2006年 4月
4月1日(土)

26歳にもなって、学生をやっていて、しかも、潰しの効かない美大なんかに通っていて、世間的には面と向かってあまり大きなことは言えないけれど、これでも、健気に、そして、誠実に生きようとしていたりもする。たまに、公衆の面前で放尿なんかをしたりもするけれど、26歳の自分自身に色々なことを問いかけながら、苦悩しつつ歩みを進めている。

しかし、そうやって生きていても、やっぱり自分自身のだらしなさや傲慢さなんかに反省させられることが多々あって、そういった意味でのひとつの代償行為として、私は一縷の希望や可能性に対して貪欲なまでに喰らいついてゆくことを忘れない。ぜんぜんつじつまが合わないと思うかもしれないが、まあ、私の中ではそういうことになっている。

例えば、大学受験がそうであったり、一人暮らしがそうであったり、学内での署名活動がそうであったり、映画への出演がそうであったり、政治運動がそうであったり。ごく個人的なものから公共の福祉のものまで、何かしらの可能性が一欠けらでも残っていれば、私は積極的に奉仕する。それがいくら個人的なものであれ、公衆のものであれ、私は全身全霊を捧げる。もしそれが失敗しようとも、弾圧されようとも、だ。

そして、今回の歯の移植に関しても、同様の私の哲学によって決定付けられ、実際に断行されたものであったのだ。だから、それが失敗に終わろうとも、私はめげない。そういった挑戦には失敗はつきものなのだ。むしろ、稀有な挑戦をした自分自身を褒め称える。この痛みはその勲章なのである。

つまり、今回の歯の移植手術は失敗した。

色んなことが痛いが、私はめげない。

4月2日(日)

携帯電話が壊れた。

高校生の頃のポケベルから始まる私のモバイル端末との出会いの歴史の中で、これほどヤワなやつは初めてだ。過去には車の下敷きになったやつもあれば、川に浸水したやつもあった。しかし、やつらは多少の損傷は受けても、そのモバイル端末たる機能は純然と保持し立派に生還した。もちろん、その帰還を私は果てしない愛情を持って迎えた。

特に私はバイクに乗るので、否が応でも、雨にさらされ、風に打ちひしがれ、振動に苛まれることになる。しかし、むしろそういう現場だからこそモバイル端末の真価は発揮されるし、発揮されなくてはならないのだ。つまり、多少の風雨や外圧に耐えられないものなどモバイルとは呼ばないのだ。

そして、今回のこのFOMAってやつはちょろっと雨に打たれただけなのに脆くも電源すら入らなくなった。まったくなんとヤワに出来ているんだろうか。いくらテレビ電話ができようが、いくら写真が撮れようが、壊れてしまっては何の意味も無いではないか。最先端モバイル端末が聞いて呆れる。この貧弱者が!

という訳で、最早、モバイルと呼ぶべきでないが、私はFOMAとかいう唯一のモバイル端末を失ってしまった。ちなみに、水の浸水による故障には保証が効かないらしい。ったく、大馬鹿野郎だ!

電源は入らないくせに、なんだか煌々と光っていやがる。漏電もいいとこだ。光るぐらいなら懐中電灯で充分だ。まあ、明日になってもまだ光っているようだったら、自らの手でへし折ってやる。お前に残された道は早く乾くことだけだ。貧弱者は私には必要ないのだ。なぜなら、私こそが最大の貧弱者だからだ。貧弱者は2つもいらない。

4月5日(水)

術後の口の中がまだ痛く、この間、かなりヤクザに食物を摂取していたため、体調もどことなくおぼつかない。胃も非常に痛い。これだから春ってやつは嫌なんだ。憂鬱な季節だ。

さて、今年度から早稲田大学に通う事になる。早稲田生として通えれば良かったのだが、残念ながら単位互換制度を利用した週一回の通い妻だ。しかし、それでも今から気分はウキウキだ。まずはタモリ研究会の全貌を暴いてくるので期待してくれ。

口の痛みも無くなり、体調も調い、春の香りも落ち着く頃、ようやく私の今年度は始まる。今年は何か色々と始まりそうな予感だ。

っしゃー!

