2004年 6月
6月1日(火)

年に数回、全ての物事がどうでもよくなってしまう、そんなウェーブがやって来る。

そんない長い期間ではないのだが、そんな時は外へも出たくないし、誰にも会いたくないし、何もしたくない。とにかく、家でひっそりとヤル気が漲るのを待つ。

たぶん、病院へ行けば何かしらの病名が付けられてしまうような、そんな類いのものだと思う。

そして、今、ちょうどそのウェーブがやって来ている。

今回はそれほど重い症状では無いので、まだ良い方なのだが、重度になってくると大変だ。

昔、高校受験前に重い症状が出た時は、地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災が起きた。

それ以外にも、大事件や大事故が起きる前には必ずと言っていいほどこの鬱症状に陥る。現に今日も佐世保で不穏な事件が起きている。

どうやら、僕は世界の歪に感応していしまう能力があるようだ。

疲れた… 悪意だ…  兄さん! 悪意が澱んでるよ!

「by Night Head」

まあ、それは冗談として、とにかく、このウェーブ、上手く乗りこなせるようになりたいものだ。

6月2日(水)

友人とゆうものは素晴らしいもので、いつも僕を救ってくれる。

昨日も書いたが、僕は年に数回、軽い鬱症状に襲われる時がある。

そんな時、どんよりとした澱んだ状態から引っ張り上げてくれるのは、いつも、友人からのどうでもいい話だ。

「パソコンはやっぱりMACでしょ」

どうでもいい。

「昨日行ったイタリア料理屋が美味しかったんだ」

どうでもいい。

「〇〇ってさ、長谷川恭子に似てるよね」

どうでもいい。

「ディズニーの新しいアトラクション面白そうだよね」

どうでもいい。

「カレー味のうんことうんこ味のカレーだったらどっちがいい?」」

もう!何でもいいよ~!

と、こんな感じに、僕のテンションは否が応でも揚げられてしまう。

おかげで僕は無事に現実復帰ができる。

本当にありがたい。

6月3日(木)

僕は最近、酔っ払った時に、その時の感情や思った事のメモをつけるように心掛けている。しかし、当然、酔っ払った時に書いてる事なので、書いた事すら憶えていない事もある。

今日、読み返してみたのだが、大変だ。人に見せてはいけない。。。

6月8日(火)

お久しぶりだ。

諸々の事情により、日記の更新を怠けていた真平だ。

この日記は怠けることができても、現実世界は常に時間共に流れているので、そう甘くはゆかない。日々の現実はこの日記にまとめたりはできないような事だらけなのだ。平凡な一学生の僕にも、それなりに色々な出来事が巻き起こり、色々な事を考え、悩んだりもする。

そう、案外、苦悩の日々を送っていたりもしたりもするのだ。いや、ズバリ言うと、苦悩している。

何に苦悩しているのかは、ここで紹介する事のモノではない。いや、僕は「悩み」とゆうモノは人に告白する事で解決すると確信しているので、今、僕が何に苦悩しているかご存知の人はご存知かもしれない。とにかく、苦悩とゆう程の苦悩ではないかもしれないが、模索はしている。

そんな中、今日、ギリシアの偉大な哲学者、ソクラテスについて勉強してきたのだが、彼はギリシアのアテネに生まれ、アテネで育ち、アテネで偉大な思想を開花させた人なのだが、最終的には、そのアテネの人々によって事実上、殺される事になる。

しかし、彼は「私の愛するアテネの意志であるならば、死をも厭わない」と最期までアテネを愛し続け、自分の思想を貫き通し、変容してしまった愛すべきアテネに死を持って抗議をした。

素晴らしいではないか!!

