2005年 5月
5月1日(日)

髪を切った。

クラスメイトに切ってもらったのだ。空間演出デザイン学科ならではの超立体カットだ。ぼっちゃん刈りがかなり激しい感じになったものだと思ってくれれば分かりやすいと思う。

気に入っている。

なぜなら、一歩間違えたら気持ち悪いのではなく、一歩間違って気持ち悪い髪型になっているからだ。

だから、気持ち悪いと思う奴は近づくな。

写真で見るとキモさは軽減されているが、実際はけっこうキモイ。

5月2日(月)

五反田で飲んできた。鬼ごっこをやりながら帰ってきた。

たぶん、明日の朝起きる頃には心臓が破裂して死んでいると思う。

老いだ。

5月3日(火)

高円寺で灰野敬二の非常に大胆かつ繊細なノイズミュージックを聞いてきた。さすがにワールドワイドな知名度を持つ灰野敬二のワンマンライブとあって、外国人のお客さんもかなり入っていた。

灰野敬二と初めて出会ったのは、うちの叔母が所属している劇団の公演に音響として彼が参加していた時だった。あの頃は自分もまだ10代だったので、ハッキリ言って、彼の音楽(といえるのか?)はサッパリ分からず、むしろ「なんてゆう雑音なんだ!」と憤慨して帰宅したのを憶えている。

次に出会ったのはボストンの街角のレコードショップだ。なんと、彼が表紙を飾っている雑誌がその店に置いてあったのだ。訊ねてみると、彼は世界的なノイズミュージシャンという事であった。

それからとゆうもの、何だか気になり、彼の動向を追っていたのだが、ついに今日、彼の「生誕記念公演」なるものに行く運びとなったのだ。

率直に、度肝を抜かれた。

6年前、初めて見た頃と全く変わらず、いや、むしろパワーアップした彼を目の当りにしたのだ。あれだけ緊張感のある音を出せる人間はそういない。魅力的だった。一瞬でも気を抜いたら気が狂う。その緊張感。実際、気が狂って卒倒している観客もいた。

そう、そんなライブを見た後、実家のある駅に下りったったのだ。なんだか妙に懐かしい改札を出て煙草に火をつける。酔っ払いの怒声が方々から聞こえてくる。そんな喧騒も今では懐かしい。

すると、いきなり体中に衝撃が走った!何事か!?次の瞬間、身体が宙を舞っていた。胴上げをされていたのだ。薄っすら感じるオルガズム。

そう、この町もずいぶん緊張感のある町だったのだ。すっかり忘れていた。灰谷敬二に感じた居心地の良さはこの町の緊張感だったのだ。

胴上げしている奴らを見渡すと、全員知り合いだった。そして、次の瞬間「落とされる!」と感じた時には落とされていた。

なるほど。この町はまだまだ甘っちょろくないな。

5月4日(水)

灰野敬二のライブから一夜明け、まだ耳鳴りが離れず、ゴールデンウィーク真っ直中の山手線の車内は浮れ気味。

アバンギャルドなヘアースタイルを振り乱し通勤する僕の心はとてもナイーブで、昨晩の胴上げの衝撃が車両の揺れとともに腰に響く。

音というものも人間を死に到らしめる充分な衝撃である事を昨日のライブで嫌と言うほど思い知り唖然としていた僕を地元の駅で待ち受けていたのは心地良い浮遊感の後の固い地面との大きな衝突だった。

つまり、灰野敬二のライブのタイトルが「生誕記念公演」と銘打っていたように、誕生するという事はとても大きなインパクトである。しかし、そんな単純な事をすっかり忘れて生きている僕らは、そのインパクトを不快だと感じ、敬遠する。では、インパクトとは何かと問われた場合、それは苦境であると勘違いするオッサン達は若者どもに苦労しろと説教をする。

まあ、誰もインパクトを感じられない世の中では、全てが空回りなのだ。

しかし、少なくとも俺はインパクトを感じることができる人間だ。

だから、こんな髪型でも俺はカッコイイ。

5月5日(木)

あっとゆう間のゴールデンウィーク。明日は確実に出なければならない講義があるので、これからアパートに戻る。非常に憂鬱だ。

実は、携帯電話のバッテリー電力がゴールデンウィークの初日に無くなってしまった。電源アダプターをアパートに忘れてきてしまったので、ゴールデンウィーク中は携帯電話はずっと使えなかったのである。まあしかし、この3日間、特に重要な用事も無かったので、そういった意味では不幸中の幸いといったところだった。

ただ、問題はこれからアパートに戻ってからなのだ。

独り淋しくアパートの片隅で携帯電話に電力を与え、3日分のメールをチェックした時の「メッセージはありません」の衝撃だ。考えただけでも非常に恐ろしい光景だ。場合によっては明日の朝「25歳イケメン美大生!謎の孤独死!」なんて記事が世間を賑わすかもしれない。

