大学の学園祭が終わった。
と言っても、僕は野外ライブ以外は何もやっていないし、野外ライブの日も大雨だったので、すぐに帰った。しかも、野外ライブに一緒に出演したのは中学からの同級生だ。
つまり、まあ、事実上、学園祭には参加していない。
今頃、みんなは、打ち上げだ、なんだ、と楽しんでいる事だろう。
まあ、俺は、また来年、とゆう事で。
うあ~ん!!
学生に返り咲いてみて、大抵の事に満足している。
時間的な余裕はあるし、多才な友人に出会うこともできるし、充実した学園生活もある。だが、一つだけ不満な事がある。
それは経済的な余裕だ。
金が無いのだ。
決して多くはないが、一定の報酬を貰っていた頃は、いくら金が無いと言っても、預金がゼロになる事は決して無かった。欲するものはすぐに手に入ったし、数千円程度なら気前よく奢ったりもした。
だが、バイトもそこそこにしかせず、おまけにローン持ちの学生が、その当時の調子で振舞ってしまえば、金も無くなる。
あたりまえだ。。。。
ただ、僕の学校以外の友人達は一定の報酬を得ている社会人なのだ。そんな彼らと遊べば、学生の僕は木っ端微塵だ。そりゃあ金も無くなるはずだ。
やはり、学生は学生らしくストイックに生活するか。ましてや、美大なんて、授業料も高ければ、作品制作にも何かと金がかかるのだから。
いや、このままでは学生生活を送る自信すら喪失してしまいそうだ。
馬鹿野郎!資本主義!
28歳にもなって大学生で、しかも、弾けに弾けた青春を謳歌して見事に散った、和田サン。俺も今の大学を卒業する頃には28歳になる。大学でもササキサンと呼ばれている。
学生生活をあそこまでアグレッシブに過ごしたあなたに聞きたい。
なんなんだ?お前は?
ある意味、尊敬するが、基本的には軽蔑だ。でも、凄いぞ、お前!
アグレッシブさだけでいいから分けてくれ。あとはいらない。
中学2年の頃、トイレットペーパーを自分の腕にどれだけ早く巻き上げる事ができるか!とゆうようなタイムトライアルが流行った時期がある。
新品のトイレットペーパーを保健委員が大便用の各個室に準備して、レディー!ゴー!の合図でそれぞれが一心不乱にペーパーを腕に巻き取る。そんな熱いレースだった。
ハッキリ言って、馬鹿だ。資源の無駄使いもいいところだ。トイレットペーパーにしてみれば無駄とゆうか無念だ。こんな事ばかりやっていたから、品川区の福祉教育費がどんどん削られるのだ。
だが、そんな馬鹿な競争に、ある時、風雲児が現れたのだ。
彼は、まず換気扇の羽根にトイレットペーパーの端を括りつけ、レディー!ゴー!の合図と共に、換気扇のスイッチを押したのだ。
すると、どうだろう、あっとゆう間にトイレットパーパーは換気扇に吸い込まれ、誰よりも早く、彼のトイレットペーパーは無くなってしまったではないか。
僕らはその光景を見て、呆然とその場に立ち尽くすほかなかった。
そして、僕らは一様に感じた。革命とはこうゆう事なのだ。と。
トイレットペーパー数十ロールと換気扇一台を犠牲にしたが、僕らはここから重大な事を掴み取ったのだ。
つまり、機転を利かせろ!だ。
それ以来、トイレットペーパータイムトライアルは廃れていった。だが、その後、次々と新しい遊びが発明されていった事は言うまでも無い。
そんなわけで、僕は最近、機転が利いていなかったのだ。つまらない、くだらない、と言う前に、機転を利かせろ!だ。
歳をとるにつれ、そうゆう単純で重要な要素をどんどん忘れていってしまっている自分が悲しい。
とにかく、出発点であるトイレットペーパートライアルから、また出直してみようと思う。
考古学のレポート課題のために上野東京都美術館の「フィレンツェ展」と世田谷美術館の「ヨルダン展」を観に行って来た。
「フィレンツェ展」は文字通り、フィレンツェが栄光を治めていたメディチ家統治のルネサンス時代がメインで、いわゆる、天才職人達が腕を振るった調度品や芸術品とゆうものが展示されていた。
「ヨルダン展」はヨルダンとゆう現代国家が主催で、現代のヨルダン地域に住んでいた人々の歴史的物品を年代別に紹介されており、いわゆる、考古学的な遺跡や調度品や民俗品が展示されていた。
両方とも、かなり興味深い展示品ばかりだったので、おかげ様で、いいレポートが書けそうだ。入場料は一般で「フィレンツェ展」¥1300「ヨルダン展」¥1200だったので、皆さんも一度行ってみるといい。オススメだ。
なんてね☆
誰が行くか!高すぎだろ!おいっ!
