十二月になった。一年もあと僅か。だが、今の俺にとって、そんな事はどうでもいい。二週間と少しで学校が終わる。大学生活4年間の1/4を終えようとしている。だが、今の俺にとって、そんな事もどうでもいい。
なぜなら、いよいよ、明日の晩、ビヨンセに会うのだ。俺の人生の中で過去に類を見ない大きな出会いが明日やってくるのだ。
この世界的スターを相手に、どう振る舞い、どう口説き落とすか、それが今の俺にとって一番の問題だ。
確か、小学校5年の頃だった。バレンタインチョコを20個近く貰った事がある。そんな、モテモテプレイボーイだったあの頃の俺を思い出し、全身全霊をビヨンセにぶつけてくるつもりだ。
待っていろ。ビヨンセ。
待っていろ。世界中のゴシップ紙。
明日、世界一の女神が俺に微笑むことになるだろう。
断わっておくが、俺は本気だ。
ビヨンセ。
やばかった。
もう、俺はこの世に思い残す事はない。
さようなら。みんな。
先日は、ビヨンセに遭遇した興奮や緊張から下痢になってしまい、あまり多くを語れなかった。気にして頂いた皆さまには大変申し訳なく思う。
さて、あの記念すべき夜の出来事である。
結論から言ってしまうと、ビヨンセと言葉を交わす事はおろか、5mも近づく事すらできなかった。つまり、僕が考えに考え抜いた作戦も威力を発揮するするどころの話ではなかったのだ。
まあ、世間ではこれを失敗と呼ぶのだろう。
だが、そんな事はもうどうでもいい。
ビヨンセは、見るほどに美しく、眩しく輝き、女神のように微笑みながら、あの晩、僕の目の前にいたのだ!その事実さえあれば、僕はもう充分だ!それぐらい素晴らしい晩だったのだ!
と、まあ、これだけでは、単なる負け惜しみにしか聞こえないだろうし、そんじょそこらのアホなファンの感極まった言葉にしかなっていない。
そこで、この千里眼真平が、ここだけの話、曇りない眼でビヨンセを見てみてどうだったのか?をお伝えしよう!実は、重大な発見をしてしまったのだ!
何を隠そう、あのビヨンセ、実は、人間だ!
俺は今まで、ビヨンセはアメリカの最新テクノロジーを駆使したサイボーグだろうと思っていたのだが、あれは人間だ。間違いない。あと、神様でもない。
ビヨンセ人間宣言!
これで、本格的にビヨンセとのアバンチュールを考える事が可能になった。実は今まで、ビヨンセは人間か?とゆうところで半信半疑だったのだ。
とにかく、来春、また来日するとゆう事なので、次に賭けよう。
ブラウン管の中でビヨンセを見初めてから、今では、実際に会って、人間であるとゆう事までつきとめるに至っている。着実に一歩ずつ前進はしているわけだ。チャンスは必ずやってくるだろう。
ただ、ビヨンセに四六時中付き添っている牛のようなSPは、たぶん、サイボーグだと思う。ターミネーターだ。次はあいつの攻略を考えなくては。
美大に通っているのに、僕は絵が上手くない。
でも、美大に通っているから、僕は絵を描ける。
今日、地域のバザー(バザール)があったので、僕はそこで似顔絵屋を出店させてもらった。
題して
武蔵野美術大学!
真平!
ピチピチ現役美大生!
似顔絵道場!
押忍!
もちろん、こちらが描かせてもらうのだから値段は無料にさせて頂いた。
僕の画力からみて、お客さんはあまり来ないだろう。いや、まだ、来ないのはいいけど、怒らせてしまったりはしないだろうか。と、僕自身、そして、バザーの関係者からも危惧されていたのだが、これが、予想に反して、かなり良い反応を頂いた。そして、多くの人からお金までも頂いてしまった。
なかなかじっとしていてくれないオジサンや昔の話に花を咲かせるオバアチャン。強面のニイチャンや化粧を直して来てくれたオバチャン。
「え~!これワタシ~!?」とか「お~!上手い!」とか「サインをしといてくれ」とか「髪を多く描いてくれ」とか「・・・・・・・」とか、とにかく、色々な反応があったのだが、一応、皆さん喜んで帰ってくれた。
最終的には、出店していた4時間の間(休憩時間含む)に、小学生からお年寄りまで、総勢30人近くの顔を描かせて頂き、1251円頂いた。
このままゆけば、似顔絵道場の門下生は右肩上がりに増えてゆくだろう。
自分の才能が怖い!
