アメリカにいた時、友人のアパートに泊まらせてもらっていた。
平日は毎朝9時から友人は学校があったので、8時半頃にアパートを出て行く。僕も得に何をするわけでも無かったけど友人と一緒に8時半にアパートを出て行くことにしていた。
友人が午前授業の時は、お昼頃にダウンタウンのフードコートやゲームセンターやレコード屋や図書館とかで待ち合わせをして一緒にお昼を食べることにしていた。
午後は一緒にダウンタウンでウィンドウショッピングをしたり、チャイナタウンに行ったり、美術館に行ったり、映画を観たりして、夕方になると近所のカワイイ女の子が働いているスーパーで夕食の食材を買ってアパートに戻っていた。
友人が一日授業がある日は僕がアパートの鍵を預かって、一人で美術館に行ったり、図書館に行ったり、ゲームセンターへ行ったり、スケボーの練習をしたりした。
お腹が空いたらフードコートやファストフードや時にはちょっと小洒落たカフェでお昼を食べて、また一人でダウンタウンでウィンドウショッピングをしたり、チャイナタウンに行ったり、公園でゴロゴロしたり、映画を観たりして、夕方になるとアパートに先に帰って友人を待っていた。
そして、友人が帰ってきたら近所のカワイイ女の子のいるスーパーに夕食の食材を買いに行った。
午前授業と一日授業の日は週に半々ぐらいで、けっこうランダムだった。
ある一日授業の日に、友人がアパートの鍵を持って学校に行ってしまった。僕も友人もそんな事には気付かずに、いつもどうりの一日授業の日の日課をこなしていた。
その日もいつもどうり夕方になると先にアパートに帰って友人を待つことにした。そこで、やっと鍵が無いことに気が付いた。
でも、特に慌てもしなかった。いつもどうり友人は一日授業を終え、もうすぐ帰って来ることは分かっていた。そうすれば、またいつものようにカワイイ女の子のいるスーパーに行って夕食の食材を買って、また明日が始まる。
でも、いくら待っても友人は帰って来ない。待てども待てども帰って来ない。不安がどんどん大きくなり、恐怖が目の前を覆っていく。悪い事ばかりが頭を過ぎり、孤独だけが静かにジッと待ち構えている。
僕はそこで初めて自分がアメリカにいることを実感し、アメリカと日本とは違う場所なんだという事が分かった。
文化の違いは新しい発見や新しい経験に満ち溢れ、楽しいことが多い。でも、文化の違いには違いによる恐怖や不安や孤独も、楽しいこと以上に多い。
なぜか海外から帰ってくる人はその事についてあまり触れない人が多い。
もしかしたら文化の違いにそんなに触れていないのかもしれない。もしかしたらカッコ悪いから言わないだけなのかもしれない。
でも、楽しいことだけではないのは確かだ。
結局、友人は学校のクラスメイトのお別れ会だかなんだかで、大分遅れて帰って来た。帰ってきてから自分が鍵を持っていることに気が付いて、僕に謝っていた。
遅くなってしまったし、大分気疲れもしたので、カワイイ女の子の働いているスーパーへ行くのは断念して、夕食はアパートの近所にある街一番のタイ料理屋に行った。
そこで生春巻きとタイ風サラダとシュリンプのフライドライスをモリモリ食べ、サミュエルアダムスをガブガブ飲み、デザートにタイ風パフェを頼んだ。
最後に来たタイ風パフェの上には「コアラのマーチ」がちょこんとのっていた。
僕が思わず「お!」と声を上げたら
タイ風の店員が「Yes! From Your Country!」と言った
文化の違う国に潜む自分の国の文化。これが一番楽しいのかもね。
今日は大変ショックなことがありました。
一時間ぐらいかけて書いて、物凄い良い出来になった文章が一瞬でどこかへ消えてしまいました。
もうパソコンは信じません。
昨日でこのHPも一周年を迎えることができました。
今年一年をふり返って見ると、今までにはない、なかなか波乱に富んだ、濃密な一年間であったように思います。
その波乱に富んだ濃密さは今も継続中ですが・・・。
HPの創設の目的は、自分自身だけの力で何かを続けてゆこうと思って始めました。当時の僕は、学生時代を終えこれからの人生で多くの時間を費やすであろう社会に出てみたものの、あまりにも退屈で、その退屈さが一番の困難なのだと知って、とにかくどうにかしたかったのだろうと思います。
HPの目的は自分自身の力だけで続けることです。その通りに配信だけは自分自身の力で続けてきましたが、実際に見て聞いて感じてくれる人がいるだろうという仮定で、配信してきました。
希望、そして夢のある仮定がなければ何事も継続していくことは出来ないと思います。そして、それには必ず人が絡んできます。
とにかく、これからも配信は自分の力でやっていこうと思います。でも、僕が配信してゆこうと思えるのは、匿名であっても、カウンターに数字を刻んでくれるあなたたちです。
僕が、いくら続けたいと思っても、僕自身の力だけではどうにもならないことだらけです。
