2007年 3月
3月1日(木)

3月になったばかりだというのに、既にジンチョウゲもツツジも咲き誇り、春の香りが其処此処に充満している。私は元来、とてもナイーブな理由から、ずっと春を苦手としてきたが、こうも季節の感覚がずれてくると、そういうナイーブな気持ちもどこへやら。

ただ、そう考えると、人間の気持ちや心持というのも、案外、ヤクザなものだと気がつかされる。結局、自分だけの気持ちだと思っていたものは、計り知れないほどの色々な要因から形づくられているのである。

昔。遥か昔のことだが、馬鹿な友人と酒を呑みながら「なんとなくという気持ちはあるのか、ないのか」で議論をしていた(もちろん私は「ない派」だった)のだが、結局、最後は取っ組み合いになって終わってしまった。

ただ、そういう、空虚であるけども、なにか存在するようなもの、つまり、なんとなくそのあたりを形づくっているものっていうのが、まさに気持ちであって、「なんとなく」という「気持ち」があるとかないとかではなく、「なんとなく」は「気持ち」だったのだ。若かりし僕らは、元々の方程式が間違っていたのだ。それは取っ組み合いにもなるはずである。

しかし、こういう「気持ち」も、環境の変化や、社会の変化で、その形態をどんどん変化させ、知らないうちに、全く別のものになってたりするんだろうな、なんて考えると、いくら春が苦手だった私でも、そんな春を恋しく思うのである。

3月2日(金)

今まで、色々な配達のアルバイトをした。郵便、機関紙、書籍、寿司。もしかしたら、数で言えば、配達のアルバイトが一番多いかもしれない。

アルバイトと言うと、時計と睨めっこをしながら、時間が経つのをひたすら待って、その退屈の代価にお金をもらうようなところがあるけれど、こと配達のアルバイトに関してはそういう苦痛はなかったように思う。

何しろ、配達は外に出て、色々な世界を垣間見ることができる。オフィスで退屈な作業をしているよりも、厨房で料理といえない料理を作っているよりも、情報量は圧倒的に多く、どんな仕事より刺激に富んでいるように私は感じるのだ。

実は、今日から弁当の配達のアルバイトを始めた。2ヶ月近く前からお願いはしていたのだけれど、なかなか、日にちが合わなくて、ようやく、今日、初日を迎えたわけだが、新人ならではの失敗もしつつ、なんとか無事に終えてきて、あらためて思ったのだ。

アルバイトは配達に限る!と。

もちろん、その実利の部分や、経験の価値もさることながら、「配達」という仕事や行為の持つ「一過性の触れ合い」の部分に私はグッと感じるものがあるのだ。転校してきた女の子に感じるあの切なさ。新しい町で生活を始めるあの不安。初めて女の子と手をつないだあの瞬間。そういう、何ともいえない、胸がキュンとなってしまうような一期一会。そんな場面に我々配達者は配達の度に立ち会うことになるのである。

大げさな話、配達に向かう途中、私は期待と不安に捩れてしまうぐらい胸躍らせ、配達から帰る時は、悲哀と未練に心打ちひしがれている。それは配達した物質に対してでもあり、配達に行った世界に対してでもあるし、配達という行為そのものに対してでもある。1つの配達が1つのドラマなのだ。

だから、若き大学生の諸君!アルバイトは配達をしなさい!

配達は多感な時期にやっとくべきだ。

ただ、仕事となると、毎日がドラマのようだときついかもね。アルバイトだから良いという面もある。

3月4日(日)

何かに対して、なんやかんやと文句を付けながらも、なんやかんやと理由を付けては、その何かを続けているという人がいる。

その対象が仕事のような、まあ、生活の糧として、色々割り切れない部分もあるけれど、やむを得ず続けなければならないというものであれば、それに伴うストレスやシガラミもあるだろうから、私はできるだけ寛容に親身になってその話に耳を傾けるようにしている。

もう少し譲って、その対象が恋人のような、まあ、嫌よ嫌よも好きのうち的な、好きが故の惚気であったり、愚痴であったり、結局のところの自慢話であっても、恋というのは人間の仕事のうちであるから、私はできるだけ寛容に親身になってその話に耳を傾けるようにしている。

ただ、何から何まで際限なく、ああでもない、こうでもないと、文句を言いつつ、まんざらでもないような人がいる。けっこう世の中にはそういう人の方が多かったりして、私の身近を思い浮かべても、すぐに指の数が足りなくなってしまう。

