸入器を捨て去る時が来たとしたら、物語としてどんな演出効果があるかと考えてみたのですが、もうこれって「死」の伏線としか思えないですよね。。。なにこれ。
ちなみにこの吸入器の一日の使用限度は8吸入までだそうです。それ以上は本当に危ないそうです。。。うぅ。
どっちにしろ死ぬんじゃん。
喘息の薬のせいでめちゃくちゃ眠いのだが、きっちり8時間睡眠はしているので、耐え難い辛い眠気というわけではなく、少し気怠いようなほわほわとした状態がずっと続いている感じで、なんかちょっと心地よい気もする。
もちろん、この状態だと仕事にはならないんだけども。
さて、先日の日記にも書いたが、今月バースデイ・ガールの娘の写真が保育室の出入り口に飾られた。
色々と悩んだ挙げ句、娘らしい表情や情景の抜けるような奥行きや空間の柔らかな温もりをバッチリ押さえた、ウラジオストックの観覧車で撮った写真に決めた。ロシアで撮った感じもあまりないので、嫌味にもならないだろう。
おかげで、保育園に行く度に、写真を眺めながらしみじみと、やはり自分の娘が一番だな、などと実感している親馬鹿なのである。
しかし眠いな。
そう言えば、こちらも先日の日記に書いたカメことだが、名前を尋ねたら、まだつけてないから考えてやってくれと返されてしまいました。娘が頭を悩ませてる中※です。
※ 娘は「○○しているところ」という現在進行表現を「○○している中」と表現します。とんでもなく可愛いです。
今夜は妻が忘年会で家を空けるため、面倒なことは全て省く。適当に夕飯を準備をし、行儀など気にせず食べ、気侭に風呂に入り、自堕落に遊び、眠くなるまでダラダラゴロゴロする。娘も自由奔放に振る舞うが、叱ったりするのは面倒なので、父は更に奔放に振る舞う。
妻のいない夜は、父娘で密かに楽しみにしている特別な夜なのである。もちろん妻にはすべて秘密だ。
だが、次の日になると、秘密にしていたことが、すべて妻にバレているのは、何故なのでしょうかね?
今、同時並行で四冊の本を読んでいる。家では読めないので通勤時の電車が唯一の読書時間だが、四冊の単行本は持ち歩くだけでも大変なので、網棚の存在はとても助かる。
昔、ここで寝たっけ(回想)な。
さて、ジャンルも内容も異なる四冊だが、私はこの四冊を気分によって読み分けている。そして四冊あれば、だいたい自分の気分をカバーできるのだな、などと自分自身に対する知見も深めたりもしている。
あと、意外なのだが、コミカルなものよりシリアスなもの(哲学・思想系は除外)の方が、読む速度は上がるようである。
四冊あると内容がごちゃごちゃになるんじゃないかと危惧したこともあるが、人間の脳味噌は優秀で、私のような下賤の者でもしっかり区別しながら読み進めている。逆にごちゃごちゃになった方が面白いかもしれないと思うこともあるぐらいだ。
ちなみに、今読んでるのは以下四冊(漫画あり)
『台湾生まれ 日本語育ち』温 又柔
『降伏の記録』植本 一子
『酒場っ子』パリッコ
『失踪日記』吾妻 ひでお
ぜんぶエッセイだな。。。
当サイトは本日で18周年を迎えます。
劇的にアクセスが増える訳でもなく、炎上するほどの注目も集めることなく、原動力不明のまま細々長々と続けていることに驚きを禁じ得ませんが、今後も超低空飛行で、私の半径1㍍ぐらいの現象を配信し続けていきたいと思います。
20周年には、またオフ会でもやるかな。
