2004年 9月
9月1日(水)

バイクとゆうマシンは手を入れれば入れるほど限がなく、スタイルもこだわればこだわるほど限がない。

バイクと言えば、カッコイいだとかワルだとかシブいだとかワイルドだとか、語弊があるかもしれないが男性的な誉め言葉がよく使われる。

最近では女性のライダーも増えてきているが、やはり、彼女達が何を求めてバイクにまたがるのかと言うと、上に書いたような男性的スタイルだ。

やはり、僕もバイクに乗りたいと思った最初の理由はこういった男性的なスタイルに憧れてなのだが、最近、それがどうも気に入らない。

ライダー人口が増えてきて、俄かライダーが目に付く事がまず気に入らないのだが、それに合わせて、人口が増えてるのにもかかわらず、そこに多様性が全く無い。とゆうのが一番の不満だ。

そんな訳で、とにかく、僕はバイク界に新しい風を吹かせたいのだ。新しいイメージを、新しい道を、土臭い埃臭い固定概念から一歩進んだ何かを。

そこで、最近、僕はバイクに乗る時に、足を組んで乗ることにした。「バイク=エレガンス」とゆう新しい道の模索を僕は始めたのだ。

スクーター型のバイクだから成せる技なのだが、多少の危険も伴う。しかし、その辺はバイク歴10年近くになる経験と勘とインスピレーションの成せる技なのだ。なんともエレガンスだ。

そして、今は足を組むまでで留まっているが、ゆくゆくは、バイクに乗りながら英字新聞を読みカフェをすする段階までゆきたいと思っている。

エレガンスでジェントルでダンディーなバイク。

夢は膨らむばかりだ。

ちなみに、バイクに乗りながら足を組むとゆうエレガンススタイルを編み出したのが、他人のバイクを無免許で乗り、警察に追われ、140キロのスピードでコーナーを曲がり、そのまま転倒したにも関わらず、無傷で帰還した元不良。チームコムタンの代表取締役社長のイワさんだ。

新しい道とゆうのは新しい奴が切り拓くのではないのだ。こうゆうデスペラードでデストロイな人間が切り拓くのだ。

もう一つちなみに、イワさんは、バイクで二人乗りをする時、いっつも僕に運転を任せるのだが、僕が「疲れた」と言うと、座席を移動するのを面倒がって、その態勢のまま運転を代わってくれるとゆう、なんともジェントルでマメな人だ。もう一つちなみに、イワさんは、前を見なくても運転ができるゴッドのような人だ。

9月2日(木)

今、あるサイトが気になっている。

テレクラのインターネット版のような、いわゆるエロサイトで、相手の姿を画面で見ながらチャットができ、交渉次第では画面上でけっこうハードな事なんかもしてもらえる。しかし、細かな会話なり、大胆な行為なりを求める場合には料金がかかってくる。そうゆうサイトだ。

とうとう真平も如何わしい世界に足を踏み入れてしまったなと思う人も多いと思う。

しかし、僕がこのサイトを興味深く思うのは、エロいからとゆう理由ではないのだ。いや、正直に言うとエロも多少はある。男だからそこは仕方ない。だが、このサイトに行けば分かっていただけると思うが、エロいとかヤラシいとか、そんな事を言っているどころの話ではないのだ。なんか、とにかく凄い事が行なわれているのだ。

ハッキリ言って僕はカルチャーショックを受けた。

とにかく、百聞は一見にしかずだ。

皆さんも見てくれ。

「FREE LIVE FEEDS」 18禁!

僕のオススメは「44 Joyourself feeds」とゆうところのlivecamを順に見てゆくのがいいと思う。新しいウィンドウが出て、Usernameの所に適当なアルファベットを入れれば、会話の内容を見ることができるし、自分も書き込める。その時点では料金は発生しないので大丈夫だ。

色々な意味で興味深く楽しめるサイトだと思う。

ちなみに、僕が気になっているのは「CatchMe」とゆうハンドルネームで出没するスラブ系の女の子だ。会話がかなり小粋だ。

9月3日(金)

とうとう、メダカの引き取り手が決まった。

全部とゆうわけではないし、素生の知れない所へ行くわけでもないのだが、生まれた時から面倒を見てやった奴らなので、やはり、感慨深いものはある。若輩者ではあるが、早くも、愛娘を嫁がせる親父の心境に共感なんかしてしまっている。