ルーブル美術館でさえ、俺が行った時で7フランぐらいだった気がする。日本円に直しても¥1000しなかったぞ。しかも、展示品はこの1000倍ぐらいだ。大袈裟じゃなくて。
一体、何を考えているのかサッパリだ。余生を持て余してる爺さん婆さんばかりが「まー、きれいねー」なんて眺めていても仕方ないだろ。何のための美術館だ?何のための博物館だ?
ブッシュの再選にしろ、楽天のプロ野球参入にしろ、駅前駐輪料金¥150にしろ、大きな事から小さな事まで、まあ、そうなるだろうなと思いつつ、なにか釈然としない事が世の中多すぎる!
うんこだ!
うんこ以下だ!
人間はなぜ恋をするのだろう。。。
遥か遠くの国、サウジアラビア。
名前はAisha。バイセクシャル。
戒律が厳しいはずなのに、なぜだかビキニ。
お金を払う相手以外興味無し。
分かってる!こんなもん絵空事だ!分かってる!
でも、俺は一目惚れ!
あぁあぁ~!
会員登録しちゃいそうだ!
大丈夫か俺は!?だから男は嫌なんだ!!
今日は早稲田大学の学祭に行ってきた。
早稲田の学祭は、革マル派のメンバーが学祭実行委員会内に潜り込み、学祭運営の独占や運営費用を組織活動資金に流用するなどの事件があり、6年間開かれていなかったのだが、それを危惧した学生達が有志で新実行委員会を発足し、名実共に学生主体の新たな学園祭が去年から再開したのだ。
そんなわけで、僕らの世代にとっては、早稲田の学祭?そんなのあったっけ?とゆうような感じだったのだが、以前から実しやかに囁かれていたこの学祭中止の真相を知っていた僕は、記念すべき早稲田祭再開とゆう事で、様子を見に行ってきた。
祭り自体は、6年間も開かれていなかったとゆう事もあり、かなり盛り上がっていて、普通の学生では呼べないような有名人や著名人をサークルレベルで招待し、しかも、有名企業のスポンサーも付けたりして、様々な企画を打っていた。はっきり言って、早稲田の学生の底力に感動してしまった。腐っても早稲田だ。
僕は美大に通っているが、今日の早稲田祭訪問を通して「クリエイティブとはなんだ?」とゆう事を深く考えさせられた。自治会すら無い美大の何が美術だ?形や物にしか拘れない美大の何が美術だ?フランクフルト1本売るのにイラク情勢を引き合いに出す売り子が美大にいるか?
全くもって、美大生危うしだ。
早稲田とウチの大学は単位互換制度があるので、来年から早稲田の授業を受けに行こうと思う。あわよくば、編入すら考えている今日この頃だ。近いしね。
ビバ!早稲田!
