2006年 6月
6月1日(木)

大学で専攻している舞台美術の授業の一環で、今日、新国立劇場へ行ってきた。ヨハン・シュトラウスの「こうもり」にバレエの要素も取り入れるという新しくないこともない試みの演目をやるそうで、まだ装置の仕込み半ばの慌しい舞台裏にお邪魔した。

僕らが舞台裏を訪れた時にはちょうど照明の仕込が終わって吊り上げられてゆくところで、しかも同時に緞帳も開けられてゆくという幸運な場面にも遭遇することができ、ちょっと位置関係が分かりずらいので説明させてもらうと、僕らが舞台の上に立っている時に舞台の幕が開けられるという、いつも客席から舞台観ている人間には体験できないような瞬間に立ち会ったのだ。目の前に徐々に広がる客席、高揚する感情、波打つ血潮。これはちょっとなかなか血湧き肉踊る体験だった。もちろん、サタデーナイトフィーバーのジョン・トラボルタのポーズでキメてしまった事は言うまでもない。

しかし、あとは舞台装置のリハーサルだったので、部外者の僕らにとってはなんてことない。照明の微妙な調整だとか、舞台装置の配置だとかそんなもので、特筆すべきことはない。

ただ、一通り見学が終わった後の昼食が、これまた良い体験だった。というのは、なんと楽屋食堂で昼食をとることになったのだ。舞台装置だけではなく、既にオケやバレエやオペラのリハーサルも始まっていて、昼時の食堂は照明屋のおっちゃんや東京フィルのコンマスやバレエのプリマやオペラのソプラノでごったがえしていて、これぞまさにスペクタキュラ!そこには舞台の上よりもむしろ幻想的な光景が広がっていたのだ。

う~ん!いいっ!

帰宅後、人知れず感動する真平であった。

6月2日(金)

悪友が就職したそうだ。

旧友が大阪へ転勤になったそうだ。

学友の恩師が盗作疑惑の渦中にいるそうだ。

親友がオッパイパブにはまっているそうだ。

昔付き合ってた彼女が結婚するそうだ。

世の中は常に目まぐるしく先へ先へと流れていって、僕はその流れの吹き溜まりのような場所にいつも独りぼっちで取り残されながら、新しい一歩を踏み出してゆく朗らかな親友達を見送ってきた。そして、そんな僕は今年で27歳になる。18歳の頃から9年間。僕は色々な旅立ちを見送ってきた。

でも、どうやら僕はペルーに行けそうなのだ。

6月3日(土)

汚い話になる。

僕は少なくとも日に3回は排便をする。飯を食った後には必ず出る。あと、三時のおやつ的なやつがちょこちょこと出てくる。もちろん常に軟便気味だ。一般的な排便回数を調べると、男子は日に1回、女子だと2~3日に1回という事らしいので、それに比べると僕の排便の経験値は普通の人よりだいぶ高い。

だからなんだと言われればそれまでだけど、つまり、軟便だけに何遍もトイレに行っちゃうんだよってこと。

6月4日(日)

シンクロニシティ。

そういう街があるのか、かっちょいい名前だな、なんて思ってた。しかし、シンクロニシティはユングが提唱した概念である。疑似科学的とされ、その有無は未だグレーゾーン。オカルトとして語られる場合が多いが、あらゆる意味において想像力をかき立てる単語である。僕程度では一言では語れないので、詳しくはデイヴィッド・ピートの『シンクロニシティ』なんかを読むと良いかもしれない。

さて、僕はシンクロニシティの「シティ」の部分を混同して「街」に繋げてしまったわけだけど、こういう音の持つ類似性に(シンクロニシティはアルファベットも街を意味するシティと同じなのだが)よって、何ら関係のない概念を急接近させてしまう、例えば、駄洒落やなぞなぞなんかはそういった言語の倒錯を利用した遊びで、まあ、こういった言語的類似に伴う関連性はとても分かり易いけれど、世の中にはどうにも説明しずらいんだけど、何だか関連性や対称性を感じてしまったりするものがあって、それは科学的にはきっと説明できなくて、人に言うのも馬鹿馬鹿しいようなものであったりするんだけど、確固として繋がってしまっている何か。もし、それを繋ぎとめているその何かがシンクロニシティであるならば、ユングさん、あんたはなんてスゲエ代物を研究していたんだ!そんな禍禍しいものは学問にしちゃいけないよ!