道場破り求む!
まあ、似顔絵といっても、この程度なのだが。相変わらず線はヨレヨレだ。
たぶん、すぐ看板を破られるだろう。
だが!道場破り求む!むしろ、早く破ってくれ。
今、学校でドローイングの授業をとっている。分かりやすく言うと、線のみで描いてゆく絵の練習。
授業は毎回とても丁寧に考えられ、ワークショップ形式で進んでゆく。だから、回を増すごとに面白さも増してゆく。特に、僕のクラスは真面目な子が多いので、久しぶりに僕も真面目に取り組んでいる授業だ。
この授業で使っているアトリエは二つの良いところがある。
一つは、半地下の隠れ家ようなアトリエに、この授業をとっている学生以外がやってこない事。
二つ目は、アトリエに猫が一匹棲みついている事。
朝日に照らされる色づいた木々のトンネルをくぐり抜け、この隠れ家のようなアトリエに入ると、猫が「ニャ―」と挨拶をしてくれる。なんて気持ちの良い一日の始まりだろう。
絵を描いている時も、ウロウロしていたり。ひょいっと机の上に飛び乗ってきて「ニャ―」と鳴たり。時には膝に上がってきて眠ってしまったり。モチーフの前に立ちはだかって毛づくろいを始めてしまったり。
困った子なのだ。
たまに、外に出たがるので、放してやると、すぐに戻ってきて、扉の向こうでずっと「ニャ―!ニャ―!」と鳴いている。困った子だ。
秋の冷たい空気。紅葉の暖かな光り。隠れ家のようなアトリエ。真面目で穏やかなクラスメイト。そして、猫。
こんな恵まれた環境の中で、自分を見つめ、他人を見つめ、人間について考える。
僕がずっと思い望んでいた事。それが、今、目の前にある。
もしかして、こうゆう事を幸せとゆうのかもしれない。
うちの学校には魅力的な女の子が多いと思う。女の子の絶対数が多いとゆう事もあるのだろうが、外見も内面も多種多彩にそれぞれが魅力的で、フェミニスト真平としても大変ありがたい限りである。
さて、今、ドローイングの授業を受けているとゆう事は先日もお話したと思う。線を描きつつも、線を描くにあたっての対象と自分との関係性も感じてみろとゆう課題だ。
面白い課題なのだが、やってみるとなかなか難しく、いろいろと試行錯誤しているところなのだが、なかなか思うようにはゆかず、大変だ。
そんな訳で、今日は他のクラスの作品でも見て、いろいろと参考にさせてもらう事にしたのだが、やばかった。
ナメクジに墨を塗って這わせ、その這った跡に線が残る。
題名は「ライフライン」。確かにドローイングだ。
その作品を見て、衝撃を受けている僕の横で、その作者の女の子は「死ぬな!頑張れ!」とナメクジを応援していた。もちろん、ナメクジに墨を塗ったのはその子だ。
俺はこんなドローイングを見たことが無い。
死に逝く生命の線。そして、作者はその死の加害者だ。
なんとゆう関係性の線だろうか。
腰を抜かした。
うちの学校はあらゆる意味で、魅力的な女の子が多い。
↑
友達がその作品を写真に収めたので、貰い次第掲載する。
↑
友達がその作品を写真に収めたのだが、誤って消してしまったらしい。すまん。
中国儒教には、自らの体内を自らで旅行する事で、内的宇宙を体現し、徳を高めるとゆうような思想がある。仏教で言うところの「悟り」から影響を受けた思想なのかもしれないが、儒教のほうは五臓六腑それぞれの冥府を訪ねるとゆうところでは少し具体的だ。
さて、今日の帰り道、荻窪を過ぎた辺りから、突然、体調がおかしくなってきた。まあ、具体的に言うと、便意なのだが。
皆さん、ご存知の通り、この便意とゆうやつには波がある。トイレに駆け込むチャンスがあっても、そうゆう時はスッと楽になるのだ。そうゆう時に、油断をして平気でやり過ごすと、また、とんでもない時にやってくる。
特に、今回、新宿の乗り換えの時にトイレに行っておけば良かったものの、さっきまでの苦しみが嘘のように消えてしまって、案の定、油断して行かなかったのだ。
そして、地獄がやってきた。
新宿を出た直後だ。ビッグウェーブがやってきたのだ。
僕はあまりの辛さから、自らの五臓六腑に旅に出た。冥界の扉が開かれたのだ。それは、悠久のようでいて瞬間でもあった。
気が付けば、渋谷駅に着いていた。
そして、僕は急いでトイレを探した。
だが、待てよ!過去、俺はここでトイレを探し当てる事ができず、失禁をしたのだ!嫌な予感が、頭を駆け巡る。が、その時だ!