いってきまーす!

4月9日(日)

馬鹿と呼ばれても、もう僕に弁解の余地は残されていない。潔く僕はその罵りの言葉を受け入れよう。実際、僕は馬鹿なのだから仕方がないのだ。大事な結婚式の日取りを間違える奴など馬鹿以外の何ものでもない。

まあ、でも、多くの人に迷惑はかけたけど、結果オーライ!結婚式には出席することができたし、もう二度と結婚式には参加しないことも決めた。僕は僕なりに結婚式以外での祝福方法を考える事にする。そして、僕は馬鹿として何とか元気に生きてゆく。そうするしかない。馬鹿は死ななくては直らないらしいし、僕は大馬鹿者でも、まだ死にたくはないからね。

話はぜんぜん変わるけど。これは「プージェー」。ドキュメンタリー映画。6月3日から公開。僕の大学の文化人類学の関野吉晴先生が関わったドキュメンタリー。授業でもこのプージェーという女の子の事の授業をやったんだけど、僕は唖然とした。この物語は皆さんにも是非知っておいて頂きたいと思う。

4月11日(火)

明日より国分寺アパート生活に復帰する。たつみ荘、改め、たつみコーポとなった国分寺アパートの住人は、なんと、今や私一人になってしまった。ネーミングが原因なのかどうなのか、それはどうにも分からないが、この季節に新入居者をゲットできなかったという事は、今後もちょっと厳しい感じだ。まあ、しかし、住む方としては隣近所に気を遣わずに伸び伸びと生活ができるので嬉しい限りだ。

現実的に動かなくてはならないことが色々と進み始めているので、今年度はとても忙しくなると思う。それに伴って、このサイトの更新頻度もぐーんと減ってしまうかもしれないが、それでもコツコツと根暗に更新を続けていくので、パソコンを立ち上げた際はみなさん「真平」を御贔屓に。

それでは、いざ、さらば。

今年度の私の生活のコンセプトは「ブルース」だ。ルース・ブラウンを見習って生活してゆく。しかし、すげえおばちゃんだ。

4月13日(木)

明日からWebやポータルサイトの製作や運営をしている会社にアルバイトに行くことになった。しかも、破格の待遇で。HTMLやJAVAだ。バッチこーいっ!

しかも、その会社はフリーペーパーや雑誌などの紙媒体にも着手する予定があるという話だ。編集や企画や取材だ。こらまたバッチこーいっ!

持つべきものは友人である。

さて、話は変わるが、今日大学のガイダンスがあって面白い話をされた。まあ、私たちももう3年生で、いわゆる人間の興味にからめた進路に対するモチベーションの話をされたのだが、ある駄洒落好きの教諭が、こんなことを言っていた。

世の中には駄洒落がわかる人とわからない人の2種類しかいない。わからない人はそのまま普通のおじさんやおばさんになってゆくし、わかる人は何かしら次に発展する。下らないことかもしれないけど、そうゆう事になっている。

こんな乱暴な感じでは言ってなかったけど、かいつまむと大体こんな感じだったと思う。まあ、興味の方向性の話だ。

僕が色々な知識を持っているとは言わないけれど、やっぱり、人と話す時、ある一定レベルの会話になると、その気持ちをできるだけ具体的に伝えたいから、具体的な事例や概念や経験を持ち出す。でも、相手がその具体的なものを知らなかったり、分からなかったら、それでもう話が進まなくなる。その概念なり事物を一から教えてたら日が暮れてしまうしね。つまり、もうそれ以上の事をその人と意思疎通できない。それは僕自身にとっても不幸な出来事だし、相手にとってもこの真平と会話できないということがどれだけ不幸なことか。

まあ、まあ、それは冗談だけど。

しかし、まあ、僕の話が上手くないってのも原因なのかもしれないけど、そういう事って悲しい。前にロックが好きですって言ってた女の子と話をしていて、何かのきっかけでニルバーナーの話を出したんだけど、すっぱりひと言「私は洋楽は聴かないんです。興味ないんです。」って言われた事があった。もうなんだかね。まず、その子と親密な関係に発展することは無いと思ったね。