真平はここ最近ではかつてない財政難に陥っている。
学園祭の出演費用や秋休みの交友費、それに追い討ちをかけるバイク故障。もう、火の車だ。
やはり、学生は学生らしく。ストイックに生きるべきだった。。。。
さて、24歳にもなる長男を大学に行かせてくれるような恵まれた家庭に生まれた僕は、両親には大変感謝している。
世の中には学びたいのに学べないような境遇で、夢を諦めざるを得ない人も多くいる。そうゆう人に比べれば僕はアマアマの甘ちゃんだ。そうゆう人には頭が上がらない。今回の財政難だって、お気楽極楽にノホホンとやっていた結果だ。甘いのだ。
しかし、そんな僕だって、なぜ大学に行こうと決意したのか、自分の将来をどう考えているのか、自分なりに考えている。
ただ、そうゆう事を大真面目に言うのは気恥ずかしいので、あまり人には言わない。いや、今まで言った事がない。
ただ、この前、厳しい境遇を生き抜き、自らの夢を勝ち取ってきたようなアグレッシブな人から「君はこれからどうするんだい?」と、大真面目に聞かれた。普段なら「博士になります!」とか「ヌード専門の画家になります!」とか適当に応えて誤魔化していたのだが、そんな軽はずみな冗談は効かないような相手だったのだ。
そして、とうとう、シャイでアマアマな僕でさえ使いたくない手段にでてしまった。そう。
「分かりません」
出た!「分からない」出た!
逃げに逃げてしまったわけだ。
お金が無いより何より情けなかった。情けない。情けなさすぎて、もう、早稲田とかどうでもいい。掘り火燵の中で一生ぬくぬくと隠れていたい気分だ。そのまま干からびてしまえ。俺。
A型でしょ!B型っぽい!などと、唐突に聞かれる事がある。世に蔓延している血液型による性質判断だ。
僕はこの類いの性質判断をする人間に出会うと、いつも嘆かわしく思う。
あたかも科学的正当性を持っていそうなこの性質判断だが、この世の中の60億人の人間の性質が4種類しかないとお考えか?だとしたら、ずいぶん大雑把で傲慢なことだとは思わないか?本当に。
僕もずいぶんとステレオタイプな人間だが、血液の種類で人間の性質を判断するほどの傲慢さは持ち合わせていない。
まだ、星占いや姓名判断とかのほうが多様性もあるし、占いとして、可愛げがあってよいと思う。
とにかく、みんな浅はかすぎる。
僕はAB型なのだが、今まで、二面性があるだとか、変わり者だとか、几帳面だとか、独善的だとか、散々なことばかり言われる。でも、こんなもんは多かれ少なかれ誰もが持ち合わせている性質だと思う。
とにかく、血液型判断はやめてもらいたい。
気にしちゃうから。
彫刻の課題が始まってまだ3日。
もう僕の腕は上がらない。
150kgのコンクリートの塊を作る枠作りから始まって、コンクリを流し込み、固まるまで待ち、枠を取り外し、転がし転がし移動させ、今はひたすら彫っている。よりによって、羊を彫っている。
モチーフなんてなんでもよいのだが、羊って、ちょっと可愛いじゃん。そんな可愛い奴が、彫っているそばでウロウロしているから、気になって仕方ない。時々、メーっと鳴いたりするし。
あんなに可愛くてアンニュイな羊を頑丈なコンクリートに彫るなんて、けっこう至難の技なのかもしれないが、とにかく、今はひたすら彫っている。
ルネサンスの偉人ミケランジェロは「私は叡知に導かれて、石の中にひそむ芸術作品を取り出しているに過ぎない」と言ったそうだが、僕はこの新プラトン主義的な言葉に更に付け加えよう。
「私は叡知に導かれて、自ら作り上げたコンクリートの中から羊を取り出してみよう。なぜなら私は未(ひつじ)年だから」
つまり、俺は神だ!
イディアさえも創造する神だ!全知全能!
実際、今回の課題はそんな神的作業を伴うものなのだ。
そりゃあ、腕も上がらなくなるわけだ。
いやはや、もう、なんだか、ねー。
疲れた。
まあ、それは置いておいて。
大学入学勉強に本腰を入れようと思い、部屋にある本棚から漫画本を全て倉庫にしまい、換わりに、高校の頃に何かの時に役に立つだろうと友人から貰っておいた大学入試の参考書を引っぱり出してきて、漫画本が消えた本棚のスペースに並べた。確か、去年の今頃の事だったと思う。
今も本棚はその時のままの状態になっていて、この前、ふとその事に気が付いた。
いかん!スペースが死んでいる!
