2008年 7月 8月
7月8日(火)

世界は3分割にも、5分割にも、7分割にも、11分割にも、何分割にも分けることができるが、どんなに細分化できようとも、どんなに未分化に見えようとも、まだある種の2分割にしかならないことを愁う。

7月15日(火)

私が育ったのは、日本人の誰しもが歴史の授業で最初に習う、古代の貝塚が発見された場所だ。育った場所だからと言って、個人的に貝塚に思い入れがあるわけではないが、育った場所として、貝塚に纏わる思い出はいくつかある。その思い出をここでひとつ紹介したい。

ちょうど季節は今の時期。梅雨の晴れ間。プールの授業を午前中に終え、眠く気だるい午後の短縮授業をなんとか乗り切った火曜日。僕らは夏休みを目前にして、妙な興奮を胸に抱えながら下校していた。

誰が言い出したのかは憶えていない。でも、誰かが「貝塚へ行こう」と言い出した。当時の貝塚跡は、都内では珍しく、広葉樹が鬱蒼と茂る小さな丘だった。と言っても、丘のてっぺんに小さな石碑があるぐらいのもので、貝塚らしい何かがあるわけではない。ただ、「貝塚」という響きが僕らの先走る冒険心に火をつけたのだ。

ランドセルを家に置き、すぐに家を飛び出した。待ち合わせた十字路には既に一人、友人が待っていた。何人だったかよく憶えていないが、3、4人だったと思う。皆がそろったところで、貝塚へ向かった。自転車で5分とかからない場所だったが、僕らはとんでもない冒険に出かけるかのように、厳かに、そして、慎重に、自転車のペダルを漕ぎはじめた。

見慣れたいつもの道も、いつになく険しく困難に感じ、何かに使えるだろうと道端に落ちている角材やロープなどを目ざとく収集し、普段はそれほど気にしない自動車やバイクにも細心の注意をはらい、僕らは貝塚への旅をひと漕ぎひと漕ぎすすめていった。

しかし、そんな旅路も着いてしまえば何てことは無い。ただの丘なのだ。もちろん、遊ぼうと思えばいくらでも遊べる場所だったが、僕らは遊びにやって来たのではない。壮大な冒険の結末となりうる何かが欲しかったのだ。そこで、僕らは丘の方々に散り、古代人の遺物を探し始めた。草むらをかきわけ、岩をどかし、怪しげな場所を掘った。しかし、造成された丘に、古代の遺物など簡単に落ちているわけもなく、結局、見つかったのは小銭が何枚かと、エロ本の切れ端ぐらいのものだった。その中でも唯一値打ちがあると言えるものが、一昔前の側面がギザギザになっている十円玉だった。

皆の中に落胆が広がり始め、とうとう僕らは石碑の周りに腰をおろしてしまった。これからやってくる夏休みの結末を暗示しているかのように思えてしまい、更に僕らはぐったりとうなだれてしまった。その時だった。

「あっ!」

誰かが頭上を見上げた。その視線の先に皆がいっせいに注目した。石碑の上に枝を広げた樹木に、それまで見たことがないほどの無数の桃が生っていたのだ。一目散に一人が幹に昇り始めた。一人が枝にロープを渡し、一人は角材で枝を叩いた。皆が夢中に桃を採り始めたのだ。何個採ったかは分からないが、一夏で口にする数の比にならない量だったと思う。

それぞれが両手いっぱいに桃の実を抱え、丘の一番見晴らしの良い場所に腰を下ろし、まだ硬い桃の実を皆でほうばった。京浜東北線越しに、かつては海であっただろう平地が見渡せる場所だ。桃の実をすべて食べ終わった後、種をピラミッド型に積み上げて、貝塚の石碑の横に丁寧に埋葬した。桃の樹皮で皆体中がかぶれていたが、なんとなく、この冒険に相応しい結末だと満足していた。

これが、私の貝塚に纏わる思い出だ。たいした思い出でもないし、特に貝塚に思い入れがあるわけではないのだが、今日、京浜東北線に乗っていたら、ちょうど貝塚の前を通り過ぎる時、あの頃の私たちのように、少年達が丘の上に並んで座っている姿を見かけたのだ。

あれから、貝塚は更に造成されてしまったので、桃の木がまだそこにあるのかどうかは分からないが、まあ、そういう、貝で造られた不思議な塚なのだ。

7月17日(木)