でも、そういう訳のわかんないところで線引きしたり、拒否や拒絶を主張する人ってけっこう多いんだなーって最近思う。まあ、拒否したり興味が無いってのも一つの選択ではあるし、人間、何から何まで手を広げたりはできないけど、僕はやっぱりそれではもの足りない。

まあ、そんなこんなで、僕だってそんなに他人の事ばかり言ってられるほど何かあるってわけではないし、他人の振り見て我が振り直せって事で、ちょっとハッとしたわけです。

あ~、早く寝よう。

ジャケの少年のチンコはけっこうな物議を巻き起こしたのにね。

知らないんだ。残念だ。

4月17日(月)

授業初日から寝坊した。潔い僕は今日一日の授業を全て放棄することにした。もう、なんだかハリがないのよね。卒業単位数を既に履修してしまった私にとって、最早、大学の存在意義が感じられなくなってしまった。んなもん行ってられっか!ってね。

でも、なんとも白けたムードの私ではあるが、それはそれで危機感を持っているし、なんとも情けない状況であると認識もしている。そもそも、僕が大学に入学したことは、そんなしみったれた理由からではないのだ。

でも、今はしみったれている。

一番の問題は履修登録だ。毎年思うのだが、この短期間に、よく分からない授業のカリキュラムを1年間分いっぺんに決めなければならないなんて、ちょっと馬鹿げている。どういうつもりなんだろうか?ある意味、博打である。

もう一つ目の問題はバイトである。先日もお話したが、先週から編集のバイトを始めたのだが、これがなんともまぁ~な感じなのである。あまり大っぴらには言えないので、詳しくは裏の日記を見て頂きたいのだが、なかなかどうして、なんともまぁ~なのだ。

でも、僕がどんなに声高らかに文句を叫ぼうとも、残念ながら世の中ってのはそういう風にできていて、僕らはその中でがんばって生きていくしかない。この社会ってのはまだそれほど優れていないし、この先、好転的に変化する保障はどこにもない。

でも、こんな社会が誰の目から見ても面白くないことは事実だと思う。

4月22日(土)

暴力。暴力と言われるものに直面したのはいつの頃だっただろうか?おそらく小学校の頃までのそれに類似したフィジカルな行為は暴力の範疇には入らなかったと思う。自分もそれと認識していなかったし、当事者も意識していなかった。そして、根本的にそれは本質的な暴力とは一線を画すようなものであったように思うし、暴力にはあるはずのない、何らかの正当性や秩序を持っていたような感じもする。

年代的なものも、時代的なものもそれほど関係ないと思うけど、暴力というものが僕の目の前に現れたのは中学生、その頃だったと思う。良かった事なのかどうなのか、そんなことは分からないけれど、とにかく僕は中学のある時期に、暴力性に富んだ世界の中を生きていた。それは間違いないことだ。とにかく日々を脅えて過ごしていた。そんな時期があったのだ。

その一つの結果として、僕は思春期特有の自意識を失った。おそらく僕の周囲の同級生の中にも同じような影響を受けた奴はいると思う。今考えても、本当に酷かった。まあ、今だから笑えることもあるけれど。

ただ、その自意識の欠落は、幸いなことに、僕にとっては良い方向に働いたように思う。つまり、当時の一般的な思春期の自意識は、むしろ、僕が経験した暴力よりも壮絶な暴力に晒されていたってことだ。そして、幸運にも自意識や自尊心を失った僕は、その暴力から逃れることができたのだった。メディアという暴力によって、当時の高校生の自意識は深く傷つけられていた。そして、今も彼らは執拗に傷つけられ続けている。最早、瀕死の状態だ。

Ron Mueck

自意識が瀕死になると、世の中は硬直する。つまり、面白くないのだ。

4月23日(日)