引き取ってくれるのは僕の幼馴染であり、現在、小学校教諭でもある親友で、彼の受持ちのクラスで飼ってくれるそうだ。

たぶん、何匹かは環境の変化に耐えられず死んでしまうだろう。何匹かは小学生達の行き過ぎた世話に命を落すだろう。何匹かは怠けた飼育当番の世話によって生涯を終えるだろう。何匹かはクラスの悪ガキに追い回され生命を絶つだろう。

しかし、これからの未来を担う子供達が何かしら学び取ってくれるなら、奴らメダカ達にとっても僕にとっても本望だ。

とにかく、めいいっぱい飼ってやって欲しい。

と言っても、まだまだメダカ達はウヨウヨ泳いでいるので、欲しい方は連絡をくれ。

9月4日(土)

今、ラストスパートで夏休みの宿題をやっているような、小学生レベルの真平だ。

だが、僕も小学生並だが、宿題の方も「ペットボトルを使って何か作って来い」とゆうような、なんとも小学生風情な宿題なのだ。

とりあえず、巨大ロボでも作ってみるか。

9月5日(日)

僕は美大生だ。でも、絵が描けない美大生だ。絵が描けないのに美大に入ってしまった美大生だ。美大と言えば絵なのに。。。

大学に入って「やっぱり、ここは美大なんだ!」と実感したのが、トイレや机なんかに描かれている落書きの絵だ。とにかく、凄く上手くて、ビックリした。

そんな美大が明日から始まる。後期の実技科目は絵が多い。噂によると人の裸体なんかも描くらしい。憂鬱だ。

9月6日(月)

久しぶりに学校に行ってきたのだが、やはり遠い。遠すぎる。

昔から僕は家からあまりにも離れた所へ行くと心細くなってしまう性質で、通学時間が2時間近くもかかるウチの学校なんてまず無理だったはずだ。そう、無理だったはずなのだ。でも、今日、改めて、やっぱり無理だと思った。

そんな訳で、僕は今日一日、心細くて不安で、いてもたってもいられず、久しぶりに会った同級生ともろくに会話もせず、とっとと帰ってきた。

でも、そんな恐怖と不安の中でも僕の目ざとさは衰えない。

なぜなら、まわりの同級生が、皆、妙にアカ抜けていた事を僕は見逃さなかったからだ。

決して勘違いとかではなく、彼らは確実にアカ抜けていたのだ。それは、同じクラスの子からかけれれた「真平君はぜんぜん変わってないね」とゆう言葉からも明らかだ。

まわりは確実に変わっているのだ。

そして、俺は何も変わっていないのだ。

 → → 時代の変遷 → →

いや変わっている!俺は着実に変わっている!

焦るな!

9月8日(水)

絵を描く事に慣れていないとか、絵が上手くないとゆう事ではなくて、もっと根本的に、僕は絵を描く事にあまり興味が無いのだ。元々、好きでないのだ。

今日、そんなことに気がついた。

例えば、僕は地元の同級生の友人達が作った野球チームに所属しているが、野球自体あまり興味が無い。観戦、試合、練習、等々、あまり好きではないのだ。

だが、チームのメンバーは大好きだし、ライトを守っている時の疎外感が大好きだ。あと、スコアーブックを付けるのも大好きだ。

例えば、高校の頃、釣り部を主宰していたが、釣りが好きだったわけではない。魚なんか触れないし、特に淡水魚、鯉だとか鮒だとかは大の苦手だ。気持ち悪い。

だが、あの沼部の高架下は大好きだった。多摩川でタマちゃんが最初に発見されたあの場所だ。たまに、マネージャーが様子を見に来たりして、夕陽の落ちる中、二人っきりで釣り糸を垂れながらタバコを吸うのが大好きだった。

そして、例えば、僕は絵を描く事は好きではない。描けば描くほど、僕の絵はとんでもない絵になってしまうし、ハッキリいって、よく分からない。

だが、僕は絵を描いている人を見るのが大好きなのだ。もの凄く真剣な眼差しでゴミ袋だとかタオルだとか万力だとかボトルだとか、どうでも良いものを真剣に描くあの姿勢が大好きなのだ。

9月9日(木)

駅から大学までの僕の下校路は近くの小学校の下校路にもなっていて、授業が4限までだと、その小学校の下校時間とちょうど重なる。

僕はそんな日に小学生たちの会話を盗み聞きしながら彼らと一緒に下校する事を密かな楽しみにしている。

今日はその盗み聞きの中でもかなりハイレベルなものが出てきたので紹介する。

「ねえねえ、お尻って丸いじゃん」

「うん」

「で、うんこは四角いじゃん」

「うん」

「じゃあ!ちんこは何でしょう?」

「う~ん?」

「ハイ!5!4!3!2!1!」

「あ!三角!?」

「お~!正解!」

小4男子2人組の会話である。ド肝を抜かれた。小学生恐るべしだ。

これだから、僕は彼らとの下校が楽しみで仕方ないのだ。

9月11日(土)

