2025年 1月
1月1日(水)

本年もどうぞよろしくお願いいたします



昨年12月8日で、このウェブサイトも設立23年を迎える事ができましたが、昨年夏頃から始まった子どもの家庭内外での様々なトラブルや、その結果としての不登校により、その時は完全に失念していました。

今も引き続き、子どもの状況は特に大きな変化はなく、親としてできることは、よく食べさせ、よく寝かせる、というとても基本的なところに終始するしかありません。

他にできることと言えば、心の準備ぐらいのものでしょうか。

という訳で、本年もこのウェブサイトは平日更新のDiary(真平の日誌)と毎月更新のJournal(真平の新聞)を主軸として、不定期更新のAqua(真平の水景)Logue(真平の独白)Cover(真平の表紙)の計5本の連載でお送りしていきます。

本年も波乱に満ちた真平の真平による真平のためのウェブサイトを夜露死苦お願い申し上げます。


「真」の「平」和を希求する 真平より

1月4日(木)

昨年末の私の誕生日(12月29日)の晩に発熱したものの、37.4℃だったので、すぐに下がるだろうと思っていたのだが、翌日になっても熱は下がらず、夕方には38.4℃になっており、大晦日に受診したところ、インフルエンザであったことが判明。

インフルエンザでの年越しは、これで5年ぶり2度目のことである。

特効薬のおかげで熱はすぐ引いたのだが、頭痛や関節痛がひどくて起きることができず、ようやく動けるようになったのが昨日のこと。そういうものではないとは分かってるけど、今回もしっかりワクチンを受けていたので、正直言って不満だ。

うむ。

そんな訳で、年を跨いで丸々4日間伏せっていたわけだが、回復早々、実家に遊びに来ている弟の子どもとうちの子どもを東京タワーへ連れて行くという任務をこなした。

歩くこともまだ不慣れな身体だったが、東京タワーのメインデッキから階段で降りてくるという子どもたちの暴挙に付き合い、箱根駅伝の観戦者の人混みに揉みくちゃにされ、最終的には空腹と疲れで爆発したうちの子どものケアまでしなくてはならず、年明け早々、かなりハードなリハビリを強いられることとなった。

うむ。

まあしかし、うちの子が元旦から実家に泊まりに行ってくれたことにはかなり救われた。実家とはいえ、親の付き添いなしでの連泊はこれが初めてなので、これを機に色々と可能性を広げてくれるといいのだが、どうだろう。




今日、うちの子どもが帰ってきます。正直言って気が重いです。

1月6日(月)

年末年始は色々あったが、どうにかこうにか今日から私も妻も仕事初めに漕ぎ着けた。子どもも友だちと一緒に元気に学童へ行ったようである。学校の始業式は明後日。そちらの方はまだどうなるかまったく分からない。たぶん行かないんじゃないかと思っている。

うむ。

元旦から四日間、子どもを実家で預かって貰っていたため、この週末は久しぶりに家族三人の顔が揃った。ところが親子水入らずとはならず、顔を合わせるなり荒っぽい言葉の応酬がはじまってしまい、初っ端から心底げんなり。

久しぶりの再開で前向きな変化があるかもしれないと、どこかで淡い期待を持ってしまっていたこちらも悪いのだが、家庭生活が目の前で瓦解していくような、絶望的な気持ちになってしまう。

不登校は百歩譲るとしても、所構わず無闇やたらに全力で楯突かれる。自我の芽生えや自己の確立、はたまた自主性や社会性の育成のために必要な期間とは言われても、とてもじゃないけどこちらの身が持たない。




昨晩、深夜二時に子どもが私のベッドに潜り込んできて、結局、朝までうまく眠れませんでした。

おかげで、社長からの新年のありがたい言葉はよく覚えていません。

1月7日(火)

子どもと作った野良猫用ハウス(通称:ぬこぬこホイホイ)に野良猫が二匹入っていた。

昨晩は久しぶりの雨だったので、猫たちがいつも寝床にしている場所が濡れてしまったのかもしれないのだが、野良猫用ハウスは一匹が入れるサイズで作っていたので、二匹顔を出している姿には正直面食らってしまった。

うむ。

さて今日で松の内も終わり、いよいよ明日から新学期がはじまるわけだが、三学期がはじまるという点以外のところで学校を取り巻く状況に大きな変化は無いため、引き続き子どもの登校は難しいだろうと妻も私も感じている。

