2005年 2月
2月1日(火)

70年代ってゆう時代はなんだか好い☆

僕もギリギリ70年代の生まれだけど、70年代を過ごしたのは3日間だけ(PROFILE参照)だし、もちろん、そんな頃にモノ心なんてものもありゃしなかった。

だから、実際どんな時代だったのかなんて事は知らないけど、今現在残っている記録や資料だけを見てみても、なんか、とても、好い☆

どこが好いのかを具体的に言うのは難しいけど、当時の若い人達はとにかく貧乏で、貧乏なんだけどなんだか楽しそうで、夢や希望があって、でも、それはそんな大それたものでもなくて、健気に強く生きていて、とにかく、最低限の中でも生きてゆける術を持っていたんだと思う。

そうゆう僕らには持ち得なかった何かがあった時代だから、僕はとても興味をそそられるんだと思う。

例えば、今の若者は4畳半のアパートで暮らせる奴なんかいないだろう。共同便所で風呂なしなんてありえないだろう。しかも、彼女となんかそんな所で暮らせないだろう。僕だって暮らせない。

それって、よく経済事情の差だとか、時代の流れだとか、価値観の推移だとか言われるけど、僕は、なんか、もっと大事なものの差のような気がする。

じゃあ、それは何だ?って聞かれると、また困ってしまうんだけど、それを上手く言い当てる言葉が一つだけ思い浮かぶ。

「ロマン」

うん、ロマンだよ!浪漫!

だって、今現在、ロマンを感じて生きてる奴はいるか?いないだろ!

やっぱ、ロマンなんだよ!浪漫!

70年代には「ロマン」が存在していたんだよ!

マロン。  じゃないよ。。

2月2日(水)

僕はあまり旅行には行かない。

出不精と言ってしまえばそれまでだけど、別に旅行に行きたいと思う欲求が無いのだから仕方ない。

じゃあ、実際、どれぐらい旅行に行ってないかとゆうと、まず、去年は一度も行っていない。更に言うと、一昨年も一度も行っていない。

たぶん、最後に旅立ったのがアメリカだと思う。それ以来、旅行に行っていないから、3年間ほど旅行へは行っていないことになる。

誰かに誘われれば、皆でどこか行くのも悪くないかな?なんて思う時もあるけど、自発的に旅行へ行きたいなんて思うことはまずない。

旅行といえば観光だ。

「〇〇の〇〇はとっても綺麗だったよ!日本では絶対味わえないね!」

なんてゆう海外好きのヘビーツーリスト(主に女性)がよくいるけど、ツアーでどこかへ行くってゆう気が知れない。

テレビでも良いんじゃないか?

更に言うと、今まで僕が行ってきた観光地の観光スポットで「こりゃあすげー!」と思ったことが一度も無い。

いや、ナイアガラの滝は逆の意味で凄かった。すげーちいせー。

旅行といえば温泉だ。

「温泉入って、のんびりしたい!」

なんてゆう癒されツーリスト(主に女性)がよくいるけど、わざわざ温泉に入るためにどこかへ行くってゆう気が知れない。

自宅じゃダメ?銭湯は?

更に言うと、僕は温泉に入れない。鉱泉の刺激が強すぎて僕の身体がついていかないのだ。のんびりなどしていられない。

そうゆう意味では白骨温泉なんて良かったのかもしれないけど。

旅行に行く気になれないネガティブな例をあげてみたけど、やっぱり、もっと根本的な、自分の住んでいる以外の場所に泊りに行って、どうすんの?ってゆう疑問が一番大きい。旅行そのものの意味が本当に分からない。教えてくれ。

特に、バックパッカー、あんたらは何なんだ!?

ちなみに、僕はこの休み中に東南アジア巡りを敢行しようと思っていたのだが、経済的な事情と天変地異的な事情で、夢なかば断念せざるを得なくなった。もちろん、これは旅行とゆうものを理解するための、なんとも前向きな計画であったのだが。

旅行。

2月3日(木)

以前勤めていた建築模型会社では、毎回違った建築物の模型を作らなくてはならなかったので、技術的な面での一定の約束や技法はあったけど、毎回新しく、模型ごとに工程や段取りを練っていたし、その模型を担当する人によっても、自らの特性を活かした工程で作業を進めていた。

