2024年 2月
2月1日(木)

もう少し正月気分でいたかったが、今日からもう二月である。でも二月には旧正月がある。

良かった。

さて、湘南には私の父方の伯父夫婦が住んでいて、親類の中では比較的近くに住んでいたので、小さい頃からよく遊びに行き、いつも良くしてもらっていた。

昨年も伯父さんの卒寿のお祝いをしたばかりで、伯父さんも上皇陛下と同級生なんだと賑やかに笑いをとっていたのだが、実はその頃にはもう痴呆の症状が出はじめていたそうだ。

介護をする伯母さんも高齢のため、老々介護で色々と負担も増えるだろうと心配していたところ、年始に伯母さんの急逝の知らせが届いた。

うむ。

死因は急性心不全。自宅で亡くなったそうなのだが、亡くなってから定期訪問の介護福祉士さんが訪れるまでの二日間、伯父さんはどうすればいいのか分からず、冷たくなった伯母さんの身体をずっと撫でていたらしい。

老々介護の悲劇は毎日のように報道されていて、伯母さんの件も悲劇ではないとは言えないが、悲劇と言うには微笑ましさや慈しみがあるではないか、と認識を歪曲し矮小化しようとしている自分に気付き、恐ろしくなる。悲劇はもうそこまでやって来ている。




先日行われた高校時代の同好会の友人たちとの新年会は、コロナ禍や結婚や転勤などでしばらく開催できませんでした。

相変わらず楽しい連中で、みんな変わらず元気そうで何よりでしたが、去年行われた高校創立100周年記念の祝賀同窓会に誰一人として参加していないというところも最高です。

2月2日(金)

昨日の三時過ぎに、子どもが熱を出したと学童クラブから連絡があったので、上司に事情を話してすぐに職場を出たのだが、電車が車両点検で止まってしまい、焦りと苛立ちばかりが募るのだった。

そう言えば、子どもが生まれる時も、病院へ急いで向かっている途中で電車が遅れたな、なんてことを思い出し、あの時よりはまだマシかと納得する。

学童クラブに迎えに行くと、意外と元気そうな様子で子どもが顔を見せたので少し安心。

家に帰って子どもをパジャマに着替えさせ、ベッドに寝かせて体温を測ると37.3℃。ふむ。とりあえず子どもを家において何か滋養になりそうなものを買いに出掛けると、同級生とそのお母さんにばったり。学童クラブからの帰りがけに、うちの子が忘れてきた体操着とハンカチを届けに来てくれるところだった。

こういう心遣いが本当にありがたい。

子どもの体調不良で早退するのはいつものこと過ぎて、これで何度目になるかも覚えていないが、何度経験してもなかなか慣れないものだ。

風邪の症状は大した事なさそうだが、とにかく早く良くなってくれ。




『火の鳥』シリーズは全巻読み終えてしまったのですが、今は『ゲゲゲの鬼太郎』シリーズに熱中しているところなので、療養中の暇つぶしにはちょうど良かったかもしれません。

次は『笑ゥせぇるすまん』にしようと思っているのですが、うちの子どもにはちょっと早すぎるかもしれません。『天才バカボン』ぐらいがいいかな。

学童クラブにも今時の漫画が相当数揃っているようなのですが、うちの子どもはあまり読まないようです。

2月5日(月)

金曜日には子どもの熱は下がっていたようなのだが、土曜日の朝から、腹が痛いだとか頭が痛いだとか言っているので一日自宅でお籠り。

ちなみに、妻が子どもの看病をしていた金曜日には、体調不良など一切訴えていなかったようで、妻曰く「あなた(私)がいるから甘えている気がする」とのこと。

うむ。

まあ、そんなこんなで仮病を経た日曜日。家族で新大久保へ出て少し遅めの焼肉ランチをしてから、新宿東南口広場で行われているパレスチナ連帯サウンドデモへ。

途中、ウィグル解放のデモ行進に遭遇したのだが、日本国旗がチラホラ見えたので訝しんでいたら、それもそのはず、そっち界隈主催のデモだったのでかなり気が滅入る。

気を取り直して東南口広場へ。

パレスチナ、とりわけガザ地区でのイスラエル軍による無差別爆撃は凄惨を極める状況で、正視に耐えない映像が毎日のようにネットを駆け巡る中、ようやく参加できた反戦デモ。

