2020年 6月
6月1日(月)

世の中は完全に通常運転に戻ってしまったようで、さっそく今朝から、満員電車通勤者たちの悲痛な叫びがツイッターのトレンドになっていて、私にはもう少し猶予があるけれど、あと数日もすれば自分もあの最前線の一員になるのかと思うと、もう、なんか、やってられません、ねぇ。

業務と育児の両立だとか、自宅時間の工夫の仕方だとか、毎食準備の苦悩だとか、この自粛期間の在宅勤務では色々と大変なこともあったけど、こうした細かな弊害をもってしても、家族との親密な距離感や生活に費やせる豊富な時間など、場や時間に拘束されないことによる余りある恩恵には、正直言って替え難いものがある。

実際に、今後、通常出社勤務に戻るとなると、平日に娘と過ごす時間は、朝起きてから出掛けるまでの一時間足らずと、夜帰ってきてから就寝までの三時間足らずの、合計四時間ほどしか取れないことに、この二ヶ月間、四六時中娘と一緒にいた身としては愕然とさせられる。

う~むぅ。

思い通りにはなりませんね。 なかなか。




在宅勤務継続につい会社と交渉してみたけど、在宅勤務の物理的な可能性だとか、仕事の効率や働き方の改善だとかよりも、私のように在宅勤務ができてしまう例外を、会社としては認めることができない、ということで却下されてしまった。もちろん、会社はそんな風には言わないけど、本音はそんなところだ。下らないうえに無能だ。本当に。在宅勤務の実践を経験してしまった身としては、ちょっと耐え難い内容だ。

6月2日(火)

この二ヶ月間、本当に四六時中、肌身離れず娘と一緒にいたため、先週半ばから娘が保育園に通い始めてから、けっこう深刻なドータ・ロスに陥っている。しかも、明後日からは電車通勤が始まってしまうので、今度はホーム・シックに陥るだろう。

う~むぅ。

しかし、この二ヶ月間、まったく本を読めていなかったので、電車通勤によって通勤読書が再開できることには、秘かな喜びを感じている。新聞すらまともに読めていなかったから。

特に、この二ヶ月間、今まで経験したことのない出来事によって様々に混乱し、気持ちの行き場を失うようなことも何度かあったので、読書に飢えていたのだ。

なぜ読書なのか。読書の一番の効能とは、よく分からない自分の曖昧な感情に、言葉によって形が与えられることだと思う。感情に言葉が与えられることで、どんな原因でどんな状態に陥っているのか、どんな方法の解決策や打開策があるのか、そうした手掛かりや足掛かりが生まれる。感情に形が与えられることで「そうだ! まさに今の自分はこうなんだ!」と、自分に対する理解が進み、世界を広げることができる。優れた書き手の物語には、そうした言葉の効能が多く溢れているからだ。

そんなわけで、この二ヶ月間の私の混乱した状態を、通勤読書によって徐々に恢復していけたらと思っている。自分を理解し世界を広げるための言葉を持つことは、これから更に大切になってくると思う。

6月3日(水)

くどいのは重々承知だが、今日で最後になるので、是非とも言わせて貰いたい。

明日から電車通勤に戻る。

さて、四月の初旬に自宅勤務に移った頃は、まだ寒くてコートを着てたけど、六月の今は梅雨目前の蒸し暑さで、半袖短パンで過ごしていて、こないだ娘の夏服を出してみたら、サイズアウトしてしまったものが多くて、慌ててネットショップで買い揃えたのだけど、少しオーバーサイズでブカブカになってしまった。

でも、なんだかこの感じ、ロンパースを卒業した直後に、少し大きめの服を着せていた、よちよち歩きの頃に戻ったみたいでとても懐かしいし、小さなビリー・アイリッシュみたいでちょっと可愛い。