とゆう事で、また倉庫からの漫画本移動を徐々に進めてゆこう!とゆう事になった。
まず手始めに「JOJOの奇妙な冒険」とゆう漫画を倉庫から奪還してきて本棚に収めると同時に、寝る前に読み耽っている。
そして、面白い!マドンナ古文より面白い!
あの時の判断は正しかったのだ。あのままの状態で入試に臨んでいたら、古文の知識よりも波紋の知識ばかりで、受験に失敗して、今頃は佐川急便あたりで奴隷になっていただろう。
助かった。
参考書、捨てちゃっていい?
それとも返そうか?
学校を休んでしまった。
理由は、起きた時雨だったから。あと、寒かったから。いや、他にも色々な要因が重なって、休まざるを得なかったのだが、でも、その要因を作ったのは僕自身だ。
まったく、学生気分もほどほどにしなくては。
さて、武蔵野美術大学で特別に映像制作ユニット「哀愁もみじまんじゅう」の新作「闘え!愛の学ランソルジャー」の先行試写会を行なう事が決定した。当日は舞台挨拶も行なう予定なので、ふるってご参加頂きたい。
主演はこの俺、真平だ!
日程はまだ未定だ。
まったく、学生気分もほどほどにしなくては。
今週最後の授業であるフランス会話(初級)を終え、さて、帰ろうか、と12号館を出ると、クラスメイトが何人か立ち話をしていたので、ちょっと年増ではあるが、僕も混ぜてもらった。
年甲斐も無く、他愛もないことで盛り上がらせてもらっていたのだが、その中の一人が「次も授業だから行くね」とその場を去ろうとした。しかし、彼女は何を思ったのか、ロングブーツとセミロングのスカートとゆう出で立ちであるのに横着をして、ちょっと無理がある高さのところからショートカットを試み、案の定、大転倒した。
しかし、普段は「可憐」とか「儚い」と言った言葉が似合う彼女なのだが、その時、僕は彼女の「躍動」を見た。生物が本来持っている性質だ。
恥かしさもあったのか、転倒した彼女は数分間その場に倒れこんでいたのだが、皆から抱えられ、立ち上げられる直前に「もう、死にたい」と漏らし、大泣きしていた。
あれだけの躍動感を見せておいて、死なれちゃ困る。
必死に生きようとしてたではないか。
先日、僕は横浜の黄金町に行ってきました。この一帯は裏風俗、俗に「赤線」や「ちょんの間」などと言われている場所が21世紀の今でも残っています。
高架下と近くを流れる川に沿って立ち並ぶ半間ほどの店の出入り口兼ショウウィンドウの中で、赤いネオンに照らされた女性たちが、まるで商品のように整然と並び、店の前を通る人々に視線を送ります。
女性たちの視線に反応した人々は赤いネオンの中にどんどん吸い込まれ、どこかへいってしまいます。
化粧の匂い、お香の匂い、雑多な生活の匂い、ドブの匂い、そして、様々な国の言葉、つたない日本語、どこの国ともしれない音楽、空を見上げれば超高層ビル、空間的にも時間的にも歪んだ一帯。
何か懐かしく、何か新しい、昔見た光景。
そう、これはワープゾーンだ。
とゆうことで 来春 「ワープ展」 開催します。
今週末「くるり」とゆうバンドのコンサートに行く。
実は、僕、この「くるり」と言われるバンドの事は今の今まで全く知らなかったのだが、巷では、なかなかの人気があるそうだ。
そんなわけで、今、がんばって「くるり」の予習をしているが、別に、知ってても知らなくても支障の無い、そんなバンドのようだ。
まあ、でも、人からの誘いなので、失礼が無い程度に予習をしておこうと思う。
大学生ともなると、こんな予習もしなくてはならないのか。
大変だ。
ベストセラーやベストセールスなどの本やCDや映画を敢えて避ける僕だから、ディズニーやスノボーなんかも避けてしまうのだ。
でも、マイケル・ジャクソンとビヨンセは好きだよ。
ただ、最近、あのベストセラーで有名な養老所孟子の「バカの壁」と「死の壁」をたてつづけに読んでいる。
僕にしては珍しい。
ただ、前にも言ったと思うが、活字本のベストセールスにはあまりハズレがない。なので、この本も解剖学者の彼ならではの構造主義的見地から現代社会の矛盾について押さえているので、なかなか興味深く読ませてもらっている。
さて、そんな「バカの壁」から印象深い一句があったので紹介しよう。
「壁の向こうにはロマンスが見える」
ロマンス!?ロマンス!!見たい!