今から三年前、僕は渡米の計画していた。目的地は東海岸。

チケットも手配して、会社からも休暇をもらって、ありったけの円をドルに替えて、準備は万端だった。

御土産はマカデミアンナッツでいい?なんて、軽く寒いギャグを飛ばしつつ、僕はウキウキと渡米の日を心待ちにしていたそんな時、あの忌わしい事件が起きた。9月11日の同時多発テロだ。

僕はアメリカに、ニューヨークにあんなツインタワーがあるなんて知らなかったけど、たぶん、あのビルがあったら、僕は観光客丸出しで上っていただろう。凄ぉー!高ぁー!アメリカー!なんて言って感動しただろう。

でも、実際、僕が目の前にしたのは瓦礫の山だった。何も知らなかったら、工事現場だと思って通り過ぎてしまうような瓦礫の山だった。ニューヨークでは珍しいほど閑散として何も無い場所だった。

でも、やっぱりそこは、あの時テレビで見た、あの大惨事が起きた場所だった。

アメリカ人たちは、オーマイガッ!とかオーノー!とか、それぞれの思いを口に出していたけど、以前の状態を知らない異国人の僕には、残念だけど、何にも感じる事はできなかった。

僕はその跡地を後にする時に、一応、記念にビルの瓦礫をひとつ持って帰ってきた。もちろん、きちんと、守衛のお巡りさんに断ってね。握りこぶしにすっぽり入る石英の欠片。たぶん、飾壁に使われていただろう欠片。小さな小さなあの時の欠片。

でも、僕は、この欠片を日本に持ち帰ってみて、やっとある事を感じ始めた。それは、あの何も無かったあの現場が、恐ろしいほど閑散としたあの場所が日に日に僕の周りを覆い尽くしてゆく。そうゆう漠然とした不安を感じ始めたのだ。そして、その不安は3年経った今でも変わらず大きくなっている。

しかも、不安だけには留まらず、この虚無の波状は、現実に、世界のそこここで始まりはじめている。

9月13日(月)

後期、学校の授業編成が変わり、10月までは毎朝7時には家を出ていないと授業に間に合わない。辛い。

しかも、もう既に、一回でも休んでしまえば、履修不可になってしまうほど休んでしまった。と言っても、3回休んだだけだ。でも、必修なので、落してしまえば留年だ。

始業一週間で一年を棒に振ってしまうようなカリキュラム編成もどうかと思うが、現実なのだ。最低だ。

世の中には、そんなおかしな事がけっこうある。しかも、重要なところに限って、なんだそりゃ!?とビックリしてしまうようなトンデモない事になっていたりするものだ。勘弁してもらいたい。

9月14日(火)

先日、高校の頃に自分達で作り上げた同好会「ドイツ☆ジャズ同好会」のメンバーで飲み会があった。

名前の通り、ドイツとジャズと酒をこよなく同好する組織だった。ちなみに、ドイツはハーケンクロイツ、ジャズはグレンミラー、酒は焼酎に限る。

さて、そんなドイツ☆ジャズの面々だが、当時、1学年で40名を越える学年最強の部員数だったのに、先日やってきたのは5名だった。つまり、9割を近くの部員が幽霊部員だったとゆう証だ。

ただ、この幽霊部員達も、きちんと参加していた部員達も、この事実は知らないだろう。俺が勝手に部員名簿に友達の名前を書いておいたのだから。

そんな訳で、楽しい飲み会だった。詳しくは裏BBSを見てもらいたい。

ただ、そんな楽しい飲み会の中で1つ気がついたことがある。

それは、僕自身、酔っぱらうと、何所此処かまわずチンコを晒して小便をするとゆう事が癖になってきてしまっているとゆう事だ。

あまりよくない傾向だ。下手すりゃ捕まる。もう若くないのだし。

なので、酔っぱらって僕がモジモジし始めたら、皆さんすぐに僕をトイレか物陰へ連れてって欲しい。

僕にそうゆう習慣を再度植え付けてもらいたい。

9月15日(水)

毎週水曜日の5限。この週の真ん中の人気の無い時間に、僕は文明論とゆう講義を前期の頃から受講している。ただ、この講義がかなり面白くて、僕は毎週この講義が楽しみで仕方ない。