別に、僕個人の苦悩と、ソクラテスの姿勢が繋がるわけではない。むしろ、段違いのレベルの話なので、畏れ多いのだが、なんだか憧れる。

模索の先には、ある程度の希望や憧れが存在し、それに向かう道すがら苦悩してゆくわけだが、その、希望や憧れの辞書の中に今回のソクラテスの言葉も加えておこうと思う。

6月9日(水)

誰しも拠り所となる風景を一つぐらいは持っていると思う。

毎朝の自室の窓から見える風景に心躍らせたり、毎日の通勤電車から見える風景に心を落ち着かせたり、昼休みの会社の喫煙所から見える風景に心安らいだり。と、人それぞれ、自分だけの風景を持っていると思う。

逆に、そうゆ風景をまったく持っていないとゆう人は、相当に感受性が欠落しているか、何かの病気だと思う。心療内科へ行く事をオススメする。

それでは、僕が今拠り所にしている風景の話をさせてもらおう。

7号館の3階、クラスの作業教室のベランダから見える風景が僕にとっての拠り所の風景だ。

学校で一番大きな広場、その向こう側にはアトリエの屋根が並び、その奥には武蔵野の森が広がり、あとは一面に空が覆っている。

こんな風景が僕の今の拠り所だ。

たぶん、こんな言葉だけではこの風景の良さはぜんぜん分かってもらえないだろう。だから、明日、梅雨晴れだとゆう事なので写真を撮ってこようと思う。でも、やっぱり、写真ぐらいじゃまだまだ分かってもらえないように思う。

でも、自分の風景とゆうのは他の人には分かってもらえないから哀愁に満ちていてイイんだと思う。

6月10日(木)

今日はカルチャーショックデイだった。

以前にも書いた事があると思うが、同じクラスに親しくさせてもらっている友人がいる。

彼女はイギリスに二年間も留学していて、帰国後は特にイギリス留学の経験を活かす事なく、やはり二年間フラフラとバイトをしていたらしいのだが、あまりにも不毛なその現実から一念発起し、うちの大学にやって来た。

僕と同じ特殊なタイプ。歳も一つ違い。なので、色々と話が合う。大学での生活面でも、社交的な彼女は内向的な僕に対して色々と気を遣ってくれるので大変助かっている。

さて、そんな彼女が、そのワールドワイドさを活かしたのか、その社交性を活かしたのか、今日、学校にフランス人の友達を連れてきた。

月においての光のスペクトルを研究しに日本の国立天文台に研究員としてやってきている。セバスチャン。32歳。

軽く学校を案内し、カフェテラスでお茶をし、帰りがけに食事をした。

フランス語はバリバリだが、日本語も英語もたどたどしいセバスチャン。だが、映画や写真や文学に精通していたので、話題に事欠くことなく、僕もフランスの映画や文学の知識は多少持ち合わせていたので、学校で習っているフランス語を駆使しつつ、身振り手振りを交えつつも、かなり有意義な時間を送る事ができた。

まあ、ここまでは、多少の文化の違いはあれど、カルチャーショックを感じるほどの出来事は無かった。

そう、問題は最後の最後、別れ際に起こったのだ。

もう、皆さん、なんとなくお分かりだろう。

フランス人の挨拶と言えば、会った時はBonjour、別れ際はAu

revoirだ。しかし、もう一つ、僕は別れ際の挨拶で一番重要なものを忘れていた。

そう、キッス。フレンチキッスだ。

僕は目の前で行なわれている光景を疑った。うん。疑った。

パリに行った時や映画なんかではよく目にした光景だが、実際に知り合いが目の前で。。。。

親しみを感じているんだとは思う。友人もヨーロッパ経験が長いので、その行為をすんなりと受け入れていた。

でも、ちょっと、親しみすぎではないか?セバスチャン。

まだ、出逢って間もないとゆう友人とセバスチャン。

う~ん。やっぱり、国の違いか。。!?

私、真平が世界を制覇するまでの道のりはまだまだ遠い。。。。

6月11日(金)

皆さんは、異性からモテたいとゆう願望を持っているだろうか?