とゆうことで、WEB上で「ロマンシング展」開催します。
これは僕個人で行ないます。
洋楽の歌詞を訳して英語力をつけるとゆう英語の授業を取っている。一見すると、とてもユニークな授業で楽しそうなどと感じる人も多いと思う。
実際、僕も、面白そうだなと思って取ったのだ。
ところが、この授業で使われる洋楽とゆうのがマライヤ・キャリーだとか、ベビーフェイスだとか、シャーデイといった、一昔前の、しかも、甘い甘いラブソングばかりなのだ。そして、その甘ったるい歌詞を訳さなくてはいけないのだ。たぶん、僕が今まで経験した授業の中で、一番過酷な授業だろう。
明日がその授業だ。
一日を終えたとゆうのに、もう気が重い。
大学生ともなると、いろいろと大変だ。
泣いたり、笑ったり、転んだり、若いってゆうのは、真面目に生きているってゆう事だな、なんて、日々考えさせられる、今更キャンパスライフに華咲く、年増でニヒルな真平です。
さて、そんな若さに日々翻弄されている僕ではありますが、突如として映画鑑賞会に変わった英語の授業で、今日、不覚にも涙してしまった。
鑑賞した映画は「アルマゲドン」
この授業は先日お伝えしたとおり、なんともざっくばらんなのだが、それにつけてもなんともざっくばらんに、前回エアロスミスの曲をやったから「アルマゲドン」を見ちゃいましょう、と今日の映画鑑賞と相成ったのだ。
いつもクラスメイトの女の子2人と机を並べて受講していて、分からないところを教え合ったり、恥かしい歌詞の訳を発表した後などには照れ隠しにふざけ合ったりしている心強い仲なのだが、この時ばかりは「2人ともどこかへ行ってしまえ!」と白状な気持ちになってしまった。
年下の、女子に、学校で、おとぎ話に感動して泣いたところなんか見られた日には!!村八分だ!
しかし、なんとか、眠い振りをして目を擦ったり、机に突っ伏したりした結果、泣いている事は悟られなかったようなので、安心。
まあ、このように、大学は大学でいろいろと大変なのだ。
「アルマゲドン」が授業なのだから。しかも、字幕付だ。意味無い。
先日もお伝えした通り、本日、「くるり」とゆうバンドが出るイベントに行ってきた。皆さん、ご存知の通り、僕はこの「くるり」とゆうバンドをサッパリ知らなかった。そして、そうゆう無知の偏見から、あまり良い印象も持っていなかった。だから、実を言うと、今日のイベントはあまり乗り気ではなかったのだ。
だが、、予想に反して、この「くるり」、なかなかやるバンドではないか。
ちょっと見直してしまった。
しかし、「くるり」は「くるり」で良かったのだが、このイベントのオープニングを飾ったシークレットスペシャルゲストがまずかった。
何を隠そう、あの矢沢永吉が来てしまったのだ。
さすがに、永ちゃんのケツを持つには、「くるり」では役不足であったのは否めない。経験も年季もエロさも足りない。足りなさ過ぎる。。。
つうか、永ちゃんが凄すぎるのだ。
なんてったって、「抱かれたい☆」と俺に思わせるほどなのだから。
永ちゃん☆
ゴロピカドンとゆうサンリオキャラクターをご存知だろうか?
