8月31日。夏休み最終日。熱く、楽しく、一生懸命とりくんだ僕らの野球が終わりました。
6回戦。準決勝でした。
悔しいです。。。。
シティーボーイ。
そう。このホームページを見ている人はほとんどがシティーボーイ。
東京生まれ。東京育ち。しかも、わけの分からない東京の端くれではなく、国際ホテルが立ち並ぶコスモポリタン。注目のベイエリア。もうすぐ新幹線まで停車する街。車のナンバーでも有名な我が町。
今まで、パリ、ニューヨーク、ボストン、ローマ、バルセロナと世界の先進国の主要な都市を見てきた私、真平が認める生粋のシティー。
そして、そんな世界の都市の中でも他の都市をよせ付けない、都会のスタイリッシュさと都会の伝統である粋をあわせ持った都市の中の都市。シティーの中のシティーが、僕らの生まれ育った街なのです。
そして、今、その中でも一番シティーたらしめている都会的要素を持つ環境を生き、時代を生き、今なお最先端で生きているのが23~24歳の世代。
社会の矛盾を一手に背負い、その中でも確固たる正義感や信念を持ち、現実的な視点からあらゆる物事に立ち向かっていく、情に脆く、優しさに溢れ、しかもスタイリッシュな都会的思考を持つ。そう。僕らが、世界で最も最先端を生きているシティーボーイなのです。
そうじゃない?
その数約2000人。
だから何だ!と言われると困ってしまいますが、なんか自分の生まれた土地と、そこに住む自分と同じように育った人というものを、夕空に瞬く雷を見上げながら、再認識してしまいました。僕なりのナショナリズムでした。
音楽を聴くとき。
インストロメンタルの曲であっても、普通にボーカルのいる詞のついた曲でも、僕は曲しか聴きません。と言うか、曲しか聴けません。
詞があっても、詞自体を曲としてしか認識できないので、まったく詞の内容が頭に入ってきません。なので、友人に詞が良いから、と曲を勧められても困ってしまいます。カラオケに行ってモニターに映る歌詞を見て、初めてこんなテーマを持った曲だったんだと気が付かされることも多いです。
音楽をそうゆう聴き方でしか聴けないのは、ただ自分が不器用なだけなのか、変な拘りのせいで頭が固くなっているのかは分かりませんが、あまり得はしていないような気がします。
早い話はCDやレコードに付いている歌詞カードを見ろ!という話ですが、歌詞カードの歌詞を見るよりも、そこにある写真やイラストに目が行ってしまって、なかなかどうして、うまくゆきません。
ただ、そんな僕でも、詞、曲、だけでなく、ビジュアル、パフォーマンスの全てを凌駕し、素晴らしいと思えるミュージシャンがいます。
あのベルベットゴールドマインのモデルにもなったグラムロックを代表するミュージシャン。
デビット・ボウイ。
詞が凄く良いんだ!なんて野暮な勧め方はしません。とにかく聴いてみろ!聴け!
あとグラムロックとビジュアル系と一緒にしちゃダメよ。別モノだから。
最近、友人から、あまり人には言えないような秘密の相談をされることが多いです。中には、なかなか深刻なものもあります。
今、抱えている案件で3つ。多い時で7つ程抱えていた時もありました。
僕の人柄を見込んで、信頼して相談してきてくれるのはありがたい事ですし、僕もその気持ちには精一杯応えたいと思います。
でも、実は僕、あまり口が堅いほうではない、いや、むしろ秘密事を密かに広めていくのがとても好きなので、今、この状態が嬉しい状況でもあり、とても辛くもあるのです。
せっかく信頼を置いてくれて僕に相談してくれるのは良いのですが、僕はそれを誰かに言いたくて言いたくてたまらない。しかし、言ってしまったら信頼も崩れてゆく。でも、言いたい。。
「王ロバのジレンマ」とでも言いましょうか。
実を言うと、抱えていた相談が7つから3つに減ったのも、そんな僕の悪癖の為に秘密の相談が気が付けば秘密でも何でもなくなってしまって、信頼を失ってしまった結果でもあるのです。
でも、弁解ではありませんが、言っておきましょう。秘密の相談を秘密から解き放つ事で解決する。そんな事もあるのです。よく言うじゃありませんか。三人寄れば文殊の知恵。ってね。
だめ?