作業の質上、それが最もやり易かったからだと思う。

ところが、ある日、社長から全ての段取りをマニュアル化して時間的にも経済的のも空間的にも人材的にも効率的に作業ができるようにしてゆきなさい、とゆう御達しが下された。それは制作部門だけではなく、営業や経理など、会社全体の動きとしての御達し、まあ、命令だったらしい。いわゆる合理化とゆうやつだ。

そして、僕はその影響で新しく設立された規格開発部門に配属された。まあ、合理的な作業マニュアルの企画立案をする部門とでも言えばいいのだろうか。普通に考えれば、入社一年にも満たない新入社員としては大抜擢なんだと思うし、実際、そこに配属された人達は社内でもキレ者で通っていたような人達だった。未だに、なぜ僕がそんな部門に引っ張られたのかは分からないけど。

以前は、行事ごとに社内で「花見」だとか「花火大会」だとか「餅つき大会」なんてゆう企画があったりして、会社の庭に臼を持ち出して「ヨイショー!」なんて掛け声をかけて餅をついて酒を飲んで、社員同士ワキアイアイと楽しく参加していたりしたんだけど、その合理化路線に会社が向かい出してから、社内の雰囲気はガラリと変わった。もちろん、そんな社内企画だって無くなった。尊敬していた先輩や上司はバタバタ辞めていっちゃうし、社員同士の対立も激しくなるし、社内全体がギスギスした感じになっていった。そして、その元凶となっている合理化の先駆的な部門に自分が加わっている事がとても嫌だった。

だから、僕も辞めることにした。

さっき僕は豆まきをした。僕の家は節分には長男が豆まきをするってゆう仕来りが残っている。今、その会社の内部事情がどんなものなのかは分かりかねるけど、今頃、あの会社でも皆で豆まきをして、皆で酒でも飲んでいればいいのだけど。

そんな残業があってもいいと思うよ。豆まき残業。

2月4日(金)

間の筋道なしに一気に物事の理解が進んでしまう。

これが僕の基本的な思考順序だ。

まあ、ワープみたいなものだから思考も順序もなにもないのだけれど、とくに大きな判断ミスをする事もないし、あながち憶測とも誤解ともひとくくりにはできないし、なんだか自信もあるので、そのまま放置していたのだが、その理解の内容を誰かに伝えるにはちょっと問題が出てくる。

例えば、こうやって毎日日記なるものを皆さんに公開するにあたって、頭の中ではもの凄く密接に繋がっている部分でも、それを言語化するってゆうのはなかなか難しいし、なんせ、筋道が飛んでしまっているから説明もなにもないのだ。でも、やっぱり何かしらの方法で表現しないと伝わらない。ここでは言語で表現しなくてはならない。悩めるところだ。

例えば、就職活動に従事した人なら分かると思うだろうが、集団面接や集団討論といった入社試験みたいなものがけっこう最近沢山あったりして、その中でなんだか弁の立つ奴がいたりする。

しかも、そうゆう奴に限ってとてもムカツク奴だったりするんだけど、やはり、そうゆう場でのコミュニケーションの方法は言語でしかないわけで、僕はとてもその部分が弱い。

だから、そうゆうムカツク奴が言い放っている事に対しての矛盾なんてボロボロ出てくるんだけど、頭の中で留まってしまってなかなかそれを言語で言い返す事ができない。そんな風に考えている内に試験終了になってしまう。悩めるところだ。

ただ、例外的な時がある。

それは酔っ払った時だ。酔っぱらった時は違うのだ。

頭の中の出来事とそれを表現する言語とを非常に素早く的確に結びつける事ができるようになる。次から次へと頭で考えている事が口から出てくる。しかも、そうゆう時は脳の動きがビジュアル的にもズバズバと手にとるように見えてくるようになる。

こうなったら俺は怖い。自分でも恐ろしいぐらいキレキレトークができるようになる。天才的だ。

だから、常に酔っぱらっているような状態を作り出せばいいわけだ。うん。決まった!悩み解決!

