2011年 5月
5月6日(金)

みなさん。ゴールデンウィーク。いかがお過しでしょうか?

朝まで呑んだりなどという無茶なことは、三十路を過ぎた方は控えるようにしましょう。

さて、世の中では震災後の自粛ムードも、このゴールデンウィークで緩和されつつあるが、自粛しているぐらいが丁度良いと思ってしまう私は、不謹慎なのだろうか?

ただ、酒を呑まなければ、まずまず良い人なのに、などと呼ばれている私は、性懲りも無く、酒に関してはまだまだ自粛できずにいる。

こういうことを自己矛盾というのか、それとも、まったく関係ない事柄なのだろうか?悩める31歳である。

5月7日(土)

こんばんは。

アダルトサイトを巡っていたら、いつの間にか終わっていたゴールデンウィーク。まったく、しょうもない話である。

さて、私が出た大学の卒業生を対象にしたイベントが、今晩、オールナイトで行われるということである。その名も「マウパニック」だそうだ。

まあ、しかし、体力も気力も尽き果てたおじさんにオールナイトイベントというのも、なかなか、どうして、厳しいものがあるので、辞退させて頂いた。

もう、オールナイトは若者に任せ、おじさんはネットで膨大なアダルト知識を蓄えるのみである。

ただ、今年の夏にUnderWorldが来日するのだが、こちらもオールナイトイベントなのである。行きたいところではあるが、やはり、夜は自分のベッドでゆっくり眠りたいお歳頃なのである。

朝からやってくれればなぁ~。

5月8日(日)

31歳にして初めて蝶々結びを憶えた。真平です。

というのも、ずっと蝶々結びだと思っていたものが、実は、まったく違う結び方だったことが、今日判明したのだ。どうりで、靴紐がよく解けるわけである。

母さん。まだまだ世界は広いです。

そして、母さん。こんな世界に生んでくれてありがとう。

5月9日(月)

先の震災による大津波の破滅的な光景は、もう皆さんも充分に御覧になったと思う。私はあの光景を目の当たりにしながら、不謹慎ではあるが、あのジブリ作品の「崖の上のポニョ」を思い出してしまった。

人魚姫をモチーフにしていると言うが、自然に対し人間がどのような譲歩や共生が可能か。どのような決別と成長が必要か。

ということを、今までのジブリ作品にはない神話的な暗喩と隠喩を散りばめたファンタジーとして、そして、見る人が見れば非常に残酷な形で描かれている。

しかも、この作品には、今回の大津波の光景を髣髴とさせるシーンが見せ場として使われているのだ。

まあ、作った張本人である宮崎駿監督は、このようなことが現実になるとは思っていなかっただろうし、この震災後に「今は軽々しく文明論を語る時期ではない」とのコメントも残している。

「崖の上のポニョ」に限らず、一連のジブリ作品を見ても、今回の震災や津波、原発事故には人並みならない想いがある筈だ。

とまあ、日常の暮らしを淡々と、異臭を放ちながら暮らすオジサンは寝る前に思うのであった。

5月10日(火)

芝居に御呼ばれしたので、初台まで観に行った。

好みではなかったが、なかなか良い舞台だったと思う。ちなみに、私の隣に座っていた方は途中、嗚咽していた。

さて、私ももうだいぶ歳を重ねてきて、気をつけることがある。それは若者との接し方である。同年代や、年上の方にはツーカーの話でも、時代や年齢の差で、若い方にはなかなか伝えきれない事がある。

特に、私などは若い頃、10代後半から20代前半にかけては、自尊心や猜疑心が強く、世の中を変に悲観し達観していたので、なかなか面倒な若者であった。

なので、できるだけ、私もその若かりし自分に立ち戻って、若者に接しようとするのだが、これがなかなか上手くいかないのである。

面倒な若者に顕著なのは、その若さが故に、聞き入れない、譲歩しないというところにある。

過去の面倒な若者代表として、そこはなんとか攻略したいと思う、31歳ではあるが、たぶん、面倒なオジサンとして認識されるだけなのかもしれない。

5月11日(水)

