2024年 12月
12月3日(火)
昨日は土曜日授業の振替休日で、子どもの学校はお休み。
子どもの友だちを連れて、隣町のデイキャンプ場で焚き火遊びをしに行く予定だったのだが、申込みに不備があり急遽中止になってしまった。
仕方ないので予定を変更し、電車に乗って少し大きめの公園へ子どもたちを連れて行ったところ、それはそれで楽しんでくれたようである。
うむ。
実は公園へ連れて行った友だちとは、土曜日の放課後や日曜日も含めて、三日連続で一緒に遊んでおり、主に我が家を拠点に過ごしていたので、こちらもけっこう疲れた。
我が子含めた三人の子どもたちは、個別にはよく見知っている子たちなのだが、個性や性格の組み合わせのせいなのか、事あるごとにちょっとした衝突が起きてしまったり、結託して図に乗ってしまう傾向があったりして、子守する方としては何かと厄介だった。
まあそんなわけで、友だちと別れて家に帰ってきた子どもは、変な熱気に当てられてしまったのか、昨晩はずっと不機嫌さを引きずってしまい、夕飯もあまり食べず、就寝時間も遅くなり、結局、今朝も起きることができず、今日は学校をお休みしてしまった。
一過性のものだと思いたいところだが、どうなることやら。
三日間、子どもたちの様子を観察し、さんざん振り回されてしまったのですが、まあ、個性や性格の組み合わせの妙のような面も大きかったとは思うのですが、子どもたちを取り巻く環境、主に学校生活や家庭生活での自己決定や自己選択の少なさによる影響も大きいように感じます。
まあ、そうした環境でも健やかに育つ子は育つんでしょうけど。
午後は妻とバトンタッチする予定なので、どこか子どもの好きなところへ連れ出したいところです。
12月4日(水)
昨日の午後、学校を休んだ子どもの対応を妻と交代するため、会社を午後半休であがったのだが、家に到着すると同時に、子どもが昼寝をはじめてしまった。
昼寝なんて珍しいので、もしかしたら行き渋りの原因のひとつとして、体調不良や疲れなどの影響もあったのかもしれない。
うむ。
今日は前々から午前中にWISC(ウィスク)検査を受ける予定になっていて、学校は検査を終えてから行こうと伝え、子どもからも了承も得ていたのだが、「途中から学校へ行くのは嫌だ」と言いはじめたので、今日も学校はお休み。
ここ最近、一人での起床や着替えができず、いつも一悶着起こしていたのだが、今朝は一人で難なくこなし、妻より早く起きてきて、今日のアドベントカレンダーを開けていた。
今回の検査によって何らかの特性が出ようが出まいが、今の子どもの状況は、絶対的に環境に起因しているところが大きいと感じているので、検査を受けたところでなんだかなぁ、というのが正直な印象。
ただ、原因が環境にあるのならば、私個人が今すぐに、急に変えてやることはできないので無力感も大きく、その不甲斐なさからか、なんとなく寝不足が続いている。
おかげで、朝起きるのが何かと辛い最近だ。
この日記の再開のおかげなのかどうかは分かりませんが、子どもに対し感情的に接っしてしまうことが少し減ってきたように思います。
ただ、時間的な制約や相手との約束がある場合に一悶着あると、どうしても難しくなってしまいます。
12月6日(金)
昨日も今日も学校を欠席し、今週は一度も登校していない子どもである。
今朝は担任の先生から「家まで迎えに行きましょうか」との申し出を受けたが、子どもの様子を間近で見ている身としては、逆効果になりそうな気がしたので丁重にお断りした。
うむ。
昨日は担任の先生との個人面談があり、子どもには留守番をお願いして、妻と参加してきた。その後、支援教室の主任の先生とも話をし、今日はスクールカウンセラーの先生と話をする予定。
先生方からは、理解ある対応や心強い助言を頂き、今の学校には様々な面で奮闘してくれる先生方がいるのだなぁ、と実感しつつ、そもそも、学校に子どもが行けない状態では、支援も援助も受けられないのだなぁ、とも実感してしまった。
私の仕事は繁忙期に突入しつつあるが、今は仕事どころではない。
子ども本人は「来週は登校する」と言っているが、どうなることやら。
今の働き方も、少し考え直さないといけなくなるかもしれない。私も職場も。
月曜日は振替休日、水曜日は検査だったので、実質的な欠席は3日。
「年間30日以上の体調不良以外の欠席」が文科省による不登校の定義なので、不登校まではまだまだ遠い道のりです。
笑えません。
12月9日(月)
先週は一度も登校しなかった子どもである。
うむ。
