2007年 1月
1月2日(火)

明けましておめでとうございます。

まだまだ若輩者ではありますが、本年もこのWEBサイトともども、私、真平をよろしくお願い頂けたら幸いです。

さて、大晦日、私は留学中のフランス人とフィンランド人の美少女を伴い、年の瀬迫る世間を這いずり回っていたわけですが、我が心のオアシスとも言うべき鈴木一家に救われ、なんとか無事、時空のジプシーにもならず年を越すことができまして、なんというか、鈴木一家には感謝の言葉もないわけで、生きることはなんと素晴らしいことかと実感する年明けを過ごしたわけです。

しかし、突如として実現した、このインターナショナルなシチュエーション。私自身、気が付いたら陥っていたというか。全てはシンクロニシティと言うか。カタストロフィと言うか。エントロピィと言うか。折り重なる事象の渦の中で、あらゆるものから影響を受け、我々は生き、また、世界はまさしく複雑系そのものであり、その偶然的な世界から、偶然的に出てきたシチュエーション、2007年、元日、それは突如として実現したのでした。

昔。高校の頃。英語の単位を全て落とした私はある夢を抱いていました。それは大胆とも、無謀とも、困難とも、軽率とも言わざるを得ない夢。しかし、それは儚くも切なく、甘く些細で、小さくも大切な、混乱した少年の夢。

「贅沢は言わない。死ぬまででいい。贅沢は言わない。一度でいい。

 異国の女の子とデートがしたい。」

あの若かりし少年の淡い夢が、この夢を忘れた青年に、突如として、実現したのでした。デートと言うのはおこがましいかもしれないけれど、美しい異国の少女と幾許かの時を共有した。その事実さえあれば、何も言うことはない。いや、感無量。遥か高校生の無垢な真平よ。27歳にしてお前の夢は成就したぞ。

2007年、元旦。新たなる心理が生まれた。

夢は捨てるな!煩悩を捨てよ!さすれば夢は訪れる也!

しかし、私のことを「only kind」と説明していたあなた!

私は深く傷つきましたよ!

1月4日(木)

なんと言うか。年の瀬から年始にかけて、日本人は酒を飲みすぎじゃないかと思っているのは僕だけではないはずだ。私などは連日の酒宴のおかげで慢性的に体調を崩してしまっているし、バイク購入と洒落た洋服購入のために貯めておいたヘソクリがこの怒涛の酒宴でパーになった。本当に、トホホである。

さて、しかし、そんなトホホなことを続けるのが果たしてこの日本民族にとって、はたまた、この世界人類にとって、このまま永続的に継承していかねばならないことなのか?かつてのバビロニアがそうであったように、かつてのポンペイがそうであったように、酒宴の後には必ず終焉が待っている。そうまでして、我々はこの狂喜乱舞の酒宴を続けるのか?

否!

そう、我々は慎ましく生きねばならないのだ。我々自身のため、そして、この我々が生きる地球のため。我々は慎ましく生きねばならないのだ。

ということで、今から金魚を買ってきま~す。

慎ましく生きるには金魚でしょ。蘭鋳は可愛いよ~。慎ましいよ~。

もしも、このまま人間が酒宴を止めず、終焉をむかえる日が来たとしても、私は蘭鋳を眺めながら慎ましくその日を迎えよう。この人間の作り出した小さなモンスターと共に。

1月4日(木)

威きり勇んで出かけたものの、目的の金魚屋はまだ正月休みで閉まっていた。なんと言うか、年明け早々、大振りの空振りだ。

でも、空振りだからっておずおずと三振して帰って来る私ではない。いや、もちろん本当の野球のゲームであれば、大いにあり得るシチュエーション、いや、バッターボックスに立って打てた記憶がない私ではあるが、その様にして、さんざん苦虫を噛み締めた私は、少なくとも野球のゲーム以外ではどんな球にでも喰らいつく所存なのである。

まあ、そんなわけで、どうにかこうにか色々な変遷を経つつ、なんとか我がゴールデンフィッシュをゲットしてきたのである。色んなことがありすぎて多くは語れないが、とにかく、今、私の隣にはプリティーなゴールデンフィッシュが一匹泳いでいる。ヘルペスの免疫を保持した強い奴だ。今年二度目の感無量である。私は幸せだ。うん。

さて、話はガラリと変わるのだが、映画好きのジヌーさんから薦められ、最近、色んな映画を見ているのだが、どうやら、私は映画に対する姿勢というか、関わり方というか、そういう根本的なところが間違っていたように思うのだ。いや、少し訂正しよう。映画という表現は、私が想像している以上に人間の様々な感覚にアプローチすることが可能であり、実際、そういった試みで作られた作品も多くある。その上で、私の映画に対する姿勢は一辺倒過ぎていたのだ。

つまり、せっかく映画のほうから啓いてくれているのに、私のほうが閉ざしてしまっていたから、映画という表現の持つ一番エキサイティングな部分を取りこぼしてしまっていたんだ。まったく、もったいない話である。

そう、だから、今まで僕は数百作の映画を見てきたけれど、ほとんどを大振りの空振りでスルーし続けていたのかも知れないんだ。まったく、もったいない話である。

じゃあ、どうやって映画を見たらいいかって?