庭の茉莉花が花盛りである。特に朝夕に強く香る甘い香りに、私は毎日翻弄されている。なかなか妖艶で魅惑的な植物である。

さて、私には愛すべきSteadyがいる。彼女への私の愛は今後揺らぐことはないだろう。まあ、私が揺らがなくても、相手から愛想をつかされる可能性はあるが。

あと、私には愛すべきお気に入りの可愛い女の子達がいる。友人であったり、知り合いであったりするのだが、私は彼女達のファンである。自他共に認める本当に可愛い子達である。

今度、その女の子達の中の、とある子の寝起き写真をゲットできることになった。今から非常に楽しみである。

気持ちが悪いと思う方もいるかもしれないが、私の生きる喜びというのは、案外、こういう素直で単純なところに落ち着くのである。

考えようによっては、花の香りや、愛すべきSteadyや、可愛い女の子の写真で満足できる、非常に安価な人生だ。

5月12日(木)

私などは、高い目標や目的に向かって、バリバリ生きていくという野心を持つ人間ではない。できることなら、ユルユル生きていたい。

もちろん若い頃こそ、色々と企んでいた時期もあったが、今はのんべんだらりと生きていければそれが善いと思っているし、それが私の性分だと分かった。

しかし、この国ではそういった願いこそ、遠い夢や希望である。馬車馬のように尻に鞭打ってでも、努力し、頑張らないと生きていけない。

努力? 頑張る? そんなものは高校生の運動部までで結構だ。

大人なんだから、建設的に話し合い、計画し、実行する。

その中で何かしら奔走しなければならないことはあるかもしれないが、努力とか頑張るという精神論で支えられているこの国や社会や会社企業は、なんだかとっても不合理である。

あ~。頑張りたくねぇ。

そんな私は、来週から、ちょっと海外旅行などを計画している。

5月13日(金)

日常的な生活を繰り返していると、知的好奇心を擽られるようなことが少なくなる。生活に付随する煩雑な事柄に振り回されてしまい、知識を深く広げるための自覚と時間がなかなか持てなくなってしまうからだ。

さて、誰しも様々な失敗の経験があると思う。私は失敗続きの人生にほとほと疲れてしまっているが、大学の頃、グループ課題でやってしまったインスタレーションの失敗を置いて、未だ、それを覆す失敗はなかなか見当たらない。

その後の教訓さえも得ることのできなかった大失敗であった。

まさに「あじゃぱぁ~」な状態であった。

しかし、そんな「あじゃぱ~」が少々懐かしい此の頃である。

少なくとも、あの頃の方が知的好奇心を毎日のように擽られていたし、それに応える自分がいた。

5月14日(土)

先日、自由が丘のカフェに行った際、インテリアとして今まで見たことのない最新鋭のスケートボードが飾ってあったので、店員さんに頼んで、その辺を一巡りさせて頂いたのだが、これが、すこぶる滑る。

滑るぶん、方向転換に多少のコツが必要だし、トリック向きではないが、まあ、我々が乗っていたボードに比べれば、だいぶ乗り易くなっている。

技術革新とは、こういうことなのかと、身体で感じる出来事であった。

さて、みなさんIKEAには行った事があるだろうか?

まあ、モノは大雑把なものしか置いていないし、これだったら自分で作った方がと思うものも多いが、あの販売スタイルは圧巻である。あと、まずまず安い。

ただ、それ以上に感動したのは、出口付近で売っているホットドックである。一個100円。NY並みである。しかも、ピクルスとフライドオニオンかけ放題である。2個食べて、もう1個食べようと思ったら、バスが来てしまったので断念したが、あれには感動した。

まあ、生きていると色々と驚くことがあるということです。

あ~、あと、最近、ソバカスの善さに驚いている。

ソバカス可愛い。

5月17日(火)

酒を呑むと記憶が無くなる。これ常識。

しかし、記憶が無くなるというのは、自分が何をやっているか分からないのだ。想像以上に恐ろしいことである。

ですので、みなさんもほどほどに。

ただ、最近、私は酒を呑まなくても記憶が無いことがある。固有名詞はまず憶えられないし、出ても来ない。自分の行動もよく把握できていない。

酔っ払っていようが素面だろうが変わらないのである。

果たして、こんな私は、人間として生きている意味があるのだろうか?