現在21時半。たぶん、アパートに到着するのは23時過ぎ頃だ。

今からでもいい。俺がアパートに着くまでに、皆さん、俺にメールを送っておいてくれ。内容は何でもいい。重要なのは中身より数量なのだ。愛の手を。

5月6日(金)

アパートの近所には農家の直売所がけっこうある。主に週末、自分の畑で収穫した野菜をなかなか安い値段で提供している。ヨーカドーなんか目じゃないぐらいの鮮度と安さだ。前から利用してみようと思っていたのだが、ここの所、週末は仕事や私用で実家に帰る事が多かったので、なかなかタイミングが合わなかったが、ようやく先週末、利用する機会が巡ってきたのだった。

やはり、想像した通りの気のいいおばちゃんが収穫兼店番をしていて、僕が野菜を眺めていると、笑顔でやってきて「あら若い!学生さんかい?」と声をかけてきた。「そうです。そこの美大です。」と答えて、ほうれん草を頼むと、値札では5束で100円のところ、学生だからとゆう事で、10束にしてくれた。

国分寺。いい所じゃないか!

お礼を言って、代金を渡そうとしたが、生憎100円玉が無かったので、500円玉を手渡した。「はい、ありがと」とおばちゃんも笑顔で応対してくれる。

。。。。。。。。。

「はい、ありがと。」おばちゃん笑顔で。

。。。。。。。。。

「勉強頑張ってね。」おばちゃん笑顔で。

???????

俺は察した。このおばちゃん、100円玉と500円玉を勘違いしてるくさいぞ。プンプン匂うぞ。しかし、渡した500円玉は既に砂利銭籠の中に投入されてしまっている。この期に及んで、お釣りがどーのとかこーのとかで今までの健やかな時間を損なってしまうのも気が引ける。

とゆう事で、俺は10束500円のほうれん草を買ってきたのだ。高い。しかも、多い。その鮮度を保つうちに食べきるには不可能な量だ。現在、冷蔵庫には湯掻いたほうれん草が山のようにある。ポパイ級だ。

これからは、財布に100円玉がある事を確認してから行こうと思う。人間はこうやってどんどんお利口になって行くのだ。

なんか、なんかね~。

5月8日(日)

映画は好きだ。

その中でもロードムービーとゆうジャンルの映画がとても好きだ。

「イージーライダー」 「ストレートストーリー」 「勝手にしやがれ」 「パリテキサス」 「ミステリートレイン」 「デッドマン」 「バグダットカフェ」 「ブラウンバニー」 etc.

だからって、旅が好きなわけではない。

たまに、そういった映画に感化されて衝動的にバイクで遠出をするのだけど、結局、後悔するハメになる。映画には、長旅特有の疲弊や過酷さは映らない。だからこそ、そんなロードムービーに惹かれているのかもしれないが。

土曜日にも「モーターサイクルダイアリーズ」の基になった若かりしチェ・ゲバラの旅についてのドキュメンタリー映画を見た。そして、その夜、僕はバイクで品川を目指した。まあ、そのおかげでこれから僕はバイクで国分寺を目指さなければならないハメになっている。

でも、電車や飛行機みたいに無自覚に移動するよりは、辛いけれど自覚的に移動したほうが良い気はしている。敷かれたレールの上で死ぬよりはよっぽどいいからね。

5月9日(月)

「これは絶対おかしいだろう」というような事があっても、不平不満を並べたぐらいではどうにもならない。だって、世の中、不平不満ぐらいじゃ変わらないもん。そりゃ、当たり前だ。

だから、何もしないでいつまでも不平不満を言っている人はちょっと考え方を改めた方がいいと思う。「~は駄目だ」だとか「~は間違ってる」だとか「~は面白くない」だとか、結局、自分以外の何かのせいにして、パーと飲んで次の日には忘れている。始めから何かのせいにするなら不平不満なんて言わないで欲しい。そんなんだったら、もうちょいマシな話題で美味しく酒を飲みたいし。

まあ、こんな大それた事を言っても、僕にだって言いっぱなしの愚痴や不満は沢山ある。昔の自分に至っては、正しく酒で愚痴を流すようなタイプの人間だったしね。

だから、そんな大きな事は言わないけれど、そろそろ愚痴ばっかり言っているのも、愚痴ばっか聞いているのも、さすがにうんざりしてきている。言う方も良い気分ではないし、聞く方も変に気も遣わなくちゃいけないし。だから、まず、自分が不平不満を言わないように、自分の不平不満を解消するために、自分から積極的に動いてみようと思う。

不平不満を解消するとは、具体的には何かに変化をもたらすという事だ。そして、たぶん、つまり、そういう行為が表現とか芸術と言われるものなんだと思う。変化に向かってこそである。

ただ、変化をもたらすとは非常に大変な事である。

5月10日(火)

