今週の月曜日、無事に大学に入学した。
20世紀FOXのファンファーレで幕開けし、レザービームやストロボが瞬く中、胡弓やら獅子舞やらが狂喜乱舞する、美大らしさを全面に出した入学式だった。しかも、挙句の果てには立食パーティー。
とにかく色々あったって、だいぶ疲れさせてもらった。
美大らしいと言えばそうなのかもしれないが、ちょっと、どうかしてる。
そして、現在はそんな狂気の沙汰も落ち着き、大学特有の単位制度に翻弄されまくりだ。
小・中・高・専門と、ある程度定められたカリキュラムに乗っかってしか勉強したことない自分にとって、この自由さにはかなり戸惑わされている。ハッキリ言って不安だ。胃が痛い。
卒業所要単位は124単位。普通に4年で割れば、年間31単位だが、やはりそんな単純には獲れないし、かと言って、欲張りすぎも良くない。しかし、余裕を持って大学生活を送りたい。も~!悩みまくりだ!
人間は想像力が欠如してくると自由に不安を感じ、管理される事に安心感を得ると言う。
バナナに帰りたい。。。。
国分寺で西武線に乗り換え、2駅目の鷹の台で下車、そこから玉川上水の並木林をぬけると、我が大学に辿り着く。
多くの文化人が愛した武蔵野とゆう土地だけあって、環境はとても情緒に富んでいて、奥深い。
ちょっと遠いが、通う価値はある土地だと思う。
みんなも一度遊びに来ると良いと思う。
写真家の荒木経惟が「東京猫町」とゆう写真集で「猫が消えちゃったら東京は廃墟になっちゃうんだろーニャア」と言っている。
荒木経惟にとって東京を東京たらしめている要素として猫がいる。そして、そんな自分の生れ育った東京とゆう町、猫を含んだ東京とゆう町が大好きなんだと思う。
僕はこの武蔵野とゆう土地に足を踏み入れるのはこれが初めてだ。しかし、なんだかこの土地には愛着が湧きそうだ。
もし僕がこの武蔵野を愛する事になったら、荒木経惟のように、そんな武蔵野を武蔵野たらしめている要素を丁寧に紐解いてゆきたいと思う。
好きなんだからそれぐらいしてあげてもいいだろう。でも、たぶん、その作業はとても有意義で楽しいものになるはずだ。そして、好きなものがもっと好きになるだろう。楽しみがまた一つ増えた。
「猫町」 真平
最近、ホームページの更新が侭ならない。
バナナに追われ、履修登録に追われ、来週からは授業に追われる事になるだろう。
実は今日一日がかりで今年の履修科目を決めていた。やりたい科目をピックアップして、時間的な制限やら何やらで、なんとか削り、それでも目一杯授業を詰め込み、4年間で124単位必要な所、一年次で66単位を取れるようにした。
これで、2年間で必要な卒業単位に到達する。あとの2年は自分の好きなことに専念できる予定だ。
だが、これはさすがにやりすぎたと反省している。
自分のがんばり次第で、もしかしたら可能なのかもしれないが、自分のやる気ほど信用できないものはない。
何しろ、やっと挫折が板についてきた頃に今回の合格だ。感覚が麻痺している。しかも、一番大切な、自分が何をどれだけできるのかの感覚が全く無くなっている。困ったものだ。
しかし、この感覚麻痺のまま、年間66単位修得の新しい感覚を身に付ければ、鬼に金棒だ。いや、馬鹿に金棒か。
とにかく、明日から始まる授業を見つつ、これから一週間で決めてゆきたいと思う。
なんせ、年齢が年齢だし、負け癖も人一倍だ。慎重にゆこう。
僕が憧れる人物、そのエログロナンセンス部門に、リリー・フランキーと言う人と、みうらじゅんと言う人がいる。肩書は見る度に変わっているので、何をやっている人か?と聞かれると、困ってしまうが、各種メディアにも結構出ているので、知っている人は知っていいるだろう。
とにかく、自分で自分の事務所を構え、自分を売り出している。そんな人達だ。そして、そんな御両人、二人とも我が大学の出身だ。
しかし、この二人、僕のエログロナンセンス部門を受賞するだけあって、ものすごくワイセツで、キワどくて、ナンセンスだ。しかも、ユルい。
その模様なんかは、今、J-WAVEのTR2とゆう番組を、水曜日の未明に、みうらじゅん、木曜の未明に、リリー・フランキーがそれぞれ担当しているので、聴くとよく分かると思う。すごく不真面目で下らない。
オススメだ。 TR2→http://www.j-wave.co.jp/original/tr2/
さて、そんな下らない事ばかりやっている二人なのだが、なぜだか僕を惹きつける。確かに、彼らの下らなさは嫌いではない。でも、憧れ人物の称号はそれだけでは与えられない。
知っている人もいるかもしれないが、僕の生きるコンセプトは「みんなに愛されたい」だ。分け隔てなく、今生きる全ての人々に愛される。それが僕の人生だ。個人的な言葉だから分かりずらいと思うので、一般的な言葉にすると、つまりは「世界平和」なんだと思う。飛びすぎか?