一日を考える時、僕は頭の中に白い時計と、黒い時計が浮かびます。
白い方は朝の6時から夕方の6時までの時計で、黒い時計は夜の6時から朝の6時までの時計。大体この2つの時計を駆使して一日の流れを考えます。
次に一週間を考える時。これは単純に帯状の月曜日から日曜日までのカレンダーを切り取ったような図表が浮かびます。この図表の使い方は簡単で、大まかなイベントが各曜日に記憶されています。で、過ぎ去った曜日からどんどんと薄っすら消えてゆきます。土日や祝日はやっぱり赤い感じです。
次に一ヶ月。これはもっと簡単に、普通のカレンダーが浮かびます。でも、一ヶ月を把握する事はなかなか難しいし、一ヶ月単位で把握しなくてはならないものってゆうのは限られてくるので、本物のカレンダーを使います。例えば、会社なら仕事の納期を記して、それまでの大まかな仕事の予定を立てたり。個展が迫っていたら、その予定を立てたり。プライベートだと恋人の誕生日だとか自分の誕生日などの記念日を記しておきます。
ここまでは、実際にある時間を把握する道具を使った時間の把握のしかたなので、皆さんも同じような方法で時間の流れを把握しているんじゃないかと思います。
さて、問題は次。
一年をどう把握するか。僕の場合は大きな円が浮かべます。その円の一周が一年として、その円の上に小さな球体を置きます、その球体が現在の時期を表します。地球です。ちなみに、その円の真ん中には太陽もあります。
つまり、一年を考える時には宇宙を思い浮かべちゃいます。
なんとなく上の方が冬で、そこから時計回りに進んで、なんとなく下のほうが夏になります。今は9月なので、だいたい左下の辺りです。
一応、この場合は3D視点なので、視点も変えられます。地球視点から円を見たり、太陽視点で地球を見たり、または円の軌道上から地球を見たりできます。
でも、ほとんどの場合は円も地球も太陽も見える視点。通称ゴッド視点から一年を把握しています。
一年という時間の流れを刻む道具とゆうものがあまり無いので、一年の把握の仕方には個性がでるのではないでしょうか?ちなみに僕は物心ついた頃から、この方法で一年を把握するようになっていました。皆さんはどんなイメージで一年を考えているのでしょうか?
同じようなイメージ。つまり、頭の中の出来事の事で、昔、ピーター・フランクルという20カ国語を操ることのできる大道芸人が高校の学園祭で講演しに来た時がりました。
その時、僕は20カ国語を喋るこいつは物事を考えるとき何語で考えているんだ?という何とない疑問が浮んだのですが、考えれば考えるほどよく分からなくなってくる。結局、いてもたってもいられなかったので、その質問をピーターにぶつけてみました。
その返事は「最近ハ日本語デ考エルヨウニシテマース」と、かなり普通の答え。
「考エルヨウニシテマース」って何だ?そんなことできんのか?じゃあその考エルヨウニシテマースってゆう意思は何語で考えてるんだ?って。結局、どツボにはまり、サッパリ訳が分からなくなってしまったのを覚えています。
ちなみに、10年単位の時間の長さになってくるとやっぱりまた帯状の図表に戻ります。
映画、音楽、絵画、彫刻、演劇、文学、etc。一般的に芸術と言われるもの。
こういった文化的なものが生きてゆく上で絶対に必要かと言われると、必ずしもそうではない。残念ながら、映画が無くったって生きていけるし、音楽が無くったって生きていける。
それは大学で学ぶようなアカデミックなものにも共通している。法律や経済や理系全般などの現在の社会・生活において密接に関わってくる学問は別にして(これは学問とゆうよりも技術に近い)、文化を紐解いてゆく学問や、歴史を紐解いてゆくような学問は生きてゆく上で残念ながら絶対に必要とは言えない。
でも、それらのものは生きてゆく上で絶対的に必要なものではないかもしれないが、それらを観たり、聴いたり、感じたり、学ぶことで生きてゆくことが豊かになることは確かだと思う。