様々な地域や文化の有色人種(我々も含めて)の人たちがサラダボウルのようになって抗議を叫ぶ光景は、これまで私が参加してきたどの反戦アクションともだいぶ趣が異なり、抗議の場では少し不謹慎かもしれないが、新しい体験に素直に興奮してしまった。

子どもはその場では抗議の光景をジッと見つめるばかりで、もしかしたらまた体調が優れないのかもと思って声をかけたが、そんなことはないらしく、私も意味の分からなかった英語のコールやチャントを家に帰ってから叫びはじめたので、子どもは子どもでかなり影響を受けてきた様子。

そんな日曜日。




雪がヤバそうなので、今日はお昼で帰ろうと思っていたのですが、どうしても断れない仕事を頼まれてしまい、帰りそびれてしまいました。

今のところ、電車が運休するようなことはなさそうなので、ひとまず安心です。

2月6日(火)

タブレット教材の弊害は前にもお伝えしたと思うが、残念ながら昨日もタブレット教材の宿題が課されたうえに、先週の欠席ぶんの宿題も課されたので、本当に大変だった。

とりあえず昨晩は欠席ぶんのプリント教材、それから今朝は早起きして残りのタブレット教材、合計2時間ちょっとの時間を費やして、なんとか終えることはできたのだが、共働き学童通い世帯の少ない家庭時間から、2時間もの時間を捻出することがどれだけ大変なことか。

あと、あらためて感じるのは、タブレットであることの有用性が1㍉も発揮されていないうえにクソゲー感が強いため、そのあまりの不条理さや無意味さによって、学習そのものに対する子どもの意欲や興味が削がれてゆくという懸念である。

まあしかし、そもそも宿題自体がクソゲー攻略みたいなものだと考えることもできるので、何が良いのか、何が悪いのか、そもそも学校教育の根本のところに立ち戻らないといけないのかもしれない。

ちなみに、今日は宿題は一切無いそうです。

なんで?




前提として親の関与や援助が必須となっている宿題の課され方にもかなり不満を持っております。

私は早く子離れしたいのです。

2月7日(水)

宿題を終わらすために昨日は早起きしたのだが、宿題もないのになぜか今日も早起きして、リビングの隅で黙々と遊んでいた子どもである。

なんだろ?

さて先日、子どもの迎えに家を出てしばらく歩くと、遠くの方から子どもたちの歌声が聞こえてきた。

パプリィ~カ♪ 花が咲い~た~ら~♪

こんな風に、たまに子どもたちが歌を歌いながら帰ってくることがある。幻の五輪応援歌。懐かしい。

夕暮れ時の商店街が子どもたちの歌に包まれ、行き交う人々も足を止め、子どもたちの姿に頬を緩める。中にはわざわざ店から出てきて、子どもたちの姿を笑顔で見送る商店主もいる。

どんな灯火よりも町が明るく照らされ、どんな町興しよりも町が興され、どんな地域活性策よりも地域が活性化しているような、そんな光景。




なぜ日本だけが旧正月を祝わなくなってしまったのでしょうか。悲しすぎます。

日式春節。誰もやらないなら一人でやろう。そうしよう。

2月8日(木)

昨日もタブレット教材の宿題が課されていたので、こちらも身構えていたのだが、5分以上ロードに時間がかかった割には出題されたのは4問だけ。

しかも内容は、子どもが得意とする図形問題だったので、5分とかからず終えることができたのだが、たしか月曜日には30問以上が出題され、運転免許の学科試験ばりの引っ掛け文章問題だった筈だが、この差はいったい。

