2007年 9月 10月 11月
9月5日(水)

風説。 いつだったか。ある蒸し暑い初夏の日のことである。私の家に泊まりに来た友人が、とあることに、とても怯えたことがある。

「俺、朝になって、死んだりしていないよね?大丈夫かな?死ななよね?本当に大丈夫?」

私が毎日生活する部屋で死を予見するなんて、何事か?と思ったが、そう言えば、私も昔、ばあちゃんから言い聞かされていた。

「扇風機にずっとあたっていると死ぬ」

泊まりに来た友人は、寝苦しかろうと私が気をつかってあてがった扇風機に、恐れおののいていたのである。このまま扇風機にあたって眠ったら、朝になったら死んでいるのではないか?と。

まあ、しかし、んなもんで、死にゃあしない。 夏場、私は毎日のように扇風機の風と共に爽やかな朝をむかえている。顔面にもろに風を受けている場合は喉がカラカラになって死にそうになることもあるが、まあ、死にゃあしない。たぶん。

でも、私がこの「扇風機死」の話をすると、大概の人が知っている。 実際に死んだ人がいるんだろうか?実際にそういう事故で亡くなった方がいたのなら、それはなかなか哀しい事故である。

9月7日(金)

活字。 まったく活字に触れないという人は私の周りにもめずらしくない。様々な映像メディアや音声メディアが存在する今、最近の若い人は本を読まなくなったなど言う偏屈オヤジのように、活字だからといって特別どうこう言うつもりもない。活字に親しんでいるからと言って世界が救えるかと言うと、私が造形の分野に傾倒している人間だからなのか、某新聞社のように活字にそこまでの力があるとも思えない。でも、活字の持つ読者の主体性にひらかれた世界観は嫌いではない。いや、案外、好きである。

ただ、元来、私は活字にまったく興味がなかった。そんな私が突然活字の世界に目覚めたその動機。それは不純としか言いようのないものだった。 初めて活字に触れた最大の理由は、ずばり「エロ」だったからだ。

友人の付き添いで行った高校の図書室で、暇つぶしに何気なく手にした小説がきっかけだった。そこには、変態じゃないか!と思えるような細やかかつ生々しい性の倒錯が克明に描かれていたのだった。教科書にものっているような作家の小説だ。その当時、童貞だった私にとって、学校の図書室にこんなものが!?という衝撃と、それを上回る「エロ」の奥深さは、かなりターニングな体験だったのだ。

それからというもの、私はハマッた。活字の「エロ」さにハマッた。 なんてったって、人前で読んでいても、胸を張っていられる居心地の微妙さにハマッてしまったのだ。フェティズムの領域だ。

しかし、その若かりし私の出会いと倒錯こそが、その後の私の活字に対する意識を変え、様々な活字の世界へと足を踏み出すきっかけとなったのだ。こういった日記をしたためる原動力にもなっているし、私自身の価値観の裾野を大きく広げることにも寄与している。

人生というものは、何がきっかけになるか分からないものである。まあ、私の「エロ」さが勝ち取った必然的到達であると言えば、そう言えなくもないが。

9月30日(日)

事故。 夏の最後の香りをわずかに残した熱海の街角で、温泉饅頭の煙に巻かれた私の車は、あろうことか、他人様の車に接触していた。

温泉の効能とでも言うべきか、はたまた、不幸中の幸いと言うべきか、双方共にけが人は無く、互いの車両もバンパーに多少の擦り傷がついた程度だった。

だが、しかし、どんな事故でも、事故は事故で、事故以外の何ものでもないわけで、まず被害者の方に深い反省とともに謝罪をし、その後、警察官を交えて現場検証をし、そんな中、詳しい経過を保険会社に逐次報告し、またまた、被害者の方に深い謝罪をし、と、事故後の然るべき措置を漏れなくこなした後、私は「嗚呼、あの時、左折していれば」などと、未練がましい自己嫌悪に陥るのだった。

夏には必ず未練が残るものだ。いや、未練が残るから夏なのだ。 そうして私の夏は幕を閉じたのだった。

いよいよ秋がやってくる。切ない秋がやってくる。

10月5日(金)

バナナワニ。 日本ではまずお目にかかれない姿形の動物や植物が集められ、動植物園というよりは、秘密の研究所のような様相を呈すこの施設。夢や童話の世界からそのまま現れたような動植物が我々を迎えてくれる夢のワンダーランド。そう、何を隠そう、伊豆の亜熱帯動植物園「熱川バナナワニ園」である。皆さんご存知だろうか?