たぶん、多少なりともそうゆう気持ちは男女問わず、皆さん、持ち合わせているんだと思う。実際、僕にもそうゆう気持ちや願望はある。

ただ、そのモテたいとゆう願望のプライオリティは決して高いものではないと思う。

モテたからといって人生が充実するかといえば疑問だし、そんなモテ願望以外にも僕らにはもっと重要な願望が沢山ある。まあ、それらを満たした上で、モテるんだったら、悪くないかもな。

モテ願望なんてゆうのはそんなぐらいのものだと思う。

しかし、世の中にはモテ願望丸出しな輩が意外と多くいたりする。偏見かもしれないが、男子校や女子校を経て来た人にそうゆう輩は多いような気がする。

モテるために自分を磨き、とても魅力的な何かを携えてるならいいのだが、そうゆう輩に限って、薄っぺらい建前と、下らない話題しか持ち合わせておらず、非常に、いや、驚くほどつまらない。

そこで、

モテたい奴ほどつまらないのはなぜなのか?

モテたい奴ほどくだらないのはなぜなのか?

明日、私がその事を明らかにしてゆこう。

6月12日(土)

先日、モテたい奴ほどつまらないのはなぜなのか?モテたい奴ほどくだらないのはなぜなのか?その事を明らかにしてゆこう。

と書いたが、一日考えてみて思った。

別に、モテたい願望がくだらなさやつまらなさを生み出している訳じゃない。と。実は、そのまったく逆で、くだらなさやつまらなさを追究していくとモテたいに辿り着くんだと思う。つまり、くだらないものやつまらないものの中に「モテたい」とゆうものが含まれているとゆうことだ。

だから、「モテたい」とゆうもの自体どうでもいい。とゆう結論に達した。だから、これ以上「モテたい」を追究してゆく事もどうでもよくなってしまった。むしろ、こんな事を真剣に追究している自分に腹が立った。

これほどまでに、人の気持ちを欠く「モテたい」とゆう負のパワー。恐るべしである。

抱かれたい男とか、彼氏にしたい男とか、ああゆう調査をやっている奴も答えてる奴もランキングに入っている奴も、みんなまとめてどうでもいい。

6月14日(月)

昨晩は久々に至極酔っぱらった。

小便を漏らすどころの騒ぎではない。記憶が無い。

しかも、実は一昨晩も至極酔っぱらった。もちろん記憶は無い。

つまり、今週末は記憶が無い。きっと楽しんだんだろうけど、記憶が無いので何も分からない。金を払って記憶を無くして、何をやっているんだろうか俺?サウダージだ。

さて、そんな記憶を無くしてばかりの僕だが、捨てる神もあれば、拾う神もある。記憶を無くしっ放しの僕の事も見捨てない慈悲に満ち溢れた神様がいるもので、今日はだいぶ鮮烈な経験をさせてもらった。

実は今日、転校生がやってきた。

もの凄い可愛い転校生で、神様のおかげなのか何なのか、僕の隣の席が偶然にも空いていた。そして、案の定、転校生は僕の隣の席に来る事になった。がっ!神様はまだ嬉しい事件を用意してくれていた。

そう、隣の席にはイスが無かった。当然、僕がイスを持ってくる役回りになるし、その持って来たイスをその転校生に差し出す役も荷わなければならない。

これは!なんかこんな光景!ディズニーかなんかの映画でよくある!王子様がお姫様になんかこんな事をよくやってる!やってるよね!?やってない?イスじゃないかもしれないけど、なんか差し出すじゃん。一番感動的なクライマックスのあの感じ。まさに、あのシチュエーションが用意されていた!!

