2020年 3月
3月2日(月)

週末、序盤の立ち上がりはなかなか良い感じで始まったのだが、中盤から後半にかけて、嫌な話を聞いたり、嫌な状況を見たり、嫌な出来事が起こったり、嫌な現実に直面したり、嫌な体調になったりして、結局、十年に一度ぐらいの最悪な週末になってしまった。

十年前なら自己嫌悪や自暴自棄に陥り、かなり引きずる類の事柄だが、ダメージは大きいものの今回はなんとか崖っぷちに留まって、正気を保っていられているのは、娘の存在があるからなのだと思う。

娘は偉大だ。

3月3日(火)

ここ最近、政府も官僚も報道も国民も、というか、この国の潜在的な愚かさが次々と露呈しているので、ついつい自分の愚かさを忘れてしまいがちだが、自分が賢くなった訳ではないので、そこのところは勘違いしないよう、しっかり肝に銘じておこう。さすがの俺もそこまで愚かにはなりたくないからな。

しかし、今回の騒動のおかげで、人は簡単に愚に堕ちることが判明した。今起きている愚かな行いの数々をしっかり脳裏に焼き付けておいて、この騒動が沈静化するか、場合によっては今すぐにでも、然るべき態度を示さないと、この国全体が退廃と混沌に埋もれてしまう。

そう思わなかい? 我らが疫病神の首相殿よ。

3月4日(水)

機体側面のキーロックボタンが壊れてしまった私のガラケーは、部品の接着だけで修理できそうなのだが、この部品がかなり小さいうえに替えがないという条件で、作業自体は簡単だが事前準備と集中力と注意力が必要で、絶対に失敗はできないので未だに未着手のままになっている。

ただ、この修理が終わらないと電話が使えず色々と困ってしまうので、今は実家から母親のガラケーを貰ってきて代替機として使っている。

ただ、この母親のガラケーには一年半ぐらい前の幼い娘の姿が待ち受け画面に設定されていて、変更するのも忍びないのでそのままにしているのだが、この娘の姿を見る度に、会いたくなってどうにもこうにも居た堪れなくなってしまうのだが、当然、携帯電話を持ち歩いているということは外出先なので、そんな願いは叶わず、とても切ない気持ちに陥ってしまう。

実のところ、私は娘の写真を肌身離さず持ち歩くようなことをこれまで一度もしたことがなく、たまに友人や職場の人から子どもの写真を見たいと言われて持っていない旨伝えると、何という非情で冷たい父親なのだろうという眼差しを向けられることがあったのだが、まあ、つまりはこういう理由からなのだ。

娘に対する私の愛情が未だに「西野カナ」状態であることが、今回の件であらためてはっきりしたので、やっぱり娘の写真は持ち歩かないことにする。あと、もう私は彼女(西野カナ)を馬鹿にし(でき)ない。彼女は他でもない父親の心情を歌っているのだから。

3月5日(木)

新型コロナ騒動によるリモートワークと時差出勤と休校のおかげで、都内の電車は通常の半分ぐらいの乗車率といったところだろうか。だいぶ減ってきた。

今週から帰宅時の電車内では、罹患回避のためなるべく電車に乗るなという旨のアナウンスが決まった区間で流れるのだが、乗車している人はそれができないから乗っている訳で、2~3分のアナウンスの間、なんとも言えない不穏な空気が車両を覆い尽くし、ただでさえ重い空気が更に重苦しくなる。しかも昨日から、車掌の肉声だったアナウンスが合成音声に変わり、日本語以外に中国語と韓国語が加わって長さが倍増したため、居た堪れなさも更に割増されるのだった。

ただ、不謹慎かもしれないが、一過性のことであるのなら、この感じ、俺はけっこう嫌いじゃない。今だけしか吸えない空気を吸っておこう。コロナ以外。

3月6日(金)

今朝、通りの門まで娘を見送り、私もそのまま駅へ向かおうとしたのだが、家の鍵をかけ忘れていることに気付いて、鍵をかけに慌てて家に戻った。

その後、急いで駅に向かい、いつもの時間の電車に飛び乗ったのはいいのだが、親指の関節に痛みを感じたので確認してみると、青く内出血を起こしていた。

慌てていたので、どこかに打つけたか捻ったかしたのだと思うが、内出血の位置から推察して一番可能性が高いのは、鍵を鍵穴に差し込んで回した時に生じたものだと考えるのが合理的なのだが、いやちょっと待って、そんなことってありますか?