男子便マーク発見!
そして、俺は過去の汚名を返上した。もう、渋谷では漏らさない。
つまり、内的宇宙の体現し、その先にあるものを俺は見てしまったのだ。そう、浄化された世界がそこには広がっていたのだ。
東北の方では雨乞い儀礼として女相撲を行なう地域がある。
日照りが続いて農作物が育たないと女が相撲を取る。すると、たちどころに雨が降るとゆうのだ。
では、なぜ、雨乞いに女相撲なのか?
一つには女性の巫女性に関係しているとゆう説がある。つまり、女性の持つ霊的な力が作用するとゆう考え方だ。
もう一つには類感呪術に関係しているとゆう説がある。つまり、女性の持つケガレが作用するとゆう考え方だ。
かなり端折ったが、詳しくは柳田國男や折口信夫の著書を読んでくれ。
さて、一方は女性の巫女性とゆう優性、もう一方は女性のケガレとゆう劣性が女の相撲が雨を呼び込むとゆう根拠になっている。
全く逆の根拠だ。
はて?
今日、クラスメイトの女の子が春から部屋を変えたいので物件を見に行きたいのだが、不動産屋がかなりセクシャルな発言をするとゆうので付添い人を探していた。
物件巡りは不動産屋が車で学校まで来てくれて、帰りは国分寺の駅まで送ってくれるとゆう事だったので、即座に名乗りをあげた。
そして、彼女はセクシャルな発言を受けなくて済み、僕はまんまと国分寺駅まで送迎され、無事に物件巡りは終了した。
目的は違えど、お互いの利益は得る事ができた。
つまり、女相撲の根拠もこうゆう事なんじゃないだろうか?
いや、大分違うような気もするが、いや、全然違うね。
ごめん。
ちなみに、究極のフェミニストを自負する俺としては前者の女性の巫女性説を奨励する。
最近、学校の図書館でずっと調べものをしている。
調べものをする以外にも、学校で悶々としたい時は、知り合いも学生も少ない図書館に行く事にしている。
そんな訳で、昨日も午前中、ずっと図書館にいた。
調べものの合間に、ちょっと面白そうな雑誌なんかをつまみ読みしたりして、なかなか楽しく過ごしていた。そして、そのつまみ読みをしていたドイツのグラフィック雑誌になかなか興味深い作品が載っていた。
StephanManelとゆうグラフィッカー(グラフィッカーってカッコいいね)の作品だ。現代的で都会的でスタイリッシュなグラフィック。野暮なところが全く無く、実に洗練された線のグラフィック。’60sポップカルチャーとアールヌーボーとエロを融合したグラフィック。モチーフも幅広く、かと言ってメインストリームは外す戦略的なグラフィック。
ハッキリ言って、今の流行にどっぷり浸かったグラフィックだ。
でも、僕はこの手のグラフィックが大好きだ。こうゆうベタなポップさが大好きなのだ。馬鹿にされてもいい。嘲笑されてもいい。俺はこうゆう普通な感じのお洒落さや可愛さや格好良さが実は好きなんだ!
もちろん、ミュシャとかクリムトも大好きだ!笑え!
