2024年 3月
3月1日(金)
今日は学童クラブはお休みすることにして、三学期いっぱいで転校してしまうクラスメイトのお宅で行われるお別れ会に子どもと妻で参加する。
二学期に引き続き三学期も国外転出による転校。
時代だ。
お別れ会のあとは妻が申し込んでくれて見事当選した夜の水族館体験会に参加。そこには私も合流する予定。
花金らしくなってきやがったぜ。
今月の給料が少しばかり多いなと思ってはいたのですが、変に申し出て藪蛇になるのも嫌なので、そのまま黙っていたら、給料ではなく都の子育て支援金の振込があっただけの話でした。ちなみにこの支援制度に妻が申し込んだところ、子どもとの親子関係が確認できないということで、きっぱり弾かれる凄い制度です。
しかし、こうした支援金って、生活費の足しにするか、子どもの口座に入れるか、どうしたらいいのでしょう? 悩ましいところです。
3月4日(月)
日曜日の午後に妻が出掛けてしまうというので、子どもと二人で過ごすのも何だかなと思い、ものは試しにと、子どものクラスメイトのお母さんに声をかけてみたところ、友だち二人が遊びに来てくれることになった。
本来なら子どもたち同士で約束して遊ぶのが筋だとは思うのだが、これぐらいのお膳立てぐらいなら許されてもいいだろう。これをきっかけに子どもたち同士で遊びはじめてくれれば尚良い。
というわけで、午後に友だちが遊びに来てくれて、子どもたち同士で遊んでいる間、私にもささやかな自由時間が生まれたので、めでたしめでたしの日曜日の午後だったのである。
うむ。
自由時間中、ネットで私の琴線に触れるクロスバッグを見つけたのだが、私の思い描いていた予算感の四割ほど高めという絶妙な値段設定がされており、なんともまったく、いいマーケティングしているなぁ、と痛感させられるのだった。
買うぞ。未来の自分のために。
子どもの友だちの一人がニンテンドースイッチを持ってきました。喉から手が出るほどプレイしてみたかったのですが、大人なので自制しました。
偉い。
3月5日(火)
木曜日に子どもの学校の保護者会がある。
保護者会は15時からなので午後半休で参加しようと思っていたが、有給休暇も余っていることだし、せっかくなので一日まるまる休みにした。
一日休むからには何かしたいところだが、変に予定を立てると詰め込みすぎて後悔するので、散髪だけ予約しておいて、保護者会まではノープランで自由気ままに過ごそうと思っている。
うむ。
聞いた話によると、小学校三年生と四年生は保護者会の参加率がぐんと下がるということだ。中弛みと言ってしまうと言葉は悪いが、入学直後や卒業間近よりは、親としても弛みが出てしまうぐらい、少し安心できる時期なのだろう。
私も少し弛むことができるだろうか。
最近、眼鏡をかけていても見えづらいことがあり、また視力が落ちたかなと落ち込んでいたのですが、よくよく確認してみると手元付近の細かな文字だけが見えづらいことに気が付き、まさかこれってもしかして。。。
更に落ち込みます。
3月6日(水)
昨晩、寝支度をしていたら、どこからか「プァワン」という感じの甲高い汽笛のような音がしたので、なんだろうと思っていたら、パジャマに着替えていた子どもが「今の私のオナラ」と呟いたので、二人で大笑いしてから一緒に寝た。
早く一人で寝れるようになって欲しいのは山々だが、まあ、もうしばらくは良しとしよう。
昨日、子どもたちがお母さんの帰りを駅前で待っている時に、皆で円になり、『春が来た』の替え歌を順番に披露し合う遊びをはじめたのです。まさにサイファーが生まれた瞬間でした。
3月7日(木)
休みの朝。いつもより少し寝坊気味に目を覚ます。
えいやっと気合を入れないと布団から出られない。洗濯機を回し、すぐに布団に戻ってネットサーフィン。ニュースサイトとSNSを巡回してから、無くしてしまったイヤホンのイヤピースを家電サイトでしばし値踏みをしていると、洗濯終了のブザー音。サーフィンも終了。
洗濯物をピンチハンガーに吊るしてベランダに干しに外へ出る。だいぶ寒い。