そういう人に限って、理論派だったりするから、とても面倒臭い。で、最後は、結局、自分なりに理論だてて話を終える。理論派といっても理屈っぽいだけなので、何の発展性もないし、何の深みも無いから、聞いている方は、とてもつまらないのだ。だから、こちらも茶々を入れるのだが、そんな事をしたら最後、私まで槍玉にあげられたりするからたまらない。

そう、最早、そのレベルまで達すると、それはオナニーでしかないのだ。

そして、オナニーを人前でする奴は変態だ。

ただ、変態なら仕方が無いか、と、私の寛容な心の扉は更に大きく開くのだった。

しかし、変態の質も下がったものだ。

3月5日(月)

家に帰り、飯を食い、ちょっと一服してから、パソコンを立ち上げる。私が家に帰って来た時の、大まかな流れだ。メールを確認し、軽くネットサーフィンをし、頼まれものの作業を始める。なんでこんな事を引き受けてしまったのだろうか。後悔しつつも、頼まれ事には手が抜けない。私の良いところであり、悪いところでもある。

作業が煮詰まってくると、GoLiveを立ち上げる。さて、今日の日記は何にしようか。一日を振り返る。神保町の古書店の事、いや、野球の抽選会の事にしようか、いや待て、写真の事をちょっと書きたいな、なんて。色々な事柄が頭を巡る。

いつもなら、思い浮かんだ全ての事を書き始めて、一番しっくり来るものを載せている。ただ、今日はどれもしっくり来ない。作業も煮詰まり、日記も煮詰まる。全てが手詰まり。

そんな時、パソコンの脇の水差しで育て始めた折鶴蘭に目が留まる。春を目前に勢いづく庭の折鶴蘭の中で、どうも調子のいまいちな一番ひょろっとした奴を植え替えようと引っこ抜いてみたものの、全く根付いておらず、さてどうしたものかと、水差しにして3日経つのだ。気にも留めずに3日経っていた。そんな折鶴蘭に、ふと目が留まったのだ。

しかし、目が留まるのも当たり前、この僅か3日の間に折鶴蘭の根はボーボーに生え揃い、葉は見違えるように青々と繁っていたのだ。目が留まらない方がおかしかったのだ。あの憂鬱と土に萎れていた折鶴蘭が見事なまでにメタモルフォーゼを遂げたのだ。

そのあまりにも劇的な変化に感動しつつも、その時、私は今まで学んだ思想史のとある流れがぴたりと見えてきたのである。

以前に、ジュゼッペ・アルチンボルドの「四大元素」の絵画を紹介したことがあるけれど、西欧哲学では古来より四大元素「火・水・風・土」が世界を形作る主要素だと考えられていて、この考え方は、哲学のみならず、科学や化学、医学においても用いられていたが、決定論的運命論として、中世の身分制度にも利用され、火・水・風・土と対応しての胆汁質・粘液質・多血質・憂鬱質の土の要素を汲む憂鬱質、つまり、ギリシア神話の神サトルヌス(サターン=土星)に喩えられる農民こそが最も肉体(カルネ)に関わり深い卑しき身分であると、キリスト教会によって決定付けられていた時期があった。

しかし、この四大元素の考え方は古代ギリシアの編み出した哲学であり、本来、キリスト教のものではない。後に入ってきたキリスト教がギリシア以降のこういった思想をうまく取り込んでしまったのだ。

しかし、ギリシア哲学はそれぐらいでは骨抜きにはならない。新プラトン主義マルシオ・フィチーノの「メランコリア論」の登場である。その当時、最も価値ある火の要素を持った胆汁質(ジーニアス)をフィチーノはヘルメス文書的見地から憂鬱質(メランコリア)に見事転換したのだ。その大転換の詳細を話し出すときりがないので、ここでは端折るが、その思想は、ルネサンスの神秘主義を大いに盛り上げ、更にはその後のジョルダーノ・ブルーノ、ヤコブ・ベーメ、ヘーゲル、そして、マルクスらのグノーシス思想へ綿々と受け継がれてゆくのである。

つまり、土の上でメランコリックに萎れていた折鶴蘭は遥か古代のヘルメス文書的グノーシス思想の通り、見事にジーニアスへと大転換を遂げたのである。そう、これこそ、まさに、革命思想を育んだギリシア的自然解釈なのだ。

上記の解釈はいたって個人的な見解なので、あまり真に受けないで欲しい。しかし、メランコリック。良い言葉である。

3月6日(火)

