2004年 7月
7月3日(土)

今日は体調が優れなかったので一日中家でジッとしていた。

しかし、一人でいるのはいるのはよくない。

一人でいると色々な事を考える。そして、色々な事を予期してしまう。

今度の試験期間できちんと単位を履修できるのか?

後期はきちんと学校へ通えるのか?

学校に通うことに意味はあるのか?

学費はどうするか?

今年は通えるとしても来年は?

再来年は?

就職は?

自分の将来は?

そして、全ての事柄が面白いように悪い方向へと転げ落ちてゆく。

だから、一人はよくない。

でも、だからと言って、自分の恐れや不安を偽って、ポジティブな事ばかり考えるのはもっとよくないと思うので、まあ、これでよいのかもしれない。

さて、そんなドンヨリしている僕だが、そんな僕を励ましてくれる事もあったりもする。それはメダカの増殖だ。

当初、ペットショップから買って来た10匹のメダカ達だったが、かなり手をかけて世話をしていたら、現在160匹を越えてしまった。しかも、孵化を控えている卵がまだ100個ほどあるので、考えただけでも僕の心を躍らせる。

そして、命を無為に扱う事のできない優しい僕はこれからも丁寧にメダカたちを育ててゆくと思うので、来年までには相当な事になるだろう。

ここまで気持ちよく増えてくれると、何かちょっとした野望すら抱いてしまいそうになるほどだ。

まあ、こんなふうに、僕の意に反して、現実とゆうものは意外と上手く転がってゆくものだから安心だ。

7月4日(日)

人間にはキャパシティーとゆうものがある。

でも、若い頃は、己のキャパシティーなんてものは関係なしに、ただただ突っ走ったりするので、知らず知らずのうちに他人を傷つけたり、自分が傷ついたり、取り返しのつかない事になったりしてしまったりする。

でも、そうゆう事を繰り返す事で人間は己のキャパシティーを認知してゆくものだ。

そう、大なり小なり人間には限界とゆうものがあるのだ。そんな事は言われなくても、百も承知のはずだった。己の小ささぐらい百も承知のはずだったのだ。しかし、充分承知はしていたのだが、忘れていた。

最悪だ。しかも、最低だ。

7月5日(月)

来週いっぱい頑張れば、夏休みになる。

自分なりに、この3ヶ月間はかなり突っ走ってきたつもりだ。

初めての環境に慣れようと努力をし、新しい人間関係を築くために愛想を振り撒き、新しく与えられた将来に意欲を燃やし。実はそろそろ、ちょっと息継ぎをしないと呼吸困難になりそうな時期だった。

だが、「はい、どうぞ」とすんなり夏休みを与えてくれるほど、世の中、そう上手い事できてはいない。

期末試験だ。

ほとんどの教授たちは口を揃えて言う。

「試験を行なうために私は講義をしているのではない。だが、大学とゆう組織上、このシステムは仕方が無いのだ」と。

僕は思う。建前として行なうぐらいの試験なら、止めてしまえ!

こんな試験の為に労力を費やすのなら、その倍の労力を費やしても、この試験とゆうシステムを変えてやろうじゃないか!

どうだっ!

悶々と試験に反発していた高校生までの僕とはちょっと違うところをアピールしてみた。24歳は叫ぶ事ができる!

7月6日(火)

グループ制作で、僕のグループは選抜に選ばれ、明後日のオープンキャンパスで発表する事になってしまった。

今日は初めて全体でのリハーサルがあったのだが、いつも練習していた環境とはだいぶ違っていたので、音響が上手くゆかず、ちょっとドタバタした感じになってしまった。

しかし、僕らが今回発表する作品はドタバタ劇なのだ。

ドタバタ劇が更にドタバタしたらどうなるのか?