うむ。

さて、少々ばっちい話なのだが、最近、朝の通勤電車で便意を催すことが何度か続き、けっこう大変な状態だったが、なんとか途中下車して事なきを得た。

しかし、それからというもの疑心暗鬼になってしまい、ちょっとしたお腹の動きが気になって、朝の通勤読書に身が入らなくなってしまった。

私の貴重な読書時間を。




ここのところの寒さで、神経痛と思われる痛みが、首や肩に出はじめています。

職場の寒さも結構大きな要因だと思われるので、朝一に暖房を強めに効かせているのですが、急に寒くなることがあるので操作盤を確認しにいくと、暖房の運転が止まっていることがよくあります。

止めてる奴よ。見つけたら、ただじゃ置かないからな。

2月9日(金)

いつも学童クラブから一緒に帰ってくる友だちの中に、駅の改札で待ち合わせをしてお母さんと一緒に帰る子が何人かいる。

その待ち合わせ組に混じって、うちの子も駅で待つと言って聞かないので、流石に子どもたちだけで待たせるわけにもいかないので、私も一緒にいつも付き添う。

友だちのお母さんが帰ってくる度に「また明日」と見送って、最終的に私たちが最後まで残ってみんなを見送ることになる。

待っている間、なんとなく手持ち無沙汰なので、それとなく子どもたちの様子を観察しているのだが、うちの子に限らず、小学二年生という生き物は、見た目はちんちくりんなくせに、言うこと成すことはなかなか生意気で、それでいてまだまだ甘えん坊なところもあって、とても素直で健気で潔癖で、見ているだけで頬が緩む生き物だなと、しみじみ感じたりしている。

うむ。




先週に引き続き、また子どもが熱を出したようで、今度は学校から呼び出しがかかりました。

妻が学校に迎えに行くと、同じクラスの子がうちの子以外に3人も横になっていたそうです。欠席は4人。

三連休なのに。

2月10日(土)

昨日の日記に引き続き。

小学校二年生のちんちくりんな感じに、妙な懐かしさを覚えるので、さて何だったろうか? と考えていたら、ドラマ「北の国から」に行き当たった。

主人公の黒板五郎が富良野に移住したばかりの頃、息子の純が9歳、娘の蛍が8歳なので、今のうちの子とだいたい同学年なのだ。

もう少し調べてみると、黒板五郎が富良野へ移住したのが45歳。私も今年で45歳。つまり、私と子どもの年齢差は「北の国から」の黒板一家の設定とどんぴしゃで、あの物語の始まりと完全に重なるのだった。

うむ。

俺は五郎だったのか。




年始の休みを使って、第二子を授かった義妹の住む静岡を訪ねる予定だったのですが、その時は妻の体調不良で断念。

実は今日、あらためて訪ねる予定でいたのですが、昨日の子どもの発熱でまた断念。

三度目の正直で次回こそはと思っているのですが、子どもの熱も今朝方にはすっかり下がってしまって、今はすごく元気です。

行けたんじゃね? ってね。

2月11日(日)

子どもの体調不良で予定が飛んでしまうことなんて、今までも何度もあったし、流石に慣れっこになっているはずだったが、三連休の予定が飛んでしまうのは、なかなかに、なかなかだ。

そんな訳で、病み上がりの子どもと配信のアニメやら何やらを見ながら療養の有閑をやり過ごしているのだが、NHK プラスのEテレの番組を見ていたら、ピタゴラスイッチが新たな進化を遂げていて、そもそもはドミノ倒しのような単純な面白さだったのだが、ピタゴラ装置自体がメタ構造化したような、かなり斬新な内容になっていて、これはもはや、ちょっと上品な方面の現代アートやんけ! と驚いてしまった。

うむ。

さあ、明日はどこか出掛けられるだろうか。どうだろうか。




昨日、マニキュアを塗ったのですが、筆ムラが気になるので、模型用のヤスリやコンパウンドで研ぎ出しをしてみたところ、なかなかいい具合に均されて、いい感じに艶が出ました。

模型用のアクリルカラーと違い、マニキュアの塗膜はとても柔らかいので、ちょっとコツが必要です。

2月12日(月)

