2005年 4月
4月4日(月)

閉鎖するとか言ったアレの事だが。アレはウソだ。撤回する。

つうかコレの事なんだが。

昨晩、テレビもラジオも、いや、家財道具すらまともに揃っていないオンボロアパートで、一人淋しく引っ越し祝いパーティーをしていた。もちろん、酒の肴は今が旬のテリ玉バーガーセットだ。サイドメニューはナゲットでね。

そして、飲みすぎて吐いた。

その時分かったんだ。

俺は書きつづけなければならない。そうゆう男だって事をね。

更新頻度は抜群に落ちると思います。

ただ、更新量は抜群に増えると思います。

つまり、差し引きゼロです。

4月5日(火)

これからあのオンボロアパートに戻る。今日はバイクで戻る。

凄く気が重い。

テレビやラジオが無いので、自発的に何かをしていないと、あのアパートでは自分が腐る。まるでドラゴンボールの「精神と時の部屋」に一人っきりで放り込まれたような、そんな感覚だ。もちろん、時計も無い部屋なので、時間の流れは更に相対的だ。もちろん、物理的に相対的なのだ。それぐらい凄まじい時の流れがあの部屋にはある。

もちろん、そんな部屋では今晩も元気モリモリ孤独な酒盛りをするしかない。現代人とは弱いもんだ。

4月6日(水)

国分寺に越して来た。まだ右も左も分からない僕は、あてもなくボロアパートの周りをウロウロしていた。

田舎とも都会ともつかない郊外のこの町で、とうとう一人っきりの生活が始まる。寂しいとか、悲しいとか、そんなものを通り越して、途方もない孤独が、この春の陽気のように柔らかく、心の中を支配している。

どんよりとした気持ちを引きずりながらも、駅前の賑やかな商店街に足が向かう。何でもいい、とにかく何か世間とのつながりが欲しいのだ。

駅方面へ向かう途中、ふと目に止まったリサイクルショップに何気なく足を踏み入れた。リサイクルショップと呼ぶにはいささか前時代過ぎるし、骨董屋と呼ぶには日用品が多すぎる。むしろ、よろず屋と呼ぶのが相応しい。そんな店だ。

埃をかぶった鍋や皿や置き物が所狭しと陳列されており、薄暗い店内は昼下がりの暖かな春の陽気を一切遮断している。遠い昔にピタリと時間を止めてしまったような静けさが、何か取り返しがつかない所へ足を踏み入れてしまったような、そんな恐怖すら感じさせる。店内には誰もいない。薄ら寒さすら感じる。

整然と並ぶ埃だらけの皿やグラスを眺めながら、店の奥に声をかける。何の気配もない。何度か声をかけつづけ、ようやく人の気配を感じる。

気配の方へ目をやると、80は越えているだろうか、深い皺を顔中に刻んだ白髪の老人が立っていた。片目は白内障で真っ白だった。薄暗がりの中でその白い目と視線が交わる。ほんの一瞬、何かが止まった。

「まともなもんが欲しいなら、まともな店に行ってくれ、ウチにはもう来るな」

突然だった。返す言葉も見つからなかった。頭の中がクラクラする。吐き気とも目眩とも違った気持ち悪さが躰を締め付ける。

国分寺で独り。寂しくも悲しくもない。ただ、孤独の連鎖と波状が僕を取り返しのつかないどこかへ連れ去ろうとしている。何も見えない真っ白な瞳の奥底のどんよりとした澱みの中に。

4月7日(木)

やらなくてはいけない家事などの雑用、読みかけの本の読書、それに付随する調べもの、描きかけの絵や作りかけの作品の作業、学校に出さなくてはならない書類の整理、などなど、思いつく全ての事に、かなり丁寧に取り組んだとしても、時間はまだまだ沢山残されている。

それが、ラジオやテレビやパソコンの無い生活だ。

ただ、この生活は受け身である事を捨てた分、非常に過酷でもある。

つまり、ハードボイルドだ。

4月8日(金)

