風呂が壊れていたのを知らず、朝、風呂へ入るも、お湯が出ない。しかし、裸になってしまった手前、シャワーぐらいは浴びとかないと気が済まない。そこで、冷水シャワーで修験道のごとく身体を洗い、爽やかに出勤。そして、案の定、風邪を引いた。
最初は鼻水が止まらず、午後になると身体の節々がだるくなり、休憩を終えた頃には意識が朦朧となる。しかし、本日は他にも病欠が出ていたため、早退しようにもなかなか微妙な状況で、しかも忙しい始末。
仕方ないので、イヴ(解熱兼痛み止め)を貰い神経を一時麻痺させ勤労を続ける。
しかし、冷水を浴びたからって風邪を引くセオリー通りの俺の身体。。。
ちょっと考え直さなくてはいけない。
まあ、それはさておき、さあ、寝よう。
最近、俺が注目しているスーパーモデルFabiana。
今晩は 「ふぁびあなタン モエー」 な感じで、アキバ系として眠ることにしよう。萌えて、萌えて、汗をかいて、萌えて、治す作戦。
しかし、夏休みが終わる時に限って、散々な目に遭うのはなぜ?
夏休み最後の出勤だったというのに休んでしまった。
しかし、致し方ない。この状態で出勤していたら、ミス入力、ミス通話、ミス報告の連続だっただろう。しかも、風邪の菌を撒き散らして会社の方々に更に迷惑をかけてしまっていただろう。
個人の健康管理が他人の迷惑にまで飛び火してしまう事態を招いてしまった。情けない。そして、申し訳ない。
まだ、病み上がりなので、謝罪にて終える。
↑
これを見て、とても優しい気持ちになるのは、私が病み上がりだからでしょうか?
これから国分寺へ帰る。
12月の末までの約4ヶ月間、また孤独な生活が始まるのである。
考えただけでもゾッとする。
地元という温かい揺りカゴに疑問を感じ飛び出した俺だったが、今だけは弱音を吐かせて頂きたい。
国分寺なんて嫌だ~!
あのオレンジの電車が俺は大嫌いだ~!
てなわけで、このホームページの更新も月2回ぐらいに激減しますので、みなさん淋しがらないでね☆
始めは無名だった、しかし、それからJean-Paul
GAULTIER.に、そして、Vivienne Westwoodへと、しかし、なぜだかRalph
Laurenに。
今では5代目になる。眼鏡である。
全て、飲んでる時に行方不明になっている。目が悪くなって4年目になるが、すでに視力は0.2。まあ、普通には世界を観られていない。しかし、なぜだか免許更新は裸眼で通っている。
まあ、そんなことはどうでもいいのだが、とうとう、私は不視野歴4年目にして、眼鏡5代目にして、Ray‐Banに至ってしまったのである。
しかし、Ray‐Banはサングラスの王道である。決して眼鏡の王道ではない。そして、Ray‐Banにまで達した俺は、あと数時間後に新学期が控えているにもかかわらず、泥酔なのである。
とうとう、俺もRay‐Banが似合う年齢になってきたのである。
太陽が差している日にしか動かない。それがアダルトな男である決意である。だから、俺は今日は動かない。
雨が止んだら動こうじゃないか。男は常に眩しくなくては。
昨晩、泥酔せず、予定通りに国分寺へ向かっていたら、おそらく大変な目に遭っていただろう。台風14号が過ぎるまではバイクを動かせそうにないので、しばらくは実家からの登校になりそうである。たぶん、14号が来る明後日は学校も休みになるだろうから、台風一過の青空の下、ゆっくり旅立てば良いではないか。
しかし、全身筋肉痛である。
実は昨日、野球の公式試合だった。しかし、対戦相手が来ず、不戦勝。試合をやるはずだった2時間をみっちり練習に当てたのである。あまりにも激しい練習に股関節の筋が攣ってしまったほどである。股関節が攣るとけっこう恥かしい格好になる。そして、今日、朝起きると筋肉痛が全身を覆っていたのである。おまけに二日酔い。最悪である。
せっかく学生に返り咲いたのに、その最たるイベントである夏休みの最終日がこれでは、もう、なんだ、学生って?つうか、夏休みっつってもほとんど働いてたんだけど、なにこれ?なに?俺はなんなのさ!
俺の夏休み~!