でも、そんな事を一切合財含めて、もしもシンクロニシティなんていう街があったとしたら、僕はそのいかがわしい街の住人になってもいい。

おそらく世の中の全ての醜と美が共存する街だろう。

シンクロニシティ。憧れの都である。

6月5日(月)

人を感動させる人がいる。僕は未だそんな感動を人に与えたことはないが、できるならば、些細ながらも人の感動を喚起できるような人間になれるなら、そんな幸せなことはないと思う。贅沢な願いかもしれないが。

なぜそんなことを願うのか。それは僕自身、この世の中に存在するあらゆるものに反応し、感動してしまうからだ。そして、僕はその感動をどんな形であれ、どんなに僅かであれ、誰かに伝えることができたなら、それはとても素晴らしいことだと直感する。

私たちには感動するという機能が備わっている。それは、人を孤独にさせる能力でありながら、人を対象に接近させる能力でもある。危くも素敵な人間特有の能力である。何かと何かが出逢い、また、分かれてゆく場所。僕はその末端に常に立っていたいのだ。

おそらく、僕がずっと誤解していた幻像の街「シンクロニシティ」はそういう感動が行き交う所なんだと思う。

6月6日(火)

ダミア~ン!

06年6月6日。オーメンデイである。666は獣の数字ということでアンチクライストを象徴するらしい。ちなみに、ダミアンくんは6月6日の6時に生まれました。

しかし、僕らアテーオ(無神論者)にとってはあまり関係のないこと。4=死とかいう不吉さは感じるけど、6にはあまり思い入れが無い。0721とかには如実に反応する人もいるだろうけど、666は僕らには関係ない。そういうこと。

でも、関係ないくせに、僕はこの西洋キリスト教世界にとって最も不吉な日に体調を崩してしまった。一人暮らしの体調不良は本当に辛い。このまま死んでしまうんじゃないかと思うほど、辛く、悲しく、孤独なものなのだ。

悪魔でもなんでもいいからそばにいて欲しい。ダミア~ン!

改めて見ると、ダミアンかっこいいね。

6月7日(水)

相変わらず、本日も体調不良。良い天気なのに、僕は不慣れな土地の暗いアパートの一室で孤独に病と闘っている。普段はあまり見ないテレビをつけてなんとかヤツの予感を拭い去る。こんな時、バラエティ番組が大きな支えになる。現状をヤツから遠ざける有効な方法だ。馬鹿らしさ、阿呆くささ、そんな他愛のないものが最も強力なのだ。

ヤツを敬遠しつつ、俺は飯を喰らう。何でもいい。冷蔵庫にあるものを片っ端から温めて喰う。喰わなきゃヤツに取り込まれる。生きる者の本能が弱っている時ほど開花する。そして、喰ったら眠る。

夕方、目が覚めると、ヤツの影はどこにもなかった。去ったのだ。

しかし、安心は出来ない。とにかく食料を買出しに行く。そうして、たくさんの食料を喰らい、たくさんの時間を眠り、僕はヤツの予感を微塵も感じない愚鈍で平和な日常に戻ってゆく。

健康サイコー!

しかし、油断していると、遥か後方から、ヤツは静かに、そして、確実に、忍び寄ってくる。

6月8日(木)

未完治の体調をおしても、午前の授業に出ようと思ったのだ。なぜなら、僕は川口先生、あなたが好きなんだ。強面なのに優柔不断なあなたが好きなんだ。しかも、舞台美術家として素晴らしい仕事をこなしているあなたが大好きなんだ。だから、朦朧とした意識の中でもなんとか学校に到着し、廊下の壁をつたいながら教室へ向かい、黒板にしっかりと書き記されてあった「本日休講」の文字を見た時は愕然としたんだ。

もう、何もやる気が起きない。

僕の奥底には思春期の少年少女たちが両親に向けるであろう不条理な反抗心が芽生えてしまったのだ。反抗期を知らない僕は26歳のこの梅雨時期に、その甘えにも似た反発を今ここに開花させる。

まぁぁあ!

6月9日(金)

僕が中学生の頃はまだ土曜日に授業があって(たしか隔週で休みだったのかな?あと、夏になるとカリキュラムが短縮されたりもしたよね?まあ、いいや)午前中はしっかり勉強をしていた。でも、授業はあるんだけど給食が無くて、いちいち家に帰って父親(父親は公務員でその頃はもう土曜日は休みだったんだ)が作ったかなり出鱈目なラーメンを食べてから、また午後の部活動に行っていたんだ。あの頃は律儀だったね。