実は、この「熱川バナナワニ園」からの帰り道、私は先日の交通事故を起こしでしまったのだ。無念。

さて、フランシス・ホジソン・バーネットが書いた「秘密の花園」という小説があるが、こちらはアニメや映画や舞台にもなっているので皆さんもご存知かもしれない。しかし、残念ながら、欧米出身者でもない私は「花園」といった園庭文化にさっぱり馴染みがなかったため、なかなか物語に感情移入できなかった。

物語に限ったことではないが、表現というものはある程度見る側の経験値に依存しなければならない部分があるので、なかなか難しい。

ただ、私が初めてこのバナナワニ園に訪れた時、プラトニックでセンチメンタルでノスタルジックなあの「秘密の花園」の物語が、あたかも私の実記憶であるかのように、このバナナワニ園を舞台に脳内で展開し始めたのである。

これこそが!いや、こここそが!「秘密の花園」なのだ!と私はその時錯覚したのだった。

それ以来、伊豆方面へ行った時には、このバナナとワニが戯れる夢の花園、バナナワニ園へ寄るようにしている。かつての初恋を懐かしむかのように。錯覚であることはひとまずどこか遠くへ置いておいて。

そんなんだから、車をぶつけたんだと思う。

10月11日(木)

固定。

世間が自分に合うことなど、どう間違ってもないのだから、自分もある程度強引に世間を生きていいのだと、ある女社長が言っていた。

私はそんな女社長に連れられて、今日、とある会社の面接に行ってきた。女社長の口添えもあって「やる気があるのなら来なさい」それが面接の結果だった。

私は今年で28歳になる。今まで散々フラフラしてきた。今ではそのフラつき加減に自分が目をまわしている程だ。自分自身が何かに固定され、限定されるのが怖くて、散々悩みつつも、何事にも一切足を踏み出さず、散々文句を言い放ち、結局、フラフラとしていたのだ。

私と6つ違いの弟は早い時期から自分の歩む道を見定め、今は京都で元気一杯暮らしている。現在発売されている「テレビ・ステーション」という情報誌の「京のオトコマエ」というコーナーに取り上げられているので、それを見ていただけば元気一杯さが充分お分かりになるかと思う。全国誌らしいので。

しかし、趣旨は多少ずれているものの、何かを見定めた結果、社会的に取りざたされるということは、凄いことだと思う。それはある信念を持って生きてきた弟に、社会がなびいてきたということだ。本当に凄いことだ。そんな弟を、フラフラな兄は誇りに思う。

なにかに固定されることを怖がることは、なにかに固定される以前に、自分自身で自らを固定しているのだ。なんとも無残なことだったのだ。

フラフラな兄も、いつまでも弟を誇りに思ってばかりもいられないので、そろそろ足に根を生やし、多少強引に生きてみようかと思う。弟に触発される兄も兄だが、こんな弟を持って兄は本当に良かったと思う。昔は散々ひっぱたいてごめんな。

しかし、「京のオトコマエ」の兄は、やはりオトコマエなのだろうか?

10月15日(月)

多肉植物。

以前、メダカの飼育に熱中していたことがある。残念ながらメダカは訳あって知人に譲ってしまったが、今もミジンコや金魚などの水棲動物の飼育に多少熱をあげている。

メダカやミジンコの飼育に熱中してしまう要因として、ひとつ、その繁殖の容易さがある。素人でも丁寧に飼育すれば、比較的容易に繁殖ができるのだ。

繁殖をコントロールするということは、生命そのものをコントロールするということであり、生命支配、それはある意味でマッドサイエンティスティックな快感に通じるものがある。つまり、繁殖を見据えた飼育とは、猫や犬などの愛玩飼育に比べると、かなり危うい背徳的な側面を孕んでいるのだ。