でも、彼らの持つ不真面目さや下らなさには争いは存在しない。いや、存在するかもしれないが、下らなすぎて、どうでもよい。しかも、不真面目なので争いが起きても真面目に取り組まない。かなりピースフルだ。
そんな事から、僕は彼らに憧れの称号を与えたんだと思う。
下らなさの根底に流れる「平和」。
これからは、馬鹿になるから下らない番組を見るな!とは言わずに、世界平和のために下らない番組を見なさい!とでも子供達には言うべきだろう。そうゆうのも大事な気がする。
断わっておくが、今回、僕が今の大学を第一志望にした理由。それは、もう少し勉強をしたい、それだったらできるだけ自分にとって有意義になるところ、そして、現実的に手の届く範囲で、できる限りレベルの高いところ、とゆう事で、志望した。だから、特に、上記した二人が通っていたから、とゆうような事ではない。
でも、問い詰められれば、そんな事もない事もない気もする。
そんな感じだ。
数年前の僕が今の状況に晒されていたら、常に呼吸は苦しく、下痢は止まらず、たまに嘔吐したりしていただろう。
そう考えると、少し歳をとって入学したのは幸運だったのかもしれない。
大袈裟な話ではなく、僕は非常に順応性がない。新しい状況には過敏に反応してしまい、なかなか馴染めない。なかなか自分のものにできない。それは基本的に今も変わっていない。
まあ、そんな、ヒヨワな24歳が僕なんだと思う。
でも、歳を重ねるごとに、色々なところで顔なじみの人間が増えてきた。そして、やはり歳を重ねた事で、色々な経験をし、大抵の事には動じなくなってきた。まあ、そんな安心感やら自信やらの影響で、人並みとまではゆかないが、ある程度の状況だったら平気になてきた。
良くも悪くも、歳をとるってゆう事はそうゆう事なんだと思う。
でも、やはり、ふとした瞬間に繊細で敏感な自分が現れる時がある。そんな時は言うに言われぬ不安や脅えに苛まれる。できれば、すぐにでも親しい友人や愛する恋人や優しい家族の元へ飛んでゆきたいが、自分の状況も許さなければ、それ以上に、相手の状況も許さないだろう。だから、とにかく堪えるしかない。ただ堪えるしかない。
そんな状況の中、今日、学芸員課程の必修科目である文化人類学の初授業に嫌々ながら出席した。できれば、オリエンテーションで終わってくれれば良いのにとすら思っていた。
しかし、始業のベルが鳴り、僕は唖然とした。なんと教鞭台に立っていたのが、あのグレートジャーニーの関野吉晴だったのだ。超冒険家だ。
分からない人はコチラ↓を見れば「あー!」となるかもしれない。
http://www.fujitv.co.jp/jp/b_hp/gj/
とにかく、そんな情けない僕の前に、あらゆる困難を乗り越えてきたその人が立っていた。なんとゆう差だろうか。
だが、そんな僕の目の前で関野先生は「文化とゆうものに優劣や上下をつける事はたぶん間違っている。それは人間個々においても同じ事が言えると思う。」と言われた。
自分の状況が状況だっただけに、とても身にしみる言葉だった。そして、思わず握手を求めてしまった。
90分間、手に汗握り、ただただシビレていた。
そんな、初めての体験をしてきた。
エログロナンセンスが世界平和だ!なんて、言っていた自分が恥かしい。もう口が裂けても言えない。
でも、関野先生の言葉で言えば、エログロナンセンスな文化もグレートジャーニーな文化も優劣は無い。とゆう事になる。
本当にそうなのだろうか?
口癖のように忙しい忙しいと言っていて、自分でも実際に忙しいと感じている。しかし、それにしては、最近、ずいぶん長い日記を書くな、と思っている人も多いのではないだろうか?