まあ、酔っぱらって、そんな気分になっているだけなのかもしれないけどね。

2月5日(土)

銀河・L・ベンダー

サイキック歌謡コンサート「君の瞳は泥棒じゃん」

http://www1.cts.ne.jp/~shimpei/man.htm

2月25日(金)

入場17時30分~

上演19時55分~(約30分間)

場所 渋谷GIGANTIC http://www.gig-antic.co.jp/

出演

バギー松木

イニシャルR・Nの女

ササ・パーソナルZ

JUDY

町田

etc

事前にお渡ししているチケットをお持ちの方は入場料無料になりますが、ドリンクチャージ料として500円が別途で必要になりますのでご注意下さい。チケットをお渡ししてない方も、事前に私、真平に連絡を頂ければ、手配いたしますので、どしどしお申しつけください。

尚、当日のお問い合わせはご遠慮ください。

とまあ、私の加盟しているバンド「銀河・L・ベンダー」のライブ第2弾が行なわれる事になった。楽しみにしてくれている人も、むりやり招待された人も、ぜんぜん知らない人も、とにかく皆さんに来てもらいたいし、楽しんでもらいたいと思う。そして、そんな我らの願いから入場料も破格の無料にさせて頂いた。

来てくれ。つうか、来い。損はさせない。

2月6日(日)

先ほど、会社から帰宅したら、僕宛にこんなモノが届いていた。

金の天使なら1人、銀の天使なら5人で貰えるアレだ。

僕はとても甘いモノが好きで、特にチョコには目がないのだが、なぜか森永のチョコはあまり好んで食べないし、大ヒットしている「DARS」や「小枝」なんかもあまり美味いと思わない。

ましてや、「チョコボール」なんて邪道だと思っていたぐらいだ。中の小さな豆が非常に気に入らないのだ。

そんな、チョコボールも食わなければ、天使印も見たことがなければ、プレゼントに応募したこともない俺に、こんなモノが届くわけがない。ハッキリ言って、このお届けモノは全く身に覚えが無いのだ。

誰だ!?何故だ!?悪戯か?嫌がらせか?それとも、ご褒美か?

いったい誰がこんなことを。。。。

でも、キョロちゃんはちょっとカワイイかもしれないな、なんて、愛着が湧いてきたりもしている。

2月7日(月)

新しい環境に身を置き始めた頃って「あ~、自分は一体何をやっているんだろうか」なんて、ふと思ったりする事がある。まあ、新しい環境でなくても、思うことはあるけど、新しい環境のほうが身に染みて思う。

それとはちょっと違うんだけど、似たような感じなのが、小説家の顔写真を見た時だ。特に表立って露出しない作家の顔を見た時は「あ~、こうゆう人が書いた物語だったのか」なんて思う。自分が好んだ物語であればあるほど思う。

両方とも、ちょっと違うんだけど、ちょっと似ている。その、ちょっと似ているってゆう部分が自分の「期待」なんだと気が付いた。

ふむふむ。実に無責任。とゆう事だ。

まあ、人に期待を抱かせるとゆうのは凄いことだと思う。本当に。

2月8日(火)

「ある程度の馬鹿ができる相手じゃないと私付き合えないんですよ~

 だって、気を遣って付き合うのなんて嫌じゃないですか~」

と、まあ、つまらん職場だと思っていたが、侮ってはイカンとゆう事だ。面白ネタはいくらでも落ちている。よく見れば興味深い職場なのだ。面白い事を言う人がいたもんだ。

しかし、面白ネタだと思って聞いていたら、別の人が

「そうだよね~

 やっぱりツマラナイ男はダメだよね~すぐ飽きちゃうよ~」

ん?なんで真面目に返してんだ?突っ込まないの?

冷や汗をかいた。

もしかしたら、こうゆうぶっ飛んだ発言が今の主流なのか?

すると、また別の人が

「うんうん そうだよね

 楽しくなかったら意味無いもんね~人生損しちゃダメだよね~ほんと」

どうやら正気らしい。

まだ社内では新参者の僕には何も言えなかったが、皆さん、僕の心の内を察してくれ。

エマージェンシー!

↑今日の俺の「血沸き肉踊る」感じ

2月9日(水)

今日は休み。

メダカの水槽を掃除して、部屋の掃除をして、このサイトの仕様を少し変えようと思ったけど良い案が浮かばなかったので断念。

お腹が空いたので、今修行中のラザニアを作って、笑っていいともを見ながら食べる。なかなか美味くなってきた。もう少し。

午後はビデオを借りてきて家で鑑賞。鑑賞が終わったらJ‐WAVEを流しながらベットで横になって読書をする。

ここ四年ぐらい、休日の使い方は大体こんな感じだ。

どこかへ出掛けるわけでもないし、何かやりたいことがあるわけでもない。その日、目に付いた身の回りの事を片付ける。友人から遊びに誘われる事もほぼ無い。

せっかくの休日を無為に過ごしてしまっているんじゃないだろうか?なんて思うこともあるけれど、僕はこんな単調な独りっきりの休日がなかなか好きだったりする。

だから、両親から、そろそろ本当にうちから出て行ってくれないか?と言われた時も、案外すんなりと受け入れられた。確かに、そろそろ実家で過ごすのは限界な感じがしたのだ。