かなり興味をそそられるスチエーションではあったのだが、残念ながら役者として演技をしていなければならなかった僕は、オイシイところではあったのだが黙って見過ごすしかなかった。是非、観客として観ていたかったものだ。

まあ、客席からは普通に笑い声が響いていたので、僕の期待するほどの事は起こっていなかったのだろう。と、自分を納得させてみても、やはり気になるところではあった。

テンションが上がり過ぎて空回りしてしまった時のサムーイ感じが僕は好きなのだ。

そんなこんなのグループ制作なのだが、いつも言っているように、僕は大学での友達が少ない。ちなみに予備校では友達がいなかった。

しつこいか?

辛うじて優しいクラスメイトが長老の僕を労わってくれ、気を遣ってくれる。介護されていると言ってもいいようなキャンパスライフを送っている。

今回のグループ制作ではそんな長老が主役へと押し上げられ、学年内でも人気者のハーフの女の子とタッグを組んで演じる事になっている。しかも、ドタバタ劇だ。

方やキュートな人気者。方や死臭の漂う影の存在。

否が応でもハツラツとした正のパワーによって、影に脚光が浴びせられる事は間違いないだろう。

ある意味、名誉挽回の大チャンスではあるのだが、はっきり言って、そんな気の利いた気立ての良さは僕には無い。

なぜなら僕は根っからの根暗だからだ。

そして、そんな不安が的中したように「さっき、レナ(ハーフの女の子)と一緒に出てた人でしょ?かなりイイ動きしてたよね」と知らない人から声をかけられてしまった。最初は「人違いです」と言おうと思ったのだが、そんな芸能人みたいな事もできず、愛想笑いを浮かべながら、素直に認めてしまった。

夏休みを目前にして、また新たな難関が立ちはだかってきた。

7月8日(木)

グループ制作の発表が本日無事に終了した。

たぶん、僕らのグループが一番印象に残る発表ができたと思う。なんてったって、コンセプトが「唯物的弁証法の実践」だ。こんなマルクス丸出しなグループは無かった。いや、後にも先にも、こんなグループは出てこないと思う。おまけにドタバタ劇って。

しかし、真面目な話、色々なところで今まで気がつかなかった発見をすることができたので、とても有意義で楽しい課題だった。正に弁証法的な物事の構築とゆうものに携わる事ができたんだと思う。

しかし、予想通り、一緒に出演した人気者のハーフの女の子の影響で、僕は軽い脚光を浴びる事になってしまった。しかも、24歳で石坂浩二に似ているといったような脚光の浴び方らしい。超微妙だ。

今後4年間、僕は石坂浩二の印象を背負って生きていく事になるのか?

7月9日(金)

来週から試験週間に入る。

こんな日記を書いている場合ではないのだが、机に向かっても、メダカを観察してしまったり、タバコを吸ってしまったり、爪を切ってしまったり、ギターを弾いてしまったり、挙句の果てには、部屋の掃除をし始めたりしてしまって、何も進まない。

かなりヤバイ状況ではある。

でも、ヤバイ!ヤバイ!と思いつつも、なんだか妙にこの状況を楽しんでいる自分を発見したりして。なぜか?と思えば、今更ながら、この学生特有の追い込まれ方に、大学生になったとゆう事への実感と充実を味わっている事に気が付いた。

そう、僕は今、美大生なのだ。

過去の俺よ!見ているか!俺は今、美大生だぞ!

なんて、誇らしげだったりして。

でも、刻一刻と追い込まれている事も事実なわけで。

もう、訳が分からない。。。

7月10日(土)

携帯電話が賑やかになる時、必ずと言っていいほど今の状況のように僕は身動きの取れない状態にある。そのくせ、僕が時間も金も充実している時に携帯電話が動いた例は一度も無い。

しかも、僕は二十歳を過ぎてから友人達からの「お前とは連絡がとれない」とゆう要請により已む無く携帯電話を持ち始めたので、僕から連絡をとる事は、それ相応の用件が無い限り無い。

このように、実質的に見て、携帯電話は僕にとって不必要なもの以外何ものでもない。精神衛生的にも大いに有害だ。

しかし、そんな携帯電話をなぜ僕が今でも持ちつづけているのか?