昨日、娘が朝からお腹が痛いと言ってトイレに入っては、ちっちゃな硬いウンチをちょっとだけ出して唸っている、という行動を繰り返していて、午後は昼飯も摂らず、あまり動かなくなってしまって、そのまま寝てしまったので、そっとベッドに連れていったら、すぐに目を覚ましてしまい、またお腹が痛いと苦痛を訴える。
可愛そうだ。
以前、便秘の果てにもどしてしまい、慌てて病院に連れて行ったら、浣腸で難なく事なきを得たことがあって、その時と状況が似ている感じがするので、イチジク浣腸を買ってきて、泣き叫ぶ娘を押さえつけて無理やり浣腸をしたら、ちっちゃな硬いウンチが5つぐらい出てきたのだが、暴れ狂って疲れた娘は、そのまま寝てしまった。
可愛そうだ。
夕飯になっても起きる気配がなく、妻と二人で会話の無い暗い食事を適当に摂り、さっさと後片付けをして、さっさと風呂に入ってそのまま寝てしまうことにしたのだが、深夜、浣腸のトラウマからか、娘が寝ぼけて大騒ぎをして、おまけに熱まで出していて、どうすることもできなくて、とにかく娘の背中を一晩中さすっていた。
可愛そうだ。
今朝、目を覚ますと、娘は熱も下がってケロッとしていて、お腹の痛みも和らいだようだったが、一応、病院へ連れていくことにした。何もできないことは分かっていても、心配しすぎて子どもよりも疲弊して、挙句の果てに、自分の調子を崩している駄目な親だ。
やはり俺は子育て向いていない気がする。
Facebookは定期告知と連絡手段だけのツールになってしまった。Instagramは正直言って何だかよく分からないので、興味あるメディアや有名人だけフォローして、たまに見ている感じだ。
問題はTwitterだ。
Twitterは日本でのサービスが始まった2008年頃にすぐにアカウントを作ったが、きちんと使うようになったのは2年ほど前からだ。当初は猿真似で呟いたりしていたが、何のレスポンスも得られず、面白さがまったく分からなかった。ところが、今年に入ってからプラモデル関連の情報を得るために、何気なくポチポチっとフォローを増やしていったことをきっかけに、見事にTwitterの泥沼にハマっていった。
一時期は800を超えるアカウントをフォローして、常にタイムラインを追っているという状態になり、流石にこれはマズいと思い、240までフォロー数を減らしたが、依存症のような状態は続いていた。
ところが、最近、Twitterで筒井康隆の「炎上を怖がっちゃいけない。電源を抜いたら消えてしまう世界です」――筒井康隆85歳が語る「表現の自由」という記事の紹介がタイムラインに流れてきて、その内容を読んだら妙に腑に落ちるところがあって、幸いにも自然とTwitterから距離を置けるようになったのだが、フォローするアカウントがまた一つ増えてしまった。
筒井康隆はやっぱ凄いな。 85歳か。
この小さな身体から、これほど立派で太く長いものがよくもまあ、ということで、日曜日から続いた娘の便秘問題は、昨日の夕方に無事解消され、トイレの中へ流れて行った。
ホッと胸を撫でおろしながら、何気なく、使わずに余った棚の上のイチジク浣腸を眺めていると、脳裏に他愛のない疑問が過ぎる。
浣腸って俺一人でもできるんだろうか?
馬鹿な好奇心がムクムクと立ち上がり始めるのを、必死に頭から振り払う。駄目だぞ! 俺! 後戻りできなくなんぞ!