両親からは今までも同じような事を何度も言われたけど、経済的な不安もあったし、地元から離れる不安もあったし、第一、実家は楽だったしね。今でも同じような不安はあるけど、やっぱり僕自身、自分の思うように時間を遣いたいと本気で感じているんだと思う。

一人暮らしをしている人にしろ、実家でお世話になっている人にしろ、実家を出る事のほうが自分の時間が無くなって、好きな事が出来なくなってしまうと感じている人が多いと思うけど、今の僕はちょっと違う。

本当に自由な時間なんて実家なんぞには無い。明確な希望を持った者にとって、人から与えられた有余など無意味なのだ!

真の意味の自由な時間は自らもぎ取るしかない。自由に貪欲になった俺を見るがいい!

↑今日の俺の「自由意志に燃える」感じ

ただ、根本的に淋しがり屋の僕は、分け隔てなく、皆に新居の所在を教えるだろう。遊びに来い!

2月10日(木)

夜の10時に仕事をあがって、友人から「飲みに来い!」とゆうメールが入ってる。しょっちゅうある訳ではないけど「飲みに行きたいな~」なんて思っている時に限って、そんなメールが来ていたりする。

いくら、人付き合いが悪い僕でも、きっと、僕がこの町を出たら、そうゆうメールは一切なくなると思う。

とっても些細な事かもしれないけど、この些細な事柄が、自分にとって、とても重要だったりしたりもする。そして、こうゆう事が無くなる事が、もの凄く怖かったりもする。

とっても些細な事なんだけどね。

自分の弱さかもしれないし、強さかもしれないけど、そうゆうモノを全て切り捨てなくてはいけないのかな?なんて思うと、やっぱり25年間を過ごした町を離れる事は惜しい気がする。

なかなか、微妙な時期ではある。とゆう事だ。

遅咲きの決心も、なかなか辛い。

2月11日(金)

そうか、今日は祝日か。

まあ、実は今は春休みでもあるのだけど、やっぱり、学校のような規則的な社会に属していないと、曜日感覚ってあんまり必要が無くなる。ましてや、祝日など意味が無い。いや、無駄だ。

曜日感覚すら無くすようなメリハリの無い日々(疲労だけは溜まるけど)を過ごしている僕は、記憶のほうもどんどん曖昧になってきていたりしていて、昨日、何を食ったかなんてまったく覚えていないような状態だ。やはり、学校に通って、多彩な人間関係に触れているほうが、あらゆる意味で良いのかもしれない。

そう言えば、僕は学校から家も遠いので、長期休み中に学校の友人と顔を合わせた事が無い。まあ、それほど親交深い友人もいないのかもしれないのだが、それでも「みんな今頃何をやっているのだろうか」なんて、喫煙室で一人淋しく煙草を吸っている時に考えたりもする。

冒険でも、したいな。

2月12日(土)

友人のゲストハウスでパーティーがあるとゆう事なので行って来る。

ゲストハウスってゆうのは、簡単に言うと、一つの物件を何人かで折半して借りる方式をとる賃貸物件の事を言うのだと思う。まあ、色々バリエーションはあるようだけど。

海外ではよくとる賃貸形式で、ルームメイトとかハウスメイトなんてゆう言葉もゲストハウス形式で住んでいる人が多いから発生したような言葉なんだと思う。日本語だと同居人。なんか、切ない。

まあ、そんな訳で、今日行かなければならないゲストハウスは外国人が大半を占めるけっこう大きなゲストハウスなのだそうだ。もちろんハウス内の公用語は英語だそうだ。

ウチの近くにそんなものがあったとは驚きだ。

しかし、行きたくない。

いつだったか、酔っぱらった勢いで「俺もゲストハウスのパーティーに呼んでよ!」なんて言ってしまってから、パーティーがある度にいつも声を掛けてくれるのだけど、ずっと何かしらの理由をつけて断わっていた。

だって、英語なんか喋りたくないもん。

しかし、そろそろ、一度ぐらい顔を出しとかないと気まずい感じになってきているので、今日、意を決して行く事にした。

「ハーイ!」とか言われたりするんだろうか。俺も「ハーイ!」と返さなくてはいけないのだろうか。異文化は怖い。

とにかく、まあ、早く酔っぱらってしまおうと思う。そして、お得意の失禁でも披露すればもう二度と呼ばれないだろう。

しかし、なんでパーティーなんかやるのかね?

