明日から始まるNHKの朝の連ドラの舞台が蒲田なのだそうである。おかげで蒲田は様々な便乗商品で溢れかえり、妙な盛り上がりを見せている。いや、浮き足立っているという方が合っているかもしれない。
引越してきたばかりの人間からしてみると、些か滑稽である。良い言い方をすれば地元愛が強い昔ながらの土地柄なのだろう。
まあ、そんな蒲田の町で、昨晩、感じの良いカウンターしかない小さな居酒屋で一人でしっぽり呑んでいたのだが、隣に中国人の女の子が座った。
中国人特有のスパッと切れた目尻に薄い唇。青磁器のような落ち着いて肌理の細かい肌。真っ直ぐで真っ黒い長い髪の毛を真ん中にわけて垂らしている。一見すると近寄り難い美人なのだが、笑顔になると人懐っこさがある可愛い子だ。
蒲田。 いい町かもしんまい。
明日は大荒れに荒れるらしい。
春雷や 女ばかりの 雛の宿
まあ、ごく平盤な人生を歩んできたおじさんには、春の嵐というのも刺激になって良いのかも知れない。先に引用した虚子の詩のような春の嵐ならば趣きがあって尚良ろしい。
さて、4月である。
世界は様々な動きを見せつつも、世の中はそんなものとは関係なく年度始まりの実務で色々と慌ただしい。慌ただしく桜が咲き、慌ただしく酒を飲み、慌ただしく桜が散り、あっという間にゴールデンウィークになっているのだろう。
私は結婚休暇が2週間、結婚祝金が15万ほど貰えるようなので、来月あたりに一人ハネムーンでもしてくるか。タイ-ベトナムが濃厚か。
いやぁ。命辛々帰ってきた。
予想以上の春雷ですな。寝よ寝よ。
今更ながらではあるが、ようやく「1Q84」を読み終えた。
なんか、もう文庫化されるっつうらしいってのにね。
個人的にはまずまず面白く読めたと思う。
ただ、村上春樹の小説を読んで思うのは、その内容に対して不釣り合いなビッグセールスをあげているということだ。
「ノルウェーの森」は桁違いの2,000万部。今回の「1Q84」も200万部である。200万といえばとんでもない数である。
村上春樹の小説は歴史時代モノや推理モノといったエンターテイメント小説とは一線を画すものだし、ましてや実用性や専門性があるわけでもない。むしろ、その内容はかなり読み解き難いし、多くの隠喩と暗喩に充ちている。そして、ごく個人的でもある。
それが200万という総体に共有されているのだ。
私にはうまく理解できないことである。
最近、なんだか調子が悪い。
ものを喰うと、吐き気とは言わないまでも、喉元に何かがつっかえたような違和感を感じる。
ものを美味く喰えないというのはけっこうなストレスである。
病院行かないと駄目かな。
健康は大事だよ。
桜が満開である。
満開の桜の木の下を通ると特有の甘酸っぱい香りを感じるのは私だけだろうか。
桜の花の匂いの話はあまり聞いたことがない。
ファッションデザイナーをやっている友人の秋冬コレクションを観に行った六本木からの帰り道、何をどう間違ったのか小便を漏らしてしまった。しかも、困った事に履いていたパンツがチノパンだったのだ。ジーンズならまだしもチノパンである。
しかし、おじさんは動じない。
冷静な判断と対処によって、恥をかくことも無く、事なきを得るのであった。
大概の事には対応できてしまう自分が怖ろしいぜ。
先週より放映が始まった「LUPIN the Third 峰不二子という女」
みなさんもちろん観たことだろう。
手抜きの無い丁寧な仕事っていうのは、ああいう事なんだなと思う。
素晴らしい。
抜かった。
酔っ払って携帯電話をどかにやってしまった。
しかも、2日間も携帯を無くしたことに気がついていなかったのだ。
無くした場所の心当たりすらない。
今までは気がつかなったので気楽に過ごしていたが、気がついてからの今からは不安な日々である。
まぁ~。
携帯電話がみつかった。
先週末、花見の帰りに寄ったフィリピンパブに忘れていたのだ。
しかたないので、携帯電話を取りに平日のフィリピンパブに行ってきた。
客は俺一人。週末の宴に疲れきったフィリピーナは仕事をする気がまったくない。俺になど一切気を遣う様子もなくフィリピーナ同士タガログ語と英語が混じった世間話を始める。俺は静かにウィスキーを飲みながらその話に聞き入る。愚痴や失敗などの他愛もない話だ。
そして、俺は今いったい何処にいるの分からなくなる。
ここは何処で俺は何をしていたんだ?