早い話は自らのありったけの感覚を開放して感じるってことになるんだけど、それはやっぱり自らが到達して実際に感じてみないと分からない。それだけ映画表現は許容の裾野が広いし、そこに立ち会う側もかなり裾野を広げておかないと駄目なんだなって。

しかし、流石。ニエプスから始まって、ダゲールに託され、リュミエール兄弟に繋がってゆく映像生誕の歴史を持つ国の女の子だから、正しい享受の仕方を心得ている。ジヌーさんは。

ありがたや。

1月6日(土)

過去に、アメリカやカナダやフランスやイタリアやスペインに渡航した経験はあるが、私はその時よりも遥かに富んだ海外の風を今感じている。いや、このユーラシアの辺境に向かって海外の風が吹いていると言ったほうがいいのかもしれない。私が生まれ育ったユーラシアの極東の島。ここ日本に向かって。

なぜこんな僻地に向かって風が吹いているかって?

そんなことは知らない。いや、どうでもいいことだ。とにかく、一年に四季があるように、たまたまそういう時期なのだろう。でも、冷夏であろうが暖冬であろうが、夏は暑いし、冬は寒い。そして、季節は必ず巡る。

さて、だからどうしたと言われると、なかなか、どうして、特に私自身が何か特別なことがあったかと言うと、やはり、いや、海外の風に触れるというのは特別なことなんだが、まあ、とりたてて特筆することもなく、ただ、そういった新鮮で豊潤な異国の風が私の生まれ育ったこの日本の何処に向かって吹き込んでゆくのか、そういう流れの一部でも見るだけで、そこには思いもよらない大きな感動や発見がもたらされるのだ。

まあ、何と言うか、今、私はとても楽しいのである。

1月8日(月)

身体の節々が気だるい。

風邪なのか、ノロなのか、疲れなのか、歳なのか、はたまた。

性急を極めた去年の11・12月などは、体調を崩そうにも崩せないような状況の中で(仮病は使ったけど)、本当に身体の芯から気を張っていたせいか、精神的な側面はともかく身体の方はピンピンと生活をしていたものだが、ここ最近、お正月などを挟んでぽつぽつと休んでいたら、夜は眠れないし、朝は起きられないし、身体は重いし、息は臭い。

このままでは、イカン!と、思ったのだが、取り立ててやることもなく、恋人とチェス三昧。いや、やることはあるのだ。試験週間前なので、いろいろとやるべきことはあるのだが、なんせ、私はできる子であるからして、レポートの10枚や20枚など数時間で終わってしまう。だから、そんなもんは後でやればいい。

しかし、チェス。あらためて真剣にやってみると、これがなかなか奥深い。かのマルセル・デュシャンが一時期チェスの研究に没頭していたが、結局、彼が往きついたのは、ドローゲームという結論だった。つまり、どんなに一般化された定石を使ったとしても、その先の勝利に食い込んでゆく定石などは説明できないということだ。一般化できないのだ。

私自身はそんな域には程遠いプレイヤーではあるが、チェスは好きだ。そのルールにおいて、将棋よりもエキサイティングでストイックなゲームだと思う。もちろん、デュシャンも好きだ。

と、まあ、なんだか、意味の分からない日記になってしまったが、11月に実家に越してきてからまったく落ち着かず、そういう生活に慣れてしまっていたせいか、感覚が散漫で一点に集中できなくなってしまっているのだ。まあ、そんな大した才能があるわけでもないが、ちょっと困るのだ。

1月9日(火)

そう言えば、ついこないだ、パソコンを買った。年が明けてからは、ずっと新しいパソコンから更新を行っている。まだ、このパソコンの持ち味を最大限に発揮できるような負荷のある作業はしていないが、普通に使っていても、なかなか、快適なマッシーンである。まあ、6年落ちのパソコンと比べてしまえば今のどんなパソコンを取っても月とスッポンなんだろうが、何にせよ、快適な環境とは良いものだ。

今回の購入に際して、私は生まれて初めてインターネットショッピングを利用した。当初、そのあまりにも簡単すぎる手続きに、かなりの動揺と衝撃と疑念を持ち、インターネット詐欺の対処法までググッてしまったほどだが、後々、そのあまりにも早い対応に、またもや感嘆してしまったのである。なんと、申し込み後2日で商品が自宅に届いたのだ。しかも、ヤマト運輸に勤める旧友が届けてくれたのである。なんともはや。偶然も重なったが、きめ細やかなサービスである。

さて、そんなパソコンの購入履歴であるが、実はこの購入によって、私は2万ポイント近くの得点をゲットすることとなった。私も初めての経験なのだが、このポイントというやつはそのまま現金換算されるらしく、次回、何かを購入する際にこのポイントを利用できるらしいのだ。ふむ。つまり、2万円相当の物品がタダになるというわけだ。

当初はDVD-RやCD-RやUSBメモリ、DVDやCDなど、細々した物品の購入にあてようと思っていたのだが、2万円ともなると、まあ、まとまった金額なのである。今流行のIPodも手に入れば、NintendoDSも手に入るのだ。もちろん、タダ同然で。

いや、普段であれば、そんなものは目にも入らぬ物品なのである。普段の私であれば、そんな享受させられるような物品などには見向きもしないのだ。しかし、そこはポイントの魔力というか、誘惑。むしろ、見向きもしない物に目が行ってしまうのだ。

しかし、ちょっと待ってくれ。本当に私はIPodやNintendoDSに見向きもしなかったのだろうか?本当に必要の無いものであれば、この期におよんで興味も持たないだろう。むしろ、私はIPodやNintendoDSに憧れていたのではないか?いや、そんな筈は。いや、IPodやNintendoDSだけでなく、私がアンチとしている世間の潮流や流行そのものに実は憧れを抱いているのではないか?だから、私はそれらを執拗に遠ざけていたのでは?そんな。いや、でも、辻褄は合う。

しかし、そんな、そんな筈は。そんな筈はぁぁっぁぁ!!