問題は生きる豊かさをないがしろにしてしまっている現代の社会や僕ら自身にあるんだと思う。豊かさを失って生きることがどんなに無意味な事か。それは最近起きているおかしな事件やおかしな戦争を見れば分かると思う。あそこに生きる豊かさなど存在しない。僕らと同じように豊かさを失った結果なんだと思う。なんて無意味なんだろうか。
今日、新宿の雑踏の中、ふと空を見上げたら、明るく輝く月の隣に、火星が小さいながらも赤く煌いていました。なんだか悲しくなりました。
今日は中秋の名月です。曇っていましたが、今は綺麗に月が望めますね。素晴らしい。
昨日の日記でも書いたように、昨晩、月に近づいた火星を肉眼で見ることができました。新宿で赤く輝く火星を見て、なにか悲しい印象を受けた。とも書きました。
最初は、その悲しい印象は新宿とゆう人間の功利的欲望の掃き溜めのような場所で見たからだと思っていたのですが、家に帰ってから、また空を見上げると、新宿で見た以上に月と火星が煌々と輝き、そこには新宿で見た以上に悲しい印象がありました。
場所ではないとすると。。と考えてみたところ、昔、確かこれと同じような光景を見た事を思い出しました。確か月に金星が近づく日。そんな日があった気がします。その時は、満月じゃなくて、三日月で、金星はその月の横で、月の光に負けないぐらいに輝いていました。
あの時は友達五人ぐらいで遊んでいる時に、誰かが空に異変に気が付き、そのあまりにも不思議で美しい光景に、皆、遊ぶのも忘れて、ただただ見惚れていました。
それと同じような光景を昨晩も目の当りにしたわけです。
ただ、そこには昔とのあの時のような感動はありませんでした。
それはこの事に限ってではなく、あらゆる事への感受性が昔に比べると、薄いものになっています。それは仕方ない事なのか、しかし、それがどんなに悲しい事なのか。
昨晩、空を見上げて、そんな事を無意識に感じたのかもしれません。
火星はもう↑コノ辺だった
今日が十五夜でしたね。
僕が香港のミュージシャンの女の子とメールのやりとりをしている事は皆さんご存知ですね。しかし、最近、その子からメールの返事が来ないので、もう愛想を尽かされたかな、なんて思っていたら、彼女のメール、なぜか勝手に迷惑メール扱いになっており、迷惑メールのフォルダーで削除される寸前になっていました。愕然としました。あと一歩チェックが遅れていたら、削除されていたところです。
ホットメール!勝手な事をするな!
そんな訳で、この前、STUDIOVOICEというハイソ・インテリ・サブカル系ではまあまあ有名な雑誌の「次のアジアを創るAsian-VIP55人」という特集記事をながめていたら、な、な、なんと!その香港の子がフューチャーされているではありませんか!
これからのアジアを創るのが55人しかいないというのもなかなか驚愕の事実ではありますが、その中に、僕がリアルタイムで文通をしている人が選ばれているとは。。。しかも、これからのアジアを担うようなその人からのメールが迷惑メール扱いになっているとは。。。
ホットメール!勝手な事をするな!
まあ、そんなことはさて置き、こんなタイムリーな情勢を放っておくような僕ではありません。アジア的に、いや、アジア規模なら、もう世界的な注目を集めているような人とのコネクションを無為にしてなるものか!
しかも、この前の彼女からのメールでは
「新しいアルバムができたから送ってあげるね☆住所教えて☆」(一部フィクション)
というようなニュアンスのメールが届いておりました。
これはもう、俺にアジアを創る56人目になってくれ!と言っているようなものではありませんか!そうだよねぇ?
そこで!
彼女がニューアルバムを送ってくれると言う事なので、そのお返しとして、こちらもニューアルバム(Only
for *Dejay)をリリースすることが決定いたしました!
これで、56人目の座はもらった!!