でも、学年が上がってくるにつれ、家に帰るのが面倒になってきて(父親の作る出鱈目なラーメンへの反発もあるんだけど)、土曜日は昼飯代を親から貰って近くのコンビニとかで弁当を買って学校で食べるようになってきたんだ。手作りじゃなくてコンビニ弁当ね。結構、当時としては新しいスタイルだったんだ。上履きのまま外に出るのがカッコイイなんていうスタイルが確立されてくるのもこの辺りからで、上履きの靴底の薄さがアスファルトの硬い感触を足の裏に直に伝えるアノ感じは今でもかなりリアルに憶えてる。何かあった時でも上履きさえ履いていれば早く逃げられる気がしたしね。だから僕はなにかと追いかけられることが多かった学生時代、ナイキのレザーコルテッツを愛用して履いてたんだ。なんだか、上履きっぽいデザインだったからね。あと、もっと早く逃げられるようにバイクにも乗るようになったんだ。

ちょっと脇道にそれちゃったね。話を戻すけど、その土曜日の昼飯の時に、学校の裏にあるイレブンで(セブンイレブンのことを僕らの中学の僕らの世代はイレブンって呼んでいたんだ)絶対に買ってたのが、シーチキンののり巻きとコイケヤのコンソメ味のポテトチップスとコカコーラだったんだ。これは絶対に外せなかった。革命的な組み合わせだったんだ。和洋折衷の極みみたいな、ジャンクの中のジャンクみたいな、とにかく、こんなの昼飯じゃないよ!って友人から指摘されるところに僕は意味を感じてたんだ。

そして、僕は今日、実家に戻ってきたんだけど、気が付いたらその当時の三種の神器を手にしていたんだ。まったくの無意識だった。だから、こんなことを思い出したんだ。

10年以上も前の話で、僕自身もまったく忘れていた出来事で、でも、無意識的にその当時の商品を選んでた自分が現れちゃったりして、別に、とても些細なことだけど、ちょっと自分に愛着が湧いたりしたりね。凄く細かなことでもいいから、反発する事が価値だった時代が自分にもあったんだね。

これこれ、中学から高校にかけて、3回履き潰して、その度に買いかえたもんね。まだ売ってるのかね?この靴を履くとなぜか足が臭くなるんだよ。真っ黒な学生服に真っ白なスニーカー。今思うと、ダサダサだね。

当時、反発していた事のほとんどに今は呑みこまれてしまったけど、もう一度履いてみようかな。コルテッツ。

6月10日(土)

「最近のアイドルなんてぜんぜん分からねえ」なんて僕もたまにこぼすけど、海外のファッションモデル業界は日本のアイドル産業なんかよりもずっと流れが速くって、鮮烈にGucciの春の広告を飾ったかと思うと、もう引退か、なんて、よくある話。まあ、厳密な引退なんてものはないんだけど、下着ブランドの広告とかに出始めちゃったりすると、なかなか潮時感が漂ってくるものだ。その点、ケイト・モスなんかは今だに第一線のモードバリバリのところで活躍しているから凄いと思う。ヤク中になっちゃうぐらいだから、ストレスも計り知れないんだろうけど。

そんなこんなもひっくるめて、とっても無責任な話なんだけど、僕個人としては、新しい時代のアイコンとして紙芝居のように綺麗な女の子が入れ替わり立ち代わり出てきてくれるのはとても嬉しいし、実は、けっこう重要な生きる糧になってたりもする。身勝手です。

例えば、最近、っていってもちょっと古いけど、話題になったのがジェマ・ウォードだよね。

ん~、いいね~。2002年にデビューだから、もう大御所だね。貫禄がありますな。

ちょっとフェミニンな感じも良いですな。87年生まれだから、今年20歳か?いや19歳か?87年だからまだ昭和生まれか?

これもなかなか良いショット。ベビイフェイスとかドールフェイスとかもてはやされてね。ほんと、びっくらこいたよね。

すっぴんな感じもまたオツですな。

という訳で、こんな娘がこの地球上にいるんだなと思うと、おじさんは嬉しい訳なんです。そして、また新しく時代を担う娘が出てくるのかと思うと夜も眠れないのです。がんばって日々を生きてくよ!明日も仕事!がんばるよ!

こうゆうのってモーニング娘が好きなおじさんとかと意識的には変わらないかね?ちょっと同じにはなりたくないんだけど。だめ?

