1990年。小4の夏休み。私達はその42日間を当時発売された「双截龍2」というファミコンソフトの攻略に費やした。
同じクラスで同じ町内に住むコバヤの家へ9時に赴き、お昼休憩を挟んで、夕方5時まで。それを、毎日、毎日、毎日。
いま思えば何をやっていたんだかという感じだが、当時の私達にとって42日間という途方もない時間を過ごす術といったら、テレビゲームぐらいしかなかった。
塾にも習い事にも通わず、両親共働きの家庭に育った小学生の飽くなき挑戦だったのである。
いや、しかし、もちろん飽きた。
何回、いや、何十回クリアしたか分からない。ハイスコアを競ったり、2人同時対戦プレイをしたり、ハメ技を探したり、敵キャラに担任教師の名前をつけたり、ありとあらゆる方法で楽しもうと試みたが、成長著しい私達にとって、その工夫も僅かな悪あがきにしかならなかった。
夏休み最終日。私達があの8月31日をどれだけ待ち侘びたことか。
しかし、今、私はあの小4の途方もない夏休みに対峙している気分だ。終わりの知れない永い永い夏休みである。
透明のプラスティックケースに包まれて、死んだ祖父宛にDMが届いていた。祖母が代わりに封を開け、中のパンフレットを見てみると、それは 地元地域を母体とする某政党議員からの東京湾ディナークルーズの申し込み用紙だった。
二大政党、大連立、政権交代の右往左往の中でも、たたかう庶民派として国益の危機と北朝鮮問題への誇大妄想を煽り、得票を確保している若手議員から、死んだ祖父宛てにディナークルーズの申込書が添えてあったのだ。
死者へディナークルーズ。
日本の政治家なんてそんなもんだ。ナンセンスなサブカルチャー以上に、日本の政治はナンセンスなのだ。
ただ、私は思う。
私達はナンセンスな政治家を散々嘲笑しつつも、更にナンセンスな人生を生きている。本当にナンセンスな国民はナンセンスな政治家など選ばない。
ちなみに、ナンセンスを自称するならば、下手なお笑い番組など見ずに、テレビ東京の「週刊 真木よう子」を見るように。巨乳とは、いわゆる、ひとつの、ナンセンスである。
コロッケのような猫が、うちの近所に二匹いる。
たまに、うちの庭でのんびりと日向ぼっこなどしているが、目立った悪さもしないので、放っておいている。ちょっかいを出そうとしても、すぐに逃げていってしまう。
でも、ばあちゃんはそんな猫たちが気になって仕方ないようだ。
苦手な相手の一挙手一投足が気になって、更に嫌悪感を増してしまうように、ばあちゃんはコロッケ猫の行動を逐一観察し、その憎悪を膨らませているようだ。
猫に目くじら立てることが、それほど有意義なことだとは思えないが、好きなものよりは嫌いなものがあるほうがまだ良い。慈愛を語るようになったら、それは神の領域に片足を突っ込んでいる証なのだ。危険だ。
ちなみに、私は意外とコロッケ猫たちに愛着を持っているのだが、まあ、そのことはばあちゃんには内緒にしておこう。
閉じた瞼を淡くおぼろげな陽光がほんのり透過する。毛布からはみ出た腕や脚に風がさらさらと優しく触れる。匂いも音も何も無く、どこまでも透明な朝。自分が憂目を知らぬまっさらな少女だったら、こんな朝のまどろみがどんなに絵になることだろうかと、つくづく思う。
髪はボサボサ。髭はジョリジョリ。昨晩飲んだ紹興酒がドブのような臭気を放つ。それが現実だ。
しかし、そんな現実が、どこか少しでも好転するのなら、私は今日も元気いっぱい、目脂を溜めて家を出よう。そう、私の目指すべきは、朝日など連想するのもおこがましい、デビッド・ボウイの方向なのだから。
職にも就かず、報われない恋に生きた孤独なゲイ。病弱な身体で、20年かけてようやく売れない大作を1作書いた。しかし、その1作で彼はシェークスピア以来の大作家となった。
そんなプルーストが死期を悟って語ったという。