もう妻子も目を覚ましてはいるが、なかなか布団から出てこないので、ガスストーブで部屋を温める。ぐずぐずと着替えてから朝食。子どもが遊びながら食べようとしているので嗜める。朝食後、学校に折り紙のインコを持って行きたいと子どもが言い出すので、皆でインコを折る。私が二羽折るうちに子どもは五羽。
今日の主要目的は保護者会。その前に散髪と買い出し。買い出しは、週末に子どもが友だちの家に遊びに行くので、何か気の利いたおやつを持たせてやりたい。麩菓子、ソースかつ、フラ印ポテトあたりを狙う。あとは夕飯の食材。今夜フライの予定。至高のハムカツと究極のウィンナーフライ。
買い物途中のどこかで妻がみつけた蘭州拉麺か前に行ったタコスの店に寄りたいが、駅向こうだから時間的にどうだろう、いや、朝イチで先に買い物だけ済ませばいけるかも、などと思案を巡らす。
妻と子どもを送り出したあと、久しぶりに大掛かりな掃除。一階を念入りにやっていたら、二階途中で掃除機のバッテリーが無くなってしまい、充電の合間に日記を書く。
せっかくの休みだけど、保護者会前に麦酒呑んじゃったらまずいよな。どうしよう。
保護者会が終われば何もないので、子どもに学童クラブを早退するかどうか確認したのですが、いつも通りで構わないとのことでした。
3月8日(金)
雪の降る薄暗がりの中、朝刊を取りに玄関から外へ出ると、向かいの小学校の教室には既にもう明かりが灯っている。子どものクラスの隣の教室。このところ遅くとも6時半にはいつも明かりが灯っている。
とても心配だ。
さて、昨日の子どものクラスの保護者会では、一年間の子どもたちの成長、次学年に向けての心構え、今後の日程や持ち物などの事務報告などなど、いつも通りの内容のあと、来年度からの学校運営の変更点について報告されたのだが、変更理由のひとつに「教師の働き方改革の一環」という文言があって愕然とさせられた。
いやむしろこれは、教師はもちろん、生徒にも保護者にも負担が増えるだけじゃないか。
うむ。
ここ最近、どこもかしこも欺瞞と虚妄による社会の歪みが酷すぎて、もう後戻りが難しい、かなり傷んだ状態だと感じるのは、ただ私の考えが過ぎるだけだろうか。
今だけは、ここだけは、自分だけは、と逃げ切ろうとしたところで、既に逃げ場はどこにもない。そんな社会が目の前に広がっている。
ちなみに、保護者会に参加した男親は今回も私だけでした。
明日は妻がボランティア参加で一日おらず、子どもが土曜授業のあと友だちの家に遊びに行くので、我が家には私一人です。
奇特な方がいらっしゃったら、ぜひ遊びに来て下さい。
3月9日(土)
子どもも妻も不在の一日は、結局、台所掃除と片付けに終始してしまった。
もしかしたら掃除って、俺の一番のストレス解消なのかもしれない。
うむ。
さて先日、ずっと行方不明だった子どもの給食用のランチョンマットが意外なところで発見された。
給食の時にしか使わないうえに、いつもランドセルの脇のフックに付けているので、どう考えても無くす筈のないのだが、年明け早々に忽然と姿を消してしまった。
名前も明記してあるので、無くしたとしてもすぐに出てくるだろうと思っていたのだが、待てど暮らせどなかなか出てこない。つい先日の保護者会でも子どもの机の中や道具箱も確認してみたが見当たらない。学校や学童クラブの落とし物の棚も確認したがまったく見当たらないので、もう諦めようと思っていた矢先、学習用タブレットを入れるバッグのサイドポケットから出てきたのである。
灯台下暗し。
たかがランチョンマットだが、こうしてスッキリ出てきてくれると、妙な爽快感が身体を駆け巡る。掃除や片付けの気持ち良さに似ている。
友だちの家には一人で遊びに行くと言っていたのですが、玄関で見送ってしばらくすると子どもが戻ってきたので、どうしたのだろうと思ったら、友だちの家の前まで一緒について来て欲しい、とのことでした。
ちなみに友だちの家は2ブロック先。どんなに遅く歩いても三分の距離です。
3月10日(日)
昨日の夕方、子どもが友だちの家から帰って来るやいなや「友だちのお母さんはなんでも優しく「いいよ」って言ってくれた」と言って泣きはじめたので、なんだよその嫉妬心、と思ってこちらの気分まで悪くなった。
「優しく「いいよ」」ならなんでもいいのかよ。なんなんだよ。