ポイント。恐ろしい。

1月10日(水)

今ではだいぶ下火になってきて、私も胸を撫で下ろしているところではあるが、あの脳のトレーニングブームは一体何だったのだろうか?当時、よく尋ねたものだ。あなたは何の為に脳をトレーニングしているのですか?と。返ってくる答えは、大体こんなパターンが主だった。

将来、ボケないようにするため。

頭が良くなりたいから。

やってみると、意外と楽しいから。

ん~。なるほど。しかし、もう少し突っ込んだ質問をすると、何も返ってこなくなる。まあ、ボケないようにするという人にはそれ以上の質問を重ねてもアレだが、例えば、頭が良くなりたいのはどういった面で良くなりたいのか?何をするために良くなりたいのか?例えば、他に楽しいことや興味あることは無いのか?と言った意地悪な質問をしてみると、何もかもが漠然とした深い流砂の中に埋もれていってしまうのだ。まあ、流行もん特有の底の浅さが露呈してしまうのである。

だからといって、誰が悪いとか、何が悪いと言うわけではない。流行とはそういうもんだから仕方が無い。そういう事になっているのだ。だから、私は流行もんが好かんのや!

そういえば、あの史上最悪の流行、ホワイトバンドもどこか彼方へいつの間にかいなくなってしまった。風説によれば、販売のほうが終わってしまったということらしい。なんともはや。人の善意に漬け込んだとんだ流行もんである。あれこそ、流行で終わらせてはいけないものではないか。

1月12日(金)

笆カ「軟式野球における身体と感覚」

私たちの社会を司るもの。その主たるものは言語である。もはや言語は世界を、いや、人間そのものを支配していると言っても過言ではないかもしれない。このレポートですら言語だ。

条約、憲法、法律、規律、校則。その全てが言語を媒介として規定されたものである。それらは私たちの目の前に直接的に現れることすら稀だが、私たちの日常生活にしっかりと浸透し、私たちそのものもその言語によって知らず知らずのうちに規定されている。そこに実体は無い。あるのは文字の羅列だけなのだ。文字の羅列に従って私たちは私たちを規定する。

そう言った言語社会の中で、社会は更なる言語社会を目指している。言語社会。つまり、視覚と聴覚の情報社会である。周知のことではあるが、様々な問題を孕んだ、実体の無い社会である。

軟式野球においてもこの言語社会の法則は当てはまる。野球にも規則があり、私たちはその規則によって身体を動かさねばならない。いつでも好きなところに球を投げられるわけでは無い。然るべき時に、然るべき所に、的確に球を投げなければならない。そう言語によって定められている。言語の虜なのだ。

ただ、逆に、私たちは軟式野球においての言語的規則を一度身体に還元してもいる。つまり、軟式野球の規則に定められている通りに、安打を放てば一塁に向かって疾走する。言葉で書かれたことを経験するのだ。スポーツ全般において、その規則(ルール)は私たちの行動を規定するとともに、私たちにその言語情報を追体験させる。

特に野球のそれは他のスポーツに比べるとかなり滑稽な作りをしている。いや、物語性に富んでいると言った方が良いかもしれない。極端な話、九回裏、二死満塁、カウント2:3、打者四番。これは規則によって規定された中での状況だが、既に物語である。こういった場面は野球以外のスポーツではなかなかやって来ない。そして、その物語性こそが言語という視覚的聴覚的情報を自らの身体と感覚を通して次なる段階へと発展させ、更に、私たちは新たなる物語をそこで生成させてゆく。実体の無い言語情報を私たちの身体と感覚によって実体のあるものへと変化させるのだ。

私たちが私たち自身の身体や感覚を持ってして実体に迫る能力。その能力をこの実体の無い現代社会の規定の中で、最大限に開花させてくれる野球。私は野球というスポーツの中に、この実体の無い社会の閉塞を突破する秘密が隠されているように思えてならない。それは、最早、芸術が直面する身体と感覚という問題にすら到達する勢いである。

「この授業で軟式野球を通して何を感じたか」

先にも書いたが、私たちが今生活している社会は実体を持たない言語的世界観に重きが置かれている。私自身もこの学校に入る前まではそういった社会の理念の中で何の疑いも無く生きてきたし、それを知った今でさえ、その言語思考からなかなか抜け出せない。

ただ、野球に関わっている時は違う。キャッチボールを通して、バッターボックスに立つことによって、フライをキャッチすることによって、私はチームのメンバーと、はたまた、対戦チームのメンバーとすら、コミュニケーションをとっている。そこに言語の仲介は無い。言語以外の何かを身体全体を通して感じると同時に、伝えている。それは言語よりも強固でしなやかなで爽快な何か。そう、それは経験である。うまく言語で説明することはできないが、そういった、経験の共有こそが、私たち人間にとって最も根源的で素直な関係なのではないかと、この授業を通して感じた。