先週から今週は登校すると言っていて、昨晩は張り切った様子で学校の準備をしていたのだが、今朝になってみると起きて来ず。
それでも、どうにかこうにか着替えさせ、朝食を食べさせ、なんとなく機嫌は良くしていたものの、いつもの登校時間が少し過ぎても、準備をする様子をみせない。
いつも一緒に登校してくれる友だちが、道の角で待っていてくれている姿を見つけたので、「〇〇ちゃんが待ってくれてるよ」と子どもに伝えると、いきなり不機嫌になって、自室に籠ってしまった。
うむ。
週明けでこの調子だと、今週も難しそうかな。
今日の子どもの対応は妻に任せて、今後の算段を考えるためにも職場に顔を出しておこうとは思っていたのだが、子どものことはもちろん、寒さによる神経痛の地味な疼きで不眠が続いていたので、休憩のつもりで少し横になったところ、気付いたらお昼になってていた。
慌てて職場に詫びの連絡を入れ、さてどうしたものかと呆然としていたら、子どもが「誰か来てる!」と言うので玄関を開けてみると、一学期に不登校になってしまった友だちが、子どものことを心配して訪ねて来てくれたのだった。
その後、子どもは友だちの家に遊びに行ってしまい、3時に帰って来ると約束していたのに、つい先ほど17時半までの延長が決まったようである。
うむ。
子どもたちは一緒に遊ぶことに忙しく、妻も友だちのお母さんもリモートワークで忙しく、何故か私だけが宙ぶらりんになってしまい、まずは病院で神経痛を診てもらい、今、この日記を書いているところである。
俺っていったい。
ドロップアウトこそしなかったものの、私も様々な理由から、小学校、高校、大学と「学校」に対する「行き渋り」は少なからず経験しており、今考えるとまずまず深刻な状態に陥っていたこともあります。
なので、子どもの今の姿を見ていると、フラッシュバックのような感覚に苛まれ、ちょっとした鬱状態に陥りがちで、けっこう辛いです。
12月12日(木)
今朝、子どもが一週間半ぶりに登校した。
うむ。
火曜日は私は出勤で妻は在宅勤務。子どもは自宅学習した後、一学期に不登校になってしまった友だちとオンラインで工作をしたり編み物をしたりして過ごしたようである。
水曜日は私も妻も出勤しなければならず、子どもは実家預かりの予定でいたのだが、急遽その友だちと一緒に別室登校するという話が持ち上がる。ところが、朝になって友だちの方が「やっぱり行けない」ということとなり、うちの子どもも「行かない」とのこと。予定通り実家へ。
そして今日。
起き抜けに子どもから唐突に「今日は行くけど、明日は行かない」と言われたのだが、これまでの経緯もあるの半信半疑で相槌を打っておいた。
着替えて朝食を食べ、自ら学校へ行く準備をはじめたのだが、まだ半信半疑。友だちとの待ち合わせ時間に家を出て行ったが、それでもまだ半信半疑だったが、そのままするっと登校してしまったのである。
先ほど、担任の先生から連絡があり、久しぶりなので、授業によっては集中できない時間もあったようだが、概ね問題なく過ごし、6時間目のお楽しみ会の相談では、自ら司会役に名乗りを上げ、率先してクラスをまとめていたらしい。
うむ。
正直言って私の古い感覚では、ちょっともう訳が分からない状況だが、いやさて明日はどうなることだろう。
登校を促すことも、家で一緒に過ごすことも、完全にお手上げの状態だったので、ひとまずは、と言ったところだろうか。
繁忙期の真っ只中に私が抜けてしまっているので、仕事の進捗は崩壊気味ですが、これまで私に負んぶに抱っこで、何の策も講じてこなかった職場や管理者の責任も多分にあるので、負い目は感じないようにしています。
こうなる前に、あれだけ色々提案してきたのに。
12月13日(金)
昨日、うちの子が学校で「明日は来るか分からない」と仲の良い友だち数人に触れ回っていた、と担任の先生が私に報告してくれていたのだが、家に帰ってくるなり「明日も絶対学校行く!」と豪語していた子どもである。
ところが今朝になってみると、時間割を確認するなり「嫌な授業しか無いじゃん!」と不機嫌になってしまったので、やぱり駄目かなと思ったのだが、「やっぱ行かなっ !! … んでもない」と子どもなりに踏み止まったようである。
この登校が一時的なものなのか、この行き渋りが一時的なものなのか、はたまた、こうしたどっち付かずの状態が慢性的に続くのか。
誰にも何も分からない。
まあとにかく、残り一週間半となった二学期は、何とかなりそうな気はする。たぶん。