未確認情報なのだが、女の子がいるらしいとゆう事がせめてもの救いだ。キルスティン・ダンストみたいな子でもいいから。

2月13日(日)

仕事帰りに、また、飲みに行ってしまった。

昔は、飲んだら不平不満をぶちまけるただの酔っ払いだった。まさしく、オヤジ的な。でも、最近の僕は違う。違うと思いたい。

科学的には、アルコールを摂取すると脳の活動が麻痺すると言われているが、僕は逆に、脳の一部の活動が抑制される事によって、ある部分が活性化、乃至、解放される事があるように思う。

例えば、牛乳を摂取する事によって、胃の粘膜を強化するビジュアル的ビジョンが見える事のように、こんにゃくを食べると腸を掃除するこんにゃくの姿や、温泉に入ると成分が体内に吸収されるビジョンが見えるように、酒を飲む事によって、脳内の不要な(不要とは一概に言えない)部分が抑制され、その影響で、新しい見識の認識が見出されるとゆうような事はよくある。そういったビジョンが見えるのだ。僕に限ってかもしれないが。

とにかく、チョコは嬉しい。

さっき家路に着いたのだが(25時45分)机の上にチョコが置いてあった。今年初めてのバレンタインチョコだ。チョコの甘さから愛のビジュアルが浮かぶのはこの時期特有の事なのだろうか?

最近、ウチの近くにゴディバが進出してきたので、品川っ子はゴディバ一色だ。ベルギーから遥々だ。ベルギーの事なんか何ひとつ知らない。

ちなみに、先日の異文化交流飲み会では色々あったのでまた報告する。異文化コミュニケーションとは非常にビジュアル的だ。

2月14日(月)

一時間おきに机の上にチョコが置かれる。周囲の男性社員の机を見ると、やはり、同じようにチョコが置かれている。なるほど、これがオフィスでのバレンタインデイのあり方なのか。義理チョコでもない。礼儀チョコだ。

ある一定の距離感を保つための礼儀的なチョコ。それが、オフィスでのバレンタインデイなのだ。つまり、チョコ以上の気持ちは何も無いとゆう事を示すチョコなのだ。

鼻血も出ない。

昔、ウチの近くの神社のお祭りに親指の無いソースせんべい屋のオヤジがいて、せんべいのトッピングにチョコを注文すると「ベトコンチョコ♪ベトコンチョコ♪」と歌いながらチョコをトッピングしてくれた。

ベトコンチョコって.....

ちなみに、友人がベトナムに行くとゆうので、ベトコンチョコを買ってきてくれと頼んだんだけど、ベトナムにはそんなチョコは無いらしい。

今思い返すと、たぶん、ベトコンチョコってゆうのは吸うと気持ち良くなるチョコの方だったんだろうなと思う。いいチョコだ。鼻血も出る。

2月16日(水)

「君の瞳は泥棒じゃん」

次回ライブのテーマだ。

振付師としては、非常に頭を悩ますテーマだ。

まず「君の瞳は泥棒じゃん」とゆう情景を思い浮かべなくてはならない。つまり、僕の経験の上で、泥棒的な瞳を持つ何者かを思い浮かべなくてはならない。

初恋の君か?初体験の君か?パンツを盗んでいた君か?いや、それでは本当の泥棒になってしまう。

僕の経験上、心を奪われる瞳を持つ者と言えば、

とまあ、ここまで書いたが、突如おとずれた大地震によりメダカの水槽が倒れた。大惨事だ。復旧作業に徹する。

2月16日(水)

今まで学生生活に甘んじた日々を送っていた者が、久しぶりに集中して働くと、気が付かないところで、けっこう疲れていたりするもんだ。おかげで、今日もせっかくの休日だったのに起きたら1時をまわっていた。そして、笑っていいともを見逃した。しかも、外は雨。