あと、こちらも先に書いたが、野球のゲーム自体が持っている物語性について。まず、野球はバッターボックスに立ってピッチャーと対峙しなくてはならない。そこで安打を打つことによって初めて生きる。その後、塁に出るが、バッターが三振を続ければ、そのまま走者共々死んでしまうし、うまく機会を得てホームベースに帰って来ればやっと得点となる。この二重三重にも折り重なる場面の集積、そして、その結果としての得点。これはとても特殊で面白いゲームだと思う。いや、ゲームというよりもひとつの世界観と言っても過言ではないように思うのだ。

そういったゲームの中で、多くの人と言語とは別のコミュニケーションによって関わりを持つ。これはちょっと何にも変えられない。野球の持つ独特の世界である。野球は観戦するものではない。参加するものだ。そして、私そんな野球が大好きである。

私は以上のレポートによって、今度、酒を馳走になる。

レポートの肩代わりとは、なんとも美味しいものである。ちなみに、これが初めて私の文章が代価となる記念すべき文章でもある。

1月14日(日)

昨晩。遅番のシフトを終え、身も心くたくたになりながらも、少し夜更かしをし、月曜までに仕上げなければならない残り僅かのレポートを書いていた。最低でも提出日前日には何もかもを完璧に用意しとかなくては落ち着かない、そういう性分なのである。だったら、もっと早く着手しておけばという言葉はさておいて、とにかく今日の朝には何もかもが完璧で、晴れやかな朝を迎える筈だったのだ。天気は快晴。申し分のない一日の始まりである。じいちゃんが救急車で運ばれたこと以外は何もかもが完璧に始まっていたのだ。

脳梗塞。

とても重苦しい一日の始まりだった。

1月15日(月)

病院の救急救命センターにて、徹夜の看病も虚しく、じいちゃんの病状は好転を見せず。仕方なく、朝、帰宅し、少し仮眠を取ってから学校にレポートを提出しに出かける。15時過ぎに学校到着。レポート提出時間は15時までとのこと。教務課の事務員が仕方ないという表情で特別に提出を受け付ける。怪訝な顔で「今まで何やってたの?」と事務員。「昨日、祖父が倒れてしまって」と真意を説明するも、更に怪訝な面持ちを増し「本当かよ?」と一言。もう少し若さと体力に満ちていたら、その横っ面を思いっきり殴り飛ばしていただろう。

後頭葉と側頭葉に梗塞。右半身と視神経の麻痺。打つ手なし。

今後、更に病状は悪化の一途を辿る。とのこと。

医師より。悪いほうにも良いほうにも急転はしないので、という理由で今夜は家族は家に帰された。たしかに、救急救命センターでの缶詰はさすがにこたえる。医師なりの配慮であろう。

今頃、ゼミのジヌーさんのお別れパーティーは盛り上がっていることだろう。以前、じいちゃんがジヌーさんにバラの育て方について日本語バリバリで説明していた姿を思い出す。東洋人の老人とフランス人の女の子。傍目から見ていて、新手のベストキッドか?と思うほどだった。もちろん、じいちゃんは得意気。ジヌーさんは困惑気。

あの頃の面影は今のじいちゃんには失われてしまっている。つい最近のことなのに。

頼むぜ。じいちゃん。

1月16日(火)

本日、午前中にじいちゃんの見舞いに行く予定だったのだが、やはり、悪化の一途を見守るというのは、尋常な神経では儘ならない。それ相応の覚悟と気概がなければ立ちゆかないのだ。

そして、僕は軟弱にも、そのプレッシャーに挫けたのだった。何がどうなろうとも、一番逃げてはならないところから一目散に逃げてしまったのだ。実感した。僕は本物の臆病者だ。腰抜けなのだと。

しかし、もし、まだこんな僕にも望みがあるのなら、じいちゃん、もう少し、この世話の妬ける孫に付き合ってはくれないか?僕はもう少し強くならなければならないらしい。そして、それにはじいちゃんが必要なんだよ。変な話だけど、なんとか。なんとかなってくれ。頼む。

1月17日(水)

毎日、暗い話題になってしまって申し訳ない。あまり暗いことばかり書いていても仕方ないので、明るい話題をひとつ。と言っても、じいちゃん絡みの事になってしまうので、そんな明るくないかもしれない。如何せん、ここ最近は、それ以外に話題が無いのだ。

さて、じいちゃんの入院する蒲田近くの大学総合病院は、脳外科や救命救急の最先端治療において、かなり特化した設備や医師を有しており、実は、夏に硬膜下血腫で倒れた際もこの病院にお世話になっていて、顔なじみの看護士の方などもいる。最早、常連なのだ。

だから、そういった意味では、両分野の最先端治療を受けることができて、顔見知りの方に面倒を見てもらえているじいちゃんは恵まれているというか、まあ、不幸中の幸いなのである。

しかし、いくら良い環境と言えども、場所が悪い。蒲田と言えば、私の中では大阪西成のあいりん地区に次ぐ3Kの町。汚い。暗い。危険。そんな町として位置づけられている。まあ、私の独断と偏見に満ち溢れた順位なので、あいりん地区ご出身の方や蒲田ご出身の方には申し訳ないが、なんと言われようとこの順位は揺るがないだろう。失礼。

