vol. 003
Fly me to the hidden world 動かない旅の話 [Jan. 2023]

二十歳の頃、初めての海外旅行で訪れたヨーロッパの、どこの街かは忘れてしまった。
一人きり、まったく知らない土地の、まったく知らない文化の中で、まったく知らない言語を聞きながら、まったく知らない料理を食べている時に、それまで感じたことのない、とても寛いだ気持ちになったことを、今でもよく覚えている。
生まれたばかりの雛が、初めて目にした動く物を親として覚え込んでしまうように、初めての海外旅行でのその経験が、その後も強く私の旅行に影響を残してしまった。
海外へ行く機会がある時は、風光明媚な観光地を訪ね歩くよりも、なんでもないような街場の屋台や食堂や公園で、何をするわけでもなく、街の様子を眺めながら、無為な時間を過ごすことを好むようになった。
これまでの旅で、印象に残ったところをひとつづつ挙げていくときりがない。
チェンマイのピン川沿いの閑散とした昼下がりのカオソイの屋台の匂いとか、ジョホールバールでヒジャブを巻いた女学生たちとバスを待ち続けたバス停の暑さとか、ボストンのバックベイフェンズで煙草を吸いながら寝転がっていた芝生の硬さとか、釜山の駅の地下街の端っこにある井形の共用ベンチの冷たさとか、シンガポールの団地の共同食堂の蛍光灯の光とか。
香港島のエスカレーター脇の喫煙所の煙とか、マディソンスクエアのコインランドリーの音とか、バルセロナのサクラダファミリアのゴミとか、ローマのヴィットーリオ・エマヌエーレ2世広場のスイカ売りの流すユーロビートとか、台北のテナガエビ釣りの引き具合とか、エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ。
旅で起こった出来事は忘れてしまっても。その場所にあった音や匂いや温度や空気は、今でも色鮮やかに覚い出すことができる。
最後に行った海外旅行は、三歳の子どもと一緒に訪れたロシアのハバロフスクとウラジオストク。
ハバロフスクのディアモ公園で、眠ってしまった子どもをベンチに座って抱っこして、目を覚ますのを待っている時の温もりを、今でもはっきり覚えている。

戦争に紐づいてしまった温もりの記憶。