2010年 7月 8月
7月5日(月)

先日、「カルチュラル・タイフーン 2010」というイベントに参加した。

私の参加したパフォーマンスは自身の力量不足のせいもあり、様々な課題を残して、幕を閉じた。ただ、今回のことは建設的な失敗として、きちんと中身を練り直し、再度挑戦してみたいと思う。

なかなか前向きで、晴れやかで、沸々とした気分である。

さて、そんな今回のイベントだが、私が今でも細々と続けている孤独なクリエイション、その最初の衝動に大きな影響を与えた様々なカウンターカルチャーの存在を、大いに盛り立ててくれるイベントであった。

当たり前だと思っていた世界のあらゆる選択に「否」を突きつけ、それが棘の道であっても何であっても、自身のための第三の道を模索する。そんな姿勢を持った人々に憧れて、私も何かをしてみたかったのだ。

今回のイベントでは、そんな姿勢を持った人達が、新しい感覚で、新しい表現を、新しい技術に載せて、大いに発信していた。

カウンター&オルタナティブ&ラブである。

私だって負けてられんのだよ。

7月6日(火)

フィラデルフィアに行きたいと思って、アメリカ帰りのアラブの血を引く女の子に、フィラデルフィアのことを聞いてみた事がある。

彼女は、驚くほど長い睫毛を瞬かせ、「フィラデルフィアのような高校生活だった」という言い回しがあるぐらい、フィラデルフィアは退屈で不毛な町なのだと教えてくれた。

その話を聞いて、私がフィラデルフィアへの想いを更に募らせたことは言うまでもない。

退屈で不毛な青春時代、私に衝撃を与えたもののひとつ。そのデュシャンの遺作がそこにはあるのだ。

退屈で不毛な町で、もう一度、その衝撃を受けたいものだ。

7月7日(水)

資本主義の発達とともに、人間の無意識も広がった。

そんな私の俗説に呼応するかのように、私自身も資本主義に席捲され、無意識の存在になりつつある。無意識こそが自意識であるかのような錯覚がつきまとう。

意識できない自意識。そんな時代なのである。

目覚めよ人間。

7月8日(木)

帰ってきたら、ブリュシケトゥが死んでいた。

弱っていたので、薬浴なども試みていたのだが、ここのところ毎晩帰りが遅く、なかなか面倒をみてやれなかった。

フランスの御転婆娘、ジヌーさんに名付けられ、4年間、私のそばでずっと苦楽を共にしてきた金魚である。ブリブリと泳ぐ姿が愛らしく、ちょっととぼけたところもあったが、とてもいい奴だった。

ジヌーさんにも連絡しよう。

7月13日(火)

足の小指をしこたまぶつけ、腫上がってしまった。

普段はあまり存在感を見せない小指も、ここぞとばかりに自己主張する。

まるで、変なときに盛り上がりのスイッチが入ってしまう私のようである。

まあ、少々歩きずらいが、許してやることにしよう。

私と同様、不器用で可愛いやつなのだ。

梅雨が明けたら夏である。大いに盛り上がろう。

7月14日(水)

このように、ネットに自堕落な思いを書き続けて数年が経つ。続けていて特に良い事はなかったが、悪い事はけっこう色々あった。

すべての原因は、誤解と曲解である。

もちろん、私の言葉の不足や表現の稚拙さもあるが、完全な恋人が存在しないように、完全な言葉も無いのだ。

しかし、私は伝わるまで、伝えていこう。

不完全なる衝動であり、不完全なる人間愛に裏打ちされた、私なりのこだわりである。

みなさん大好きだ。三連休は目の前である。

7月15日(木)

いよいよ、下北沢全域をマインドジャックする壮大なイベントが始まる。

NiAMaDNMo Exhibition 2010

「ヘイユー! とぼけた顔をしやがって」

明日より始まるこのイベントは、私が参加するNiAMaDaNMoのイベントだ。視聴希望や参加希望の方は、以下URLより。

http://niamadanmo.oiran.org/infomation.html

みなさん、どしどしお越し下さい。

ん?私が何をやっているか?私は主な役割は酔っ払いである。

7月16日(金)