実はこれ、全部学校で書いている。
実際、プライベートな時間はあまり取れないのだが、学校での時間は有り余っている。いや、厳密に言うと、作品制作の為に与えられた時間なのだが、僕みたいな凡人は作品と真剣に向き合っていたって何も生れない。だから、ただただ一瞬のひらめきを待つしかない。そんな訳で、あんな事やこんな事をしつつ、この日記も書いてしまう。
しかし、当然、新入生はそんな自由時間は新しくできた友人なんかと熱い討論なんかしたり、真剣に作品と向き合ったりして、お互いの才能やら知識やらを高め合う。実際にみんな何やら熱く話し合っている。それはとても良い事だと思う。ただ、歳をとってしまったせいか、その話やら姿勢やらが僕にはちょっと暑苦しい。なんともうざったく感じてしまう。
だから、あえて僕は席を外させてもらって、もっぱら、図書館かコンピュータルームで、下らない雑誌を見たり、下らないホームページを見たりしている。
まあ、4年間もあるんだし、そんなに気張らなくても良いと思う。友達なんて、作るとゆうより出来るものだ。焦らずに。まあ、ちょっと大人な僕でこそ出来る余裕な姿勢なんだと思う。
でも、そうこうしている内に、4年間なんてあっという間に経ってしまうのだろうか?
そんな一抹の不安なんかも抱きつつ、毎日、元気一杯学生生活をエンジョイしている。
この日記、皆さんに楽しんでもらえれば良いなと思い、配信している。しかし、僕自身にとって、これは自分自身の日記以外の何ものでもない。
この日記を書き始めて、もう2年あまりになるが、2年もやっていると、あんな時もあったな。こんな時もあったな。と自分自身の成長を感じたり、印象的だった出来事を回想したりもでき、皆さんも楽しめる(?)と同時に、僕にとってもなかなか良いデータベースになってきている。
そんなこの日記だが、4月に入ってから、文体を統一したことに、皆さんお気付きだろうか?気付かない?知らない?どうでもいい?
統一したのである。
別に深い理由は無いが、恣意と言えば、カッコつけたかった。ただそれだけだ。しかし、ただそれだけなのだが、誰も指摘してくれないのが、ちょっと淋しい。だから、こうして日記に書いてみた。
そんな訳で、文体は統一したが、内容は支離滅裂、そんな日記にこれからもしてゆきたいと思う。そして、ささやかながら、それにレスポンスが返って来たりして、けっこう嬉しがる。そんな個人的なサイト作りをしてゆきたいと思う。
女性が9割を占める社会の中にいると、当然ながら、人間関係はほとんど女の子になる。それは統計学的に仕方の無い事だろう。そう、仕方が無いのだ。
そんな訳で、全ての人間関係がキャンパスラブ☆日々がスイートライフ☆な真平だ。
さて、美大と言えば、個性派の温床だと思われがちだ。まあ、美大でなくても、絵にしろ音楽にしろ文学にしろ、何かを表現する人は皆、豊かな個性を持っていると思われている。
確かに、そういった表現者の中には、なんなんだアナタは!??とビックリするような人もいたが、表現者に限らず、普通に生活をしていてもそうゆう人は沢山いた。むしろ、日常にこそ強烈な個性を持った人が多いように思う。特に、最近の*バナナなんかは個性の宝庫だった。
*(3月の日記参照)
まあ、そんな個性だが、最近は自分の個性を唯一のものとして、とても大切にし、とても頑なに守り、そして、だいぶ傲慢に押し通すような、アメリカ的な個性解釈をしている痛い人が多いようだ。
しかし、僕が美大や専門学校やその他多くの表現活動の場で出逢った豊かな個性を持つ人達はむしろその対極を成す人ばかりだ。
自分とゆうものが、あらゆる物事や情報や経験や出逢いの産物だとゆう事を知っているからこそ、決して唯一のものになんかしないし、無意味に守ったりなんかしないし、間違っても傲慢になんか振舞わない。
多様性に富み、興味があらゆるところに向き、吸収したものを考えつかないような形にしていまう。そんな、石鹸を泡にして吐き出すスポンジのような人達ばかりだ。
だから、とても面白くて、とても魅力的な個性を持っているんだと思う。
そして、そんな魅力的な僕だから、硬派な男子と語らいたいのに、女の子に囲まれてしまい、荒波に揉まれるような日々を送りたいのに、暖かな甘い日々を送ってしまうんだと思う。困った。。。
埼京線12分×2=24分
中央線27分×2=54分
西武線10分×2=20分
合計 49分×2=98分=1時間38分
一日の通学にかかる僕の電車乗車時間である。実際、電車待ちや乗り換えや徒歩も含めると膨大な通学時間が算出されてしまうのでここでの紹介はやめておく。かなり滅入る。
だが、どの路線も余裕で座る事が出来るので、通常は死んでしまうこの時間もなかなか有意義に過ごす事ができる。そう、読書だ。
つまり、これは乗車時間であり、一日に与えられた僕の読書時間でもある。そう考えると、1時間38分は短い。短すぎる。
なんて、ちょっとポジティブシンキングをしてみた。
しかし、いくらポジティブシンキングをしてみても、一時間を裕に越える距離を毎日通う事を考えると、やはり滅入る。
でも僕を待っている人達がいる。だから僕は毎日通うんだ!