そんな訳だから、当初、この大学病院にもあまり良い印象は持っていなかった。いくら最先端でも、蒲田か~。と。先入観である。

しかし、一度足を踏み入れると、これがなんとも垢抜けた病院なのである。何が垢抜けているって、そこに働く看護士の方々が、男女とも一様に容姿端麗で、立ち振る舞いも上品なのである。ここは本当に病院か?と疑ってしまうほどである。あまりに垢抜けているので、看護の方は大丈夫か?と疑ってしまうところなのだが、これがまた、患者や家族の意思に即した親切ながらも迅速で、病状によっては、その回復を第一に考えた、時に厳しく、時に大胆な、とても朗らかな看護をしてくれる。

その中でも、じいちゃんを担当してくれるのは、いつも群を抜いた壮麗さと優美さ、そして、看護士としての崇高な意識を兼ね備えた女性看護士の方々ばかりで、なんともまあ、敬服してしまうばかりなのである。今でこそ畏れ多い感じがしてしまうが、もう少し若ければ、私は一瞬で恋に落ちてしまうような、そんな方々ばかりなのだ。ある意味で、悩殺的病院なのである。

ちなみに、もう少し私が若くて、しかも、女性だったなら、絶対に看護士を志すだろう。もう、憧れまくりだ。女の子の将来の夢の人気が看護士であるというのも頷ける。可憐でいて逞しいのだ。

さて、そんなわけで、人とは、アンビバレンツな関係性を内包したものに憧れ、今回の看護士さんの例は、かなり崇高なものではあるけども、そんな垢抜けた病院を内包する蒲田という町のアンビバレンツさにもまた惹かれるものがあるわけなのだ。

つかこうへいもそういうアンビバレンツな町だからこそ舞台に選んだのかもしれないな。

1月19日(金)

最近、映画を観まくっている。病院から帰る途中にレンタルビデオ屋に寄って。片っ端から。夜を徹して観る。観まくる。デビッド・リンチなんかがけっこう良い。逆に、ジャームッシュやヴェンダースやカウリスマキなんかも良かったり。頭がグラングランになって眠る。朝起きて、病院へ行く途中に借りたビデオを返す。また、病院から帰る途中にレンタルビデオ屋に寄る。

病院では病院で、特にやることが無いので本を読んでいる。病院へ行く途中に図書館に寄って、1冊乃至2冊ぐらい借りてくる。一日病院にいれば軽いものなら2冊ぐらい読み終わる。今は特に日本史の本を読んでいる。とりあえず、網野善彦を片っ端から。日本史はもともと弱い方だから、分からないことだらけ。でも、自分が生まれ育った国の歴史だけあって、色々な発見がある。また、病院に行く途中に新しい本を借りる。

ストレスのあまりブランド品を買いあさる。ストレスのあまり食べ物を食べまくる。そんな心境に近いのかもしれない。まあ、とりあえず、ブランド品を買いあさったり、食べ物を食べまくったりしなくて良かった。

じいちゃんは寝ているんだか昏睡しているんだか分からないけど、殆どの時間、目を瞑っている。でも、トイレの時だけは大袈裟に反応する。そうなったら、すかさずナースコール。トイレが終わると、少しの間、僕に何かを話しかける。ろれつが回らないので何を言っているのか分からないけど、けっこう出鱈目なことを言っている様子。

じいちゃん。

早く良くならないと、僕は凄い知識人になってしまいそうだよ。

1月20日(土)

そう言えば、金魚を飼い始めたのだ。

一匹は遥か江戸川まで買出しに行った。種類は流金型の丹頂。赤と白のバランスが絶妙に映える可憐な一匹だ。名前はジヌーさん命名「ブリュシケトゥ」。フランス語の発音なので呼ぶのが大変難しい。

もう一匹は水草を買おうと寄った家の近くのペットショップで衝動買いしてしまった。こちらも流金型の白和蘭。白金にも近い不思議な色合いで、尾鰭が鳳凰のごとく優雅な一匹である。名前は無い。付ける予定も無い。

目に入れても痛くないほどに、なんとも愛くるしい二匹である。できることならスモールライトで小さくして、いつでもどこでも持ち歩いていたい。

しかし、そんな二匹の金魚の間に、私は格差を持ち込んだ。一方には名前を付け、一方には名前を付けない。人間社会において、これほど顕著な社会的精神的格差は無いだろう。もし、現代社会で人間に対してこんなことを実行したら、明らかな差別として罰せられる筈だ。

予てから、人類はこの差別という呪縛によってかなりの血を流してきた。今、現在においてもその状況はさほど変わらないだろう。そんな差別の原理を意図的に金魚達の間に持ち込んだのだ。敢えて私はこの愛おしい二匹に対して悪魔の原理を与えたのだ。

しかし、なぜそんなことをしたのか?