そう言えば、ビヨンセに会った時は失神しそうになったもんね。すんげえ可愛かったな~。今はどうしてるんだろうかな~。

6月11日(日)

以前にこの日記にもちょろっと書いたことがあるけれど、去年の今頃、アパートの大家からネギとシソの鉢植えを貰ったことがあって、ネギの方は真夏の炎天下の中で針金のようになって朽ち果ててしまったんだけど、シソの方は灼熱の太陽光線をも貪欲に自らのエネルギーに変え、当初たった3株だったにも関わらず庭の大半を占領するまでにその茎葉をモサモサと伸ばしてゆき、秋には沢山の実をつけて存分にその生涯を謳歌していった。あの成長ぶりはなかなか痛快だった。

そんなシソの子孫達が今、我が庭を着々と占拠し始めている。去年のように3株なんて数ではない。庭のあらゆるところから、下の土が見えなくなるぐらいにビッシリと、最初はただの雑草だと思っていたのだが、日を追うごとに特有の姿形を整え、匂いを発散し始める。

今年の秋、我が家はシソの餌食となるだろう。

ホントに奴らは爆発的に成長するんだ。

まさか、これは大家の陰謀だったのでは?

6月13日(火)

普通の大学がどうなってるのか知らないけど、うちの大学は一ヶ月に一回、実技の課題の提出というものがある。心血を注いで取り組まなければならないことが毎月毎月やってくる。そんな時にちょっとでも何かしらの予定が入ろうものなら、それは地獄絵図のような出来事で、体重を減らす人もいるし、頭が禿げちゃう人だっている。それぐらい大変な事が毎月やってくるのだ。皆さんが思っている以上にモノを作るってのは大変で苦しい。

まあ、そんなわけなんだけども、やっぱり、そんなこと分からない人は分からないわけで「課題があるから、ちょっと…」なんて友人の誘いなんかを断ると「んなもん適当にやっちゃえよ~」なんて適当なことを言われたりもする。適当にやるにしても適当が一番難しいんだよね。適当な発言は簡単なんだけどね。あと、「いつも変なもの作ってるよね~、楽しそ~☆」なんて言われたりして「んならお前がやってみろ!」なんて思ってしまうわけである。変なもんでもそれはそれでなかなか辛いのだ。

んなわけで、今、僕はその課題制作まっただ中で、下手すると留年(実技の授業は全て必修なのだ)してしまったり、禿げたりしてしまったり、発狂してしまうような危険と隣り合わせで夜更かししながら頑張っているわけなのだ。

あ~、ワールドカップを見ながらビール片手にゴロゴロしたいものだ。頭カラッポにしてね。ちなみに、ここ数ヶ月、土日もすべてバイトなので、休日というものが僕には一切無い。心休まる日がぜんぜん無いのだ。

助けてくれ~。つうか、もういやだ~。

6月14日(水)

デザインでも漫画でも絵でも彫刻でも、もちろん、文章でもなんでもいいんだけど、何かを具体的な形にする場合、ある程度の技術や経験が携わってくると、ある程度の良いものってのは出来上がってくる。「ん~、なかなかイイ感じじゃ~ん。」みたいなね。

でも、その「イイ感じ」っていうのは、御幣があるかもしれないけど、その辺のおばちゃんでも簡単にできちゃうことで、とりあえず、僕らはそのおばちゃん達の先に突き抜けてゆかなければならないのだ。その為にはいろいろ勉強しなければならないし、ある種のインスピレーションみたいなものを経験を積みながら獲得しなければならない。

でもそうやって精進したって「突き抜ける事」ってのはなかなか難しいし、そういう「突き抜ける」挑戦を毎月毎月しなければならないってのはなかなかしんどい。

ホントにしんどいんだ。

6月15日(木)

今日は課題の講評があったんだけど、今回の課題の担当の川口先生は僕のデザインに良い印象を貰ってくれたようで、畏れ多いいことだけど参考作品にも取り上げてもらった。僕は強面で優柔不断な川口先生(伊丹十三作品の美術を担当してた先生で他にも色々やってるみたい)が大好きだから、まあ、結果としては良かったんだけど、やっぱり、嬉しい反面、複雑な気持ちがあって、でも、その気持ちの原因が何なのかはまだよく分からない。

作り上げるのも辛いけど、完成するともっと辛い。デザインってなんだか辛い作業だ。なにが面白くて僕はデザインをやっているんだろうか。

は~。

6月19日(月)

風邪なのか、疲れなのか、二日酔いなのか、精神的なものなのか、とにかく、昨日から気分が優れなくて、体調が安定しない。頭痛と吐き気、喉の痛みに鼻詰まり、原因不明の不安や苛立ち。

だから、今は誰にも会いたくないし、こんな自分を誰にも見せたくない。

といっても、人間ってのは裏腹なもので、ヘザー・マークス。

かわいいな~☆ なんてね。

パンダ好きとしては、やっぱ、右下かな。

いや、しかし、自分に直面する度にガツンとショックを受けてしまうのは、こりゃあちょっと考え直さなくちゃいけないね。励まなくては。まあ、昔よりはマシになったけど。

しかし、かわいいね。

6月20日(火)

原因不明の病に臥しているというのに、深夜にノソノソと起き出して、パソコンに向かって、俺は何をやっているんだろうか?はて?