地下鉄サリン事件以降のオウム真理教(現アレフ)広報副部長、荒木浩に密着しながら、オウム出家信者たちの生活や各施設の立ち退き、解体、迫り来る破防法等といったエポックを記録した日本のドキュメンタリー映画で「A」という作品がある。その続編で「A2」という作品もある。

ドキュメンタリーと言えば、最近だと、マイケル・ムーアの「華氏911」や、モーガン・スーパーロックの「スーパーサイズ・ミー」なんかが有名だけど、そんな海外のドキュメンタリーばっかり観ていたって、結局アレは海外のドキュメントだ。ドキュメントとして僕らからはちょっと離れ過ぎだし、なんとゆうか、率直に言って、浅い。結局「あぁーやっぱりね」と言うような検証的な域を出ないのだ。

そこで、オススメする。「A」だ。

今までのメディアでは決して報道されなかった、僕たちが知らないオウム真理教(現アレフ)の側面と、社会の側面、はたまた、自分自身の側面までが新たに垣間見えてくる事だろう。短絡的な結論に留まる事ができない現状の日本、そして、社会、そして、自分の混迷が露わにされる事だろう。

アメリカの明らかにアホな大統領や激マズファーストフードなんかを再度評価する以前に、自国で起きた今だ未解決の未曾有の最悪事件。そして、それに対する僕らが見落としていた問題をしっかり見るべきだと思う。

「お前!絶対ポワだからな!」なんて笑っていられた時代が懐かしいものだ。日本人必見だ。

異次元へ飛んでった人間と、そのおかげで翼を失った人間。

5月12日(木)

1983年5月4日。寺山修司という人物が死んだ。詩人であり劇作家であり表現者である。享年47歳。僕は当時4歳。今まで触れる事のない人物だった。

実は僕の学科の舞台美術の教授がその寺山修司という人の舞台美術をずっと担当していたらしい。そして、昨晩、その教授のご厚意と、クラスメイトのご厚意で、寺山修司生誕70周年記念公演として本日より上演される寺山修司作の「奴婢訓」という舞台作品のゲネプロを観に行く機会にあやかった。

主人不在という状況で行動原理を失った奴婢たちが自らの行動原理の為に次々と主人を演じてゆくのだが、全ては破滅的な大きな暗闇に加速度的に向かってゆく。そして、最終的には全てが破綻する。

幻想的と言うよりは悪夢的に繰り広げられる非常に示唆に富んだ美しい舞台だった。(教授は照明の色をずっと気にしていたが。僕には良く分からなかった。)

最終版で、一人の奴婢が「主人が居ないことが不幸なのではなく、主人を必要とすることが不幸なのだ」と言う場面があった。その台詞を聞いた時、僕はなんと惜しい人がこの世を去ったのかと痛感した。当時4歳。知る由もない。ウンコもらしの頃の事だ。実に惜しい。

しかも、男前だ

5月15日(日)

仕事を終え一息つき、これから国分寺までバイクでひとっ走りだ。夜なら1時間ちょっとで到着するが、その分けっこうなスピードで走る事になる。

昔、京都まで20時間ブッ続けで走り抜けた事がある。その時に比べればチョロイもんだけど、さすがに、100ccのエンジンで80kmのスピードを出しながら長時間一般道を駆け抜けるのはこの歳になるとなかなかしんどいもんだ。特に都心の入り乱れる車の流れをかわしていくには、もの凄い集中力と体力を要する。

だから、今日はちょっと心持を替えて「14歳になると一人立ち」的な初々しい気持ちで実家を後にしようと思っている。もちろん、ルージュの伝言を聴きながら、期待や不安を胸に秘め、海の見える街を目指す心持でこのバイオレンスシティー東京を東西に駆け抜けたいと思う。

落ち込んだりもするけれど、私は元気です。

辛さに対抗するには乙女心だ。

5月16日(月)

昨晩の話。

100ccのバイクでも90kmぐらいのスピードは出る。でも90kmでの操作性はほぼ無いに等しい。ただ真っ直ぐ走る。それだけだ。

だから、ちょっとしたアクシデントでも奈落の底へ落ちることになりかねない。つまり、90Kmは出さないまでも70kmや80kmでの走行はなかなか緊張感の要する極限の作業なのだ。ある意味では速度は遅いけれどWGP並みのハードなレースとも言えなくもなくもない。

例えば、昨晩は環八→甲州→府中と幹線道路を使って国分寺に帰ってきたのだが、幹線道路は交通量も多ければスピードも速い。ハッキリ言って100ccのバイクの性能では深夜の幹線道路は非常に厳しい。自分で運転しながらも、足がすくむような場面に何度も遭遇する。

つまり、昨晩、思い描いていたような乙女心真っ盛りごときでは、到底乗り切れるようなものではないのだ。もし、それでも乙女心で臨むというならば、それは死をも厭わないと理解する。

でも、そんな乙女心に俺は憧れる。

乙女心のロマンスはそういう所にあるのだと思う。

5月17日(火)