そう、それは、金魚だからだ。彼らは人間ではない。金魚なのだ。どんな格差を持ち込もうとも、彼らは人間の原理など諸ともせず、優美に泳ぎ続けることだろう。そして、もし、この格差の原理によって、彼らの生命に異変が生じたとするならば、彼らを管理する私の心情に何らかの異変が生じた結果として起こる筈だ。

名前がある金魚と無い金魚の間に何らかの想いが生じ、どちらか一方を贔屓し、どちらか一方を貶めるような差別的な行動を私がとった場合、金魚達は初めてその生命を格差という原理に晒すことになる。

つまり、これは人類最大にして最悪の「差別」という呪縛に対する、私自身の挑戦なのである。

私は必ずモノリスにタッチしてみせる。人類の新たなる進化は私から始まるであろう。

1月21日(日)

昨日、金魚のことを書いたが、その金魚飼育に伴って、銀河・L・ベンダーのヴォーカルであり、美味しいジューシーレディオのメインパーソナリティーでもあるのバギィ・松木氏から、餌用にミジンコを頂いたのだ。人間と同じく、金魚にとっても、市販の合成飼料より自然のもののほうが良いのである。

ミジンコは微小動物ではあるが、肉眼でもはっきりと確認できる生物である。体長1~2㎜ぐらい。繁殖力が強いので育成にはもってこいの生物である。独特の泳ぎ方も目に楽しい。そして、何より、その小ささ故の小宇宙観がたまらないのだ。

さて、話は変わるが、中国思想、道教のものだったと思うが、道士が自らの体内を巡礼するという絵巻物を以前に見たことがある。

道教では体内的ミクロ世界であろうが宇宙的マクロ世界であろうがそこに通ずる理は同じであり、そのような理法を道(タオ)とし、その道(タオ)と一体になることによって、永遠不滅の超越的存在(仙人)を理想とした。

そして、その体内巡礼の絵巻物もそういった道思想を体現するなかなか面白い絵だったのだ。有体に言えば、ミニチュアリズムの走りとでも言うべき絵であり、バルタン星人解剖図を想像して頂ければ分かりやすい。おそらく、バルタン星人解剖図も、道教思想が少なからず反映されている結果だと思うが、それ以外にも、道教的造形には自然石や自然木の理(すじ)に従って巧妙な細工をしてあるミニチュア彫刻も多数あったりして、おそらく、昨今の日本におけるミニチュア文化にも多大に影響を与えている思想なのである。

ちなみに、一時期人気を博したキョンシーや太極拳やカンフー、あと、現在、かなり流行している陰陽五行や八卦を用いた占いなんかもすべて道教発であるし、我々、江戸っ子の根底を流れる庚申信仰も道教発である。それ以外にも、我々の文化の其処此処に道教思想を源流とするものが数多くある。

何が言いたいんだか分かんなくなってしまったが、つまり、私は中国大陸で育まれた道思想のもとに、今、この目の前の小宇宙的ミジンコ育成を楽しんでいるのである。私の眼差しは目の前のミジンコを見つめつつも、それは遥か中国大陸を経由した眼差しなのである。

1月22日(月)

朝、ミジンコの様子を見に窓辺へ。生憎、小雨混じりの肌寒い曇り空だが、ミジンコたちは昼休みに運動場を駆けまわる小学生のように元気にチョコチョコ泳いでいる。ふむ。午後から晴れるとの予報だから、午後になればさらに活発に、もしかしたら、多少の増殖を望めるかもしれない。

電話が鳴る。職場からだ。また欠勤でも出たのだろう。

ミジンコはとても単純な構造で生きている。その単純で合理的な構造ゆえに、きっかけさえ与えてやれば爆発的な生命力を発揮する。水槽の栄養濃度は既に飽和状態。生命のスープだ。何かの拍子に瞬時に爆発するだろう。ビッグバーン、改め、ミジンコバーン。

まだ、電話が鳴っている。

私が出演した大学の映像課題で、私は文夫という役を演じた。演じたというとちょっと畏れ多い気がするが、とにかく、その文夫が女の子に冗談を言うシーンがある。「21年間、ミジンコの生殖機能の研究をしていました。ミジンコの生殖機能には無限の可能性が秘められているんですよ。」と。

電話が切れた。

大学でお気に入りの場所がある。アヒル池。その名の通り、アヒルがいる。放し飼いだ。私はたまにそこで昼飯を食う。いや、一年の頃は活気ある学食の雰囲気に馴染めず、いつも独りでその池の畔で昼飯を食っていた。

電話が鳴る。また職場からだ。

何でアヒル池の話をしているんだ?何だったか。。。そうだ。ミジンコだ。

そのアヒル池の近くにもうひとつ小さな池がある。池といっても水溜りほどの池だ。でも、その池は初夏の季節をむかえると濃厚な生命の息吹に満たされる。

まだ、電話が鳴っている。何だろう。

とにかく、その息吹の第一陣として、まずミジンコが大量に発生するのだ。ミジンコが大量発生すると、それまで痩せ衰えていたメダカたちが活気づき、ミジンコの海原を喰って喰って喰い漁る。その光景たるや、小さいながらもなかなかの迫力である。そして、そのミジンコやメダカを狙い、あらゆる生物がその小さな水溜りに寄り集まってくるのだ。大自然の縮図、いや、その水溜りこそ大自然そのもの。そして、ミジンコこそこの地球における生命の源であり、大自然そのものであり、この地球は、そして、人類は、ミジンコバーンの上に成り立っているわけであり、私は本日の早番シフトをすっかり忘れていたのである。

おしまい。

1月23日(火)

家で悶々としているよりも、学校で懇々としているよりも、仕事に従事している時が、一番、閃きに富んでいるような気がする。何で俺がこんな下らないことをしなくちゃいけないんだ!と思いつつも、別のところで、面白いことがポンポン浮かぶ。アレとコレをこうすればアアなるぞ!とか。アレは実際アア見えるけどもコウなんじゃないか?とか。別に、何の気なしに仕事をしているだけで、そういう事が次から次へと浮かんでくるのだ。職場は発想の宝庫なのである。まあ、実際の仕事に関わる閃きは一切ないのだが。