あるんです! ほらここに!

もう本当に嫌になります。私の身体からは柔軟性というものが完全に失われました。たぶん思考からも失われてるんだろうなぁ。はぁ。



私でも首相が務まるんじゃないかと思わせる点では庶民派と言えないことはないが、私でも務まると思わせてしまった時点でもう適任者はいくらでもいるので、今すぐにでも辞めて貰いたい。お願い。

あと、昨日から喉がイガイガしているが、花粉なのか乾燥なのか、はたまた新型コロナか。

3月9日(月)

娘が生まれる前は、月に一度ぐらいは友人が家に遊びに来てくれて、気のおけない楽しい時間を過ごしたものだが、最近は各々の状況も変わってきて、以前のようにはいかなくなってしまった。

我が家のような共働きで核家族で一人っ子の家庭は風通しが悪いので、来客がないと日常生活で新しい空気が入ってくることが少なく、家の空気がどんどん澱んでくる感じがして気が滅入ってくる。それに、やっぱり寂しいのだ。

とまあ、そんな我が家だが、しばらくぶりに来客があった。あまりに久々なことなので、家族揃ってかなりテンションがあがってしまい、成城石井でアレやコレやと四千円近く食材を買い込んできて、お客さんが来るやいなや猛烈体当たりでぶつかっていってしまった。

幸いにも包容力のあるお客さんだったので、我が家の激しいタックルをしっかり受け止めてくれて、本当に有意義で楽しい時間を過ごさせて貰った。こんな状況だから本当にありがたかった。

千客万来と言うと大袈裟だが、人が訪ねて来やすい気持ちの良い家庭だと、こちらの気分もだいぶ爽やかに保っていられる気がする。あと、来客があると家が片付く。来客万歳!

3月10日(火)

そう言えば、来年度から保育園の父母会のクラス役員をやることになった。各クラスから4人選出されて父母会行事の運営を一年間担当するのだ。

ただ、行事の運営と言っても、やること自体は毎年あまり変わらないので大したことない。

問題は、活動の効率化に躍起になっているお父さん、実務の能率化に邁進するお母さん、財政の合理化に奔走しているお母さん、そんな方々を見るにつけ、嗚呼、この人たちはさぞかし仕事ができるんだろうな、などと思いつつ、気後れしている自分がいるのだ。

なんか、疲れるんだよなぁ。

3月11日(水)

9年前の今日、訳あって私は実家の二階の自室にいた。

突然の揺れには驚いたが、階下にいる祖母が心配になって、揺れてる最中に階下に降りてみると、祖母は家で一番頑丈なダイニングテーブルの下にしっかり隠れていて、私にもすぐに隠れるように指示した。

当時、祖母は米寿になったばかりだったが、私なんかよりもよっぽど素早く的確に行動していて、伊達に戦争をくぐり抜けていないんだなと、関心させられたことを思い出す。

実家は庭の灯籠が倒れたりした程度で何事もなかったが、津波や原発の被害は皆さんご存知の通りだ。

この震災をきっかけにして、今まで見えてこなかったこの国や社会の貧弱で粗末で杜撰な側面がいたるところで露わになり、このままだとかなりヤバいところまでいくんじゃないかと絶望を感じた方も少なくないのではないかと思う。

しかし、あれから9年が経過し、あの時にきちんと取り組まなくてはならなかったことをずっと先延ばしにしながら、特に大きな破綻や崩壊もなく、国も社会も今のところなんとか存続し、肝心なところを見て見ぬ振りしながら我々も生きている。