望みがあるとすれば子どもの内面的な変化の方だが、わずか二週間ほどの正月休みで何かが大きく変わったようにはもちろん感じられず、学童や学校での問題行動がはじまってまだ半年、不登校がはじまってまだ一ヶ月、先は長いものだと覚悟を決めるよりほかない。




我が家が喪中ということもありますが、今年届いた年賀状が去年の1/4になってしまいました。「年賀状じまい」に追い打ちをかけるようにして、郵便料金も跳ね上がったので、無理もないのかも知れません。年賀状文化消滅も間近ですね。

年賀状を頂いた方には、これから寒中見舞いをお送りする予定です。

1月8日(水)

三学期初日の今日は、なんとか無事に登校した子どもである。

学校に行ったか行けなかったかで一喜一憂することについては、あまり意味ないことだと分かっているし、むしろ逆に、変な期待や疲弊や焦燥の原因にもなるため、有害無益の何ものでもないのだが、この悪癖がなかなか抜けないのである。

うむ。

というわけで、まだ始まったばかりなので何の評価もできないが、いやさて三学期はどうなることやら。

こちらが不安定になってしまったら元も子もないので、とにかく無心で過ごすこと。これに尽きる。




運転免許書の更新をしなくてはならないのですが、昨年末は子どもの不登校や私の体調不良でそれどころではありませんでした。

こうした事務手続きって、煩わしいので可及的速やかに処理したいと思っていても、地味に面倒ですよね。

1月9日(木)

年が明けて立て続けに二件、母親が子どもを殺して無理心中を図るというニュースが飛び込んできた。

ふたつの事件ともに、母親もお子さんも我が家とさほど変わらない年齢構成。両事件ともにお子さんに何らかの困難があり、子育てに追い詰められたがゆえの悲しい事件だった。

こうした時、何も知らない人がまず話題とするのが公的な支援や援助は? というところだが、これだけ問題になっている不登校ですら、公的な支援や援助がほとんど存在しないことに直面した我が家としては、そんなもの望むべくもないことを既に知っている。

程度の差こそあれ、そういう意味では我が家も同じ地平に立たされていると言えるのだが、不登校ぐらいで七転八倒させられているのに、今回の事件のように様々な困難を抱えながらの子育ての重責や絶望がどれほどのものだったか。

身につまされる思いである。




今日も子どもは学校へ行ったようですが、放課後に担任の先生から連絡があり、給食の前の係決めで希望の係になれず、だいぶ派手に暴れたようです。

その後は別室で過ごして、放課後までには落ち着いたようですが、いずれにせよ辛いです。

久しぶりに今夜は荒れるかな。

1月10日(金)

今朝、何ヶ月かぶりに自分の弁当を作ることができたのは良かったのだが、洗濯機のスタートボタンを押すのをすっかり忘れてしまっていた。

うむ。

さて昨日、子どもが暴れる原因となったクラスの係決めだが、こうした問題があった場合、あえてこちらからは深く詮索しないようにしている。変に詮索することで問題が再燃してしまう場合が多いからだ。

なので昨日の件も、まだ子どもの口からは直接は聞いていないのだが、学童クラブの指導員の方には不満を漏らしていたようである。不満を語れる大人が近くにいることが分かっただけで良い。そういう状況さえ分かればそれで良い。

うむ。

ところで、係決めの件なのだが、子どもの今のクラスでは、まず特定の係の担当希望者を募ったうえで、希望者が多い場合にはジャンケンで選出される、という方法を用いているようである。

たかが三学期だけの係決めだし、ある種の偶然性で勝敗が決まるジャンケンという方法を用いることで平等性も担保されている、と私なんかは思ってしまうのだが、この方法に子どもはずっと不満を抱いており、更には、この不満な方法で二学期に引き続き、二度も希望の係から弾かれてしまったことに激怒したようなのである。

この係決めの方法については妻も難色を示しており、いったいどこが問題なんだ? と尋ねたところ、前年の担任の先生は、希望する係から弾かれてしまった生徒に対しては、次回の係決めの際に優先的に希望の係になれるような配慮をしていたそうなのである。

つまり、表面的な選定過程の平等性にも配慮しつつ、その方法論自体に内在する不平等にもきちんと着目し、その解消に努めていたのである。

マイケル・サンデルじゃん。

偶然性こそ平等とか、多数決こそ民主主義とか、私のような老害おじさんが考える雑な議論の一歩先を見据え、新たなる公正の地平を目指して対応していた前年の担任の先生の姿を、うちの子はしっかり覚え、そこから学びとっていたのである。