この不登校期間中、担任の先生から何度か「私がご自宅までお迎えに伺うことはできないでしょうか」と申し出があったのですが、むしろ逆効果になりそうな気がしたので、その都度丁寧にお断りしていました。
それであれば、下校時にクラスの友だちにその日のプリントやお知らせを届けに来て貰って、その際にうちの子と少し交流して貰うことができれば、その方が効果があるかもしれません、とお伝えしたところ「それはいいですね! それなら私も一緒に伺えますね!」との反応を頂いた。
そうじゃないです。
12月14日(土)
私の職場は繁忙期真っ只中である。業界的には「年末進行」などとも呼ばれており、そのおかげで本日も土曜日出勤、という事情もあるのだが、実は先週と今週で私がやらかしたミスのリカバリーが今日の主な仕事である。とほほ。
こないだ私に負んぶに抱っこでどうしようもない職場だ、などと言ってしまった手前かなりバツが悪いのだが、素直に反省しなくてはならない。健やかな心身と安定した睡眠の大切さを思い知った。
うむ。
さて、今月は子どもの誕生日やらクリスマスやらが控えているわけだが、子どもが行き渋りで一日中家にいるとなると、プレゼントを宅配で自宅に取り寄せるわけにもいかないし、かと言って店舗に出向く時間もない。
そこで諸々のプレゼントはまず実家に直接送り、頃合いをみてこっそり自宅に搬入する作戦をとることとした。
ところがご承知の通り、一昨日から子どもが登校を再開したのである。
作戦としては、今日、仕事終わりに実家に寄ってプレゼントを回収してくる予定になっていたのだが、失敗とは言わないまでも、ほとんど無駄になってしまったわけで、まあ、つまりは私がなにも文句を言わず、リカバリーすればなんの問題もないわけで。
とほほ。
この間のばたばたで完全に忘れていたのですが、一週間前の今月8日、このホームページが開設23年を迎えていました。
毎年ボヤキのように書いていますが、どこかキリのいい開設記念のタイミングでオフ会を開催したいな、というのが私のささやかな夢です。
12月16日(月)
子どもは今日も不登校。
最近、子どもに対して強い言葉で責め立ててしまうことがとても多くなり、情けないことにまったく自制が効かない。むしろ、もっと徹底的に責め立ててやりたいという欲望すら芽生えてしまい、衝動的に手を出してしまいそうにもなる場面も何度かあった。
昨日も一昨日も、そうした危うい状況になりそうになった時は、一度子どもから離れ、頭が冷えるまでしばらく町を徘徊することで難を逃れていたのだが、その程度の対処療法では、時間の問題で最悪の事態が生じるだろうとも感じている。
今日の子どもの不登校の原因も、私のそうした非難するような対応にあったのだと思うが、こちらもこちらでもう我慢する余裕がない。
妻には負担をかけて申し訳ないが、子どもにこれ以上の危害を加えてしまう前に、子どもから離れて暮らすことを本気で考えないといけなくなっている。
12月17日(火)
私はこれまで、主に書籍を中心にして、自分なりに広範な知識や知恵を蓄えてきたつもりだったが、今の子どもの現実を目の前にして、ひとつも役に立っていない。
まあ、つまりは、ただ書籍の情報を読んでいただけで、肝心の中身がまったく自分の血肉になっていなかっただけの話なのだが。
情けない。
付け加えて、私はこれまで目の前に立ちはだかる過酷な現実に対して、なるべく目を背けながら、できる限り回避して生きてきたのだが、そのことも今回の子どもへの高圧的な対応に、如実に表れているように感じている。
本当に情けない。
12月18日(水)
今日は子どもの誕生日。
朝は自分で起きてきて、機嫌良さげに授業の話などもしていたので、今日は大丈夫そうだなと思って家を出たのだが、程なくして妻から「学校休むって」との連絡があり、すぐにとんぼ返り。
今日は子どものWISC(ウィスク)検査(知能検査)の結果が出るため、もし子どもが学校を欠席するようなら、子守り役と結果確認役が必要になるため、前々からこの日は夫婦二人で対応することになるかもしれないと思っていたのである。
というわけで、子どもの希望により、妻が子守り、私が結果確認という役割分担を言い渡され、私が隣町の辺鄙な施設へ、ひたすら自転車を漕いで結果報告を聞きに赴いたわけだが、検査結果自体には特に問題は見られず、むしろ項目によっては優位なスコアが出ていたりもするので、ここ最近の宿題の放棄や特定授業への不参加、はたまた行き渋りなどの反応が、知的能力の特性によって齎されているわけではない、ということは分かった。
じゃあ何なの?