今、実家の風呂が壊れていて、シャワーも出なければ、湯船も沸かせない。昔なら、近所の銭湯に行ったもんだが、なんだか1人で銭湯に行くってのも億劫で、結局2日間風呂に入っていない。
おかげで、髪はテカテカと華々しい光りを放ち、身体からも馨しいフェロモンが放出している。お肌の調子も抜群である。今の俺は25年間で一番美しい。
風呂に入れば美しくなる、綺麗になるというごく一般的なセオリーを信じ25年間毎日風呂に入りつづけてきたが、そのセオリーは間違いだったのである。
信じることは簡単だ。しかし、疑うことは難しい。
今日は美しいが、おそらく、明日になると俺は25年間で一番醜くなるだろう。
強風である。雨も降り出している。しかし、今日しかない。チャンスは今だ。この嵐の合間をぬって行くしかない。おそらく、今行かなければ一生国分寺には行かないだろう、そして、大学にも行かなくなるような気がする。
しかし、それはそれで悪くない。悪魔の囁きってやつだ。
一応、進学校と呼ばれる中途半端な都立の高校に通った俺だが、若気の至りだったのか、元々そういうレールが合わなかったのか、とにかくそこからドロップアウトした。
しかし、そんな進学校に通った手前、立身出世思考が抜けず、高卒という負い目をずっと背負っていたのも事実。大学受験を志したのもそんな負い目からの影響が実は強かったのだ。お恥ずかしい。
しかし、大学に一年と少し通ってみたが、どうなんだろうか。ある種の気休めにしか機能していない気がしてしまうのだ。
とまあ、高校の頃と同じ悩みに直面している俺である。あぶねー。
さあ、旅立とう。
留まっていては何も始まらない。衝撃的出逢いが待ち受けているかもしれないし、絶倫的恋愛が待ち受けているかもしれないじゃないか。その十万倍は平凡なアパート生活が待ち受けている事を知りながらも、今の俺は夢や希望を持って旅立つ。それしかない。
人生に意味など無い。俺が生きている事にも別段特別な意味など無い。
しかし、俺はココにいる。それでいいじゃないか。気楽でいいじゃないか。
さらば。
僕はアレルギー体質である。
スギ花粉や食べ物なんかは別段問題ないのだが、ダニに対してはかなり敏感な拒絶反応がある。実家では風通しの良いフローリングの部屋をあてがわれていたので別段問題は無かったが、畳のアパートで生活を始めてからは換気や掃除に気を遣わないと酷い目に遭う。
そんなこんなで、昨晩、夏場一ヶ月ちょっと放置しておいたアパートに戻ったわけだが、これが参った。参りまくりだ。身体は痒く、目はチクチクと痛み、鼻は詰まり、喉には痰が絡まる。生体機能の9割が麻痺した。そりゃあもうダニたちにとっては住み良い環境だったことだろう。それと同時に、僕にとってはアウシュビッツのガス室に値する最悪の環境だったのだ。特にアレルギー反応ってやつは眠気と共にやってくるので、深夜クタクタになって戻った僕にとって、昨晩はまさに真夏の夜の悪夢的な千夜一夜物語であった。
しかし、俺はダニなどには負けない。
むしろ更なるアレルギッシュな身体を手に入れ、ダニに対しては徹底抗戦の構えで臨む。
おぞましい。
老人ホームで働いている友人から聞いたことがある。季節の変わり目にはお年寄りがポックリ、本当に簡単にその生涯を終えてしまうらしい。特に、暑い季節から寒い季節の変わり目は要注意らしく、この時期から冬にかけてはけっこう気を遣わなくてはならないということだ。
私はお年寄りでは無いけれど、今朝の寒さには、ついうっかりポックリ逝ってしまいそうだった。もう、全裸で寝られるほど私は若くないのかもしれないのかなぁ。
そういった意味では、僕のある種の人生の一部が、今朝、ポックリ逝ってしまった。
「METROPOLIS」という在日外国人向け(主に英語圏)のフリーペーパーをご存知だろうか?僕はこのフリーペーパーの愛読者である。もちろん、記事は全て英語である。
外国人をよく目にするようにはなったが、僕らは彼らの内情をよく知らない。しかし、このフリーペーパーは僕らにとって身近でいて遠い存在であり、時には不気味な存在にすら映ってしまう在日外国人について、優しく扉を開放してくれる事だろう。
特に、僕はこの雑誌の巻末にある「classifieds」のコーナーが大好きで、毎回、隅々まで読ませてもらっている。まあ、早い話は三行広告のコーナーである。どうせなので、今週の「classifieds」コーナーから目に付いた記事を一つ紹介したいと思う。
Gay teacher.
Hello ! I'm looking for an experienced Japanease
teacher who is also gay for private lessons.
Must be fun, yet professional !