先週の週末に神保町の古書店へ行ってきた。片っ端から買い漁ってやろうと、5万円用意して行ったんだけど、今考えても、なんで自分がそんなに意気込んでいたのか分からない。結局、本は1冊も買わず、おそろしく不味いカレーを食べて帰ってきた。

話は変わるけど、なんだかうまく眠ることができなかったので、20歳前後に読んだ小説を数年ぶりに読み返してみたのだが、小説の文脈とは全く関係なしに、その当時の記憶が洪水のようにフラッシュバックした。

20歳前後というと、私の記憶からはすっぽりと抜け落ちている暗黒の時代なので、まあ、新鮮さ半分、冷や汗半分、といったところなのだが、辛い辛いと思っていたあの時代も、自分が思っていたほど暗いものではなく、逆に、私もそれなりに青春を謳歌していたんだなと感じた。

いや、しかし、こう言うのもなんだけど、あの当時、どういう訳か、私は驚くほどモテたのだ。あの時、もうちょっと、こうしてれば、ああなったのにな、なんて事が山ほどある。実にもったいない。

おかげで、尚更眠れなくなってしまった。

とんだ本の効用である。後悔は後にも先にも立たない。

3月8日(木)

先日、こんな私でもモテた時期があったという内容のことを書いた。

思い込みでも、誇張でもなく、客観的事実として、実際に直接的なアプローチを受けたのでそう書いたまでだ。

ここからは、多少思い込みも入る。

あの頃の私はいたって無口だった。当時、私は自らを取り巻く状況に悲観し、他者に対して言葉を失っていた。今でこそ、言葉を取り戻したから言われることだが「喋らなければイイ雰囲気あるんだけどな」なんてことは沢山の女の子から指摘を受ける。だから、無口だったあの頃、なんだかモテたのだろう。逆に言えば、喋る私は箸にも棒にもかからない。

人は無に対して想像力を働かせる。無に対する畏怖の念と、無に対する好奇心から、想像力を働かせるのだ。その無の器として、私は良い想像力を反映できる器だったのだろう。事実、私は現象にこそ悲観することはあったけども、対象に悲観することはなかった。そういうスタンスがあの当時の女の子の想像力に良い影響を与える機能を齎したのだろう。実際の私は虚無だったのだが。

しかし、あの当時以来、私は、また、自身を取り巻く状況に悲観する兆しがある。濃厚に、そして、着実に、それらは私を追い詰めようとしている。

もしかしたら、第2次モテブームが私に訪れるかもしれない。

そうなったら、皆、心配してくれ。

3月9日(金)

Googleで私の名前を検索して頂くとトップに私のホームページがガイドされるのは皆様ご存知のことだろうと思うが、その次の段に「2005年12月20日早大文学部における不当逮捕を許さない」といった内容のページがガイドされているのはご存知だろうか?

ご存じない方は、ちょっと試しに、Googleで検索かけてみるといい。

あれは、たしか去年の5月ぐらいのこと。私が早稲田大学に単位互換制度で通い始めたばかりのころ、他大学の慣れない講義室で授業が始まるのを今か今かとそわそわしながら待っていた。すると、突然、どどどーっと数人が講義室になだれ込んできて、その中の一人が教鞭台に立ったのだ。もちろん、授業が始まったわけではない。

「突然ですが!皆さん!しばし清聴を!」

と演説が始まったのである。

おいおい!なんなんだ!全共闘か!?全学連か!?さすが早稲田じゃないか!60年代の学生運動に憧れを抱いている私の血は湧き、肉踊った。ボイコットでもバリケードでも何でもするぜ!ホントそんな感じだった。

ただ、残念ながら、その演説は署名の訴えだった。ちぇっ。

でも、まあ、あのページを見て頂ければ(書き方はちょっと過激だけど)分かるが、訴えの内容自体には特に異論は無かったし、私自身、学内で署名活動をした経験もあるので、支持の意思をして一筆書いた。WEB公開されるとは思っていなかったけどね。

まあ、しかし、WEB公開に関しては事実無根のことを公開されているわけではないし、私もある種の覚悟を持って自分の名前を記したわけだから、それが正当に扱われている点から言えば、結構なことである。

懸念といえば、あの署名を集めている団体がどういうところなのか、いまいち不明瞭な点ではあるが、それにしても、私たちはある種の権力に対して抗う姿勢というものは常に持っているべきである。