先日、成田空港に行ってきた。あまり訪れる機会はないけれど、僕は空港の持つ独特の雰囲気が大好きだ。人の人生って僕が考えているよりけっこうドラマティックで、でも、そういうドラマは頻繁に垣間見れるようなものではない。ただ、空港にはそういうドラマと容易に出会うことができる。「到着した!」とか、「帰ってきた!」とか、何らかの人生の分岐点が空港には存在していて、それはある種のドラマを持って人々の表情や行動に現れる。そして、そういう人生の分岐点に立っている人たちを見ていると、人間も捨てたもんじゃないなと僕は思える。

先日も、その空気を存分に満喫しようと、約束していた時間より1時間ほど早く空港に訪れて、意味も無く空港内をウロウロし、実際に数多くの人生を見ることができた。とても有意義な時間だった。でも、僕は人の人生に感動ばかりしていて、自分自身の人生の目的を忘れてしまっていた。なんと、僕が感動を繰り返していた第一ターミナルは僕の人生にとってはあまり関係が無い場所で、僕の人生の目的は、実に第二ターミナルにあったのだ。つまり、約束の場所を間違えてしまっていたのだ。

これも人生。しかしね。

Ron Mueck

4月24日(月)

日曜日・祝日はフルタイムの仕事を五反田でやっている。だから、交通の便のことなどを考えて、土曜日の夜には品川の実家に帰って、次の日の朝に五反田に余裕を持って出勤できるようにしている。そして、一日働いてから、日曜日の夜、終電で国分寺のアパートに戻る。理想的なスケジュールだ。去年はほぼこんな感じにやっていたし、今年もきっとそうなると思う。

今年からは火曜日には早稲田に通い、水曜日には編集のアルバイトで神谷町に通い、それに加えて日曜日・祝日の仕事がある。単純に一週間の移動距離が長くはなるけど、距離の問題以外にはそれほど気にしていなかった。

でも、昨日の日曜日、仕事が終わって夜に国分寺のアパートに戻った時、様子がちょっとおかしかった。帰ってきて、ちょっとお茶を飲み、布団を敷き終えてから、風呂にでも入ろうかと思っていたら、その次の記憶がバッサリと消え失せて、気がつくと朝になっていたのだ。

完全に疲れている。

実際の運動量の増加は考えられたけど、僕は体力の低下の問題を一切考えていなかったのだ。そして、27歳になる僕はそういう事も考えなければならない年齢なのだ。これは単純に哀しい。

今年は週に1日休日を作ろう。

4月26日(水)

国分寺の漫画喫茶から書いている。

条件として、ホロ酔い加減で新宿から国分寺(20分程)に帰ってきて、漫画喫茶でコカコーラを片手に文字を記すというのは、なかなか良い環境かもしれない。しかも携帯電話を携帯するのを忘れていて、年下の女子に囲まれて帰ってきた場合。それは最大限の効力を発揮するような気がする。つまり、今。今、正にである。

予備校時代のクラスメイト(6っつ違いの女子に囲まれて)と飲んできた。この過去4年に及ぶ日記を読んで頂いた方には分かって頂けると思うが、予備校時代の僕の苦悩の記憶は、この日記に赤裸々と語られている。そして、本日、その、当時のクラスメイトと交流する機会を授かったのだ。これを書いているのは、その直後のことである。わずか20分前の出来事。生の記録と言ってよいだろう。

本日の極めて現実的な後悔として、彼女達に率直に今の僕の心境を語るべきではなかった。僕は彼女たちのバックグラウンドを知らないし、益してや、女子でもない。そういった意味では、僕は自分自身の素直さを彼女等に見せるべきではなかったのだ。そしてその第一の姿勢として、僕は最初から間違っていた。なぜならば、僕はビールを飲みすぎてしまったのだ。

なぜ、そんな行為を僕が反省するのか。それは説教好きの大人がやる行為であり、僕はそんな大人を一番憎んでいるからだ。だから、僕はそれをやるべきではなかった。

しかし、言い訳ではないけれど、僕はそれ以外のボキャブラリーを持ち合わせていなかった。残念ながらと言うべきかもしれない。僕は結局、そのレベルの人間なのだ。

ハッキリ言って、今の時代は恐縮の時代だ、その対象が何であれ、僕らの世代は恐縮しっぱなしで、しかも、恐縮しているその対象に不満を持っている。ただ、その不満を上手く言い表すことができない。しかも、言い表すことができなければ、それは無いも同然の社会に生きているし、そんなものには誰も振り向かない社会である。例え、それに共感しようとも、それは無駄なことなのだ。意味の無いことなのだ。