「映画とはそういう時間に作るんだよ」

今週末公開になる「崖の上のポニョ」の制作を始めた2年前。NHKの取材で「孤独」について質問された宮崎駿はそう答えた。

宮崎駿の孤独と、我々一般人の孤独とを比べられるのものではないが、宮崎駿はこうも答えた。

「みんなそういうものを持ってるでしょう」

おそらく、ここで語られている孤独は、孤立や妄想といった独善的なものではなく、社会に対しての自分という孤独。つまり、不機嫌さを伴なう自己統一的孤独とでも言うべきだろうか。誰とも共有できない、決して充足されない時間だ。

この話を聞いて、私は思った。まさに、この日記を書いているその時が、私にとっての孤独な時間である。孤独とは、つまり、表現の時間なのである。

しかし、私の孤独とは、いかに脆弱で卑小で卑猥であるか、この日記を見るとよく分かる。孤独の深さが足りないのだ。

7月18日(金)

皆さんスカイプをご存知だろうか?

ネット回線を使って無料で会話ができるインターネット電話サービスだ。基本的には電話と同じで、音声での通話が主な機能なのだが、会議通話として、何人かが同時に通話できる機能を持つ。

昨晩、その会議通話を使って、友人と話をしていたのだが、音声だけでの複数コミュニケーションというものがいかに困難であるか。人間とは想像以上に多くのものを介してコミュニケーションをしているのだなと、つくづく思い知らされたのである。

さて、話は少し変わって。

昨晩、そのスカイプをやっている最中、私は数十年前に初めて電話を受けた時のことを思い出した。スピーカーとマイクロホンが搭載された丸っこい可愛らしい装置を構え、そこから聞えてくる見えない相手と会話を交わす、あの奇妙な体験を。

スカイプをする際、私の場合、じいちゃんの形見のカラオケ用ボーカルマイク(以下略)で会話をしている。インカムやピンマイクなどがあれば良いのだが、私の持っているものがうまく作動しないため、しかたなくボーカルマイクを使っているのだが、不思議なことに、ボーカルマイクだと、うまく会話ができないのである。初めて電話で会話をした時のような、奇妙な感じがしたのだ。

それもそのはず、ボーカルマイクとは基本的に一方通行的であり、大上段的場面で使われるものなのである。カラオケもライブも演説も司会も講演も。つまり、会話をしたり、会話の中に分け入ったり、ましてや、親密な会話をしたりするようなものではない。私も今までそのように使ってきた。

しかし、このままゆけば、私にとってのボーカルマイクの存在が変わってしまうかもしれない。もし、ボーカルマイクでなければ会話ができなくなってしまったら。。。まあ、それはそれで楽しい気もする。

7月19日(土)

梅雨が終わり、夏が始まった。

夏は特別な季節だ。

毎日始まり、毎日終わる。過去はあっても、未来はない。生命が漲り、死が強調される。全ての生命が無為に浮き足立ち、ストイックな者ほど、その季節に翻弄される。

大変な季節がやって来たものだ。

7月22日(火)

モーターサイクル時代の到来と共に、人間の生活は多方面で豊かになったが、一方で、それまでにない事が起こるようになった。自然現象では決して起こりえない。強大な力によって人間の肉体が引き裂かれる無残な事故だ。つまり、現代性を語る上でウォーホルはモーターサイクルによる無残な事故を重要なモチーフとしたのだ。

大学の美術史の授業の中で、事故現場の写真をモチーフにしたアンディ・ウォーホルの作品解説の際に、教鞭をとっていた教師がそう語った。

実際、ウォーホルが何を考えて事故現場の写真をモチーフにしたかなんて、本人に聞いてみなければ分からないが、モーターサイクル産業の発展によって人間の肉体の損傷が拡大されたのは事実だ。

さて、話は変わるが、さっき、風呂上りに自分の貧弱な身体を姿見で眺めたら、身体のいたるところに無数の古傷があって、ちょっと驚いてしまった。ひとつひとつ思い返してみると、殆んどがバイクでついた傷だった。決して美しいものではないが、私の思い出を語る上では大変重要なものだ。でも、現代性が語れるかどうかは知らん。

7月23日(水)

私の膀胱は緩い。

酒を飲んだ時などは、尿意を感じた時点で限界点に達している。こまめに出すようにしているが、それでも間に合わない時がある。そんな時は他人の迷惑にならないよう処理している。本当に間に合わない時は、最大限、他人の迷惑にならないよう配慮している。