まあ、しかし、記憶を無くし、目の前にある刹那を自分の直感だけで生きていくというのも、それはそれで逞しく潔い、ブリコラージュな生き方であるかもしれない。

実践してやろうじゃないか。ブリコライフ。

5月18日(水)

美しさに憧れ、畏怖し続けて31年。真平です。

さて、みなさん、Andrej Pejic(アンドレイ・ペジック)をご存知だろうか?

男性ながら、女性のファッションショーにも登場する。今、人気急上昇中のスーパーモデルである。

ギリシャ神話に出てくるアンドロギュヌスやヘルマフロディトスといった、ジェンダーを凌駕する神や種族が、そのまま現実に出てきてしまったような、強烈な存在感である。

今後、世界の新たなイコンとなることは間違いないだろう。

しかし、やられたよ。先を越された。

これだよ!これなんだよ!俺がなりたかった存在感は!

5月19日(木)

渋谷駅の岡本太郎の壁画「明日の神話」に、福島の原発事故を連想させる絵が貼り付けられていたのは、みなさんもご存知かと思う。

今日、その件について、「chim↑pom」というアーティストグループが自らの仕業であると名乗り出たそうである。グループは「芸術家がするべきことをやっただけ」とのコメントを残し、3・11以降の作品と共に今回の動画もギャラリーで発表するそうだ。

「chim↑pom」のメンバーとは、私が学生時代、同じ大学だったこともあり、会田誠(美術作家)さんを介して、一緒に呑みに行ったことがあるが、まあ、なんとも元気で弾けた子達であった。まさに風雲児といった感じだ。

蛍光ピンクのゲロを吐いたり。地雷でブランド品を吹き飛ばしたり。本物のネズミでピカチュウを作ったり。エロパワーで光る電球を作ったり。

結成当初から、物議を呼ぶような過激な作品を発表してきた彼らだが、私は好意と憧憬を持って、彼らの作品の率直な行動力と掻き乱れ具合に注目してきた。

そして今回である。

まあ、社会的な批判に曝されることになるかもしれないが、だからこそ、私は今までと同様、彼らの作品に注目していきたいと思う。

表現というものは、そもそも社会との親和なんて目指していない。

どんどんやれやれ! やってくれ! 我らが 「chim↑pom」!

とまあ、なにもできないオジサンは思うのだった。

5月23日(月)

今、庭の蛇イチゴが真赤な実をつけている。蛇イチゴだと知らずに水を遣っていた雑草が蛇イチゴだったのだ。東京でも野生の蛇イチゴが自生することに驚いた。食べてみたら甘苦い。都会の味だ。

さて、先日、代々木公園のジャマイカ・フェスに行って来た。代々木公園の国際フェスは、タイやブラジルなど、各国が毎年やっているので、年々知名度が上がり、賑わいも年々増えている。

ジャマイカ・フェスでは、今年こそ、念願のボブ・マーレイコンテスト優勝を狙ったのだが、残念ながら、逃してしまった。

しかし、ジャマイカ・フェスと言えど、様々な人種や国の人々が、一堂に同じ場所に介し、音楽や酒や文化を分かち合う。一方では原発事故という負の21世紀がありつつも、こっちはこっちで21世紀的な到達であると、しみじみ感じるのだった。

もちろん、会場では「NO NUKE!」の旗が掲げられていたり、会場外でもスペイン人の方々がスペインレボリューションと称してスペインの政治に対する抗議のカウンターギャザリングを開催していたり、その横で、ヒップホップ泥酔ライターの二木信さんが酒盛りをしていたりして、オルタナティブ臭漂う感じが、とても良かった。

ゲラップ スタンダップ ゲッラプ フォヤライフ!

