目の覚めるような美しい海と珊瑚礁に囲まれ、熾烈で強靭な熱帯雨林に覆われた島。
海岸を歩くと珊瑚と貝殻の浜辺が限りなく続き、海に潜ると色鮮やかな生物が舞い踊る。
川岸に密生するマングローブ。
眩しく鋭い太陽。
大粒の激しい雨。
なんだ! これは!
なんだ! ここは!
石垣島である。
島の市街地より少し離れた集落には珊瑚の石垣塀に囲まれた伝統的な景観が残り、その一角に素敵なご夫妻が営む古く重厚な造りの宿がある。
この宿には欧米からの逗留客が多く、我々以外の日本人は一人だけ。日本なのに、なんだか海外にでも来たような不思議な感じでもある。
娘は異国の人々に可愛がられ、妻はヨーガの境地に飛び去り、私は島の酒に酩酊する。
そんな素晴らしい一週間を過ごしてきた。
そして、つい先日、そんな南の島の濃密な生活を終えて東京に帰って来たのだが、私は都会のまた違った濃密さに圧倒され、激しい眩暈に頭がグラングランしているところだ。
ずっと雨である。
こんなに雨がつづくと身も心もくさくさしてくる。
あ〜、くさくさ。
さて、先週は島で一週間。テレビやネットやラジオはもちろんのこと、基本的になんにも無い。目の前にある自然と人と食べ物がすべて、という日々を送っていた。
そこから、都会の日常生活に戻ってきてみて、まず驚くのが、あらゆるものが過剰さである。
うちにはテレビは無い。私はスマホを持っていない。
その他にも一般家庭に当たり前にあるものがうちには無かったりする。
島の日々から戻ってみると、そんな我が家ですら過剰に思えてくるのだ。
もう少し身軽に生きられると素敵なのにな。
しかし、まずこの雨の日々から身軽になりたいものだ。
親戚のおばさんが娘にくれたフェルト生地のピヨコの人形の片方の目が、行方不明になっていていた。
どこへ行ってしまったのだろうかと不思議に思っていたのだが、今朝方、娘のおしりから出てきた。
まったくもう。
そして、娘はいま、「太陽にほえろ」の殉職刑事のモノマネを一通り終え、寝た。
まったくもう。
フェイスブックやインスタグラムを眺めてみると、人々の幸福で華やかな生活ぶりが見てとれる。
もちろん、皆が見ている場で惨めったらしいことを公開することもなかろうし、充実した部分を皆に見てもらいたいというのが人情だ。
にしても、私の貧相な生活からすると羨ましいものばかりである。
でも、本来、人間の生活は地味で惨めで貧相なことが大部分を占めている。輝かしいことなど瞬間的にしか訪れない。だけど、そうした地道な積み重ねから、新たな物事が産まれたり発展したりして、輝きが生じる筈なのだ。
だから、この日記はSNSとは真逆。
何が輝きとなって生じるかは分からないが、これからもウジウジジメジメした私の生活をお伝えしていくことにしようと思う。
輝きは現実で。
季節の変化に気がつかず、半袖で街中をウロウロしていたら風邪をひいた。
辛い。
それなのに、私はいまだに夏気分のまま薄着でいる。
おそらく、石垣島から連れてきてしまった夏が、私の中でまだ燻っているのだろう。
夏はしぶとく生きている。
妻が妊娠してから、定時上がりを死守するため、仕事の最適化に努めてきた。
その甲斐あって、この1年、月10時間以内に残業を抑えてきた。
嫌味を言われようとも、後ろ指さされようとも、仕事は的確にこなしている。私は努力と実力で定時上がりを勝ち取ってきたのだ。
しかし、現在21時52分。
まだ会社にいる。
たまには誤算もある。
笑いたければ笑うがいい。
は~帰りたい。
寒い。
上着を一枚羽織らなければならない季節になってきたが、電車に乗ったり建物に入ったり地下道を通ったりすると、暑くて上着を脱ぐことになって、結局、上着が荷物になる。
外出はできるだけ身軽でいたいのにさ。 ぶつぶつぶつ。。。
などと思いながら、夕暮れの街をとぼとぼ歩いていると、私のすぐ脇を半袖短パンの男の子が全力疾走で転がるように駆け抜けていった。
嗚呼。 何てこった。