冬休みはこの路線で修行しようとも考えている。
仕方ないだろ。好きなんだから。
先日開催された「闘えッ!愛の学ランソルジャー」の上映会は僕らの予想を遥かに越え、30名近くのお客さんにご来場頂き、計二回の上映を行なった。第一弾としては上々であったと思う。
上映会後は今回の映画を作り上げた「哀愁もみじまんじゅう」のメンバーで、ささやかな打ち上げ兼忘年会をとり行った。
当初は、ささやかな筈だったのだ。
深夜のバイトも控えていたので、2杯ぐらいで切り上げて、9時ぐらいには帰ろうと思っていたのだ。だが、気が付けば12時をまわっていた。終電は12時10分。間に合わない。
結局、ビールは4・5杯ぐらい飲んで酔っぱらってしまい、メンバーに絡み、そばにいた外人客(ウチの大学の先生だったらしい)に絡み、挙句の果てには終電を逃し、バイト先には迷惑をかけ、メンバー宅に押しかける始末だ。
なんとも学生丸出しの、無責任な夜を過ごしてしまった。
反省だ。
ただ、泊らせて頂いたお宅では、梅酒をご馳走になり、お風呂ではビダルサスーンのクオリティを味わい、民族衣装の寝巻きを貸してもらい、暖かい羊の毛皮の布団でぐっすり寝かせてもらった。
朝起きると、温かいミルクティーと爽やかな青リンゴと杏ジャム入りの美味しいヨーグルトが用意されていて、朝風呂まで勧めて頂いた。
学校からも近いので、登校時間までギターを弾き、ゆっくりウンコをさせてもらい、なんとも充実した、至れり尽くせりのお洒落な生活を体験させて頂いた。生活が充実しているのだ。
また来年「闘えッ!愛の学ランソルジャー2」を作って上映会をしたら、打ち上げの後は、またこのお洒落な生活を体験させてもらおうと思う。
あんなにウンコがゆっくりできる家は無い。
男女関係は複雑で、おおよその人はこの問題に関して、もの凄く素直に、そして、真面目に、そして、本気で向き合っている。
人間にぶつかってゆく姿勢として、とても健康的で、個人的には、とても良いことだと思う。
ただ、皆に言いたい。
本気(マジ)とゆう事がどんなものなのか知っているのか?と。
本気(マジ)とゆう事が傍から見てどんな状況に映るのか?と。
25歳を目前にした、私、真平が身をもって「本気(マジ)」とゆうものを表現してやるから、確と聞け!諸行無常の響きありだ!
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完全リスペクトで歌わせて頂いた
課題が山積みだ。たぶん、この二日間で僕は灰になると思う。
男の生き様を篤と御覧あれ。
ちなみに、燃えずに灰になるのでよろしく。
もちろん、ドン・キホーテの放火事件の犠牲者の方に配慮しての事だ。
僕はあの大量量販店ドン・キホーテが大嫌いだ。モノが多すぎるのだ。そんなドンキ・ホーテのずさんな管理の元で犠牲になった三名の方には心から御悔み申し上げる。
美術の世界を志し、予備校に入った時点から新鮮な事だらけで、大学に入ってからも新たな発見や驚きの中、いよいよ25歳を迎える真平は、漏れ漏れながらも、できるだけ吸収したものを留めておこうと、日々、努力してきた。
あれは、後期の始め頃、人体をモチーフに絵を描いていた。初めての人体モチーフに悪戦苦闘しながらも、精力的に描いていたのだ。
ところが、ある日、クラスメイトの女の子が、いつもより熱心な僕の姿を見て、「真平君、人体好き?」と話しかけてきた。
「人体好き?」だと?
人体っつったって、そんな、大袈裟な事を。と、ふと我に返ると、目の前には生身の人間の女性が。しかも、僕は堂々と一番前を陣取って、ひれ伏すように描いていたのだ。
俺は人体が好きなのか?
いや?人体なのか?ただ単に、女性の裸が好きなだけなのか?
それまで、遥か彼方に葬り去られていた煩悩が一挙に脳内を駆け巡る。
俺はエロだったのかっ!