「苦悩の月日ほど、自分を育んだ最良の日々はない。幸せな月日は無駄に過ぎ、そこからは何も学べない。」
何を持って「幸せ」と定義するかは難しい。しかし「苦悩」かと言われれば、そうでもない。ならば、我々は無駄でもなく最良でもない、そんな日々を生きているのかもしれない。失われた時を求める以前に、我々の時は既に失われているのではないだろうか。
ちなみに、私は苦悩し過ぎて10円ハゲになったことが高校生の頃に一度だけある。その頃が最良だったか?と聞かれると、まだそうは思えないが、良くも悪くも自分を育む糧にはなっているような気もするし、そうでない気もするし、はっきり言ってそんな事はよくわかんない。
まあ、ちょっとした話題としては使えるが。
「笑い」というものが人間特有のものなのかはよく分からない。ただ、少なくとも私の身の回りに「笑い」を持つ者は人間しかいない。
いや、犬や猫のように「喜び」を表わす者はいる。しかし、「喜び」と「笑い」は非常に密接ながらも、その間には幾層もの透明アクリル板が完全に両者を隔てている。とても微妙な違いではあるのだが、それらは完全に別物なのだ。
ただ、本当に腹を抱えて笑っている人間は、ひとつの「喜び」である。
ちなみに、彼女の見ている映像はこちらだ→YouTube
新作の「ランボー」を観て来た。
R‐15指定されていたので、「ランボー」すらも制限される時代になってしまったのか、と感慨に耽りながら観ていたのだが、なるほど、これは、なかなか。生理的にも倫理的にも難しいシーンの連続だったのである。
しかし、あまりにも凄惨な戦闘シーンのわりに、その目的性を微塵も感じさせないプロットは、「ランボー」らしい空回りとして、戦争映画というよりはコメディ映画として、個人的には好感を持てたように思う。
ただ、「ランボー」よりも「ランボー」を「ランボー」たらしめている、今回一度もその姿を現さなかった「大佐」。いなくなって初めて分かる大切さ。
今回の「ランボー」から唯一引出せた教訓めいたものだった。
[Under Pressure]という曲をご存知だろうか?
デビッド・ボウイとクイーンの共作曲である。もちろんマイクを握るのは、デビッド・ボウイとフレディ・マーキュリー。スーパースターだ。
[Under Pressure]が発表されてから10年以上の時を経て、私は初めてこの曲を聴いた。当時、既に東京のバブルは崩壊し、東ではカルト集団の無差別テロ、西では大震災。私は15歳の童貞少年で、中学から高校に上がる微妙な時期だった。
音楽を聴いただけで人生が変わるなんて、ロマンチックなことは言わないが、不安定な社会の中、無知で多感で悩み多き15歳の私は、デビッド・ボウイという奇抜な歌舞伎者と、フレディ・マーキュリーという孤高の両性愛者から、この曲を通してそれまで知ることのなかった様々な可能性を知ったし、その可能性は探れるということを学んだ。
さて、最近、「殺すのは誰でもよかった」とか「私なら死んでもいい」と言って、他人を殺めたり自分を傷つけたりする人がいる。そんな事件を見て、もし、彼らがこの曲を知っていたら、私のように何か少しでも変わっただろうか?と考える。
「下らない」と笑われるだけかもしれない。「馬鹿じゃない」と罵られるだけかもしれない。「古くさい」と敬遠されるだけかもしれない。いや、むしろ、私達は音楽を聴いて共感したり、手を取り合ったりすることさえもできない社会に生きているのかもしれない。という結論に行き着く。
可能性もなく、探求もできない。完全なる[Under Pressure]の社会を、今、日本は突き進んでいるのだ。このままでは、まだまだ日本で内ゲバ的暴力は尽きないだろう。