昔、秋葉原におけるアニメと電気の関係性を独自に解明した事があったのだが、昨晩、友人からの「秋葉原にはなぜアニメと電気があるのだろうか?」とゆう疑問に対して何ひとつ答える事ができなかった。なぜなら、解明した事を全て忘れてしまっていたからだ。

知らず知らずにいろんなモノが溜まり、いろんなモノが抜けてゆく。特に歳をとると、いらないモノはよく溜まるし、欲するモノはよく抜けてゆく。

哀しい事だ。

でも、哀しいとゆう事は哀愁が漂うようなオヤジに近づきつつある証拠でもある。そう考えるとちょっと嬉しい。

でも、今日行った韓国料理屋の韓国人のあんちゃんに「あなたイイ男ねー、韓国ならアイドルになれるよー」と言われた。

アイドルか。

まだ哀愁が足りない証拠だ。哀愁はストレートだ。

2月17日(木)

地元では、絶対に、誰かしらがどこかで飲んでいる。強調するようだけど、絶対に、毎日、誰かが地元のどこかで飲んでいる。間違いない。僕の住む500メートルの範囲で誰かが飲んでいる。誰かに連絡をとれば、誰かに会えるとゆう事だ。しかも、地元なので、少なくとも10年来の仲なのだ。気の置けない仲なのだ。安心なのだ。

例えば、田舎の地元的な安心感に没した少年がその安心感を拒絶して都会へ飛び立つなんてゆう物語がよくあるけれど、都心に住んでいる僕らのような人間は、いったいどこへ飛び立てばよいのか?危機感を持っていてもどこに飛び立てばよいのか?海外か?なんて事にはよく直面するし、実際にそうゆう事が主な話題として中心軸になってくる。しかも、突破口として海外に飛び立つ人は実際に多い。

ただ、海外へ飛び立った人の多くは戻って来る。突破口を見出せなかったからだ。しょせん、海外といってもシティーボーイの僕らにはたかがしれているのだ。全ての矛盾は東京にある。

つまり、東京で育ったシティーボーイには飛び立とうとする場所さえ、飛び立つ事への夢さえ残されていないのだ。海外すらも、この都市東京では意味をなさない。

シティーボーイは一歩進んだ悩みを抱えているのだ。

つまり、僕らはどんな立場であれ、時代の最先端を独自に突き進まなければならないのだ。逃げる事さえ許されない、追い求める事さえも許されない存在なのだ。バックミラーなんて必要ない。

俺に着いて来い!そんなところなのだろう。痩せ我慢でもそうするしかないのだ。

ならば、着いて来い!そう言うしかない。

着いて来い!

2月18日(金)

業務上、九州地方に電話をかける事がよくある。

「じゃあ書類ば書き直して、もっぺんファックスば送りますけん。よかとですか?」なんてゆう言葉にも接する。老いも若きも関係なくこんな感じなのだ。

「うん。よかと、よかと。」なんて、つい言ってしまいそうになるが、そこは俺も東京人。「ええ、そうして頂けますと大変助かります。よろしくお願いいたします。」とスタイリッシュにかわす。

こうしてみると、東京の言葉は何の味わいも無い事がよく分かるね。

前にも書いたと思うが、僕はあまり旅に出たことがないので、地方の言葉にあまり馴染が無い。

だから、外国人が外国語で話している事よりも、同じ日本人が少し違った言葉を使っている事の方に凄く驚いたりする。

特に、電話だとなおさらビックリする。そして、その相手が若い女の子だった日にはとんだカルチャー的ショックだ。

ただ、山手線と首都高速の狭間にあるオフィスで働く僕と九州のどこかで働いている君。その大きく隔たる距離を繋げるこの瞬間。いくら業務と言えども、ちょっとラブロマンスな香りが漂うこの瞬間が僕は大好きだ。だから、どんどん電話をしようと思う。

4月頃には九州弁フェチになっているだろう。

こないだ、電話口に小さい女の子が出て「パパにかわると?」と言われた時は、かわらないでくれ!なんでもいいから九州弁を!九州弁をもっと言ってくれ!と本気で思った。

2月19日(土)

来週のライブ。

たぶん、僕の経験の上、今までにない壮絶なライブになると思う。

「来週ライブあるから来てよ!」なんて気軽に誘えない。

「え~!楽器何やんの!?歌うの!?」なんて聞かれた日には何も答えられないし、「すごーい!バンドやってるんだ!カッコいい!」なんて言われた日にはシュンとなってしまう。それぐらい壮絶だからだ。

