最近、非常に不安定な空模様が続いている。晴れているな、なんて思った次の瞬間には土砂降りということも珍しくない。生活するにはとても厄介だし、大きな被害も出ている。
ただ、実際、被害に遭われている方もいるのに、こういう事を述べるのはとても不謹慎なことなのかもしれないが、不安定な空模様は、不安定どころか、どっしりとした安定感を持った迫力と美しさがある。とても綺麗だ。
自然が牙をむく。なんていう表現があるが、こんなに美しい牙ならば、自らの命を差し出してもかまわないとすら思える。もちろん、実際にはそんなロマンティックなことでは済まされない。圧倒的な力を前に平伏すしかないのだ。
このまま人類は自らの過ちによって自然の力に飲み込まれてしまうのかどうなのか、そんなことは分からないが、せっかく美しいと思えるのだから、うまくやっていきたいものである。
関越道なんかを不安定な空模様の中ビュンビュン移動していると、とても立体的な体験ができますよ。その排ガスが。っていう問題はあるけども。
美しいものには毒があるという。確かに生物の中でもカラフルなやつには毒があることが多い。
ただ、私は思う。
カラフルなことが果たして美しいのか。
カラフルさという様相は美しいというより、むしろ、可愛いといったほうが妥当ではないかと思うのだ。
そこで、私は更に思う。
可愛いものに毒があるほうがもっと危ないじゃないか。
この夏を越せなかった多肉植物が二株あった。
とても残念である。
多肉植物は基本的に乾燥した荒野に生息するもので、私たちの身の回りだと、サボテンやアロエなんかが一般的だ。荒野育ちなので温度変化にはある程度耐性があるが、湿気にはめっぽう弱い。その為、多肉植物にとって、日本の湿度の高い夏は鬼門なのである。
私たちの感覚だと、当然、冬越しの方が過酷だと感じるものだが、当事者が異なればまったく予期せぬ理由から(その当事者にとっては必然なのだが)、まったく逆の結果がもたらされることもあるのだ。
もちろん、これは多肉植物のことではあるし、無理やり違う環境で育てているのだから、そういうこともあるだろうが、今、全世界的に、似たようなことが起きているのではないかとも思う。経済や思想や文化や、そして、我々人間にも、同じようなことが起こっているのではないかと。
たまたま、我が家ではその犠牲が多肉植物二株だったのだ。
先日、宝塚仕立てのサザエさん、という設定の舞台を観た。よく知るものではあるが、組み合わされると斬新な面白さがある。宝塚とサザエさん。気がつかなかったが、見事な取り合わせであった。
さて、取り合わせと言えば、車を運転中に小腹が空いた時、なぜか食べたくなるのが、ハンバーガーやホットドッグやスナック類など、アメリカンジャンクフードである。車とジャンクフード。絶妙である。
しかし、この問題は、私個人の嗜好だけで考えてしまうとそれで終わってしまうのだが、もう少し掘り下げてみると、1908年のT型フォードの大量生産化と、その後のモータリゼーション文化に密接に関係した、ある種の必然ではないか?なんて考えてみると面白くなるのではないだろうか。
では逆に、宝塚とサザエさんはどういった関係によって、どういった歴史的必然性によって、その面白さを獲得しているのだろうか?