ちなみに[Under Pressure]のPVは、日本の風景から始まる。とんだ皮肉である。ただ、私はそんな[Under Pressure]な社会だからこそ、ひとつの可能性を込めてこの曲、[Under Pressure]を紹介したい。
長年乗っていたバイクを手放した。
高校生の頃に普通自動二輪の免許を取った私は、それから今日までの10数年間、常に何らかのバイクにまたがり、喜びも悲しみも共にしてきた。ある意味で、バイクは私の恋女房のような存在だったのだ。
しかし、諸々の事情の上で、今日、私はバイクを降りた。
男やもめ。そんな言葉が今の私にはお似合いだろう。青春の全てを一緒に過ごした存在だ。おそらく、この日記を読んでくださっている方の中にも、私のバイクでタンデムした方がいるんじゃないかと思う。
ただ、私は信じている。また再開する日がいつか必ずやってくるだろう。そして、今日という、苦渋に満ちた別れがあったからこそ、その時は、今まで経験したことのないような素晴らしい再開になるだろうと。
また出逢う、その時まで。
愁眉と甘美が交じり合う、とある二丁目の交差点で、フランス人の女の子に出会った。私の悪戯なウインクに、悪戯な笑みを浮かべ、悪戯に応えてくれたのだ。悪戯な女の子。悪くない。
でも、残念なことに、多くの男達が集うその交差点で、彼女の魅力を見咎められる男は私しかいなかった。なぜなら、そこは愁眉と甘美が交じり合う、とある二丁目の交差点だから。
愁眉と甘美が交じり合う、とある二丁目の交差点で、フランス人の男の子に出会った。私の悪戯な問いかけに、悪戯な笑みを浮かべ、悪戯に応えてくれたのだ。悪戯な男の子も、悪くない。
でも、残念なことに、多くの男達が集うその交差点で、彼の魅力を見咎められる男は大勢いる。なぜなら、そこは愁眉と甘美が交じり合う、とある二丁目の交差点だから。
とにかく、今週も、あの愁眉と甘美が交じり合う、とある二丁目の交差点に行ってみよう。もしかしたら、かつてのロバート・ジョンソンのように、交差点で悪魔に魂を売り渡すことになるかもしれない。愁眉か甘美かは、その時に分かる事だろう。
二つの軸が対立していればいるほど、交差点はその魅力を増す。そういう意味で、とある二丁目の交差点は他に無い存在感を持っている。
今朝、職場に向かう道すがら、女子高校生が制服姿で柴犬の散歩をしている場面に遭遇した。普通なら学校に登校する時間であろうに、はて?柴犬と登校か?なんて考えていたら、柴犬が道の真ん中でプリプリと始めてしまった。
通勤通学で行きかう人々のど真ん中。気張る柴犬と、それを見守る女子高校生。
うむ。これはこれで、なかなか味わい深い風物である。なんて考えていたら、事を済ませた柴犬の残留物の後始末に、女子高校生が腰を落としたその瞬間、スカートがパラっとはだけ、女子高校生の白いパンツが露になった。
通勤通学で行きかう人々のど真ん中。柴犬の残留物を拾う女子高校生のパンツ。凛々しい柴犬。
思わず「うむっ!」と、唸ってしまう風物と出会った朝であった。
夏は近そうだ。
映画でも小説でも演劇でも絵画でも音楽でも漫才でも。「う~むっ」と、思わず唸ってしまうような作品に出会うことがある。もちろん、良い意味でだ。
若い頃なんかは絆され易いからすぐに唸ってしまいがちだが、ある程度歳をとると唸らされるものに出会うほうが少なくなってくる。
ただ、ある程度歳とった私も、久々に唸った。
「悪人」 吉田修一 著
今の日本の全てがこの物語に集約されているのではないか?と思えてしまうほど、現代の社会群像、家族群像、そして、個人の群像が、凄惨なまでにありありと描写されている。個人が分断されつづけるこの日本において、小説という形で繋がりを保とうと試みた傑作ではないかと私は思う。
時間に余裕がある方は読んでくれ。