つきましては、このWeb上でこのニューアルバムの楽曲を公開したいと思っております。僕がアジアを創る56人目となる為に、そして、それをより確固たるものとしてゆく為に、皆さんの意見を頂きたいと思っています。
近日公開! ご期待ください! Comin' Soon
!!
*Dejayはその香港の子の名前。
ホームページはコチラ→http://www.thepancakes.com/
僕も含めて僕の周りの友人達も、皆、何かしらの職を持つ。そんな年齢になりました。
「最近どう?」と聞くと「忙しい・・・」というのが普通の挨拶となり、酒を介した場でしか会えなくなり、いつ会っても同じ昔話に花が咲く。そんな年齢になりました。いわゆる大人です。
そんな皆さんの中で、やっと大人になれた!待ちに待った社会人!という方いますかね?僕はまだそんな事をおっしゃる方には出会った事がありません。もし、そんな方がいらっしゃったらコッソリ僕に教えて下さい。
ちなみに、僕は大人は嫌です。反対です。無理です。できる事なら仕事なんかしたくないし、変な義務や責任なんか持ちたくないし、ましてや、結婚!?子供!?考えられません。ここまで来ると意味がわからなくなってきます。
まあ、たぶんこのホームページを見ていくれている皆さんも建前は大人にならなきゃ!と思っているでしょうが、僕のような大人への反感や矛盾も多かれ少なかれ抱えていると思います。
という事で、私、考えました!
「忙しい・・・」と愚痴をこぼし、酒で我を忘れ、過去に執着している大人たち!!いや、むしろ、忙しい事をステータスとし、お洒落な酒を嗜み、希望に満ち溢れたポジティブシンキングな大人たち!!私、来年、学生になります!そして、あなた達に来年の秋に控えている学園祭に出ていただきます!青春をあじあわせてやる!大人がなんと卑しく汚いものなのか、身をもって知るがいい!そして、清らかな大人になろうではないか!
尚、ご希望の学校があれば受け付けます。 例:早稲田
一文、上智 外語、慶応 法律、etc
学部名までお願いします。あと、関東地域に限らせて頂きます。
なんか、やっと秋めいてきましたね。昨日の夜なんかはなかなか良い感じだったのではないでしょうか。あの澄んだ感じの空気感。たまりません。
秋は昔から運動会や学園祭や修学旅行などなどイベント行事が多かったので、なんかそうゆう日常と違った感じで巻き起こる、嬉しい事件だったり、楽しい事件だったり、といったものへの憧れというか、期待というか、そうゆうトキメキを感じます。
そんな、何かしでかしてやりたくなるような季節にどんどんと近づいているわけですが、皆さん、最近、何かトキメクような事件をしでかしていますか?しでかしていないでしょ?ドキドキしてないでしょ?つうか、しでかせるような状況じゃないと言った方がいいですね。
やはり、これは来年の秋しかない!俺が学生に戻るしかない!
と言う事で、来年の秋に僕が入学した学校の学園祭で、何かしでかしてみたい方、トキメキたい方、募集します。出店・出展・パフォーマンス等の詳細な企画書を添えて下記のメールアドレス又は当ホームページ掲示板までお寄せ下さい。
cafecube@hotmail.com
トキメキメモリアル!始動です!
関東地方に直下型の大地震が発生する恐れがあるという噂が流れました。
どっかの大学の研究室が発表したとかしないとか、民間の観測所が地殻の変動を確認したとかしないとか、どっかの研究所に勤めている先輩から聞いたとか聞かないとか。
とにかく、この15・16・17日が一番怪しいという話でした。
そんな噂を耳にしてからは、以前学んでいた建築学の知識をフル活用し、なるべく生存確率が高い場所を選び、慎重に日々を過ごしていましたが、何事も無く、なんとか厳重注意期間である最後の日が終わろうとしています。
そろそろ時期的に危ないと言われているだけに、どんな些細な情報でも、無視できないのが実際ですが、ガセネタであった事を願うとともに、このまま、何事も無く過ぎてくれることを望みます。できる事なら、僕が生きている間は大地震なんか起きないでほしいと思います。
僕には皆を学園祭に参加させなければならないという使命があります。
今、大地震は困ります。
「2ちゃんねる」という、あらゆる物事に対して、自分の意見を載せることのできる掲示板があります。みなさんもよくご存知ではないかと思います。
僕もインターネットを始めた当初から、自分の気になるスレッドの掲示板を覗いたりしていた、いわゆる「2ちゃんねらー」の一人ではあったのですが、さすがに、書き込みとなると「う~ん」という感じでした。
しかし、この独特な「2ちゃんねる」の感じ。なにか懐かしいこの感じ。
どこかで・・・どこかで・・・出逢った事がある・・・。
そんな訳で、今日は朝から下痢気味で、あらゆる公衆便所のお世話になりました。
そして、それぞれの便所で排泄行為をしている、わりかし退屈な時間に、便所内を見わたしてみると、必ずと言っていいほどイタズラ書きがあって、排泄時の暇な時間を楽しませてくれます。
ん??これ??この感じ!!?