伝えたいことがある場合、相手の解りやすい物事に例えて説明する傾向が僕にはある。

ただ、その例えが、暗喩とか直喩のように部分的に用いるのではなく、その物事全てをまったく別の事象で丸々置き換えてしまおうとするから、相手を混乱させてしまう。

例えばこうだ。

「それは僕がこないだ観た奴婢訓という舞台のような、主従関係の破綻的な結末のような。つまり、あらゆる面において、主人を望むという姿勢には未来が無いという事であって、つまり、なんだ、その主従関係という今の関係性を打破する事が重要な場合に生ずる矛盾のジレンマがその問題によく似ているというか、その選択がその根拠に基づいた場合、本当に正しい選択なのかを見通す力が大切なわけで、その、うぅむむむ。」

といったように、イチゴミルクとコーヒーミルクのどちらを買おうかと悩んでいる友人に非常に混乱したアドバイス(なのか?)をしてしまったりして迷惑をかけ、おまけに、「で、何の話だったけ?」と目の前の問題を忘れてしまう始末だ。最低だ。

最近この傾向が特に強い。たぶん、淋しいんだと思う。

こんぐらい淋しい

5月18日(水)

ウチのアパートには僕のバイクのほかに自転車が3台停まっている。1台は隣の部屋の関口君が乗っている恐ろしくサドルの高いマウンテンバイク。もう1台は2階のおっちゃんのママチャリ、残る1台はまだ出会ったことのない、たぶん2階の住人のものであると思われるピンクのオシャレ自転車だ。中央大学のシールが貼ってあるので、学生のようなのだが、しかし、ピンクの自転車、なんて悪趣味な奴なんだろう、と、まだ出会ったことのないその住人に対してはあまり良い印象を持っていなかった。

だいたい、ココに住み始めて2ヶ月にもなるというのに顔も合わすことが無いなんて、甲斐性なしの相当な引き篭もりか、親泣かせの遊び人に違いない。そう思い込んでいたのである。

ところが、さきほど、僕が夕飯の買い物を済ませて帰宅し、バイクをアパートの前に停め、しばらくの間、美しく夕日に照らされる近所の家々を眺めていたのだが、目線の奥の方から、見覚えのある自転車が1台こっちへ向かって来るのが見えた。

ん?んんっ!!?アレは!いつもココに停まっているピンクの破廉恥自転車ではないか!

たじろいだ。突然の出来事に後ずさったのである。

とうとう、あの自転車の持ち主であり、2階の住人の顔が明らかになるのだ。身震いさえするほどだった。陰影の深い夕暮れの中、どんなツラをしてあんな自転車に乗っているのだろうかと、僕は目を細めながらも必死にその自転車にまたがっている人物の顔に焦点を合わせた。

ところがっ!んん?えぇ!?

女の子だったのだ。しかも、かわいい。。。

僕は端から、こんなオンボロアパートには野郎しか住んでいないだろうとタカをククッていたのだ。まさか、あんなにも可憐で可愛い存在が一つ屋根の下で生活していたとは。

もちろん、それからと言うもの、ピンクの自転車の価値観が180度変わった事は言うまでもない。あと、なんだか生活にハリが出てきた。

軽薄とはこういうことを指すんだな。

5月20日(金)

金曜日、学芸員課程をとっている僕は、教育原理という非常に退屈な授業を受けなければならない。まさしく教育原理主義者のような、応用力と寛容さに欠ける女性教師が受け持っている授業だ。

そんな教育原理。やはり非常に不人気なのだが、教員や学芸員を目指す学生にとっては必修の授業なので単位を落とせないのである。つまり拷問的に出席をしなければならないのだ。資格を取る難しさはこういう所にあるのだ。

ただ、最近、この教育原理の授業内であるムーブメントが起きている。それは、いかにこの授業から離脱し、自らの有意義な時間を勝ち取るかという流れである。まあ、しかし、言葉では簡単に聞こえるかもしれないが、実際には、なかなか一筋縄ではいかない困難な闘いである。

この授業は授業の始めに出席を取る。その出席を取り終えてからこの闘いが始まる。ある者は姿勢を机より低くしてそっと外へ出てゆく。ある者は教師が板書をしている間を見計らって一気に走り去ってゆく。ある者たちはグループを作り、ある合図とともに一斉に四方八方へ逃げてゆく。

ただ、これが一度でもこの教師に見つかろうものならば、たぶん血祭りだろう。かなり最悪な結果が待っているに違いない。単位剥奪という重い処罰も辞さないような油圧可動の教師だ。

しかし、僕らは美大の人間だ。原理主義者に捕まるほどのろまではない。固定された原始主義者ごときに、変化の中に身を置く我々を捕まえることはおろか、認識することも出来ないだろう。せいぜい足掻くがいい。そして、己の原理主義を悔い改めよ。

5月21日(土)