そして、そんなマッドな飼育に魅了されてしまった私が次なる対象として選んだのが多肉植物だった。多肉植物というと代表的なものはアロエやサボテンなどがあげられるだろう。植物ではあるが、「多肉」という語感からも、アロエやサボテンなどの容姿からも、まさに「飼育」と呼ぶにふさわしく、極めて動物的なメタファーを感じる彼らに、私のマッドアイ(Mad Eyes)はインフォーカスしてしまったのだ。

しかし、私の考えは、甘かった。

彼らは私の想像力を遥かに越えて、繁殖に貪欲だった。驚くべきことに、ある日、ポロリと落ちた葉から、彼らは次々と芽吹きだしたのだ。動物で言えば、自らの四肢を切り落として子を作るということだ。想像できるだろうか?つまり、彼らの生き方はマッドな私の嗜好を遥かに超越していたのだった。やられた。

生命を弄んでいた気になっていた私だが、この多肉植物達との出会いを経て悔い改めた。絶えまない環境との対峙により受け継がれてきた生命の必然性は、何者かの手におえるようなものではないのだ。まして、それを操作などとは、なんと浅墓でおこがましい行為だったのかと。そして、それは我々、人間の生命もまた同じであると。

今夜から、私はこの多肉植物達を「お師匠さん」と呼ぶことに決めた。

10月16日(火)

過去の思考。

今日は突然休みになってしまった。

やらなくてはいけない事もいろいろあったのだが、最近、なんだかんだと精神的にバタついていたし、昨晩もだいぶ帰りが遅かったので、素直に休息をとることにしようと決意した寝起きのベットの中で、ナイナイのオールナイトニッポンをニコニコ動画で流したのがマズかった。

オールナイトニッポンは、私のテンションを空回りさせる。

私の時代だと松村邦弘、YUKI、福山雅治、電気グルーヴ、ウッチャンナンチャンなんかがオールナイトニッポンのパーソナリティとして印象に残っているが、そんなパーソナリティーのトークを聴きながら、私はやらなくてはならない受験勉強はさておき、ひたすら机に穴を掘って、無駄な夜更かしを続けていたのだ。

そんな、パブロフの犬のような条件反射によって、私は寝起き早々、やらなければならない現実的作業はさておき、オールナイトニッポンの魔術的フラッシュバックによって、このホームページのメンテナンスを始めてしまったのである。

そして、そのオールナイトニッポンの効能により、過去ログに、この日記の開始当時から大学に入る手前までを今回アップしたわけだが。2001年から始めているので、22歳ぐらいの頃だ。なかなか手痛いことを記したりもしていて、なんだかとても恥ずかしい。

オールナイトニッポンの条件反射といい、過去の自分の日記といい、私はいかんともしがたい蓄積ばかりを積み重ねているようだ。

だは~。

10月25日(木)

仕事や生活と夢や希望。

ようやく面倒をみてくれそうな職場もみつかったところで、今、私は大きく迷っている。おそらく、私以外にもそういう人は多いと思うし、実際に、そういった迷いの中から新たな決断をした友人や、逆になかなか決断できない人を、私は少なからず知っている。私を含め、大学卒業を目前にして、多くの人が悩んでいるのは「仕事」を取るのか、「生活」を取るのかという問題に帰結している。

もちろん、仕事あっての生活だ。然るべき仕事をしなければ生活が成り立たないという現状があるから、生活がどうの、とも言っていられないが、我々美大生の場合、献身的な泥まみれの社会経験の後、それが生活を支える仕事として成立するかも難しい。もちろん、それは美大生に限ったことではないが。

こういった私の考えは甘っちょろいと言われるかもしれないが、現在の仕事優先の社会にあって、そこに迷い悩む若き大学生達が少なからずいて、いろいろと模索しつつ、挫折しつつ、ジレンマを感じている場面を目の当たりにすると、やはり、個々の問題というよりは、今の社会のあり方にこそ大いなる矛盾を感じてしまうのだ。

「将来の夢は?」

「将来の希望は?」

と聞かれた場合、それは「充実した仕事」であり「豊かな生活」その両方なのではないだろうか。おそらく、誰しもがそう思っていて、本来的に、人間は自らの生活を豊かにするために充実した仕事をするのだと思う。