そして暴れた。

デヴィッド・グレーバーじゃん。

というわけで、世界を牽引するような価値や理論を提唱する高名な哲学者や思想家と同じ結論や行動に至るうちの子は、至極真っ当である、ということですよね。




昨晩、イツメンの三匹の野良猫に餌を与えていたら、そのうちの一匹の黒白猫に促されるようにして、見慣れぬ三毛猫が現れました。

彼らの情報共有能力を侮ってはいけないと感じます。

1月11日(土)

年始早々土曜日出勤中である。

うむ。

昨日、子どもが帰ってくるなり「明日、〇〇ちゃんと▽▽ちゃんを家に呼んで遊んでいい?」と尋ねてきたので、妻が「構わないけど何時ごろ?」と尋ね返すと、子どもは「分からないけど、ラインで連絡が来ると思う」と微妙な返事。

結局、今朝になっても友だちのお母さんたちからは連絡は来ず、お昼過ぎに妻に「遊ぶ約束はどうなった?」と尋ねたところ、「一人の子は予定があって今日は無理、もう一人の子は音沙汰なし」とのこと。

遊ぶ約束自体はお互いにきちんと交わしてきているようなのだが、うちの子に限らず、細かな部分の詰めの甘さや自分の予定の把握の甘さなどで、これまでも同じような行き違いは何度かあった。

自分が小学校3年生の頃は、などと比べても仕方のないことだが、確実に親の介入とLINEなどの連絡手段の利便性が子どもたちの能力を阻害しているような気がしてならない。

早く子どもたちだけで遊べるようになってくれ。

ちなみに、習い事だらけで友だちと遊ぶ時間がまったく無いという子も多く、約束はできたとしても友だちとどう遊んでいいかが分からないという。

そんな三連休一日目。まあ、私は仕事だけど。




パジャマとして使っていたスウェットが、もう流石に着れないな、という状態になってしまったので、今朝のゴミ回収に出してしまおうと思ったのですが、野良猫用ハウス(通称:ぬこぬこホイホイ)のベッドとして再利用することにしました。

私の匂いのせいで野良猫がハウス自体を利用しなくなってしまったらどうしよう、という一抹の不安も残ります。

1月14日(火)

昨晩、子どもが寝る前に「明日、学校行きたくない」と訴えてきたのだが、今朝もその堅い意志は変わらず、今日は学校を休んだ。私も妻も仕事を休めなかったので、今日は実家で子どもを預かって貰っている。

これがまた、先月のような不登校のはじまりなのかどうかは分からないが、前も書いたように、子どもを取り巻く条件に特に大きな変化はないので、しばらく続くと考えるほうが妥当であろう。

うむ。

実は昨日、大学時代の友人たちが我が家に遊びに来てくれた。大人子ども合わせて12名も集まってくれたので、我が家の許容量は大幅に超えてしまったものの、気心知れた仲の力でその辺りは難なく乗り越え、無事に楽しい時間を過ごすことができたのだった。

来客前にうちの子が若干ナイーブになていたので、一抹の不安が過ぎったが、小さい子たちの世話もしてくれて、終始楽しそうに過ごしていた。事情を知っている友人たちからも「ぜんぜん問題なさそうだけど」と、むしろ私が大袈裟かのように思われてしまったが、みなさん、今日も絶賛不登校中なんです。びっくりでしょ?




先月も三連休最終日に盛り沢山に楽しんだが故の不登校突入だったので、今回も三連休明けはちょっと怪しいなと思っていたら、案の定でした。先月だけで7日間も有給休暇を使ってました。どうやりくりしても、あと三ヶ月ぐらいで残りの休暇も消化してしまいそうですが、まあ、なるようにしかならないですね。

これまで親子で七転八倒し尽くしてきたので、とりあえず今回は覚悟だけはできているつもりですが、いやさて、どうなることやら。

1月15日(水)

今日も不登校の子ども。

7時半を過ぎても起きてこない時は、かなり難しいと思ったほうが良さそうだ。一昨日ぐらいから夜中に咳が出てしまって、上手く眠れていないことも影響している気もするが、まあ、根本的には学校に起因する問題がほとんどだ。

今日は妻が在宅勤務なので、子どもを妻に託して私は出勤。

出勤途中、白い息を弾ませながら、溌溂とした表情で登校してゆく子どもと同じクラスの子とすれ違う。なんとはなしに、しばらくその後姿を見送っていたら、複雑な感情が胸に込み上げてきた。

たぶんこれは、当事者になってみないと分からない類のなんとも言えない感情で、うっかりしていると感情の波に簡単に飲み込まれ、戻って来られなくなりそうな気がしたので、必死に抑え込む。