先週、しりあがり寿さんという漫画家がウチの大学にやって来て、ちょっと話しをしていったんだけど、彼の画く漫画とは裏腹に、って言うのも失礼だけど、あんまり気さくで朗らかな方だったので面食らってしまった。

まあ、しかし、出来上がってくる表現と作者の人間性が一致する方がこういう世界では珍しい事なのかもしれないし、まあ、それが一致していたらわざわざ漫画なんて画かないんだろうなとも思う。きっと、そういう不整合なところからモゾモゾと出てくるのが表現なんだろうし、そういう面でしりあがり寿さんはとっても真摯に取り組んでいるんだなとも思う。

さて、しりあがり寿さんと言えば「弥次喜多

in DEEP」シリーズや「ヒゲのOL」シリーズなんかが有名で、僕も一通り読んで「こりゃあスゲエな!」なんて思っていたけど、本当に衝撃を受けてしまったのは「ア〇ス」と「瀕死のエッセイスト」という漫画だった。本当にこれはちょっと凄い漫画なので、僕がここにダラダラと書評を書いても仕方ないから、実際に読んでもらいたいと思うんだけど、残念ながら両方とも廃刊なのです。ん~。。

なんなら、僕の友人の町田君が両方とも持ってるから借りるといいかもね。実は僕も彼に借りて読んだので。

6月20日(火)

僕はすっかり忘れていたんだけれど、昔、七丁目に住んでいた頃、ちなみに、今、実家は四丁目にあるんだけど、七丁目にはまだ大きなお屋敷がいっぱいあったんだ。

お屋敷だから、壁がずっと長くって、緑が鬱蒼と茂っていて、昼間でも日の当たらないような道ばっかり。だから、七丁目は当時からどこか不思議で怪しい雰囲気が付きまとっていて、そこに住んでいる僕までもがなんだか暗い存在になってしまったような、そんな感じだった。集団下校の時も七丁目の生徒だけは明るい校庭の中でも暗い影を背負っているような、特にそういう地域的な単位で分けられると得体の知れない何かが際立って見えてくるものだった。

まあ、そんな七丁目に僕はちょうど中学を卒業する直前まで住んでいたんだけど、そんな曰くつきの町内だから(ちなみに庚塚町会って言うんだけど)いろいろな不思議な物語が生み出されるんだ。あそこの大木はある特別な夜になると赤く光るんだ。とか。夜な夜な下の方から女の人の声が聞こえる道があるんだ。とか。

とまあ、七丁目の話はこのぐらいにしておいて、実は、当時住んでいた家の隣りには姉妹が住んでいたんだ。僕が小学校高学年ぐらいの時に高校生と大学生の姉妹。たしか、一度だけ隣りの家にお邪魔した事があったんだけど、ピアノがあって、アンティークな家具があって、紅茶というものをその時初めて飲んだ気がする。あと、スコーンとかいうお菓子も食べた。そういう家だ。その時、一瞬だけその姉妹に会ったんだけど、具体的なことはぜんぜん思い出せない。そして、その事すらも僕は今の今まですっかり忘れていたんだ。

そう、だから、僕は鬱蒼とした七丁目の奥の小さな家でその姉妹と隣り合わせでひっそりと生活をしてい時期があったんだ。別に、たいした事は無いんだけど、僕の記憶の奥底に、そういう物語が眠っていた事にちょっとびっくりしたんだ。でも、とても不思議な事なんだけど、その姉妹にはそのお邪魔した時以外に会った記憶がぜんぜんないんだ。まあ、それが七丁目的な物語なんだけどね。

とにかく、僕が中学生になるまでの多感な時期、それ以上に多くを感じさせてくれる不思議な土地に僕は住んでいたんだなと思ったんだ。今はお屋敷も宅地になって、豪華なマンションやお洒落な建売になっちゃって、ぜんぜん印象が変わっちゃったけどね。

6月21日(水)

そうそう、なんだか、ようやく自分を取り戻してきたような感じになってきた。先々週ぐらいからスターウォーズで言うところの暗黒面に引っ張られっぱなしで、まあ、結局、今週までずっと尾を引いていたわけだけど、なんとか世界のバランスを感じられるようになってきた。

何はともあれ、良かった、良かった。うん。という感じ。

ダークサイドに惹かれていた原因は複合的な事が折り重なっているし、うまく説明できるか自信もないのでココでは割愛させてもらうけど、抜け出せた理由は実に明白な事だった。

ズバリ言おう

「何かを作る」という作業において僕は復活を遂げたのだった。

ん~!カッコいいね!