ただ、そんな日常を過ごしていると、何気ない瞬間、実は今まさにアポカリプスが進行中なのではないかという予感が脳裏を過ぎり、笑顔の裏で戦慄している自分がいる。

考えすぎならいいのだが、楽観できない様々な現実が、今、我々の目の前に整然と不気味に並んでいることは確かだ。

3月13日(金)

実は昨日、有給休暇を頂いて、毎年の恒例行事になりつつある「父親骨休み一人映画鑑賞会」に行ってきた。

どの映画を鑑賞しようか迷いにまよったが、やはりコレでしょ! ということで、こないだカンヌのパルム・ドールとアカデミー賞四部門を受賞したばかりの『パラサイト』を観てきた。

平日の朝10時の上映だったが、新型コロナの影響から映画館はガラガラで、子ども向け映画は軒並み上映中止になっていた。感染防止のため座席は一人分間隔を空けて座る措置が取られており、スクリーンの収容人数は通常の半分になるのだが、観客は私を含めて全部で5人だった。

なんつうか。新型コロナ。凄いことになってきた。

しかし、肝心の映画の内容だが、詳しい感想はまた別の機会に紹介したいと思うが、主人公の娘「ギジョン(ジェシカ)」役のパク・ソダムの好演には、年甲斐もなく完全に魅了されてしまった。この感じ久しぶりだ。今後も楽しみな逸材である。

まあ、様々な意味で、今こそ必見の作品である。



しかし、新型コロナ禍によって起こった様々な騒動や事件、そして今日の世界同時株安などもそうですが、我々の社会は本当に貧弱で粗末で杜撰ですね。まいっちゃうなぁ。どうしたもんか。

3月14日(土)

もう暖かくなる一方だろうと思っていたが、一転して寒くなった。しかも雨だし、てか雪降ってんじゃん!

ただ、ネットの週間予報を見てみると、ここ数日でこの寒さにも終止符が打たれ、来週末には20℃近くまで気温が上がり、そのまま春に突入していきそうだ。

そこで! 今日を今年の鍋納めにしようと思う!

今年の我が家の鍋は、なんと言ってモツ鍋だった。近所のスーパーでマルチョウを売っていたので、何気なくモツ鍋に挑戦してみたのだが、これがめっぽう美味かったのだ。準備も簡単だし。コツと言うほどのものでもないが、良いモツを手に入れ、鰹の出汁をケチらずとってやれば、まず失敗しないだろう。美味しい明太子とゴマ鯖が手に入るとなお吉!

来週の火曜ぐらいまでは寒いようなので、鍋納めしていないご家庭は是非!



来週の火曜って。まさに彼岸の入りなのか。恐るべし。

3月16日(月)

巷では新型コロナの影響で大騒ぎの真っ只中だが、それと同時に、巷では進級進学で大忙しの真っ只中でもある。うちの娘も、くま組(4才児)から、らいおん組(5才児)へ進級するため、今日から引越し準備が進められているところだ。

そんな事もあって、この季節になると、娘の聞き分けが悪い時に「そんなんだと進級できないよ!」とか「3才児クラスに逆戻りだよ!」などと、言うことをきかせるための脅し道具として、進級の話をついつい使ってしまいがちになる。効果も絶大なのだ。

昨日、私の腰痛が酷かったこともあり、事あるごとに進級を脅し道具にして娘に言うことをきかせようとしていたのだが、深夜、皆が寝静まった頃に娘が寝言で「うさぎ組(3才児)はイヤだよぉ!」と泣き叫び、その後も2時間近くうなされていた。その姿を見て、私は眠い頭の中で、娘の自尊心を自分勝手な軽い気持ちで決定的に傷つけていたんだなと猛省すると同時に、自分が最も毛嫌する行為を自分自身が娘に対して無自覚に行っていたことに愕然とした。脅しに効果があるということは、そもそもそういうことではないか。

私こそ、進級できない父親だったのだ。



待ちにまったリフレッシュ休暇が出たので、娘と一緒に有意義な時間を過ごすために使えたらいいな。

3月17日(火)

新型コロナウィルスで、各国が徹底した対策や対応をとり始めている報道を見るにつけ、この国の漫然とした日常運転状態にかなり不安を覚えるのだが、なんかこの感じ身に覚えがあるなと思って行き当たったのが、高校三年になっても勉強しないで進路も決めず、特に目的もなく漫然と日々のアルバイトに勤しんでいた自分の姿と重なるのだった。

もし、当時の私と今のこの国の漫然さが共通しているのなら、それは単なる現実逃避でしかないので、ちょっと早く目を覚まして貰いたいんだけど、どうしたら良いのでしょう?