校内でも、なかなか目立っているド派手な二人にからまれた。

以前、二人は渋谷でタトゥーに間違われた事があると聞いた。しかし、素直に頷けてしまう。そんな二人だ。

彼女たちはどこかで僕が一人暮らしを始めた事を聞きつけたらしく、ボロアパートの僕の部屋を改装したいと申し出てきた。

僕はあまりのもリスキーなその申し出に対して、改装後の部屋にビヨンセを招待してくれるなら考えると交換条件を提示した。

彼女たちは一瞬考えた後、神妙な面持ちで「分かった。やってみる」と承諾した。「えっ????」ビビった。

しかし、やりかねない。そんな凄みを持つ二人組みである事も事実だ。

二人が改装作業とビヨンセ召喚業務に従事している間、僕はボロアパートの近くのサイゼリアで一人静かに最後の晩餐をとる事にする。

全ては神の御魂のままにだ。

4月9日(土)

実家に帰ってきた。

全面WEB化された履修登録と奨学金申請に必要な書類を揃える為だ。

来週の週末も戻ってこなくてはならない用事がいくつかある。

再来週も同様だ。

いつになったら本当の一人暮らしが迎えられるのだろうか。

自由なようでいて、何かにしがみついていないと生きられない。便利なようで不便な世の中だ。

4月10日(日)

大学では歳下の人間関係、職場では歳上の人間関係、地元では同じ歳の人間関係が主だ。そりゃあ、同じ歳の人間と付き合ってるのが一番楽だし安心だ。その次は歳上の人間かな。で、一番苦手なのは歳下の人間。

別に、歳下の人間が全て苦手なわけではないけど、5コも6コも歳の違う大学生とは流石に話がかみ合わない。世代が違うし、今の段階だと状況も違いすぎる。だから、まあ、仕方ない事なんだけど、些細な事にどうしても疲れてしまう。

だから、そんな時に地元を離れてしまったのは、乗りかけた船もいろいろとあったから、ちょっと失敗したかな?なんて思う事もあるし、職場の方もまだどうなるか分からないから、気がかりなんだけど、もう出ちゃったものは仕方ない。

と言っても、大学の方も単位は去年の内に大概取り終えちゃって、それほど通う必要も無くなってきちゃったから、やっぱりちょっと失敗したかな?なんて、いまだに悔やんで、一人淋しくボロアパートでビールを飲んでいたりするんだけど、もう出ちゃったものは仕方ない。

前にも書いたと思うけど、今、一番重要な問題は、相乗的な意味でココから自力でどうやって抜け出すかなんだしね。まあ、そこんとこは夜桜でも見ながら缶ビールでも飲んで、ゆっくり考える事にしましょう。たぶん、もの凄い名案が浮かぶ事でしょう。

今回の話は僕の個人的な一般論(よく分かんないけど)だから、歳下の皆さん、必要以上に気にしないで下さいね。世の中、いろんな人がいるのは重々承知してますよ。

4月10日(日)

僕は品川区に生まれ育った。「知恵子抄」で有名な「空のない」あの町だ。でも、空はなくとも、品川、渋谷、港、世田谷、大田の地理ぐらいは最低限把握していた。東京のかつての第一学区だ。

大田の蒲田周辺にはか宇多連がいるし、ウカウカしていれば宮前愚連隊に捕まる。国道を通ればルートやスペクターに見つかるし、港の白金トンネル周辺にはジョーカーズやトミーズがいる。ちょっと世田谷に外れようものなら用喧がいるし、もう少し外れようものなら、また宮前愚連隊やスペクターにラチられる。それ以外に行こうものなら白龍やら何やら、得体の知れない団体に痛い目に合わされていた事だろう。零や琴だったらまだなんとかなる。そんな場所だ。ドラマになっていた「ウエストゲートパーク」なんかよりは、よっぽどエキサイティングな青春時代をすごしたように思う。実際に、からまれた事は数知れずだし、命を亡くした知り合いもいる。意識を失ってどこかへ棄てられる事はなかったけれど、何回か苦い鉄の味をかみ締めた事はある。それでも、まだマシなほうだ。

とにかく、そんな事を何も知らずにウハウハしているような奴がいるって事は気に入らない。俺なりの東京に存在するにあたっての最低限のプチナショナリズムだ。自らの鉄の味わいを知れ。それが嫌なら去れ。自らの鉄の味わいを知らないような奴は来るな。そうゆう事だ。敢えて排斥する。

意味が分からない奴はなおさらだ。去れ。

4月11日(月)

同じ15分歩くにも都心と郊外とでは感覚的にだいぶ差がある。

武蔵野周辺はそもそも道が少ない。次の角を曲がるまでに相当歩かねばならない。酷い時は目的地まで一本道だったりする。特にウチの大学の駅からの通学路なんてルートが2つしかない。あっちから行くか、こっちから行くか。それだけだ。