そんな週中水曜日。




せっかく子ども部屋を作ったのに、妻か私が添い寝をしないと寝てくれません。特に最近は私が添い寝に指名されることが多く、子どもの咳の件もあったりで、私もあまり眠れていません。

平凡な日常とは、様々な好条件が揃った上で成り立っていることが分かってきました。

眠い。

1月16日(木)

夜中に発作的に出る咳のせいで、睡眠不足で朝寝坊が続いていた子どもだが、昨日、妻が子どもを病院に連れて行ってくれたおかげで、夜中の咳は治まった。

おかげで、自発的とまではいかないものの、今朝は7時過ぎに起きてきた子どもではあったが、今日も変わらず不登校。

ここ最近は、子どもが「学校行きたくない」となった時に、翻意を促そうとしたり原因の究明をしたりしないようにしている。結局、子どもの不安と親の不安が平行線を辿るばかりで衝突が激化し、お互いが疲れ果ててしまう結果にしかならないのだ。

まあ、こうした結論を得られただけでも、先月、親子で散々のた打ち回った甲斐が少しはあったのかも知れないと思える。

うむ。

むしろ目下の課題は、子どもが不登校の際、在宅勤務をしながら子どもの世話もしなくてはならない妻の負担が大き過ぎるため、そこをどう解消していくかなのだが、当面は定期的に私が有給休暇を取って対応するしかないので、頭が痛い。

長い目で見守るしか無いとは思うが、限度や限界があるものもある。難しい。




今夜、子どもの友だちのお母さんの帰りが遅くなってしまうので、友だちを我が家で少しお預かりすることになりました。

友だちが来てくれることで、子どもの気分転換にもなるといいのですが、どこのご家庭もみんな本当に綱渡りで子育てしていますね。

1月17日(金)

今日も不登校の子ども。今週は一度も行けなかった。

昨日、お母さんの帰りが遅くなるというので、子どもの友だちを預かった。その際、友だちがうちの子どもに「渡したいものがあるから、明日、学校で渡すね」と言って、それとなくうちの子に登校を促してくれようとしていた。ありがたや。

夜中の咳は治ったものの、昨晩は深夜に目を覚まし「なんか怖い」と漠然とした不安を訴えるばかりで、なかなか寝てくれず、結局、朝も起きられなかった。私も眠い。

在宅勤務で子どもの世話まですることに限界を感じた妻は、今日は出勤。私が有給休暇を取って対応中なのだが、私の方はただの休みなので家にいてもやることがないため、子どもをどこかへ連れ出そうと誘っているのだが、つれない返事ばかり。

どうなることやら。




明日はPTAの校庭開放当番です。子どもが不登校中なのにPTA当番なんてやる気が出ません。

ちなみに、子と妻は予定があるので校庭開放には顔を出せないとのこと。何のための当番なんでしょう。寒いだろうな。

1月18日(土)

今日の校庭開放当番は、通例なら9時〜12時までの3時間を四人の係で受け持つところを、とあるお母さんの提案で1時間区切りの当番制にすることとなり、私は9時〜10時を担当して任務終了となった。

素晴らしい。

さて昨日、夕方に学校から連絡があり、うちの子どもの欠席日数が、あと数日重ねると「不登校」の扱いになってしまい、そうなると特別支援教室などの様々な支援の利用が受けられなくなる、との説明を受けた。

うむ。

制度上仕方ないことではあるのだが、それではあまりに忍びないので、短時間登校でも別室登校でもなんでも構わないので、なんとか学校に顔を出してくれさえすれば出席の扱いにできる。そのために、学校としても全面的に協力したいとのことだった。

うむ。

まあ、突っ込みどころは色々とあるのだが、それは一度置いておいて。こちらとしても子どもの不登校については、手掛かりを失っている状態だし、私と妻の就労の面でも行き詰まりを感じ始めていたところなので、とりあえず学校側の提案を受けることにした。

ただ、条件の面で不利になるからとか、日数の上限が迫っているからとかで、子どもに妙なプレッシャーが掛かることだけは、絶対に避けねばならないところである。

うむ。

のんべんだらりと惰眠を貪っていた独身の時代の土曜日が懐かしい。




校庭開放当番で同じクラスの友だちのお母さんと一緒になったので、色々と話をしていたのですが、小学校3年生ともなると、大なり小なり同じような悩みの傾向があるのだな、と感じました。

この時代の難しい子育てを、我々は充分に良くやってると思います。

1月20日(月)