今はいつやっているのだろうか?まだやっているのだろうか?「渡辺篤志の建物探訪」という番組が僕は好きだ。

なぜ渡辺篤志なのか?という根本的な疑問を抱えつつも毎週素敵な住宅を紹介する番組だ。

そんな「渡辺篤志の建物探訪」へのオマージュから、今日は僕の国分寺のアパートを皆さんに探訪してもらおうと思う。

今日は玄関から設備関係までを見てもらおう。

門扉

まず、バイク。懐かしい人は懐かしいだろう。僕のTAMIYAのバイクは今ここにある。周囲が畑ばかりなので、置いておくだけですぐに埃まみれになってしまうのが困る。

そんな、アパートの入り口。

エントランス

ここが部屋の入り口まで続く、少し長めのエントランス部分だ。

途中、隣りの部屋の関口君が窓を全開にしてシャワーを浴びている事があるのでシャワーの音がした時は要注意だ。

そんな、演出付きのエントランス。

玄関扉

革命闘士として、チェ・ゲバラや毛沢東はよく図案化されてTシャツなんかになっているけれど、僕の部屋はまずレーニンが出迎えてくれる。新聞の勧誘なんかも、コレを貼ったら来なくなった。

そんな玄関扉。

玄関

靴箱もあるのだが、靴を二足しか持っていない僕は使う事ができない。けっこう淋しい玄関である。たぶん、友人が20人ぐらい遊びに来ても靴箱の心配はしなくていい。

そんな玄関。

玄関からの内部風景

手前左に見えているの白い物体は冷蔵庫で、右奥のガラス戸が風呂場、左の木戸がトイレになっている。

まあ、そんな感じだ。

台所

台所のシンクは広いのだが、ガス台スペースがもう少し広ければ2つ口のガスコンロが置けたのに、残念だ。ただ、縦に置けば2つ口も置けないことはなくもないが。

まあ、そんな台所。

調味料

さしすせそ。調味料。クレイジーソルトからギャバンの香辛料シリーズ、そして、オイスターソースも揃っている。料理を始めて意外と砂糖は使わない事に気が付いた。だから、たまに庭の蟻達に分け与えている。

そんな調味料。

ガス台

これが無念のガス台。このタイプのコンロなら頑張れば2つ置けないこともないが、たぶん大火傷をするのがオチである。オチにもならない。

そんなガス台。

冷蔵庫

冷蔵庫はでかい。引っ越す時に実家の近くのリサイクルショップが本当の閉店セールをやっていて、冷蔵庫と洗濯機を合わせて1万円ちょっとで競り落とした。しかし冷蔵庫が満パンでないと気が済まない僕は、ついつい余計な食材まで買ってしまってとてもエンゲル係数の高い生活を送らざるを得ない。でかいのも考え物だ。

そんな冷蔵庫。

冷蔵庫上部

オーブンは800円。ジャーは3000円。ゾウは実家から持って来た。上野育ちのゾウである。隣りのガサツな関口君が勢いよく扉なんかを閉めるとこのゾウがジャンプする。とても繊細なゾウである。

そんなゾウ。じゃなかった調理機器。

椅子

実家から持って来た椅子。この椅子に座りながら中央線で持って来た。僕は台所が好きなので、この椅子に座って読書なんかをしている。踏み台としても大いに役立つ。あまりにも暇な時はこの椅子を背負ったりして寂しさを紛らわす。

そんな椅子。

ジョウロ

ゾウさんジョウロ。庭の草木に水を与えるゾウさんである。命のゾウさんだ。ウチの台所には2頭のゾウがいる事になる。ただ、こちらのゾウは赤いので珍しい。

そんなゾウさんジョウロ。

風呂場

タイルの色合いがなかなか好きである。たまにカマドウマが進入してくるので注意しなければならない。愛用のシャンプーとボディーソープはダヴである。ビダルサスーンとかなり迷った挙句のダヴである。色合い的にはダヴで成功だったと思う。

そんな風呂場。

風呂釜

湯は3日置きに換えている。ほぼ正方形の湯船なのでなかなか窮屈であるが、体育座りで入る風呂もなかなか哀愁を感じるものである。たまに潜る。

そんな風呂釜。

湯沸し器

なかなかレトロな湯沸し器であるが、着火時の非常にメカニカルな操作は一興である。ロケットのブースターに着火するような、そんな気分が味わえるだろう。ただ、シャワーの出が非常に悪い。身体に纏わりつくような湯量である。だから、大体は湯船の湯で身体は流している。マグマのごとく煮えたぎる程に湯を沸かしてしまった事は数知れずだ。

そんな湯沸し器。

便所

オールドクラッシクスタイルの便所である。一人暮らしなので基本的には扉も窓も全開で用をたす。非常に開放感があるにもかかわらずトラディッショナルな姿勢での大便は特に格別である。

そんな便所。

便器

もうワンショット。便器。これまた、なかなか未来的なデザインである。このままこの便器に乗って空を飛んでいてもちょっとカッコイイ気がするのは僕だけだろうか?パイプの感じといい、このセラミックの流線型といい、正にスペースシャトルである。