でも、何とか周りを巻き込んで、楽しいものにはしてゆきたいです。
このHPを始めてから、僕の時間は確実に退屈なものから濃密なものになり始めています。それが良いものなのか悪いものなのかはまだ分かりませんが、楽しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。
久々の深夜日記ですが、どうしてもこれだけは皆様に報告したいです。
「死」に載せた大リーグのスイングの写真、是非、見てください。
見つけた時、僕はパソコンの前で一人で大爆笑でした。
皆さんもパソコンの前で一人で大爆笑していることを望みます。
ロマンシングです。
僕は高校生の頃までクリスマスにはサンタさんがいて、毎年、12月になるとメルヘンチックな気分になり、街がどんどんクリスマスモードに変わっていくのをウキウキして眺めていました。
25日の朝に起きると必ず枕元にはプレゼントが置いてありました。それが、望んだものとは違うものであっても、なんだか嬉しかったです。
公立の学校は25日は大体が2学期の終了式で早く帰ってこれるので、友人との遊ぶ約束も全て断り、ダッシュで家に帰って、プレゼントのオモチャに没頭していました。
僕はZOIDOフリークだったので、ほとんどのプレゼントがZOIDOだったような気がします。
なかなか良い思い出だと思います。
高校生になるまでサンタさんがいた。と聞いて、ちょっと長いんじゃないの?とか思うかもしれないですが、歳のはなれた弟がいたので、弟の夢を壊さない為に同じ部屋で寝ている僕にもプレゼントが置いてありました。中学生になってからは僕のプレゼントは毎回図書券でしたが、それでも、朝起きてみると枕元にプレゼントが置いてあるのは悪い気分ではありませんでした。
実際に僕がサンタさんの実態をつかみ始めたのは小学校の高学年ぐらいからです。その原因は、どこの家庭でもそうだと思いますが、親の不手際によるものでした。
サンタさんが実態をもつものとして認識し始めた時にクリスマスは終わりました。でも、おとぎの国に少しでも属せたことは楽しかったです。
もう、おとぎの国を味わえることは二度と無いような気がします。
そう言えば、肋骨折りました。愛用のBMXでのアクロバット走行の結果、体勢を崩し、あえなく胸部を強打してしまいました。
なかなか痛いものです。
小学校の頃は大きめの怪我をすると、ちょっとしたヒーローとして持てはやされます。特に、校内での怪我や交通事故での怪我は結構レベルが高く、事故前後の武勇伝に花が咲きます。
僕も小学校2年生の時に、校庭均し用のコンクリートローラーを友人3人ぐらいで全速力で引っ張り、そのまま壁に激突して、親指を大破した経験があります。危険度としてはAクラスです。
この時の事故は全校集会でも取り上げられ、それ以降そのローラーに近づくことすら禁止されました。
こんな経緯で、この事故の校内での知名度や影響力は大きなものとなり、、僕はかなりのカリスマ性のあるヒーローとして一週間ほど持てはやされました。
なかなか良い気分の一週間でした。
下手をするとローラーに押し潰されて死んでいたかもしれません。ローラーに誰かを巻き込んで殺していたかもしれません。でも、当時の僕らはそれに向かうことが名誉でした。
小学生は死に向かって突走る生き物です。今思うと馬鹿なことを死に物狂いでやっていました。隣の小学校でマンションの6階のベランダから飛び降りて5階のベランダに着地した奴がいる。という噂を聞き、凄く悔しんだ思い出すらあります。
そんなハングリーだった幼年時代を思い出すと、今はなんて軟弱な生き方をしているんだろうと思いますが、肋骨を折っても、賞賛をしてくれるオーディエンスがいません。
新しいファッション雑誌が創刊されました。「フレンチ」という女性ファッション誌です。
編集長には昔懐かしいフレンチ「グラムール」の編集者、アラン・ヴェイス、クリエイティブディレクターにはローラン・メルシエを迎え、ターゲットとして知的でありながらちょっぴりロックンロールしているハイセンスな女性を狙っているようです。
表紙を飾るモデルたちは皆今旬の女の子、オードレイからフィリッパからジャケッタなどなど、創刊号はなんと22バージョンの表紙が存在し、表も裏も表紙になっています。
エディトリアルでは、カール・ラガーフェルド、シャルル・アズナブール、ジョエイ・スターなどのインタビューやナタリエ・ゴールドバーグによるインドのボリウッド風景写真などなど、ネタとしてはハイソな感じですが、スピリットはロックしている雰囲気がある、ファッションイメージをメーンに扱う雑誌だそうです。
年2回リリース。次号は来春。10ユーロ。
と言われても、何のことだかサッパリ分かりません。フランスの雑誌なのでフランス語も分かりません。しかも、年2回のリリースってね~。でも、欲しいです。
10ユーロっていくらだ?