なんて話になると、突然面白さが無くなるものである。
今日、とあるドラマの撮影現場に行ってきた。場末の倉庫街でボサボサの人たちがボロボロになって作業をしていた。どこかの強制収容所のような様相だ。
ドラマに限らず、何かを生み出す現場というのは、そのジャンルに関係なく、ボサボサでボロボロなものだ。テレビ業界などはその流通が大規模なため派手に見られがちだが、その内実は変わらない。むしろ、その流通ゆえの更なる特殊な実装、いや、歪んだ実装すらも見え隠れする。
強制収容所というよりは、最早、魔窟だ。のほほんと暮らしている私のような人間にとっては想像を絶する場所なのである。
代々木公園でおこなわれていたブラジルフェスタに遊びに行った。
代々木公園では毎年、タイやメキシコやジャマイカやインドなど、様々な国のフェスティバルが行われており、私も何度か行ったことはあったが、今回のブラジルフェスタは他のどの国のフェスタとも一味違った。
何が違うか。日本人が少ないのだ。タイやインドや、特に今年のジャマイカなどは、その地域の特定の文化に共感して、変な固執に走ってしまった日本人が多く垣間見られるし、実際に観光地として日本から訪れやすい地域のフェスタには日本人が多くなる。別にそれは悪いことではないのだが、タイ料理好き日本人フェスタとかインド仏教好き日本人フェスタ、ジャマイカレゲエ好き日本人フェスタといった文化的な面からも人数の割合の面からも日本人主義的な様相が否めないのが他地域のフェスタだった。
ただ、ブラジルフェスタは違う。ボボ・ブラジル・・・・・
つづく。
つづき。
まあ、昨日書いたように、日本人が少ないということは、必然的にそこにいるのはブラジルの人々ということになる。屋台の売り子さんまでブラジル人だから日本語が通じなかったりする。日本に住んでいて、そういうことってまず無い。しかも、そのブラジルの人々が、これまた凄い。
何が凄いか。ブラジルはその歴史的背景から、数多くの地域から様々な人種の人々が流入し、移り住んでいる。だから、外見的な要素からはブラジル人であるかどうかまったく判別できないし、逆に言えば、外見的判別などお構いなしなのだ。情報では知っていても、実際に目の当たりにすると、これがなかなか凄いものなのである。外見的カテゴライズの境界が曖昧で、個人が独自に自分の良さを発揮する。人間の魅力っていうのはこういうことでもあるのかと考えさせられた。
あと、外見的なもの以外で、とても目についたものがある。それは彼ら特有の溌剌さだ。日本人、というか、江戸っ子のような、呑みねえ、喰いねえ、騒ぎねえ、といった、徒党的、閉塞的なねちっこい騒ぎ方ではなく、実に元気一杯に、実にあっけらかんと騒ぐのだ。まあ、若さもあるんだろうけど、こういう溌剌さはちょっと真似できない。
まあ、そんなブラジルフェスタだったが、フェスタの途中、これから盛り上がるという時に、夕立が降り始めてしまった。私たちが退散の準備を始めると、ちょっと仲良くなったブラジル人の女の子が近くにやってきて、いとも簡単に、お別れのチュウを私のほっぺにしてくれたのだ。ブラジルでは当たり前のことだろうが、こういうのって、実際やられてみるとカルチャーショックだ。もちろん彼女たちは元気溌剌、夕立などもろともせず、踊り続けていた。
まあ、とにかく、地球の裏側には凄い国があるもんだなと驚いた次第なのである。ブラジルという名前に付随した情報は知っていたが、情報というものがいかに一面的か。もちろん、この日記も非常に偏向したひとつの情報にすぎないので、みなさん、興味があったら、是非来年のブラジルフェスタに行ってみて下さい。ものすごく楽しいよ。
攻殻機動隊というアニメーションがある。原作は士郎正宗のSFコミックなのだが、それを押井守が精神と身体という切り口から映画化し、神山健治が情報と社会、又は、公と私という切り口でテレビシリーズ化した。浅墓で簡素な私なりの解釈ではあるが、そのメタファーに富んだ世界観や幾重にも裏づけされた設定、物語の展開などなど、実に面白いと思うので、是非見て下さい。
さて、そんな攻殻機動隊の世界では「情報戦」というものが行われる。改竄情報や擬似情報の流布といった方法で巧に敵を思想誘導し、成果を得るのだ。アニメーションならではの、なかなかカッコイイ見せ方で行われるので、ただただ惚れ惚れしてしまいがちだが、現実に立ち戻ってみると恍惚に浸ってもいられない。
むしろ、我々こそが標的として情報戦線の最前線に立たされていて、その改算情報や擬似情報のいかにささやかで安易な摂取であったとしても、大いなる不利益を被ることになりかねないような状況なのではないだろうか。
攻殻機動隊の主人公達は、いわゆる敵(悪)に対して情報戦を仕掛けているが、現実はもっと狡猾なモチベーションにおいて逆の立場の人間が巧妙に仕掛けてきているんだ!そうだろ!