危ねぇ。 捨てちまおう。
今日、娘が4歳の誕生日を迎える。
おめでとう、これからも健やかに、と真っ先に祝ってやりたいところだが、まず最初に感じるのは、辛く長い4年間を何とか無事に乗り越えたという、安堵の気持ちである。
というのも、この日記では娘の育児を面白可笑しく書くようにしているが、実際のところ、私にとって娘との時間は、嬉しさや楽しさよりも、煩わしさや疎ましさといった、自分の負の感情に向き合う方が圧倒的に多く、そうした感情に何度も押し潰されそうになりながら、葛藤の連続を必死に乗り越えてきたという、あまり表立って語ってこなかった経緯があるからだ。
もちろん、そうした苦しみも少しずつ減ってきているし、楽になってきた面も数多くある。だが、この4年間を耳障りの良い美辞麗句で締めくることは、残念ながら今の私にはできない。
でも、今日、私も父になって4年を迎える。
おめでとう、これからも健やかに、と真っ先に娘を祝ってやることができる父になるために、これからも右往左往とするかもしれないが、そんな不器用な父をどうか気長に待っていて欲しい。
先週は、慣れない夜の外出が重なって、楽しい半面、少し疲れが出てしまい、昨晩は、久しぶりにひとりで入る柚子風呂で、心穏やかにのんびりと一週間の疲れを解きほぐし、おかげでぐっすり眠れ、少し寝坊してしまったが、朝の目覚めはとても良かった。
ここ最近、ずっと不機嫌で気難しかった娘も、今朝起きてみると霧が晴れたように快活になっていて、また新たな成長を遂げたのだなと、様々に感慨深い朝だった。
今週は平日に何日か有休を入れているので、フェードアウトするように年末年始の休みに突入していくので、けっこう気楽な一週間だ。今年の正月は引っ越し作業で怒涛の忙しさだったから、来年は寝正月してやるぞ!
保育園から帰ってきた娘の咳と鼻水がけっこう酷いので心配していたら、案の定、夜中に39.5℃の熱が出てしまい、朝になっても39℃台をキープしたままで、これはもしかしたらインフルエンザかもしれないなと、静かに腹をくくる。
今週は有休を数日取って予定を入れていたのだが、インフルエンザとなると全てを諦めるより他ない。仕方ないことだ。
それより問題なのは家庭内感染だ。妻は予防接種を受けていない。私は受けたが、先週のことなのでまだ免疫ができていない可能性が大きい。去年の悪夢が蘇る。下手すると正月まで引っ張る可能性が出てくるのだ。
念願の寝正月が、本当の寝正月(寝たきり)になるかもしれない。うぅ~。
ー追記ー
午前中に病院でインフルエンザの検査を受けたら、陰性だったそうです。熱が高いのが気になりますが、ひとまず良かった。寝正月を目指す全国の皆さま、くれぐれもお体にはお気をつけ下さい。
昨晩、寝る前に娘の熱を計ったら40℃を超えていた。
体温計では見たことのない値だったので、最初その数字がなにを意味するのか分からなかったが、暫くしてコトの重大さに気が付き、こちらの方が卒倒しそうになってしまった。
結局、熱は今朝方まで40℃台を叩き出し、朝、弱りきった娘は、クリスマスのプレゼントを発見しても起き上がることができず、横になったまま力ない笑顔で静かにプレゼントを眺めていた。
その不憫すぎる娘の姿を前にして、私は何もしてやれない自分に苛立つことしかできなかった。
子どもの不調って、こちらも生きた心地がしない。
どうか早く良くなって欲しい。
ー追記ー
16時半現在、熱は38℃台まで下がり、なんとか山は越えた感じで、起き上がってプレゼントで遊んでいます。今日はクリスチャンでもないのにクリスマスのミサに行くために有休を取っていましたが、また来年。
今年も残すところあと僅かになってきた、などということは私にとって案外どうでもいいことで、実はこないだの冬至の方がけっこう重要な節目だと感じている。