まだよく分からない、ということが分かったのであった。
ズコーッ!
おかげさまで子どもは今日で9歳になります。
思い返してみると、子どもの猛烈なイヤイヤ期が始まったのが、3歳になる直前の秋口だったことを今も鮮明に記憶しています。
今回の諸々の反発を6年ぶり2度目のイヤイヤ期とすると、次の6年後は15歳。まさに第一次・中間・第二次と、一般的な反抗期とぴったり重なるのですが、いかんせんウチのは激しい。
12月20日(金)
昨日も今日も欠席し、今月子どもが登校できたのは3日間だけ。二学期は終業式も含めて残り3日あるのだが、今の雰囲気からするとこのまま二学期はフェードアウトするのではないだろうか。
一昨日の子どもの誕生日には、夜中に友だちがプレゼントを届けにわざわざ訪ねてくれたり、ポストにプレゼントと手紙を投函してくれたりした。
今日も下校時に友だちが荷物を届けに来てくれて、遠巻きにクラスメイトたちが子どもに手を振ってくれたようだが、そうした情や絆によって簡単に心を動かすようなタマではないので、なかなか難しいところである。
うむ。
変化としては、最近になって不登校の理由らしきものを、ぽつりぽつりと語りはじめてはいるのだが、どれも即座に解決できる内容ではないため、いずれにせよ我々が打てる有効な手立てはこれ以上思いつかず、このまま長期戦に突入するのではないか、というような気がしてならない。
かと言って、変化の乏しい家で家族三人で過ごしていたら、いずれ誰かが発狂してしまうだろう。たぶん私が。
明日、近所の図書館でかなり著名な英米文学翻訳家の方の講演が、無料かつ少人数で予定されており、駄目もとで申し込んでみたら参加できることになりました。
講演会の情報はネットには一切無く、なぜこんな辺鄙なところで? と不思議に思っていたのですが、どうやら出身がこちらのようです。
12月24日(火)
遡ること先週金曜日の夜。
子どもの振る舞いにどうしても我慢できなくなってしまい、感情的にはなるまいと思いつつも、子どもを注意しているうちに感情が昂ってしまい、最終的に爆発してしまった。
子どもが泣き叫ぶ姿にも躊躇せず、むしろ追い打ちをかけるように怒声を浴びせ続け、これ以上は自分でも危ないと感じる状態になってしまったため、すぐに家を出て、しばらく近所を徘徊して頭を冷やそうと試みたのだが、結局、怒りは収まらなかった。
このまま家に戻ったとしても、自分が何をしでかすか分からないと感じたため、しばらく実家の世話になることを決断し、あれから五日間、家には戻っていない。
ここ最近の感情の昂ぶりについては、今まで経験したことがなかったため、自分でも戸惑っているところだ。
必要以上に家庭生活や育児に専念、いや生き甲斐のようにして、これまでずっと没入してきたことによる自分の余地の無さが、もしかしたらひとつの大きな原因なのかもしれない。
いずれにせよ私だってこれ以上、頻繁に感情が昂ぶることが続くような状態ではいたくないのだが、自分なりに頭を捻った限りでは、今のところ、こうして距離を置く以外に方法はないとも感じている。
とにかくこの時期に、子どもと妻には本当に申し訳なく思っている。合わせる顔もない。
寒風の中、薄着で町を徘徊していたせいで、かなりひどい神経痛が出てしまい、実家ではまる三日間、激痛で動けない状態が続きました。
今日はなんとか動けるようになり、出勤することができましたが、たぶんバチが当たったんだと思います。
12月25日(水)
この9年間の育児の中で、我慢したり、諦めたり、そもそも無理だと思って無かったことにしたりして、自分を犠牲にすることで乗り越えてきたことは数あれど、そうした事も、いつかは報われる日が来るのだろうと、心のどこかで思っていた。
おそらく、そうした期待が裏切られるような気がして、ここ最近、子どもに対して私の感情が過剰に反応してしまっているのだと思う。だからと言って、その淡い希望を簡単に断ち切れるほど、私の犠牲は少なくはないのも事実である。
