最近、70〜80年代の歌謡曲を聴いている。
私は70年代も最後の最後の生まれなので、今聴いている歌謡曲は私にとってタイムリーなものではないが、フレーズぐらいなら知っているぐらい有名な曲ばかりだ。
さて、昔は気の置けない仲間達と賑やかに遊んだり呑んだり語り合ったりしたりして、それがとても楽しかったし、重要で貴重なものだと思っていた。もちろん、今でも大切でかけがえのないことだと思っている。
でも、積極的にそういう場を求めることに少し距離を置くような、一人でいることの方が居心地がいいような、そんな微妙なお年頃の私にとって、歌謡曲特有の内省的に語られる独白に親近感を感じてしまうのである。
やっぱ、ちあきなおみなんだよな。
あと、野口五郎もけっこう良い。
圧力鍋を買った。
圧力鍋は初心者なので、失敗してもいいように、小ぶりで安価なものを買った。
試作は鰯の甘露煮でと思っていたのだが、解凍の秋刀魚しか手に入らなかったので秋刀魚の梅煮にした。目標は鮭中骨水煮缶ぐらいの骨の柔らかさである。
秋刀魚程度の骨を攻略できなければ即お払い箱にしようと思っていたのだが、僅か15分ほどでその最初の関門は難無く突破した。
ほぉ〜ん。やるじゃないか。
週末は角煮か煮豚を試そうと思っている。
分厚い塊を買ってきてやるからな。
まあ、まだ序の口のところだが、良い相棒になりそうな予感である。
土曜日なのに仕事。しかも会議。土曜日に会議って。
会議さえ終われば早く帰れるかと思いきや、実務で残業。
土曜日なのに。
美味しいタルトケーキを買って帰ろうと思いきや、長蛇の列。
土曜日だから。
諦めて、手ぶらで帰宅。
目を覚ましている娘に会ったのは月曜日の朝が最後だ。
感動の再会と思いきや、泣かれる & 泣かれる & 俺が泣きたい。
土曜日ってこんなに不毛な曜日でしたっけ?
実は今週の頭からお休み頂いている。リフレッシュ休暇というやつだ。良い制度だが、もう少し頻繁に頂けるとなお良いな。なんて。
さて、車。
今週は休みということもあり、先日は軽井沢を、今日は都内を、ぐるぐると車で巡っていた。
酒を飲めないのは残念だけど、車ってなかなか面白い乗り物だ。
車を所有したことは一度も無いけれど、学生時代に深夜配送のアルバイトをやっていて、マニュアル操作のワンボックスで深夜放送を聴きながら都内を走り回っていた。運転の基礎はこの時に身についた。
その一方で、レンタカー会社に勤めていた友人のつてで激安で借りた車をぶつけてしまい、大事ではなかったけれど、友人の顔を潰してしまったこともあった。
それ以外にも、国内外で長距離の車旅をしたこともあるし、今でも年に何度かちょこちょこ乗っているから、まったく車に馴染みがないということもないが、運転するのと所有するのではだいぶ違うんだろうなとも思う。
バイクは一人でどこまでも行けたけど、車は色んなもの積んでみんなでどこまでも行ける。
欲しいのか?
必要なのか?
ちょっと悩んだフリをして、そのうち忘れるパターンかな。
車を買うにはも少し浪漫が足りないな。
先日もお伝えしたように、今、リフレッシュ休暇中だ。
でも、出掛けてばかりで、あまりリフレッシュしてるとはいえないな。
今日も用事があって品川駅に行ってきた。
もう昔の品川駅をあまりうまく思い出せないけれど、もっと素朴で地味で庶民的な駅だったような気がする。でも、今や立派な国際的ターミナル駅で、様々な店舗や様々な人々で溢れかえっていた。
私も物珍しさに、駅構内の飲食街で家にお土産でも買って帰ろうとウロウロしていたら、北京から来た元気な女の子二人組から声をかけられ、新幹線乗り場まで案内した。これから大阪に遊びに行くそうで、元気一杯出掛けて行った。
その直後、今度は台湾から来た素敵な女の子に声をかけられ、渋谷への行き方を案内した。ファッションやサブカルチャーに興味があって、春休みに東京巡りをしに来たそうだ。
普段、若い女の子から声をかけられることなんてないから、これはとても嬉しいことなんだけど、所詮、道案内係りのおじさんなのである。
しかし、いつの時代も女の子ってとても元気で行動的だ。
あと、最近はみんな凄く立派な英語を喋るな。
ようやく本当の春がやって来そうだが、どうなのだろう?
