2022年 2月
2月1日(火)

実家から電車一本で行ける利便性や、職場からも近いという立地もあって、個人的に一番多く遊びに行ったライブハウス「STUDIO COAST」が、昨日、20年の歴史に幕を下ろしたそうだ。

海外アーティストのライブはよく聴きに行ったし、週末夜の「ageHa」のイベントにもよく遊びに行った。

カッコつけてバーカウンターで仏語で注文してぜんぜん通じなかったり、異国の素敵な女の子に無邪気に声をかけてみたり、VIPルームに忍び込んでコテンパンにされてみたり、イベント明けで泥酔のまま職場で仮眠して帰る、なんてこともあった。今となっては懐かしい思い出がいっぱいだ。

ちょっと感傷的に過ぎるかもしれないけれど、「STUDIO COAST」の閉館によって、我々世代のナイトカルチャーの時代は終わったんだなという感じがする。

実際、海外アーティストはもうツアーで東京に寄ってくれないし、オールナイトで遊ぶことも今後はどうなのだろう。

我がナイトカルチャーよ。さらばだ。




背中が痛い時は「ぐぬう。背中さえ痛くなければできるのに」と思う事が沢山あった筈なのに、痛みが緩和されてみると「はて。何をしようとしてたんだっけか」なんて、本当に適当です。

2月2日(水)

通勤時、乗り継ぎで駅の暗い構内を歩いていると、真っ黒なコートだらけの通勤客の中に、眩いばかりのマゼンダのコートが目に飛び込んできた。

うむ。マゼンダだ。

真っ黒ではないにしても、私だってカーキとベージュで身を固めた無彩色に限りなく近い姿で、構内の暗さの一員として充分に貢献している。

今年はもう少し、有彩色も取り入れていこう。そうしよう。ということで、とりあえず山吹色と萌葱色の靴下を買った。

ちょっと渋いな。




今月は妻の試験が目白押しなのだけど、先週末、一発目の試験を終え、答え合わせをしたところ「一問間違えた!」と機嫌を損ねていた。

たった一問で。どこまで完璧主義なんだ。

2月3日(木)

従業員にコロナ感染が広がって、無期限で閉店してしまっている職場の向かいのコンビニだが、いつも出勤途中に昼食のちょっとしたオカズを買っていたので、閉店中はどうしたものかと困っていたら、近所のスーパーにお手頃な惣菜類が揃ってると、妻が有益な情報をくれたので早速行ってみると、たしかに妻の言う通り、豊富なラインナップでとてもリーズナブルな惣菜が揃っていた。

妻よ。愛しているぞ。

今後、コンビニが営業を再開したとしても、お惣菜はこちらのスーパーで買っていこうと思う。

コンビニよ。ごめん。




とうとう保育園の園児からも感染者が出てしまった。家族に感染者が出て休んでいる園児もいるそうだ。

なかなかの局面になってきている。

2月4日(金)

妻にとって今月は試験月間なので、今日も筆記試験があり、朝早くに出掛けていったのだけど、子どもの仕度できちんと見送れなかったので、心の中で「頑張れよ」と念じて静かに送り出した。

今夜は仕事帰りに歯医者に寄るので、ちょっと帰りが遅くなってしまうのだけど、悩ましいのは夕飯だ。外食は避けたいところだが、さて、どうしたものか。

週末なのにな。




昨日の日記に関して、読み方によってはミソジニー的にも読めてしまうと指摘されたので、あらためて読み直してみた。

確かに、かなり狭量な感覚でかなり偏屈に読めば、そういう側面で読めなくもないが、まあ、狭量で偏屈な男が多い時代だから、今後はちょっと気をつけよう。

2月10日(木)

土曜日に子どもが発熱し、火曜日に陽性の結果連絡を受ける。その連絡と前後して、複数の陽性者が確認されたため、水曜日から休園になると保育園より報告が入る。

幸いにも、子どもの発熱は月曜日の朝には治まり、父母ともに目立った変調は無かったのだが、今朝、軽い頭痛と目眩で目を覚まし、嫌な予感を感じつつ、朝の煎茶を口にしたところ、泥水のような何とも言えない茶の味わいに、思わず吐き出してしまう。

しばらくして、煎茶の味がおかしいのではなく、私の味覚がおかしいことに思い至る。

うむ。

まあしかし、昼食時に飲んだ麦酒の味はまだしっかり感じる。麦酒美味い。最高。とりあえず大丈夫だろう、という事にしておいて、もう少し様子を見てみよう。そうしよう。

皆さまにおかれましても、くれぐれもご自愛ください。




今のところ、家族に大事ありませんが、不謹慎ながら、生まれて初めて世の中のブームに乗れた気がしています。

2月23日(水)