緊急事態宣言が解除されて、既に一週間ちょっと経つけれど、都内の感染者数は徐々に増えてきていて、とうとう昨日は30人を超えてしまい、都下に警報が発令された。仕事の状況で言うと、在宅勤務による成果はある程度の水準を保ってているし、仕事量が以前のように完全に戻った訳でもない。そんな状況の中、電車通勤で会社社屋での通常勤務に戻らなければならないというのは、なんとも形容できない、妙な気分である。

明日から電車通勤に戻る。

とても不満だ。




この在宅勤務の間に、古すぎて修理部品の取り扱いが無いと言われたエアコンを直そうと思っていたのだけど、如何せん素人仕事なので、三歩進んで二歩下がるような状態で進めていたら、とうとう在宅勤務が明けてしまった。とほほほほ。

身近なものをぱぱっと修理できちゃう人に憧れています。

6月4日(木)

二ヶ月ぶりの通勤は、思ったほど電車の混雑もなく、スーツやYシャツを着たサラリーマンの姿が少なかったせいか、あまり抵抗や戸惑いを感じることなく、無事にパスすることができた。

午前中は感染防止のためのデスク配置の移動と機材のセッティングで終わってしまったが、午後からいよいよ職場復帰第一弾だな! と思って張り切っていたら、やるべき仕事が無かった。

うぅ~む。

職場といえども、家事や育児や生活の日常から開放され、こんな穏やかな時間を過ごすのは久しぶりだな、などと人心地ついていたのだが、いやいやちょっと待て、今はまだ、自分の周辺には実質的影響は無いにしても、この暇さはちょっとヤバいのではないか? 10万円貰える! なんて喜んでいる場合ではないのではないか? という不安が胸を過ぎる。

しかし、その一方、世界各地では大変な事態が現在進行形で起きていて、長い差別と抑圧による怒りの抗議が広がっている。

そして、そんな最中に私はというと、暇を持て余しているうえに、目先の利益にしか不安を感じていない事がつくづく情けない。

ですので、せめてもの連帯表明として、以下のリンクを紹介させて頂きます。



Ways You Can Help

6月5日(金)

久々の電車通勤での通常業務は、やはりどこかで気を張っていたらしく、家に帰ったらどっと疲れが出てしまって、昨晩は娘よりも早く寝てしまった。

さてさて、そんなまだまだ不慣れな電車通勤だが、昨日、電車での帰宅の際に、我が家の屋根の鳩小屋が最寄り駅の改札口から、わずかに望めることに気がついた。駅前の建物が新築工事で更地になっているので、期間限定で我が家の姿がちょこっとだけ現れたのだ。

なんだかちょっと気恥ずかしい気もするけれど、我が家に帰ってきたんだなという安心感があって、不慣れな電車通勤を締めくくるには最良の、心安らぐ瞬間となる。


ただいま

6月8日(月)

週二回の回収日、我が家は15㍑の袋でゴミを出している。自宅自粛期間は15㍑でちょうど良いぐらいのゴミの量だったが、自宅自粛が明けた先週末は量が半分以下になっていた。もう10㍑でもいいかな。家での食事が減ったことと、テイクアウト用の食品トレーが無くなったことが大きい。

ちなみに、娘が紙オムツを使っていた時は45㍑でもギリギリでした。つい去年のことですが、懐かしいですね。

ゴミの量の推移と我が家と社会の変遷を辿ってみるのも面白いかもしれない。いや、面白くはないな。




そう言えば、自宅自粛中に四日かけて庭の雑草を抜いたのだけど、ゴミの量が70㍑の袋に満杯で3袋にもなってしまって、ヒーヒー言いながら回収所へ運んでいたら、ちょうど回収に来た清掃員の兄さんが袋を片手で軽々持ち上げて、ひょいひょいひょいと収集車に放り込んでしまった。頼もしい、そして、ありがたや。

6月9日(火)

相変わらず仕事はまだまだ本格的には戻ってきておらず、こんなことなら、わざわざ電車通勤してまで会社に来なくても大丈夫じゃねぇか、ぶつぶつぶつ、などと呟きながら、これまで疎かにしてきた細かな整理や高度な設定や新しい知識だったりを、貴重(暇)な空き時間を使ってちまちま補っているところである。