なぜだ?なぜなんだ?

実質的にも精神的にも何の意味もなさない携帯電話。それを持ち続ける理由とは?なんだ?

そうだっ!何かあった時のためだ!。つまりは、緊急事態の事だ。

ノストラダムスの予言を信じ、ハルマゲドンから逃れるための地下シェルターに私財を全て投げ打って数億円をつぎ込んだが、結局、何も起こらず21世紀を迎えてしまったような。そんな事になってしまう事も大いにありうるが、緊急事態とゆうものはその名の通り、いつなんどきやってくるかは分からない。

僕はそんな緊急事態のために、友人の要求に応えられず「お前は腹黒だ」と罵倒されても耐え抜き、寂しい時に誰からも連絡が来なくても耐え抜き、それ相応の金をNTTDocomoに献上しているのだ。

でも、緊急って?

軽く悪徳カルト宗教にハマってしまっているような錯覚もおぼえるが、いや!今は邪魔以外の何ものでもないこの携帯電話が、必ずや、後の緊急事態に役立つ事は間違いないだろう!持っていないよりは持っていた方がいいに決まっている!

と言って、アメリカでは銃が一般家庭にまで普及した。

携帯電話から弾が出なくて良かった。。

7月12日(月)

学ぶ事は面白い。でも、学ぶ事は面倒だ。

一番良いのは、話の上手な先生の講義をフフ~ン♪と聞いているのが一番楽なのだが、聞いているばかりではなかなか身にならない。

だから、毎回の授業で気になった事をノートに記しておいて、後で調べようとゆう工夫もしている。しかし、工夫はしているが、ゴロゴロしたいといった欲求や、酒を飲みたいといった欲望が、その工夫から先の行為へなかなか行かせてくれない。

まあ、早い話、僕は怠け者なのだ。

でも、怠け者のくせに興味だけは尽きない。困ったものだ。

怠け者は怠け者らしく怠けていれば何も苦労はしないのに、ダメだと分かっていながら、下手に手を出すから、苦労してしまう。

だから、メダカが現在200匹にも増殖しているのだ。興味本位で増やしすぎだ。どうするんだ?俺は?いや、どうしたいんだ?俺は?

左の大きい水槽には大人のメダカが10匹に対して、右の小さい金魚バチの方にはメダカの幼魚が200匹詰め込まれている。

整然と並んでいるのが恐ろしいぐらいに僕の机の棚には生命が満ち溢れている。これ以上近づくと世にも恐ろしい光景を目の当りにする事になるだろう。こんなカオスを目の前にして、勉強がはかどる訳が無い。

メダカの学校どころの話ではないのだから。

7月13日(火)

今日は試験が無かったので、家で明日の試験勉強をしていた。

だが、机に向かっている大半の時間がメダカの観察に費やされた事は言うまでも無い。

今までは、学校に行く前にエサをやり、帰ってきたら産み付けられている卵を採集する。その繰り返しだけで日々が過ぎ、とても機械的な触れ合いしかしてやる事ができなかったのだが、今日は1日中メダカと向かい合っている時間がとれたので、ここぞとばかりに管理してやった。エサなんか30分ごとにやったし、水槽の水も朝昼晩と3回取り替えてやった。

そして、この触れ合いによって、5匹程の幼魚が排水溝へ旅立ち、1匹の成魚が神隠しに遭った。

そんなこんなで、今日1日が終わろうとしている今、僕は重大な2つの事に気が付いてしまった。

1つめは、本来、自然界で行なわれる淘汰の役割が、僕の愛の溢れるメダカへの過剰な触れ合いによってなされている。つまり、裏を返せば、自然界の厳しさは地球からの愛の形だったのだ!とゆう事に気が付いてしまったのだ。

そして、2つめは、メダカにかまいすぎて明日の試験の対策が何もなされていない事だ。メダカに愛情を傾けるあまり、大切なものを犠牲にしてしまった。つまり、愛の代償は想像以上に大きい事に気が付いてしまったのだ。