昔から女性ファッション誌が結構好きで、特にファッションイメージを扱うものを愛読というか愛見していました。
でも、高校生ぐらいの時は、高校男子が女性ファッション誌をレジに持っていって買うというのはかなりの難題でした。
ある意味、エロ本のほうがよっぽど潔くて買いやすいと思います。
なので、男性ファッション誌と一緒に買う合せ技や、必ずレシートを貰い、買い物を頼まれたような偽装をしたり、友達に付き添って貰ったり、女友達に買って来て貰ったりしていました。
家でもおばあちゃんに変な誤解を与えないようにベットの下に隠したりしていました。エロ本並の厳戒態勢でした。
でも、よくよく考えると、女の子が好きで、女の子を見たくて買っているということは、性欲とか別にしても、あまりエロ本と変わらないような気もします。あら~。
今日は同級生で組んでいる野球チームの納会だと思っていたら、勘違いをしていて、実は明日でした。せっかく昼間っからおもいっきり飲んでやろうと思っていたのですが、一日延期です。
思いがけず、暇になってしまったので、日記でも書いてみます。
さて、実は今日、友人と富士の樹海にクリスマス肝試しパーティーをしに行く約束をずいぶん前からしていて、ずっと音沙汰なかったので、すっかり忘れてしまっていたところ、昨日、「行くっぞ!」って言われて、かなり慌てました。で、「明日納会だから」と言って断ったのですが、納会は明日。
何がしたいのかサッパリ分かりません。
きっと、何もしたくないのかもしれませんね。自らの手で自らを孤独に追いやる。昔からそうだったような気がします。何もしたくないというか、一人になりたい。そういう思いが強いのかもしれません。
携帯電話を見ても、着信履歴はまぁそこそこあるのですが、送信履歴が3日に一回ぐらいしかありません。しかも、着信履歴もほとんどが不在着信です。
かと言って、誰からもずっと着信が無いと、寂しい。
困ったものです。
今日、肋骨の件で病院に行って来ました。
なかなか評判の良い病院で、建物もモダンなつくりでセンスも良く、実際、先生も丁寧で、親身に相談にのってくれ、色々な質問にも嫌な顔をせず、的確に分かりやすく答えてくれます。
しかし、気になる事が一つあります。
先生の助手に、僕と同じぐらいの年齢で、感じの良い、まあまあカワイイ女の子がいるのですが、なぜか僕にタメ語を使うのです。
僕は最初は敬語で対応していたのですが、あまりに酷いので、僕も躍起になって厭味なぐらいに敬語・丁寧語で応戦しましたが、ぜんぜん効き目がありません。
仕方ないので、もうシカトすることにしました。
自分と相手との関係をきちんと確立してからタメ語を使うのはかまわないと思いますが、関係が成り立つ前からタメ語というのはまずいと思います。
そういう意味では、彼女は僕との関係をタメ語でいい。と見切ったのかもしれません。
久しぶりにバイクに乗りました。寒い寒い。
でも、なんだか女の子ライダーが昔よりも増えたような気がします。
フラフラ乗っているのは気になりますが、バイクに乗る女の子もなかなか良いものです。バイクは男という定義も崩れつつあるのでしょうか。
僕がバイクに乗り出した当時、女性のライダーといえば、ツーリング仕様ネイキッドにジェットヘル(ジェッペル)をかぶった、ちょっと年齢オーバーな方ばかりでした。
高校を卒業した辺りから、だんだん同じ歳ぐらいの女の子ライダーが増えてきました。
その当時は、嬉しいやら悔しいやらで、わざと後ろでふかしたり、並走したりと、色々意地の悪いことをしましたが、今となっては愛情の裏返しだったということに気付き、素直にバイクを愛する者として素直に好意を持てるようになりました。
事故や暴走族や警察も怖いけど、涙を流しながら冬の寒さを風切る楽しさや、雨の痛さに耐えながらスピードを上げていく楽しさには替えられません。
女の子ライダーのもちょっかいを出さず、冬乗り雨乗りライダーとしてこれからも頑張っていきたいと思います。
結局、雨は雪には変わらずに、静かな師走の日曜日の朝をむかえています。
人は人に影響されたり、影響したりして生きています。僕は基本的に人間が好きなので、それを避けるために、人里離れて生活したり、心を閉ざしてしまったりはしません。こればっかりは生きている限り逃れようの無いことだと思います。
そういう関係では、影響を与えるほうが強い人。影響受けるほうが強い人。っていう分類が成り立ちます。前者の人は大体があまり周りが気になっていない人、後者の人は大体が周りが気になっちゃう人です。
僕個人としてはあまりどっち側にも着きたくありません。なので、普段の生活でも、あまり自分の意見を言ったりはしないし、他人の意見もきちんと聞くけど、特に肯定したり、否定したりはしません。あまりにも酷かったら言うけどね。
でも、そういう立場として、一番困るのは、僕自身に介入を求められたり、僕自身に介入してこようとされたりする事です。
意見を言わないと言っても、言わないだけで、そこに多少なりとも意見はあるし、かといって、言ったところで、介入を迫る人たちは僕の意見の粗探しをしたり、僕の意見の意味づけを勝手にしたり、意味の無い質問ばかりをしたりします。
結局、何をしたいのかはよく分かりません。
乗っ取りたいのかな?乗っ取られたいのかな?