うむ。
さて今日は、家族でかなり寝坊してから、父娘で少し外に遊びに行き、その後は妻子で出掛け、私も後から合流して遅いお昼を一緒に食べようと思っていたら、妻子の予定が思ったより長くなってしまうというので、すかさず部屋の掃除と水槽の水換えを済ませてから、この日記を書いている。
しかし、これから昼となると15時近くになってしまうのだが、はたして開いてる店があるだろうか。そして、15時昼食となると夕飯はどうなってしまうのだろうか。
朝の寝坊が結構響く日曜日である。
みなさん「パーフェクト•デイズ」はもう観ましたか? 私はまだ観ていないのですが、評価の賛否が両極端すぎて戸惑っています。
ヴィム•ヴェンダースの長編劇映画はほとんど観ているので、とても怖い状況です。
3月11日(月)
今朝、子どもがいつもより早く出ると言うので理由を尋ねたところ、学年末のまとめの漢字テストで友だちが赤点になってしまい、授業が始まる前に再テストを受けることになったそうなのだが、その友だちから心細いから一緒に付いてきて欲しいとお願いされたので、みんなで一緒に登校することにしたそうだ。
うむ。
しかし、まとめのテストとか再テストとかもそうだが、毎日の宿題や長期休み中の補習授業、そして、家庭によっては習い事三昧の小学二年生たち。
もう少し何とかならないものだろうか。
今週は目立った行事もなく、どちらかと言うと消化試合のような凡庸な一週間ですが、一転して、来週には卒業式、再来週からは春休みが始まり、実は嵐の前の静かな凡庸さでした。
そんな折に起きた13年前の震災だったんですね。
3月12日(火)
子どもの学校で拾ってきたミモザの種の発根に挑戦しているのだが、昨晩、子どもが確認したところ一番大きい種から根が出てきていたそうだ。
発根中の種は20個ほどあるので、発根が半分ぐらい確認できたら育苗用のポットに移し、今度は発芽に挑戦しようと思っている。
二年ほどで花をつけるらしいので楽しみだ。
うむ。
さて以前、とある美術館の前でヘイトメッセージを掲げた男性二人に対し、子連れの女性が果敢に抗議していたので私も少しだけ加わった、という話を書いたと思う。去年の夏のことだ。
その後、実はその女性が美術作家であることが分かるのだが、先日、国立西洋美術館の内覧会でパレスチナ人虐殺反対のパフォーマンスを行った作家の一人が彼女だった。
うむ。
しかし、最近の若い作家(美術)や作家(文学)は、自身の表現の文脈と重ね合わせて、政治や社会の諸問題に対してきちんとしっかり発言するようになってきている。
頼もしい限りだ。
保護者会の発言の際に「いつもご迷惑をおかけしています」を挨拶の枕詞に使うお母さんが多くて、ちょっと驚いたのですが、期せずして先日、クラスメイトのお母さんの帰りが遅くなるらしいので、私が「駅で待つのは寒いから、我が家で遊んで待ってな」と伝えると、そばにいた一年生の子が「迷惑かかるから私なら断る」と言った。
その言葉に愕然としながらも、私は「君は「迷惑」をいっぱいかけていいんだよ」と伝えた。
3月13日(水)
今朝はちょっとした思いつきで、いつもなら妻子を起こしてから朝食の支度をはじめるところを、妻子が起きてくる前に朝食の支度に取り掛かることで、貴重な朝時間の時短に挑戦してみようと準備をしていたところ、妻の怒鳴り声のあと妻子別々に不貞腐れて起きてきた。
何があったかは知らないが、結局のところ、私が何かやろうとするとこの始末。私の密かな時短への挑戦も水の泡である。
うむ。
まあ愚痴を言っていても仕方ないので、事情を聞こうと不貞腐れる子どものところへ行くと、子どもの着ている服がもうぱつんぱつんになっていたので、事情を聞く前に「この服もう駄目なのか!?」と叫んでしまったのだが、私の叫びが滑稽だったようで、なんとなくその場が和んだのだった。
子どもの成長というのはいつも唐突であり、いつも間接的に発見されるものだが、とにかく私は、時短に着手したかっただけなのである。
今日、消防署員の立ち会いのもと、会社で避難訓練があったのですが、会社の向かいの公園に無事に全員避難し終え、整列して署員の方からのありがたい訓示を受ける段になって、無線で出動要請が入ったかと思うと、風のように緊急出動していってしまいました。