歌うには歌うし、演奏するには演奏するけど、決してカッコいいものではない。高校生や二十歳前後の羞恥心と自尊心溢れる僕だったら絶対にできなかったような壮絶さだ。

こないだ、ゲストハウスのパーティーに行った時も、僕らのバンドの説明をしているうちに「で、結局お前らは何をやるんだ?」とゆうような質問に至るまで説明がつかなかった。「お前、馬鹿にしてるだろ?」なんて話にまで至るほどだ。

そう、率直に言うと馬鹿げた事をやるのだ。だから、入場料も無料にした。金を貰うと本当に馬鹿な事ってのはできないからだ。

馬鹿な事ってゆうのは、誰にも頼まれず、誰にも期待されず、ただ己の内から湧き出すものを形にしてゆくとゆう事だ。そこに金などとゆう媒介物は必要ない。

例えば、今現在、クリエイティブな仕事を目指す人間の多くが「自分の好きな事をして食っていきたい」なんて事を口にする。

しかし、そう思っている限り、真のクリエイトはできないだろう。なぜなら「食っていく=金」だからだ。誰にも頼まれず、誰にも期待されず、ただ己の内から湧き出すものを形にしてゆく。それがクリエイトだ。真のクリエイトに「金」などとゆう概念は存在しない。要するに、クリエイトとはとても馬鹿げた行為なのだ。

そうゆう意味では今度のライブでは真のクリエイトを皆さんに披露する事ができるだろう。クリエイトがいかに馬鹿げているか。とくと御覧あれ。

「クリエイティブ」などと二度と口にできないようにしてやる。

2月20日(日)

恋愛関係ってゆうのはなかなか一般論では片付かないものがある。

例えば、どこからが浮気か?なんて問題一つとってみても、そんなものに答えなどない。両人の納得するところが浮気の限度なのであって、そんなものを一般化するのは難しいし、一般化する必要もない。

自分の頭で考えろって話だ。

まあ、決定的な浮気はSEXである事は揺るがないと思うが。

だから、俺はそんな恋愛問題を大っぴらに相談している人間が我慢ならない。相談してどうする?何かが変わるのか?他人に相談する前に恋愛相手に率直に言うのが筋だろ。特に女子!

と、まあ、これは以前の、恋愛相談なんてされた事が無かった俺の話。

今日、「真平さーん、男の人ってどこからが浮気だと思ってますー?」なんてゆう話から、恋愛の相談をされた。

女の子から恋愛の相談を受けるのも悪くない。うん。

これからはどんどん相談にのる!決めた!カモン!ジョインミー!

2月21日(月)

最近の麻生久美子を起用したカネボウのCMシリーズは非常に良い。

↑6Fで閲覧可能

僕はこのCMを見る度にとても幸せな気分になる。もう、全てがどうでもよくなるような、そんな悦楽感だ。ごくたまに、こんなCMに巡り合うもんだ。

今働いているオフィスの向かいのビルがカネボウの支社ビルなんだけど、いつか、バッタリ麻生久美子と会えるんじゃないかと思って、毎日、気が気じゃない。

資生堂なんかぶっ飛ばせ!だ。

「カンゾー先生」で淫売娘を演じていた少女の姿が懐かしい。

麻生久美子は素晴らしい。

2月22日(火)

学校のクラスメイトが今日からイヨロップ、失礼、ヨーロッパへ旅立つらしい。とても羨ましい事だ。

僕も初めての海外旅行がイヨロップ、失礼、ヨーロッパだったのだ。

今でもパリのシャルルドゴール空港へ降り立った時の感動は忘れられない。ちょうどバカンス帰りのパリっ子達で空港が賑わっていた頃だ。

小麦色に日焼けした肌を柔らかい色のカーディガンで包み、少しくせのある栗毛の髪を後ろでまとめ、膝丈程の綿のスカートを八月の終わりの風にたなびかせながら、終わってしまった夏の思い出を懐かしむような表情で空港のバゲッジクレイムで自分の荷物が出て来るのをぼんやりと待つ美しい少女。

本当に美しい少女だった。

西洋でなければ出会えないような西洋の美しさ。

たぶん当時の僕と同じぐらいの歳だったと思う。世界にはこんな女の子が存在するんだなと、心の底から溜息をついた。凄くショッキングだった。そして、感動した。

その事だけでも、長い時間をかけて遠い異国の地に来た甲斐があったと思ったほどだ。

とにかく、初めての海外旅行の初めての印象がとても感動的なものだったのだ。ヨーロッパはいいと思う。僕ももう一度行きたい。

パリで一人暮らしをするのなら望むところなのに。武蔵野へ引っ越すために必死に働いている今の自分がとても不甲斐ない。ちくしょう。

本格的に異国の女性を嗜好し始めたのもあの頃からだ。

出会いとゆうものは恐ろしいものだ。

2月23日(水)

Quel programme de television est-ce que tu

preferes ?