もちろん僕はスタイリッシュに、しかし、その行為の中で表現できるありったけの情感を込めて、イスを謙譲した。

もう、明日は学校に白いタイツでも履いて行こうかと思う。

6月15日(火)

大学の友人にこのホームページの存在を教えてしまった。

学校のパソコンでここのBBSに書き込みをしたりもしていたので、時間の問題でそのうちバレるだろうとゆう事は覚悟していたが、とうとう来るべき日がきてしまった。僕の過去のあんな事やこんな事までバレてしまう。

しかし、今更あたふたしても仕方ない。

正々堂々真っ向勝負しようではないか!

ただ、これで大学デビューの夢は断たれた事は間違いない。。。

こんな時期もあったなんて。。。

6月16日(水)

クラス内でダントツ最年長、私、真平だ。そして、日本一頼り無い24歳、私、真平だ。

たぶん、皆さんも「そうだ、そうだ、頼りない」と頷いて下さる事だろう。

しかし、18、19歳にとっては24歳とはどうやらだいぶ大人に見えるらしく、変なところで頼りにされてしまう事がある。

しかし、実際の僕は、電気を点けていないと夜は眠れないし、他人の家では眠れないし、食事をしにいっても店員に声を掛けるのも恥かしいし、挙句の果てには、小便を漏らす24歳だ。

こんな、一番頼ってはいけない人物に頼ってしまうところがまだ若い!などとも思えるのだが、今まで、他人から一度も頼られる事など無かった、いや、むしろ、他人を頼ってばかりの人生を送ってきた僕にとっては、この状況で、そんな事を考える余裕もなく、とにかく、あたふたしてしまっている。

こんな僕を踏み台に、世の中には頼れない大人もいるとゆう事を学んでいってもらいたいと思う。

そう言った意味では、僕は彼を愛して止まない。

6月18日(金)

明日はフランス語の試験がある。

昨日、学校にセバスチャン(6/10日記参照)がまた遊びにやって来たので、いろいろとフランス語の心得を教えてもらっていたのだが、あまりにも初歩の初歩でつまずいている僕に対して業を煮やしたセバスチャンは「私が代わりに試験を受けて上げましょう」とフランス風な発音の日本語で言ってくれた。

目から鱗が出た。

僕の友人で、原付の免許と教習所の仮免の試験を替え玉で受けた奴がいるのだが、初級フランス語(会話)の試験をフランス人であるセバスチャンが受けている風景。

あまりにも替え玉がバレバレだ。

しかし、フランス語の教科書を今目の前に、本気でセバスチャン替え玉作戦を決行しようかと考えている無謀な自分がいる事も確かだ。

いつから、僕はこんなに大胆になったのだろうか。

あの頃はあんなに初々しかったのに。。。。

6月22日(火)

なんだか、最近、自分がもの凄くフランクな人間になっているように思う。

一応、断わっておくが、あくまでも、昔の自分と比べて少しフランクになっているとゆう事であって、一般的なフランクさとは混同しないでもらいたい。

しかし、フランク。

良く言えば、素直。

悪く言えば、傲慢。とゆう事になるのだろうが、どちらも、僕の最も苦手とする資質のはずだ。それなのに、なぜ?

たぶん、大学に入学し、何事もがうまく進み、もうすぐ夏休みで、今、僕はだいぶ調子に乗っている。おそらく、それがフランクとゆう形で現れているんだと思う。なんて短絡的なんだろう。

でも、こうゆう奴は、そのうちどこかで痛い目に遭うはずだから安心だ。

果報は寝て待とう。

6月23日(水)

真平、また連絡つかないよ~!

また、俺達には言えないような都合のいいことやってんだよ~!