2ちゃんねる!!!!
うちにはおじいちゃんがいます。とてもワガママなおじいちゃんです。
自分の都合の為なら人の事などお構いなし。そんなおじいちゃんです。
例えば、休みの日にゆっくり寝ていると、朝早くからドタバタと僕の部屋で探し物をしたり、自分の用事を頼む為に、僕が気持ちよく夢の世界を謳歌しているのにも関わらず、無理やり起こしてきたりします。しかも、その用件が「パソコンが固まってしまった」などの、しょうもないような用件だったりします。
一番困るのは、僕が部屋に友達を招いている時でも、お構いなしに部屋に入ってきて、探し物をしたり、僕に用事を頼んできたりする事です。「今はちょっと控えてくれないか」と言っても「すぐ済むから」と自分勝手に事を進めてゆきます。
ちなみに「探し物をしている」といっても、僕の部屋での事なので、もちろん僕の私物を勝手に荒らしています。そして、勝手に持ち去ってゆきます。
まあ、ここまでは小さい頃におじいちゃんには色々な所に連れて行ってもらったという恩があるし、後先短い年長者に対しての優しさもあるので、僕も我慢していますが、問題はここからです。
実は最近のおじいちゃん、僕の物を欲しがるという癖がついてきてしまっています。しかも、僕が大切にしている物に限って欲しがります。
始まりは、僕が海外に言った時の思い出として持ち帰ってきたコインや美術館の切符を欲しがったのがきっかけで、それからと言うもの、僕の部屋を物色しては色んなものを欲しがります。さすがの僕もそこまでお人よしにはなれないので、きっぱりと断わるのですが、おじいちゃんも、なかなかどうして、食い下がります。
そして、僕が首を縦に振らないと分かると、おじいちゃんは最終手段を使ってきます。
「じゃあ、もういい、頂戴とは言わないから、おじいちゃんが死ぬまでおじいちゃんに貸しといてくれ」
おいおい!あんた!そりゃあないよ!もう我慢ならん!