別に、出したくて出しているわけではないし、最悪の事態にならないよう努力もしている。その結果、出てしまったら、それはもう仕方がない。目標や目的に向かって努力した結果、成し得ることができなかった。そんな経験の一つや二つ、皆さんもお持ちだろう。それがたまたま私の場合、尿であっただけの話だ。自分を責めたり、他の何かに責任転嫁しても始まらない。結果を真摯に受け止めて、次に繋げるしかないのだ。

まあ、この問題について一つだけ欲を言わせてもらえるならば、尿以外の事柄から、そういう教訓を得たかった。

7月24日(木)

大学合格が決まってから入学式までの短期間、港湾で人足のアルバイトをしていた。ちょうどその時、現場でちょっとした事件があって、従業員全員に名札の着用が義務づけられたことがある。

従業員といっても、港湾人足は宵越しの金なんか持たないといった気質の日雇い労働者が多く、名札着用に対して、小学生でもあるまいし、みっともなくてやってられないと、執拗に反発した。もちろん、色んな過去を抱えた人も多い現場だけに、氏名を明らかにしたくないという諸々の事情もあったのかもしれない。

私はこの反発に、まず驚きを感じた。たかが名札ぐらいのことなのに、どうしてそこまで。そして、深く同意した。事情はどうであれ、管理に対する気持ち良いまでの反骨精神が漲っていたからだ。

そもそも、名札なんて名札を着けている者同士にとって特に重要な必要性などないのだ。親しくなれば名前なんて覚えるし、そうでなければ覚えなくても事足りる。目的はそれ以外にあるか、今後の目的に利用されるかだ。私はそんな簡単な事に簡単に馴らされてしまっていたのだ。

今日、TASPOのカードが家に届いていた。煙草を買うにもIDカードが必要な時代になってしまったのだ。名目上は未成年者の喫煙是正だそうだが、果たしてどうだか。今こそ、あの港湾のおじさんたちのビートニク精神を思い出さなくては。

7月25日(金)

待ちに待った金曜日。皆さん一杯ひっかけている頃ではないだろうか。一杯どころじゃないって?まあ、金曜日だから仕方ない。

さて、お酒とは不思議なもので、同じ量を飲んでも状況によってその酔い方が異なる。もちろん、一定量飲んでしまえば差もへったくれもないが、一緒に飲みに行く人間によって、飲みに行く場所によって、その酔い方は大きく左右される。いたって相対的なのだ。

ただ、そんな中でも、私は一人で飲む時が一番酔っ払う。もちろん、違う状況の方が酔いやすい人もいるだろう。例えば、恋人の前だと酔いやすいとか。酔っ払う状況も人それぞれ、相対的なのだ。

私なりの酒における相対性理論だ。

しかし、まあ、酒はほどほどが一番うまい。そして、酒では何も解決しない。これは、理論でなく事実だ。

7月31日(木)

ある放送局にこんな訓示が貼ってあった。

真剣にやれば、智恵が出る。

適当にやれば、愚痴が出る。

疎かにやれば、言訳が出る。

気まぐれな局長が指示したのか、横柄な部長が指示したのか、はたまた、神経質な課長が指示したのか、とにかく、指示した人の意図とは裏腹に、この手の訓示を真剣に受け止めている人を私は見たことがない。

なぜなら、我々が直面する問題は、そのほとんどが、そういった諸々の訓示に辿りつく以前のことばかりだからだ。上の訓示で言えば、疎かにも、適当にもしたくない。むしろ真剣に取り組もうと努力しているにもかかわらず、様々な横槍の中、成し遂げられなかったり、阻まれたりしている我々にとって、この訓示がどれだけ無神経で滑稽なことか。最早、悪い冗談でしかないのだ。

悪い冗談ならば、私はちょっと工夫を凝らしてもう一行付け足そう。

酒を飲めば、尿が出るにょ。

「崖の上のポニョ」からタイムリーな要素を取り入れてみた。断っておくがポニョは語尾に「にょ」と付けて話したりはしないので、あしからず。

8月18日(月)

オリンピック。

皆さん見ているのだろうか?どうなのだろう?もう佳境に入っているのだろうか?開催前は中国も色々と問題ありまくりのようだったが、最近は目立ったニュースも聞かないので、順調に競技は行われているのだろうか?

はて?