三連休最終日、一縷の望みに賭けて、春節真っ只中の中華街の行きつけの店に、ディナーの予約したのだが、まだ子どもの咳と鼻水が酷いので、これまた断念。

まあしかし、熱はすっかり下がり、元気を取り戻しつつあるので、良しとしよう。

二月にはまだもうひとつ三連休が控えている。




さっき熱を計ったら38℃でした。まだ駄目そうです。

2月13日(火)

微熱ながらも咳と鼻水が酷いので、学校も学童もお休み。

くしゃみも酷いので花粉症の可能性も考え、耳鼻科に予約を入れたあと小児科にも連絡しとところ、まだ少しでも熱があるなら、下手に鼻水やくしゃみを止めると長引くこともあるから、もう少し様子を見た方がよい、と助言をもらったので耳鼻科はキャンセル。

うむ。

ここ最近、子どもの体調不良の時には妻が看病してくれていたので、久しぶりの子守り休暇だが、症状も軽めだし、身の回りのことはだいたい自分でできる年齢にもなってきているので、けっこう暇。しかし、だからと言って好き勝手に過ごすわけにもいかず、なかなか微妙な時間を過ごしている。

まあとにかく、早く良くなってくれ。




欠席の時の宿題もあとからやらされるので、宿題の範囲を確認するためにタブレットをを立ち上げたところ、担任の先生がインフルエンザになってしまい、今週いっぱいお休みになるそうで、宿題も無いそうです。

やったぜ!

2月14日(水)

今朝、なんとか無事に子どもは登校していったようだが、子どものクラスは担任の先生も含めて生徒たちもインフルエンザの猛威に曝されて、壊滅状態のようである。

なかなか。

私の方も久しぶりの職場だが、流石に4日も空けると、はて? 何やってたんだっけ? となるのは仕方ないことだ。許してくれ。

週半ばからのちょっと遅れ気味の走り出しだが、焦らず急がず、ゆるゆる行こう。そうしよう。




昨晩から、ガザ地区南部のラファハという地域でイスラエル軍が行っている殺戮作戦の凄惨な画像や映像がSNSで大量に流れてくるようになり、10月8日以降、パレスチナの人々が最も過酷な状況に追い込まれている様子がうかがい知れます。

イスラエルによる大量殺戮を目の前して、人道的な対応も道義的な行動を一切とらない欧米各国、そして我が国には憤りと失望しかありません。

血のバレンタイン。

2月15日(木)

昨晩はいつもの友だちとは帰って来ず、元気なさそうにひとりで帰ってきて、家に着くなり頭が痛いというので、どうしたものかと心配していたが、久しぶりの学校と学童クラブだったので、疲れが出ただけだったようである。

私も久しぶりの会社で疲れた。

さて、私が父親から貰ったスマートフォンだが、いまだSIMロックの解除をしていないため、ほぼアラーム機能しか使っておらず、たまに子どもが勝手に持ち出して、スイカゲームやデュオリンゴをプレイしている。

うむ。

そんなわけで、こないだ子どものデュオリンゴのプレイを横で見ていたのだが、習熟度に合わせたレベル設定ができて、設問は視覚的にも直感的にも分かりやすく設計され、スマホならではの絶妙なゲーム性を持たせることで継続を促す仕組みになっており、思わず「良くできてんじゃん!」となってしまった。

しかも無料という。

別にデュオリンゴほどうまく作り込めとは言わないが、小学生にあんなに重いものを持ち運ばさせているのだから、学校のタブレット教材の内容ももう少し頑張って充実して欲しいものだ。本当に。

ピタゴラスイッチとかやってるとこに任せたら、ええ教材ができるんやないやろか? 駄目かな? 知らんけど。




今夜は妻が不在なので夕飯はどうしようかなぁ。久しぶりにどこかに美味しいものでも食べに行っちゃうかなぁ。でも、まだ木曜日なんだよなぁ。

2月16日(金)

昨日、子どもの迎えに家を出たのだが、いつもの待ち合わせ場所には姿が見当たらず、もしかしたら行き違いになってしまって、友だちと一緒に駅の方に行ってしまったのかと思って駅に行ってみたのだが、友だちの姿は何人か改札にあったのだが子どもの姿はなく、その場にいた子にうちの子どもの行方を尋ねてもあまり要領を得ない。