でも逆に、こんな状態のまま在宅勤務をしていたら、確実に昼から酒浸りになっている光景が容易く想像できてしまい、実際に在宅勤務をしていた先週は昼麦酒にかまけて午後の時間は油を売っていたのだから、こうして少しでも仕事の最適化を進めることができてる状況のほうがよっぽど良い。

こうしてみると、哀しきサボリーマン特有の、自己管理の甘さという怠惰な生態が、見事に浮き彫りになってるな。

うぅ~む。




昨日、件の給付金の申請書を投函してきたけど、今後待ち構えているであろう未曾有の大不況を、この給付金だけで無事に乗り越えていけるのかかなり疑問だ。てか、普通に考えたら絶対無理だよな。うぅ~む。

6月10日(水)

私の母校の高校では、卒業生が41歳になる年に学年全体の大規模な同窓会を開催するという慣習がある。おそらくこれは、旧制中学(男子校)時代の名残で、男性の厄年にあたる41歳に、級友と共に厄を落とそうといったところが発端だったのだろうと推測する。

そんな訳で、ちょうど今年が私の学年の大同窓会の開催年になるのだが、残念ながら世の中がこんな状態なので、流石に年内開催は難しいだろうと思っていたら、つい先日、幹事のひとりからフェイスブックの同窓会グループへの招待が届いていた。

グループに参加してみると、もう既に、かなりの数の卒業生がメンバーになっていて、馴染みの顔もあれば、卒業以来で思い出した顔、まったく思い出せない顔なんかを眺めていたら、なんともまあ、懐かしくも切なく、楽しくも苦々しい、自尊心と自意識だけが支配する、高校時代特有の勘違いと挫折だらけの記憶が、怒涛のごとく押し寄せてきて、部屋で一人、ハラハラドキドキしていたのでした。

もう、あの頃に戻らなくていいのだと思うと、ホッとしますよね。

6月11日(木)

通常通勤勤務(←ややこしい)に戻って一週間が経過したが、完全に元の生活に順応してしまっていて、先週までの自宅自粛生活がまるで夢幻だったかのように、もう既に懐かしい記憶になってしまっていることが、哀しい限りである。

そんな中、今日、東京都下に発動されていた感染拡大の警戒警報が解かれ、自粛要請が一段階緩和されるそうだ。こうなってくると、更に何事もなかったかのようにすべてを忘れ去り、加速度的に社会は動き出していくのだろう。実際、朝夕の通勤電車は日毎に人が増えている印象だ。

そして、このまま、なんの教訓もなく、なんの準備もなく、怠惰で楽観的な自己認知の歪みによって、この社会は第二波の猛威に徹底的に打ちのめされる、なんてことにならなければ良いのだが、残念ながら、そうした最悪の状況が容易く想像できてしまうのは、過去完了現在進行系で、あらゆる形の醜態がなんの歯止めもなく世間に曝され続けているというのに、なんの変化も起こせない状況の深刻さを、ずっと目の当たりにし続けているからだ。

まずは、今度の都知事選挙の投票率が、最悪の状況を回避するための、ひとつの指標になってくると思うが、裏付けの指標が選挙結果ではないことに、さらなる状況の深刻さを感じる。

せめて都民は投票に。




会社のパソコンをかなりピーキィーにチューンナップしていると、携帯電話に政党支持率の世論調査の電話が掛かってきたので、自動音声のガイダンスに従って答えていたら、上司が私のところへやってきたので、ヤベェ!と思って、慌てて取り繕おうとしていたら、新しいパソコン購入のために稟議書を出すから希望のスペックをまとめといてくれと言われた。

もうちょい早く言ってくれよ。

6月13日(金)

様々な自粛要請が解除され、そろそろ皆さんも、飲食店での食事をされているだろうと思う。

先週、我が家も昼食時に、近所のうどん屋におそるおそる入ってみたのだけど、まだ本稼働はしておらず、品数を絞った営業ではあったが、上げ膳据え膳で、気軽に美味しい料理が食べられるって、かなり幸せで最高なことなんだなと、しみじみ感じた次第です。