ちなみに、最近もうひとつ唸ったものがある。「あの頃ペニー・レインと」という映画の中で、ヒロインのペニー・レインに扮するKate Hudsonが笑いながらボロボロ泣くシーンがあるのだが、あれには唸った。いや、キュンときた。ただ、この唸りはちょっと世俗的な要素が強いので、公式なものからは除外しておこう。
中学生の頃、初めてゴダールの映画を観た。それまで観てきた「寅次郎シリーズ」や「釣りバカシリーズ」の明快さとはまったく異なる、というか、一切意味の分からない物語に、フランス人とは一体全体どんな生活を営んでいるのだろうか?と訝しがったのがきっかけで、フランスという土地に興味を抱くようになった。不審がきっかけで興味を持つ。実に私らしい第一歩である。
それからというもの、不審なフランスを理解するため、映画はもちろんのこと、フランス人作家の小説や童話も読んだし、フランス人の戯曲や歴史なんかも学んだ。もちろん、実際にフランスへも行った。
ただ、そうしたフランスへの興味の中で、唯一、大学の第二外国語で取ったフランス語に私は挫折した。フランス語を習得できなかった多くの人たちと同様、私も単語の活用の多さに音を上げてしまった一人である。つまり、異文化交流に最も重要だと思われる語学において私は落伍したのである。
私は嘆いた。二日間ぐらい。
しかし、映像や書物や語学が全てではない。いや、むしろそれは、容易に手に入るフランスのごく一部分でしかないのだ。昔、機械化によって、職を追われると恐れた英国の工場労働者は、状況打破のため機械を壊す運動をしたが、私が今までしてきたことはその英国労働者と同じだった。焦点がずれていたのだ。
ウインク。80年代アイドルではない。片目をパチリとするアレだ。エントロピーの世界で言えば、そのウインクひとつがフロリダあたりのハリケーンにも影響を及ぼすかもしれないが、片目を瞑るなんて、瞬きする半分の力でできる。そんな他愛もない動作ひとつで、私は一気にフランスに近づいたのである。それはハリケーンに影響を与えるよりも凄い影響力である。
今度、とある二丁目の交差点で出逢ったフランス人の子に会うことになった。きっかけは片目をパチリとしただけだった。とうとう、ゴダールの秘密が解き明かされることだろう。
ちなみに、フランス人御転婆娘のジヌーさんに聞いたところによると、ゴダールはフランス人でも意味が分からないと言っていた。
肌を触れ合わせることが怖ろしくて隔絶する者と、肌を触れ合う機会がなくて孤立する者と、肌感覚をいっさい抜きにして共生する者と。
今、日本社会の若い世代においてよく聞く話だ。その発露はどうであれ、根本は肌感覚なのだ。肌と肌が触れ合うという、ごく根本的で、繊細で、大胆なその行為に、日本の若者は非常にナイーブなのである。
ただ、私は思う。人間が事物に対して持っているとても友好的な感覚を、奥ゆかしいとか、恥だとか、はたまた、もっと複雑で深刻な形で、不安定にさせたり、差し押さえたりしている肌感覚の鈍感さが、いかに野蛮であることかと。
親密で積極的で生真面目な思いを、笑い飛ばすことしかできない今の日本の肌感覚こそ、私たちは笑い飛ばしてやる気概を持とうではないか。人間はそんなにスマートに生きられないのだから。
なんてね。そんなことを思う今日この頃である。
日曜日の早朝、雨の山手通りを走る車は疎らだが、黄や緑のタクシーや青や赤の高級外車が目立つ。灰色の街とカラフルな車。躁鬱の入り乱れる光景を優しく取り持つ朝の霧雨。私はそんな雨にしっとりと濡れながら目的地へ向かう。
山手通りから桜田通りに折れ、裏通りの坂の中腹に目的のマンションがある。最近では珍しい内廊下の古いマンションだ。ガタついたエレベーターで7Fへ昇る。扉が開くといつものように黒猫が「ニャー」と鳴く。抱きかかえ、ひとしきり撫でてやる。
何かが始まりそうで始まらない。
霧雨に濡れる日曜日はそんな朝からいつも始まる。