と、お思いの方も多いかと思う。

そう、僕がよく行方をくらます事は確かだ。

でも、皆さんと別のところで何か楽しい事をやっているから連絡が取れないとか、皆さんに連絡を取ると都合が悪いような場所にいるから連絡が取れないとか、別にそうゆう理由で携帯の電源を切っている訳ではない。いや、たまにそうゆう都合の悪い事があったりもするが、そう多くはない。

だから、皆さん、真平は計算高いとか、腹黒いとか、そうゆう認識は、今ここで撤回してもらいたい。

しかし、ただ、計算高くない!とか、腹黒くない!とか主張しただけでは皆さんは納得しないだろう。

だから、ここで僕の大いなる秘密をお教えしよう。

実は僕、プロの真平だ。

毎日、毎日、真平をやっていると、そりゃあ気分が乗らない日もやってくる。そして、そんな気分が乗らない真平を皆さんにお見せするわけにもいかない。そんな日は真平を休ませて貰う。

真平を休む。つまり、誰にも会わないのだ。つまり、携帯の電源ももちろんオフだ。つまり、決してどこか別のところで楽しんでいる訳でもない。

まあ、そんな、他人想いのようで、自分勝手で、自意識過剰な存在が真平の実の所だ。

ご勘弁願いたい。

6月24日(木)

先日、ある講義で「美大の学生とゆうのは本来政治には敏感なはずだ」とゆう話がされた。

確かに僕もそう思う。

実際に、ナチス政権下におけるドイツでは真っ先にバウハウスとゆう美術大学がヒトラーに対して異論を唱え弾圧されているし、先のイラク戦争でもヨーロッパ各国の美術系学校の反戦の動きは強かったと聞く。

実際に、僕らが身を置く美術とゆうものは、昔は別にしろ、現在では、人々の生活の安定があってこそ成り立つものである。そして、人々に生活の安定を保障するのは政治である。そのぐらいは想像力ある美大生ならすぐにピンとくるはずだと思う。

その逆に、あらゆる美術史を見てみてもその時々の社会背景と作品造形は切っても切れない関係性を持っている。つまり、僕らが作り出すものにおいても、その時々の社会背景(政治)抜きでは語れないのである。そのぐらいは想像力ある美大生ならすぐにピンとくるはずだと思う。

だから、美大生は常に政治と向き合っているはずだ。いや、むしろ、向き合っていなければならない存在なんだと思う。

が、日本はどうもおかしいようだ。

美術と政治とは完全に切り離されている。「美術は人間の普遍性だけを追い求めてればいい」実際にそんな講義をするような教授もいるぐらいだから、やっぱり、政治と美術は切り離されて考えられているんだと思う。

でも、人間の普遍性?なんだそれ?自己規定だろ?

でも、そのぐらいは想像力ある美大生ならすぐにピンとくるはずだと思う。

今の日本は美術さえも創造性を無くし馴らされてしまっている。そして、それって僕らが指摘するしかない。って事をね。

6月25日(金)

今、大学はグループ制作まっただ中だ。上手くいっているグループもあれば、一触即発なグループもあれば、退廃的なグループもある。

おかげさまで、僕のグループは民主制を保ちつつ、大胆で奇抜な発想の下で作品を着々と作り上げている。そして、来週の木曜日に控えている発表に向かってテンションも上がりだしている。

だからと言って、始めから上手く進んでいたわけでもなくて、一つ間違えば退廃的になってしまいそうだった時期もあったが、そこはリーダーである僕の柔軟かつ行動力ある姿勢でなんとか回避した。いや、嘘をついた。実際はバラエティに富んだグループのメンバーのおかげで、うまい事回避できたんだと思う。

まあ、とにかく、僕のグループは、何事も起こらず穏便に、そして、楽しく大胆に、しかも順調に作品作りが進んでいる。

しかし、その一方で、クリエーターとは意見をぶつからせ、衝突してゆく事で成長すると言った考え方も多くあり、それを知ってか知らずか、そこまで熱くならなくてもいいんじゃないか?と思うぐらい白熱した論議をしているグループなんかもあったりする。

そう言った意味では僕のグループはあまり衝突はしていない。確かに、突っ込んでゆけば、かなり疑問な部分もあるのだが、誰もそこを指摘しない。むしろ、その疑問さえも吹っ飛ばしてしまうぐらいに、大胆で奇抜な発想がどんどん出てくるので、矛盾さえも正当性を持ってしまう感じだ。