今回の件で、多くの飲食店が大きな打撃を受けているけれど、どんな店にも、その味を心待ちにしている人が必ずいると思うので、なんとか踏ん張って貰いたいし、それよりなにより、政府や行政による的確で迅速な支援をなんとしてもお願いしたい。

家で作る料理も大事だけど、飲食店でしか食べられない料理の素晴らしさも重要だ。


美味い鮮魚が食べたいな。

6月15日(月)

18:00~
 インターFM [89.7MHz TOKYO]
 『Barakan Beat』 ピーター・バラカン
19:00~
 TOKYO FM [80.0MHz TOKYO]
 『村上RADIO』 村上 春樹
20:00~
 J-WAVE [81.3MHz TOKYO]
 『TRAVELLING WITHOUT MOVING』 野村 訓市


このように、昨晩のラジオ番組が至極のラインナップだったため、年甲斐もなく興奮しすぎて、うまく眠れなくなってしまいました。

おかげで今日は寝不足で、頭痛いです。

こういう時に体調崩すんだよな。気をつけよう。




昔、番組を聴き逃した時って、テープに録っている奴が必ずどこかにいて、学年中を探し回ってようやく見つけ出して、またそこから新たな繋がりや広がりが生まれたりして。

失われて久しいですが、前世紀の素敵な営みでしたね。

ピーター・バラカンと村上春樹の番組が若干かぶってしまうので、どちらにしようか悩んだ末、バラカンの番組はあとでradiko(インターネットのタイムフリーラジオ)で聴くことにしました。

今世紀はかなり便利になってますね。

6月18日(木)

先月の半ばに4日間かけて庭の植物の刈込みと雑草の刈取り作業をして、70㍑のゴミ袋3枚にギュウギュウに詰め込んで、だいぶ小ざっぱりした筈だったのだが。

ワイヤープランツとは、ジャスミンとは、ペパーミントとは、こんなに獰猛で狂暴で激烈だったか? と恐れ戦くほど、まるで、地面をのたくりまわる異類異形の怪物のように、植物たちが跳梁跋扈している有り様だ。

さて、どうしたものか。 正直言って、怖いです。




我が家の紫陽花は、元気よく伸びますが花が咲きません。
なぜでしょう?

6月19日(金)

自粛が明けてからの週末の天気がことごとく悪いのと、感染者がここのところ地味に増えてきているので、週末に家族揃って出掛けよう! という感じには、まだまだなれない。

でも、これまでは週末なのだから楽しまなくては! と気負ってアチコチに出掛けていって、いつもヘトヘトになっていたけれど、焦らず騒がず、無理せず落ち着いた週末を過ごせるようになったのは、自宅自粛のおかげだ。

少し不便だろうが、少し収入が減ろうが、少し退屈だろうが、心や時間に余裕を持って家族一緒に過ごせるのなら、その方がずっと素敵で素晴らしいということに気付けたのも、自宅自粛のおかげだ。

できれば、もう後戻りはしたくない。

6月22日(月)

土曜日の夜に来客があったのだが、あまりに久々の宴だったので少し呑み過ぎてしまい、翌日の日曜日は、かなり重めの二日酔いになってしまった。

娘の相手があまりできず、ちょっと可愛そうなことをしてしまったかとも思ったが、そんな心配を他所に、娘は一人で黙々と遊びに集中し、二日酔いの父などには目もくれず、自分に世界に没頭していたのだった。

頼もしい娘の成長の姿を嬉しく思いながらも、どこか寂しい父なのであった。




ちなみに、妻も少し調子にのってしまったようで、酔っ払って階段を踏み外し、足の靭帯を損傷してしまいました。2週間の安静が必要だそうです。

彼女の場合、この3ヶ月の在宅勤務による運動不足の影響も大きいと思うんだよな。

6月23日(火)