と言う事で
私、真平は、おじいちゃんという立場を利用した孫に対する卑劣なまでの脅しに対して断固として戦ってゆく事をここに誓います。
うちにはおばあちゃんがいます。とても神経質なおばあちゃんです。
買ってきた豆腐を一回火に通してから冷奴を作る。そんなおばあちゃんです。
うちは両親が仕事を持っているため、昔から、神経質なおばあちゃんがご飯を作っていました。なので、うちで食卓に上がる大抵の食べ物が火を通したもので、生ものなんか滅多に出てきません。傷んでいるとか、そうゆうことは関係無しに、とにかく火を通します。サラダでも一度湯がいた野菜が出てきます。魚でもカチカチの干物のようになるまで焼いてから食卓に上がります。みそ汁は煮込みます。
市販されているお惣菜類を買ってきても、炒め物なら炒めなおし、揚げ物だったら揚げなおします。餃子やシュウマイを買ってくると焼きなおしたり蒸しなおしたりするだけでは飽き足らず、必ずと言っていいほど揚げます。
こうなってくると原形が何だったのか全く分からないのはもちろんの事、味も何がなんだか分かりません。困ったものです。
昔、一度だけ「なぜ、そんな事をするのか?」と聞いた事があります。
その答えは「だって、そのままだと気持ち悪いじゃない」でした。
おばあちゃんにとって、料理するという事は食材の気持ち悪さを最小限にする行為なのだと分かりました。特に、その中でも揚げるという行為は気持ち悪さを最も抑えてくれるもののようです。何がそこまで気持ち悪いのかはまったく分かりませんが、勘弁してもらいものです。
その他にも、最近は戸締りにも、もの凄く神経質になっていて、鍵をかけるだけでは飽き足らず、家中の窓につっかえ棒までしています。しかも、自分が家にいる時のほうが神経質に戸締りをしています。寝る前なんかは特に凄いです。家中を厳しく見回ってから寝ます。
それも、一度だけ「なぜ、そんな事をするのか?」と聞いた事があります。
その答えは「だって、何が来るか分からないじゃない、怖いわよ、ネズミとか」でした。
特に空巣や強盗については触れていませんでした。ネズミやカエルやネコが入ってくるからと言っていました。しかし、わざわざ、玄関や窓の鍵をこじ開けて入ってくるネズミもいないと思います。しかし、おばあちゃんのネコやカエルやネズミたちに対しての強迫観念は恐るべきもののようです。勘弁してもらいたいです。
しかし。。う~ん。。。分からない。気持ち悪さを抑えるための料理も分からなければ、ネズミを家に入れない為の戸締りも分からない。あなたはそんな事にはもの凄い神経質なのに、なぜ、ゴキブリを素手で捕まえられるんだ!
分からない。
Ⅰ
街角で見つけた花を あなたのために持ち帰ろう
あなたの心はこれで俺のもになるだろう
Ⅱ
あなたの気持ちが分からないよ 俺はなにをしてあげればいいの
君の気持ちがぜんぜん分からないんだよ
「レビュー」
歌詞は1番と2番しかありません。恋の成就の兆しが見えてきた1番の歌詞から、いきなりダメダメの2番の歌詞にかわります。
1番から2番までの経過で何があったのかは僕でさえ分かりません。
しかし、二人の気持ちが離れてしまう決定的な何かがそこにはあったのでしょう。今さら、それが分かったところで、どうなる訳でもありません。
そう、これは別れを宿命付けられた悲しい恋の物語なのです。
メロウなイントロから突然の軽快なロックへの移行、そして、最後の「センキュー」と「バイバイ」が何を意味するのか。相対する「出逢い」と「別れ」という、人間の永遠のテーマである矛盾を内包した哲学的な問題作です。
なんか、一気に冬到来といった感じですね。先週は暑くて、暑くて、短パンにタンクトップという出で立ちで過ごしていたのに、今はトレーナーにスウェットです。それでも寒いぐらいです。一体、どうなってしまっているのでしょう。
最近、大学受験の為に予備校に通い始めました。
23歳になってからの受験という、かなり無理のある挑戦ではありますし、その分、自分と社会との較差というか、社会からの疎外感というものも、より一層広がったように感じています。
一時期は学生もしていたし、きちんと働いていたし、と、人並みの経験をし、人並みの事をしていたので、その自分も属していた当たり前な社会と、そこから外れた今の自分の状況を、予備校に通う山手線の中で、いつも痛感させられます。通っている時間帯も夕方から夜にかけての帰宅時なので、なお更、痛いです。
この温度差はトレーナーやスウェットを着たぐらいでは、到底しのげなさそうです。
バイトも一人ぼっちの仕事、家でも一人ぼっちで勉強、予備校でも6つも離れた子達と学んでいるので、なおさら一人ぼっち。土日も図書館で一人ぼっちで勉強。
23年間生きてきて、一人ぼっちにまだ慣れることができません。
どうでもよい事ばかり慣れて、肝心のところが、なかなかどうして、うまくゆかないものですね。どうしたものでしょう。まだまだお子ちゃまです。
そんなわけで、最近、劇団一人がとても気になります。
なぜ、あんなにも面白いコントを一人で作り上げることができるのか。
一人ぼっちの心得えを請いたいものです。
予備校。
突然、大学受験を決めた為、中途入学という形で、予備校に通い始めています。
美大受験の予備校なので、普通の予備校のように講義を受ける訳ではなく、とにかく、皆、黙々と画を描きつづけます。全てが自分ペース。しかも、夜間なので、ほとんどが高校生。
そんな世界に、突然、殴り込みをかけた訳ですが、実際は、システムも分からなければ、道具やら何やら、右も左もサッパリ分かりません。しかも、突然入学してきた23歳のわけの分からない男に対して、高校生達の目はかなり冷たく、なかなか友達の輪に入れそうもありません。優しく声を掛けてくれる先輩もいなければ、頼れる上司もいません。
全ては自分で切り開いてゆくしかありません。一番苦手な事です。
受験を決意し、早、一ヶ月になりますが、どうやら、最初の難関が今ここに立ちはだかってきたようです。参りました。
さあ!真平!この状況をお前はどう潜り抜けるんだ!?