しかも、後者に関しては確信犯だとゆう事にも多少気が付いているが、全く気が付いてないふりをしている事は言うまでも無い。

7月14日(水)

やはり、不発だった試験。しかし、落ち込んでいても仕方が無い。気を取り直して、明るい音楽でも聴こうと思ったのだが、MDプレイヤーの表示はNoBattery。仕方ないので、何か景気の良い文章でも読もうと思ったのだが、鞄の中には今日不発だった試験の参考書しかない。

嫌な事は続くものだ。

結局、何もする事が見あたらず、電車の窓から流れる風景を眺めていた。沈む夕陽をバックに夕陽色の電車で新宿へ向かう。なんて悲しい一日の終わりなのだろうか。。。

いかん!このままじゃいかん!

いかん!いかん!いかん!いかん!いかん!

はっ!きたっ!

ひらめいてしまったっ!

ノーベル科学賞を受賞した小柴教授の凄い小さな何かを観測する装置「スーパーカミオカンデ」。その「スーパーカミオカンデ」の着想を基にひらめいた夢のゴッドマシーン!その名も「スーパータマゴウンデ」!!!

ジャジャーン!

メダカが孵化する時、特殊な酵素を使って殻を溶かすのだが、その酵素がなかなかの厄介もので、そのまま放っておくと他の卵をも腐蝕させ、最終的には水までも腐らせてしまう代物なのだ。

最初の頃は、一匹生まれるごとにその残骸を取り除き、水を替えていたのだが、そんな億劫な事をしているほど僕には時間が無い。なんてったって、奴らは3桁を超える数だ。一つ一つ面倒を見ていたら途方も無い。最近では生まれたい奴だけ生まれて来い!といった放任主義をとっていたほどだ。しかし、これではいかん!そこで考えられたのがこの「スーパータマゴウンデ」だ!

写真だけでは分かりにくいので、少し説明を付け加えよう。

大き目の水槽の中に小さな瓶が沈められており、その小瓶それぞれに4つづつ卵が入っている。つまり、小瓶で孵化しても、その小瓶1つだけを取り出して処理ができるし、4つしか卵がないので腐蝕が癒着する事も少ない。万が一癒着したとしてもその瓶の中だけで被害を抑える事ができ、普通に小分けして管理するよりも水量が多いので水質が安定する。しかも、沈められている小瓶は25個。つまり100個の卵が一度に管理できる優れものだ!

なんて素晴らしいマシーンなんだっ!!

これで今日一日の名誉は挽回した!一筋縄ではヘコたれない自分のバイタリティが恐ろしい。しかし、またメダカに時間を費やしてしまった。つまり、明日の試験の対策は何もなされていないとゆう意味だ。

メダカの試験があればな~。。。

7月15日(木)

先日の選抜に選ばれたグループ制作の影絵の写真が出来上がったので一部をお見せしよう。









どうだ!この躍動感!

観客の期待を裏切る起承転結!そして、爆!

素晴らしい!

7月16日(金)

本日も試験が無かったので、家で明日に備えた試験勉強をしようと思っていた。

なんてったって、明日は試験最終日のくせに怒涛の三教科が待ち構えている。単位数に直すと6単位。4年間124単位の内の6単位が明日の試験で決まる。パーセンテージに直すと約4%、4年間の4%が明日の試験だけで決まってしまうのだ!

まあ、4%ぐらいならいいか.....

いかん!

気を取り直して、試験勉強を始めよう!と、机に向かい、テキストを広げたのだが、なんだか、目の前をユラユラ、ユラユラ。

またメダカだ!これはいかん!先日の二の舞になってしまう!

とゆう事で、今日は一日図書館で勉強をする事にした。

確か、図書館で勉強したのは高校1年夏休みに宿題をやった時以来だから。。。。10年ぶり!?まさかっ!?いやっ!!10年ぶりだ!!