Photo appreciated. oooooo@oooo.com
ゲイの教師。
こんにちは! 私は経験豊富な個人指導の日本語教師(ゲイ)を探しています。
楽しくて、更に、専門的である必要があります。
写真評価。 oooooo@oooo.com
とまあ、こんな調子である。なんと濃密な三行広告だろうか。三行でここまで含みのある文章を作り上げる方もプロフェッショナルである。最後の「yet
professional !」の部分なんてもうなんだか、いったい何に対してプロフェッショナルである事を要求しているのか。写真評価という所もハイレベルだ。日本だったらソレ系の雑誌にしかまず載らない記事だろう。
しかし、この「METROPOLIS」は一般的な情報誌なのである。映画の情報やクラブイベントの情報など多彩な分野を扱う真っ当な情報誌である。「ぴあ」を買うんだったら「METROPOLIS」を貰った方が絶対に得である。しかし、あらゆる情報に関して非常に懐が深いのである。
まあ、そういった所が面白いわけである。
上に「優しく扉を開放してくれる事だろう」と紹介したが「非常に優しく」と訂正させて頂きたい。最注目雑誌である。
疲れた。
これからバイクで国分寺にはちょっと帰れない。それぐらい疲れた。
もう寝る。
明日の朝、早く起きて国分寺へ戻ることにしよう。それがいい。この疲労でバイクで国分寺へ行くのは危ない。明日、早起きすればいいじゃないか。
さて、この選択が妥当だったのかどうなのか。答えは全て明日の朝になれば分かる。選挙結果だって速報なんか見なくても、明日の朝になれば全ての答えがそこにある。
みなさんオヤスミ。
目まぐるしい一週間であった。
おそらく、巷で「忙しい」とほざいている奴らよりはよっぽど目まぐるしい一週間であっただろう。なぜならば、今週は自発的な一週間だったからである。自分以外に責任を求めない一週間だったからだ。
まあ、そんなわけで今週の日記の記事を一切記録できなかったわけだが、これは俺の責任であり、俺の責任である。とまあ、逃げてみた。
なので、今週、一日づつ特筆すべき事柄を一日一言記す事にしてみよう。
9/12(月)
米が尽きる。
9/13(火)
同じクラスの女の子が出てくる卑猥な夢を見る。
9/14(水)
憂鬱質における西洋世界と東洋世界の関係性を知る。
9/15(木)
重要なのは尻である。
9/16(金)
BKACK EYED PEASという人たちのライブへ行く。(巨乳揃い)
9/17(土)
おそらく、生涯で一瞬の素晴らしい瞬間に出逢う。(萌え)
9/18(日)
女の子のTバックを二度目撃し、一度はその尻に触れる。
二日酔いで頭が痛く、早朝5時に「頭が痛いんです!誰か助けてください!」と訴えていたら、本当に救急車を呼んでくださった人がいた。
救急車には乗らず帰宅。
まあ、そんな感じだ。
お久しぶりでござる。
普段は「ござる」なんて言葉など間違っても使わないが、今だけは目をつぶって頂きたい。「ござる」のニュアンスが持つちょっとお茶目でちょっと時代遅れな感じが今の私にはピッタリなのだ。
だから、
お久しぶりでござる。
「ござる」を使った時のこの気恥かしさが良い。
さて、話は変わるが、私、真平は目下大学のグループ課題に翻弄されまくりだ。今回のグループ課題はクラス規模。我がクラスは31人なので、この課題の発表期限、今週9月29日(木)まではこの31人一丸となって突っ走ってゆくのである。今までも毎日朝9時から夜10時までノンストップで走りまくってきた。あと少しでゴールである。ようやくである。
しかし、思い返すと、こんな大規模プロジェクトは高校の合唱コンクール以来だ。およそ10年ぶりの巨大プロジェクトなのである。しかも、今回の課題は合唱コンクールなどという出来合いの代物ではなく、正真正銘、1から自分達で創り上げていかなければならない過酷なものである。
皆さん、遠き日のあの合唱コンクールを思い出して頂きたい。
時には諍いがあり、時には涙し、時には歯を食いしばり、最後には喜びに明け暮れたではないか。
たしか、ユーミンの曲でこんなのがあった。
あ~な~たは~♪わ~た~しの~♪せ~いしゅん~♪
そのもの~♪
そう!青春そのもの!
私は今まさに「ザ・青春」って奴を味わっているのではなかろうか!?
諍もあった。涙もあった。歯も食いしばった。おそらく、たぶん、25歳の私も最後には喜びに明け暮れるのであろう。地位にも名誉にも左右されず純粋に頑張る。甘っちょろくも美しい。青春。
今、私は青春でござる!