ちなみに私は、当時の彼女(今の妻)が海外留学することになって、慌てて自分の進路に真剣に向き合いました。

なんとも情けない目覚めだな。



ダイヤ改正の影響で帰りの電車が一本遅くなります。勘弁してくれ。

3月18日(水)

昨日、娘が38度の熱を出したので、妻がかかりつけの近所の小児科へ娘を連れて行ったら、溶連菌やインフルエンザのような一般的な感染症検査も、予防策がとれない病院では検査をしないようにという通達が出ているので、今ここで検査はできないと言われたそうだ。

どうやら今、日本の病院では、新型コロナウィルス以外の感染症の検査ですら、できなくなっているようなのである。これって、もう既にある種の医療崩壊が始まってるのではないかと思う。しかも人為的に。

新型コロナウイルスより何よりも、この国の病理の深刻さの方が心配になる出来事だった。



今回の原因はコレのようです。皆さんも、特に小さいお子さんや高齢の家族のいる家庭は、健康管理には充分に注意して、身近な医療機関の情報を事前に調べておくことをお勧めします。

3月20日(金)

昨日、娘の熱がぶり返したと連絡があり、早々に仕事を切り上げて、昼過ぎに保育園に迎えに行って来た。

例年、この時期は保育園でも感染症が多く出るのだが、やはり周辺の病院でインフルエンザを含む感染症検査全般ができないという話が多いらしく、園長先生も困っていた。先生たちも検査可能な病院を探しているそうなのだが、今のところ、周辺の病院は全滅のようだ。

さて、どうしたものか。どうしようもないか。

ただ、娘の熱は37度台でユラユラしている程度なので、それほど心配する必要もなく、三連休初日の今日も、外出こそ控えているものの、朝から家でママごと三昧で、ママごとの延長で洗濯やら掃除やら昼食やら、日常生活の雑務をこなしているような感じである。

そんな訳で、ついさっき、お昼寝ごっこをしていたら、そのまま寝てしまったところだ。

さて、どうしたものか。どうしようもないか。

3月21日(土)

今日も朝から暖かい。ラジオでは朝から「桜」にまつわる曲が流れ続けている。「桜」の曲ってこんなにあったっけ? と驚く。新聞や雑誌や区の広報にも桜の情報が満載されている。娘の熱も下がった。

いよいよ花見だ。

だが、花見スポットに行ってみると「飲食を伴う宴会などの利用をお控えいただきますようお願いいたします」という物々しい張り紙が貼られていて、そうだよな、そりゃあ駄目だよな、と肩を落として帰ってくる。

この国の新型コロナウィルスの対応は、基本的に事業者や個々の判断に任されているので、この三連休の温暖な気候と桜の誘惑によって、そろそろ緩みが出はじめてくるのは仕方がないことだと思うのだが、この何とも言い難い一連の状況に異様な不気味さと苛立ちを感じてしまうのは、私の気質の問題なのかはたまた。



昨日、新型コロナウィルスの影響で中止になってしまったミュージックイベントをラジオ番組で行うという企画があって、娘の看病をしながら一日中流していたのだけど、終盤の出演者の森山直太朗が「停滞している時期なのであえて暗い曲を中心に歌います」とふざけたMCをしていて、何だか妙に救われた気がしました。しかし、あいつまた歌上手くなってるな。

3月23日(月)

年度末のダイヤ改正で、帰りの電車の発車時刻が1分早くなった。会社から駅まで700㍍ほどの距離を走って、ギリギリ間に合う時刻だったから、1分早まるとなると大変だ。

アスリートではないにしろ、700㍍の自己タイムを1分縮めるのは至難の技だ。なので、フィジカルな方面は早々に諦めて、逆に1分早く職場を出られる方法がないものか、あれやこれやと悪知恵を働かせているところだ。

しかし、よくよく考えてみると、保育園のお迎えを始めて3年が経過し、残すところあと2年なのだ。とっくに半分は終わっていた。いろいろと大変だったし、今も相変わらず大変だけど、いつの日か、こうしたことが良い思い出になる時が来るんだろうか?