御存知の通り、冬至はその日を境に(厳密にはちょっとズレがある)日の出時間が早くなり、日の入り時間が遅くなる。これから季節は厳しい冬本番に入っていくが、冬至を節目に一日一分前後の長さで確実に日が伸びていくのだ。たとえそれが僅かな変化であったとしても、冬至を境にして、未来に対する素直な希望が、こんな私にも湧いてくるのである。
だから、私はけっこう冬至が好きなのである。
娘も私も冬至前後の誕生日だし。柚子湯も好きだし。
逆に夏至は最悪だ。
できることなら今すぐ無くなって欲しい。
回復基調にあった娘の体調が悪化してしまっている。
熱が再び39℃台まで上がり、ぐったりしてあまり言葉を発さなくなってしまった。鼻水がかなり酷く出ていて腹痛も訴えているし、体調不良で寝苦しいため夜中に頻繁に目を覚ましてしまう。
だがその一方で、医者から出た薬はまったく飲んでくれず、前回の診察でのインフルエンザ検査がトラウマになってしまって、再度通院しようとしても頑なに拒絶される。
困った。
とにかく年末の諸々の仕事や用事や約束は全て諦めて、この惨状をできるだけ早く脱するために手を尽くしたいと思う。体調不良で困るより、元気すぎて困ってしまうぐらいの方がよっぽどマシだ。
自分はどうなってもいいが、娘だけは元気でいて欲しい。そんな親心がすっかり身に付いてしまった年の瀬だ。
今朝方もまだ熱が下がらないので、嫌がる娘をなんとか説得して、年内診療最終日の小児科に駆け込みで行ってきたのだが、待合室で熱を計ってみたら36.5℃だった。
あれ? 外気に当たったからちょっと冷えちゃったのかな? と思ってもう一度計ったが、同じ数値だった。念のためもう一度計ったが、結果は同じ。
診察では、5日以上続く症状が判然としない高熱には、血液検査が通常の対応だそうだが、ちょうど5日目の朝に熱が下がっているし、検査するのはいいが、検査できる近くの大学病院は年内最後の診療なので相当混んでいるから、治りかけかもしれない今の状態で無理に長時間待つのはお勧めできないと言われた。ただ、また熱が上がってくるようだと、直ぐに受診して検査を受けた方が良いとも言われた。
う〜むぅ。
つまり先月の頭部の打撲の時と同様、異変が出たら即対応の臨戦態勢で経過観察をしなくてはならないのだ。
娘よ。父の寿命をこれ以上縮めないでくれ。
ー追記ー
夕方に38.6℃まで熱が上がりヒヤッとした一幕もあったが、22時現在、なんとか36℃台の平熱を保ちつつ、ぐっすり眠りに落ちたところだ。これで終息すると願いたい。
しかし、私の鼻水が止まらないのは何故なのか。
12月29日、私の40回目の誕生日の朝、7時5分、かつて、オギャーと産声をあげて生まれてきたのと同じ時刻に、ウゥ〜という呻き声とともに目覚めた。
38.5℃
かつてない高熱に、すぐに近くの内科に診察の予約を入れたのだが、診察時間の10時半には39.1℃になっていた。
年末最後の診察日で院内はかなり混み合い、予約をしていたのに診察を受けるまでに1時間以上待ち、処方箋を受け取るまでに30分待ち、あまりにも辛かったので待合室で横になってしまった。
診察結果はインフルエンザA型。
40回目の記念すべき誕生日に人生で初めてインフルエンザに感染した。予防接種受けていたのにもかかわらず。めでたいのか何なのか。
まあ、ともかく、発症した初日は39.7℃まで熱が上がり、今まで経験したことのない地獄の苦しみを味わった。翌日も38℃台はしっかりキープし、強烈な頭痛、耳痛、眼痛、腰痛に苛まれた。起き上がれるようになったのは今日の昼ぐらいからで、それでも、37〜38℃を行ったり来たりするような状態が続き、今、ようやく37℃台に落ち着いてきて、三日ぶりの食事に年越しそばを口にした。
隔離期間は熱が下がってから3日間と言われているので、正月三ヶ日は絶望的だが、奇しくも、念願の寝正月がこんな形で実現するとは、夢にも思ってみなかった。良かったのか悪かったのか。妻と娘と、そして、急遽年始の予定変更に対応してもらった親類各位には大変悪いことをしたと思っている。
くれぐれも皆様におかれましては御身体に気をつけて、楽しい年末年始をお過ごし下さい。
良いお年を。