そんなわけで、我々は寒風吹き荒ぶ公園に取り残されたまま、孤立無援の避難民になってしまったのでしたが、要領の良い私は完全防寒で避難したため、なんとか事なきを得ました。
3月14日(木)
昨日、子どもが自分のものと似ている傘を、間違えて学童クラブから持って帰ってきてしまい、妙に落ち込んでいた。
あまりの落ち込みように見兼ねてしまい、父ちゃんなんか他人の靴とか上着とか、はたまた、ビールジョッキとかサランラップとか吊り革とか、今まで色んなものを間違えて持って帰ってきちゃったよ、と慰めてみたところ、「持って帰ってきちゃったよ、じゃねえよ!」と言わんばかりの軽蔑の眼差しを向けられるのでした。
酔っ払ってたんだからしょうがないっしょ!
ということで、何とか事なきを得ました。得たのか?
月曜日に再テストになってしまった友だちは、結局、学校に行くのが嫌になってしまい、欠席してしまったそうですが、小学二年生から再テストをやらせるなんて、嫌になるのは当たり前だと思います。
この国の学校教育はどうなってしまったのでしょか。
3月15日(金)
水曜日に引き続き、今夜もまた妻が不在にするため、昨晩、子どもと夕飯の材料の買い出しに行った。
材料以外にも子どものおやつのふ菓子や私の昼食のカップ焼きそば、そして、久しぶりにバナナを買って帰ってきたのだが、家に帰ってきて、子どもが「バナナってどうやって剥くんだっけ?」と聞いてきたので、「え! マジで!?」とちょっと驚きつつ、剥き方を教えてやると「そうそう、こうやるんだった」と思い出したようである。
保育園の頃は毎日のように食べていた筈なのだが、まあ、それぐらいご無沙汰のバナナだったのである。
うむ。
さて、妻がパレスチナ連帯の一環として、今まさにラマダンの断食を実践している。昼食を抜いただけでヒーヒー言ってしまう世俗的な父子は、いつまで続くかなと意地悪に見守っていたのだが、今もしっかり続けているようである。不埒な我々には到底真似できないことだ。週末にはムスリムのママ友とイフタール(日没後の食事会)にも参加するそうだ。
うむ。
アッサラーム・アライクム。
買い物の帰り道で、友だちの家の前を通った時に可愛い花が玄関先に飾られていました。
子どもがその花を見て「持って帰ったんだ」と言うので、「何で?」と尋ねると、その花は子どもの学年で新入生の入学式に飾るために育てていたもので、家の前を通った友だちは今学期で転校してしまうので、引っ越しの前に家に持ち帰っていたようなのです。
別れの季節です。
3月18日(月)
土曜日はパレスチナ大使館のキッズイベントに参加。
キッズイベントなので終始ワイワイガヤガヤと賑やかだったが、ガザで亡くなった子どもたちの追悼のためのクラフトワークがメイン。子どもたちのアシストをしてくれるオーガナイザーの中にはガザ出身の人もいて、なんともやるせない。
大使館から戻ると、友だちから誘いの連絡。区民プールへ行く予定を変更して友だちと公園へ。夕方に砂まみれになって帰ってきた。
うむ。
そして翌日。日曜日。花粉症なのか風邪なのか、子どもの鼻水がズルズル。
大事をとって、と言うか子どもも外出したがらなかったので、一日家で過ごしたのだが、流石にもう子どもと一緒に遊ぶのは厳しくなってきた。かと言って、動画やゲーム三昧も良くない。まだ主体的に自ら何か探して取り組んだり没頭したりする様子もないので、出掛けられない週末はなかなかに難しい。
こんな時、習い事に逃げたくなる気持ちがむくむくと立ち上がるが、子どもも習い事には消極的。今のところ打開策無し。
夜は妻がムスリムのママ友とイフタール(日没後の食事会)に行ってしまったので、我々は久しぶりに寿司屋。
珍しくカウンター席が空いていたので座ろうと思ったら子どもが拒否。残念。光物が美味い季節になってきたけど、やっぱりホタルイカが最高。お値段も良心的。
そんな週末。
当たり前のように子どもと一緒にお出掛けや旅行ができるのは、その子の気質や性格に依るところがかなり大きいと思いますので、親は子どもに感謝しましょう。