更に行き違いで、もう家に帰っているかもしれないと思って、家に電話をしようと思ったら、まだ学童クラブからの退室の通知が届いていなかったので、学童クラブに行ってみると、果たして、子どもはそこにいたのである。

うむ。

指導員の方から説明を受けたところによると、お母さんの帰りが遅くなる友だちが不安で泣いていたところをうちの子が慰めていたそうなのだが、自分の母親も今夜不在であることに気づいて一緒に泣きはじめてしまったというのが、事の真相のようだ。

うむ。

今まで母不在で泣いたことなんて、一度も無かったじゃないか。まったく。

しかし、いつも子どもたちの意思を尊重しながら、優しく丁寧に対応してくださる学童クラブの指導員の方々には、頭が下がるばかりです。




明日は土曜日授業で公開授業が予定されていたのですが、子どものクラスは担任の先生がインフルエンザに罹患してしまったため、二時間目のみの公開となるそうです。

まあ、普段からそんぐらいで良いと思います。

2月17日(土)

土曜日授業の公開がされていたので少しだけ見に行ってきた。

子どもの教室に着くとちょうど休み時間中で、顔見知りの子どもの友だちが、わざわざ私のところまで来て声をかけてくれたりしたのだが、うちの子は目も合わせてくれず、まあそんなもんだよなと思いつつも、少し寂しい気持ちで帰ってきた。

子どもとどこかに出掛けたり、何かのイベントに参加したりした時に、一見すると機嫌が悪いのかな? と思ってしまうような態度や仕草を子どもがとっていても、実は凄く心に響いているということがよくある。

たぶんそういう時、子どもは昂る自分の気持ちにどう反応し、どう表現したらいいのかまだよく分からないだけで、今回のいけずな態度もそうした一連の戸惑いと同じようなものだとは思うのだが、まあ、こればっかりは仕方ない。

美味しい昼ごはんを作って待っていよう。




大谷翔平選手から贈られたグローブが正面玄関に飾られていました。

まだ使わないのかな?

2月19日(月)

土曜日授業のあと、家族でパレスチナ大使館で行われているチャリティミニバザーへ行き、デーツとオリーブオイルを買ってきた。

デーツはこんなに甘かった? と驚くほどに甘みが強く、単体で食べるには少し強すぎるので、妻の発案で冷蔵庫にあったカマンベールチーズと一緒に食べてみたところ、これが絶品だったため、みるみるうちに子どもの口の中へ吸い込まれていってしまったのだった。

うむ。

大使館からの帰り道、フィンランド大使館の前で子どものクラスメイトのお母さんとばったり会った。なんでここに? と尋ねると、これからパレスチナ大使館へ行くとのこと。私たちも行ってきたところだと伝えると、私はムスリムだけど、まさか同じクラスにパレスチナのことを気にかけてくれている人がいるとは思わなかったと驚いておられた。クラスメイトのご家族は今年度いっぱいで自国へ帰ってしまう予定なのだが、これも何かの縁だから近いうちに家に遊びに来てねと約束して別れた。

うむ。

クラスメイトのお母さんと別れたあと、長くて急な南部坂を下っていたら膝が笑いはじめそうになったので、有栖川公園の向かいのスーパーのサーティワンでアイスを食べながら一休みしていたところ、スーパーから出てきた子連れのお母さんから、あなた英語わかる? バスキン・ロビンスはボイコット対象よ、と声を掛けられ、げっ!? そうなの!? と反省。英語のわかる妻を介してひと通り意見交換したあと、来月の東京ジャーミイで行われるイベントでまた会おうねと約束して別れた。

うむ。

いずれにせよ、私も妻も反虐殺のワッペンを身につけていたからこそ、こうした交流がうまれたわけだが、どちらのお母さんも海外ルーツであり、残念ながら、日本人同士でこうした交流は難しいだろうと思ってしまう。実際、私は四六時中反虐殺ワッペンを身につけているのだが、何らかの反応を得たのはこの日が初めてだった。