まあ、そんな事はどうでもいい。もう一杯、ウィスキーを貰おう。
春雨が桜を散らす。
昨晩、職場の先輩が闘病の末、亡くなったそうだ。
ミリタリーとロボットアニメとプラモデルにとても造詣深く、エロくて面白い人だった。
私のようにダラダラと生きていると忘れてしまいがちだが、どうしようもなく人は死ぬのだ。
真っ黒なスーツに真っ白なシャツを着て、なんだか妙に浮き足立っていて、なんだか妙に張り切っていて。そんな新入社員の姿が巷に目立つ。春の風物である
しかし、あれほど目立つ新入社員も5月にもなると、忽然とその姿を消す。
会社や社会に馴染んできて徐々に減るのは分かるが、不穏なぐらいに忽然とその姿を消すのである。
神隠し都市東京。怖い街だ。
昨日、統計物理学のパターンインフォマティックを専門とする大学教授と話をする機会があった。
パターンインフォマティックとは臨界現象を取り扱う新しい概念で、まあ、予測が立てづらい臨界現象のエネルギーや時間のパターンアルゴリズムによって、より正確な予測を立てるというものだそうである。
私もよく分からないので、教授の言葉を借りると。
人間は死ぬことは分かっている。死という状態も分かっている。しかし、それが何時やってくるのか分からない。パターンインフォマティックとは、その死の訪れをできる限り正確に予測できる可能性を持ったものである。そうである。
まあ、早い話は山師なのだが、より多くのデータ集積と解析によって、かなり正確な結果が得られるそうである。実際に実用化もされていて、様々分野で成果をあげているそうだ。
で、面白い話が、どんな臨界現象でも、その臨界直前に共通したパターンがあるのだそうだ。
嵐の前の静けさじゃないが、「安定」が一番危ないのだそうだ。パターンが安定した直後に必ず臨界を起こすそうだ。
なんだか凄いよね。
雨の土曜日。土曜日の雨。
土曜日なのに雨。土曜日だから雨。
雨なのに土曜日。雨だから土曜日。
眠い。
診断は逆流性食道炎の可能性。
あと2週間ほど投薬治療で様子をみて、善くならないようなら胃カメラを飲んでみましょう。
医師は笑顔で説明してくれた。
まったく。 いゃんなるぜ。 うぉえぇ。
私の周囲にも独立して人を雇って仕事をしている人がちらほら出てきた。私のように会社勤めで部下や後輩を遣うのとはわけが違う。
他人の生活の責任と保障を持つのである。
これぞ大人って感じだよな。
今夜、知り合いがDOMMUNEに出演していた。
いつも思うが、知り合いがメディアに出てるって不思議だよな。
しかし、愚直に一歩一歩積み上げて突き抜けた奴ほど、メディアには取り上げられるね。凄いことだよ。
ちょっと発見したのだが、桜は最後の散り際になると、風に舞ってハラハラと花弁が散るのではなく、その花の房ごとボトリと落ちるのである。
最後だからって、ちょっと投げ遣り過ぎると思う。
その発見のきっかけにもなったのだが、昨晩、家路の途中、蛍光灯に照らしだされた桜の木の下で、そのボトリと落ちてくる花を眺めているオジサンを見かけたことだった。
オジサンは風に揺られて落ちてくる花をひとつひとつ確認し、まるで子どもの遊びのように花をひとつひとつそっと踏みつけていたのだ。
桜の季節の終焉を尊ぶかのような光景だった。
5月の半ばから半月ほどまとまった休みがとれそうなのである。
太平洋と大西洋を越えてくるぜ。
最近、専門家といわれる科学者の発言の中で「シナリオ」という言葉がよく遣われているように思う。
もともと遣われていたのか、最近遣われ始めたのか知らないが。
シナリオ。
違和感あるよな。