なんてね。そんな今日この頃です。現実に辟易して帰ってくるというのに、テレビを見ると更に辟易させられるんですよ。ほんとに。
「眠る時は何がなんでも全裸」をモットーとする侠気あふれる俺にとって、この時期は気を緩められない。
この時期、日中は夏日であっても、突然、朝方冷え込むことがあるからだ。長い夏の熱気に慣れていた身体が、突如として冷気にさらされるとどうなるか。
そう、風邪をひく。
今朝の冷え込みは、まだ、序の口だったが、これから油断できない日々が続く。毎朝が地球との戦いだ。
しかし、秋も深まる神無月ごろには、羽毛布団に包まって眠る喜びが待っている。それまでの辛抱だ。
まったく、どこまでハードボイルド野郎なんだ。俺って奴は。
私はオーラが見える。
なんて事を言ったら頭がおかしくなったんじゃないかと思われるかもしれないが、幼少の頃から光の塵のようなものを見ることができたのだ。普通のことだと思っていたので、誰かにその事を話すこともなかったが、何かのきっかけで普通の人には見えないのだと知った。
ただ、見ようとすれば見えるぐらいのもので、気にしなければまったく気にならない。たまに、その光の渦をぼーっと眺めていることはあっても、不思議なことにその原因については深く考えたことがなかった。
だが、ある時、James Turrellという現代美術作家の作品に衝撃を受けた。彼は私の見えている光の塵を作品にしてしまったのだ。
簡単に言うと、私が見ていたものは、人間の視覚情報が脳に伝達するまでのノイズであって、普段はそのノイズを認識することは難しいのだが、ある状況下にあれば誰でも見ることができるらしいのだ。そして、Turrellはその視覚のノイズを意図的に見ることのできいる装置を芸術作品として作り上げたのだ。これはちょっと凄い。日本でも彼の作品を体験できる場所があるので、よかったら行ってみて下さい。
まあ、しかし、その微弱なノイズを普段から見ることのできる私はもっと凄いのではないだろうか。しかも、そのノイズこそ、いわゆるオーラと言われているものではないか、という学術的な見解もあるらしい。つまり、私はオーラが見えているのだ。
見てもらいたい人はドンと来い!見ることは見ちゃる!
ただ、私のノイズだが。
誕生日はおめでたい。
今日も誰かが誕生日。ハッピイバースデイトゥーユーである。
さて、誕生するということは存在するということで、その逆に、誕生しても存在しないなんてことは見たことも聞いたことも無い。たまに、存在しないものが見えるなんてことは聞くが、まあ、そういう人はオーラなんかも見えちゃう奇特な人なんだろう。
まあ、そんな奇特なことはひとまず置いておいて、とにかく、誕生日というのは存在そのものに感謝や喜びを示す、ひとつの記念日である。だから、存在している当事者は、その存在に感謝や喜びをもっている他者からその意を示されて当然であるし、その当事者は自らの存在を尊んで然るべきだとも思う。
ただ、重要なのは、誕生は勝手に存在しないということだ。つまり、誕生の原因となる存在。両親だ。もっと言えば祖父母、そして、曾祖父母、いや、世界人類、いや、地球こそ、自らの誕生の重大な原因なのである。
まあ、そこまでマクロにならずとも、とりあえず、両親ぐらいには感謝の意を示さなくてはなと思う今日この頃である。シンプルに考えれば、むしろそっちの方が誕生日の自然な祝い方のような気もする。
近い未来、もう少し世界が成熟していたら、世界人類が誕生を祝う日なんか制定されたりしてね。素敵ですね。意外に思われるかもしれないけど、私、そういうロマンチックさも好きなんです。
浅草六区。皆さん行ったことがあるだろうか?