でも、本当のことだから仕方がない。実に僕はクリエイトの過程において自らをもクリエイトしたってことなんだ。なんて生産的な人間なんだろうか。自分でも初めて気がついたことだけどね。

そんなわけで、僕は何かを作り続けている限り、不死鳥のようにいくらでも復活をしてみせるし、その度に大きく成長してみせもしよう。

ちなみに、復活ホヤホヤでエネルギーが有り余っている僕は地下料理研究家で僕の友人でもあるスープン君が生み出したツンツクダンスに勝るとも劣らない素晴らしいダンスを発見してしまった。ツンツクダンスが縦運動の崇高な働きを重視しているのに対し、僕の新しいダンスは横方向のダイナミックな働きを原理としている。

まだ、名前は無いが、今週末、ZEPP TOKYOでのSoul Headのライブにて初お披露目する予定なので皆さん観に来て頂きたいと思う。ホントに素晴らしいので。

6月22日(木)

うちの大学の隣には朝鮮大学校がある。日本において朝鮮学校が持たれる印象がそうであるように、うちの大学でも同じような印象が持たれているのは確かだ。だから、本当にすぐ隣にある学校同士なんだけど交流なんてぜんぜん無い。もしかしたら僕の知らないところで何かあるのかも知らないけれど、僕が知らないことぐらいだから、まあ、多寡が知れてるようなものだろう。しかも、このご時世だからななおさらその距離は計り知れないほどに遠い。本当に隣同士なんだけどね。

ただ、やっぱり隣同士だから交流が無いといっても実物として見えてくるものはある。これは距離の近さ故の良い効能だと僕は思っている。

例えば、うちの学校からも、もちろん、朝鮮大学からも程近いところに玉川上水が流れているんだけど、その上水沿いの公園に良い感じの木製の机とベンチがあって、その公園自体、林のように木々に溢れていて、よく晴れた昼下がりなんかに行くと本当に気持ちの良いところだから、学校をサボって缶ビールなんかをその机の上で一杯なんてね、最高に幸せな気分になれるんだ。

で、その気持ちの良いお気に入りスポットに、今日、チマチョゴリを着た朝鮮大学の女学生が何人かいたから、気持ち良いから一緒にお弁当でも食べてんのかな?なんて思って見てみたら、なんと、みんなで勉強をしていたんだ。緑溢れる屋外の机の上で木漏れ日を浴びながら気持ち良さそうに勉強をしていたんだ。その光景が、ちょっと、なかなか衝撃的に良かったんだよ。

たぶん、今の日本に、気持ち良い環境で気持ち良く勉強をする、とか、したい、とか考えてる学生なんていないでしょ。せいぜい、僕みたいに、気持ち良いからビールでも飲んじゃおうかな~、ぐらいだと思う。あとは、勉強なんてせせこましい所で必死こいてやるもんだ、と思っているんじゃないかな。もちろん、うちの大学の学生だって、僕とあんまり変わらない心持ちだと思う。

でも、そういう現場を目撃した時に、どちらの学生のほうが高尚かって言ったら、確実に朝鮮大学の学生だと誰もが思うでしょ。それぐらい良い光景だったんだ。

まあ、僕自身、あらゆる偏見や誤解が生じているのかもしれないけれど、実際に見えるっていうことはそういう力強さを持っていて、もちろんそれは隣同士だから可能なことだし、そのこと自体は別段悪いことではないような気がする。特に今みたいに情報だけで右往左往している場合には一番の力を持つような気がするんだ。もちろん良い方向に向かっていく力って意味でね。

そういう体験でもうひとつ。前にも書いたかもしれないけど、昼休みに朝鮮大学に隣接している校舎の屋上でお昼を食べていて、ふと、朝鮮大学の校舎のほうを除いてみたんだ。そしてら、チマチョゴリの女学生が芝生の上でバレーボールをしてたんだよね。昼休みに、すごく楽しそうに。これも衝撃的に良い光景だったな。口からおにぎりがこぼれ落ちたもんね。

あと、朝鮮大学の女の子ってすごく可愛いの。

まあ、そういう諸々のことも含めて、近いっていうことの力強さと可能性ってものに毎日のように呻らされている真平です。

6月25日(日)

ん~、なにを書こうか、と。悩むね。ん~。

そう!人は一日に色々な体験をするけど、僕はその様々な出来事の中から一番印象深かったり、感慨深かった事柄を取り上げて、毎日、ココに書き記しているんだけど、じゃあ、何のためにやっているのか?