世の中の権力は往々にして権力を持たないものをことごとく蹂躙する。その証拠に、警察官が一般市民を守っているところなんて見たことがあるか?ごくたまにそういう奇特なお巡りさんもいるけど、ほぼ無いと言っていい。なぜなら、基本的に彼らは一般市民を守るような観点では動いていないのだ。そもそも、権力側のコンセプトは権力側におかれているのだ。これでは奇特なお巡りさんも浮かばれない。そして、浮かばれなくなってしまった後では遅いのだ。

だから、形なんてどうでもいいが、とにかく、私たちは抗う姿勢を忘れてはいけない。

 

ただ、やっぱり、あの署名を集めている団体がいまいち不明瞭なのは気にかかるところだ。革マルとか中核とかだったらどうしよう。怖い。

どうしよう。。。ジョン。

3月10日(土)

最近、日本人の俳優が海外でいろいろと脚光を浴びる事がある。まあ、米国での反応がその大半を占めているので、世界規模で注目をされているのかというと「?」ではあるが、まあ、国内に留まらず、海外からも評価を受けるいうことは、悪いことではない。素直に讃えるべきことだし、素晴らしいことだとも思う。

ただ、それを自分の事のようにお祭り騒ぎで囃したてるのは筋違いだ。ましてや、まだ日本では公開されていない映画について。ましてや、日本では誰も注目しなかった俳優について。何が分かると言うのか。そういうマスメディアの無神経な部分は決して讃えられるものではない。

どんなに深刻な事件であろうと、どんなに素晴らしい出来事であろうと、日本のマスメディアに放映されてしまったら、全てが冗談になってしまう。そして、そんな冗談を真に受けている視聴者は、最早、悪い冗談にもならない。冗談みたいな国だ。

3月12日(月)

こないだ「かもめ食堂」という映画を観た。舞台はフィンランドはヘルシンキ。特に何かが際立っているような話ではないが、ヘルシンキという町の何とも言えない魅力は伝わってきた。

交換留学で私のゼミにフランスはパリから来ていたジヌーさんという女の子はご存知だと思う。ここでも何度か書いた。実はその他に、フィンランド、しかも、ヘルシンキからも私の学科に交換留学で女の子が来ていた。彼女はファッションのゼミにいたので、当初、あまり接点はなかったが、今年の元旦の日記にも書いたように、まあ、それなりに仲良くなった。名前はキキさん。お世辞抜きに、とても可愛い。ビックリする。もちろんジヌーさんも可愛いけど。

以前、私は友人の「ヤッホー!」という挨拶に対抗して「ジャンボ!」という挨拶を考えたと言ったが、フィンランド語では「モイモイ!」と挨拶をするらしい。もちろんキキさんも「モイモイ!」と言っていた。「ヤッホー!」とか「ジャンボ!」とか、どうでもよくなってくるので、こないだは書かなかったが、「モイモイ!」って、、、良すぎだろ。ずるい。

キキさんの「モイモイ!」なんて、身が捩れるほどだった。

キキさんにしても、モイモイにしても、ムーミンにしても、アキ・カウリスマキにしても。社会福祉や教育水準や経済成長にしても。なんか、どんな面を見てもフィンランドという国には非の打ちどころが無い。誰か、フィンランドの欠点を教えて下さい。

あ~!でも、あれだ!「Salmiakki」っていう飴とお酒があったんだけど、あれは不味かった。キキさんは喜んで飲んでたけど。

でも、それぐらいか。

3月14日(水)

最近、食べ物屋の運がない。行く先々で、ことごとく不味い料理が出てくる。不味いものを食わせる飲食店もどうかと思うので、せめてもの抵抗として、その料理をあからさまに残してくるのだが、こうも続くと、私自身のツキの悪さも感じてしまう。

こうした、何かしらの類似した現象が重なり合うことを、人々はシンクロニシティとか共時性とか、一方では因果とか業とか、もう一方では運とかツキとか言ってきたけど、言葉があるぐらいだから、やはり、そういう不思議な現象はよくある事なんだと思う。

でも、僕はユング論者でも、仏教徒でも、ましてや、運命論者でもないから、できることなら、こういう現象を三次的な何かの要因のせいにはしたくはない。

事はとても単純なのだ。私は金を払ってまで不味い物は食べたくない。ただ、それだけの事。全てはたまたま、たまたま起こっただけだ。今度、不味い料理を出されたら、文句を言って、突き返せば良い。ただ、それだけの話なのだ。

共時性も、因果も、運も、この負の蓄積における純情青年のカタルシスには到底及ばない。

不味い料理よ!どんどん来やがれ!

その度につき返してやる!共時性や因果や運なんて関係ねぇ!