我々の世代の辺りまでがありがたがってきたデザインと、これからの時代に求められるデザインは、明らかに違ったものになってきていて、既にその溝は様々なところに深く現れ始めている。

私の仕事の上でも、価値や認識や設定の誤解による結果のズレが徐々に広がりはじめてきていて、我々のような考え方では、もう太刀打ちできないような案件も出始めている。

広告会社や業界団体の主催する、どこぞの広告賞を狙ったようなデザインでは、最早、何の効果も評価も得られない時代がもうすぐそこまでやってきている。

あと、これはデザインだけに留まらないのだが、文化理解や社会問題や政治意識に関わる視点の欠如や無関心は、今後、決定的な批判の対象にもなるだろう。




なんて、偉そうに言ってみたが、私のような人間が真っ先に取り残されそうだ。。。

6月25日(木)

明日は土曜日だとばかり思っていたのだけど、今日はまだ木曜日だった。呆けているな。まだまだ先は長いな。

さて、先週末の妻の右足首靭帯損傷により、保育園の送り迎えを一手に引き受けているところだが、朝の登園時間がどうしても引っ掛かってしまい、時間休を使って一時間遅れで出社する毎日だが、時間が遅くとも朝の通勤電車は肩が触れ合うぐらいには混んでいたりするぐらい、充分にアフターコロナな世界である。

先月までの在宅勤務であれば、わざわざ時間休の申請のために、少し込み入った根回しと面倒な手続きと無駄な労力を費やさなくても済んだ話なのだが。

うぅ~む。

この数ヶ月、新しい働き方の形を数々と目撃し、様々に実感し、色々と改良してきた人も多くいると思うが、現実はこの通り、完全にビフォーコロナに逆戻りのアフターコロナなのである。

うぅ~む。




そういえば、今日は給与と賞与の支給日だが、例の給付金は影も形もありません。ちなみに賞与は、今回の影響により、年度始めの予定から3割近くカットされていました。 (ノД`)シクシク

6月26日(金)

些末な問題であることは分かっているのに、靴の中に入った小石のように、どうも気になってしまって、眠れない夜がある。

昔から、私は気に病み易い質なので、そうした眠れない夜を何度も経験し、辛く険しい朝を迎えていたのだけど、妻と一緒に暮らしてからは、隣で幸福そうにグーグー寝ている妻の寝姿に、眠れないながらも励まされ、最近は新たに娘も加わったので、やはり眠れないことには変わりはないけれど、ほんの少しだけ心強く朝を迎えられるのだ。

人生って色々ある。

週末だ。

6月27日(土)

妻は怪我だし。私は仕事だし。ということなので、今日、娘には保育園に行って貰った。

こんな時、私はいつも感じてしまう。保育園に預けることへ罪悪感。一緒にいてあげられなくてごめんね。

だから、私は毎日ダッシュで帰宅していたのだ。そして、保育園で娘から言われる。

帰りたくない。

そなの!?
父ちゃんが小さい頃は保育園が嫌でしかたなかったけど!?

自分の価値観を押し付けていただけだったのだ。あかんね。

6月29日(月)

緊急事態宣言が解除されてから一ヶ月になる。都下では感染者が増えてきているものの、来月からは様々な制限が一気に解除されるので、更に活発に世の中が動き出すだろう。

しかし、私は、いまひとつ乗れないでいる。

原因として思い当たることは沢山あるが、それらが複雑に絡み合っているせいで、どこから手をつけていいのか分からない状態というか、宿題を終わらせられないまま、夏休みの最終日が迫ってくるような状態というか。

とにかく、宣言解除後は、そうした混乱と焦燥と不満によって、感染者数の速報を確認することが最大の日課であるような、無為な日々を過ごしてしまっている。

まあ、ただの緊急事態宣言解除ボケなんだろうけど、ちょっと鈍りすぎていますね。




冷蔵庫の奥の方に入れておくと、麦酒がキンキンに冷える事を発見してから、晩酌の麦酒が待ち遠しくて仕方ありません。