仕事の結果は金銭という形に転化するが、その金銭は自らの生活の為に色々な仕事に対して支払われる。生活があって発揮されるのが仕事であり、仕事があって豊かになるのが生活なのだ。どちらが優先されるとか、どちらに重きが置かれるとか、そういった質のものではないと思うのだ。つまり、自らの生活を蔑ろにして仕事に励むことは、本来的にあってはならないことなのだ。

ただ、現状は違うし、それに対して、皆悩んでいる。

そんな風に悩むのも、なんてったって、私の面倒をみてくれる会社は、月に一度休みが貰えればラッキーで、週に何回家に帰れるかが問題になっているのだ。生活なんてあったもんじゃない。生活としては実質的にホームレスみたいなものだ。悩んで然るべきことだと思う。

10月29日(月)

ライク ア バージン。

この日記を休止している間、事実上ゼミを辞めさせられ、腹を割って話し合える友人と遺恨を残す形で疎遠になるという、私にとってはまずまずショッキングな出来事が重なった。

両方とも私に責任があるといえばそうなのだが、私自身にも曲げられない言い分があったのだから、まあ、仕方ないと言えば仕方ないことなのだが、よく考えてみると、こういった形で他人と諍いを起こしたという体験は実は初めてかもしれない。

元来、何でも引きずりやすい私は、もちろん、まだこの2つの諍いを引きずっていて、この事を思い出すと、未だにウジウジと不甲斐なさを残している。

ただ、このバージン体験を「ライク ア バージン」として追体験できるようになれば、私は一歩成長し、何か新たな視野が広がるのだろうが、それと同時に、永遠に私のバージンは失われることになるだろう。

私はどうしたらいいんだ、マドンナ。

なんか。バージンは死守したいんだ。特に意味はないが。

11月2日(金)

歯骨折。

先日、煎餅を食べていたら、軽妙な煎餅の歯ごたえに混じって乾いた衝撃が戦慄と激痛とともに私を貫いた。その気絶とも悶絶ともつかない、途方もない断絶感によって私は永久歯を永久に失ったことを悟った。

その後、かかりつけの歯科医に連絡したところ、私の主治医が辞めたことを知らされ、処置は早くて一週間後になると告げられた。この状況下でこの仕打ち。完全なるスタンドアローンだ。更なる絶望が私の目の前を覆ったのである。

と、まあ、先日、このようにして、この物語は深刻に始まりを迎えたわけだが、しかし、現在、なんとか一週間後の処置などと途方もない事態を回避し、無事に処置を終えた私は、絶対的欠落感を帯びた下顎の歯並びを鏡に映して思う。「しんぺい」の「し」の字に似ているなと。そう、私は下顎の左奥歯を立て続けに2本も失ったのだ。

「物事はシリアスに始まりジョークで終わる」と、昔の思想家が言っていたが、終わってみればこの深刻な物語も「し」の字に見える自身の歯並びに親近感さえおぼえている微笑ましさ。つまり、そういうことなのだ。

また、明日からバリボリとまた煎餅を貪ればいい。私にはあと26本の永久歯と、親不知が3本ある。それさえも失った時は、またその時に新たな道が拓かれるだろう。

一応、折れた歯は遠く夜空に向かって投げておいたのだが、その直後、雨が降ってきた。う~む。

11月6日(火)

蝶。先日、新調した眼鏡ができあがった。これで通算6つめの眼鏡になる。

何ごとにも言えることだが、主にならざるも、そのものを構成する端々の複合的要素、そういった所に目がゆき届いたうえで全体を眺められる視点こそが、ひとつ、卓越の指標とされている。

ファッションで言えば、靴や腕時計や帽子や眼鏡といったメインにはならない装身具に気を遣えるようになれば、なかなかなのだ。

さて、そんなわけで、私の眼鏡の話に戻るが。

今回で確かに6つめの眼鏡になるのだが、私の場合、先に述べた卓越とは程遠い理由から、この眼鏡数に至っている。TPOに合わせて眼鏡を変えるわけでも、その日のファッションに合わせて眼鏡を選ぶわけでもない。