まあ、しかし、10年ぶりと驚いていたって仕方がないので、10年前と同じ図書館で10年前と変わらぬたたずまいの10年前と同じ席で静かに勉強を始めることにした。

全く誘惑の存在しない環境に身を置く事は予想以上にはかどる。図書館恐るべし。なんて考えつつ、フランス語に励む。そして、フランス語なんか勉強している自分に少し陶酔しつつ、今度は英語に励む。俺はバイリンガルだ!!

そんな勘違いも起こしつつバリバリ勉強をしていた。

途中、一服休憩で「10年ぶりのもの?」と考えてみたのだが、思い当たるのは、一輪車とか竹馬とかコマとか、昔の遊び的なものしか思い浮かばなかった。ところが、目の前に僕が10年前、いや、もっと昔に慣れ親しんだ一輪車や竹馬やコマで遊んでいる子供達が!

僕は思った。この際、10年以上ぶりのものは全て清算してしまえ!

とゆう事で、楽しく遊ぶ子供達に混じって僕も遊ばせてもらった。

光化学スモッグ注意報の出ているガスめいた空の下、汗だくになって遊んだ。そして、お昼にはお腹を空かせてご飯を食べに帰り、また午後から一緒に遊び、3時には駄菓子屋に行き、また、図書館で勉強をする。

なんて夏休みな感じなんだろうか!プールがあれば言う事無い!

とまあ、後も先も考えず、一心不乱に遊べた時代を再び体験できた良い一日であった。

7月17日(土)

本日、一年前期の試験が終了した。

いよいよ、夏休みだ!

そんな夏休みの余興として、本日、僕の身に起こった素敵な出来事をお話しよう。

それは4限のイメージテクノロジーの試験が早めに終わり、まだ次の試験までには時間があったので、今期最後の試験になる英語(作文)の最終チェックをしようと教室へ戻る。その途中に起きた。

僕の前に立ちはだかった彼女は「すいません。ちょっといいですか?」と言うなり、突然、僕の腕を引っ張り、人気の無い非常階段の方へ向か出だした。そのあまりにも唐突な出来事に戸惑いつつも、無骨すぎるその対応にわずかな好感を抱いたのは、この先起こる出来事が悪いものではない事を予感させもした。

周囲から見えない物陰で彼女は立ち止まり、僕の腕を離すと、意を決したように振り返った。そして、さっきまでの大胆な行動とは裏腹に今にも消え入りそうな声で

「あのぉ 影絵に出てた人ですよね?」

とうつむきながら言った。僕は否定しようがない事実に

「ハイ、そうですが?」

と応えると、彼女は少し視線を上げて

「とても良かったです。それだけ伝えたかったんです。良い夏を。。。」

と言ったかと思うと、すり抜けるように去っていってしまった。

残された僕は非常階段に出て、眩しすぎる太陽に目を細めながら、熱くそれでいてどこか爽やかな風の中、タバコを一本吸った。

夏が来る。

とまあ、こんな出来事でした。多少ディフォルメも含みつつ、僕の夏休みの出だしは快調です!

7月18日(日)

今日は野球のメンバーと一緒にBBQをするとゆう予定だったのだが、なぜか、僕にだけ正しい情報が伝わっておらず、実は試合をやるそうだ。

曽我さんとジェンキンスさんの帰国時間に重なっての試合なので、ウチのチームの4番は、彼らの帰国プレゼントに、ホームランボールを彼らの乗る車にぶち当ててやると息巻いている。

実際、羽田から都心に出るには僕らがいつも試合をやっている球場の脇の首都高湾岸線か海岸通りを抜けて行くしかないので、現実味を帯びた予告ホームランではある。

楽しみだ。

さて、その試合が終わるやいなや、僕は大学のクラスの飲み会へ合流せねばならず、品川から国分寺までの移動となる。

当初、BBQとゆう話だったので、そのままの格好で行けばいいかな。と思っていたのだが、試合となると、ユニフォームを着ているので、流石にそのまま行くわけにはいかない。かと言って、2時間の飲み会とゆう事なので、一度家に帰るとかなりのタイムロスになってしまう。

さて、どうしたものか。

ユニフォームでの登場は流石にカッコ良すぎるか。。。?