そんなメロスみたいな事を言ってみても、やはり、滅入る。
もう恋なんてしない!
なんて
言わないよ絶対!
よく言った!槙原敬之!
僕は女性が大好きだ。
いきなりこんな告白をされても、みなさん困ってしまうかもしれないが、男性ならこの気持ち分かってくれるだろう。
ただ、僕の場合、基本的な男性の持つ女性大好き欲求もあるのだが、それとは微妙に違う、なんと言えば良いのか、女性崇拝とゆうか、女性上位とゆうか、むしろ、女性が好きすぎて、自分自身が女性になってしまいたいといった、変態と言えばそう言えなくも無い、そんな過激な欲求を持っている。
特に、その欲求が顕著に表れてくるのが、もの凄く可愛い及び美しい、そして、格好良い、そんな女性を目の当りにした時だ。
具体的にグッとくる女性を上げてみると、
Britney Spears. Beyonce Knowles. Kylie Minogue.
Hilary Duff. Christina Aguilera. Avril Lavigne.
etc......
こんな感じだ。
どんなに疎い人でもお分かりだろう。そう、アメリカンポップス、アメリカンショウビジネスを賑わせているディーバたちだ。
ド派手で、セクシャルで、過激で、これでもかと言うほどにゴージャスな、そんな歌って踊れる彼女達に僕は恋焦がれ、憧れている。
PVなんかを見た日にはそれはもう大変だ。自分も何かしなければ!とソワソワして眠れない。
そんな感じだ。
だが、僕も今年で25歳をむかえる分別ある大人だ。彼女達のようになるには若さも美貌も実力も国籍も無い。
きちんと分かっている。
むしろ、彼女達は作り上げられたアイコンであり、時代の幻想と言ってもいい。そして、その幻想に憧れていること事態、幻想なのだ。
きちんと分かっている。
分かっている。
分かっている。
分かってるんだから!!憧れるぐらいいいだろっ!!!
今週の金曜日にクラスでの初めての飲み会があるらしい。
吉祥寺の居酒屋で、会費は1500円。1ドリンクで軽食が付くらしい。
まあ、昨今、大学生の暴飲による乱痴気騒ぎが問題になっている。死者も出ているほどだ。それに比べれば、なかなかスタイリッシュで良いと思う。まあ、良いのだが。。。
なんだこりゃ?
ありえないだろ?
なんだ?1ドリンクって?牛乳か?軽食?サンドイッチか?
一体何をする会なんだ?
なんて、24歳の僕は思ってしまう。しかし、頭ごなしに否定してはいけない。結果に至るまでには原因があるはずだ。いや、むしろ、何か確固とした理由があっての決定なのかもしれない。
とにかく、僕は、クラスがこの飲み会の話題で盛り上がっている頃に、まだ誘いの話はおろか、そんなイベントの告知もされていなかった身だ。
文句は言えない。。。。。
学校の課題で、褌について調べている。
今回、僕は日本の伝統肌着である褌を通して現在社会の構造を探ってゆきたいと思っている。
褌自体の成り立ちや、歴史などは文献なんかを読めば分かるのでよいのだが、今回、一番重要になってくるものが、今現在、実際に褌を常用ないし、愛用している人々の調査だ。彼らが何を感じ、何を思って褌を着用しているのか、そこが、現在の社会構造を語る上でとても重大な鍵があるように思う。
そんな訳で、まずは褌関係のホームページを運営している管理者に片っ端からメールを送る作業を始めた。
そして、既に何通か返事が返ってきている。
思ったより反応が良くて驚いた。いや、驚いた。
だが、その「驚き」は返事の内容を見て「納得」に変わった。
なぜなら、返事を返してくれた人はゲイないしバイセクシャルだとゆう事が分かったからだ。
反応が良いわけだ。。。
もう既に、現在社会の構造が暴露された感じがした。
褌恐るべし。
先日にも書いたが、今、僕は褌について調べている。
そして、今回の調査の中では、現在、実際に褌を常用している人の実態調査が必要不可欠であり、今回の調査のメインでもある。
まあ、その調査の一環として、褌のホームページを運営している方にかたっぱしからアンケートメールを送っている訳だが。
最初の数名は面白がって頂いたようで、快く解答を頂いたのだが、その最初の数名以降はほぼ苦情のメールだ。
しかも、名誉毀損で訴えるだとか、著作権がどうのだとか、学校側の責任問題だとか、どう考えても、穏便で無いメールばかりが届く。
確かに、僕の方も説明不足な点もあったし、多少、ふざけた面もあるのだが、ちょっと尋常で無い気がする。
なんだか、こう言った点からも、現在社会の構造を明らかにしてくれる褌、恐るべしである。