だから、僕は思う。

衝突して緻密な計算によって作り上げられたものなんかよりも、むしろ、こうゆう大胆さこそが新しいクリエイトを生み出すのではないかと。

馬鹿なことを大真面目に実現させる事が一番難しいとゆう事だ。そして、それがきっと自分達にとっても見る人たちにとっても正解なんだと思う。

6月26日(土)

今、僕は美大に通っている。

最近、僕とよく会っている人は、ウンザリすると思うだろうが、あえて何度も言わせてもらおう!

美大はイイ!!何がイイ!!って、全てがイイ!!

実は、美大を受けておいてなんなんだが、僕は今まで美大に近づく事すら無かった。多摩美も武蔵美も藝大も試験の時に初めて訪れた。そのぐらい近づく事がなかった。

実際、去年の僕は美大なんて、美術?大学?何やってんだ?ぐらいの認識しか無かった。

そう、言ってみれば、僕は本当にごく普通の一般人だったわけだ。

しかし、何を思ったか、美大を目指し、そして、受かってしまった。

で、通いだしてみれば、実にイイ!!思い描いていた通り、なんか、普通ではない感じが満載だ。

こんな内気な僕が調子に乗ってしまうぐらいだから本当にイイ!んだと思う。

とにかく、美大を見たことが無い人は、僕に言って欲しい。いつでも「美大、普通ではないツアー」を組ましてもらう。ちなみに、ガイド料はお一人様120円でけっこうだ。こんな破格で美大を見学できる事はまず無いと思う。しかも、値段を見てもらって分かるように、これはジュースを飲みたいが為の値段設定だ。半分ぐらい分けてあげてもいい。これはチャンスだ!

ちなみに、今度、進路指導にみうらじゅんがやってくるとゆう話だ。進路指導にみうらじゅん。やっぱり、美大、普通じゃない。

6月27日(日)

「海ごはん山ごはん」とゆう番組をご存知だろうか?

僕が中学生ぐらいの時まで日曜日のいいとも増刊号が終わった後に8チャンでやっていたアウトドアクッキング番組だ。

爽やかで今どき(その当時)で仲睦まじい若さみなぎる男女のグループが楽しそうに戯れながら野外でランチを作る。日曜日の出だしを彩る平和な番組だった。

中学男子だった僕は、そんな「海ごはん山ごはん」で楽しく軽やかに戯れる歳上のお兄さんやお姉さん達の姿に自然と自分の将来の姿を重ね合わせたりしたものだった。

そして、今、僕はようやくあの「海ごはん山ごはん」に出演している若人達と同じぐらいの年齢になった。

20代半ば。僕が理想としていたあの爽やかな年齢に達したのだ。

しかし、今の僕にはあんなハツラツとした爽やかさは無い。

いや、むしろ、ああいった上っ面な感じのものへの嫌悪のほうが強い。たぶん、あの憧れは、中学男子の若さゆえに、ちょっと判断を誤ったんだと思う。間違いない。

しかし、そんな中、先日も書いたと思うが、フランクな自分、言わば「海ごはん山ごはん」的なものを望む素直な自分の再発見もしたりもしている。そして、意外とそれが心地良かったりもしたりして、戸惑いと不安を感じている。

一体、自分は何に拘って生きているのか?何を望んでいるのか?どうしたいのか?

こんな事以外にも、自分が選び取ってきた今の姿勢や生き方に、もの凄い不安と疑問を感じ始めている。

はっきり言って、もう、なにが良いんだか、なにが悪いんだか、訳が分からない。

そんなわけで、ただ今、色々ともがき苦しみながら、自分の価値観や既成概念の再構築をしているところだ。再生成。そう、ルネッサンスだ。

そうだ!今!僕は!ルネッサンスだっ!!