そして、大丈夫なのか!!?
先日、予備校の仲間達となかなか馴染む事ができないとお伝えしました。
そもそも、予備校とは受験戦争に向かう兵士の訓練所のような所、しかも、周りも全員敵。なので、そんな所で仲間がどうのとか言っている場合ではないのかもしれません。
しかし、敵を知って、己を知るではありませんが、敵情視察もなかなか大事ではないか。と思うのです。
そこで、私、真平、考えました。そして、Conceive !! ←受験勉強の成果。
高校生に馴染む為には、まずは自分も高校生にならなくては!したがって、まず手始めに、格好から入ってみようと思います。そう!学生服です!
誰か、学生服お持ちの方!連絡請う!!!
青春パンク。
モンゴル800だとか、HYだとか、なんか、その辺の類いの、最近、注目を集めていたバンドがやっていた音楽を総称してそう呼ぶらしいです。
確かに、パンクのビートにのって、青春応援歌的な歌詞が歌われています。形だけはパンクのような印象を持ちます。
しかし、僕は思います。青春応援歌などはパンクではない。むしろ、最も対極をなすものではないか。シド・ビシャスの生き様を見てみろ。アナーキズムこそがパンクであって、アナーキーなどとは程遠い、流れに身を任せ、夢と希望に満ち溢れた青春を応援する歌をパンクなどと呼ぶのは見当外れではないのか?
応援なんかしてどうする!叫べ!不平不満をぶちまけろ!
そうすりゃあ、応援なんか必要なくなるし、よっぽど励みになるだろう。
いい曲だよねー。とかゆう曲に限って、こんな応援歌だったりする今日この頃の音楽シーンがなんとも味気ない。不満だらけの真平でした。
受験に向けて、いろいろと勉強を進める中で、論説の文章問題を解く事もあるのですが、見当違いの解答ばかりしてしまって、サッパリ正解率が上がりません。
どうやら、筆者の意図をあまり深く読み込まないで、自分で勝手に解釈してしまうのが原因のようです。
いらぬ親切、大きなお世話。とも言えますが、良く言えば、思いやりに満ち溢れているとゆう事でもありますよね。
どうしたものか・・・。
自分も少々軽率な発言をしたけれど、だからと言って、お前にそこまで言われる筋合いは無い!お前は何様だ!
久しぶりに、頭に血が上るような体験をしました。
大概の事を笑ってやり過ごす事ができる自分を自慢に思っている僕ですが、今日はなかなか危なかった。なにせ数年ぶりの体験だったので、危うく自制心を見失うところでした。
手に持っていたペンを相手に投げつけそうになりましたが、振りかぶった所で、我に返りました。もし、投げていたら、リミッター振り切って、フルスロットルで行くとこまで行っていたでしょう。それはもうコテンパンに。
ねちっこい性質だから、精神的ダメージを与えるのが好きです。
でも、あの時もし投げつけていたら逆に面白かったかもな~、なんて、ちょっと後悔なんかもしていますが、やっぱり相手を傷つけずに済んだ事に安堵を感じています。
でも、今度、なんか言われたらコテンパンにしてやる!
それはもう、のび太のように。