そんな便器。

5月22日(日)

引き続き、今度はリビングスペースを見て頂こう。

6畳間

続いて、食卓兼リビング兼書斎兼寝室である6畳間を紹介してゆこう。窓は南と西に1つづつで日当たりは非常に良い。西側は腰窓である。もう2畳ぐらい広いとちょうど良い広さであるが、いたしかたない。

そんな6畳間。



4000円で購入したケヤキの座卓である。とても気に入っている。何もしないでこの机に向かってボーッとしているのが日課である。無暗に卓上を撫でたりもする。

そんな机。

卓上

本棚がないので、とりあえず、単行本は机の上に置いている。もしかしたら、本棚よりもこっちの方が便利かもしれない。ただ、卓上で飲み物をこぼすと、悲惨な結末が待っていることになるので要注意だ。間違っても遊びに来た時は飲み物をこぼさないで欲しい。

そんな卓上。

アルフ

よく見ると電気スタンドにはアルフがいる。たまに目が合う時があるのだが、なんだかやるせない感情が込み上げてくる。なぜだろうか?ただ、彼も一人で地球にやってきたエイリアンだ。ある意味では良き親友である。

そんなアルフ。

ベイビー

よく見るとベイビーもいる。彼はスペイン生まれのベイビーである。彼と呼ぶからには、まあ、その、そういうものがついている。たまに、この溝からはみ出して寝ているので、きちんとこの溝に戻してやる。寝相の悪いベイビーだ。

そんなベイビー。

ゴリ

よく見るとゴリも引っ掛かっている。彼はたまにドスンッという音を立てて畳の上に転がる。そういう時はまたこの机の穴に引っ掛けてやる。彼もゾウと同じ上野育ちである。ただ、ゾウとは仲が悪い。

そんなゴリ。

雑誌

机右側には雑誌がじかに置いてある。もちろん、本棚が無いからだ。でも、これもこれで意外と便利でもある。でも、やはり本棚が欲しいところである。

そんな雑誌。

教科書

机左側には教科書並びに勉強の為の資料集を置いている。辞書なんかも。やは、本棚が無いからである。上部に見えるパネルはコルクボードである。今は特に何も貼っていない。たまにクモがこの辺をウロウロしているので怖い。

そんな教科書。

オーディオ

2回に分けて実家からバイクで運んできた。やはり、音のある生活は素晴らしい。今はもっぱらジミヘンを聴いている。パープルへイズは最高だ。ちなみにラジオはNHKFMに限る。最高だ。

そんなオーディオ。

窓辺

窓辺はいい。できれば、レースのカーテンが良かったのだが、防犯上よろしくないと友人に言われ普通の目隠しカーテンを購入した。もう一列カーテンレールがあれば。

そんな窓辺である。

枕木

大学で枕木を拾った。本当は切り株が欲しかったのだが、ちょっと大きいので断念した。大学にはいろんなモノが落ちている。猫とかもよく落ちているが、ウチのアパートでは飼えないので泣く泣く断念している。

そんな枕木。

押し入れ

押し入れ。ギリシャの神話でパンドラの話がある。ある意味、この押入れもパンドラに近い。何が出てくるか分からないが、少々の希望も中にはあるだろう。まあ、そういう望みだけが救いである。

そんな押入れ。



こないだ土を耕してから、いろんな草が芽吹きだしている。あと一ヶ月もすればこの庭は緑でいっぱいになることだろう。そして、俺はその緑に寝そべって読書でもしよう。

そんな庭である。

パセリ

実はパセリを植えたのだ。こんもりとした緑がカワイイ。これも夏ぐらいまでに増殖してくれるとありがたい。パセリの上に寝そべって読書。なんて優雅な暮らしなんだろうか。

そんなパセリ。



縁側。ではない。棚だ。オーディオを置く棚だ。最初、学校の教室で製作していたのだが、ボンド接着の構造的弱さについてクラスメイトから指摘され、挙句の果てに壊れた。だから、恥かしいので持って帰ってきた。もちろん、今もボンド接着で頑張っている。ボンドは意外と強力なんだ。

そんな棚。

縁側

縁側。ではない。棚だ。オーディオを置く棚だ。ちなみに、材料は全て大学で拾ったもんだ。ウチの大学は本当にいろいろ落ちている。たまに、艶かしいダンボールで作った裸婦なんかがゴロンと落ちていたりするので心臓に悪かったりする。

そんな縁側だ。いや棚だ。

洗濯機

洗濯機。冷蔵庫と合わせて1万ちょいだったやつだ。方や内に、方や外に。天国と地獄のような不平等さだ。いや、世の中とても不平等なのだ。回るという拭いきれない機能がゆえの非常に厳しい選択だった。洗濯だけに。