7月19日(月)

昨晩のクラスの飲み会で、がっつりコスプレをしてきた子達がいた。

中世ヨーロッパ以降に見られるメイドスタイルがモチーフのコスチュームプレイだったのだが、一人は容姿も可愛らしいく、メイクから何からがっつりキメていたので、なかなかの見物ではあった。

しかし、いわゆるアキバ系と言われる人達にとっては涙モノのこのコスプレだが、その時の僕はそう言ったデザイアーな感情よりも、もっとジェンダーな感情を抱いた。つまり、ジェラシーだ。

文化的・社会的に形成される男女の位置は現在においても女性の方が圧倒的に不利ではあるが、しかし、確実に女性のほうが生物学的にも形而上学的にも優れている。優れているものは何と言われようと優れているのだ。美しくできているのだ。生まれ持ったものはどうしようもないのだ。そして、その先天的に与えられた女性とゆう性に僕は憧れる。敬う。崇拝する。そして、憎む。

女はズルイ!俺もコスプレ!

究極のフェミニスト、真平の悩みは多い。

7月20日(火)

暑い。

駅まで徒歩10分、日当たり抜群、風通し抜群、10畳トイレ付きの自室は普通の不動産ならば軽く10万は超える言う事無しの物件だが、困った事にエアーコントロールできる機材が無い。

つまり、この季節、熱射と熱波と熱風と熱気が溢れるとゆう素晴らしい環境なのだ。特に今年はやばい。

気を抜くと主体と客体の境界が曖昧になり、最終的には「宇宙は全にして個、個にして全である」とゆうような梵天の境地へと達する。

悟りを開きたい人はぜひ遊びに来るといい。30分あれば可能だ。

今年の夏は悟りの夏だ!と言ってもぜんぜん爽やかじゃない。

さて、俺の夏へのモチベーションは如何に!?

7月23日(金)

ノースリーブ、ランニング、袖なし。

最近の若者は僕らが小学校(バブル全盛期)の頃「ビンボー」とゆう言葉とイコールの地位にあったそれをお洒落として着ている。

だが、そんな幼少時代を送った僕にとって、あの袖の無い衣服は下着か肌着としか思えない。ましてや、お洒落だなんて到底認められない。人前で下着や肌着しか着られない人は「ビンボー」だからだ。

だから、中学校の頃ぐらいから台頭してきたバスケットとゆうスポーツもユニフォームに袖が無い事だけで見下していた。そう言った意味ではよっぽど野球の方がカッコイイしリッチなスポーツだと思っていた。スラムダンクなんて読むものか。あんな「ビンボー」なスポーツなんかやるものか。と、よく思ったものだ。だが、バッシュは履いていた。でも、実際、僕の中学校のバスケット部員は僕らの学年にはいなかった。

しかし高校に入った時、バスケットはカッコイイなどとゆう価値観のほうが世の中に蔓延していて驚いた。でも、やはり僕は袖が無い「ビンボー」なスポーツとして、よくバスケ部員を馬鹿にしていた。100点とか簡単に獲れるスポーツなんかウンコだと思っていた。そして、積極的に野球の応援にトランペットを持って行ったものだった。

そして、月日は流れ、僕は25歳を目前にして思う。実際に本当に「ビンボー」だったのはどっちだったのだろうか?