3月19日(月)

二日酔いだと思ったら風邪だった。パート2である。

昨日、なかなか引かない二日酔いの気だるさに苛まれつつ、フルタイムの業務をこなしていた。今までにないその粘着質なしつこさに、自らの身体的憂いを感じながら、「こうなる前に、飲めるうちに飲んでおきなさい。」などと、自慢とも説教とも分からないようなことを、職場の若い女の子に嘯いていた。私も三十路を目前とする身なのだ。まったく。

しかし、今日、職場へ行ってみると、なんだか様子がおかしい。喉の痛みは引かず、むしろ更に悪化している。意識がやや朦朧気味で、身体の節々に鈍い違和感もおぼえる。まさか、風邪だったか!?そう思った途端、三十路の憂いはどこへやら、ただの無口な病人に成り果てていた。女の子に嘯く元気すらどこへやら。

そう、私は風邪に弱いのだ。特に形而上的「風邪」には専ら弱いのだ。

ただ、そんな風邪気味の静かな甲斐性なし三十路前男を見て、若い女の子達は色々と心配してくれる。女の子ならではの慈悲の深き心配である。リポビタンDまで貰ってしまった。悪くない。

そう、私は心配に弱いのだ。特に女の子の「心配」には専ら弱いのだ。

3月20日(火)

「SecondLife」というものを皆さんはご存知だろうか?

私も最近知り、試しに参加している。

皆さん、このページを見ているということは、インターネットを使える環境にあるわけで、「Google」とか「Mixi」とか「Blog」なんて、当たり前の概念やツールとして日々使用していると思う。私個人としては「Google」や「Mixi」や「Blog」に関しては否定派ではあるが、そんな個人的な見解を他所に、それらは厳然とした評価や人気を集め、注目され続けている。

そんな私のややパラノイアな見地でさえも、先の「SecondLife」は、今主流となっている「Google」や「Mixi」や「Blog」に続くインターネット世界の主流として世界を席捲するものになると思うし、実際に、世界中の多くの巨大資本がこぞってこの「SecondLife」に注目し始めている。

資本が投入されるってことは、流行るってことだ。幸か不幸か、我々は、このインターネットの世界においても、更に巨大資本に巻かれることになるのだろう。

「SecondLife」を闊歩する私。ご覧の通りバーチャルワールドである。ちなみに「SecondLife」の中での私は女の子だ。自分で言うのもなんだが、けっこう可愛い。

見た感じでは何でもないただの三次元仮想空間なのだが、スクリプト公開がされているので、この世界の中では、何もかもが、自由に、そして無尽蔵に可能となる。まだ、目立った何かがあるわけではないが、実際にやってみると、その可能性に驚愕させられるし、これから色々なものができてくると思う。

あと、一番の特徴は、このバーチャルワールド内で発生するバーチャルマネーの支出や収益が実際の米ドルに還元できるという点で、既に、このバーチャルワールド内の収益だけで生活している人もいると聞く。

もうすぐ日本語版が出るということらしいので、世間を賑わすことになるだろう。パラノイアが主流になった時、それは最早、パラノイアとは言わなくなる。ただ、いくら主流になろうとも、それはパラノイアな世界であることには変わりがないので、皆さん注意して「SecondLife」して下さい。

「Google」や「Mixi」や「Blog」がそうであったように、私がなんと言おうとも「SecondLife」は無視できない存在として大いに注目を集めるのでしょう。皆さんが「SecondLife」を始める頃、パラノイアな私はすっかり足を洗って待っていることでしょう。

3月21日(水)

実は、3月17日(土)付けの日記があったのだが、削除した。一度アップした日記を削除するのはこれが初めてだ。

アップされていたのは半日ぐらいのものだったので、読んだ人は少ないと思うし、読んだとしても何のことだかサッパリ分からなかったと思う。とうとう私も電波の影響を受け始めたのか!?なんて思った人もいるんじゃないだろうか。

何を隠そう、私自身、読み返しても何のことだかサッパリ分からなかったし、書いたことすら覚えていなかったのだ。だから、最初見た時は、誰が?何の目的で?ハッカーの仕業か?なんて驚いてしまうほどだった。

なんとも情けない。ただ、酔っ払って自分で書いただけなのだ。

最初に「日記を削除するのは初めてだ」とか書いておいてなんだが、何かそこに重要な私の秘密が書かれていたわけでもなく、ただ、残しておくのも微妙な内容だったし、削除しても特に支障もないだろうと思って消したのだ。

しかし、消してから思ったのだ。

「真平の自動筆記コーナー」

シュールレアリストっぽくてかっこよくないじゃないか。一応、美術学生だしね。もうちょいでネオシュールレアリストの誕生だったのに。

無残にも、捨ててしまったのだ。

現在、サイト改編作業を進めていますが、4月までに全て移行するのはちょっと難しいので、4月からは一応、暫定版という形で更新してゆきます。暫定ながらも移行していかないと、怠け者の私はサボってしまうので、申し訳ありませんが、ご了承下さい。

まあ、誰にも頼まれてないんだけどね。

3月22日(木)

皆さん。クラブには行ったことはあるかい?