と、ルネッサンスな自分に酔ってみたりした。。。

6月28日(月)

眠い。。とにかく眠い。。。

どうしてよいか分からず、学校でこの日記を書いている。

さっきまではファインアート系の校舎が立ち並ぶエリアで飼われているニワトリやクジャクやハトや池のメダカやコイを一人で眺めていたのだが、ついに眠気もピークに達し、最後の手段の*イメージライブラリーへゆくも、今日は閉館。そして、途方に暮れてパソコンルームへやって来たが、眠い!とにかく眠い!!!

さて、最近、指の震えを友人から指摘され、酒のせいか?ニコチンのせいか?いや、その両方だ!などと論議を交わしていたのだが、やはり、手を使う職業を目指している僕としては、指の振るえはちょっと笑い事ではない。

だからとゆうわけではないが、将来の健康の事も考えて、先週からプチ禁酒と心持ち禁煙を敢行している。

しかし、その禁断症状がやってきたらしく、今日はいつも以上に震えている。しかも、今日は睡眠不足も手伝って、振るえは指だけに留まらず、全身、いや、頭の中までへと波及している。

しかし、そんな禁断症状だが、たぶん、何か一つのモノでの禁断症状だったら、さぞかし辛いのだろうが、複数の禁断症状が重なると、ちょっと楽しい。そして、気持ちいい。むしろ、禁断症状に中毒になってしまいそうになる程だ。となると、この禁断症状がなくなると、また、禁断症状が出るわけで、また中毒になり。と、この中毒の連鎖は限りない。どうしたら抜けだせるのだろうか?やばい!

と、まあ、眠い奴ってゆうのはこんな馬鹿げた事しか考えられなくなるんだな。とゆう事だ。

とにかく、そんな小さな事で悩まずに、震えてるのが僕なんだ。ぐらいの心持で行こうと思う。

しかし、ファインアート地域は緑や動物に溢れていてとても居心地が良い環境だ。あれを本当の美大と言うんだと思う。

*イメージライブラリーとは?

武蔵野美術大学の誇る映像図書館であり、周囲の評判を受けて、今回、初挑戦したものの、夢儚く破れた。

6月29日(火)

やはり、6コも歳が離れた人々に囲まれた環境で生活をしていると、なかなかフラストレーションが溜まったりもする。

具体的に何がそんなに?と言われても、パッと答えられないのだが、自分が歩んできた若き日のそのまま姿が今の環境にはゴロゴロと転がっている。

誰しも自分の若かりし日の姿なんか見たくないし、できるものなら消してしまいたいだろう。でも、僕は今、そんな姿を毎日見なければならない。

そういったやるせなさとゆうか、そんな環境に今さら身を置いていしまっている自分の選択への疑問とゆうか、そんな若き姿に何の助言も与えられない自分への不甲斐なさとゆうか、とにかく、色々なものが相俟って、疲れてしまう。

まあ、歳をとってしまったと言えばそれまでなのかもしれないが、逆に、そうゆう疲れを感じてしまう自分自身を危惧してもいる。

なぜなら、若い人に疲れてしまうなんて普通すぎるではないか。そんなものは普通のオッサンだ。

僕は高校ぐらいから、レールを踏み外してしまい、社会からも微妙にはみ出してしまった。しかも、微妙にはみ出しているにも関わらず、はみ出した社会にも順応できなかった。

たぶん、このまま普通のオッサンになったて、僕のような人間が生きてゆくような余地は無い。

その自分の余地を見出すために、今回、大学を受験したわけだ。いや、多少の逃避行も無い事も無い。

ただ、やっぱりこのままでは普通のオッサンになってゆくだけで、無事卒業できたとしてもまた同じ事の繰り返しのように思う。

だから、僕は思った。僕は今日から18歳になる。完全に24歳を捨て、皆さんより歳下になる!完全な18歳に!これでどうだ!

いや、ダメだな。

震えてる18歳なんていない。。。