今はちょっと想像できないな。



どこの駅とは言わないけれど、最近できた新しい駅。通勤時間は変わらないようなので、実質的な影響は特に無いのだけど、気持ちとしては家がひと駅遠くなった気がして、とても嫌な感じがする。乗降客も少ないし。個人的にはまったく必要ないんだけどなぁ。

ただのボヤきです。

3月25日(水)

東京五輪が延期だかなんだかになるそうだが、たとえ延期だろうが中止だろうが縮小だろうがなんだろうが、私にとってはどうでもいい話だ。なぜなら、私は東京五輪に全く興味が無いし、仕事上も何の関係も無いからだ。

本当に残念だ。

ただ、東京五輪に付随して、私が不利益を被ることには、断固として反対し拒否したい。だって興味もないし関係もないんだから。

本当に残念だ。

あと、東京五輪に付随して、震災復興だとかコロナ勝利だとか景気回復だとか、全く関係ないものを詰め込んでくるのもどうかしている。それはそれでちゃんと取り組め。

本当に残念だ。



天下の一大事のように語られるものに限って、自分には興味も関心も関係も無いことが多くて困るが、関係もないのに自分のことのように語る輩にはもっと困らされる。

3月26日(木)

昨日、娘を保育園に迎えに行った帰りに、ヤクルトを買いに西友に寄ったら、なんだかいつもより混雑していたので、不思議に思いながらも、空いているレジを探して、さっさと店を出た。

家に帰り、のんびり夕飯を食べていると、20時から新型コロナウィルスについての都知事の会見があるというニュースがラジオから飛び込んで来た。さっきの西友の混雑はそのためだったのかと半周遅れで気が付き、自分の勘の鈍さがつくづく嫌になった。

まったくこんな時に。

というのも、いつも配達を頼んでいる食材の量が今週は思ったより少なくて、あとで買い足せばいいかと軽く考えていたのだ。おそらく、この会見は即座に悪い方向に影響が表れてくるだろうと、いくら鈍い私でも嫌な予感がしてきたので、急いで夕飯を食べて近所のスーパー(今度はOKストア)に走った。

予感は的中で、既に店の外の駐車場や駐輪場はいっぱい。店内は今まで見たことないほどの混雑だった。日持ちしそうな食材の棚はことごとく空っぽになっていたけれど、目当ての生鮮品は無事だったので、ゆっくり吟味して、必要最低限の食材だけ購入した。でも、こうして他の買い物客の誰も彼もがカートに食材を満載している様子を目の前にしてみると、我先に買わなくては! という気持ちになってしまうのも分からないでもない。ちなみに私は、明治のアーモンドチョコが安かったので、必要もないのに一箱だけ買ってしまった。

都知事の会見は予想通り具体策や実効性を欠いた内容だったけれど、その格好つけだけの無意味な会見に人々がどんな反応をし、世の中にどいった影響を与え、どんな混乱を招くのかを、そろそろ慎重に考えてもらいたい。今回の新型コロナウィルスについては、地震や台風への備えとは違って、食材を買い溜める必要はほとんど無いような気がするが、実際に買い溜めが始まってしまうと、本当に必要な人が買えないという影響が出てきてしまう。

我が家は共働きのせいもあって、非常時の対応がどうしても遅くなるし、対応できる時間帯も限られてしまうので、対応しようと思ったら遅すぎて何もできなかった、なんてことをいつも経験しているので、実際の買い溜めの瞬間を目撃したのはこれが初めてだったが、こうした影響から、日常生活を維持するだけでも困難が出てくるのだなと切実に感じた。ましてや、幼い子どもやお年寄りや病気の家族を持った家庭は更に大変な目に遭うことだろう。