そんなこんなで、明日、一年間の授業がすべて終了する。目まぐるしかった一年。楽しかった一年。思い残す事は何も無い。
不完全燃焼も燃焼のうちだ。むしろ、不完全の方が有毒だったりもする。僕はそんな猛毒を胸に秘め、元気に生きてゆこうと思う。
ありがとう!皆!ありがとう!猫たち!
僕の目が悪くなり始めたのは、高校を卒業した辺りからだ。それまでは、ずっと視力2.0を誇る千里眼少年だった。
ただ、悪くなったと言っても、日常生活に不便があるほどでは無かったので、メガネはかけていなかった。しかし、とうとうバイクやクルマの運転に不安を覚える程に悪くなってきて、メガネをかけはじめた。
あれから三年の月日が流れ、僕は会社を辞め、大学に入学し、25歳になろうとしている。その間、二つのメガネを紛失している。そして、今週、三つめを無くした。
もう、なんだか。
別に、人の顔とか、文字とか、分からなくてもいいや。とゆう感じだ。
人ってゆうのは、けっこうナマケモノで、けっこうウカウカしている。
つまり、不合理なのだ。
だから、予定帳なんか買ったりして、計画的に生きていこう!なんて思っていても、自分はおろか、周りの予定すらたたないから、結局、「」付きの未定な予定ばかりが乱立してしまう。
でも、そんな感じでいいんだと思う。
未定な予定ってゆうのは、けっこう主体的な予定が多いものだ。
うん。
主体性を持つと予定が立たなくなる不合理さ、人間らしいじゃないか。
養老孟子は「バカの壁」を設定する事によって、彼自身の考える向かうべき理想像(現実的な)について言及した。
「バカの壁」については賛否両論あるだろう。
ただ、養老孟子は自らのモチベーションとイディアルをあの本によって明確にした。あらゆる、見地があることを知りながら、敢えて彼はそこに言及したのだ。
まずは、自らの立場を明らかにする。それが一番大切なんだと思う。間違っていようが合っていようが、それが一番の個人の責任なんだと思う。
明らかにしなければ、間違っているのか、合っているのかすら分からない。
そうゆう意味では、人の事を考えた気になっているような、物分かりのある風体の奴が一番訳が分からない。手に追えなし、無責任すぎる。僕はそう思う。
まあ、つまり、酔っ払いが好き勝手に管を巻いてるアノ感じが好ましいのだ。酔っぱらって、やっと責任ある発言ができるとゆうわけだ。
人間とは不合理だ。
ワープ展の企画をさらに練る為、黄金町に再度足を運んだのだが、今日はどこを探しても、あの妖艶な薄紫色のネオンが見られない。
どうしたことか?と、近くにいた業界風のオバチャンに尋ねてみたのだが、言葉を濁すばかりで、結局、怪しいチンピラ達が寄って来て危ない雰囲気になりそうだったのでその場を離れた。
たぶん、僕の予想では、警察の一斉摘発があって、今は営業自粛をしているのでネオンは点けていないが、どの店(チョン間)も扉をノックすれば女の子はいるから、サービスもしてくれる。
つまり、裏の更に裏営業をとっているとゆうような感じなのだろうと思う。
ただ、そうゆう状態とゆう事もあって、今日の黄金町は町全体が神経質になっていた。普段とは一味違う独特な緊張感が町を覆っていた。
しかも、悪い事に、僕は女性の友人を連れていたため、かなり目についたらしく、すぐにヤクザに取り囲まれ、「お前らなんだ?ここで働きてえのか?」と、からまれた。
生命のやりとりを前提にした緊張感。それがあの町にはある。
表向きの表情から、もっと内へ突っ込んだ黄金町を見れたので、今日は大収穫だったと思う。命があって良かったし。
リラックスに対するアンチリラックス。
ワープ展はそうゆう方向性でも展開できそうだ。
「この町に関係ない女を歩かせるな!どうなっても文句は言えないぞ!」
最後に怒鳴ったヤクザの言葉が妙に耳に残る。