駅前に学校があるなら話は別だけど、駅から20分近くかかるのにたった2ルートだ。それ以外の道をチョイスしようものなら、辿り着けなかったりもする。「行き止まり」などとゆう迷路にしか存在しないようなデッドゾーンがザラに存在するのだ。困る。

ただ、そうやって同じ道を毎日毎日粘り強く通うのも、それはそれで、なかなか趣き深い発見があるのかもしれない。でも、俺は一年通ったけど、まだ何の成果も無い。

つまり、まだまだ観察力が甘いって事だ。

刺激が少ない分、もっと感覚を研ぎ澄まして歩くことにしよう。

4月12日(火)

また、やむを得ない理由で実家に帰ってきた。

一泊二日の小旅行を繰り返しているようで非常に疲れる。それに加えて大学のインテリババアが初日からとんでもない実技課題を出してきたので頭がパンクしそうだ。

さて、最近はIT化やら何やらで非常に便利な世の中になっている。僕もその恩恵は充分に受けて、むしろ、その利便性から離れられなくなりつつある。

ただ、その利便的な道具なり媒体なりの恩恵を与れない人間にとっては非常に不便な世の中でもある。それは今まさに、自らが痛感している。

そんな弱者の立場になってから言うのもなんだが、こんな世の中はちょっとおかしな気がする。抜け道はどこにでもなければいけないのに、抜け道を与えられているのは一部の人間だけだ。

だからこそ、俺は穴を掘ってでも抜け出してやろうとも思うのだが、やってみると、けっこうしんどいぞ、こりゃあ。

4月13日(水)

僕の部屋には情報を得るための道具は何もない。つまり、メディアというものが存在しないのだ。

最初は慣れなくてけっこう戸惑ったが、2週間も経てばなんてことは無い。無差別的な情報の澱みの中で、以前の自分がどれだけ踊らされていたかがよく分かる。

今後も部屋にテレビやラジオやインターネット等の道具を置くつもりは無いが、早い話、メディアが無ければ、自分がメディアになれば良いのだ。

早い話だ。

まあ、そんな早い話に到達するのに僕は25年かかったが。

4月14日(木)

今晩、僕の部屋に机がやってくる。

しっかりしたケヤキの無垢材の座卓で、縁取りにはちょっとしたモダンなデザインも施されている。個人的にはかなり気に入っている一品だ。

国分寺周辺のリサイクルショップを定期的に巡り、何か掘り出し物がないかと待っていた甲斐があったってもんだ。早まって無印良品なんかで買わなくて本当に良かったと思う。一人暮らし始まって以来の家具らしい家具。

しかし、これでも僕の部屋にはやっと机が一個そろっただけだ。必要なものは他にも沢山ある。だから、不自由な事は多い。でも、その分一つ一つの到達が実感を伴って身に染みてくるのも確かだ。

たかが机にそんなに拘る必要は無いと考える人も沢山いると思う。でも、自らの理想が明確であればある程、そこに「たかが」なんて言葉は存在しなくなる。不自由への道は自由へ通ずる。僕は最近そんな風に思ってる。

4月15日(金)

僕の母校の高校の卒業生には筑紫哲也や菅直人なんて人がいるけど、僕はそんな先輩逹よりも、押井守とゆう人が先輩である事を誇りに思う。

アニメーションはそれほど面白いものではないし、容姿もあまり尊敬できるものではないけど、そうゆう所にシンパシーを感じる。しかも、何気に偉大だったりもするし。しかも、彼の行った大学は学芸大。武蔵美とは目と鼻の先だ。また親近感。それに何やら政治団体にも所属してたと聞く。まあ、時代柄なのかもしれないけど。

とにかく、それだけ僕はミーハーだって事だ。

今日はそれだけ。

4月16日(土)

しがない土地の、しがない一人暮らしのアパートに、地元の友人達が初めて遊びにきてくれた。はっきり言って嬉しいナリ!なんて、ちょっと下らない言い回しもOK牧場的な感じな俺だ。

つまり、俺の求めるところは、気の置けない友人達に囲まれていればいいって事だ。それだけなのだ。ただ、25歳にもなると、それがとても難しい要求である事がよく分かってくる。

歳とともに馬鹿な奴ってのは減ってゆくもんだ。

4月17日(日)