そんな洗濯機である

さて、以上がわが国分寺アパートメントを満たす主な要素である。なんとか楽しくやっている様子が伝わっただろうか?もし、これを見て悲しんだ人がいるなら、そんなあなたこそ率先して僕のアパートメントへ遊びに来てほしいものだ。「同情するなら金をくれ」日本には昔から良い名言がある。

5月23日(月)

夕飯の買い物に出かけようと思った矢先の事であった。バイクの座席の下にあるヘルメットを入れるスペースに鍵類全てと携帯電話を入れたまま蓋を閉めてしまったのである。あのスペースは蓋を閉じると勝手にロックがかかるようになっているのだ。

事の重大さに気が付いた時は、あまりにも唐突過ぎる悪夢のような出来事だったため、数分間その場に立ち尽くしていた。

部屋には入れない。バイクも動かない。電話もできない。

しかも、今にもひと雨来そうな空模様。

「何をすべきなのか」などという事務的な感情よりも「自分は国分寺で一人きり」という何ともいえない心細さが心の中をグルグルと回転しているだけだった。

バイクとアパートの鍵が置いてある実家に取りに帰るという案が一番手っ取り早い解決法だったのだが、その解決法に思い至るまでもかなり時間がかかるほどショッキングな出来事だったのである。

まあ、二度とこんな過ちはしない。また一つ大人になった夜だった。

5月24日(火)

近くのアパートに住む大学の友人から夜中の1時に連絡が来た。

「バイト帰りにアパートの鍵と財布を落としてしまったので今夜一晩泊めてはくれないか?」というものだった。

なんてタイムリーなのだ。タイムリーホームランである。

僕は先日の過ちから大人になっていたので、快く彼を受け入れる事にした。辛かろうに。淋しかろうに。こんなボロアパートでよかったらいつでも来んしゃい。

ただ、鍵を無くした先達は俺の方なので、先輩風は吹かせてみたりして。

その辺の礼儀は妙に厳しいのである。

鍵は大事

5月25日(水)

先日未明、100人近いヒットがこのページを応酬した。あり得ない数字だ。まあ、サーバーがダウンするほどではぜんぜんないが。ヒット数15人/日を前後しているこのサイトにとっては奇跡のである。

原因はYUKIさんの管理するサイトhttp://kissui.net/で僕の一人暮らし模様の日記が紹介されたのが発端である。

まあ、インターネットの性質上これぐらいの事ならまだ驚くべきことではないのだが、紹介して頂いたサイトの特質からちょっと他では考えられないような現象が見られるのだ。それは訪れた方々が使っているブラウザ言語の統計だ。ちょっと紹介しよう。

総計95人中

1 英語     63.1% 60人

2 日本語    23.1% 22人

3 ドイツ語   4.2% 4人

4 スペイン語  2.1% 2人

5 フランス語  2.1% 2人

6 デンマーク語 1% 1人

7 チェコ語   1% 1人

8 ロシア語   1% 1人

9 ポーランド語  1% 1人

10 フィンランド語 1% 1人

8 ロシア語 1% 1人

9 ポーランド語 1% 1人

10 フィンランド語 1% 1人

超ワールドである。ワイドを付ける必要がないぐらいワールドである。だって日本語が2位だったんだもん。

とにかく、俺はこんなワールドな方々をこんなしょぼくれサイトに100人近く動員してしまうYUKIさんに嫉妬している。

HALLOとか書いとけば何か書き込まれるだろうか?

HELLOだったか?

5月26日(木)

油絵学科の新入生歓迎会。略して「油新歓」が今日行なわれた。何だか凄い。ちなみに僕は空間演出デザイン学科。略して「空デ」の、しかも2年で25歳だ。だから、まったく関係ないイベントである。

と思いきや、先日の鍵落し事件の彼が油絵学科の2年生で、今年の新歓の言わばホスト役だったのだ。そして、誘われたのである。

タダ酒である。

新歓。いいじゃないか。しかも、屋外。しかも、学校で酒。いいじゃないか。ウキウキしながら、会場へ足を運んだのである。すると、なんだか見慣れた顔があるではないか!同じクラスメイトのハーフ娘が外国人学生とワイワイ楽しくやっているではないか。あんたっ!空デでしょっ!それも、2年!