子どもの感染隔離10日。我々の濃厚接触隔離7日。合わせて17日間の外出制限が昨晩23時59分に解除された。

おかげさまで子どもの発熱は二日ほどで治まり、その後の家庭内感染もなく、隔離期間のほぼすべてを家族で元気に過ごすことができた。

とにかく長い長い隔離期間だった。とり急ぎご報告まで。




久しぶりの娑婆の空気も美味いものだが、今日は家族で何か美味いもんでも食べに行こう。快気祝いだ。たっぷり奢ろう。

2月24日(木)

17日間の長い外出制限を経て、本日より我が家は全面的に社会復帰を果たしたわけだが、祝日を挟んで週半ばでの復帰は、無理なく走り出しができるので、慣らし期間として考えるとなかなか良かった。

先日も報告したが、子どもの発熱は二日程度で軽く治まり、家庭内で感染が広がることもなかったので、最悪な状況は回避できたのだが、この17日間で4ケースの麦酒が消費されたことは、なかなか深刻で驚愕の事実である。

我が家で注文している中瓶(500ml)は1ケース20本入りなので、単純計算で一日平均 4.7本(2350ml)の消費量である。

うむ。

無事に社会復帰できて良かった。本当に良かった。




ロシアがウクライナに侵攻するという暴挙に出た。仕事帰りにペリメニを買って帰ろうと思っていたのだけど、心情的にちょっと今日はやめておこうと思う。

2月25日(金)

『真平新報 2月号』の月内発行は到底間に合わないが、今回の感染の顛末はしっかり記録しておきたいので、必ず発行したいと思う。ジャーナリスト魂に火がついている。

さて、昨日、学童保育利用承認通知書が届いていた。保育園では「不承諾通知」を受け取った経験があるので、ひとまず胸を撫で下ろしつつも、「不承諾通知」を受け取ったご家庭もあるのかと思うと胸が痛い。

保育園とは違い、学童保育の待機児童数は公表されていないので、実態がよく分からないのが実情だ。

うむ。

今月は子どもの感染でいろいろと苦労もしたが、就学に向けていくつか朗報もあったので、結果的にはまずまず良い月だったようにも思う。




多くのロシア国民が自らの危険を顧みず反戦の声を上げていることに少なからず希望を感じる。明日は飯倉のロシア大使館に抗議に出掛けようと思う。残念ながら、今私にできることはそれぐらいしかない。

2月27日(日)

シリアや香港やビルマの時は、忸怩たる思いでネットで情報をかき集め、画面越しに様子を眺める事しかできなかったが、子どもも大きくなり、気兼ねなく妻に預ける事が出来るようになったので、ウクライナ侵略の抗議活動に参加してきた。

初めて抗議活動に参加したアフガン空爆から、もう20年以上の月日が経過し、街頭にこうして立つのも久しぶりだが、大国指導者の愚かな決断や街頭の冷たさにはあまり変化がないようだ。

そんなことを考えながら、名も知らぬ抗議者の方々と侵攻反対の声を上げていたら、目の前の大型ビジョンに、ロシア軍が病院施設付近でクラスター爆弾を使用した、とニュース速報が流れた。

本当にあの頃とまったく何も変わっていないのかと愕然とする。

2月28日(月)

だいぶ前に友人から子ども用自転車を譲ってもらっていたのだが、子どもはそれほど興味を示さず、たまに気まぐれに乗ることはあっても、積極的に練習に専念するほどの熱意は無かったので、無理に練習を促すことはしていなかった。

ところが、この外出制限期間後半、子ども自ら「自転車練習したい」と言いはじめ、人出の少ない時間と場所を選んで毎日30分ぐらい練習をしていたところ、短い時間にもかかわらず、私も子どももお互いが確かな手応えを感じるほどみるみるうちに上達し、ブレーキも覚束ない状態から、あっという間に補助輪が取れてしまった。

これは、なかなか嬉しい。

私の場合、親からの指導や介助が無かったため、8歳間近まで補助輪を取ることができなかったが、身近に指導してくれる人のいた一輪車は6歳で乗ることができた。身近な指導や介助は本当に大切だ。




四十を過ぎて、実のところ自分は腹が弱いわけではなくて、辛いものをあまり受け付けない身体なのだと分かってきました。辛いものは嫌いではないので、けっこうショックです。