まあしかし、日本はともかく、世界の人々が自分のできることからしっかり行動し、反虐殺の意思を明確に示そうと努力していることが、こうして実感として分かっただけでも、本当に良かった。

そして、ふざけんなよサーティワン。俺はチョコミントをどこで食べればいいんだ。。。

そろそろいい加減にしろよ。




残念ながら私は参加できませんでしたが、昨晩行われた世界同時アピール "HANDS OFF RAFAH! NATIONAL PROTEST" で、新宿駅前で行われたアピールに2,000人が参加したそうです。

20年前、私がイラク戦争の反戦アピールに関わっていた頃には考えられない多くの参加者ですが、20年前と比べると欧米のアピールがあまりにも弱いので、もうひと回りもふた回りも大きなアピールになることを望むばかりです。

ちなみにクラスメイトのお母さんは、生まれて初めて昨晩の新宿のアピールに参加したそうです。

2月20日(火)

妻子が起きてくる前の朝の家事を済ませたあとに、少しだけ時間に余裕がある時がある。

そんな時、たまに子どもの筆箱の中をチェックして、丸まってしまった鉛筆を削っておいてやる。

今朝は丸まった鉛筆が二本。

もう二年生なので、鉛筆削りなんてやってやる必要もないのだけど、まあ、たまにはいいだろうと思ってついやってしまう。

でも最近、友だちからの手紙が筆箱の中にしまってあったりするので、そろそろ終わりにしたほうがいいのかもしれない。

そんないつもの朝時間。




明日は学童クラブの利用希望施設の発表日です。どこかには引っかかってくれるとは思うのですが、どうなることやら。

不条理な試験に毎年挑まなくてはならないこの感じ。本当に嫌になります。

2月22日(木)

昨日、学童クラブの利用希望の通知が送付されてきた。

希望通り来年度も今通っている学童クラブに継続して通えることになったので安堵したが、気分は少し複雑である。

まず、来年度三年生となる同じ学年の子が相当数弾かれてしまっているという点。去年実績から考えると、おそらく我が家もかなりギリギリだった筈だ。

つぎに、狭い施設はそのままに、受入れ人数を20人も増やした点。もちろん、枠が増えたおかげで我が家も滑り込めたのだが、子どもたちのQOLがかなり心配だ。

そして、現政権が掲げている「こども未来戦略方針」がこの程度のものであったという点。まあ、でもこれは今の政権支持率、いや不支持率からして明らかか。

というわけで、おそらく少なくない方が、今まさに学童や保育園の「不承諾通知」を受け取って途方に暮れているのかと思うと、同じ経験者として言葉もない。心が痛む。

子育て政策すらままならない政権に何ができるというのか。自治体の首長も同様だ。




とある社会学者が「人は寂しさによって意味なく冷蔵庫の扉を開けてしまう」というようなことを本に書いていましたが、うちの子は学童から帰ってくるなり、何度も何度も冷蔵庫の扉を開けています。

たぶんこれは、完全に空腹によるものでしょう。

2月26日(月)

週末や連休明けのSNSでは、投稿者が過ごした休日の充実した体験でストーリーやタイムラインが賑わい、その輝きや眩しさにいつも目が眩むのだが、今月は三連休が二度あったせいで、あまりの眩しさにタブレットのディスプレイがホワイトアウトした。

うむ。

さて一方、我が家の今月の三連休はというと、御存知の通り前半は子どもの風邪で潰れ、昨日までの後半の三連休は雨と寒さで潰れ、その間にあった週末も、子どもの風邪のぶり返しで結局何もできなかったのだが、後半の連休中日の土曜日に、ひょんなことから半日ほど実家で子どもを預かって貰えることになり、久しぶりに妻と二人で束の間のデートを楽しんだ。

土曜日は後半の三連休の中では唯一晴れ間の休日だったので、二人でランチをしたあとに、街場に繰り出してみたものの、子どもがいないことへの違和感が先に立ってしまい、なんだかいまいちノリきれないまま、時間切れとなってしまった。