とにかく、なんだかよく分からないが、そんな彼女も参加しており。案の定、僕は酔っ払い。案の定、外国人の学生達に絡んでいったのである。昨日のYUKIさんに対抗する意味も込めて。

しかし、意外なことに、みんなメールアドレスやら携帯電話の番号なんかをポーンと教えてくれ、近い内に予定している映画撮影への協力も承諾してくれた。なんか、俺は既にワールドワイドな人間だったのだ。嫉妬なんかする必要はなかったのだ。

とまあ、天狗になるのはいけないなと反省しつつ、学校の備品をパクって帰ってきた。いや、備品というか落ちてたのを拾ってきた。

収穫の多かった夜である。

5月27日(金)

天王洲に行って来た。地元である。

「比較演劇論」という授業の関係で天王洲アートスフィアで今晩から上演されるブロードウェイミュージカル「ナイン」のプレ公演を観に行く機会を授かったのである。

実は僕はミュージカルが大好きなのだ。ミュージカルを観たのは小学校に上がる前に榊原郁恵が主演していた「ピーターパン」を観たのが初めてだったと思う。それから「チキキチキバンバン」や「ドンキホーテ」などの子供向けのミュージカルは何度か観に行った。

ただ、決定的にのめり込むようになったのは高校の頃観た「キャッツ」だった。アンドリュー・ロイド・ウェバーである。歌と踊りで構成される夢のような世界。乙女心まる出しの世界である大好きだ。

特に今日の舞台は主役を除いた全ての出演者が女性で、セクシーな場面なんかもかなり多く、うっとりさせられた。魅了されどおしだった。

俺も舞台に立って魅了したい!もちろん、女として舞台に立ちたい!

特にスパのマドンナ役の剱持たまきさんには魅了されること間違いない

5月28日(土)

最近、ほぼ毎日、午後は授業をサボって我が校の誇る映像図書館「イメージライブラリー」へと映画を観に行っている。まあ、美大生にとってはこれも勉強なのだ。なんてね。

特に80年代の邦画をメインに貪るように観ていて、具体的な作品例をあげると「ねらわれた学園」「転校生」「時をかける少女」「天国にいちばん近い島」「青春デンデケデケデケ」「ふたり」などなどである。

つうか、、、、あれ?  ぜんぶ大林宣彦じゃね?

ちくしょー!あのエロガッパ!

でも、毎回とても感動させてもらっている。

5月29日(日)

なかなか機知に富む破天荒ハーフ娘、そして、こちらはまだこのページでは紹介したことが無いと思うが、誤ってお客さんに火を点けてしまうような数々の珍事件の末、ことごとくバイトをクビになるおっちょこちょい健忘娘が僕の愛すべき2年C組の彩りを更に鮮やかにしている。

今日は、そんな彩色豊かな二人と世田谷美術館へ行ってきた。そして、案の定、事件は起こるべくして、次から次へと起こるのだった。

まあ、ここで、その事件の一つ一つを取り上げるとキリが無いので、一つだけ紹介しよう。今回、世田谷美術館の招待券をある授業の先生から貰ったのでこのツアーが企画されたのだが、健忘娘はあからさまにその招待券を忘れてきた。もちろん、たっぷり40分の遅刻で。そして、その対処として彼女が考えてきた作戦は、ハーフ娘に英語で受付嬢の注意を引いて貰っている間に会場に入ってしまおうというシロモノだった。そしてハーフ娘はハーフ娘で、最近習っているイタリア語を使ったほうが効果的なのではないか?と提案するのだ。

まあ、こんなやりとりがずっと続くのである。

ただ、僕はその次から次へと巻き起こる事件の渦中であることに気がついた。問題は事件の内容などではないのだ。彼女たちは自分が何か特別な事をしているなどといった意識など、ましてやそれが事件であるなどという気はさらさら無く、ある意味では、あらゆる事に寛容であるが故の行為であるのだ。だから、むしろ事件を事件たらしめている自分の了見の狭さが露になったという訳だ。俺の方が反省だ。

ちなみに、アラーキーは自らを天才と名乗る天才だ。

今度、食事でもしにゆこう。もちろんアラーキーのおごりで。

5月30日(月)

カーペンターズの歌にもある。今日は雨の月曜日。歌にもなるほどなんだから、日常とはちょっと違う特別な日なんだと思う。なんとも言いがたい、あの歌のような、そんな日なのだろう。

今日、午前中、吉祥寺へアルバイトの面接へ行ってきた。面接といっても、叔母の所属する劇団が経営する喫茶店が6・7月中人手不足になってしまうので、その間の臨時で手伝っくれないかという話だ。だから、業務内容に適切な人材かどうかを見極める面接ではなく、具体的に出勤する日取りを決める相談をしに行っただけなのだ。

確か、初めて吉祥寺に行ったのは去年の春だったと思う。よく耳にはしたが、あまり良く知らない繁華街。何か異質な雰囲気を吉祥寺には感じていた。だから、まさかこんな場所で自分がアルバイトをするなんて、その時は夢にも思ってみなかったけど、不思議なもので、いつの間にか、こんな話になってしまったのだ。

まあ、そんな、なんだか慣れない状況から帰ってきて、やはりなんだか慣れないアパートで、僕は一人、塞ぎ込んでしまう。今日は雨の月曜日。そういう特別な日なのだ。仕方ない。

まあ、吉祥寺の「くぐつ草」。何かの機会があったら皆さん来て下さい。

ちょっと高いけど。。

5月31日(火)

今日は体調不良。

一人暮らしの体調不良ほど孤独を感じるものは無い。「死」という言葉が容易に想像できる。困った。