早く来い来い春の風。
さて、最近、というか、昨晩から無性に万年筆が欲しいのである。
いやちょっと違うな。
昔からきちんとした万年筆には憧れていた。でも、字が下手くそで文章を書く機会の少ない私にとって、万年筆の必要性は低かった。私にはボールペンやサインペンで充分なのだ。そう決めつけて、無意識に今まで万年筆を無視していた。
ところが、昨晩、日課である就寝前のネットサーフィン中、たまたまMONTBLANCのサイトに辿り着いてしまったのである。
俺もきちんとした万年筆の一本ぐらい持っていてもよい年齢だし、それぐらいの男にもなっただろう。俺の万年筆心に火が点いた。
どこまでもスノッブなMONTBLANC。クラッシックでユーモラスなPelikan。モダンでスタイリッシュなPARKER。エコノミックなWATERMAN。
プレイボーイにでもなった気分で素敵な万年筆を物色していたのだが、結局、寝落ちした。
まったくもう。
去年の今頃、妻が二週間近く仕事で家を空けたことがある。
私は久しぶりのヤモメ生活を大いに楽しんでやろうと思っていたのだが、そんな意気込みは何処へやら。
妻のいない生活は思いのほか寂しく、気力も失い、生活も荒み、私は廃人同然の日々を送っていた。
そんな私をみかねて友人が励ましの酒宴を開いてくれたのだが、それでも寂しさは埋まらず。そんな私を更にみかねたカメラマンの友人がちょうど撮影しているボクサーの試合があるからと誘ってくれたのだった。
初めての後楽園ホール。 アナウンス。 歓声。 ゴング。 汗。
左で牽制しながらの強烈な右ストレート。
鮮やかなノックアウト。
私はその試合にガツンとやられてしまったのである。そして、ようやく妻の不在から目覚め、立ち直ったのだった。
ストリートカルチャーと猫をこよなく愛するボクサー。船井龍一の試合だった。
来月、彼は日本タイトルマッチに挑む。
うちには文庫本が5〜600冊ぐらいあるだろうか。
文庫本のサイズって、いつでもどこでも持ち運べる気安さとズボンのポッケにも入る身近さがあって、とても好きだ。読みたい本があっても文庫化するまでなんとか我慢する。文庫化されないものは仕方ないので図書館で借りてくる。
だから、うちにはどんどん文庫本ばかりが溜っていく。といっても、今はまだそれほど冊数は多くはないのだけれど、今後のことを考えるとちょっと大変かもしれない。
でも、文庫本を収納できる素敵な本棚って少ない。
仕方ないので、近くの材木屋から小幅板を何本か譲ってもらって、ユニット式の簡単な本棚を作った。これが意外と便利で、冊数の増減にもすぐに対応できるし、簡単に作れるので、我ながら良いものを作ったと思っている。
さて、次は何を読もうかな。
先日、娘が生後100日を迎えた。
産まれたての頃は 泣く→寝る→泣く の繰り返しで、人間らしさという意味では、なかなか、どうして、むむむぅ、という感じだったが、最近では感情が表情にも出るようになってきて、けっこう面白くなってきた。
しかし、相手は乳幼児である。彼女の日課は日がな一日寝ていることなのだ。私のような暇なおじさんに付き合ってくれるほど暇ではないのである。
しかし、私の方だって負けていられない。目を覚ますのを根気強く待ちかまえているのだが、グリム童話の王子のようにうまくはいかない。姫はグースカ眠り続けるのである。
まったくもう!
娘は目を覚ますと必ずニコッと微笑むのだ。
まったくもう!
そんなのってズルいよな!
明日はどんな楽しい嘘をつこうかな。
さて、M・フーコーの『監獄の誕生』ではないが、現実に、この高度な資本主義国の巨大都市では、あらゆるものが解析され、想定され、誘導され、管理されている。
そんなところで生活していると、自らの意思で判断し、選択し、行動したように思っていても、実はすべて仕掛けられたものだったりする。困ったことに私の陳腐な欲望ですら、そういったものに支配されているのである。
そして、残念ながら、デザインという技術も大いにその一端を担うものだと私は思っている。
むむむむむぅ。
しかし、エイプリルフールって日本ではいまいち盛り上がりに欠けるよな。