日本の芸能文化を一手に担い、流行の発信基地となる一方で、昔ながらの江戸下町文化を色濃く残し、過去と現在の文化が融合する不思議な領域を形づくっていた。今では流行の拠点が城東から城南へと移ったため、その機能は失われて久しいが、浅草自体は今でも観光地として注目されている。
かつての栄光都市六区。そんな六区を眺めていると、新宿や六本木や渋谷など、今現在、繁栄のかぎりを尽くす街々も、いずれ果てる時が来るのかと考えさせられる。特に文化流行の回転が目まぐるしい日本において、街自体がその流行性を失う可能性は大いにありうる。
ただ、今の赤提灯が立ち並ぶ六区を眺めていると、案外これも悪くないと感じる。むしろ、これが街のあり方だと。新宿や渋谷や六本木の方がどうかしているのだ。かつて栄華を極めた六区のように。
そこにどんな理由があろうとも、どんな正当性があろうとも、どんな必然性があろうとも、どんなに成果を得ようとも、自己嫌悪に陥る時がある。
それは、その結果、誰かを不当に傷つけてしまうような事態を招いた時である。もちろん、どんなことであれ、すべてを丸く収めることはできないと思うが、私はでき得る限りそういう事態を避けたいと思うのだ。
ただ、そういうことに漠然とした恐れをなしていることこそが、そういう結果を招くのかもしれない。本当に不甲斐ないことだ。
人を容易に笑わせることのできる人がいる。私はどちらかというと人を閉口させるほうが得意なので、そういう人が大変羨ましい。
ただ、そんな私でも、比較的容易に人を笑わせることのできるいくつかのエピソードを持っている。いわゆる「すべらない話」というやつだ。
しかし、その話の落ちに至るまで粘り強く話を聞いてくれた人は、過去に2人しかいない。もちろん、落ちまでくれば大爆笑間違いないのだが。
まずは話を聞いてくれる友人探しから始めるか。
金魚の体調が芳しくないので、3日前から薬浴させていたのだが、薬の量を間違えたのか、病が進行したのか、2匹が死んでしまった。生き残る金魚もだいぶ弱り始めていて、どう手を施してよいのか分からない状況だ。
参った。
そういえば、良かれと思って今までずいぶんと様々なものに世話をやいてきたが、良い結果を得たことがあまりない。
狭いゲージの生活は窮屈だろうと、良かれと思って、庭で遊ばせたハムスターのモルモルはそれを最後に二度とゲージに戻ることはなかったし。
10匹では寂しかろうと、良かれと思って、繁殖を手助けした結果、メダカたちは小さな水槽で500匹に溢れかえってしまったし。
躾を厳しくされていた友人の犬を、良かれと思って、散歩中に甘やかしていたら、その犬が調子にのって他の犬に噛みつかれてしまったし。
そんなことばかりだ。もう少し、ドライでクールになろう。特に小さなものにはあまり世話をやかないほうが良さそうだ。
毎朝、車輌が一緒になる女の子がいる。乗ってくる時はボサボサなのだが、降りていく時には実に見事に都会の女性に変身している。その間わずか二駅。
「人前で平気で化粧をする女性」などと一昔前は騒がれていたが、物事は常に変化するもので、ここまで颯爽とした変身を目の当たりにすると、逆に小気味好い。もはや一種の芸能だ。
もしかしたら、今や都会の女性のトレンドになっているのか?