学校が始まってから初めての出勤だった。学生と社会人。奇妙な関係だ。

ただ、比較するのもなんだけど、今の僕にとって社会人として生きている方が性に合っているような気がする。

学生として、奨学金を申請し、カツカツの一人暮らしで、若い連中に囲まれているよりも、社会人でいる事の方が今の僕にとっては楽と言えば楽なのだ。

しかし、社会人になっても、以前のように、いつかはまた行き詰まるような気もする。果たして、俺はどうなるものなのか。

薔薇色のランデブーに期待するしかないのか。

4月18日(月)

メダカを全て処分してきた。処分と言っても遺棄したわけではない。知人に譲ってきたのだ。

帰り道。泣いた。年甲斐もなく、声をあげて泣きじゃくった。

なんて、それぐらいの勢いがあったら、俺も何かもっと別の違う事ができているのかもしれないな。

4月19日(火)

学校からアパートに戻っても、まだ、帰ってきたとゆう実感が湧かない。どこかまだ自分のものではない感じがするのだ。だから、夜になってもなかなか寝付けない事が多いし、一晩寝ても体の節々が重い痛みに苛まれ、なんだか疲れが取れない。やはり、まだ新しい土地で安心しきれていないのだと思う。

かと言って、実家に戻っても、自室には自分の持ち物はほとんど無く、特に落ち着ける何かが存在するわけでもない。なんだか、自分の足場がどこにも無いような、そんな亡霊のような日々の中、元気一杯生活し、通学しているのだ。これはけっこう辛い。

実のところ、その空虚感のせいなのか何なのか、最近、通学がめっきり減っている。朝起きても家を出るとゆう一歩がなかなか踏み出せないのだ。

部屋に時計が無いとゆうのも大きな要因ではあるのだが、とにかく、気がついたら10時ぐらいになっている。

それ以外にも、下らん授業が多すぎたり、家から学校が近すぎて緊張感が全く湧かなかったり、一年次に単位を半分履修してしまったとゆう安心感だったり、NHK

FMが面白すぎたり、などなど、様々な要因が挙げられるのだが、まあこれが環境の変化ってやつだから仕方が無い。

しかし、最後のNHK FM。これはなかなかの強敵だ。

実は、部屋に音が無いとゆう状況に耐えられず、実家からポータブルラジオを持ってきたのだ。最初の頃は、いつも聴いていたJ-Waveにチャンネルを合わせていたが、自然とジャズやクラッシクなどのインストロメンタルが多いNHK

FMにチャンネルが移るようになってきた。当り障りの無いFMだと思って聴いていたのだ。

ところが、よくよく聴いてみると面白い。

岐阜県、17歳、ペンネーム、うりちゃんさん。

今日は彼女と付き合い始めて1年目の記念日です。1年も経ったとは思えないぐらい今でもラブラブです。彼女に初めてプレゼントしたW-INDSのアルバムの中から僕たちが一番大好きな曲NEW

PARADISEをお願いします。

わ~!一周年おめでとう!一年目の記念日に彼女と一緒に聴いてくれてるのかな?それではW-INDSでNEW

PARADISE。これからも末永く幸せでいて下さいね。

W-INDS。知らなかった。どんなバンドかな~、なんて、耳をすましてみれば、ジャニーズ?なのか?的な。度肝を抜かれた感じだ。一周年を迎えたであろう岐阜の17歳カップルの顔が鮮明に浮かぶ感じだ。それに爽やかに応対するパーソナリティーのおねえさんも凄い。

このように、Jポップから昭和歌謡、ジャズ、クラッシク、そして、ドイツのポップスまでを扱う非常に奥行き深いNHK

FMから最近耳が離せないのだ。牧歌的過ぎるリスナーとパーソナリティーのやりとりも非常に評価できる部分でもある。あそこまで行くとアホだ。大アホだ。だからこそ面白いのだ。

4月20日(水)

苗の頃から育てていたテーブルヤシがある。小学校2年ぐらいから育てているので、もう18年ぐらいの付き合いになるだろうか。もう、テーブルヤシと呼ぶには大きすぎるほど立派になっている。実家から今のアパートに持ってきて、今も一緒に寝起きを共にするカワイイ奴だ。

ただ、最近、このヤシの調子がちょっと悪い。気温のせいなのか、水のせいなのか、ちょっと分からないけど、心配だ。

もしかしたら、毎晩、晩酌に付き合わせているのが原因かもしれない。

流石に、植物にビールはまずいのか?でも、相手がいない酒ほど不味いものはないから仕方ない。ただ、ちょっと心配なので、節酒してみようと思う。ちなみに俺はエビスビールしか飲まん!俺のヤシも同様だ!