さて、私はオリンピックに別段興味がない。というよりも、スポーツ観戦自体に興味がないので、誰が金だか、誰が銅だか、よく分からないし、まあ、はっきり言ってしまえば、どうでもいい。そのあまりの興味の無さから、非国民と罵られたこともある。

ただ、そんな私でも、オリンピックの開会式と閉会式は毎回きちんと見ている。世界中の人々が一堂に会しているあの光景に、無性に感動してしまうのだ。色々と問題だらけの世界だが、人類も捨てたもんじゃない、と勇気づけられてしまう。特に、各国選手団の入場はかじりついて見ている。

ただ、「ガボンの選手団良かったよね~!キリバスも出てたね!」なんて、開会式の感動を誰かに伝えようとしても、誰も共感してくれない。

あれだけ大きな祭典なのだから、競技の内容だけでなく、もっと色々な着目点があっても良いと思うのだが。どうなんでしょう?

8月19日(火)

「のだめカンタービレ」という漫画をご存知だろうか?どうやら売れている漫画らしい。漫画を読んだことはないのだが、先日、再放送のテレビドラマを見る機会があった。一話見ただけだが、細部の演出にも凝っていて、なかなか面白いドラマだ。

実は、以前やっていたアルバイト先の女の子がこのドラマにレギュラーのエキストラとして出演していたらしいのだが、その当時は「何だそれ?」と気にもとめていなかった。知らないとは怖いことである。今更遅いが大変申し訳なく思っている。私が見た一話だけでもけっこう出演していたので。

うむ。

さて、話は変わる。何を隠そう、私は音大出身者ではない。美大出身者だ。だが、譜面ぐらいは読める。中学の頃は吹奏楽部、高校の頃はジャズ部だった。私が音楽に出会ったのは中学の頃だ。もちろん、それまでにも色々な音楽は聴いてきたし、学芸会程度の演奏もしてきたが、自らが本格的に演奏する方へ回るのは初めての経験だった。

中学の頃は本当に熱心に部活に参加していたので、今の音楽知識はその当時の賜物である。まあ、知識と言っても大変貧しいものではあるが、その当時は何も知らずに音大でも目指そうかと思っていた程だ。

そんな中学の吹奏楽部に入部した当初、とても驚いたことがある。それは文科系の部活であるにも関わらず、男の先輩達がほぼ全員不良だったということだ。といっても、今思えば不良というよりは、ちょっとカッコつけてる程度のものだったが、制服は着てないし、煙草は吸うし、酒は飲むし、喧嘩はするし、彼女はいるし、小学校から上がってきた者にとって、それは不良以外の何者でもない。

そして、もうひとつ驚いたのは、その先輩達がほぼ全員、吹奏楽部での自分の担当楽器以外に、かなり巧にピアノを弾いたのだ。練習に飽きると便所に煙草を吸いに行き、戻ってくると誰かが必ずピアノを弾いた。当時、ピアノの上手下手なんて分からなかったが、リクエストをすれば何でも弾いてくれた。ショパンやシューベルトやベートーベンやドビュッシーなんかのピアノ曲はあらかたその時に覚えた。

とにかく、そんな先輩達に囲まれて、私は音楽の世界にのめり込んでいったわけだが、後にも先にもあの時ほど何かに没頭したことはないような気がする。不良ぽかったが、面倒見の良い先輩達だったのだ。憧れて、信頼できて、共感できて、不良っぽい。あの先輩達こそ私にとっての音楽なのだ。

ちなみに、私は先輩達から「Z」と呼ばれていた。由来は秘密だが、ちょっとカッコイイでしょ?誰かからあだ名で呼ばれていたのもあの時だけだ。

8月23日(土)

「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」という曲をご存知だろうか?ムッシュかまやつの名曲である。知っている方は今ちょっと口ずさんで欲しい。

♪ ゴロワーズというタバコを吸ったことがあるかい? ♪

♪ ほら ジャンギャバンがシネマの中で吸ってるやつさ ♪

今朝、私はウンチを他人に見られた。ウンチしている姿とかではなく、ウンチそのものを見られたのだ。相手がいくら気の置けない間柄あっても、いくら偶然が重なったとしても、自分のウンチを見られるという事は、どうにもならない。ひとつの喪失である。そして、その喪失の中で私の頭の中を過ぎったのが「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」だった。

♪ よれよれのレインコートの衿を立てて短くなる迄 奴は吸うのさ ♪

私は喫煙者だ。パリにだって行ったことがある。でも、まだゴロワーズを吸ったことがない。なぜ吸ったことがなかったのか。それは、何かを喪失した今こそ吸うに相応しい時だからだ。そう思うのだ。

♪ ちょっとエトワールのほうを向いてごらん ♪

♪ ナポレオンが手を振ってるぜ ♪

人は何かを喪失した時、何か新しいことを始めるのだろう。