一昨日、六本木の謎のバーでの、1週間にも及ぶ、私の酔っ払い常連客パフォーマンスが無事に終了した。まあ、内臓はズタボロだが。
しかし、ご来店頂いた皆さまには本当に心より感謝する。
お陰さまで、様々な分野の方々と親交を深めることができ、尚且つ、明日より、謎のバーで展示していた我々の作品が西麻布のショールームで展示販売される事となった。
8月にも下北沢での展示が決定しているので、詳細が決まり次第、この日記でも紹介させて頂く。
しかし、残念ながら、今回のパフォーマンスは、長丁場と言うこともあり、私が本気で酔っ払った際の、狂気乱舞の真髄を皆さまにお見せできなかったことが、大変悔やまれるところである。
期待していた方には本当に申し訳ないことをした。
私も歳をとった。
「脇の下で蛙を飼っていた」とか「昨日鰐に噛まれた」とか「秋刀魚が食べれなくて鬱病になった」などという、上司の本当にしょうもない話に、大爆笑している今日この頃の私である。
どうしたら、そんな適当で斬新な状況が思い浮かぶのだろうか?
そう思って、タモリやタケシの昔の動画をYouTubeで見てみると、やはり適当で斬新で、且つ、単純な面白さに、またまた大爆笑してしまった。
そうして、おじさんの夜は更けていくのである。
皆さんもご存知の通り、日本は緊急事態爆進中である。このような事態になると、確かなものとそうでないものが鮮明になる。
安全は神話だったし、我々は愚かだった。
このまま日本はアトランティスのような伝説と化し、未来の人々に、昔、ここには日本という黄金の国があったんだよ、などと実しやかに語られる。
かつて日本があった場所には放射性標識が印字され、誰もその意味も分からず、誰も近寄れない。ただの概念の地となっているのだ。
今まさに、我々は日本の消滅に立ち合っている。
しかし、そんな消滅の最中、おじさんは、朝の出勤時、近所の妙齢のご婦人に挨拶された際、大胆に開いた胸元に、視線が落ちてしまうのである。
ロマンシング・サーガ。
やらねばならぬ事は山積すれど、集中できるまとまった時間が取れないのと、歳相応の能力減退とで、焦りばかりが先走る。
おかげで、企画のために読み返していたサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』にも完全に当たってしまい、スタンドアローンコンプレックスの一歩手前にまで陥ってしまった。
まあ、しかし、そんな狂気のオジサンも、頼れる友人たちの手によって、なんとか救い出されるのだった。やはり、持つべきものは友である。
そういえば、今日から仕事体験とやらで、高校1年生の女の子が職場にやってきたのだが、なんというか、怖くて近寄れない。
流石に、この暑さにはヘバッてしまう。
さて、友人というのもおこがましいのだが、「マーク義理人情」という劇団の主催者であり、俳優としても様々な舞台や映画にも出演している知り合いから、新しい芝居ができたので観に来るように、とお誘いを受けた。
『俺とお前で俺達だ!!』
良い主題である。
もちろん、芝居もかなり良かった。いや、凄く良かった。ファンタジックでありながらも、哀愁と郷愁に富んだ青春群像劇とでも言ったらいいだろうか。今後も期待される劇団である。
しかし、私も、あんな風に誰かを感動させてみたいものだ。
人の心を動かすのは柔らかさなのだ。歳のせいにして、ソリッド欠陥人間になってしまってはいけない。
金曜日の夜。私は完全なるアルコーラーである。
そんなアルコーラーが気付いた事がある。
私は、既存のモノを破綻させようとして、新しいモノを作ろうとして、それすらも破綻させようとする傾向がある。
厄介な傾向である。
しかし、その傾向とは、つまりは、死にたくないという傾向なのである。
結果や結論は死であるという傾向なのだ。
不細工な傾向である。
今日も暑かった。
暑すぎて、私などはステディの女性用のホットパンツを借りて、町中を行動していた。足を出すというのは良いことだ。小学生に戻った気分である。
来週、forever21にホットパンツを買いに行こう。
さて、今日、友人の子供が怪我をした。大怪我ではないが、放っては置けない怪我である。友人は方々問い合わせたのだが、診てくれる病院がみつからないというので、私に連絡をしてくれた。
私は、即刻、救急車を呼ぶべきだと答えたが、友人は救急車を呼ぶほど大袈裟なものでもないと、躊躇をした。
しかし、結局、救急車を呼び、なんとか治療を受けられたそうである。しかも、搬送された病院は、事前の問い合わせの際に受け入れを拒まれた大学病院だったそうである。
まったくデタラメな世の中である。
土日祝日は救急車を呼ばなければ助からないのである。
物事というのは、まるで地滑りや雪崩れのように、怒涛のごとく一気に動き出すものである。今までサボっていた夏休の宿題が、31日に一気にやってくるようなものである。
それは、今回の地震による様々な要因。特に原発事故が主な要因ではあるが。日本人は今まで様々にサボってきた社会システムの転換を早急に考えざるを得ない事態に陥ったことでも言えるし、私が今までサボってきた大量の作品を明日までに完成させなければならないということでも言える。
果たして俺は未来を切り開けるのか!?
日本人は新たな社会を切り開けるのか!?