青春ってヤツはなぜこんなにも気恥ずかしいのだろうか。。。
「ござる」と併用するとけっこう身に染みる。
私は自分でも「なんだこれは!?」と思うような時代遅れでダサいファッションを纏って街に出かけるのがけっこう好きである。
そんな格好で街を歩いていると、特に過敏な反応をするのが、明らかに「自分は服装に拘っています」と分かってしまう小洒落ボーイやガール達である。
以前、夏休みにバギー松木氏とアキバ系のコスプレで秋葉原へ行った時なども、目の前で「うわ~、つうかやばいでしょ~」とOL風情の女性グループに言い放たれた。冷ややかな視線をバシバシ打ち放ち、苦笑まじりに連れの友人や恋人とヒソヒソ話をする。まあ、一般的な反応である。「なんだつむはっ!」ってな感じなのだろう。しかし、それこそ「なんだつむはってか!」である。私は変なおじさんなのである。そして、踊りだす。
変なお~じさん♪だか~ら♪変なお~じさん♪
まあ、早い話は、お互いが変であり、お互いが何の変哲もないのである。ファッションってのはそういうものなのである。しかし、誰もその事には気がついていない。そして、何を隠そう、今、世の中で一番洒落が効いているのは私のダサダサファッションなのだ。「お洒落」ってのはそういう心意気の事であるように思う。見た目ではない。
付け乳首は近年稀に見るお洒落アイテムだ。
そろそろ挑戦しておかないといけない。
「秘密基地」という言葉に僕らは何度胸を躍らせ、何度その建造に挑み、何度挫折していったか分からない。
小学生、主に低学年の頃の一時期は「秘密基地」が大流行だった。「秘密基地ブーム」である。「秘密基地」に適したロケーションを見つけると秘密の目印を付けておいて、内密に仲間達に連絡をとる。この場合の連絡のやり取りはノートの端をちぎったような無造作な手紙の方がより効果的である。つづいて、極秘に施工の計画を立てる。構造設計などはある程度の知識を持つ仲間が指揮を執り、作業配置などはリーダー的な仲間が配分する。そうしてある程度の計画が練りあがると、計画に適した建材や道具などを持ち寄り、速やかに、そして、秘密裏に作業に取り掛かるのである。「緊急食料」などと称して駄菓子屋で買ったスナック菓子を「緊急食料庫」に備蓄したり、「作業工程日誌」などに作業工程の記録をつけたりするのもソレっぽくって仲間の士気も高まる。もちろん「作業工程日誌」はベルマークの部分が切り取ってある使い古しのジャポニカ学習帳である。それ以外にもジャポニカ学習帳には「秘密暗号」や「緊急配備表」や「基地管理」など、あらゆる状況を想定した基地の防衛管理マニュアルを記し、基地の保守管理に励むのも良い。
まあ、こんな風にして「秘密基地計画」は往々にしてこの程度の段階までは順調に進むのである。
しかし、いよいよ「秘密基地」が形而下から形而上的な様相を現し始めると事態は急変するのである。ある時は上の学年の餓鬼大将グループに基地ごと奪われてしまったり。ある時はその基地を設置した土地の持ち主に強制排除されてしまったり。ある時は台風に根こそぎ破壊されてしまったりと「秘密基地」はその出現とともに悲惨な末路を辿ることになるのである。あれほど綿密に練った「秘密暗号」や「緊急配備表」や「基地管理」なども結局は何の役にも立たない。異質な物は排除されるのである。それは形而上的であれ形而下的であれ、この日本社会において運命は同じである。世界的にもそうかもしれない。
しかし、私たちはそんな悲惨な体験に一切めげる事なく、次から次へと「秘密基地計画」を発案しては、実行し、そして、挫折するという事を粘り強く繰り返していたように思う。こと「秘密基地計画」に関しては特に固執していた。まるでそれこそが私たちの生きる糧であるかのように、何度も何度も諦めずに挑戦を繰り返していた。
さて、そんな勇壮な遠い日の記憶なんてすっかり忘却の彼方である現在の私はある意味では「秘密基地」と言えなくもないごく個人的な空間を手に入れた。経済的にも精神的にも完全に自分の力で手に入れた空間である。ロケーションも悪くはない。しかし、確実にそれは「秘密基地」とは言いがたい。なぜなら、賃貸のアパートだからである。
確かに経済的にも精神的にも自立しているかもしれないが、それはあくまで賃貸という社会的なルールに乗っ取った、とても健全な空間なのである。それは秘密でも基地でも何でもない。ただのアパートなのである。
当時の私達の望んだ空間はあらゆる意味で「怪しげ」で、あらゆる意味で「不健全」で、あらゆるモノから「自立」していなければならなかった。ある意味では自分たちの法治国家の設立を目指していたのである。大袈裟に言えば、この日本という国家からの分離独立運動を毎日繰り返してたのである。そして、毎日、挫折していたのである。しかし、その夢を決して諦めなかった。
ただ、私は思う。あながち私はその頃からたいして変わっていないのだなと。決してその存在を認めてはもらえない「秘密基地」というものを心の奥底で未だに追い求めているからである。