でも、そうした簡単には折り合いのつかない感情に向き合うため、昨晩帰宅した。
子どもと妻には本当に申し訳なく思う。
昨日も今日も頑張って登校し、なんとか二学期を終えてきた子どもです。
とりあえず、年末年始は色々と楽しい予定が目白押しなので、問題なく過ごせると思うのですが、問題は三学期です。
12月26日(木)
子どものクリスマスプレゼントの中に「たまごっち」が入っており、今日は一日、子どもが学童クラブなので、たまごっちの世話ができず、私が代理世話役に任命され、たまごっちを職場まで持ってきた。
元祖たまごっち直撃世代としては、一日ぐらいの世話などたいした苦にもならず、遊んでやったり食事を与えたりして、適時的確な世話を行っているのだが、さてしかし、私はなぜこれほどまでに、たまごっちに精通しているのかと思い返してみたところ、完全に忘れていた高校時代の記憶が甦ってきたのだった。
高校二年。頭数揃えのため声が掛かった初めての合コンの相手は、揃いも揃って全員しっかりきつめのギャルだったのである。
もちろん話は合わず、主催者の下らない話や場のノリに合わせて、なんとなく盛り上がっている風を装ったのだが、あまり間は持たなかった。
すぐにシラけた雰囲気に逆戻りとなる中、私の隣に座っていたギャルが持っていたたまごっちをきっかけに、なんとなくギャルとの会話が始まり、操作の仕方を教わりながら、少しづつお互いの距離を縮めることができている気がした。
その当時、たまごっちは品薄で手に入らないうえ、彼女の持っていたのは希少価値の高い「白たまごっち」と呼ばれる機種だった。
操作しているうちに少し興味がでてきて、何気なく「たまごっち、やりたいけど売ってないしな」と呟くと、彼女が軽い感じで「これ貸してあげるよぉ」と言った。「でもこれ珍しいやつでしょ」と少し牽制したのだが、「もう飽きちゃったし気にしないでいいよ」と言って、その白たまごっちを貸してくれたのだった。
返却する際の連絡のため、お互いのポケベル番号を交換したところで合コンは終了し、特に二次会もなく解散となった。
その後、彼女とはポケベルを介して操作方法や世話のコツを教えてもらったりしながら、日常生活の話題なども頻繁にやり取りをしていてことを覚えている。たまごっちは、病気になったり死なせてしまったりしながら、たらこっちやまめっちに進化させ、最終的には隠しキャラのおやじっちにまで成長させることができた。
合コンから一ヶ月ちょっとが経過し、たまごっちもあらかた楽しんだので、返却しようと彼女に連絡を取り、お互いが通学で使っている共通の駅で待ち合わせをした。当たり前のことながら、私立高校に通う彼女は制服姿で化粧もまったくしていなかったが、合コンの時のギャルの佇まいとの違いに戸惑う私に対し、豪快に笑う姿はまさにギャルだった。
彼女にたまごっちを返すと「楽しんだなら良かった」と言って、こちらが礼を言おうとするのも待たずに呆気なく帰ってしまった。その後、彼女とはまったく連絡をとらなくなってしまった。
完全に忘れていた記憶だが、彼女の名前が偶然にも私の祖母と同じ名前だったこともあり、けっこう細かく覚えていた。
とまあ、これが私の最初で最後のたまごっち体験だったはずなのだが、約30年ぶりに、祖母が死んだ年に、こうしてまた、たまごっちの世話をすることになろうとは。
誕生日とクリスマスで、一週間のうちに5個のプレゼントを貰える子どもが羨ましい反面、週末の自分の誕生日では特に欲しい物が思い浮かびません。
たぶん、そういうのが良くないんでしょうね。
12月27日(金)
五日間の家出から帰ってきて、まだお互いに遠慮もあるせいか、今のところ子どもとの衝突は起きてはいない。
不登校についても、とりあえず三学期が始まるまでの二週間は特に対応することはない。むしろ不登校は、子どもの出方次第で対応が変わってくるため、事前にできることは心の準備ぐらいのものなのだ。