あんなにもヒステリックに敬遠していた「ビンボー」だが、そろそろ袖を通してみる時期なのだろうか?袖は無いのだが。

尚、この画像は本文とは全く関係ない。

7月24日(土)

風呂に入る時、たまにライターを持って入る。湯船でオナラをした時、その浮かび上がる泡に点火する為だ。

何事だ?と思う人も多いかもしれないが、自らの体内から出たものが一瞬の爆発と共に可憐な華を咲かせ散ってゆく。ここまで己に内在する神秘を感じる事のできる、粋でいなせなイリュージョンは他に無いのだ。

出し方次第ではリズム感溢れる爆発が楽しめるし、食べた物によってはオレンジやグリーンやブルーなどの幻想的な光を楽しめる。しかも、浴室の明りを消し、バックミュージックにディズニーのファンタジアで使われた「魔法使いの弟子」なんかを流したりすれば、その効果は絶大だ。

調子の良い時は大爆発を起こしたりもするので、多少危険も伴うが、花火とシャボン玉とエレクトリカルパレードを融合したようなこのキッチュなイリュージョンは第二の幻想即興曲と言っても過言ではない。東洋思想で言えばインド哲学「リグ・ヴェーダ」のルドラ(シヴァ)信仰に近い。

一度、湯船に潜って、新たな角度での鑑賞をしようと思ったのだが、基本的に一人開催のもようし物なので、技術的に困難が生じ、敢え無く断念した事もあったが、ここまで貪欲な美に対する追究の姿勢に、根っからの芸術家なんだなと我ながら感心したりする。

ホント、困ったアーティストだ。

7月25日(日)

高校生の頃、卒業した中学校の夜間プール開放によく友人達と行っていた。もちろん、海パン一丁集合で。

僕らが泳いでいると、やっぱり同じ中学を卒業した不良の先輩達がやってきて、僕らにファンタを奢ってくれた。

先輩達は真面目に泳ぐ気なんてさらさら無くて、いつもプールサイドで馬鹿騒ぎしたり、一緒に来た女の人達とイチャイチャしていたりした。

女の人達は夜のプールなのに必ず派手なビキニだった。

多感な時期だった僕らはいつも仄かな期待を抱いていたが、結局、最後までポロリは無かった。

僕らは泳ぎ疲れると、決まって沈んだ。誰から始めるわけでもなく、いつからか、プールの底に仰向けに沈んで歪む夜空を眺めるのが僕らの決まりだった。夏が終わる頃には泳いでいるよりも底に沈んでいる事のほうが多かった。

遠くで聞こえる先輩達の騒ぎ声、水面に浮かぶカナブン、揺らぐ夜空、水中に横たわる高校男子達。それと、ファンタと派手なビキニ。

これが僕の夏の静かな思い出だ。

7月26日(月)

僕がこの日記を書いている最中にも、皆さんはどこか別の場所で何かしらしている。飯を食っているかもしれない。テレビを見ているかもしれない。風呂に入っているかもしれない。

僕はそうゆう他愛のない時間帯に他人の行動に思いを馳せるのが大好きなロマンチストだ。

ただ、そんなロマンチストにとって、今や常識となっている携帯電話とゆうやつは邪魔で仕方ない。

他人の行動を確認しようと思えばピッポッパと簡単にできてしまうし、一番最低なのは、他人の行動に思いを馳せている最中にその当人から電話がきてしまったりして、せっかく、節電のために電気を消されたオフィスで一人で黙々と残業をしている風景を思い浮かべてあげていたのに、「今、女といるんだけどさ~」なんて言われたりして、もうムード台無しだ。

でも、逆に、家族と一緒に居間でホームドラマでも見てんだろうな~、なんて思いを馳せていた当人から電話が来て、受話器の向こう側からそのホームドラマの声が聞こえてきたりして、ドンピシャ!なんて時もあったりして、哀愁を感じたりする。

ただ、やっぱり、せっかくの甘く切ないロマンチックな時間から否応無しに現実の世界へ引き戻してしまう携帯電話とゆうやつは厄介ではある。

7月27日(火)

小学生ぐらいに流行った、相手の肩をたたいて、振り向きざまに人差し指を相手のほっぺに没入させるアレだ。名称は不明だが、油断している隙をつくイタズラとしてはトップクラスに君臨する。