不登校認定を間近に控えつつも、今日はなぜか気まぐれに登校していった子どもである。

うむ。

週末は不穏な空気が流れることもあったが、故意に小爆発を連続させることで、大爆発が起こることだけはなんとか回避し、家族で無事に乗り切ることができた。

お風呂の時に、妻に学校のことをぽつぽつ話したらしく、「カカ(妻のこと)に学校のこといろいろ話しといたから、あとで聞いといて」と、一丁前に指示してくる子どもであったが、話を聞いてみると、なかなか前途多難な内容ばかりで、うぅっ、となる。

そう考えると、今日、子どもが登校したことは奇跡に近い。

うむ。

実は、もし登校できなかった時には、特別支援の先生が迎えに来て、別室登校の練習をする予定になっていたのだが、それはまた次の機会。

私の方は、いよいよ長期戦の様相が濃厚になってきはじめているので、在宅勤務実施の交渉の根回しに動きはじめたところだが、少なくとも難攻不落のポイントが二ヶ所ほどあるので、慎重に進めていきたいところである。

しかし、駄目だったらどうしよう。本当に。




ここ最近、SNSで不登校当事者のアカウントをフォローしはじめているのですが、学校に「行かない」という選択をした子どもの意思を尊重することが両親だけ(主に女親)に委ねられ、その子どもの意思を尊重した途端「悪」とラベリングされ、「甘え」や「怠け」や「弱さ」に回収されてしまう現実に戦慄を覚えます。

今のところ、直接的にそうしたメッセージを受け取ったことはありませんが、構造や制度の面では如実に感じています。

1月21日(火)

不登校認定を間近に控えつつも、今日もなぜか登校していった子どもである。

うむ。

そんな子どもの気が気じゃない状況に翻弄される中、先週15日、映画監督のデヴィッド・リンチ氏が亡くなったというニュースが飛び込んできた。

作品との出会いはもちろん、あの絶大な人気を博したドラマシリーズ『ツイン・ピークス』。小6の頃に友だちの家で録画ビデオで観たのが初めてのリンチ作品だった。正直、小6には良く分からない内容だったので、途中を省いて最終話を観たのだが「何だこれは!?」と、私も友だちも度肝を抜かれ、しばらく動けなかったことを思い出す。その後、彼の長編映画なども知り、作品に触れるたびにそれまでの感覚や価値や理念が歪められるような、度肝を抜かれる体験を重ねたものである。

世界はかくも不穏でかくも美しい。そんなことを教えられた最高に素晴らしい映画監督だった。

ご冥福をお祈りします。

音楽ではデヴィッド・ボウイ。映画ではデヴィッド・リンチ。思春期の頃から絶大な影響を受けてきた二人のデヴィッドがこの世を去ってしまった。寂しい。




子どもが登校しなかった場合に備えて、今朝も学校には即時対応の体制をとってもらっていたのですが、おかげさまで、対応する必要なく済みました。

学校には日々の相談や情報共有のため、逐次連絡を取るようにしているのですが、内容によっては担任の先生だったり、スクールカウンセラーさんだったり、特別支援の先生だったり、はたまた副校長先生だったりして、支援を受けるのもなかなか大変です。

あっ、教育センターもありました。

1月22日(水)

不登校認定を間近に控えつつも、三日連続登校を果たした子どもである。

うむ。

昨晩、子どもが一時的にかなりの興奮状態に陥ってしまう場面があり、二日連続登校の影響で無理が出はじめているのかもしれないな、と感じながら、落ち着かせるためにあの手この手でなだめていた。

流石にこの状態では、三日連続登校は厳しいかもな、と思っていたところ、今朝は6時半にケロッと起きてきて、NHKのテレビ体操に合わせて元気に身体を動かしていた子どもである。

うむ。

あまり子どもに無理をさせないよう、子どものペースを保てるよう、今は親が注意しないといけない時かもしれない。




SNSの不登校当事者アカウントをフォローしはじめている、ということを前にも書いたと思いますが、不登校に付随する厄介事の中で、かなり大きな要素を占めるのが「父親の存在」であり、そのことが度々話題にされては、かなり大きくバズっています。

この国の父親っていったいなんなんでしょう?