情報求む。
実家が今の町内へ越してから10年以上経つ。中学3年の冬。高校受験真っ盛りの頃だ。距離にして1キロもないのだが、私にとっては初めての引越しだった。当時は帰る方向を間違えたりして、「こっちにはもう帰れないんだった」なんて、ちょっと切ない気分になったものだ。
さて、そんな10年前に越してきた町内にはとても気になるおじさんがいる。酔っ払って深夜に帰る時も、早朝から遊びに出かける時も、朝寝坊した休日の昼下がりにも、仕事帰りの夜中にも、時間帯を問わず、そのおじさんはいつも町内をウロウロしているのだ。
しかも、そのおじさんはいつも険しい表情でブツブツと独り言を呟いている。何度か内容を聴き取ったことがあるが、「・・・・殺す・・・ブツブツ」とか「馬鹿にしやがって・・・・ブツブツ」とか、大きな声は出さないが、けっこう物騒なことを言っている。ちょっと怖いおじさんなのだ。
ただ、私はそんなおじさんにずっと好感をもっていている。なぜなら、この10年、おじさんがヅラを欠かしたことがないからだ。雨の日も風の日も、炎天下でも寒空でも、まるで毛糸でできているかのような使い込んだカツラを、おじさんは毎日欠かさず陰気いっぱいにかぶっているのだ。たまに、ひょこっと乗せているだけの時もあるが、欠かさないのだ。
完全に私のストライクゾーンど真ん中だ。
しかし、そんなおじさんが、最近ヅラをはずした。自分の意思なのか、突発的な事故なのかは分からないが、とにかく、昨日も、今日も、カツラをかぶっていない。10年以上住んでいて初めてのことだ。しかも、おじさんの表情が確実に和らいでいる。とても心配だ。
映画でも見たいなと思って、レンタルビデオ屋に寄っても、あれも見た、これも見た、これは違う、あれは違う、なんて、1時間ぐらいウロウロして、結局何も借りないで帰ろうとすると、雨が降ってきたりして。ただの消耗である。私も、映画も、新しい道を模索する時がやってきているのではなかろうか?
なんてことを、金曜日の夜中に缶ビール片手に書いている。そういえば、ビールは相も変わらずうまい。これってちょっと凄いことじゃないか?
ぎこちない虚しいリズムとメロディが街の夜空にこだまし、我々の前を何の反応も示さず人々が通り過ぎてゆく。
私はトランペット、友人はスネアドラム。さっき、マイルス・デイヴィビスも真っ青の路上ライブ(果たしてあれはライブと言えるか?)をやってきた。
まあ、ジャンルを名付けるなら、ビバップ。いや、プログレッシブ・バップ。もとい、ノイズ・バップと言ったところか。単なる出鱈目なのだが、人間の虚しさを表現したと言えば、我々の右に出るものはいないだろう。
しかし、何もできなかった。笑っちゃうしかないほど何もできなかった。いかに我々が口先、小手先だけの人間だったかを痛感せざるを得ない。昔とった小さな杵柄を大胆にも誇張し、それを信じて止まなかった我々の卑小さと愚かさが露呈したまでなのだが、この歳でそういうものに直面するっていうのは、なかなか辛い。
ただ、何ごとも積み重ねていないと何にもならないということだ。この現実を真摯に受け止め、鍛錬あるのみである。何ごとも。今度、リベンジライブをやる時は、ここでも告知しよう。
昔からの住人が多い、どちらかというと閑静な住宅街だった実家の周りには、最近、マンションや建て売り住宅が林立しはじめている。その結果、昔からの古い住人はいなくなり、新しく若い住人が増えている。
別に、新しい住人のことをどうこう言うつもりはない。町は人々の一定の出入りがないと硬直化してしまうものだと思うし、それはごく自然で健全な町の運動法則だと思うからだ。しかし、土地の細かい切り売りの結果、住空間が過密にになっている事には問題を感じる。それはそれで、また違った硬直を生むからだ。
ただ、実家の裏の路地を賑やかに遊んでいる子供たちの声を聞きながら、日曜日の朝をまどろんでいたりするのも、それはそれで良いものだ。実家の周りには最近本当に子供が増えた。きっと、馬鹿げたことで大笑いしたり、喧嘩したりいて騒いでいるのだろう。かつての私がそうであったように。
そうやって、自分を振り返ることができるのも、町の効用だ。