この講義の先生とゆうのが、知識もさることながら、認識や洞察や分析なんかもかなり鋭い先生で、僕は今までこんな凄い人を見たことが無いぐらいの先生なのだ。24年間生きていて一度もだ。それぐらい凄いのだ。

とにかく、1回1回の講義内容が濃く、この講義が終わった後の僕の認識は加速度をもって疾走していて、しばらく席から立てないぐらいなのだ。そんな講義なのだ。やばい。

そして、そんな僕は毎週毎週お利巧さんになってゆく。

9月16日(木)

今、学校では石をモチーフにして絵を描いている。最初は戸惑っていた僕も、今は調子よく描いている。

だが、今日、先生からこんな事を言われた。

「戸惑って手探りで描いていた最初の頃のほうがずっと良かったよ。今の絵は嘘臭い。リアルすぎる」

と。

そこで、その事を何人かの友人に話してみたところ、ほとんどの友人がこんな事を言った。

「私は今の真平君の絵のほうが良いと思うよ。なんかカッコイイよ」

と。

じゃあ、どっちの意見が本当なのか?

そこで面白いのが、どっちが本当かよりも、そこにどうゆう事実関係があって、なぜこうゆう意見が出てくるのかとゆう事を、当事者の僕が一番理解できるのが絵なのだ。いや、表現なのだ。両方の意見とも本当なのだ。事実なのだ。

つまり、今回、始めは確かに模索していた。といゆうか、どうして良いのか分からなかった。だから、きちんと石と対面して、絵の経験が少ないながらも石そのものを写し取ろうと努力していた。そうして描いていたのが最初の頃の絵だ。

そして、そこを評価してくれたのが先生だ。

しかし、その模索のうちに、どうにもこうにもいかないぐらい酷い絵になってしまった。と思った僕は、とにかく好きに描いてしまおうと、自分の好みのイメージで描いてしまおうと思った。その「好み」とゆう中には一般的な格好良さとゆう意識も入っていたと思う。そうして出来たのが今の絵だ。

そして、そこを評価してくれたのが友人達だ。

とにかく、どっちの意見が良いとか悪いとかは無いが、こういった2つの意見がある事を認識していないといけないと思うし、その意見を元に自分がどう推移していたのかをきちんと確認しなければいけないと思う。

そして、たぶん、絵に限らず、こうゆう事はしていかなければいけないと思う。何が起こっているのかを認識するために。そして、その認識を元に自分はどうしなければならないのかを考えるために。

でも、確実にこうゆう作業はとても楽しいものなので、オススメだ。

9月25日(土)

忙しさにかまけていたら、大分、更新をサボってしまっていた。

申し訳ない。

さて、この一週間。色々な事があって、色々な事に気がつき、色々な事を考え、色々な事を感じたりしていた。でも、その一切を書き留めていなかったので、それが何だったか、サッパリ憶えていない。

つまり、憶えていないとゆう事は、無かった事と一緒なので、無意味な一週間だったとゆう事だ。

でも、かろうじて一つだけ、記憶の片隅に残った出来事があるので、ここで紹介しよう。

駅から学校までは玉川上水の林道を延々と歩いて行くのだが、その日、僕はいつもより少し遅れてその林道を煙草をふかし学校へ向かっていた。

時間が遅いせいもあって、いつもより道は閑散としていたのだが、かえって人が少ない方が林道の緑がよく目立つ。今はそこかしこに椎の実や栗の実なんかが落ちていて、秋特有の色を感じることができる。

そんな秋の哀愁に包まれた林道に、一人、女子高生が、煙草をふかし、緑を眺めていた。こちらからでは髪に隠れて顔が見えないが、そのたたずまいが、なんとも秋らしく、哀らしい。

彼女は僕がに気がついて、こちらを振り返る。その彼女の瞳がまた秋らしく、哀らしく。彼女と同じように煙草をふかしながら緑を感じていた僕は思わず、笑みを投げかけてしまった。

すると、彼女も少しはにかんで笑った。

秋らしく、哀らしい、瞬間の恋。

これが、僕の記憶する唯一の出来事だ。つまり、恋。

24歳にもなって、こんな夢うつつでいいのだろうか?