ボブ・ディラン。ノーベル文学賞獲ったんだな。
毎朝、私は家の床掃除をしている。
毎日しなくても、と思う方もいるかもしれない。
私だってそう思っていた。
でも、1日で家はけっこう汚れる。
髪の毛や皮膚や食滓や埃。
人間が出す様々なものが床に落ち、汚れてゆく。
そして、汚れには個性がある。
いまのところ、娘の残した汚れが一番個性的だ。
そう言えば。
ディランと連絡とれないそうだ。
まあ、仕方ないよな。
先週末、とあるトークイベントに娘を連れて参加した。
参加者50人前後のアットホームなイベントだったが、作家のいとうせいこうさん、ラジオDJのロバート・ハリスさん、パタゴニア日本支社長の辻井さん、映像作家の山田さんという面々に加え、只者ではない雰囲気の方がちらほら。
いつもと違う状況を察したのか、突如として娘のテンション↑
凍る父。
焦る父。
しかし、そんな父の思いとは裏腹に、みなさん快く娘を受け入れてくださり、可愛がってくださった。
まあ、そんなこともあり、このトークイベントでは、いとうさんから論理的な優しさ、ハリスさんから兄貴的な優しさ、辻井さんから実直な優しさ、山田さんから人懐っこい優しさ、それぞれに人間的で芯のある優しさを感じた。
そして、まだ日本にも筋の通った優しさと信念を持つ人たちがいることに安堵した。
自分もそういう優しい素敵な人間にならなければな。
でも、父はいとうさんと色々話したいことがあったのに、娘のことでちょっと気後れしてしまい、まったく話せなかった。
情けないな。
先週末、とあるトークイベントに娘を連れて参加した。
参加者50人前後のアットホームなイベントだったが、作家のいとうせいこうさん、ラジオDJのロバート・ハリスさん、パタゴニア日本支社長の辻井さん、映像作家の山田さんという面々に加え、只者ではない雰囲気の方がちらほら。
いつもと違う状況を察したのか、突如として娘のテンション↑
凍る父。
焦る父。
しかし、そんな父の思いとは裏腹に、みなさん快く娘を受け入れてくださり、可愛がってくださった。
まあ、そんなこともあり、このトークイベントでは、いとうさんから論理的な優しさ、ハリスさんから兄貴的な優しさ、辻井さんから実直な優しさ、山田さんから人懐っこい優しさ、それぞれに人間的で芯のある優しさを感じた。
そして、まだ日本にも筋の通った優しさと信念を持つ人たちがいることに安堵した。
自分もそういう優しい素敵な人間にならなければな。
でも、父はいとうさんと色々話したいことがあったのに、娘のことでちょっと気後れしてしまい、まったく話せなかった。
情けないな。
寒風吹き荒む日曜日の午後。
ようやく娘が遅い昼寝をはじめた。
私はすかさず昼食の後片付けをし、バスタブを洗い、洗濯物をとり込み、夕飯のチゲ鍋の仕込みにとりかかる。
一通りの準備を終えて、今は早めの晩酌中だ。
娘を育て始めて、時間の使い方が上手くなったような気がする。
寒い季節は手軽で美味い鍋が助かる。
今晩のチゲ鍋は思い切り辛くしよう。
明日はお尻がアッチッチだぜ。
隣家のガレージに数台の高級車にまぎれてカバーとロープでしっかり梱包された車がひっそりと置いてある。
ナイロン製のカバーには埃が積もり、ロープは一度も解かれた様子もなく固く結ばれている。
5年間住んでいて、まだ一度も中の姿をみたことないので、もしかしたら車ではないのかもしれないな、なんて思っていたのだが、昨日、突如としてその封印が解かれていたのであった。
SKYLINE 2000 GT-R KPGC10。
通称 ハコスカ。
まさか昭和の名車がこんな身近なところにあったとは。
半世紀近く経つというのに、今できあがったばかりのような輝きと美しさ。考え抜かれ、突き詰められ、削ぎ落とされ、そして、そのすべてが完璧に仕上がったものだけが宿す絶対的な存在感。
非の打ち所のない素晴らしいプロダクトデザインである。
久しぶりの感動だ。
エンジン音も聞きたかったな。