飛び石の休みが少なくなった昨今、今日のような飛び石の狭間を経験することも少なくなった。もちろん、業種によっては様々な休みの形態があるし、法律無視の労働が横行している世の中なので、こんな甘っちょろい感慨に耽っている場合じゃない方々も大勢いるとは思う。
ただ、今の現状はさておいて、個人的に飛び石の狭間の情緒感が私は好きなのだ。
音楽では休符のとり方こそが。デザインでは間のとり方こそが。つまり、何もない空白こそが、重要な構成要素だと言われる。だから、連休よりは飛び休のほうが、やはりその情緒性は高いのではないだろうかと思うのだ。
そういった意味では、何でもかんでもひとまとめにしてしまえといった、世の中の情緒感のなさには憂いを感じる。
以前にも書いたと思うが、歳をとるとあまりがっくり落ち込むことがなくなる。ガラスのハートを持つ男として有名な私が言うのだから本当だ。
前は年齢とともに感受性が鈍くなっているのだろうと思っていた。なぜなら、落ち込むことが少なくなるとともに、感動することも減ってくるからだ。感応する能力が落ちる。これは生物学的な必然なのだと。
ただ、今日、私は感じた。人は経験の積み重ねによって、様々な事柄にうまく対応できる能力を身につけるのだと。逆に言えば、人はそれまで遭遇したことのないような初めての経験に落ち込むのだ。感応する能力とかそういう話ではないのだと。
今日、私はとてつもなく落ち込んでいる。未知に遭遇してしまったのだ。
昨日のショックから、類い稀なるグルーヴが出ている私ではあるが、そのグルーヴを止める輩がいる。
若者だ。
どんな状況であれ、例えば、自転車を漕いでいるだけで、奴らはグルーヴ出している。ごくナチュラルに。
私なんか自転車すら持っていない。
しかも、そんなナチュラルな輩を見ていると、私のグルーヴが少し歪であることに気がつくのだ。そして、グルーヴは途絶える。
まずは自転車でも買うか。13年ぶりに。カッチョイイやつを。
木曜日はモ~リ モリッ♪
私は決してモリモリではない。滅入っている。久々に他人から怒られたのだ。
だからと言って、怒られたことに滅入っている訳ではない。むしろ、怒られて滅入らないことに滅入っている。
世の中で怒られる状況というのは往々にして理不尽である場合が多い。虫の居所が悪かったり、決定的なコミュニケーション不足だったり、濡れ衣だったり、責任の擦り付けであったり、利害の決定的な不一致だったり。
もちろん、人によっては本当に私の身を案じて怒ってくれるというケースもあるが、そういう怒られ方は残念なことに年齢をおうごとに少なくなってくる。
今日怒られた原因は、決定的に相手側の姑息な自己保身の恫喝でしかなかった。そして、私はその恫喝に言い返してしまったのだ。そして、滅入った。
怒られることに恐れを抱き、間髪入れず滅入っていた自分の姿が懐かしい。あの頃の私は、木曜といえばモリモリしていたものだ。単純だった。
日常業務などは誰でもこなせる。よっぽど特殊でないかぎり、どんな職場でもそれは一緒だ。こなせなければ仕事が成立たないし、社会も回らない。だから、こなせない仕事はありえない。
ただ、非日常業務、つまり、業務に何らかの問題が発生した時にうまく立ち回れる人というのは、これこそ仕事のできる人だ。その問題が重大であればあるほどできる人だ。
そういう人は、問題が起こらないよう普段から色々なことに配慮しながら仕事をしているし、様々な経験から機転も利く。人間的に人望も厚い。
しかし、それは仕事においての話だ。仕事を離れ、日常生活に戻ってしまえば、仕事ができようが、できまいが、関係ない。
例えば、いくら失禁に対して豊富な経験を持ち合わせ、場合に応じた敏速な対応と対処が可能である私だが、そんな事など、その時にしか通用しないことなのだ。
仕事ができることは凄いことだが、その経験や価値観を仕事以外に必要以上に敷衍しようとするのは無理があると思う。我々が担っている仕事など、社会的にはごくごく一部分的なものなのだから。その上で考えようではないか。
何か具体的な物事に取り組む場合に、初めてコミュニケーション能力の真価が問われると私は思う。