そういうのは、とても面倒臭いです。うんざりです。
結局、雨は雪には変わらずに、静かな師走の日曜日の朝がやって来た。という認識をまずすれば良いのではないかと思います。
そこから始めたいものです。
ロード・オブ・ザ・リング。拝見させて頂きました。すぐに虜になってしまいました。全世界の命運を背負い込んで、勇敢な仲間達と冒険したいです。
集え!世界を救う勇敢なる猛者ども!!
いよいよ明日はクリスマスイヴですねvv
愛が芽生えるカップル。今まで以上に愛を深めるカップル。喧嘩別れしてしまうカップル。フェイドアウトしそうなカップル。いろいろです。
とにかく、僕らの年齢では今のところ、カップルのためのイベントでしかありません。そうなってしまってから、クリスマスは本当に無意味なものになってしまいました。キリストも、まさか自分の誕生日がそんな事になっているとは思いもしないでしょう。キリストなら皆が平等に自由に楽しめるイベントを望むでしょう。
と言っても、僕もベンチ入りしちゃっていますvv
中学校3年の時、ストーカーという言葉が世間に認知されるずっと前、二つ年下の部活の後輩から、しつこくつきまとわれた経験があります。
夏休み、受験生だったので、部活も引退し、夏期講習に通う毎日、最初は、後輩達の「罰ゲーム」と称して家に電話がかかってきました。
その時は、後輩達からちょっとした注目をあつめられているという事で悪い気もせず、あまり気にとめてもいませんでした。
でも、その日を境に、電話をかけてきた女の子から、毎日、毎晩、僕が家にいる時間を狙って電話がかかってくるようになりました。
そんなにおかしい子という訳でもなかったので、そのつど適当にあしらっていましたが、日に日に電話の量が増えてきて、僕が家にいるか、いないか、関係なく、5分おきに家に電話がかかってくるようになりました。
電話に僕の家族が出ると、すぐに切ってしまい、僕が出ると、「なんでもいいのでお話して下さい」とか「声が聞きたいです」とかいう、訳の分からない、マニュアル通りといえばマニュアル通りの、滅裂な内容のオンパレードで、朝、夏期講習に出かける時も、家の前で待っていて、何をするわけでもなく、僕の後をつけてきて、途中で僕が講習の友人と出会っても、関係なしについてきました。
さすがに、事のおかしさにも気が付き、いくら後輩と言えど、あまりにも自己中心的な行為に怒りや憎悪が湧いて来ました。
to be continue
今日、とても大切な人がNYへ行ってしまいました。
こんなにも人と離れる事が辛いとは思いませんでした。
離れて、尚一層、その人が僕にとって、かけがいのない存在であると感じています。
そんな僕も、明日、23歳になります。23歳も有意義な歳にします。
とうとう、23歳です。
メールや電話で、多くの人からお祝いの言葉を頂きました。ありがとうございます。
23歳という歳と、2003年という年を一緒に見つめられる良い日に生まれました。なんとか頑張っていきたいと思います。
大晦日。
そろそろ、悲しみに暮れているわけにもいかないので、前向きに年を越そうと思います。
明治通りも山手通りも車の影はまばらでした。人がいない大都会。大好きです。
今夜は、宴に興じますので、今年最後の更新です。
皆様、良いお年を!!
大晦日に見る人いるかな?