歪んだ空間がまだまだココ日本にも存在するのだ。そして、合理的な社会になればなるほどこの空間の歪みは更に複雑さを増してゆくのだと思う。
体調を崩した。身体の節々が痛い。
頭痛、吐き気、くしゃみ、鼻水、喉の痛み、全部が一気に押し寄せた。
寝る。
「このまま目をつぶっても、死にはしないだろう」なんて考えてしまう。
大分弱気なイヴの夜だ。
今日、弟が京都から帰ってきた。
帰ってきて早々「お前、キモイ」と言われた。
失礼だ。
だが、実際、二日間も病にふせていた兄の様相は「キモイ」以外の言葉で形容する事は無理である事を、二日ぶりの鏡の前で知った。
昨日から今日にかけてのクリスマスによる世界のエネルギー消費量は大変なものだと思う。
だが、地球の質量は一定だ。いかなる場合であっても消費の負担はしなければならない。その負担役が今年のクリスマスは僕だったのだ。
質量保存の法則だ。
自らの身を削って世界中に愛を。
俺は今年のサンタクロースだったのだ。
「キモイ」ぐらいどうってことない。
メダカが病気にかかってしまったようだ。
水温低下や水質悪化の影響による流行病「白カビ病」のようである。
そのまま放っておけば死につながる病だが、最近は魚用にも色々な薬が開発されていて、この病気も市販の抗生剤で水質を変えてやればすぐに治るそうだ。良かった。
こんな時、テレビに映る宮沢りえちゃんの姿がなんだか凄く優しい。
追記。
昔、ウチのバギー松木が、悪質な気分が訪れた時、表面上に現れる瞬間的な青カビ系拒絶反応的作品として「心菌病」とゆうおぞましい作品を作った事がある。
これだ
まあ、これに比べれば、まだ「白カビ病」など可愛いものだ。
まだ白いからね。
ディスティニーズチャイルドのジャパンツアーの間、ビヨンセがウチに泊ることになった。しかも、僕の部屋で僕と一緒に寝起きを共にする。
ツアー期間中は僕も大学が休みなので、ビヨンセのプライベートな時間は僕が管理する事になった。
願ってもないチャンス到来だ。
だが、最初の頃、まったく価値観の違う二人は衝突するばかりだった。しかし、共有する時間が多かったからなのか、運命付けられた相性からなのか、次第に二人はお互いを意識するようになってゆく。
そして、とうとう、お互いの気持ちがハッキリと分かった時、それはもう別れなければならない時になっていたのだ。時間とゆうものは残酷だ。
お互い愛し合いつつも、また別々の生活へ戻ってゆかなければならない一期一会のロマンス。最後の別れのキス。
そこで夢から覚めた。
なんとも、まあ、都合の良い夢だったが、なんとも、まあ、ディテールの細かいリアルな夢でもあって、目覚めた後も、数時間はボーっとしていた。
こんな僕は明後日で25歳だ。
「俺は!俺は何をやってたんだ―!」闘えッ!愛の学ランソルジャーより
セレブリティに想いを抱いたのは数知れず。セレブリティが夢に出たことも数知れず。だが、今回のビヨンセ熱はちょっと尋常でない。
ビヨンセ~。
雪。
25歳の誕生日。
なかなか良いんじゃないんだろうか。
うん。良いと思う。
雪。
2004年の年の瀬。
なかなか良い大晦日なんじゃないんだろうか。
うん。良いと思う。
今年も色々あった。目まぐるしいほどに色々あった。
だが、どっちかとゆうと反省ばかりが目に付く色々な一年だった。
これはマズイ。
そこで、2005年は今年の大反省を大いに活かし、今まで以上に有意義な年にしてゆきたいと思う。マズイだけではマズイから。
とゆう訳で、25歳、そして、2005年の抱負として、私、真平は一つの目標を掲げる。
来年行なわれる、フランス国立高等美術学校、ヘルシンキ美術デザイン大学への留学試験、及び、早稲田大学、明治大学への編入試験において結果を出す。
これが、2005年の目標だ。
有言実行の真平に乞うご期待だ。
まあ、4校受ければ大丈夫でしょ。とゆうような、軽い気持ちで2005年も行かせていただく。
来年もこんな真平をよろしく。