うむ。

今後もこういった機会は増えてくると思うので、少し修業をしておかなくてはいけないな。




子どもと外食をする時は、子どもが食べきれない場合のことを織り込んで注文していたのですが、最近は私よりも食べるようになってきたので、ちょっと方針を見直さないと私が腹ペコになってしまいます。

ただ、外食はよく食べるのですが、家の食事はぜんぜん食べてくれないのが悩みの種です。

2月27日(火)

子どもの筆箱の鉛筆ホルダーの支持棒が破損していたので応急処置をしてやったのだが、去年も同じ頃にまったく同じ箇所が破損したので、筆箱メーカーにはもう少し頑張ってもらいたいと思う。

ただ、鉛筆ホルダー以外にも、全体的な汚れはもちろんのこと、外装の損傷も激しく、蓋の開閉部の消耗も著しいため、新学年になる時に新しくしてやろうとは思っているのだが、とは言え、一年ももたないとは。

もう少し大事に使ってもらいたいものである。

しかし、ちょっと思ったのだが、何らかの製品の試作を小学生に持たせることで、けっこういい耐久実験ができるような気がする。

うむ。




過去最長ぐらいに口髭を伸ばしているところなのですが、これぐらい伸びてくると口髭で北風を感じることができます。

しかし寒い。

2月28日(水)

先週、うちの子どもが私のことを「とと」と呼ぶことについて、クラスメイトのお母さんたちから指摘を受けた、といったことを日記を書いたのだが、なぜかその日記が消えてしまっている。けっこう大事なことを書いたような気がするので、うまくサルベージできるといいのだが、何を書いたのかさっぱり思い出せない。

うむ。

さて、そんなわけで昨日、その指摘を受けたお母さんたちと立ち話をしていたら、とある話題でおもむろに「ととさんはどうですか?」と話を振られた時、その質問の回答よりも何よりも、とうとう俺は「ととさん」になったのか、という点に感慨を覚えてしまったのだった。

でも考えてみれば、人というのは様々な場面で様々な呼び名で呼ばれるものである。新たな呼び名で呼ばれるということは、私の世界が広がったことの証左とも言えるのだから、これは大いに歓迎すべきことである。

うむ。

ちなみに、そこにいたお母さんたちのお子さんも、来年度から継続して学童クラブに通えることになったそうで、とりあえず胸を撫でおろしたのだが、やはり駄目だったご家庭の話もちらほら出ているようなので、複雑な気分ではある。




最近、子どもの仲間内であやとりがブームになっていて、いつでもどこでもあやとりができるよう、自作のあやとりホルダーを首から下げ、色とりどりのカラフルなあやとりを何本も収納している姿を見ると、新たなストリートスタイルの芽吹きを目の当たりにしているようです。

ちょっと真似したいけど、そもそも、あやとりがぜんぜんできません。

2月29日(木)

子どもの成長や自立によって、自由に使える時間が徐々に増えはじめているのだが、今まで喉から手が出るほど欲しかったくせに、いざ手にしてみると有効に使えたためしがない。

その原因として一番大きいのは、突発的に生まれた自由時間に対する心構えの欠如だとは思うのだが、もう少し実質的なところ、例えば、こないだ外出して気づいたところで言えば、いざ単独外出しようと思っても、ちょうどいい手頃なバッグを持っていないというところだ。

今まで子連れ外出が主だったので、荷物は基本的にバックパックに放り込み、子どもの持ち物の中に自分の必需品を差し込んでいたのだが、一人で気楽に出掛けるとなると、最低限の必需品をコンパクトに収納できる身軽なバッグが欲しいところ。

トートバッグでもいいのだが、この際、気の利いたクロスバッグやショルダーバッグが欲しい。些細なことかもしれないが、まずはそういう実質的で実用的なところから固めていこうと思う今日この頃である。

うむ。




昨日もお伝えしましたが、2月21日(水)の日記が何かの手違いで消えてしまっており、なんとかサルベージできないかと、あれこれ手を尽くしてみましたが、ちょっと難しそうなので、きっぱりさっぱり諦めることにしました。

大事なことを書いたような気もしますが、まあ。