4月21日(木)

飯を食って、風呂に入ったら、寝るまで本を読む。

それしかやることがないからだ。

できれば、この日記のために文章も書き溜めておきたいのだけど、ワープロで文章を書くことに慣れてしまった者にとって、手筆で文章を書いてゆく事はけっこう骨の折れる作業だ。だから、文章を書こうと思っても、いつの間にか絵を描いている。美大生らしくね。

しかし、絵を描き始めると、部屋が散らかるので、やはり自然と本を読む事が多くなる。

ただ、プチ読書家としてはちょっと不満がある。

それは、うちの近くに図書館がないのだ。とゆうか、国分寺市自体図書館が少ないのだ。加えて、大学の図書館も蔵書は凄いらしいのだが、大方が閉架図書なので、非常に扱いずらい。読みたい本を買い揃えるほど経済力が無い者にとって最低な環境なのだ。

だから、最近、大学間の図書館利用制度を利用してうちの大学からの帰り道にある津田塾大学の図書館に通っている。女子大だ。全てが開架図書でとても利用しやすく、学校の特質上、英米文学が抜群に揃っているのだ。ちなみに、女子大だ。日本語の図書までアルファベット順に並んでいるのには驚かされた。女子大。

そんなわけで、今年、俺はどんどん読書にのめり込むだろう。特に英米文学に。とりあえず、無難にチェーホフ辺りから読んでいくか。あれはロシアだったか?いやー、参った。女子大に参った。

しかし、津田梅子。あんた、善い学校作ったじゃないか。

そして、堂々と女子大に通える制度を作った誰か。ありがとう。

学ぶってこんなに楽しい事なのか。

4月22日(金)

汚い話になる。

昔、蒲田にウンコの自販機があると聞いた事がある。その当時は何の為にそんな物があるのか想像もつかなかったが、まあ、いろんな趣味嗜好を持った人の為に、あるべくして存在していたのだろう。

もし、これが恵比寿や渋谷にあると言われれば、それは嘘だと思っただろう。蒲田だから、蒲田だからなのだ。

自分でも確認したわけじゃないが、蒲田だったらそうゆう胡散臭いものがあってもおかしくない。工場の合間に濃紺の自動販売機が怪しく光る光景が鮮明に思い浮かぶのだ。

そうゆう胡散臭さが、この国分寺には無い。とても張り合いの無い町だ。

かと言って、家の前にそんな自販機があっても嫌な事は嫌だ。ちょっと遠くにあるからいいのだ。ロマンとはそうゆうものなのだ。

ロマンある町へ行きたい。

4月23日(土)

また実家だ。

細々とした用事があったのだ。明日は仕事だ。

そう言えば、修理に出していたオーディオが直って帰ってきた。嬉しい限りである。だが、これをどうやって国分寺のアパートに持って行くか。非常に悩める問題だ。

しかし、あの色気の無いアパートで、ようやくビヨンセだのカイリ・ミノーグだのを聴けるのかと思うと、心湧き踊ると言った感じだ。まあ、どうやって国分寺のアパートに持って行くかは非常に悩める問題なのだが。

でも、あの無機質なアパートに、やっと音楽とゆう彩りを添えられるのかと思うと、とても心が豊かになる。しかし、どうやって国分寺まで持って行くか。悩める。

誰か車を。。

4月24日(日)

今、何万年後かの未来を見据えて、化石を作る事は可能だ。でも、その化石を作る苦労は今の自分には還元されない。価値は未来にあるからだ。

しかし、その価値を考えてみると、必ずしも未来にその化石が価値を得るとは限らない。つまり、結局の所、その行為自体が現在の価値感覚を未来に託しているだけの事だからだ。

今はそんな時代なのだ。全ての立場は現在にしかないのだ。

だから、そうゆう事を凌駕できる人間は、いわゆるダンディーって奴なんだと思う。つまり、そんな人間はこの世の中にはいないのだ。哀しいもんだ。

つまり、ダンディーとは哀しい存在なのだ。俺のように。