しかし、朗らかな笑いを誘うあのイタズラだが、刺激を渇望する中学高校ぐらいの時代になってくると、あんな生ぬるい刺激ではもの足りなくなり、過激さを増してくる。

そこで生まれたのが「呼んどいてバーン!」だ。

その名の通り、相手の名前を呼び、相手の振り向きざまに殴り倒す。かなり不条理で過激なイタズラだ。いや、暴力だ。

このイタズラ、いや、暴力が全盛期の頃は名前を呼ばれたら反射的にダッシュで逃げるとゆう、なんともシュールな光景がそこここで見られたものだ。

しかし、25年生きてきて僕は思う。世の中には暴力ではないにしろ、かなり暴力的な「呼んどいてバーン!」があちらこちらに潜んでいる。むしろ、呼ぶとゆう警告すら無い「呼ばないでバーン!」のほうが多いぐらいだ。

そう言った意味では、あの頃、「呼んどいてバーン!」に鍛えられた事は決して無駄ではなかった。

特に大木新君。君は殴り倒すだけでは飽き足らず、よく一本背負いをしてきてくれた。そんな不意打ちもないだろう。感謝する。

ちなみに、「呼んどいてバーン!」のネーミングも大木新君、君だったね。

7月28日(水)

夏休みになって1週間と少しが経過しのだが、あれほど待ち望んでいたくせに、もう飽きてきた。若者のためにあるようなこの季節の長期休暇なんて、大体、時期が悪いのだ。

こんなんだったら、全ての長期休暇を返上してもいいから、2年ぐらいで卒業させてもらいたいものだ。まあ、秋休みがあるなら話は別だが。

さて、そんな、もうウンザリな夏休みだが、京都に修行に出ていた弟が夏休暇をもらって一時帰郷してきた。あの手汗が凄すぎて木彫の道具がすぐに錆びてしまう弟だ。そして、逆ナンはされるが彼女はいない、なんともプレイボーイな弟だ。憎い。

しかし、僕より6歳も若い彼だが、ここ数年の彼の夏休みの行動を見る限り、ずっと家でゴロゴロしているか、涼しくなる夜になってから少し出掛けてゆく光景しか見たことがない。むしろ、兄である僕のほうが海へキャンプへバーベキューへ野外ライブへと夏に対するアグレッシブさが感じられる。

いや、このアグレッシブさは老いた兄の焦りなのか?と思ってしまうぐらいに、彼は夏らしい事は何もしないのだ。唯一、手に汗をかくぐらいが彼にとっての夏だ。

ただ、そんな彼だが、去年の夏、冷夏だった夏だが、高校の修学旅行に沖縄へ行ってきた。その時に海水パンツを貸してやったのが僕だ。

ハイビスカス柄のド派手な南国柄の海水パンツだったのだが、僕はそのいかにも夏らしい海水パンツをとても気に入っていた。そして、彼はその海水パンツを確信犯的に沖縄に忘れてきたのだ。あの南国沖縄にだ。

彼はド派手な海水パンツから僕の夏に対するコンプレックスを読み取って、わざわざ常夏沖縄に僕の夏の象徴である海パンを置いてきたのだ。まるで、本物を知りたいなら現地へ行けとでも言うかのように。

そして、それからとゆうもの、俺の夏から海が消えた。

憎い。

7月30日(金)

今日はプールに行ってきた。

まだまだ水を弾く自分の肌の健在ぶりに感心しつつ、バリバリ泳いでいたのだが、ハリキリ過ぎて、水着のポケットに入れていた小銭を全てぶちまけてしまっていた。

気がついた頃には後の祭りで、既に小学生達が歓喜の声をあげながら、海女のごとく次々と小銭をゲットしていた。

仕方ないので、男気溢れる僕は「ブリック(イチゴミルク)でも飲んでくれ」とその小銭を彼らに奢ってやった。

そして、帰宅した僕はあの水泳後特有の心地好い気だるさの中、深いまどろみに落ちていった。

そして、ルパンを見逃した。