仕事なんかはその最たるものだ。具体的な商品なり何なりを企画、制作、流通させ、売り上げまであげなければならない。かなり具体性に富んだ状況である。なかなかシビアだ。
それに比べて、友人と酒場で駄弁っているような状況などはコミュニケーション能力の発揮とはほど遠い。赤ん坊がバブバブ言っているようなものだ。具体的な目的がないために、そこには曖昧な反応と呼応があるだけだ。夢見心地の世界と言ってもいいだろう。
ただ、気楽で緩い曖昧模糊とした反応と呼応が仕事の現場で無くなってしまうと、それはそれで難しいのだ。
テレビを見ることに慣れている人がいるが、私の場合、幼少の頃より家庭内でテレビはかなり厳しく規制されていたし、もとより、小学校にあがるまで、祖父母の部屋にしかテレビが無かった。
そのせいか、私はテレビにそれほど固執することはない。学生時代の一人暮らしでは家財道具としてのテレビの存在をまったく忘れていて、友人に指摘されるまで気がつかなかった。もちろん、その弊害として、時代の情報に取り残されることは多々あるし、流行のお笑いギャグなどにまったく対応できない面もあるが、それは大した事ではない。
一番大変なのは、テレビを見ることに慣れている人とテレビを見なければならない状況になった時だ。テレビを囲んだ団欒などの経験も無かったので、どう対応していいのか分からないのだ。
面白いコーナーが流れていて、ここで何か言うべきか、なんて考えていたら、早々とコーナーが変わってタイミングを逃したりして、おもいっきりテレビに翻弄されていると、「もうこんな時間だね。じゃあまた。」なんて。
うぅぅぅ。
なんなんだ。テレビって。
そういえば小学校の頃は毎朝誰かと一緒に登校していた。
住んでいた場所が学校から遠かったので、私の場合、私が誰かの家に立ち寄って一緒に登校することが多かったが、残念ながら、時期によって色んな人と登校していたので、どこの誰と一緒に登校していたかはまったく覚えていない。
ただ、様々な家の玄関風景は今でも鮮明に思い出せる。ちょっとした時間なのだが、玄関で待っている間というのは案外孤独なのだ。
しかし、毎朝、他人の家に上がりこんで、ちょっとした朝の風景を垣間見る。これってちょっと不思議なことだ。それぞれの家の様々な物音や会話や匂いを感じ、私は毎朝登校していたのだ。
どうりで変な趣向が身についてしまったわけだ。私は。
私は学生の頃、自主制作のドラマに主役として2度ほど出演したことがある。2つとも、ちょうど今ぐらいの季節に撮影だった。スタジオ撮影もやったし、ロケ撮影もやった。メイクだってしたし、いろんな衣装も着た。なかなか台詞が覚えられなくて、何度もNGテイクを出して迷惑をかけたりもした。大変だったけどとても良い経験だった。
しかし、面白い経験ではあったけど、ひとくちに俳優と言っても、なかなか大変なものなんだなと痛感させられたし、絶対に俳優にはなれないとも感じた。ぼけっと見ているだけだと分からないが、演じるってことは実に不思議で不可解な行為なのだ。
ただ、その思いを決定的にしたのは、上記した2つの自主制作ドラマの経験ではなく、映画祭に出品したいということで出演依頼を受けた短編映画での出来事だった。この映画はいろいろと問題が起こって途中で頓挫してしまったのだが、演じるという行為が摩訶不思議なものだと思しらされる決定的な経験だった。
主な理由は、相手役の役者の女の子が、いわゆるプロの役者だったからだ。無名の子だけど、マネージャーも付いていて、それなりにそっちの仕事もしている業界の子だ。
いささか業界にスポイルされてしまっている感はあったし、その子自身の性格にもかなり問題はあったけれど、演技に関しては実直で、逆にその実直さとその子自身の問題の多さと演技との三角関係の複雑さに、一緒に演技していた私は訳が分からなくなってしまったのである。
人はいつでも演技をしているんだ、なんて言われるし、僕もそのくちだったから、演技なんて大したことないように思っていたけど、俳優や役者として自分以外の第三者を演じるっていうのは、ちょっと別の話だ。彼らがやっているのはもっと複雑怪奇な非日常的、世にも奇妙な行為なのだ。常軌を逸した行為だ。
しかし、そんな俳優や役者を持て囃してやまない我々という存在は一体なんなのだろうか?