雷の擬音である「ゴロ」「ピカ」「ドン」とゆう3つの音をキャラクター化したサンリオの名作である。
僕はこのゴロピカドンとゆうキャラクターが大好きで、保育園の頃は欠かさずこのキャラクターのリュックや水筒やハンカチなどのグッズで全身を固め、登園していたものだった。
ただ、小学校に上がる頃になると、いたってファンシーなこのキャラクターは、どうも男子社会では受け入れられないとゆう事を直感し、次第にこのキャラクターから離れる事になってゆく。
それから十余年。僕はこのキャラクターの存在すら忘れていた。
しかし、このあいだ、ふとこのキャラクターのことを、ドリフターズのDVDを見ている時に思い出したのだ。そして、僕はなぜゴロピカドンをあれほどまでにこよなく愛していたのかをも知ってしまったのだ。
そう、もう、みなさんお気づきだろう。長さん、工事、ブー、の名作、雷様のコントだ。僕がゴロピカドンを愛好し始めた時期と、ドリフ大爆笑を見始めた時期がピタリと一致するのだ。
つまり、僕はあの頃、ゴロピカドンが好きだったわけではなく、ドリフの雷様コントが好きで、それをこのサンリオキャラクターに投影させていただけだったのだ。
俺の奥底に流れる、このドリフターズの精神。ドリフは偉大だ。
帰宅すると、すぐに2階の自室に向かい、部屋の明かりを点け、窓際のメダカの水槽に目をやる。
これが僕の日課だ。
だが、今日は何か様子がおかしい。
普段なら、光にビックリしてメダカ達が暴れ狂うのだが、今日はなんだか大人しい。どうしたのだろうか?水温の低下で動きが鈍っているのだろうか?
嫌な予感が胸を過ぎるも、近くに寄って、様子を見る。
すると、底の方でひっくり返って漂っているメダカ、水面にプカーと浮かんでいるメダカ、水草に縦になって絡まっているメダカ。
ヌォォォォォ!!!!!!なんなんだ!?!?!?!?
主の居ぬ間にメダカ同士のホロコーストか!?民主的に育てていたはずなのに!!!
半数近くのメダカが無残な姿となり、生き残っているメダカも半死半生でなんとかエラを動かしている感じだ。
とにかく、すぐに水を取り替え、さらなる犠牲は食い止めることができたのだが、水は日曜日に取り替えたばかりだし、餌もいつも通りやっていた。一体何が?
は~、ショックだ。しかも、原因が分からないのが凄く恐ろしい。
こんな時、テレビに映る宮沢りえちゃんの姿がなんだか凄く眩しい。
平原綾香とか言ったか?ホルストの組曲「惑星」の「木星」に歌詞をつけ大ブレイクをした歌手がいる。紅白にも出るそうだ。
この組曲「惑星」は、文字通り、太陽系の惑星一つ一つを題材にした組曲で、20世紀初頭に作られてはいるが、ルネサンス神秘主義の流れ受けた占星術の理念を元に作られた楽曲である。と僕は思う。
たぶんそうだ。
元々、占星術とは人間が空間や時間を把握するためにシステム化されたものだが、そのシステムが世界の把握と共に人間本来の復興のために応用されたのがルネサンスの神秘主義だ。
つまり、ホルストはこの「惑星」とゆう組曲によって、世界の真理、そして、人間自らの存在自体を体現しようと試みたArs(宇宙の真理)の追究者、正に語源の通りのアーティストである。と僕は思う。
たぶんそうだ。
「The Planets」
「惑星」
1 「Mars」 the Bringer of War.
「火星」 戦争をもたらす者
2 「Venus」 the Bringer of Peace.
「金星」 平和をもたらす者
3 「Merciry」 the Winged Messenger.
「水星」 翼の有る使者
4 「Jupiter」 the Bringer of Jollity.
「木星」 陽気さをもたらす者
5 「Saturn」 then Bringer of Old Age.
「土星」 老いをもたらす者
6 「Uranus」 the Magician.
「天王星」 魔術師
7 「Neptune」 the Mystic.
「海王星」 神秘なる者
曲目を見てもお分かりだろう。壮大なのだ。
しかも、この「木星」とゆう楽曲は「Jupiter」ギリシア神話では「Zeus」に当たり、かなり重要な位置を占める楽曲なのだ。つまり、Arsの核になっている部分なのだ。
さて、この組曲を知らなかった人には、今回のブレイクでは新鮮に聞こえたかもしれない「木星」だが、実は、クラシックに携わっている人にとっては昔から有名な組曲で、僕も昔、「木星」と「金星」を演奏した事がある。
この歌手は僕の友人が出た音楽大学のジャズ学科でサックスを専攻しているとゆう事だから、この楽曲に目を付けた経緯も頷けるし、そうゆう意味では、クラッシクは著作権も発生しないし、いい寝かせ頃だったし、癒し系の詞なんか付けちゃったりして、金を持っているオジ様ターゲットとしてはもってこい、なかなかヤルじゃないかとも思う。そして、そんな彼女がアーティストとか呼ばれ、もてはやされている。
凄い!凄いぞ!