1月23日(木)

不登校認定を間近に控えつつ、四日連続登校を成し遂げている子どもである。

うむ。

一日の学校生活の中に何かしら前向きな材料を見つけるよう工夫して、子どもなりに登校の原動力にしているようである。

このまま明日も登校できれば、約二ヶ月ぶりに一週間連続登校となるはずなのだが、実は今週、土曜日も授業があるため、まだまだ油断ができない。もちろん今週通えたからと言って来週どうなるか。先のことは誰にも分からない。

うむ。

さて、ここ最近、毎日のように子どもの「たまごっち」を職場に持ってきて、仕事の合間に世話をしている。「にょろっち」→「くちたまっち」→「にょろっち」ときて、4周目の今は「くちぱっち」に成長している。

昨日はうっかり自宅に忘れてしまい「しまった! 死んでしまう!」と焦ったのだが、妻が世話をしてくれていたので事なきを得た。

そんなこともあったので、今朝は絶対に忘れてはいけないと注意していたところ、「たまごっち」は大丈夫だったのだが携帯電話を忘れてきてしまった。

学校からも学童からも、いつ連絡が来るとも分からない大事な時期だというのに、大失敗である。

まあ、そういうところだよな。




我家の庭に設置した野良猫用ハウス(通称:ぬこぬこホイホイ)にやってくる野良猫たちは、三匹ともさくら耳なので、おやつ程度の餌付けをしています。

そんな中、こないだ新たに姿を現した三毛猫は、ぱっと見ただけではさくら耳は確認できませんでした。三毛なのでおそらく雌だと思われるのですが、実は近隣の家でも野良猫用ハウスを設置していて、三毛はそちらを根城にしているようです。

ところが、そちらにはもう一匹さくら耳ではない茶トラがいて、もちろん茶トラといえば雄。

困ったことになりそうです。

1月24日(金)

不登校認定を間近に控えつつ、引き続き連続登校記録を更新中の子どもである。

うむ。

昨晩、子どもが「今週は土曜授業もあるから最悪だよ!」と不満を訴えてきたので、この子は土曜も行くつもりなんだなと思って聞いていた。

週も後半ともなると疲れやストレスも溜まってきている様子がチラホラ垣間見えてきて、寝際ぐらいになると、あらぬことで喧嘩腰になったり反抗的になることがある。

疲れているのだなと分かってはいても、突発的な根拠不明の子どもの不機嫌や癇癪には釈然としない部分も大きいため、何度対応していても、ついついこちらも感情的になってしまいがちで、なかなか厄介だ。

ちなみに明日は私も土曜出勤だ。最悪だよ!




子どもの不登校対応の在宅勤務の実現について、表面上では上司や管理職を交えて、具体化に向けた前向きな話し合いの場を持つまでに至りましたが、今後、変な横槍が入る可能性も加味して、水面下では労働組合と相談しながら慎重に事を進めているところです。

まあ、私の仕事の場合、業務遂行の面では問題になることはまったく無く、過去の実績もあるため、経営者の英断次第で解決する話なのですが、そこに少なくない労力と時間を割かなくてはならないことに馬鹿馬鹿しさを感じてしまいます。

1月25日(土)

不登校認定を間近に控えつつ、土曜登校まで果たしてしまった子どもである。

うむ。

さて、昨日は学童クラブで友だちとの口論が長引き、学童クラブから子どもを迎えに来てほしいと連絡がきたのだが、私が学童クラブに到着しても衝突は続いており、40分ほど待ってようやく仲直りして出てきた子どもたちである。

子どもを待っている途中、口論相手の友だちのお父さんも迎えにやって来たので、しばらく立ち話でお互いの子育て状況を共有。

こんなに子育てが難しいこの時代において、多くの人々が子育てを諦めているこの国において、本当に我々は良くやってる。そんな思いを新たにした。

まあ、そう思わなければ、即座に挫けてしまうというのが本音でもある。




土曜日授業も含めた一週間連続登校を二ヶ月ぶりに無事に終え、先ほど学校から帰ってきた子どもですが、昼食を食べたらコテッと寝てしまったそうです。

本当にお疲れさまでした。

1月27日(月)

不登校認定を間近に控えつつ、今週も登校していった子どもである。

うむ。

12月はほぼすべて、1月は今のところ1週間、学校を休んできた子どもではあるが、先週から約二ヶ月ぶりに連続登校を積み重ねている。

妻と一緒の入浴時には、妻には色々と学校の文句や不満を漏らしているようだが、同時に学校での楽しい出来事などもぽつぽつ話しているようである。

不登校がはじまった12月は、もんどり打つような七転八倒が続いたが、思えば子どもに変化が表れたのは去年の8月。

不登校当事者の経験を聞くと、何の予兆も無く、ある日突然ぱたりと学校へ行かなくなる、という事例が多いようなのだが、我が家の場合は、あの8月の子どもの変化からずっと不登校への準備期間のように過ごしてきたので、親も子も一定の覚悟を育むことができたし、関係各所との繋がりも事前に整えることができた。