4年もこうやって書いているけど、その答えはまだ出てこない。でも、1つ言える事は、ココに書き記すことでモヤモヤしている自分の気持ちや考えが整理されるってこと。ただ、そんなものを人前に発表するってのはなぜなんだろうか?はて?寂しさ?顕示欲?物好き?ん~?

人が悩む時、それは真理の深遠に触れている時なんだと思う。言いかえよう。人は真理を目の前にすると悩むのだ。その真理ってのは色々なレヴェルがあって、昼休みにコンビニのパンコーナーの前でどのパンを食べようかという真理から、宇宙の諸原理を掌る真理まで、真理の幅はとにかく広い。しかし、どんなに悩んだところでその真理に到達する事は無い。パンであれ宇宙であれ同じなのだ。結局、僕らは真理を目前にして悩むけど、真理は一定の距離を置いてどんどん先と進にいってしまう。掴めそうで掴めない。そして、僕らは永久的に悩み続ける。

しかし、悩みたくなかったら悩まなくったって平気な方法がある。それは真理を掴んだ事にしてしまうんだ。真理に到達してしまう事。それってとっても楽だと思う。ただ、真理を掴んでしまった人って、僕も今まで何度か見たことがあるけれど、とんでもない頑固なオヤジとか、とんでもない説教臭いオヤジになっちゃうから気をつけよう。

と、まあ、それも一つの真理なわけで、とにかく、僕はウズウズ、ムズムズ、ドキドキ、ワクワクしてるんです。日々をね。

話し変わるけど、東京都現代美術館に行ってきたんだ。カルティエ現代美術財団コレクション展ね。パンチの効いたものは少なかったけど、まあまあ良かったからみんな観に行くようにね。会期は今週一杯までだけど。

6月26日(月)

日曜日、夜に仕事が終わる。職場から疲れて実家に戻り夕飯を食べて一息つく、結局、国分寺のアパートには帰れず、実家の親しみあるベッドで深く眠ってしまう。気が付けば月曜日の昼。外は雨、タモさんが陽気に笑っていて、遥か遠くの学校では必修の授業。そんな事が毎週続く。

自己嫌悪。

というわけで、今晩は呑むぞ!

6月27日(火)

最近、ミクシーやらブログやらやっている人が本当に多い。ビックリしちゃう。あの流行り方は一体何なんだろうか?手軽なコミュニケーション?程よく閉じられたコミュニティ?容易な操作?何なんだ?

僕はこういうチャラチャラした流行物には断固として手を出さないと昔から決めているし、実際にやっていないけど、様相としては僕のこのホームページもブログと言えない事もない。いや、おそらく、多くの人がこのページを真平のブログだと認識しているだろう。

しかし、言っておこう、このページは真平のホームページである。

例えば、何でもいい、ミクシーを取り上げよう。ミクシーはそこに参加しているメンバーがそれぞれに自分のページを持っていて、メンバーが同等に同じレヴェルで行き来できるようになっていて、もちろんそこが売りになっているし、だからこそ人気もある。全てが均質の中なのだ。

しかし、この僕のホームページは見られる者と見る者との関係が成り立っている。発信は基本的に一方通行で、断絶的だ。しかし、一方で僕はこのページを誰から見られてるのか解らない。そうゆうある種の緊張関係の中だからこそ、僕は毎日この日記を書いていて、この日記はブログともミクシーとも一線を画すのだ。

見る者と見られる者、意思疎通の無い断絶性、容易なコミュニケーションでは交流できないからこそ生み出される価値観や意識。そういうものを僕は表明してゆきたいし、だからこそミクシーやブログには手を出さず、毎日コツコツとhtmを組んでいるのだ。レディーメイドだからこそ意味があり、僕はそのオマージュとして今でもhtmを組んでいるのだ。ブログやミクシーはそういう意味において、インターネットの持っている自己表現の素晴らしい土壌を危うくするものだと思っている。ミクシーやブログでは何も突破できない。もちろんホームページでもそれは同じ事だが、突破する意思は見せられる。