正に今現在が踏ん張りどころなのである。
かんばれ俺!考えろ日本人!
私はなにか物事に深く集中していると、無意識に身体が行動してしまうという変な癖がある。
それは文章の執筆やデザインの構成、音楽の鑑賞やスケジュールの調整など、様々な場面で生じてしまう困った癖なのである。
むろん、この日記を書くにあたっても、同様の癖が発現する。
今日などは、8月に下北沢で行う展示会のことで、色々と考えを巡らせていたら、いつの間にやら、勝手にシャワーを浴びていた。
集中が途切れ、我に返ると、何故かシャワーを浴びていたのである。
本当に困った癖である。
まあ、軽い集中の場合は、無意識にチンコを触っているぐらいの事なので、心配するほどのことではないのだが。
私たちの21世紀はノストラダムスの予言に反し、未来の世界の到来を告げるかのごとく、煌びやかに幕を開けた。ミレニアム。私はパリにいた。
しかし、その直後、9・11という戦慄的な事件が起き、それに呼応して、報復という原始的な大義名分の名の下に、不穏な戦争が始まった。
その後、世界経済が悉く破綻をし、貧富の差が広がった。そして、その流れは、未だに留まる気配を見せない。
もちろん、その他にも、新しいウィルスの蔓延や、人口増加、資源の枯渇や地球環境の変動など、様々な問題が世界を襲った。
それでも、21世紀の10年を、人類はなんとかやり過ごしてきた。しかし、世界でも有数の技術立国であるこの日本で、先頃、原子力発電所が爆発した。
SFで言えば、ディストピアかサイバーパンクか。
最早、20世紀のSFが、フィクションでは無くなってしまった。そんな21世紀が、到来してしまっているのである。
そんな21世紀のサバイバーの1人として、私は、あらゆる既存のシステムを、即刻再考し変化しなければ、生き残ってはいけないだろうと思う。既存のシステムは自滅の道を辿るのみだ。
そこで、私は考えた。
まずは、この地。ネオ東京で、大東京帝國を旗揚げしよう!
みんな遅れをとるなよ!ジジイの自滅になんて付き合ってられないぜ!
週末に起きたノルウェーのオスローで起きた動機不明の連続テロ事件、しかも、そのひとつは少年少女を狙った事件が起きた。世界も震撼したし、私も震撼した。
ノルウェーは、決して教育水準の低い国ではないし、経済的にも大きな困難を抱えた国でもない。偏向的な思想や文化を乗り越えた、むしろ、人権と教育と福祉の分野では世界を牽引する国のひとつであった。可愛い子も多い。それに、なんてったってノーベル賞の国である。
しかし、そうは言っても、世界のディストピア化は、多かれ少なかれ、どの国においても進行中で、それが、ノルウェーというユートピア国家も論外ではなかったことが、今回の事件で更に明確化した。
もちろんディストピア化の歯止めとなる早急な解決が迫られてはいるし、そういったことに敏感で真面目な人がその恐怖のサイズや焦りで、今回のようなテロルやゲバルトに走ることもあり得ると思う。
しかし、とりあえず、そんな混乱した全世界・全人類に私は提案させて頂く。みんな!今からオナニーでもして、冷静になろうぜ!
さまざまな表現媒体に携わり、接してきたが、やはり、音楽表現の感染力を超える媒体は無いと思う今日この頃である。
音楽はヤベエ。
まあ、しかし、美術学校を出て、今は活字を扱う身の上。音楽といってもせいぜいコピー程度が関の山である。
あっ!そういえば、8月の半ばから、私も手を染めている企画展やらパーティーやらを下北沢でやるので、みんな、僕と握手しに来て下さ~い!
ノルフェーの大量虐殺犯が私と同じ歳だったり、ソマリアが大規模な食糧難にみまわれたり、中国の夢の高速鉄道が埋められてはまた掘られたり、アメリカが8月2日に債務不履行を宣告したり。
最近のニュースを読んでいると、世界的な規模で、着実に人類は自滅に向かっていると思わざるを得ない。
おそらく、そう遠くない未来、足の遅い我々は、自ら作った足の速いシステムに、一度めちゃくちゃに喰い尽くされることだろう。今まで部外者面していた我々も例外なく喰われる。
まあ、みなさんも充分にお気づきかもしれないし、もう、うんざりしていることかもしれないが、そういうことなのである。仕方ないといえばそれまでだ。
とりあえず、喰われる前に、私は明日の朝、手のひらを太陽にすかしてみることにしよう。私は喰われるに価するほど、美味いのか、不味いのか。
ところで、明日は晴れるかな?
家の裏に幅一間ほどの細い路地がある。元々は農業用水路として使われていたが、現在は暗渠となっている路地だ。なかなか趣のある路地で、気が向いた時にたまに通る路地なのだ。
こないだ、帰宅の際、その路地を通ったら、蛙に出くわした。そして、更に歩みを進めると、今度は蛇にも出くわした。
両者ともピクリともせず、蛍光灯の街頭の明かりに照らされ、ただただヌメヌメと光を反射するだけだった。
ちょっとしゃがみ込んで観察しても、ピクリとも動かない。
ただのヌメヌメだ。
私はそんなヌメヌメした奴らのすぐそばで生活をしているのだ。