無くしてしまったから、泣く泣く新調しているだけなのだ。

今回も愛用していたRay-Banの眼鏡をどこかで無くしてしまったので、中身の無い財布を開き、新しい眼鏡を渋々新調したまでだ。そういうことが巡り巡って通算6つという数になったわけなのだ。卓越とは程遠いのである。

歳を重ねると、得るものもあるが失うものも増えてくる。眼鏡や永久歯もそのひとつである。ただ、そういった失われることにたいする想像力に関して、私は着実に卓越の道を歩んでいるように思う。

眼鏡を6つ無くして浮かぶのだ。過去に無くした眼鏡達がまるで蝶のように夜の繁華街をキラキラと舞う姿が。奴らは私の手元から飛び立ち、楽しそうにやっているのだ。とね。

だからなんだと言われれば、そうなんだけど。この架空の物語が私なりに「失う」ことに適応する術なのだ。

11月21日(水)

ホームページの制作は、それなりに時間も要するし、怖ろしく面倒でもある。構成能力の乏しい私にとって、それは苦痛以外の何ものでもない。ブログに移行すればどれだけ時間の節約になるか。ミクシーに参加すればどれほど肩の荷が下りるか。

さて、先日、ピピロッティ・リスト[Pipilotti Rist]というスイス人作家の企画展に行って来た。ビデオインスタレーションが主で、なかなか興味深い作品もあったのだが、ほぼ全ての作品が難解かつ不条理で、その意味を理解したところで、更なる「?」マークが頭を埋め尽くすような企画展であった。

ただ、その有無を言わせぬ不条理さや難解さがどうも引っかかったのだ。何か。この感じ。知っている。そして、その企画展の最後の作品「隠されたサーキット」を見た時、ようやく私は理解したのだった。

スイス人!不条理!難解!   そう!これは!「ダダ」だ!

20世紀初頭にスイスはチューリッヒで勃興した「ダダイズム」が、21世紀初頭、同じ地にひょっこりと顔を出したのだ。なぜ現代に?なぜダダイズムが?といった事も論じたいが、1世紀も経た現代に「ダダイズム」しているピピロッティ・リストの姿、その姿たるや、もう、それだけで感無量になってしまったのである。

というわけで、あまり関係ないのだが、このピピロッティ・リストのダダイズムのように、私はどんなに辛くとも、どんなに苦しくとも、ホームページ制作に拘ってゆきたいと思うのである。いや、ほんと関係ないのだが。

完全リニューアルオープンである。

11月23日(金)

20世紀バレエ団

ご存知の方は少ないと思うが、とても良いネーミングの団だとは思わないだろうか?少なからず、私はこのネーミングにまず衝撃を受けた。しかも、このバレエ団は男性のみで構成されるバレエ団なのだ。なんと妖しげで、なんと謎めいた団体だろうか。グラムロックに通ずる妖艶な誘惑とでも言うべきだろうか。ある種のタブーに抱く憧れを、私は感じてしまったのである。

しかし、この20世紀バレエ団トップダンサーであるジョルジュ・ドンの舞台映像を見た時、私の微妙な憧れは確固たるものになってしまった。私の想像力を遥かに凌駕する表現。言葉では説明できない。その表現でしか伝えられない唯一無二の表現。妖しげなものがどんどん排除される世の中で、私は人間の持つ妖しげな魅力に気づかされ、それに大きく魅了されてしまったのだ。

本日、その20世紀バレエ団の主宰者であったモーリス・ベジャール氏が亡くなった。80歳だったそうだ。大変残念なことである。ジョルジュ・ドン氏は1992年に45歳の若さでエイズで亡くなっている。

つまり、本日、20世紀バレエ団は本当の意味で20世紀バレエ団になってしまったのだ。

モーリス・ベジャール、ジョルジュ・ドン、そして20世紀バレエ団を追悼し、今夜、私は踊り明かすことを決めた。悲しいからではない。感謝の舞を披露するのだ。私が今備えている最も妖しげで美しいダンスを力の限り踊りまくる。

本当にありがとう。

11月26日(月)