オルタナティブ&リボリューション@代々木公園 である。

しかし、黒人の方々の身体的な美しさというのは、秀逸である。

5月24日(火)

昨日、友人の御祖母さんが亡くなった。享年99歳。大往生であったが、明治生まれの生字引が失われたことは非常に残念なことである。

昨晩、私も亡骸を拝ませて頂いたが、生前と変わらず身体はそこにあるのに、何かが決定的に失われてしまっているのだ。

今までも身内や友人の不幸で、何度も亡骸に対面をしたことがあるが、実際に亡骸に触れてみて理解できるのである。生きていないのだと。そして私は同時に理解する。私は生きているのだと。

明治生まれの大先輩から、バレンタイチョコを貰うことなどは、私の人生でもう二度とないことだろう。明治からのチョコレート。ありがとうございました。

メメントモリ。

5月25日(水)

まあ、私も大概に不謹慎な人間である。

しかし、先日、この日記でも紹介した「chim↑pom」の展示会に行ってきたが、ある種の不謹慎さを感じざるを得なかった。もちろん、それは、彼らの作品自体が、社会の禁忌に肉迫するものだし、それが彼らの持ち味でもあるのだが。

あと、先日、やはりこの日記でも紹介したが、亡くなった御祖母さんの亡骸を、親族の了解を得て写真におさめていたら、後で、友人から不謹慎だと諭された。最初は私の頭の臭さのことを言われているのかと思ったら、写真のことだったのだ。

まあ、そんな不謹慎な私が言うのも何なのだが、不謹慎という感覚は当事者以外のところで起こりやすく、その理由が判然としない場合が多い。もちろん文化圏の違いや個人差もあるのだが、不謹慎さの根底には、その社会の禁忌に触れる何らかのバイアスがあるのだ。

不謹慎なことなのだから、本来それは敬遠されなければならないのだが、私のような不謹慎な人間から言わせて頂くと、判然としない様々な不謹慎感を容認していると、社会が硬直し閉塞してしまうのではないかという怖さを感じてしまう。まさに謹慎した社会である。

しかし、そんな不謹慎な私からも不謹慎だと思われる「chim↑pom」とは一体どんだけ自由なんだろうか。自分自身の社会観や不謹慎感も含め、もう少し掘り下げて考えてみたいと思う。

あと、不謹慎ついでに提案なのだが、Facebookに「いいね」という機能があるのだが、「やだね」という機能があると、もっと不謹慎で面白いと思うのだが。どうでしょう?

5月26日(木)

日本における不謹慎とは、究極的に突き詰めれば、生きていることなのだと、今日、友人の御祖母さんの通夜に参列させて頂いてみて思った。逆に、日本における最大の謹慎とは、未だに自害や切腹という、死を持った清算が根底にあるのだと思う。

なんてね。

しかし、最近、私「PCササ」名義でHPデザインやテキスト制作の御依頼を立て続きに頂き、時間の許す限り尽力しているのだが、やはり、普段の仕事として従事する法人格で頂く御依頼と、個人で頂く御依頼だと、尻の穴の絞まり方が違う。

まあ、自分の尻は自分で拭かなくてはいかんという緊張感の違いなのではあるが、どっちにしろ尻の穴の緩い私は、尻拭いに四苦八苦である。

まあ、謂れの無い理由で腹を切るよりはマシだが。

5月27日(金)

入梅にして台風。

波乱な週末の幕開けである。

さて、しかし、原発事故発生後の情報開示の不備には、みなさんもほとほと呆れ果ててしまっていると思う。特にマスメディアの流す情報は何が真実なのかまったく分からない。命に関わる問題である。

私は事故直後から、オルタナティブなメディアで発言を始めた京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏のコメントを随時チェックしている。