もしうちの子どもも、ある日突然ぱたりと不登校が始まっていたとしたら、12月の七転八倒はより過酷でより過剰なものとなっていた筈だし、絶対にやってはいけない様々な悪手に手を染めていた可能性すら大いにあったかもしれないと思うと、薄ら寒くなる。

そんなわけなので、今週も変に一喜一憂せず、淡々と過ごしてゆこう。




連続登校ができているとは言え、まだまだ予測のできないことも多いため、私の個人の気晴らしや余暇の計画は後回しです。

まあ、こんな時の手っ取り早い解決策は読書しかないのですが、私の計画すらままならないので、こうした状況が長引けば長引くほど、必然的に家族の計画もままならず、孤立も深まっていきます。

ただ子どもが学校行けないだけなのにねぇ。

1月28日(火)

不登校認定を間近に控えつつ、今日も登校していった子どもである。

ただ今日は、出掛ける直前に「学校行きたくない」と漏らしたので、「じゃあ、無理しないで休んだら?」と伝えたのだが、頑張って登校してしまったようである。明日はどうなることやら。

うむ。

昨日、学校から連絡があり、支援教室制度の子どもの正式利用が決まったと報告を受けた。支援教室とは週に二時間だけではあるが、子どもに合わせた指導を受けられる就学支援制度である。

支援教室への利用希望は、子どもの変化が顕著になった10月に申請し、面談と心理発達検査を経たうえで検討、関係各所には無理を聞いて貰い、かなり迅速に対応してもらった結果、今回の正式利用にこじつけることができた。

しかし、子どもがあと数日学校を休んでしまうと不登校として認定されてしまい、この藁にすがるような支援制度ですら受けられなくなってしまう、という制度設計になっているようなのだ。

笑うしかない。

あはは。




子どもの状況を考えると、私の在宅勤務を今すぐにでも始めたいところですが、表面的に交渉を進めている業務ルートでは遅々として話が進まないので、水面下で動いている労働組合ルートに望みを託すしかなさそうです。

どこもかしこも。

1月29日(水)

不登校認定を間近に控えつつ、連続登校記録を塗替え中の子どもである。

昨日の出掛けに「学校行きたくない」と漏らしていたので、今日は休む可能性が高いかもしれないと思い、こちらも体制を整えていたのだが、なんとか登校していったようである。

うむ。

昨日はスクールカウンセラーの先生や担任の先生と連絡を取り、学校での子どもの様子を聞いたり、家庭での子どもの様子やこちらの要望を伝えたりしていたのだが、窓口が複数あるとそれだけで時間も取られてしまうし、伝え漏れや誤解なども生じてしまうので、なんとかなないものなのかなぁ、などと感じた。

あと、職場の在宅勤務の件だが、やはり業務ルートでは前例主義や制度未整備を盾にされ、管理職や上司の責任の所在やら自己保身やらも相まって、具体化の話し合いすら後回しにされている。

当初は、二月には始められたらなと目論んでいたのだが、このままでは動きそうにないので、水面下で働きかけていた労働組合ルートで交渉を進めることにして貰ったところだ。

とは言え、労働組合ルートだろうがやることはあまり変わらず、基本的には男性経営者相手の交渉事となるので、上記した官僚主義はもちろん、育児や不登校に対する認識のズレも大きな障害になってくるだろう。

うむ。

なのでフジテレビ同様、少し強めの外圧でもかからなないと、正攻法だけではちょっと難しいかもな、と思っているのだが、いやさて、どうしたものか。




最近、猫の多頭飼育崩壊のレスキュー動画をよく見ています。

動画内では、あまりにも過酷な猫たちの育成環境に、支援者の人たちが怒りや悲しみを露わにし、軽率で無責任な飼育者に対して憤りをぶつけるコメントが必ずと言っていいほど挿入されているのですが、これってそもそもそういう問題ではなくて、むしろ人間社会の方の格差や貧困と密接に結びついた問題なのでは? と思っているところです。

なので、猫のレスキューの前に人間のレスキューをする方が早道な気がします。

1月30日(木)

不登校認定を間近に控えつつ、二週連続登校に王手をかけつつある子どもである。

うむ。

とは言え、昨晩は久しぶりに大暴れした子どもでもある。

うむ。

昨晩は、風呂に入る時間になっても、まだ観たい番組があるから、と言って食い下がり、その次には髪を洗うのが面倒だと言いはじめ、更には風呂に入りたくないと訴えるので、嫌なものは仕方ないね、とだけ伝え、その他の判断はすべて子どもに一任し、私は寝支度に取り掛かった。