9月26日(日)

今日は、とても良い傘をパクってきた。

普通の傘よりも骨組みが頑丈で、尚且つ、レアものだ。

明日も雨が降るとゆうので、早速、学校にこの傘をさして行こうと思う。

久方ぶりに雨が愛しい。

9月27日(月)

先日、初めて司会とゆうものをしてきた。

お客さんが50人程の小さなイベントの、これまた、20分ぐらいの企画の司会進行だったのだが、思っていたよりはスムーズに笑いや掴みをとる事もできて、学園祭の野外ステージライブの司会に向けて、良い予行練習となった。

ただ、問題なのが、酒の力を借りないと、この司会がスムーズに行かないのだ。素面では色々な事を考えてしまって上手く行かない。しかし、酔っぱらい過ぎても、訳が分からなくなってしまって駄目だ。

つまり、ホロ酔いぐらいのイイ感じに酔っぱらうとゆう所が重要なのだ。

とにかく、これは練習あるのみだ。とにかく呑もう。

目標はマツケンサンバぐらいのテンションだ。サンバなのに着流しな感じが欲しい。

9月28日(火)

高校を卒業して、僕は何にもやりたいことが見つからず、ただフラフラとしていた。そんな時。推薦入学で大学に入った友人が「俺も真平みたいにちょっとフラフラして、学校では学べないような色んな事を体験してみたいんだっ!」と、入学早々学校を辞めると言い出した。

僕は当然ながら「辞めない方がいい。俺はただフラフラしているだけなんだから」と心から説得にあたったが、若さとゆうものは無軌道で、彼はそのまま大学を去った。

その彼は、今、警察官になっている。

そして、当然ながら昔の無軌道さは今の彼には無い。

そして、僕は今更ながらまたもやフラフラと大学へ、しかも、美大なんぞに通いだした。そして、当然ながら、僕の真似をして大学を目指そうとするような友人は今いない。まあ、経済的な問題やら何やら色々あるからね。年齢も年齢だし。現実的にね。

ただ、最近、考える。現実?

僕が働き始めた頃に感じた現実は、いつまでも続く退屈な悠久の時の流れ。束縛された時間。止まった時間。死ぬまで続くであろう無感動な時の流れ。これが現実だ。

周りの友人を見渡しても、半分がフリーター(契約社員含む)、半分は正規で働いているが、そのほとんどがいつ辞めてもおかしくないような状態。ただ、辞められもしないが。

ある意味、みんな牢屋に入れられているようなもので、たぶん、4年後も5年後も10年後も何も変わらないだろう。みんな牢屋の中なんだから。

だったら、俺はちょっくら美大へ!

資格を取っておいたほうが有利だとか、将来のためにインターンシップをするだとか、在学中にコネクションをだとか、コンペに応募だとか、そんな、どうしようもない現実の為にやるような事は一切考えず、好きにやらせてもらう!この4年間こそは本当に脱出させてもらう。本当にフラフラする。見習うなら今の俺を見習え!

俺は今、裸婦を描いているんだ!何かの役になんか立たせるものか!俺のためだ!

9月29日(水)

大学には訳の分からない科目が沢山ある。

例えば、僕の受講している科目にイメージテクノロジーとゆう科目がある。略してイメテクと呼んでいるこの科目。これが、実にサッパリ分からない。時には特許の話、時には会社社会でのコネクションの作り方、時には占い。まったくサッパリだ。

しかし、その一方で、今まで経験した事の無いような、素晴らしい、文明論や文化人類学や民俗学とゆう興味深い科目があったりする。

まさに、訳が分からない。

ただ、困った事に、どうでもよい授業の先生に限って「単位の為だけに来ているのなら受講しなくて結構だ」とか「大学は自分自身の為に学ぶ場所だ」とか抜かして、毎回、バッチリ出席を取る。

授業内容も腐っていれば、先生も腐っている。いや、逆か。小学校の授業の方がよっぽど為になる。ウンコだ。

時間的空間的相関関係の提示から新たな発展への道を探る、壮大で素晴らしい授業もあれば、自分自身の為ははおろか社会的にも全く無意味なウンコ授業もある。

本当に大学は訳の分からない所だ。それとも、美大だからこうなのか?

とにかく、せっかく素晴らしい先生がいるにも関わらず、ウンコのような先生、いや、この際、ウンコと呼ぼう。ウンコのせいで大学に行くのが少し憂鬱になるのが腹立たしい。

9月30日(木)

僕の大学のスレッドがあるというので、久しぶりに2ちゃんねるを見てみたのだが、なんか、あれ、やっぱり2ちゃんねるってダメね。

読み進めていくうちに、どんどん悲しくなる。

退廃の極みとゆうか、愚劣な醜い争いとゆうか、とにかく、面白くもなければ、気分もどんどん悪くなる。ウンコだ。

日本人ってね、人間ってね、一体、何なんだろうね?

俺、平和のイベントとかやっている前に、なんか、こう、もっと身近な所で見つめなおさなきゃいけない所があるかもしれないね。

ホント、世の中、まだまだウンコだね。