週末の夜、おじさんは風邪をひき、足が痛く、腰を痛め、変な髪形をしている。そして、そんなおじさんは、明日のために早めに寝る準備を始めている。

昔は爆発するだけで、それをうまく力に変える事ができなかったが、今は、爆発を力に変える方法が分かっても、燃料が足りなくなってしまった。

なかなか上手くいかないものだ。

寝てどうなるものではないが、少しでも燃料がたまるよう願い、今は早く寝よう。明日、私のクランクが超高速で回転する事を夢見て。

7月20日(火)

うだる暑さの街中を、長袖、長ズボン、革靴で彷徨する。高層ビルはその暑さに姿を歪め、滴る汗は生成と蒸発を繰り返す。一体私はここで何をやっているのだろうか?

真夏の悪夢である。

昔、夏はキラキラしていた。夏の耀きに共鳴し、若い私もキラキラしていた。おそらく、皆さんにもそんな夏を過ごした頃があったと思う。あの頃は、夏に呼応できる条件がすべて整っていたのだ。

今、夏などない。ただ暑い日があるだけだ。

ただ、熱風が頬を撫でるたび、キラキラとした夏を思い出す。

7月21日(水)

先日、展示をしていたギャラリーで、彼に出逢った。

仕草も言葉遣いも実に穏やかで謙虚で。こちらの説明する一言一言にも、とても丁寧に関心を寄せてくれた。人や物事との出逢いを、とても大切にし、その出逢いを素直に喜び、感動できる。とても柔らかで、本当に魅力的な人だった。

彼の帰り際に、私は思わず尋ねてしまった。

貴方はなぜそんなにも柔和なんですか?

彼は少し間をおいて応えた。

私、ゲイだからかもしれない。

ハッとさせられた。

そもそも、そもそも素直になる覚悟が違うのだ。

しかし、あの魅力をゲイだけの特権にされては困る。私もゲイにならなくてはならないではないか。うがぁ~!

7月22日(木)

展示を話をしたが、今回の展示会で、私は去年一年間で出逢った人よりも多くの人達に出逢い、且つ、そのひとつひとつの出逢いがとても貴重で刺激的だった。

新しく人と出逢うのは、とてもエネルギーが必要だが、人付き合いが億劫になりがちなこの世の中で、そういう出逢いをできたことは、凄く幸せなことだ。

繋がり、拡げて行こう。新しい流れを。

なめんじゃねーぞ!

7月25日(日)

てめーらふざけてんじゃねーぞ!

なんて言っていたら、30歳になってしまい、燻ぶりつつも色々と試みていたら、とんでもない若手が出てきたりしていて、悔しいやら、羨ましいやら、尊敬するやら、感動するやら。

先輩や同輩で、色々と感銘を受けた人はいるが、自分よりも若輩の奴らが、なんだか、もの凄く素晴らしい。

「SimiLabo」

「ケミーキラー」

彼らを見ていると、動機や表現のロジックが確実に変化してきている。初めて感じたジェネレーションギャップである。同年代同士で居酒屋で管を巻いている場合ではない。置いてかれるぞ、ジジイババァ!

7月26日(月)

週明けの朝から暑すぎる。自己の境界が曖昧になる。

今朝、村崎百郎が刺殺された事を知った。

青春の巨匠がこういった形で世を去るとは。

このまま蕩けてしまおうか。

7月27日(火)

秋葉原の連続通り魔事件。通り魔と呼ぶにはあまりにも大胆な犯行ではあった。そんな事件の報道を今日目にした。被告人質問が始まったようだ。

私がこのホームページを始めて10年近くになるが、自分でこのようなサイト運営をしていると、サイトへのアクセスの数や掲示板の書き込みの数や内容などに執拗に固執してしまう事がある。

主に、そういう時期は自身の実生活に問題があったりする時で、実生活での不甲斐なさを、ネットで補おうとしてしまおうとするのだ。

しかも、ネットはそういった閉鎖的な状況との親和性が高く、ドメスティックにハマってしまうと、ちょっと危険な面がある事は確かだし、逆に、そういった部分での誤解も受けやすい。