3月19日(火)
引き続き鼻水ズルズルの子どもだが、僅かながらも改善の兆しがあるので、花粉症ではなさそうなので、ひとまず安堵。
しかし、洋服の袖で鼻水を拭っていて、あまりにみっともないので、ちゃんと鼻をかむよう注意すると、嫌々ながらティッシュを鼻に当ててモゾモゾとかみはじめる。
ところが、どうも要領を得ない様子なので「どうしたの?」と尋ねると「どうやんだっけ?」との応答。
ズコーッ!
確かに久方ぶりの鼻風邪ではあるが、バナナの剥き方に引き続き、鼻のかみ方まで忘れてしまうとは。保育園の頃にあれだけ頑張って教え、かなり上手くできていたのに。
また特訓か。
明日が休みなので気持ちも身体もかなり気楽です。やはり週中休みはいいですね。
さて、学年末も差し迫り、残る登校日もあと2日。大きな変化を前に神経質になりつつある子どもですが、まあそれはそれで、我が家の季節の風物詩として定着していきそうです。
3月21日(木)
一年生の時の担任の先生と今現在の担任の先生が、今年度をもって異動になる。
一年生の時の登校拒絶を粘り強く支えてくれた先生。二年生では勉強に対する苦手意識に上手く寄り添ってくれた先生。二人の方には頭が上がらない。
加えて、二年間お世話になった学童クラブの指導員の方も今年度で異動になる。
敏感で神経質な子どもに気長に付き合ってくれ、なにか問題があった時には、いつも家まで子どもを送り届けてくれた指導員の方。本当にお世話になった。
うむ。
本日で授業終了。あとは卒業式と修了式を残すのみ。
子どもを通して別れの季節を感じている。
まだまだ天邪鬼で臆病で傍若無人な子どもですが、多くの人の手を借りながら健やかに成長しているのだなと思います。
3月22日(金)
子どもは今日から弁当。ついでに私も久しぶりに弁当。
長期休み限定ではあるけれど、この二年弁当を作り続けて少しマンネリ期に突入してきているので、素材や質に加えて手際の面でも新たなる段階を目指したいところ。
仕事に対しては無気力なのに、弁当作りには意欲的だ。
うむ。
さて、来週から春休みの学童通いがはじまるのだが、学校と比べて学童のはじまる時間は少し遅いため、ご両親の出勤時間との兼ね合いで、瞬間的に子どもが一人になってしまうクラスメイトのご家庭があり、こないだの冬休みは我が家に寄って貰って、しばらく時間を潰して一緒に学童に行っていたのだが、春休みはどうしますか? と尋ねたところ、もう春休みは一人で行かせます、とのことだった。
次年度は学童通いも最後になるので、うちの子も少しずつ留守番や戸締まりの練習、一人行動にも慣れてもらわないとな、と漠然とは思っていたところに、こうして現実に対応しているご家庭を目の当たりにして少し焦りつつ、まあ、だからと言ってこればっかりは子どもにもよるところ。一年生の頃から自立心の強い子もいれば、五年生でも親と一緒じゃないと寝れない子もいる。
ゆっくりじっくりやっていくしかないよな。特にうちの場合は。
会社で6月に若干の配置転換が行われるようなのですが、目下の課題は今よりサボれるかどうかだと思っています。
働かなくてもいい社会はまだでしょうか。
3月23日(土)
今日は午後から子どもの友だちが遊びに来た。
お互いにお小遣いをもらって、近所の駄菓子屋におやつを買いに行こうという計画を立てていたようだが、言い出しっぺの友だちがお小遣いを忘れてきてしまい、やむなく断念。
私が少し融通しようかと申し出たのだが、固辞された。子どもって変に潔癖なところがある。
うむ。
自分たちの計画が立ち崩れになってしまい、どうしたものかとしばらく立ち尽くしていたのが、プレイモービルを引っ張り出して、なんだかんだと遊びはじめることで、とりあえず落ち着く。
外は生憎の雨模様だが、あとで妻と一緒にクッキーを作ったり、映画を観たりするだろうから、まあなんとかなるだろう。
父だけが手持ち無沙汰な、そんな土曜日だ。
今週のはじめ頃からずっと鼻ズルズルの子どもでしたが、説得の末ようやく耳鼻科に行ってくれました。
おかげさまで、花粉症ではなかったようですが、耳鼻科をめちゃくちゃ嫌がるのはなんなのでしょうか?