とゆう質問がフランス語会話の授業に出された時、当てられた生徒が

Je prefere AINORI..

と答えた。

「どんなテレビ番組が好き?」とゆう質問だから、正解や間違いがあるわけではないけれど、僕が教師だったら、減点する。

美大に来ていて、フランス語の授業をとっていて、「あいのり」を好んで見ている奴の気が知れないからだ。ぜんぜん意味分からん。単位やらん。

「タモリ倶楽部」とかならぜんぜん許すけど。

ただ、最近、世の中、けっこうラブワゴン寄りなのかな?なんて感じている。特に、最近の若い婦女子を見ていると痛感する。

恋愛が目的化しているとゆうか、恋愛以外に目的が無いとゆうか。そうゆう傾向が目に付くのだ。

それは未だに「あいのり」とゆう番組が続いていることでも明らかだと思う。あんな合コン旅行がみんな好きなのだ。

きっと、フランス語の授業で「あいのり」が好きだと答えた生徒も、ラブワゴンでモテたいからフランス語をとっているんだと思う。

非常に哀しい出来事だ。

俺の知らないところ世の中は大変なことになっているようだ。

2月24日(木)

携帯電話を変えた。小さくて持ち運びも便利だ。無料機種変更だったので変えてみた。気に入らなかったら、すぐにまた新しいのにすればいい。

ほら!小さいでしょ!煙草の箱より小さい!凄いでしょ!

ただ、小さすぎる。ボタンは押し難いし、文字も読みずらい。

ローリスク、ローリターン。

でも、明日のライブはローリスク、ハイリターンでお返しするつもりだ。

2月26日(土)

朝起きると、枕に残るマスカラの跡。寝惚け眼に周囲を見渡す。誰もいない。白い枕カバーにくっきり残る黒い跡は、昨晩の濃厚で密接な行為をそのまま映しとったような生々しさが感じられる。

あまりよく覚えていないが、なんか、そんな事もあったような。

しかし、誰とだ?

寝惚け眼をこする。なんだか目の辺りがガサつく。なんだ?手にベットリと付着する黒い物質。

主は俺だ!

2月27日(日)

ライブを終えた後は必ず後悔する。

もう二度とあんな事はやるまいと心の奥底で誓うのだ。もう二度と酒は飲まないと誓う二日酔いの朝と同じような感覚だ。

つまり、酔っ払う事もライブをする事も、冷静に考えると非常に無駄な行為である事が分かるからだ。

しかし、裏を返せば、無駄と思わざるを得ないような現在の社会性が根底にあり、僕自身も少なからずその社会性に翻弄されているとゆう事だ。そんな状況を考えてみると、さらに冷静な答えが出てくる。

つまり、ライブも酒もやめてはいけないとゆう事だ。

求む!俺のライブ画像!

2月28日(月)

カッコいいじゃないか!俺!あぁりがとうぅ!kawacho君!

さて、風邪をひいてしまった僕は、仕事も休みをもらい、久しぶりに自宅の床で安静にしていた。

しかし、久々の病だったので、本を読んでいてもすぐに飽きてしまうし、音楽を聴いていても飽きてしまう。安静にしつつも出来ることとは何か?とベットの中で考えていた。

だが、そんな事を考えているうちに、やはり病は体力を蝕むものらしく、いつの間にか眠ってしまっていた。

そして、目を覚ますと、もう夕方。一日が終わろうとしている。

病だから仕方ないが、何だかやるせないこの気持ち。抑えきれないフィジカルな衝動。踊ってやる!そう思ってベットから勢いよく立ち上がる。すると、下半身がなんだか薄ら寒い。

パジャマはおろかパンツも履いていなかった。

たぶん、朝から何も履いていなかったのだ。それぐらい重い病に侵されていたのだ。そして、また静かにベットに横になった。

病の時ぐらいは安静にしよう。