健康診断オールAのおじさんではあるが、体力や免疫や思考の衰えには逆らえない。若い頃は健康で元気だったからこそ馬鹿で阿呆ができたのだ。
今はそれができない。
今この一瞬の馬鹿や阿呆のための最低限の体力維持と健康管理をしようと思う。
今夜の月は境界が曖昧で空に熔けこむようにボヤボヤと鈍く輝いている。「曖昧」と「ボヤボヤ」と「鈍い」という点で言えばまるで私のようである。とも言える。
何か特別なことをしたわけでもないのになんだかとても疲れた。
私もあの月のように空に熔けこめたら。
この乾いた疲れには効きそうだ。
ハァ~ア ビバノンノン
ニャンニャンニャンの日だそうである。
カワイイのかエロいのか分からん日だ。
さて、みなさん。 最近、落ち込んでるかい?
思春期ほどではないが、気の小さいおじさんは、今でも毎日一度は深く落ち込むことにしている。
ただ、いつも落ち込んでいるからって卑屈なおじさんってわけじゃない。
落ち込むことで退屈な日常を楽しんでいるのさ。
僕は二度目に沸騰した味噌汁のように完全に失われしまった。
村上春樹的に言えば。
酔った。
タイマーを朝6:30にNHKラジオにセットしている。
ラジオ体操である。
最近では寝呆けながらも、勝手に体が動くようになってきた。第一が終わる頃には目も覚めてきて、なかなか良い寝覚めである。
みなさんも是非お試しあれ。
しかし、おれは爺さんか。
この歳になると何でもかんでも吐露できるような新たな人間関係を作ろうと思ってもなかなか難しい。
吐露。自分の気持ちを素直にぶつけ合う。そんな他愛もないことが青春の日の特権だったことを今になって知るのだった。
ただ、そんな青春の日に憧れたおじさんは、吐露はしないけど嘔吐はしてみたり。
げぼ。
しかし、2月は短いな。2月とは本当に存在したのだろうか。
雪になんて1ミリも心踊らないんだかんね!
しかし、速攻で解けてしまったな。即行か?
さて先日。ちょっと時間が空いたので行きつけの地下喫茶に入った。おじさんになると行きつけの地下喫茶がいくかあるのさ。
その店には漫画本がけっこう置いてあって時間を潰すのにはもってこいなのだ。店員もみんな感じが良くて可愛いし。
しかし、漫画本って最近は膨大に発刊されている。読みたいのだが、なかなか手につかない。貸してくれる友人もめっきり減ってしまったしな。だから、そういう機会に話題になっている漫画本を一気にかっさらって読むのだ。
と言っても人間。やはり好みが出てしまうのだ。私なんかは、ついついディストピア系のものばかり手に取ってしまう。
なので、その時は今まで本当に手に取ったことの無いものを読もうと、名前だけは知っている「よつばっと」という漫画本を手にしたのだった。
ドツボに嵌ってしまうのも知らずに。
案の定、終始、爆笑を堪えた「ぶっぶぶぅぶ」状態で、息抜きのつもりが大変疲れてしまった。店員のおねえさんは嘸かし気味悪かったことだろう。
しかし、漫画であんなに大笑いするなんて久しく無かったな。
最近、細かなゲップが止まらない。
とても気持ち悪い。
なんだろか?と思いグーグル先生に聞いてみたら、なんだか怖い内容ばっかだったので、見なかった事にした。
まあ、すぐに治まるだろう。
いや、すぐ治まれよ。
今夜、我が家で雛祭パーティーをやるようだ。
家でパーティーなんて、小学校の頃にやってもらた誕生日会以来だろうか。
その時は、大勢の人が我が家にいる光景って不思議だなと思ったが、今夜はどうなるだろうか。
そして、私は家の主として、上手くホスティングできるだろうか。
不安だらけである。
大人って大変だ。
昨晩の雛祭パーティーは嵐のように過ぎ去った。
そして、私の記憶もその嵐の突風と共に消え去った。
遺されたのは大量の缶ビールの空缶とワインの空瓶である。
まさに嵐の跡である。
雛祭パーティーとは何だったのか。
私はCASIOの腕時計を1ダースほど所有している。
大人はやはり腕時計である。
まあ、安物のCASIOなんだけども。
しかも、その安物のCASIOたちは、安物であるせいかなんなのかは分からないのだが、凡そ3ヶ月に1分ほど時間がズレるのである。
あるものは早く。あるものは遅く。あるものは何も変わらず。
だから、季節の始めにすべての時計を廊下に並べ、時報を流しながら一斉に時間を合わせてやらねばならない。
まったく。
こないだなんて、閏年のせいですべての時計が1日も時間が、いや、日がズレていたのである。
なんたるちゃ~ぁ! お前ら閏年機能あるじゃねえか!
昨日も書いたが、安物ではあるがCASIOの時計を1ダースほど所有している。その他にも、最近、黒いペイズリー柄のバンダナの収集をしている。
黒バンダナはまだ4枚ほどだが、今後、地道に1ダースぐらいは所有したいと思っている。
あと眼鏡だ。
これは、おそらく今まで購入した眼鏡は軽く1ダースを超えるが、現在手元にあるのは4つほどだ。それ以外は凡て酔っ払って失くしてしまった。できれば眼鏡も1ダースは所有したい。
しかし、そんなに所有してどうするかって?