つまり、このページはホームページを強くオマージュする真平のホームページってことだ。ブログではない。改めてここで言及しておこう。

学校から更新する方法を修得したので、ここに報告させて頂く。

6月28日(水)

昨日は早稲田の授業があって、ちょっと時間があったから高田馬場近辺をウロウロしていたんだけど、美味しいアジア料理のお店とか古本屋とかレコード屋とかギャラリーだとか映画館だとか、色々なお店が本当に沢山あって、我が大学のある鷹の台駅周辺に比べると(つうか、鷹の台なんてみんな知らないでしょ?)羨ましい限りだった。ロケーションっていうのもかなり重要な要素なんだと改めて痛感させられた。本当に。

まあ、そんな羨ましい限りの早稲田大学なんだけど、そろそろ3ヶ月ほど通っていて、今回のように羨ましいなと思うこともあれば、これはちょっと酷いよなと思うことも出てくるようになってきた。まあ、早い話は早稲田といえど、普通の大学の普通の学生がいて、その一般の大学のちょっと頭の良い大学ぐらいなんだなぁってこと。まあ、あれだけのマンモス学校だから探ればもっと色んな人がいるんだろうけど、それにも益してただ受験戦争を乗り越えてきちゃっただけの普通の学生も多い。ちょっとつまらない。まあ、僕の期待が増さりすぎたのも悪いんだろうけど。

ただ、頭が良いというか、要領が良いというか、集中力があるというか、あれだけの難関受験をパスしてきただけあって、恋の悩みであったり、バイトの悩みであったり、そういう話の節々を聞いて(早稲田では友達もいないので盗み聞きが僕の結唯一の楽しみだ)いるとかなり戦略的だ。その辺はちょっと関心する、けど、やっぱり、なんか一般的なんだよね~。普通なの。

まあ、でも、それは実は早稲田に限ったことではなくて、世代的なものや年齢的なものや、僕の盗み聞いた早稲田生がたまたまそうだったのか、それとも、それ以外のもっと違ったことが原因かもしれないので、まあ、話は半分で聞いてちょ。

盗み聞きしてる時って往々にして相手は下らない話しかしてないもんね。いや、下らない話をしていると人は盗み聞きするのかな?

まあ、どっちでもいいや。俺が一番下らないかもな。

6月29日(木)

今、学芸員課程の実習をやっているんだけど「身体尺とモノ」というコンセプトで企画展をやるために担当の教諭がなんだかがんばっている。残念だけど、教諭は世の中にある道具や建築、人間が関わる全てのモノ、人間が作り出した全てのモノは人間の身体に関わったスケールを持っているという事を今回の企画展で明らかにしたいらしいんだ。まあ、僕も関わるんだけどね。

でも、道具や建築をわざわざ使いづらいものにしようなんていう人は世の中にはいなくって、それなりに人間の使い勝手を考えたスケールになっているのは普通に考えて当たり前の話なのだ。だから、確かに興味深いテーマではあるんだけど、やっぱり、そんな当たり前の事を言ったって誰も面白くないし、僕らだってとてもつまらない。美術館や博物館に足を向けるってことはそこに置いてある美術品や工芸品から何かしら新たな知恵や知識を得るために赴くのであって、日常的に僕らが当たり前に感じている事を企画したって仕方がない。まあ、求める人にとっては何でも刺激にはなるんだけどね。そういう人ばっかじゃない。

だから、僕は提案したんだ。

2寸5分っていう人が握り易い寸法があって、まあ、この寸法はペットボトルとか缶ジュースとか、人間が握らなければならない工業製品っていうのはだいたいこの寸法になっているんだけど、逆に、猫の背中はだいたい2寸5分なんだけど、2寸5分だから僕は猫の背中が好きなのか?とか、女の子の腕もだいたい2寸5分なんだけど、2寸5分だから僕は彼女の腕を握ってしまうのか?とか。とにかく、見に来た人が楽しく、しかし、深く、自分自身に問いをたてられるような企画にしたいって言ったんだ。サイズと自分の関係性をね。もちろん、実際のモノも使ってね。そういう主観的なほうが身体とスケールの問題に客観的に入り込み易いと思うんだ。身体自体主体的な存在だからね。

でもね、なんだか嫌なんだって。企画がバラついちゃうんだって。系統的な展示をしないといけないんだってさ。それじゃあ、その辺の寂れた博物館と同じじゃないか。つまらないから人が来ないんだし、発展性がないから人が来ないんじゃないか。そろそろ僕らの系統性も転換していかないと絶対につまらなくなる。新しい問いをたてないと絶対に駄目になる。博物館も世の中も。

だから僕は闘います。