もちろん、女の子が隣に座ってお酌するような所ではなくて、ダンスホールの方だ。

日本だとめちゃくちゃセクシーなダンスをする女の子とか、ダンスでアプローチしてくるような男子諸君はあまり見かけない。どちらかと言うと、盆踊りみたいに皆同じように踊っていて、服装にもちょっと厳しい。値段もちょっと高い。ただ、いろいろ物足りないところはあるけれど、それでも、私はクラブが大好きなのだ。いや、踊ることが好きと言った方がいいのかもしれない。

例えば、飲みに行った後に「じゃあ、カラオケに歌いに行こう!」みたいなことはよくあるけれど、「じゃあ、クラブに踊りに行くか!」みたいなことはない。個人的な感覚だと、人前で歌うんだったら、一緒に踊ったほうがよっぽど楽しいだろうと思うのだが、一般的にはそうではないらしい。

踊りに行くんだったら、付き合ってもいいかなって気になるけど、歌はね。

まあ、そんな事を言っても、歌うのも踊るのも駄目という人も、一方では多いとは思うのだが、そういう人はそういう人で、変に理性的で、変に理屈っぽいから良くない。

一番良いのは、歌って、踊れるのが良いのだろう。ただ、残念ながら、私は歌いながらは踊れない。不器用だからだ。逆に、そういう不器用な理由から、どちらかを選ばざるを得ないという人は多いんじゃないかと思う。

そう、不器用だからいけないんだ。不器用だから、人間は対立するんじゃないだろうか?だから、みんな!歌って!踊れ!

3月23日(金)

電車を3回乗り継いで2時間。目的の駅に着く。バスロータリー以外には何も無い、絵に描いたような郊外の駅。

そこから、1時間に1本のバスに乗り、多摩川の支流沿いの道を、遥か昔に遺棄された商店や工場を眺めながら、30分。3つ目のボロボロに錆びた停留標識の立つバス停で降りる。駅からここまで乗客は私一人。

また、そこから、地図を頼りに古い墓地に囲まれた小高い丘を15分程登ってゆく。頂に目的の建物がある。茶色い丘の上に刺さったようにそびえ立つその建物の最上階。小さくて暗い部屋の隅に置かれたベッド。そのベッドのまた隅っこに、じいちゃんは何かに怯えるように小さくうずくまっていた。

「何もかもが分からなくなってしまったから、目を開かないことにした。」

そう言って、じいちゃんは私がいる間、目を開こうとはしなかった。私の顔も見ようとはしなかった。外は春を想わせる暖かな陽気だった。でも、じいちゃんはしきりに「さむい」と呟いていた。私は同じ道のりを4時間かけて家に帰った。

21世紀。人類は、完全管理、完全オートメーション、完全隔離、そして、月々23万円の、完全なる姥捨て山を作り出したのだ。私はその現実に唖然とし、39度の熱を出して倒れ込んだ。

3月24日(土)

サタデーナイトフィーバー。

私もあなたも我々も。サタデーのナイトにフィーバーしている人など、稀な存在である。

私などは、粘り気のあるウィルスに絡め取られてしまい、久しぶりのサタデーナイトフィーバーは見送った。まあ、今までフィーバーしたつもりも無かったが、結果的にはフィーバーする余地も無かったわけだ。

ただ、私個人としては、フィーバーしようがしまいが、1日を普通に、何事も無く過ごせれば良かったのだ。ましてや、1日に不採用通知が3通も送られてきて、重い風邪を患って、27歳にもなって、しみったれた実家の部屋で横になっている他ない己の姿など。

サタデーナイトフィーバー。

いつの時代も、社会的な束縛から隔離した時間なのである。それが、踊り明け暮れようと、セックス三昧であろうと、病に伏せていようと、同じである。サタデーのナイトは社会から孤立した時間枠なのである。

月9と一緒だ。