裏を返せば、今の社会は、何らかの意味に向かって生きている。社会と言うと大雑把になるけれど、今の個人は、何らかの社会的意味を求めて生きている。ただ、残念ながらその意味は、僕らが恐縮しつつも不満を持っている社会に対して意味なのだ。そして、僕はその社会に対して反発を持っている。

しかし、まだ、僕はその反発に対する的確な物語を持っていなかった。しかも、その曖昧な物語の中で僕は彼女等に語ってしまったのだ。これほど無責任なことは無いと思う。しかも、これは、今、僕が最も卑しむべき無責任なのだ。

僕が今、何かを背負っているわけではないけれど、自分なりの責任は感じていて、だからこそ、大学の若い友人には多くを語らないようにしてきた。しかし、僕は本日やってしまったのである。

余談だが、今日、僕はフランス語の授業があって、シラバスには「あらゆる観点かおいて適当な辞書を持参すること」と書いてあったのに、僕はけっこう古い仏和辞典を持って授業に参加した。すると、突然、教師から「お前!この辞書は!」と指摘されたので、僕は思わず「いや、知らなかったもので。」と弁解したところ、「これは僕が仏語を勉強しようと思ったきっかけの辞書なんだ!」と言われ、僕はすごい情けない気持ちになった。どうやら、僕の持っている辞書は、日本最古の仏和辞典だったらしい。

つまり、今日の飲み会で感じたのは、その仏語の授業ぐらいの情けなさだったのだ。

僕はまだ何も知らないのだ。そして、その何も知らないと言うことを、酒の勢いで不特定多数に語るべきではないのだ。

この日記も同様に。

しかし、僕は語る。

4月27日(木)

先週から早稲田大学に通っている。

早稲田大学はオーガナイズすることにもオーガナイズされることにも慣れている。武蔵野美術大学は両方とも慣れていない。単純にどちらが損か得か。今の価値判断で言えば早稲田のほうが圧倒的に得であろう。ただ、現在の若者の大多数は武蔵野美術大学傾向であることは間違いない。なぜなら、早稲田の持つバイタリティは、過去に輩出されたスーパーフリーの持っていたような危険性を孕むことであるし、そうゆうことに対して僕らはある種の反感を持っているし、そういう事には敏感だ。

ただし、その反発や反感は、今の時代、早稲田的なアプローチでしか解決されない問題であると思う。つまり、何が言いたいのかというと。

タッグを組もうぜ!ということである。

早稲田プロデュース武蔵野美術。この真平を媒介にしてさ。世界を変えようぜ。

4月28日(金)

こんとこ、ちょっと、本当に、何がなんだか分からない。

大学が始まって、講義などで眼鏡をかける機会が多くなった。そのせいで、事物がよく見えることに慣れてしまい、逆に、眼鏡を外した時の違和感が強くなってしまった。

意識として、別に見えなくてもよかったという状態がそうではなくなると、印象は更なる加速度を持って変化する。つまり、同じ悪い視力であっても、見たいという意識と、別にそこまで見たくないという意識だと、実際に目に見えてくる印象が変わってくるのだ。黒板に書かれた文字は同じようにぼやけて見えるのだが、見たくて見えないのと、それほど見たくもなくて見えないのとでは大きな差がある。しかも、それが慣れとという無意識下で起こるとなると、これはちょっとひどいことになる。自分自身が必要以上に世界を見えなくしてしまっているのだ。

そして、冒頭にも述べたが、その視力の問題と同じくして、僕は今の自分自身がよく見えなくなってしまっている。なんだかよく分からない。うまく合理化できないのだ。焦点をどこに合わせたらよいのか分からない。だから、とりあえず、自分自身に対してハンガーストライキでもやってみる。