科学者としての知識もさることながら、社会的、人間的な立場も非常に共感できる。信頼に足る方だと思うので、みなさんも小出氏のコメントは一度どこかでチェックしてみて下さい。

あと、話は少し変わるが、先日、布川事件がようやく無罪の判決を勝ち取ったが、冤罪の被害に遭った桜井昌司氏・杉山卓男氏は会見の際に、我々の冤罪も今回の原発事故も同じ根を持った問題であるといった趣旨の発言をされていた。

まあ、社会はいつも不条理なものだが、人の人生や命すらも奪うような権力の理不尽さは許しがたいものがある。

とまあ、今ごろ憤慨している、週末のおじさんである。

権力から何かされたらおじさんに言ってくれ!

5月30日(月)

商品を買うわけでもないのに、また性懲りも無くアバクロ(Abercrombie & Fitch)に行ってしまった。まあ、ちょうど銀座に用事があったので、ついでに寄ったのだが、やはりアバクロ。善い。

今回は写真も撮って貰ったので、Facebookにでもあげておこう。

さて、2・3巻は借りているのだが、まだ手元に無い「1Q84」の1巻を借りに、友人の部屋に行った。彼の部屋に入るのは10年ぶりにぐらいになるだろうか。

10年ぶりの彼の部屋は、目を疑うような劇的な変化を遂げていた。

床には足の踏み場がないほど書籍が散乱し、部屋の一角にはチュウハイの空き缶がタワー状にそびえ立っている。煙草の吸殻もその辺りに散乱し、アウシュビッツのようなベッドの上には小汚い布切れがぐしゃっとのっている。はっきり言って、人間が住める環境ではない状態だったのだ。

曲りなりにも、31歳。彼も広告会社に勤める経済的にも安定した正規社員である。まさか、ここまで生活環境が破綻しているとは思いもしなかった。

結局、様々なものが散乱した環境での懸命な捜索にも関わらず、「1Q84」の1巻は発見できなかったが、そんなことはこの際どうでもよい。

日本国憲法では、第25条1項において「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と定めている。所謂、生存権というやつだ。

まずは、この生存権が深刻に侵されている状況を訴えていきたいと思う。しかし、この場合、誰に訴えればいいのだろうか?当事者本人か?

5月31日(火)

この間、秋葉原にある「3331」という小学校を改装したアートスペースで、ちょっと気になる展示がやっていたので行ってきた。

まあ、世の中には様々に優れた表現をしている人がいるもので、何もできないおじさんは、様々な作品や作者に対し、感動や驚きというよりは、嫉妬にも似た羨望を覚えるのだった。

さて、その後、自分の無力を感じつつも、せっかく秋葉原まで来たので、本場の「萌え」を体感すべく、メイドカフェに寄った。その選択が、私に更なる無力感を与えることも知らずに。

まず、路上で客引きをしているメイドさんから情報を収集したところ、一概にメイドカフェといっても、お店ごとにテーマを持っているそうで、客がご主人様になれたり、お兄ちゃんになれたり、学園風だったり、メルヘン風だったりと、様々なのだそうである。我々は手堅くご主人様になれる、王道のメイドカフェを選んだ。

しかし、カフェの世界観に慣れることにまず戸惑ってしまう。なんせ、私がご主人様なのである。あと、メイドさんが何を喋っているかが分からない。そして、突如としてメイドさんが歌いだす。踊りだす。しかも、通貨が違う。魔法までが存在するのである。

麦酒を注文すると

「ショウガナイナー! ルービーワンニャン!」

麦酒がやって来ると魔法をかけてくれる

「オイシクナ~レ!モエ!モエ!キュンッ!」

会計時は

「モウカエッチャウノ? 3,500リーミン ニャン!」

もう、私などは何もできない。完膚なきまでに自分の無力さを感じた。完全なる奴隷カフェである。まあ、気になるおともだちはメイドカフェ。一度行ってみるといい。秋葉原は怖ろしい街である。