ただ、そういった閃きっていうのは、閃いた時点で何かに保存しなければ、すぐに夢の彼方へ飛んでいってしまう。そう、閃きとは夢に似ているのだ。だから、仕事が終わる頃には、何もかもが夢の跡。凄いこと思いついた!と思っても、、やらねばならない事が色々とある。そうこうしているうちに、はて?何を思いついたんだっけ?と。まだ、それぐらいなら良い方で、ほとんどの閃きは思い返されることもなく、その瞬間だけで消滅してしまう。膨大な閃きの中でひとつぐらい憶えていたら儲けもんなのだ。

ただ、そういう閃きって、どこへ行ってしまうのだろうか?消えてしまうと言ってしまえばそれまでだけど、もしかしたら、無数のシナプスの狭間の中で、また何かのきっかけで思い出されることをひっそりと待っていたりして。

しかし、脳トレすれば、こういう事も忘れずに憶えておけるのだろうか?

はて?

1月24日(水)

飼い始めて一週間と経たないが、ほぼ全てのミジンコの背中に卵が確認できるようになってきた。一匹あたり10個ほどの卵を持っているので、軽く見積もっても100匹はいるであろう彼らの卵が全部孵化したら、もう、それは、何とゆうか、感無量と言うしかないだろう。

しかし、ミジンコは自らの背中で卵を孵化させてから、子供たちを体外に放出するとの話だが、観察したところ、体の半分以上を卵で占有されているミジンコがその子供を放出するとなると、鼻の穴からスイカどころの騒ぎではなく、かなり壮絶な状況を予想してしまうのだが、果たして大丈夫なのだろうか?

ある日、母ミジンコの背中がバリっと大きく割れ、光を求めて子供たちが元気に泳ぎだす。しかし、その晴れやかな光景を横目に母ミジンコは静かに沈んでゆく。そんな光景が頭から離れないのだ。

もしも。もしも、その命と引き換えにしてまで、子孫を残すようなことがあるならば。そして、その光景を私が目の当たりにしてしまったならば、もう、それは、何とゆうか、感無量と言うほかないだろう。

しかし、もしも、そのような壮絶な状況にも関わらず、何事も無かったように、母ミジンコが悠々と泳ぎだしたなら、それはそれで、もう、何とゆうか、感無量と言わずして、どうすればいいだろうか。

とにかく、ミジンコを飼うということには感動がついてまわる。その最も単純な生物の生き様こそ、我々人類の生き様の元祖なのだ。先輩なのだ。だから、もし、ミジンコを飼って感動できない奴がいたとしたら、そいつは最早、生きていない。そう、言い切ったとしても決して大袈裟ではないだろう。

ちなみに、ミジンコたちは基本的に雌しかいない。

つまり、ミジンコとは母なのだ。

そう言えば、午前中にじいちゃんの見舞いに行ったら、ベットにじいちゃんの姿が無く、何事か!と看護婦さんに尋ねたところ、ナースステーションにいるとの事。しかし、なぜナースステーションに?

で、ナースステーションを訪ねてみると、本当にいた。看護婦さんに囲まれて、何をするわけでもなくポツンとじいちゃんが車椅子に座っていた。

その光景を見て、なんだかよく分からないが、涙が出てきてしまった。

俺としたことが。不覚にも、うら若き乙女達に動揺を与えてしまったじゃないか。頼むぜ、じいちゃん。

1月27日(土)

二日酔いかと思っていたら、風邪だった。

まあ、風邪も二日酔いも症状は同じようなものだから、まあ、どっちがどっちにせよ、体調は良くない。まあ、いくら体調不良でも二日酔いで仕事は休めないが。

ただ、風邪が原因かと思うと、急に気が滅入るのは何なんだろうか。

不思議なものだ。

1月28日(日)

音楽に携わる人は音楽に対する造詣が深いように感じる。まあ、携わっているんだから当たり前といえば当たり前な話なのだが、音楽の世界にいる人は特にそういった傾向が強いように思われる。音楽理論や演奏技術はもちろんのこと、それに付随した歴史や文化や思想、その他、色々なことを熟知している。

その主な理由として、音楽はコピーから出発するという事があげられると思う。先達の生み出した素晴らしい作品をコピーすることで音楽は初めて能動的に始められる。ギターであれば「禁じられた遊び」がそうであるように、ピアノであれば「ねこ踏んじゃった」がそうであるように、むしろ、音楽はそういったコピーからしか始められない。音楽の成り立ちに最初の段階において出逢うからこそ、その造詣は自ずと深くなる。

その逆に、僕の所属する美術大学という場所は、兎にも角にも、まず個性、みたいなところがある。つまり、いきなりオリジナルから出発するような、ハッキリ言ってしまえば、出鱈目から始まるような、そういう気風が少なからずある。欧米ではだいぶ状況が違っているようだが、日本においてはそういう事になっている。コピーなんて言語道断。オリジナルこそ。みたいな。

だから、自ずとその造詣は浅くなる。音楽に携わっている方と比べるのもなんだけど、まあ、天地ほどの差があるだろう。下手をしたら、音楽に携わっている人の方が美術関連の知識を持っていたりもする。