しばらくして、ドカドカと激しい足音を立てて、子どもが階段を上がってきて、自室のドアを激しく締めて引きこもり、壁を蹴ったり物を投げたりして暴れはじめた。変に刺激をすると増長してしまいそうだったので、こちらからは一切干渉せず、しばらく放っておいたのだが、暴れた拍子に足をどこかに引っ掛けたらしく、足の親指に内出血を負ってしまい、今度は大号泣して大暴れ。

仕方ないので、応急手当を済ませ、そのついでに風呂に入らせてやり、着替えさせてやり、歯を磨いてやり、髪を乾かしてやり、ようやく落ち着いてきたかなぁと思ったところで、既に時間は22時前。普段ならとっくに就寝している時間である。

ヘトヘトになりながら、そろそろ消灯しようと思ったところに、今度は、三つ編みソバージュで登校する約束を友だちとしていた、と子どもが言いはじめ、妻の手を借りて6本の三編みを編み終えたのが22時半。そこから更にウダウダがあり、ようやく就寝したようである。

先月以前の私なら、即座に感情的になってしまい、最低でも5回ぐらいは怒鳴っていたであろう状況だが、昨晩は意識的に距離を保つことで、怒鳴ることはもちろん、無用で不毛な衝突も回避することができたし、寝る前の諸課題もすべてこなすことができた。

就寝時間が大幅にずれ込んでしまったことと、大幅に子どもの介助をしなくてはならなかったことは、今後の課題とするにせよ、とりあえず変なわだかまりを残すことも無く、無事に収めることができたことに関しては、胸を張ってもいいのではないかと思いたい。




まあもちろん、昨晩のようなことが毎日のように続くとなると、だいぶしんどくなるとは思いますが、なるべくお互いが消耗しないように家庭生活を進めるためには、妥協と距離と良い意味での適当さが大切なんだなと、あらためて感じました。

ただ、子どもにも連続登校の疲れが見え隠れしているようなので、要注意な頃合いでもあります。

1月31日(金)

不登校認定を間近に控えつつ、二週間休みなく登校していった子どもである。

科目によっては、受けることのできない授業もあるようだし、宿題にもまだ一切手をつけようとはしないし、せっかく加入したオンライン通信教育のタブレットには埃がかぶってしまっているが、とりあえず今月は、少し前向きな取っ掛かりが垣間見えつつ、なんとか乗り越えることができたように思う。

うむ。

さて昨日、帰りがけに職場の責任者に呼び止められ、不登校児童を抱える私の今後の会社の対応について、私の直属の上司も交えて話をした。この相談については、二ヶ月近く前から何度も打診していたにも関わらず、何かと理由をつけられては先延ばしにされ、これ以上の延期は流石に私も看過できなかったので、今週のはじめにかなり強めに要望し、ようやく実現したのだった。

でも、何で帰り際なんだ!?

うむ。

今の会社には、それ相応の不満や物足りなさは感じてはいるものの、私の思想信条や倫理観から大きく逸脱するような業務体制ではないし、給料は安いけれど、そのぶん仕事に追い立てられるような圧も少なく、福利厚生もわりかししっかりしているおかげで、長らく勤めることができている。

私が今現在担当している職務内容についても、適度な負荷と適度な裁量を与えて貰っており、結果に対する評価もきちんと返ってくるので、今のところ悪く無いとも思っているし、私の職務上の貢献も、それなりに重要なものとして評価されていると思っている。

そこで、今まで通りの職務遂行のためにも、今後の私の家庭の状況の対応のためにも、できるだけ早く在宅勤務の実施のため、職場責任者として関係各所並びに経営者に積極的に掛け合って貰いたいと頭を下げた。

同席してくれた上司も積極的に加勢をしてくれたお陰で、短い時間ながらも私の切迫した状況や思いは伝わったと思う。

在宅勤務実施の物理的な条件は既に整っているし、その有用性や利便性も自明のものとなっているので、もしこれで話を通すことができなかったとしたら、むしろ職場責任者としての能力や資質に関わることになるだろうとも感じている。

でもまあしかし、どうなることやら。




子どものことで、昨年末は唯一の娯楽である活字すらも読む気になれなかったのですが、年明けからはなんとかまた再開できるようになり、そのきっかけもまた活字でした。