3月28日(木)
私が小学校4年生にあがった頃の話。
学童も卒業して放課後の時間をどう使っていいのか分からず、退屈で孤独な時間をなんとなく持て余していた時期。あまりにもやる事がないので、ある日の夕方、なんとなく「婆ちゃんを迎えに行こう」と思い立ち、駅の方に向かった。
その頃、祖母はまだ働きに出ていて、仕事帰りに駅前のスーパーで夕飯の買い物をするのが日課だった。17時前には家に帰ってきて、夕飯は18時ぴったりにはじまるのも日課だった。
駅に続く真っ直ぐな道に出ると、道の向こうに小さな人影が見えた。両手にスーパーの袋を提げ、俯きながらひょこひょこと歩く特徴的な姿はまさしく祖母。手を振りながら走って近づくと、祖母は驚いたように顔を上げ、最初は私だとは分からず戸惑った様子だったが、すぐに笑顔を見せてくれた。
それから「何か荷物を持つとよ」と申し出て、祖母が片手で持っていたスーパーの袋を受け取った。何気なく受け取った袋のあまりの重さに驚きつつ、しばらくなんとか両手で頑張って持っていたのだが、手に食い込む袋の持ち手の痛みに耐えられず、家に着く前に降参。代わりに祖母の鞄を持って帰った。
祖母から「真平ちゃんはだらし無いね」とカラカラ笑われて、緑のチェルシーを貰った。
それからしばらく祖母のお迎えが私の日課になり、スーパーの袋も次第に自力で持って帰れるようにもなったのだが、暫くすると友だちとの約束や習いごとなどでなんとなく疎かになり、高学年になると気が向いた時にしか行かなくなってしまったのだけど、初めて行ったお迎えは35年前のことなのに、何だか妙に新鮮な思い出として今も残っている。
25日の月曜日の朝。祖母が永眠した。
享年100歳1ヶ月5日。
祖母の思い出は他にも沢山ありますが、どことなくとぼけていて、どことなくおっちょこちょいな人だったので、つい笑みがこぼれてしまうような楽しい思い出しかありません。
3月29日(金)
昨日書いた祖母の思い出は、祖母が亡くなったと思われる時間にちょうど思い返していた内容なのだが、私は虫の知らせとか第六感とかいう予知能力のようなものをまったく持ち合わせていないし、そもそも、そういったものをあまり信じてもいないので、まあ不思議な偶然があるものだなと思ったものである。
うむ。
さて、ここの最近の春の嵐で、会社の前の桜並木の桜の枝がふっくらした蕾をつけたまま折れて落ちてしまっていたので、自分の職場に持ち帰り、コップに水を入れて差しておいたところ、今朝、出勤してみたら花が綺麗に開いていた。
もう春だ。もう何回目の春だろう。
週末には大切な友人の結婚祝があり、週明けには祖母の葬儀があり、週半ばには古い友人たちとの宴席がある。
明日、3月30日14時~16時で『新宿円周ラッピングデモ』という、パレスチナ連帯の大規模なスタンディングデモが新宿駅周辺で予定されています。
是非、一緒に参加しましょう。