月に一度、廊下に並べて手入れをするのさ。
それが大人ってもんだろ。
大人は暇なのさ。
今日の山羊座のラッキーアイテムは「ゲロ!」
とでも言わんばかりに、今日はゲロの光景を目撃した。
まず、京浜東北線の最寄り駅を降りる際、扉が開くと同時に扉側にいた女性が粉雪のようにようにサラサラと吐いた。
つづいて、多摩川線の最寄り駅を降りる際、降車した少女が本のページを捲るようにパタパタと吐いた。
さらに、玄関の扉の鍵を開けようとしたら、玄関脇で猫が「にゃ~」と鳴きながらコリントゲームのようにコロコロと吐いた。
ゲロ日和である。
なんか悪い病気でも流行っているのか?
3月は週末がパンパンだ。
パンパンっていっても私娼のことじゃないよ。
スケジュールが詰まっているのである。
唯でさえスケジュール管理のできないおじさんは、この3月。ダブルブッキングやトリプルブッキング満載にて元気いっぱい稼働中である。
眠い。
相も変わらず世間とは出鱈目で無茶苦茶で、たまに生優しい。
真平です。
さて、季節がら三寒四温などというが表現を耳にするが、それは間違いだ。六寒一暑な最近である。
引越した家は二階家(微妙な半三階なのだが)のうえに天井が高いのでヒーターを焚いてもなかなか暖まらない。寒がりのおじさんとしては早く暖かくなって貰いたいものだ。
夏よ! カマ~ン!
今日、震災犠牲者追悼と脱原発を掲げたデモに参加してきた。
ヒューマンチェーン。
国会議事堂の周囲を人間の鎖で取り囲むというものである。
おそらく、追悼は兎も角、脱原発という主張にもデモという手法にも否定的な人は多いと思う。
特に今日は国会包囲というかなり直接的なデモだったので、尚更そうなのかもしれない。
相も変わらず世間とは出鱈目で無茶苦茶で生優しいままだ。
先日、黒テントの主宰する神楽坂の劇場でシェイクスピアを観てきた。
感想?
小劇場でシェイクスピアはこの年齢になると肉体的に辛い。
それぐらいか。
さて、今週。
金曜日から5日間をかけて、京都散策からお伊勢参りまでの小旅行へ行ってくる。
個人的(ラッパーとして)には日本の神道、いや修験道か?にみられる呪術。言霊をチェケする旅をしたいと思っている。
待っていろYo 猿田彦 Yo!
志貴島の 日本の國は 事靈の
佑はふ國ぞ 福くありとぞ
いつものようにデパートの食品コーナーで夕飯を見繕っていた。
デパートの食品は高いのだが、消費期限が近づくとけっこうな値崩れをするので、鮮度に関わらない食品なら下手なスーパーよりはお買い得だと思う。
そんなわけで、昨日は鯛と根菜類を半値でゲットして帰って来た。
鯛は煮付け。根菜はサラダ。美味しく頂いた。
さて、しかし、昨日のデパートの洋菓子コーナーはすごく混んでいた。
どうやら、ホワイトデーのキャンペーンをやっていたようだ。
ホワイトデーがこんなに定着しているとは。
世も末である。
そうだ。
京都へ行ってきた。
しかし、京都の夜は良いね。 良かったよ。
私はよく寝言をいうようだ。
今まで様々な事例が報告されている。寝惚けて無意識に歩いたりもする。私の睡眠は愉快なのである。
そして先日、更に新たな事例が報告された。
寝言ならぬ寝歌である。
ホ~ニョ♪ ホ~ニョ♪ ホニュ♪ アカアノオ~♪
たぶんあの歌だろう。。。 まったく俺って奴はどこまでも愉快だぜ。
数は少ないが、職場で慕える先輩が何人かいる。
ただ、そんな先輩が実は若い子から不評だったりするのだ。
人間同士が信頼関係を築くというのは、なかなか難しいものだ。
それとも私の感覚ももう古くなってしまったのか。
家に誰もいなかったので、久しぶりにエッチな方の動画サイトにディープにダイブしていたら、ついつい熱中してしまい、窓全開だったことも忘れてまずまずの音量でイヤ~ン声をご近所に垂れ流してしまった。
恥ずかしい。
しかし、それでも人間は生きていかなくてはならぬのだ。
今朝、通勤電車で高校の頃の友人に会った。
たまに一緒に呑みに行ったりはするのだが、背広を着て日経新聞片手に他のサラリーマンに紛れて佇む友人を見つけたときは、何だかぜんぜん知らない人のような気がして、一瞬声を掛けようかどうしようか躊躇った。
まあ、もちろんそれは俺だって同じことなのだろう。
俺らもずいぶんなおっさんになってしまったんだなと思い知らされる。
年度末である。 別れと出会いの時期だ。
別れは仕方ないが、出会いは苦手なおじさんである。
さて、とうとうこの国にも地対空誘導弾が配備される時代になってしまったのである。みなさんご存知の通り、この国は大災害に襲われ原発が爆発したばかりだ。しかも、世界は人口爆発と経済困難を抱え、各国で政治再編が勃発している。
前世紀のSF作品が予見した混沌と混乱の未来世界が今まさに我々の目の前に広がっているのだが、この国の人々はまるで何事も無いかのように、自分にはまるで関係ないかのように、平然と生活を営んでいる。
不思議だ。