しばらく会っていなくて連絡もしていない友人でも、SNSで近況だけは知っていて、勝手に身近に感じているという事がよくある。
私の場合、あまりSNSで近況報告はしないのだけど、この日記の更新報告はしている。この日記をどれぐらいの人が読んでくれているか分からないけど、SNSからワンクリックして貰えれば私の慎ましい近況や日常は知ることができる。
でも、何年も会わず、連絡もとらずして、近況だけは知っているというのも、便利なようでいて、不思議というか不気味なんだよな。
友人なら、会って、話して、酒を飲まないとな。
いかんよな。
ロックの日。
シェケナベイベー!イェェ!
というわけで、明日は有給とったぜコンニャロメー!
さて、「あのひとは◯◯大学の首席だったらしいよ」なんて話をたまに聞くことがあるが、「首席」っていったいなんなんでしょう?
少なくとも私が卒業した特殊な人間の集う特殊な大学は「首席」なんて制度は無かった、と思う。
一般的な大学には「首席」なる制度があって、卒業式などの晴れがましい時に表彰などされるだろうか?
良く分からない。
みんな、今度「首席」について朝まで語らおうぜ!
ベベベベベイベ!
どんなに書き易さを謳っていようとが関係なく、ボールペンで書くと必ず字が擦れてしまう。だから、ボールペンなんて結局のところ準筆記具なのだな、とずっと敬遠していた。
ちなみに婚姻届はボールペンで書いて擦れ、汚れた。
そんなわけで、今は色鉛筆とダーマトグラフを日常的な筆記具として愛用しているのだが、やはり、何から何まで色鉛筆とダーマというわけにもいかない。
ちなみに出生届もボールペンで書いて擦れ、汚れた。
特に公的な届けや文書などは複写式のものがあったりして、ボールペンのような筆圧がかかるものでないと不都合な場合が多い。用意されている筆記具も必ずボールペンだ。
しかし、私がそんな感じで文句を言いながらボールペンで何かを書いている時に、私の姿を見た妻が「あなた力入れ過ぎ」と言ったのだった。
どうやら、私はボールペンの使い方を間違っていたようなのだ。
ボールペンは力を入れればインクが出るというものではないのだった。実際、軽いタッチでス〜ラスラ〜と筆を走らせると、そこには見事な筆跡が残るではないか。
押して駄目ならなんとやらというやつだったのだ。
は〜。まったくも〜。
ウチから5分ぐらい歩くと川がある。
まずまず大きな川だ。
春には桜を。夏には花火を見に行く。
それ以外は用事もないので滅多に行かない。
でも、今日は珍しく川向こうに用事があったので夕方に出かけてったのだが、黄昏時の川の美しさに胸をえぐられるのだった。
そして、私は夕暮れの川辺に腰かけて、もう戻らない青春に思いを馳せながら、なぜかカントリーロード(耳をすませば Ver.)を口ずさむのだった。
娘も間もなく半年である。
おかげさまで、世で言われているような苦悩も無く、元気いっぱいだ。親にとっては手のかからない良い子である。
しかし、そんな娘も、いよいよ夜鳴きのようなものが始まったようなのである。
というのは、なんだか最近、娘が深夜から朝方にかけて二時間ぐらいモニョモニョし、呪文のように「ウー、アー、ダー」と鳴いているのだ。
おかげで私の眠りは浅くなり、なんだか妙な夢をみる。
名前すら忘れていたような人たちが次々に出てきて、私に様々な助言を与えて去ってゆく。そんな夢をみるのだ。
もしかしたら、娘のモニョモニョと呪文は、私にこういった妙な夢をみさせる魔術的な何かなのではあるまいか?
マジカルガール。
恐るべし。
ハンカチを忘れた梅雨の土曜日。
人々の気分が沈むこの季節、必然的に経済活動も停滞する。
あるラジオ局では雨が降ったら提携店舗でサービスを受けられるキャンペーンを張り、ある鉄道会社では駅のホームを居酒屋にして雨を気にせず酒を飲めるイベントを催している。
停滞する人々と経済の活気を取り戻すために企業は必死だ。
でも、経済を回すために人々が無理して気分を変えることはないと思う。梅雨は梅雨らしく停滞していればいい。
ハンカチを忘れた今日の私の気分は陰鬱な曇空よりも沈滞し、せっかく洗った手はいつまでもビショビショである。
酒でも呑んで帰るか。
梅雨の健全な経済活動である。