まあ、私も、美術に携わる造詣の浅い人間だから、上記したようなことすらも浅墓な考察なのかもしれないが、少なくとも私の周囲を見渡した限りではそういう傾向になっていて、どちらが良いとか悪いとか言うならば、もうちょっと美術業界頑張れよ!と言いたいところではあるが、いきなりオリジナルから出発しちゃうような勢いの良さは音楽業界には感じ難い。だから、まあ、なんというか、結論からを言ってしまえば、音楽も美術も生活に直結するような問題ではないので、目くじら立ててどうこう言うつもりはないのだ。

つまり、まあ、ここまで来て何が言いたかったのかというと、まあ、なんと言うか、美術に携わる浅墓な人間が言うことで恐縮なのだが。料理に携わる人たちの口煩さと御節介さと短気さはどうにかならないものかと。そういう事なのである。下ごしらえを頼まれたというのに、囚人のごとくその作業を監視され、結局、何の明確な説明も指導もなく、溜息と悪態を浴びせられ台所から追い出される身にもなってもらいたいものだ。理不尽としか言いようが無い。それこそ好みの問題なのだから、そっとしておいて欲しい。

そういう意味では、音楽や美術に携わる人たちはとっても慎ましい気がする。まあ、浅墓な人間の戯言だが、生活に密接に関係した重要な問題だ。

1月29日(月)

新しいサイトを立ち上げるため、最近、色々と勉強している。

私がこのホームページを立ち上げたのは今から6年も前のことで、基本的には今もその技術で更新されている。見た目は他のホームページとさほど変わらない。いや、下手なサイトよりは見てくれはいいと思う。まあ、一応、美大生だからね。ただ、中味を見るとおそろしく原始的な構造になっている。見る人が見れば、何だこれ?と思うようなお粗末さだ。IT技術はドッグイヤーで進化していると言われているから、このページはIT年間で言えば42年前の代物だ。なんせいまだにhtmを駆使しているしね。

でも、そんなページでも最初はそれなりに苦労して作った。他人のホームページのソースを片っ端から研究したり、分からないタグがあればとことん調べたり。とにかく、自分が遣り残すようなことが無いように、その当時、できる得る限りのことは何でもやった。

で、せっかくだから今度も最新の技術を駆使したページを作ろうと思っている。進化しているからこそ出来ることも多くなってくるからね。で、また、一から這いずり回って調べている。42年間のブランクはさすがに大きいからね。

まあ、あまりホームページを作ったことが無い人には関係ない話だけど、こんなつまらない個人的なページでも、それなりに苦労をしていたり、していなかったり。でも、取るに足りないこんなページでも、それなりに明確な理想があれば、そこに取るに足りない事なんて存在しなくなってくる。

パソコンって、こんなホームページ制作以外にも、色々なことが自分の意のままにできるとてもクリエイティブなツールだ。だからこそ、皆が自発的に、何の制限も無く、様々なものを生み出し、発信するような革命的な世界がやってくることだろう!と私はウキウキしていたのだ。

しかし、世の人々はなかなかそういう方向へは行かず、他人から与えられたミクシーのようなシステムの中でモゾモゾしていたりする。そして、今ではあんなものがWeb2.0と呼ばれて持て囃されていたりして、なんというか、嘆かわしい。バージョンが上がるごとに、人々が退化しているように思えてならない。原始的ながら、ミジンコのほうがよっぽど旺盛だ。

1月31日(水)

あまりにも執拗な我々に対して、彼は言い続けた。顔だけは。顔だけは写さないでくれ、と。あれほど世間を騒がせた彼の末路として、それは滑稽なほど幼稚なものだった。まさか、ハワイ逃亡とは。

頻繁にメディアに露出していた彼が、この期に及んで顔の撮影を拒む姿は、我々報道の連中にすら苛立ちを覚えさせた。あれほどの事件の責任をも、この厚顔な男はこうして振り切るつもりなのである。まったく、どういう神経の持ち主なんだ。

怒りに暮れているうちに、あいつを見失ってしまった。報道の人間としてあるまじき失態である。しかし、あれほど幼稚で粗雑な隠蔽に、我々はまんまと騙され続け、おそらく、このお粗末なハワイへの逃亡劇によって、また、ころりと騙されるのである。

我々、報道する側が悪いのか、それとも、大衆が馬鹿なのか。いや、この国における臆病という名の無関心さがこの大事件を見逃したと言うほか無いだろう。そして、あいつのような顔がでかくて声の大きな人間が今後ものさばり続けるのだ。本当に、どうしようもない国だ。

ん!? ぃたっ!!

こうなったら、ここで全を暴露させて!

ん?子供!?

まさか!いや、しかし。でも、彼はこの子の為に!?いや待て、だからと言って、許されるような問題ではない。しかし、全ての辻褄が合うではないか。そんな、まさか!まさか!

全ての真相を私は知らされた。

今回の事件が善か悪で言えば、誰が何と言おうとも悪である。しかし、彼の行いが善か悪か。それは誰にも分からない。だが、この写真だけは真実を物語っているように思える。最後に、彼は最高の笑顔を残して去っていった。

透き通るような寒さの中に黄昏ゆく太陽。私は一体何を追いかけていたのか。私は一体何を暴露しようとしていたのか。それまで私を取り巻いていたあらゆるものが、あの稜線に吸い込まれてゆくようだ。

温かなものが頬を伝う感覚で、私は自分が泣いていることに気がついた。暮れるものがあれば、また新たに昇るものもある。