今日から子どもと妻は義妹家族のところへ遊びに行ってしまい、年始は私の実家の世話になるため、ひとまず年末年始は、今月の怒涛のような生活からしばし離れ、比較的落ち着いた時間が送れそうである。
そんな訳で早速今晩、気の置けない友人と夕飯の約束をしたのだが、今になって少し億劫になってきている自分に気付き、そうした付き合いからいかに遠ざかっていたかを思い知っている。
今年は大掃除はしない(正直言ってできない)つもりだが、子どもと妻の持ち物が乱雑さを極めているため、日常的な導線にも支障をきたし、日常的な掃除もできない状態だ。
こうした地味で小さなストレスが、知らずと心を蝕んでいくので、鬼の居ぬ間にそのあたりだけでも解消しておきたい。
このままいくと有給休暇が余りそうだったので、年始の職場のシフト表にちょこちょこ休みを入れておいたのですが、どうなるか分からないので、さっき白紙に戻してもらいました。
地味に削られます。
12月28日(土)
今日は土曜日なのに全社員出勤かつ仕事納め。
この日程を組んだ会社側のあまりの配慮の無さに、全従業員が鬱憤と不満を爆発させ、抗議の休暇を取った従業員も多数いる。私も休暇の予定だったが、子どもの不登校対応で休みがかさんでいるため、やむなく出勤することにした。
まあそんな訳なので、今日の納会は荒れそうである。私は出ないけど。
さて昨晩、妻子も不在で、土曜出勤の憂さ晴らしもしたかったので、友人に付き合ってもらって久しぶりに夜の街へ繰り出した。狙っていた一軒目は予約で一杯だと断られてしまい、駄目もとでテレビドラマにも出た超人気の老舗の縄暖簾に行ってみたところ、運良く入ることができた。
二時間制を言い渡されつつも、どっかりと腰を据え、しこたま食べて呑んでやろうと意気込んで、まずは名物の煮込みと刺盛りを注文。旨味と新鮮さを堪能しながら、それらをバシッと食い終え、ガブッと二杯を呑み干し、次に牡蠣フライとポテサラと酢の物を注文。もちろんこれらもしっかり味わいながらも瞬殺で酒で流し込む。
と、突然の失速。
まだ時間は三十分を少し過ぎたあたり。友人も私も外食自体が久しぶりで、ましてや夜の街へ繰り出す事自体激減しているため、とにかく、居酒屋料理の塩み油みにすっかり参ってしまったのである。昔は朝まで飲んで更に迎え酒、なんてことも繰り返していたはずなのに、結局、昨晩は制限時間の二時間を待たず、その三十分前の19時半でお開きとなったのだった。もちろん二軒目もない。
弱い。
まあしかし、気の置けない友人との久しぶりの宴は文句なしに楽しいもので、宴自体の時間の長さよりも、それまで共有してきたお互いの時間の長さに起因する充実感があるものである。
土曜日出勤ながらも15時上がりという微妙な配慮があり、それはそれで、全従業員の神経を逆撫でし、鬱憤と不満を更に高める結果となっています。
今日も妻子は不在のため、束の間のやもめ暮らしを楽しみたいと思います。
12月29日(日)
今日の夕方、妻子が帰ってくる。
今、朝食を食べながらこの日記を書いているところなので、一人でいられる時間は残すところ8時間。家事や簡単な大掃除や昼食の時間を除くと、実際に自由になる時間は正味4時間ぐらいになってしまうだろうか。
昨日がまるまる休みだったら色々と可能性も広がったのだが、あらためて昨日を年内最終出勤日とした会社が憎らしい。憎悪の念。
まあしかし、文句を言っていても始まらない。昨晩も今日という一人時間に備えようと思い、早めに寝床に入ったのだ。
ただ、寝床に入ったまでは良かったのだが、結局、子どもの不登校のことに考えを巡らせてしまい、うまく眠れなくなってしまった。駄目じゃんね。
うむ。
そんなわけで、今日は私の45歳の誕生日。歳だけは確実に重ねていく。
とはいえ、私だって無駄に歳を重ねているわけではなくて、ただ生きているだけでも、人には色んなことが巻き起こるのだなぁ、ということは分かってきました。遅すぎ?
私の45歳は、そして来年の我が家は、どんな一年になるのでしょう。