でも、なんだこれ?
ホルストの壮大な試みがいかに無為にされているかが見て取れる。
もう!仕方ないので、真のアーティスト、この俺、真平がそろそろ重い腰を上げるしかないのか。。。
人間ってダメね。
来週、12月2日(木)、代官山UNITで行なわれるSamanthaThavasaのクリスマスパーティーに招待された。
SamanthaThavasaは日本でゆうところの「ギャル」をターゲットにしたアメリカのバックのブランドなので、たぶん、このパーティーにも、そういったゴージャスでセクシーな人たちが招待されているのだろう。
とゆう事は、あからさまに僕は浮く事になるだろう。でも、僕は行く。行かなければならないのだ。
なぜなら、BeyonceKnowlesがやって来るからだ。
あのBeyonceがやって来るのだ。彼女に会えるのだ。
行くしかないだろ!
オースティンパワーズでBeyonceに出会ってから早2年。僕がどれだけ彼女を畏れ敬い、恋焦がれてきた事か。
彼女に生まれ変われたらと何度願った事か。
僕の人生が大きく変わる。
たぶん、来週の木曜日はそんな日になるだろう。
たとえ、性転換をする!と言い出したとしても、誰も止めないでほしい。
それが俺の運命なのだから。
Beyonce!待っていろ!
最初の挨拶は「ナイストゥーミートゥユー!」だ!
いつからか、どこからか、つまらない事に悩まなくなった。決して強がっているわけではないのだ。本当に悩まなくなった。
たぶん、どうしようもない事が多すぎるのだ。そうゆう意味では、悩まないとゆうより、鈍感になってしまったとゆうのが分かりやすいのかもしれない。
どうしようもない事に悩む事が一番どうしようもないだろう。とゆう訳だ。
ただ、悩む事は止めたが、どうしようもない事をそのまま見過ごすのは気に入らないので、積極的とは言わないが、自分なりにどうにかなるように関わってゆくようにはなった。もちろん、自分の理想の方向にどうにかするためにだ。
ちなみに、俺の理想は皆に優しく働くようになっている。独善的な奴とは器が違うエコロジストなのだ。懐が深すぎて見えなくなっちゃうようなマクロな男なのだ。個人の利益のために、とかゆうミミッチイものではない。だから安心してくれ。
そして、そんな俺のスローガンは「皆に愛されたい」だ。
これに尽きるぜ。
明日も俺は日曜日なのにヒツジの飼育当番に行く。
なんて優しい俺なんだろう。愛される事請けあいだ。メー。
本当は、遅刻の罰当番だ。
愛されない事請けあいだ。メ~。
ヒツジ当番の帰り道、ふらっと寄った骨董屋にドーナツ盤のLPが一枚10円で売っていた。どんなものがあるのか、ちょっと覗いて見たのだが、これが宝の山!
筋肉マン、うる星やつら、クリーミーマミ、ミンキーモモ、グーグーがんも、みゆき、スプーンおばさん、らんぽう、意地悪ばあさん、はじめて物語、etc...、僕がモノ心ついたぐらいに放映されていた懐かしのアニメソング。こんなのもあったあった!とゆうような、忘れていた記憶の宝庫がそこにはあった。
とりあえず、今日は「うる星やつら」から記憶を甦らせようと、一枚購入した。10円だ。明日はクリーミーマミあたりの魔法少女系に挑戦しようと思う。これも10円だ。値段も当時の価値感覚と等価な感じで、これまた良い。
いい店を見つけたもんだ。
ちなみにラムちゃんの「だっちゃ」とゆう口癖は岩手弁だと栃木出身の子が言っていた。まあ、うん、どうでもいい。