今回の会見の内容も、結局、自分の身は自分で守れという内容で、全く対策になっていない。こうした対策において、自己責任は本当に無責任だと感じる。



五輪のためにずっと感染増加を隠蔽し、延期が決まったから公表した、などという陰謀論があるようですが、実のところ、今回のような無策ゆえの感染増加がどうしようもなくなったために、五輪延期を決めざるを得なくなった、と私は思っています。後者のほうが圧倒的に無能度が高い。

3月27日(金)

はて? このマスク 何日目だったか? まだ効果あるのか? あるにしても、そうとう守備力弱まってんだろうな。一応、アルコールスプレーで除菌しながら、大事に使い回しているけど。しかし、我が家のマスクも残すところ7枚になってしまった。

う~むぅ。作業用に使ってた防塵防毒マスクでも引っ張り出してくるかな。

さてさて、皆さん御存知の通り、首都圏は外出自粛要請が出されているところだが、明日、どうでもいい仕事の対応で外出しなくてはならなくなってしまい、かなりモヤモヤイライラしている。ただ、そうは言ってもどうにもならないことなので、もうこうなったら、世界最終戦争で人類が絶滅してしまった首都東京を、唯一生き残った自分だけが堪能できるのだと思って、感謝の気持で外出することにする。

俺以外にも誰か生き残りいるかな?



まあ、普段の東京に比べたら、感染のリスクはだいぶ低いとは思うのですが、気持ちがどうにもこうにもね。。。

3月28日(土)

昨日もお伝えしたが、仕事の都合で外出自粛要請が出されている都下に出掛けなくてはならず、今日はやむを得ず外出しているのだが、流石に余暇を楽しむ感じの人はいないものの、朝の電車は意外にも座席に座れないぐらいに混んでいて、町にもそれなりに人々の姿があってかなり驚いた。

気乗りしない外出だったので、普段は見られないゴーストタウンの町並みを期待していたのだが、ちょっと拍子抜けだ。ちぇっ。

さて、こうなったらくだらない仕事などさっさと片付けて、早く家に帰って美味いビールを呑もう。



まあしかし、素人目から見てもこんな状態ではとてもじゃないけど感染拡大は抑え込めないだろう。残念だけど、もうしばらくは色々と覚悟しなくてはならない。まいっちゃうな。

3月30日(月)

学校休校後の混雑緩和から若干の揺り戻しがあって、先週の休校解除からは再び増えはじめ、外出自粛要請の出された週末が明けたが、今日の通勤電車は相変わらずの混雑だった。

追い詰められていることが分かっていても、私のような一介の勤め人は、個人の判断で行動することができないので、この一ヶ月近くの中途半端な状況に心身ともに本当に参りはじめていた、そんな折、あの喜劇役者の訃報が届いた。

私と世代を同じくする馬鹿男子ならば、誰もが多大な影響を受けたであろう、変なおじさんの元祖だ。しかも私はいまだに変なおじさんを自称させて貰っていて、年齢的にもようやく板についてきたところだったのに。

今の様々な状況に追い打ちをかける出来事で本当に辛い。
死んではいけない人が死んでしまった。

3月31日(火)

今朝、私の入れ歯の様子を娘が見たいというので、口を開けて見せてやったかわりに、娘も自分の口の中を見せてくれたのだが、娘の右の奥歯の歯間に嫌な黒ずみを見つけてしまったので、もう少しよく見ようとしたら、私のただならぬ様子を娘に察知されてしまい、頑なに口を閉ざされてしまった。

私自身が口腔崩壊気味なので、娘には絶対になってもらいたくないと思い、毎日念入りに歯磨きをして、虫歯の恐ろしさを身を以て伝えているのだが、毎日のことなので、きとんと磨かせてくれない日もあるし、保育園に通っているので回数も限られるし、成長とともに歯間なども詰まってきているので、この間、ちょっと見落としてしまった感じもあり、もし本当に虫歯だったとしたら、悔やんでも悔やみきれない。

頼むから見間違いであってくれ。

自分のこと以上に心配で朝からかなり凹む。