私もネットでは色々な経験をし、ネットとの付き合い方も分かって来たので、この先、変にハマることはないと思うが、もし、危険な事になりそうな時は、居酒屋にでも行って、浴びるほど酒を呑み、上から下からグチャグチャになって来ようと思う。

その方が少しは何かが補えることだろう。

理解はできるが、共感はしない。

8月1日(日)

完全に夏である。

先日、出張で静岡の方へ行ってきた。電車やホテルは家族連れや、恋人や、学生達が夏休みを存分に謳歌していた。

私は、人々の夏の浮かれた姿を横目に、きっちり仕事を終えて帰ってきたわけだが、徒労感は普段の倍であった。

夏に仕事なんてするもんじゃない。

夏は恋をするべきなのだ。そして、大いに惚けろ。そういう季節なのだ。

8月2日(月)

若い頃はそういう事もあろうかと思うが、今更ながら、上流を鑑みた生き方に引きずられている人と出逢うと、なかなか辛い。

上に習うことしかできず、自らの周囲の変化を感じる事ができないような年寄りにはなりたくないものだ。

私もそうならないよう、AKB48の変化ぐらいは分かるようにしておこう。

まずは読み方から教わろう。

8月4日(水)

先日、時間があったので一人で映画館にインセプションを観に行った。部分的には良いところもあったが、全体としては締りが無く、凡庸な内容だったが、周囲の声を訊くと、案外好評なのである。

世間との感覚のズレである。

若い頃だったら、ちょっと突っ張って意見も言えたが、この歳で突っ張り通すというのも建設的でないので、ある程度譲歩した意見を述べるのだが、やはり、詰まらない映画の話は詰まらない。

しかし、私は皆と仲良くしたいのだ。

今更、感覚のズレは埋まるのか?それとも、このまま埋まらずに、偏屈なおじさんになっていくのか?はて?

8月6日(木)

薄着である。暑いからである。

「北風と太陽」の話ではないが、そういう事なのである。

ちょっとした機転と、適切な手段で、物事はいかようにもなるのである。

ならば、あの薄着の女の子達を振り向かせる為には。

機転はあっても、手段が無い。

そして、万が一にでも振り向いてしまった場合、後も無い。

そういう事なのである。

8月6日(木)

今日も今日とて、暑い。

皆さん、ご存知かもしれないが、私の部屋にはクーラーというものがない。日当たり抜群の南向きの大きな窓。しかし、クーラーがない。

暑いのだ。

というわけで、そんな部屋での私の最近のファッションが、パンツ イン パンツである。パンツ一丁では野暮なので、ボクサーパンツの上から、トランクスパンツを履く。かなりイカしたファッションである。

この夏一押しのスタイルだ。

真似するんじゃないぞ☆

8月17日(火)

硬いアスファルトの上に堕ちた蝉の死骸は、強い太陽の日差しに晒されながら、人に踏まれ、自転車に踏まれ、車に踏まれ、最期には塵々粉々の粒子となって、その姿を夏の熱風に消滅させてゆく。

死ですらも、その堕ち場所で、運命が変わる。

おじさんの夏の感慨である。  海。 行けなかったな。

8月18日(水)

みなさん、いろいろと右往左往しながら生きていらっしゃると思う。

わたしも例に漏れず、その一員である。

今夜も、暗く暑い家路を右往左往と帰っていたら、アスファルトの上を這っていたカナブンを、プチリと踏み潰してしまったのである。

背筋に悪寒が走りつつ、何とも言えない罪悪感が迸る。

右往左往と彷徨いながらも、確実に何かを殺めて生きている自分が、なんとも情け無く思ったのである。

おじさんの夏の感傷である。  海。 行けなかったな。

8月19日(木)

今朝、かなり背徳的で愛欲にまみれた夢から目覚めた。

季節の変わり目に、よくこういった夢を見る。

そろそろ夏も終わるのだろう。

しかし、我ながら凄い夢を見た。 まだまだ俺もいけるじゃないか。