自販機に指定のコインを入れ、いつも見慣れた銘柄のボタンを押す。日常生活の単純な作業。慣例行事だ。しかし、一呼吸置いて、取り出し口に落ちてきたのはセブンスターだった。

日常というのは何の前触れも無く、ことごとく破壊されるものなのだ。

しかし、考えてみれば、私にもセブンスターを吸っていた頃があった。マルボロを吸っていたこともあるし、マイルドセブンを吸っていたこともあった。今はクールだ。

全ての物事は済し崩し的に変化し形骸化してゆく。

煙草も然り。日常も然り。

つまり、少なくとも私が考えているような日常というものは一過性の一現象に過ぎず、むしろ、その根底にあるがっちり固められた日常にこそ注意を払うべきなのである。変化されるべきものと、守り抜いていくものと。

私を含め世の中は、上っ面の現象に振り回されすぎなように感じる。

そういえば、セブンスターは労働者の煙草だ。

11月29日(木)

先日、六本木ヒルズの展望フロアで行われたクラブイベントに誘われたのだが、気持ちが逸りすぎてその道中に携帯電話を紛失してしまった。電車も無く、ほろ酔い加減で自転車で向かったのが仇となった。

幸運ながら携帯電話は心優しき関西人によって私の手元に戻ってきたが、時すでに遅く、クラブイベントには参加できなかった。

翌日、そのクラブイベントに誘ってくれた子から

「外人のちょぅかわいこちゃんばかりだったのにぃ」

というたいへん悔しい情報を頂いたのだが、それにしても大変残念なことだった。新しいダンスを披露する絶好のチャンスだったのに。

さて、「BABEL」という映画をみなさんご存知だろうか?今年の初め菊地凛子さんがアカデミー賞の助演女優賞にノミネートされたあの映画だ。物語は東京の超高層住宅に住む親子から始まる負の連鎖が世界をまたいで波及する様を旧約聖書の創世記に綴られた「バベルの塔」の話に模して展開される。

世界に波及する混乱の根源がこの東京であるということが、私にとってはなかなか複雑な心境でもあったが、一方で、たまたまこの東京に「バベルの塔」を据えたにしろ、東京の異常な混乱ぶりを否定できない現状も感じざるを得なかった。

そう言えば、去年、留学で来ていたフランス人の女の子も「東京はバベルだ」としきりに言っていた。彼女は悪い意味で言っていたわけではなかったようだが。

今、この東京の中でも、「バベルの塔」に置き換えられる象徴的な建物といえば、やはり、先の六本木ヒルズだと思う。その展望フロアで行われるクラブイベントなんていうのは、混乱と孤独を撒き散らす狂乱演舞以外の何ものでもない筈だ。

だからこそ、私はあの夜、六本木ヒルズに行かなくてはいけなかったのだ。あの夜、私が用意していた新しいダンスは弁証法的パフォーマンス。私はあの夜、混乱や孤独ではなく、繋がりと友愛を世界に発信する筈だったのだ。

私は東京をバベルにはしたくない。

11月30日(金)

ホームページをリニューアルして、今までの日記の過去ログも完全に復活させた。久しぶりに読み返してみると、恥ずかしいことも多々あるのだが、なかなか、うむ、そんなことも考えていたのかと感心するものも結構多い。まあ、個人的に思うことなので、皆さんにはなかなか伝わらないが。

さて、そんな我が日記ももうすぐ6年を迎えようとしている。めでたいんだかなんだか分からないが、とにかく、ひとつの節目ではある。今まで、これまで長く根気よく続けた事柄も無い。数えなおすと、1000を超える日記たち。中身がどうであろうとも。いや、むしろ、中身が駄目であるほど、個人的にとても愛おしいのである。

そこで、この日記が6年を迎えるアニバーサリーデイ。来月12月8日。私はオフ会を行う!決定した!

「ホームページ開設6周年記念 一人飲み明かしオフ界」

   ~お深い時間までとことん呑むかい? 07 ~

2007年

12月8日(土)

21:30~翌朝

大井町駅東口和民にて

来る者は拒まない。ただ、今までの日記を全て読み返すので、私のことはそっとしておいて欲しい。